熟れゆくこころ









「絶対ぇ離すなよ!弥勒ッ!!」
「判ってますってば」
村はずれのあぜ道を、犬夜叉のこぐ自転車がフラフラと…まるで蚊が飛んでいるかのように蛇行している。
そんな心許無い運転も、後ろを支える弥勒の手によってようやく可能になっている有様だった。



「は、離してねぇだろうなッ!?」
「離してねぇっつってんだろ!」



やれやれ…
犬夜叉の様子が真剣であればあるほど、後ろから手を添える弥勒の顔には笑いが込み上げてくる。
少しでも噴き出そうものなら、犬夜叉が即、コケそうなので何とか声だけは噛み殺しているが。
普段は猿みたいに樹の上をぴょんぴょん跳ね回っているくせに…。



「しかし、犬夜叉…何でまた急に自転車の練習など…」
「あ〜!るっせぇ!話し掛けんな!!」



不器用。
くそ真面目。
その上、意地っ張り。
全く、とんでもない恋人を持ったもんだ…。



やれやれ…
そのとんでもなく危なっかしい恋人が、この上も無く愛しいのだから、自分も仕方の無い男だ。










「お、いいぞ犬夜叉…その調子!」
「へっ、見たかッ!俺だってちゃんと練習すりゃ…」
「上手い上手い」



犬夜叉は弥勒のおだてに思わずいい気になってしまう所だったが…
パチパチと後ろから聞こえるはずのない拍手が聞こえて…
「み、弥勒?」
犬夜叉が恐る恐る振り向くと、弥勒はにこにこ笑いながら両手を叩いている。



「あ゛ーーーーーーーーーーッ」
弥勒が支えていないと判った途端、体がくらっと斜めに傾いて…
「あ゛ッ、あ゛ッ…」
姿勢だけはぴんと伸ばしたままの犬夜叉の瞳に、地面がどんどん迫ってきて…



「馬鹿っ…危ねっ」
もう駄目だと思って目を瞑った瞬間、犬夜叉の体は地面に叩きつけられる替わりに柔らかい感触に包まれていた。
瞳を開けると、倒れた自分と地面の間に弥勒の体が割り込んでいる。
犬夜叉はその胸の中に雪崩れ込んだ格好だ。



「イタタタタ……もう、急に倒れないで下さいよ、犬夜叉…」
「なっ、んなコトできっかよッ。大体てめーが手を離したりするから・・・・・・っ・・・・・・・・」



ごちゃごちゃ文句を言いいながら体勢を直そうとする犬夜叉の体に、不意に力が込められた。
あっという間に、その体は弥勒の腕の中に逆戻りし、うるさい口は唇で奪われた。



「ふっ…ン…」



しなやかな腕に抱かれながら、犬夜叉もその突然の愛撫を受け入れる。
舌を絡ませたり、歯を撫でたり…
浅く、深く、優しく、激しく…いろんな味を知りたくて…
まるで、二人きりの時間を、もう他のことには使いたくないと言わんばかりに…
夢中で口づけを交わす。



きっかけ。
そう、きっと、二人ともそれが見つかるのを待っていた。
そして、一旦それが見つかると、堰を切ったように激しく互いを求めつづけた。
結ばれてまだ間もない二人には、甘い言葉を囁く余裕さえ無かった。







もう、この瞬間が永遠になってしまってもいい。
いや、なってくれればいい。
…犬夜叉は激しく絡ませてくる弥勒の舌に応えながら、強く願う…
他の全てのことを忘れて、他の全ての帰るべき場所を捨てて、
弥勒と俺の二人きりの時間が、この世のたったひとつの現実になってくれれば…



でも、それは所詮、現のひと欠片でしかなく…
そっと名残惜しそうに唇を離した弥勒の顔を見ると、綺麗な夕日の色に染まっていた。










「手を離さなきゃ、乗れるようにはなりませんよ」
弥勒はいきなり、さっきまでの口づけなどまるで無視したようなことを言い、夢の時を壊した。
そうでもしないと、濡れた犬夜叉の唇と輝く瞳に自分が止められなくなりそうだった。
その言葉に、犬夜叉も弥勒の心を察したのか、いつもの悪犬に戻る。
「だからって、俺の知らない間に離すことないだろッ!!」
「だって、お前からは絶対『離していい』なんて言わないでしょう?」
「う゛ぅ……」



