芦ノ湖東岸ウォーキング

〜九頭竜神社であの頃の直高を思う



◆箱根のミラツアについて◆
箱根は複数回訪れています。
それぞれの主な訪問場所は次の通りです。
夏雨煙る箱根遊覧
2011年8月20〜21日
早雲寺、箱根神社など
芦ノ湖東岸ウォーキング(このページ)
2012年8月16〜17日
九頭龍神社(本宮)など
「箱根旅助け」で巡る群青ツアー
2012年9月15〜16日
駒ヶ岳山頂、大涌谷など



◆旅行日:2012年8月16日〜17日

◆行程:
※下線はミラツアスポット

◇8月16日:
東京駅→(JR東海道本線)→小田原駅→(箱根登山鉄道)→箱根湯本駅→(箱根登山バス)→元箱根→(徒歩)→箱根園→(駒ケ岳ロープウェー)→駒ケ岳山頂駅→(徒歩)→展望広場→(徒歩)→箱根神社元宮→(徒歩)→駒ケ岳山頂駅→(ロープウェー)→箱根園→(徒歩)→九頭龍神社→(徒歩)→そば処みよし(ランチ)→(徒歩)→桃源台→(ロープウェー)→早雲山駅→(ケーブルカー)→強羅駅→(箱根登山鉄道)→宮ノ下駅→(徒歩)→富士屋ホテル→(徒歩)→森メシ(夕飯)→(徒歩)→富士屋ホテル

◇8月17日:
富士屋ホテル→(徒歩)→宮ノ下駅→(箱根登山鉄道)→箱根湯本駅→(箱根登山バス)→畑宿→(徒歩)→箱根旧街道・七曲→(徒歩)→猿すべり坂→(箱根登山バス)→甘酒茶屋(休憩)→(箱根登山バス)→元箱根→(海賊船)→桃源台→(箱根登山バス)→箱根ガラスの森美術館→(箱根登山バス)→宮ノ下駅→(箱根登山鉄道)→箱根湯本駅→(箱根登山鉄道)→小田原駅→(徒歩)→鈴廣→(徒歩)→小田原駅→(JR東海道本線)→東京駅


◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




今年もやって来ましたお盆休み。さあどこに行こうかという話で、相方が提案したのはお手軽な箱根。前年の箱根旅では遺恨を残していたので(天候不良で駒ケ岳を断念)、いずれリベンジはしたいと思っていたものの、前年も同じ時期に行ってダメだったのに、またこの時期ってどうなのよ…と不安を訴えましたが、結局押し切られ…。

写真は前回、7月の京都ミラツアから導入したコールマンのリュック。それまで使っていたリュックはどうも肩に馴染まなかったのですが、これは全然肩こりもなく、快適。暑い中歩き回るので、水筒とタオルを両脇に差して準備万端です。
JR東海道本線の車窓から。

天気は…どうかなー。微妙。

前年はロマンスカーに乗ってみましたが、箱根くらいなら、わざわざ特急に乗らなくたっていいんじゃね?ということで、普通の電車にゴトゴト揺られて出発です。
今回の箱根ミラツアのミッションは…

@駒ヶ岳(『群青』のラストシーンに想いを馳せよう!)
A九頭龍神社(蘇生した高耶さんと直江が立ち寄った場所)
B大涌谷(『群青』のバトルシーンの迫力を味わおう!)

以上の三点。お。小田原手前で、富士山が見えてきましたよ。この調子で駒ヶ岳も晴れてくれていればいいのですが。
ミラツア以外の楽しみとしては…、ガラスの森美術館、旧街道ハイキング、富士屋ホテル宿泊などを予定しています。そうなんです、今回はちょっと奮発して、憧れのクラシックホテルに泊まっちゃいます。


電車は小田原駅に8時半頃到着。箱根フリーパスを購入しました。箱根フリーパスは自販機で購入できるので便利です。
箱根湯本に到着しました。先ずはバスで元箱根に向かいます。

元箱根で降りてみて、駒ヶ岳に雲がかかっていなければ駒ヶ岳へ。雲がかかっていれば、駒ヶ岳はこの日は中止し、翌日に予定していたガラスの森美術館を先に回るつもりです。

結構晴れてるし、期待できるかも?
…と思ったら、この有様ですよ! 

