甘い罠





「彼女の所にでも行くの?」
ネオンの中、車を走らせる珊瑚が助手席の弥勒に言う。

「ま、そんなトコかな。何か文句でも?」
「も、文句なんてあるわけないでしょ。弥勒クンの彼女じゃあるまいし」

弥勒はちらりと横目で薄く色づいた珊瑚の頬を見遣った。
「そんなに怒らなくたって良いじゃないか。
 お前にはこの三連休の間、ずっと付き合ってやっただろ?せめて今晩くらいは…」

「付き合ったって…仕事でしょ!
 もう、そんな言い方しないでくれる!?それじゃまるであたしたちがデキてるみたいじゃない!
 大体、弥勒クンはいっつも…」

早口でまくし立てる珊瑚に耳を傾けているのかいないのか、
弥勒は不意に「あ、そこで停めて」と言い出した。
珊瑚は慌ててウインカーを出す。

「っ…急に言わないでよ」
車を路傍に停めて、ひとつため息をつくと再び機関銃のように文句を浴びせようとする、が。

「じゃ、お疲れ」
弥勒はさっさとドアを開けて出て行った。
突然孤独になることを押し付けられた珊瑚は、
通りに面したケーキ屋に入って行く弥勒を呆然と眺めた。
……

弥勒は某出版社に勤める駆け出しの編集者。
フリーカメラマンである珊瑚は弥勒の取材に同行することが多い。
現にこの三連休も都内で行われた某イベントを取材する為、ずっと一緒に行動していた。
初めて出逢った時は気さくで感じのいい人だと思っていたが。
一緒に過ごす時間が長くなるほど…親しくなればなるほど…
本当は何を考えているのか判らない。
そう、珊瑚は感じていた。

「ヤな奴…」
弥勒の姿が明るい店内に吸い込まれると、珊瑚は何かをふっきるように車を走らせた。
でも、耳元には弥勒がドアを閉める直前に呟いた言葉がまだ残っていて…
「ありがとう、珊瑚」
……



「スペシャルモンブランとスペシャルショコラをひとつずつ」
「以上でよろしいでしょうか?」
「それから、スペシャルなあなたをひとつ」

女子高生風のアルバイト店員がおぞましいオヤジギャグに背筋を凍らせているのも構わず、
弥勒はウキウキで店を出て行った。
通りから狭い路地に入って少し急な坂を登り切った辺りに、犬夜叉のアパートがある。
ケーキの箱を大切そうに抱えながら、弥勒はくくくっと笑いを噛み殺した。

連休は仕事だって言った時の、あいつのがっかりした顔…
突然行ったら驚くだろう、絶対…

  〜 〜 〜
  「弥勒っ、今日も仕事じゃなかったの?」
  「お前の為に早めに切り上げたんだよ」
  「マジ?」
  「ほら、お前の好きなモンブラン♪」
  「うわ〜ん♪もー弥勒っ、大好きっ(ちゅっvv)」
  〜 〜 〜

それから、あんなコトとかこんなコトをして…
ん?じゃあ、明日は朝帰り?
うわー、そのまま会社に直行かよ?
ワイシャツはあいつのを借りるとして、ネクタイは…持ってんのかな、あの野郎…。
ま、ノータイでもいっか。
でも、こういう時に男同士だと便利だよな♪

思いっきり怪しげな笑いを浮かべていたら、
道に面した民家の柵から顔を出していた犬にバウバウ吠えられた。
うっせーな、犬っころ。
犬っころ?どっかで聞いたような?
気のせいか…。

弥勒は足早に坂を登って行った。
……



ピンポーン♪
……
ピンポーン♪

「……はい」
しばらくすると、中から犬夜叉の不機嫌そうな声がしてガバッとドアが開けられた。

「み…ろく、あれ?」
「フン、仕方ねぇから仕事を早めに切り上げてやったんだ」
「マジ?」
「ほら、モンブラン♪」
「うわっ、大好きだぜ、モンブラン♪(ちゅっvv←ケーキの箱に…)」

思い描いていた筋書きとは多少?違ってはいたものの、犬夜叉の満面の笑顔に免じてここまでは許す。
しかし…しかしだ。
弥勒は予想もしていなかった事態に遭遇した。

「犬夜叉ぁ〜?誰か来たの〜?」
可愛らしい声を上げて奥からエプロン姿で出てきたのは、見知らぬ女で…。



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「あ…っと…その…」
犬夜叉はその女と弥勒を交互に見て引きつった笑いを浮かべている。

