所用を済ませ宿に帰ってきた直江は、部屋に足を踏み入れるなりギョッとして目を見開いた。

風呂から戻ってきたらしい高耶が窓際の籐椅子にしどけない姿で腰掛けている。

浴衣の胸元は大きく寛げられ、なおざりに巻かれた帯の下はほとんど肌蹴て形のよい二本の脚が若干開き気味に前に投げ出されている。

一瞬息を呑んだ直江を、高耶は湯で蕩けたような瞳で見上げた。

「そんな格好をして、湯冷めしてしまいますよ」

直江は湯上りの柔肌から目を逸らすようにして高耶の前に歩み寄ると、膝をついて浴衣の乱れを直してやる。

「なんかのぼせたみてえ。ここの温泉ポカポカする」

そう言って高耶は少し仰のけた首元を手でパタパタを扇いだ。直江はコートと上着を脱ぐと、高耶のために冷蔵庫からミネラルウォーターを出す。

「外は雪が降ってきましたね」

「ああ。舞い落ちる雪が綺麗でさ。つい長湯しちまった。やっぱ露天風呂っていいよなぁ」

水の入ったコップを差し出すと、高耶は喉を鳴らして一気にゴクゴクと飲み干した。口の端から零れ落ちた水滴を手の甲で拭い、フウッと一息つく。

満足そうな様子の高耶に微笑しながら、直江はテーブルを挟んで座った。

「魚もカニも美味かったし。極楽だぜ」

二人は怨霊調伏の合間に北陸のとある旅館にやってきていた。鄙びた宿だが、下手に騒がしくなく、料理も新鮮で豪華だった。

「お前といると舌が肥えちまう。日本海の美味いもんは大抵食べたよな…」

「そうですね。魚好きのあなたに食べさせたいものと言えば、あとは川魚でしょうか」

「川魚か。岩魚とか?」

「ええ。山間の民宿なんかもいいですね。囲炉裏でじっくり焼いた岩魚は格別ですよ」

「美味そうだな…」

満腹のはずなのに、高耶は目を閉じ、ぺろりと唇を舐めた。

「それと、鮎もいいですね。あなたに是非天然の鮎を食べさせてあげたい。いい鮎は腸も美味しくて、スイカの香りがするんです」

「へぇ、食べてみてえな」

「それじゃあ、初夏に京都に行きましょう。旬の若鮎を食べに」

「楽しみだな…」

そう呟くと、高耶はまた唇を舐めた。

「なあ、お前も露天風呂に行けばよかったのに。用事なんか後回しにして」

「私は後で部屋風呂にでも入りますよ」

「せっかく誰もいなくて気持ちよかったのに。主人とか臣下とか意味ねえだろ。つまらないこと言うなよ」

直江は気取られないように小さなため息を零した。以前、「主人と同じ湯には浸かれない」と語ったことを言っているのだろうが、それはある意味、体のいい言い訳でしかない。

人気のない風呂に二人きりで入ったらどういうことになるか…この人にはわからないのだ。いや、それともわかっていて言っているのか…。

ふと、高耶を見ると、さっきのとろんとした目に戻って、じっと直江を見つめていた。

「暑い…」

言いながら、高耶はまた浴衣の前を割り、長い素足を投げ出した。

「今は暑くても、外は雪です。すぐに寒くなりますよ」

言っても高耶は聞こうとしない。相手が直江だと稀に、傲慢…というかわがままになる高耶だった。肉親の愛情に恵まれなかった彼なりの、不器用な甘え方なのかもしれない…と直江は思う。

仕方ない。

腰を上げて、再び高耶の前に跪いた。ほのかなボディーソープの香りが鼻腔をくすぐる。浴衣の前を掻き合せようとして、直江が糊の効いた生地に手をかけた…その時。ふと、高耶の口もとが笑ったように見えた。

