「春風とモノクローム写真」
カシャッという小気味良い音がした。
不意をつかれてハッと横を向くと、少し離れたところで一眼レフカメラを構えた男がひとり。
「なんて顔、してんだよ」
男はファインダーから瞳をずらして、こっちを見た。
微かに笑って見せたその顔は、初めて見る顔だった。
生徒ではなさそうだ。制服を着ていない。
学校関係者?父兄や理事にしては若い。
教師?新任の、教師だろうか。
「つまらない、って顔に書いてあったぞ?」
そんな顔をしていたのだろうか?
「明日にも桜が咲きそうだっていうのに」
何を言っているのだろうこの人は。
そうだ。確かに今は万物の萌え出す春。
すべてのものが新しく始まる春。
だけど俺はそんな春に、他にこれといった予定もなく、
静まり返った休暇中の学校にひとり、忘れ物を取りに来ただけだ。
楽しそうな顔をしているわけはない。
でも・・・
「そうそう。いい顔できるじゃん?」
彼は勝手に満足したように笑うと、そのまま廊下をとっとと歩いて行ってしまった。
彼が笑うと、まるで窓の外の桜が一足早く咲いたような感じがした。
そして、俺も何故か笑っていた。
春風に吹かれたみたいに。
その写真を俺が手にしたのは、桜も満開の始業式の日だった。
「弥勒・・・だったよな。ちょっと、渡したいものがあるんだ」
HRが終わり、帰りかけた時、その新任教師に呼び止められた。
「ほら。これ・・・」
モノクローム写真だった。
廊下の開け放たれた窓に頬杖をついた自分が写っていた。
柔らかい春の空気と物憂げな表情の自分。
白黒なのに・・いや、これが白黒の表現力というやつなのか。
ひどくつまらなさそうな顔をした俺が写ったその写真は、だけど、不思議な力強さを持っていた。
何だか自分じゃないみたいだった。
でも、それは他の誰でもなく、確かに俺自身で。
「現像してみたら、なかなかいい写真でさ」
横から覗き込んで、先生が言う。
「つまらなさそうな顔してるけど、何となく訴えるものがあるだろ?」
先生は嬉しそうにくすっと笑った。
「実は、あの時も“これは・・”って思ったんだよな。何かを感じたっていうか。
ぼけーっとした表情だけど、本当はその内側に何かの情熱を秘めているみたいな・・・
そんな妙な胸騒ぎみたいな予感みたいな何かを感じて・・・
思わず一枚撮ってしまったんだ」
「・・・ありがと」
「え?」
「ありがと、先生」
「ああ、うん」
短く頷くと先生は再び、照れたように笑った。
その内に秘めた“何か”を引き出してくれたのは、先生だったから。
今もその写真は寮の自分の部屋に飾ってある。
自分の写真を飾るなんてまるでナルシストみたいだと自嘲してみたり。
だけど実際、その写真を見ていると、自分を見るというより、そんな自分を見ていた先生を見ているような気分になる。
そしてその度に、あの時のように、春風に吹かれたみたいに、暖かい気持ちになるのだ。
2005.12.24up