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クーラーは消した・・・・・
風呂上りに人工的な冷気は良くないと思ったせいもあるけれど、窓から吹き込む夕立の後の涼しげな風が一番気持ち良いからだ。カーテンが、はたはたはた・・と音を立てて舞う。覗いた空はまだ結構明るかった。
言葉は要らないんだな、と思う。
弥勒のまだ濡れている髪が首筋に当って心地良い。熱い唇が降った後の肌をひんやりと冷ましていく。
一緒にベッドに上がって体を触れ合わせると、弥勒はもう何も言わなかった。ちょっと興奮したような乱れた息遣いと、火照った体の熱、それから少しずつ激しく求め出す四つの手の平だけが、二人の間に流れる言葉だ。
さっきまで・・・ついさっきまでは模試の答え合わせをしていた普通の生徒と先生だったのに。ちょっと生意気で勉強のできる学級委員と、たまにおっちょこちょいだけど生徒から慕われる新米教師だったのに。
それが今は・・・ベッドの上で、裸で、一番恥ずかしいところまで曝け出した格好で、抱き合ってる。先生も生徒もなく、年上も年下もなく、そして・・・男同士であることすら関係なく。
<ん・・>と、思わず小さく呻いてしまう。
弥勒の愛撫が急所を捉えたからではなく、そんな風に考えていたら改めて恥ずかしさが込み上げてきたからだ。
まだ、慣れてはいないのかも知れない。
弥勒はその呻き声をどう捉えたのか、ほんの一瞬動きを止めた後、脇腹の辺りに、より一層愛しげに自分の額を擦りつけ、その感じ易い部分の肌を唇で吸い上げてくる。吐き出す息が、思わず震えてしまう。耐え切れず、弥勒の濡れた髪をぐしゃり、と掴んだ。窓から吹き込む雨上がりの風は、どこか懐かしい匂いがする。
上から、下へと・・・
指の間に弥勒の髪を絡ませながら、慣れてはいないけれど、不自然でもないということに気づく。そうだ、不自然でもない。二人でこうして互いの裸体を求め合っていることさえ、それほど不自然なことでもないと感じる。
弥勒は、この世で一番優しい人じゃないだろうか?
弥勒がこんなにも優しいとは、思わなかった。考えてみれば、自分は弥勒の何を知っていたのだろう?ついこの間まではいつものあの狡猾な優等生の顔しか知らなかったのだ。ときたま激しく狂おしくなることはあるけれど、それでも裸になった弥勒は信じられないくらい優しい。そして、その優しさが口付けられる度に体の中に溶け込んでくるようで、すべてを明け渡してもいいと思えるほど、心地良い。
目を閉じる。
弥勒は、脇腹から下腹部へと顔を動かしていく。張り裂けてしまいそうなほど昂ぶっている性器へと。その先が恥ずかしい液体で濡れているのが自分でも判る。
弥勒の髪を掴む手に、つい力が入ってしまう。
疼痛にも似た甘い痺れが腰いっぱいに広がっていき、全身が、まるで焼きたてのトーストに乗せられたバターのようにどろっと溶けていくようだ。そうして、とっても恥ずかしい気持ちと裏腹に、この腰は、もっともっと溶かして欲しいと訴えるかのごとく、弥勒の顔へ押し付けるように勝手に浮き上がってしまう。
弥勒はそんな淫らな腰に優しく手を回し、望むままに与えてくれる。本当に優しくて、不安になるほど優しくて・・・上手くは言えないけれど、その手で何かを必死に守ろうとしているようで・・・。そしてその余りの優しさに、ふと、その裏に潜むもののことを考える。それは、弥勒と抱き合う回数を重ねる度に、強く感じるようになってきている。
弥勒は、もしかしたら・・・この世で一番悲しい人なんじゃないだろうか、と。
一旦そう思い始めると、弥勒の悲しさが一気に胸に流れ込んでくる。悲しい、悲しい、悲しい、どうしてこんなに悲しいのだろう。気のせいだろうか?いや、気のせいなどではない。よく分かる。弥勒は痛みを知っているから優しいのだということが。
弥勒、弥勒、弥勒。
弥勒から降ってくるめくるめく快感と、穏やかで尚且つ深く根を張った、言われなき悲しみ。抱き締めたい。そのすべてを抱き締めたいと思う。もしかしたら、本当に弥勒を愛してしまったのだろうか?
甘ったるく、濡れた唇で無心に性器を貪っている弥勒の首を両手でそっと持ち上げ、自分の方へと軽く引き寄せる。その意を察した弥勒が顔を上げ、這い上がってくる。面と向かい、目を合わせると、ちょっとだけ驚いたように瞳の奥を覗いてくる。そのまま、見つめ合う。解かったのだろうか。何を思っていたのか、弥勒には解かったのだろうか?
確かに、言葉は要らない。
弥勒は一瞬真剣な眼差しで応えた後、何もかもを包み込むようにうっとりと笑った。弥勒、弥勒、弥勒・・・・・。
それから弥勒は既に骨抜きになっている両脚を持ち上げ、その間に自分の腰を割り入れてくる。二つに折り畳まれてしまった体の上から、弥勒の体の重さが圧し掛かってきて・・・無防備に開かされた尻の間に、弥勒の、まるで鉄か何かのように固くなったものが押し当てられると、もう何もかも判らなくなってしまいそうで。
そうだ、確かに言葉は要らない。
弥勒が中に押し入ってくる。体の中で、内側で、肉と肉が触れ合っている。二人同時に震える息を吐き出すと、それがちょっと可笑しくて、思わず目を見合わせ、軽く笑う。それで、それだけで、きっと解かり合えるに違いない。
弥勒は下半身を貫いたまま動かずに、何度か唇を嬲るだけのキスをする。弥勒のものが中で一層固さを増し、どくどくと脈を打っているのを感じる。つい意識してしまい、そこに力を入れてしまう。
弥勒の肩がぴくりと小さく震える。
キスを止め、弥勒は圧し掛かる格好のまま、顔をこちらに向けるように横向きに頭を枕に埋めた。すぐにでも激しく暴発してしまいそうな衝動を抑えるためなのか、弥勒はその体勢のままでゆっくり腰を動かし始める。耳に、熱い息がかかる。少し苦しそうな、欲情してかすれた息。ゆっくり、ゆっくりだけど、少しも逃すまいと、隅々まで味わい尽くそうとするかのような丹念な動き。腰に手を回しながら、ゆっくり、深く、抉っていく。ああ、弥勒・・・優しく求めても、解かってしまう。
お前はめくるめく快感を追っているのか?
それとも、その深く根を張った、何かの悲しみから逃げているのか?
言葉は要らない。
けれども――――言葉にしないと届かない場所がある。
「何が悲しい?どんな痛い思いをしてきた?どれくらい辛い?今もまだ辛いのか?痛いのか?」
「お前のこと、まだ何も知らないんだよ、俺は」
「お前のその聡明さと強さと優しさの向こうに何があるのか、ちゃんと見せて欲しいんだ」
「お前が俺の苦しみをまっすぐに見ていてくれたのは、お前も何かの苦しみを知っていたからじゃないのか?」
決して声にならない青い言葉が、宙に浮んでは、窓から空へと消えていく。
だけど、今はいい。今はまだ、言葉にならなくても。こうして抱き合ったまま、真夏の不均一な薄闇を掻き回すように、ひとつに溶けていくだけで・・・
その滑らかな背中に手を這わせると、弥勒は上体を起こした。そうして、少し長めの髪から滴り落ちるのは、いつの間にかシャワーの雫ではなく、その体から滲み出た汗に変わっていた。
つづく
2003/02/23 up