直江は目を細め、慎重に高耶の表情を検分する。確信犯だ、そう思った。

浴衣に手をかけたまま、数瞬見つめ合う。外の雪が外界の雑音をすべて吸い取ってしまったかのように、部屋の中は静まり返っている。

「誘って、いるんですか?」

高耶は答えない。ただ黙って直江を見下ろしている。

直江は浴衣を握る手をゆっくりと高耶の膝の上へと滑らせた。手が触れた刹那、高耶は目を瞑り、密かな吐息を漏らした。再び開いた目は心持ち潤んでいる。

すると、次の瞬間、投げ出されていた高耶の右脚が持ち上がり、直江の顔の真ん前でスッと止まった。

「食欲の後は、性欲ですか」

答えを待たず、直江はその肉付きの薄い足の甲に唇を寄せた。忠誠の証のようなその口づけに、高耶の脚がピクリと跳ねた。

「若鮎…」

両の手の平で脹脛を包み込み、表皮の下にある筋肉の形状を確かめながら、直江は囁く。

「あなたの脚はまるで若鮎のようだ。清流に棲む野性の鮎。滑らかな肌の下にしたたかな筋骨を隠し持つ魚。急な流れをものともせずに川を遡上する回遊魚…」

高耶の肌にはもう湯の温もりは残っていなかった。魚のように冷たくなったその肌の足首の辺りを、今度は痕が残るほどきつく吸い上げる。ん、と高耶は喉の奥で呻いた。

「もうすっかり冷たくなっているじゃないですか。暑いなんで嘘でしょう。…温めてあげますよ」

直江はすべらかな肌をしきりにまさぐりながら、鼻先と唇を擦りつけ、食むようにしてキスを繰り返す。時折チュッと濡れた音を響かせながら強く吸うと、しなやかな脚がビクンビクンと短く痙攣した。

「随分と感度のいい若鮎だ」

「な…おえ…」

高耶は眉間に皺を寄せ、喘ぐように切なげな声を上げる。

「脚だけでこんなに感じてるなんて、あなたは本当に淫乱ですね」

詰る文句に耐えられないのか、それともそう言われることすらすでに快感なのか、高耶は唇を噛み締めながら首を左右に振る。

直江の手が焦らすほど時間をかけて這い上がり、膝の上まで到達すると、高耶は今更抗うように腰を捩った。構わず直江は太腿に手を這わせ、手の平で円を描くようにして締まった筋肉の弾力を堪能する。

高耶はヒッと何度も喉を鳴らした。目尻にはうっすらと涙を浮かべ、肩を震わせている。更に腿の奥へと手を忍ばせた時、直江は高耶が下着を身に着けていないことに気づいた。

「最初から、その気だったんですね…。ずるい人だ」

高耶はもう、哀願する瞳になっている。直江は口の端にほんの少しだけ勝ち誇ったような笑みを滲ませた。

「触れて欲しいんでしょう? あなたの活きのいい“若鮎”に…」

その手を待ち焦がれる高耶の艶めいた表情をじっくり味わってから、直江はきわどい場所に置いた手を引いた。そうして、腕を高耶の膝裏へと通し、もう片方の腕で背を支えると、その身体を抱き上げ、部屋の中に敷いてある布団へと連れていく。

掛け布団を足で蹴飛ばし、高耶をその上に横たえさせた。

「今夜は寝かせませんよ。手加減もできそうにない…」

直江はもどかしげにボタンを外し、ワイシャツを脱ぎ捨てる。二つの身体が重なった時、湿った吐息が雪夜の静寂を掻き乱した。


男の熱い身体の下で、真冬の若鮎は夜通しそのたおやかな身を幾度となく跳ねさせた。






何が「あなたの活きのいい“若鮎”」だ、と自分自身にツッコミを入れつつも書いてしまいました。何なんだこのエロトーク。でも直江なら言いそうじゃないですか。さらりと。
しかし、「若鮎」って何かこう、響きがエロティックだと思うんですよね。イラストの高耶さんの生足を描いてて、まるで何かの啓示のように突如「若鮎」という言葉が頭に浮かんだんです。それでこんな小話になってしまいました。
そもそも「魚」というもの自体、どこかしらエロティックな要素があるんだと思います。身をくねらせて泳ぐあの姿のせいでしょうか…。高耶さんが肉派じゃなくて魚派でよかった…と言うか、エロい高耶さんは絶対魚派であるべきです(力説)。肉じゃあ、淫靡な雰囲気は出せませんからね…。






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