ぴくりと吊り上がった弥勒の片眉に怯えながら、犬夜叉が口を開いた。
「日暮かごめ。…俺の…カノジョ…」
そう弥勒に紹介すると、勘弁してくれとばかりに犬夜叉はこっそり片目をつむる。

彼女と紹介されたかごめは、玄関で靴も脱がないまま固まっている弥勒に笑顔を向けた。
「初めまして。えっと…」
かごめの言葉を継いで犬夜叉が弥勒を紹介する。
「弥勒。俺のとも――」

「カレシです」

弥勒が自分の言葉に覆い被せるように吐いたそのセリフに、
犬夜叉は一瞬、場の空気がピシピシと凍りつく音が聞こえたような気がした。

弥勒が怒っている…
それも半端な怒り方ではなさそうだ…

「あ、あ…っはは…はは…。コイツ、たまにこーいう冗談言うから、気にしないで」
たらーりと冷や汗を流しながら、対応に困っているかごめに弁解する。
そして、いつもは自分で勝手に上がってくる弥勒に、今日はきちんとスリッパを出してやる。
だが、その礼儀正しい態度に弥勒の目は更に冷やかなものになっていった…

 〜 〜 〜

リビングに入ると、弥勒はわざととも思えるほどの図々しさで、
他人の家の冷蔵庫をガシャンと開け、中から缶ビールを取り出した。
それから、ソファーにバフンと座り込み、プシュッとプルタブを上げ一人でゴクゴクと飲み始めた。

その一連の動作をかごめはポカンと口を開けて見ている。

「あ…弥勒?これ…」

「ん?ああ、それ二個しかないから、二人で食べて」
弥勒は首だけ後ろに向けて、ケーキの箱を手にした犬夜叉に答える。

「じゃ、私と犬夜叉で一つを半分ずつ食べれば…」
かごめが遠慮がちにそう提案すると、犬夜叉も「そうだな」と返事をしかけたが…

<ンなコトしたらぶっ殺すッ(怒)>

…と弥勒の瞳がギロリと憤慨光線を放ってきたので、
「弥勒は甘いもの好きじゃないから…」と大人しく一つずつ頂くことにする。

「私、紅茶入れてくるね」
かごめもその尋常ではない空気を感じ取ったのか、いそいそとキッチンの方へと姿を消した。
しかし、それを見逃してやるほど弥勒は甘くない。

 〜 〜 〜

キッチンで紅茶の在処を探すかごめ…
その背後から何の前触れもなく声がかかった。
「右の戸棚の奥の方、はちみつの瓶の裏ですよ」

「あ…ありがとう…」
と、紅茶の缶を取り出そうとして、ふと思い当たる。
<なんで、知ってんの…?>

頭に疑問符を浮かべて振り返るかごめに、弥勒は質問の隙すら与えない。
「ソレ、古いから賞味期限見てもらえます?」

<しかも、そんなコトまで…?>
と思いながらも、言われた通りに缶の裏をひっくり返してみる。

「男のコトは男の方がよく知っていたりするんですよ」
振り向くと、弥勒は壁に寄り掛かったまま、にっこり微笑んでいる。

そのコトバの裏の意味も知らない純なかごめが、
<なんだ、優しい人なんだ…>
と感じ始めたのも束の間、次の攻撃が仕向けられる。

「可愛いエプロンですね。今日は犬夜叉の餌付けに来たのですか?」
「え、餌付けだなんて…。ちょっと手料理を食べさせてあげただけです」

かごめに反逆の意図があったのかどうかは定かではなかったが、
その一言が弥勒の感情を逆撫でしたことは疑いようもない。

「いや〜それは有り難いですな」
「?」
「たっぷり精をつけて下さったのでしょう?私としても後が楽しみです♪」
「……」

さすがにこの発言は効いたと見えて、かごめは明らかに困惑の色を浮かべた。
その様子にようやく気が済んだのか、弥勒はかごめの肩をポンポンと叩き、
「冗談ですよ」
と一言付け加え、リビングへと戻って行った。

