雨と風と君と   其五・結








「全く、二人して倒れちゃうんだから…」
手ぬぐいを絞りながら、かごめが床に伏す俺たちに向かって言う。



「申し訳ない、かごめ様」
「弥勒様が風邪をひいたのは解かるけど。人間だから」
「そうなんです。か弱い人間ですから…」
「そのか弱い人間が嵐の晩に女漁りに出て行ったなんて、ホント感心しちゃうわ」
「……」
弥勒はかごめのキツーイ言葉にただ苦笑するしかないようだ。
しかも、それだけならまだしも、もっとやましいコトがあるから余計に後ろめたいのだろう。
「で、犬夜叉は何なのよ…」



「お、俺?」
自分のことを聞かれ、思わずびくりとしてしまう。
弥勒の方を見ると、適当な言い訳をしろと瞳が訴えている。
「半妖は風邪ひかなかったんじゃなかったっけ?」
「お、俺は…つまり…その…そう!月のものだ!」
「ツ、キ、ノ、モ、ノ?」
それを聞いたとたん、弥勒がプッと噴き出した。
かごめは初め俺が何を言っているのか解せないといった風だったが、ふと思い当たったようで、徐に形相を変えた。
「おすわりーーーーーっ
ただでさえ痛くて持ち上がらない腰を思いっきり床に打ち付けられる。
「弥勒様はともかく、あんたまでそんなタチの悪い冗談言うとは思わなかった!最ッ低!!」
さすがにまずかったのか、かごめは濡れたままの手ぬぐいをビシャッと俺の顔面にお見舞いして、部屋を出て行った。







「月のものは傑作だな」
弥勒がにやにや笑いながら言う。
「笑いごとじゃねぇ!大体お前のせいなんだからなっ!!」
俺は顔に貼り付いた手ぬぐいを剥がすと、この体をそんな状態にさせた張本人を睨みつけようとした。
が、あられもない場所の恥ずかしい痛みに、ふと昨夜の行為を彷彿してしまい、戸惑いと羞恥の色を浮かべることしか出来なかった。



「痛むのか?」
そう、優しい声色で聞かれると、益々思い出してしまう。
この疼く場所に、何が入ったのか。
荒い息と、体の熱、共有した全て。
「痛い…」
幼い子供のようにぽそりと言葉を吐いてしまうと、何だか身も心もこの男のモノになってしまったような気がして…
そのぎこちなさと、矛盾する安心感に、俺はこれまで抱いたことの無い不思議な感情を覚えた。



「悪かった。もうしないから」
「…っ!?」
弥勒の意外な言葉に、ついハッとなる。
「何だ、やっぱり、シて欲しいのですね…」
「ぐぅぅ…」と喉を鳴らし、俺は悔しくて床の中で体を折り曲げた。
弥勒はそんな俺を見つめて、言った。
「心配するな。やめろって言われたって、もうやめられねぇよ。いっぱいいっぱい抱いてやる。離せって言われたって離さない」



そうだ。俺たちは、もう、結ばれたんだ…



弥勒の瞳はあの時と同じように、怖いくらいに澄んでいて、痛いほど真っ直ぐに俺を射返した。
そこに、もう迷いは無いと言わんばかりに。



何だか、信じられない。
この男が、自分を『愛してます』と言った。
あの時、俺を抱きかかえながら、『愛してます』と。
そして今、『離さない』って。
『離せって言われたって、離さない』って…



俺は寝返りを打って、自分を穴があくほど見つめている弥勒に背を向けた。
そして、それとほぼ同時に、我慢していた熱いものが瞳からぽろぽろと零れ出てくる。
…待ってたんだ。
ずっと。
掴み所の無い不思議な性格だけど、妙に頼もしい奴。
胸を締め付けられそうな切ない儚さと同時に、俺には無い強さを持っている奴。
人間なのに。いつ死すとも判らぬ身の上なのに。
俺はそんな弥勒にいつからか強く惹かれていた。
かごめよりも、桔梗よりも、誰よりも…
弥勒の中にある柔らかい気持ちにそっと包まれたくて、それを守りたくて…
傍に居て欲しいと願っていた。
もっと傍に来て欲しいと、願っていた。
そして、ひとつになるのを…
…ずっと、待っていたんだ。