フフッ…と、いつもの少し優しく、そしてかなりイジワルな笑い方で笑うと、弥勒は倒れた自転車を起こした。
「ほら、帰るぞ。乗れ」
「う゛ぅ……」










秋の夕暮れは真っ赤に熟れた色をしている。
弥勒は背中に犬夜叉の温もりを感じながら、自転車をこいだ。



ずっと前も、こんなことがあったっけなぁ…。
あの時はまだ、こんな関係じゃなかったけど。
犬夜叉は照れて、じゃれついてきたっけ。
でも、今は、すんなりと俺の体に手を回している。



まったく、変な奴だ。
生意気で、悪態ばかりついているかと思えば、不意にしおらしく、俺のことを解かったような態度に出る。
この回された手も、俺のことを解かっているのかいないのか…
はあ…。
夜まで、耐えなくちゃなんねえか。



「なあ、犬夜叉。お前、どうして急に自転車なんか乗りたくなったんです?」
意識をそらせるために、弥勒は先刻聞きそびれたことを聞いてみる。
「あ?…別に…なんとなく…」
「なんとなく?…お前にそんな風流な心があるんですかね?」
「うるせー、余計なお世話だっつうの!」



「畢竟、私に乗れて、お前に乗れないというのが気に食わなかったってトコでしょう?」
「けっ。今日お前が途中で邪魔しなければ、もうスイスイ乗れるようになってたんだ!」
「ほんっと、可愛いよな、お前は…」










嫌味だか何だか判らないような事を言う弥勒に、犬夜叉は悪さをしてやろうかとも思ったが、やっぱり止めた。
そんなコトをしたら、今度こそ止まらなくなって、二人して道端に倒れ込んでしまう。



それはそれで悪くもないが…
それではわざわざ別に乗りたくもない自転車を練習した甲斐が無くなる。



犬夜叉は心の中で甘く嘲笑った。
…だって、俺は弥勒のこぐ自転車に乗りたくて誘い出したんだからよ。
んなコト言えるわけねーじゃんか。
馬鹿法師。
俺はお前が思っている以上に可愛いかも知れねぇぞ…



黒い法衣を纏った弥勒の背中に、犬夜叉はコトンと額をつけた。
弥勒と素肌を重ね合い激しく体を繋げるのも好きだが、
そっと弥勒の背中の温もりを感じることは、犬夜叉にとって一番幸せを噛み締められることだった。
この鉄の車にでも乗らない限り、そんな真似、普通ではとても出来はしないが。



犬夜叉がその喜びを味わうように、弥勒の腰へと回した手にほんの僅かに力を込めると、
それを敏感に察知した弥勒が肩越しに顔だけ振り向いた。
その目は、ついさっきまでの憎まれ口を叩き合っていた時のものではなく、先刻甘い口づけを交わした時のもので…
何も言わず、瞳だけで犬夜叉を包み込んだ。



多分、ばれたのだろう…この気持ちが。
犬夜叉はそう感じ取り、体が熱くなる。



酒と女と金に目がない不良法師。
なんでそんな奴がこんなにも自分を理解し、優しく包んでくれるのか。
だけど事実、こうして弥勒の背中にしがみ付いていると、他の誰にも抱いたことの無い安心感を覚える。



そして…
胸が焦がれて燃えて、
この秋の実りのように…
弥勒の中へと熟れ落ちてしまいそうだ…









written by 遊丸@七変化


秋ってええなぁー。
遊丸も熟れ落ちてみたいです。
いや、私の場合…
「腐り落ちる」と言う方が正しいかも知れませんが(苦笑)。
でも、久々にノーマルなモノを書いたような気がするのですが、
如何でしょう?
ホモをノーマルと称している時点で既にノーマル失格ですか。
ははは…ぐしゃっ(潰)。

ウチの弥犬SSは何気に内容が繋がっているのですが、
実はこの一連の物語には、「終わり」があります。
「始まり」があれば、「終わり」も当然あると言うことで。
これは、弥犬を始めた当初からのもくろみです。
でも、まだ原作だって終わってないし、
これから長々とイロんなコトをシてもらうつもりですが(笑)。

この小話、何気に現在のED・あゆちゃんの『Dearest』を意識しています。
お気づきになられましたか?
あれは弥勒様と犬夜叉の忍ぶ恋のテーマですから。
私の中では完璧に…。