 〜 〜 〜

リビングでは犬夜叉が落ち着かない様子でうろうろ歩き回っている。
弥勒は、自分をすがるような目で追い駆けてくる犬夜叉を敢えて無視し、
冷蔵庫から二本目のビールを出して飲み始めた。

しばらくして、かごめが紅茶を載せた盆を手に戻って来ると、
犬夜叉は当然の如くモンブランを手で掴み、バクッとかぶり付いた。
その甘い味覚にさっきまでの緊張が解れたのか、
口の周りにクリームをべっとりつけて、さぞかし美味そうに食っている。

<くっそおー!二人きりなら、あの口の周りについたクリームを俺が食うはずだったのに!!>

頬杖をついた弥勒の妬ましげな視線とぶつかり、
犬夜叉はうろたえ、手にしていたモンブランを落としそうになってしまう。

「犬夜叉ってばいっつもそう…。そんなに慌てて食べちゃダメよ」
テーブルで犬夜叉と向かい合わせで座っているかごめが、
(弥勒が食うはずだった)口の周りのクリームをティッシュで拭ってやる。

「あ、あんがと…」
怖々と弥勒の方を振り向くと、テレビに向いたままビールをグビグビやっている。
状況は更に悪い方へと進んでいるのを感づいてはいたが、犬夜叉には止める術も無く…

そんな調子で、弥勒の前には空になったビールの缶が次第に山と積まれていった。
 ……



「俺、そろそろ帰るよ…」

犬夜叉とかごめが内輪の話をしている所に、突然弥勒が割って入った。

「え…ちょっ…弥勒、待てよ…」
パーカーを手にした弥勒に、犬夜叉もガタンと椅子から立ち上がる。

「だって、邪魔だろ?」

「あ、あたしもうすぐ帰るから…」

謙虚な少女に、弥勒はフッと軽く鼻で笑う。
「いいんですよ。今日は泊まるつもりで来たんでしょう?」
壁の時計はもう十時半を回っている。

「そんなんじゃ…」

「後は二人でごゆっくりイチャついて下さい」

「弥勒っ…」

不敵な笑み…と言うより不気味な笑みを浮かべて弥勒は続ける。
「良かったな犬夜叉。この下心満載のお嬢さんをたっぷり泣かせてやれよ」

「弥勒ッ!!」

意外なほど大きな声に弥勒が顔を上げると、
頬を真っ赤に染めたかごめの背後から、犬夜叉の鋭い眼光が自分を射抜いていた。

「……」

一旦怒らせると怖いのは、案外犬夜叉の方かも知れない。

「かごめ、悪いな。今日の所は取り敢えず帰ってくんねぇか?
 俺はこの馬鹿野郎と話がある…」



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弥勒は、かごめを玄関まで送っていった犬夜叉がリビングに戻ってくるのを背中で感じていた。
男二人になった部屋の中は、ピリピリと逆立った空気が渦巻いている。
何か一言でも口にしようものなら、即座に言い合いになることは互いに判っていた。
だから、余計に気まずい雰囲気の中、沈黙の時間だけが流れていった。