弥勒に背を向けたまま、手の平で涙を拭うと、俺は掠れた声も構わず問い掛けた。
「おい、弥勒。聞かせろよ。一体…いつからなんだ?」
「ん?」
「いつから、俺のこと…」
「初めからです」
その言葉に、俺は思わず振り向く。
多分、愛の苦しさに歪んでいるであろう俺の顔に、優しく微笑みかけて、弥勒はもう一度言った。
「初めからです」



「初めって…」
「初めて会った時から。怒って私に襲い掛かってくるお前を見て、綺麗だと思った。抱きたいと思った」
ここまで言われると、嬉しいというより、半ば呆れてしまう。
「お前って、ホントに助平だな…」
「ええ。自分でもそう思います」
あっさりと認める弥勒に、俺は更に苦笑する。
「それで、ずっと我慢してたんだ?」
「お互い様でしょう?」
そういう見透かしたような態度が、少々頭にくる。
「けっ誰が!」と俺はそっぽを向いた。
しかし、弥勒はそんな俺を無視して言葉を続ける。
「お前のこと、こんなに好きにならなかったら、とっくの昔に抱いてましたけどね…」
「え…」



「誰でもいい、ただ綺麗な人と体を繋げたいだけなら…」
気のせいか、天上を向いて仰向けになっている弥勒の瞳が少し辛そうに歪んで見えた。
「犬夜叉、愛するって、怖いことだとは思わないか?」
「……」
「本当に誰かを愛してしまったら、それはとても怖いことなんですよ」
「……よく、解かんねぇ」
「それに…お前は男。私も、男…」
「……」
「解かるだろう?…荊の道だ」
その言葉は胸に少し悲しく響いたが、俺の気持ちは変わらない。
「いいよ。俺はそれでも。…お前の傍に居られるのなら」
「犬夜叉…」



「だから…
もしも浮気なんかしたら、風の傷の餌食だから、そう思え!!」
「ほう。やはり独占欲だけは人一倍ですね」
そう言う弥勒はいつもの笑顔を取り戻したように見えた。
「そ、そんなんじゃねぇよ!お前が助平だから…」



けれど、悪態をつこうとした俺は、蒲団の下から伸びてきた弥勒の手によって一瞬にして隣の床の中へと掻き入れられた。
「み…ろく…?」
ぎゅっと強く抱き締められて、空白になった俺の頭に降ってきたのは思わぬ台詞。



「ありがとう」
「……あ?」
「二度も言わせるなよ」
「……って…?」
「あんなところ、お前に見られたのは凄く辛かったけど…でもそれ以上に…来てくれて、嬉しかった。
 あの嵐の中、必至になって俺を探してくれたんだろう?…ありがとう…」







「…犬夜叉…犬夜叉?…泣いてるのですか?」



「お前が泣くことないのに…」



「困った子ですね…」



「私の犬夜叉は…」







温かい弥勒の懐を、俺の涙が濡らしていった。
『ありがとう』くらい言われたことはある。半妖の俺だって。
人を助けてやれば、大抵は皆、俺に向かって『ありがとう』って言った。



なのに、何なんだよ。
弥勒の『ありがとう』は全然違う響きを持っていて、俺の心に重く横たわる。



それは、俺が、こいつの『ありがとう』を受け入れているからなのだろう。
俺は、生まれて初めて誰かからの感謝の言葉を受け入れている。
何で?
俺には、今、その資格があるから…
弥勒のことを、心から大切に想っているから…



俺の心は、初めて、独りじゃなくなった。



嵐の晩に救われたのは、俺の方かも知れない。
弥勒…弥勒…
俺はとてもじゃないけど恥ずかしくて口では言えない言葉を心に唱え、弥勒の胸にひたすら熱い涙をすり寄せた。










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『雨と風と君と』おわり

written by 遊丸@七変化