そうしてやや経って、気持ちを落ち着けた弥勒がようやく振り向いた時、
そこに犬夜叉の姿は無かった。

ただ、カーテンの裾がゆらりと秋の夜風に揺れていて…
どうやらベランダに出たらしい。

何だか、ひどく切なかった。
そして、自身を深く嫌悪した。

別に誰が悪いことをした訳でもないのに、あんな嫌がらせを言った自分…
そのくせ、逆ギレした犬夜叉に少々傷ついている自分…

<俺が怒らせたくせに…>

もっと大人のつもりでいたが、犬夜叉のことになると制御出来ない自分がいるらしい。

<こんなんじゃ、人を好きになる資格なんて、無いよな…>

それでも、風に踊るカーテンの向こうで一人項垂れているであろう犬夜叉がたまらなく愛しくて…

<やっぱり、ちゃんと好きになりたい…もっと大切にしてやりたい…>

弥勒は意を決して腰を上げた。

 〜 〜 〜

「悪かったよ」
暗いベランダで、淋しく木の椅子に腰掛けている犬夜叉に後ろから声をかけた。

「俺が、悪かったから。…あの子にも悪かった。
 変な誤解(ホントは誤解ではないのだが…)してると思うから、
 後で俺からも謝っとくよ、な?」

「……」

「ちゃんと上手く言っとくって。心配すんなよ、な?」

「……」

「お前だって、女の子とも付き合いたいよな?…解かるって…」



「……そんなに、自信無いわけ?」

俯いたまま小さく吐かれた言葉に、弥勒は心臓をぎゅっと握られたような疼きを感じた。

「俺とかごめは、付き合ってるって言ったって、別に何にもねぇし…
 それに俺…お前のこと、すごく大切にしてなかったっけ?」

「……」

「普段から、めちゃくちゃお前に惚れてるって態度じゃなかったっけ?」

「……」

「いつもいつも、エッチの時には‘好きだ大好きだ’って叫んでなかったっけ?」

「犬…夜叉…」

「どれだけ…どれだけ好きって叫んだら、お前は俺を信じてくれるわけッ!?」



振り向いた犬夜叉の目尻が赤く腫れているのが、部屋の明かりに照らされて見えた。

「…犬夜叉…ゴメン、ゴメンよ…犬夜叉…」

心の底から溢れ出てくるような懺悔の言葉を口にしながら、
弥勒は犬夜叉の震える肩を後ろからぎゅっと強く抱き締めようとする…

が、鼻先に奇妙なモノを突き付けられた。

「何?コレ…」
「何って、ケーキに決まってんじゃん」

皿の上に載っているのは、確かに、ケーキらしいが…
さっき犬夜叉が手づかみで食べていたモンブランの残骸だった。
断面に歯型が見えそうな、無惨に崩壊した、モンブランの残り三分の一くらい。

「お前、自分で買ってきたのに食ってないだろ?
 俺が食ってるのすげえ食いたそうに見てたじゃんか…」

小さくて不器用な優しさに、喉の奥が熱くなって、息が詰まる。

「ばっ…かじゃねぇの…お前…汚ねぇし、よ…っ…」
「仕方ないだろ。それでもお前が食いたそうにしてたから…」

「俺はケーキなんか、別に食いたくねーよ」
「要らないのか?」

「いいから、お前が食えよ。ソレ、お前に買ってきたんだし…」
「ホントに要らないのか?」

「要らないってば。早く食えよ…」
犬夜叉は弥勒とケーキの間で目線を往復させていたが、
やがて…「んじゃ、遠慮なく」とケーキ皿に口をつけ、もぐもぐと美味そうに食べた。

「なあ、犬夜叉。
 俺がさっきお前のコトをじーっと見てた時、ホントは何が食いたかったか知ってるか?」

「……?」

弥勒はニヤニヤとナニかをやる気満々で微笑みかけながら、
椅子に座る犬夜叉の膝の上に、向かい合う格好で脚を跨がせる。

「……!」

鼻と鼻がくっつくくらい顔を寄せたかと思うと、
まだもぐもぐ動かしている犬夜叉の口の中に、舌を侵入させてきた。

「ンッ、ンーーーッ!!」
さすがに、犬夜叉もこれには抵抗した。
「なっ…お前、ぐちゃぐちゃのケーキ見ただけで‘汚ねぇ’って言ったくせにッ!」

「これは特別♪」
手短にそう言うと、再び犬夜叉の頭を引き寄せて唇を深く重ねた…



弥勒の舌が犬夜叉の口内でマロンクリームを貪り舐める。
柔らかい舌の間で、甘いクリームがどちらのものともつかない唾液で溶かされていく…

犬夜叉は執拗に舌を絡められ、撫でられ、吸われ、
熱を帯びてくる自分の体まで溶かされてしまうのではないかという気がした。

濃厚な秋の香りが繋がった唇から伝わって、
いつしか弥勒の息にも微かな栗の匂いが混じっていた。
それは不思議な一体感で…
ずっとずっと、こうして繋がっていたいと祈りを込めて…
犬夜叉は弥勒の背中に手を這わせた…



甘いマロンの味が消えてしまっても、
東の夜空に冬のオリオンが姿を現しても、
弥勒はそのまま犬夜叉の唇に、愛をつぐない続けた…





written by 遊丸@七変化




モンブランキッスが書きたいばかりにこのようなモノを…。
汚い系ですが、好きな人となら良いんでしょーかね?
珊瑚ちゃんにかごめちゃん、ごめんね。ウチは弥犬贔屓だから(笑)。