元箱根に到着しました。箱根湯本周辺は晴れていたのに、芦ノ湖に近づくにつれ、雲が低く垂れ込め始め…。やっぱり、八月の芦ノ湖って、こんなもんなんでしょうか。

右端に見えるのは、箱根神社の平和鳥居。駒ヶ岳は画面右の方にありますが、山頂は当然、雲で見えません。

これじゃあ、駒ヶ岳は翌日に回すしかないかな、と思っていたら。
「歩いてるうちに晴れるかもよ?」と悪魔の囁きが(by相方)。

こんだけ曇ってれば、たとえ晴れたとしても視界は狭く、一瞬のことだと思うのですが…、なぜか駒ヶ岳に対して積極的な相方の発言に背中を押され、歩き始めてしまったのでした。

写真の階段は箱根神社へと続く参道。この左側に自動車道があり、更にその左に湖岸沿いの遊歩道があります。そう、私たちは歩いて駒ヶ岳ロープウェーが出ている箱根園まで行くつもりです。箱根園へは西武系の遊覧船も出ていますが、箱根フリーパスでは乗れないので、湖岸の散歩がてら歩いて行ってしまおうという計画です。


それでは、例によって地図を見ながら今回の旅の計画をご説明します。
赤字はミラツアスポット(緑字も作品中、地名だけ登場しているものもあります)。
「元箱根」から「箱根園」まで歩いて、ロープウェーに乗り、「駒ヶ岳山頂」へ。山頂を見学した後、「箱根園」から再び歩いて「九頭龍神社」へ。「九頭龍神社」から更に歩いて「桃源台」へ。「桃源台」でランチを取った後、ロープウェー、ケーブルカー、登山鉄道を乗り継いで「宮ノ下」「富士屋ホテル」へ向かいます。早めにチェックインした後は、ちょうどこの日強羅で夏祭りがあるので、できれば行ってみたいところ。夕食は宮ノ下にある小さな食堂で取る予定。
翌日は、一旦
「箱根湯本」に出てから、旧街道の「畑宿」で降りて、石畳の道を芦ノ湖まで歩こうかと。途中、「七曲」を通り、「甘酒茶屋」に寄りつつ、「元箱根」へ。「元箱根」からは海賊船に乗り、「桃源台」へ、「桃源台」からバスに乗り「箱根ガラスの森美術館」へ。美術館内でランチ。美術館見学後、「桃源台」まで戻り、ロープウェーで「大涌谷」へ。前年は霧で何が何だかさっぱりわからなかった大涌谷を見て回ったら、今回の旅は終了…という計画です。
しかし、今回もかなりの歩き旅。どうなることやら。

そんなわけで、「芦ノ湖東岸半周ウォーキング」の始まりです。

木々に隠れていて、遊覧船からは気づきませんでしたが、こんな遊歩道があったんですね。歩く人もまばらで、散策にはもってこいです。ただ、木々に遮られて湖側の眺望が良くないのが難と言えば難。
前年も訪れた、平和鳥居のすぐ脇を通ります。

『覇者の魔鏡』の中で、氏康パパから鏡を借りて湖上で蘇生した高耶さんは、九頭龍神社に寄った後、この鳥居の下から箱根神社に入ったのでした。
そして、視線を神社側に転じれば、あの直江VS氏照兄の名バトルシーンの舞台となった石段が。


箱根神社については、詳しくは2011年の箱根ミラツア『夏雨煙る箱根遊覧』をご覧頂ければと思います。
今回は箱根神社は素通りで、先を急ぎます。


たまに木々が途切れて視界が開けると、芦ノ湖を行く海賊船が見えたり。
所々、こんな風に遊歩道の真ん中に木が生えていました。

後から木が生えてきたのか、木が生えていたところに遊歩道を作ったのか。いずれにせよ、きちんと支柱まで作ってもらって、木が大切にされているんだなあと感じました。
遊歩道はやがて自動車道に合流します。

しばらく歩いて、ようやく箱根園の案内看板が出てきました。西武グループの勢力範囲に入ったということですね。
元箱根を出発して40分ほどで、箱根園内の駒ヶ岳ロープウェーに到着。

前回の箱根ミラツアでも少し触れましたが、箱根の開発に当たっては、小田急系と西武系がしのぎを削ってきた歴史があるそうで、今でもそれぞれ別系統のフリーパスを発売しており、西武グループの牙城である箱根園周辺には、小田急系のフリーパスでは行けず(一部例外あり)、小田急系の箱根登山鉄道〜ケーブルカー〜箱根ロープウェイ区間は西武系のパスでは乗れないという状況です。
ですので、西武が運営するこの駒ヶ岳ロープウェーも、小田急の箱根フリーパスでは乗れません。往復運賃一人当たり950円(インターネット割引適用)を払って乗車します(※後で気づきましたが、箱根フリーパスを提示して割引を受けた方が更に50円だけ安かったようです)。


さて、山頂の様子はどうなんでしょう…。
ロープウェーは7分かけて、標高1,357メートルの駒ヶ岳の山頂駅へと登っていきます…、が、半ばにしてすでに視界がなくなりました…。前年の箱根旅の大涌谷状態です。


いや、下から見て、こうなるのはもちろんわかってたんですけどね…。折角来たんだし、一応登ってみようということで。

それでも、お客さんは結構いました。夏休みだからでしょうか。
山頂駅に到着。

山頂からの見晴らしどころか、目の前にある駅の建物すらよく見えません。
駅を出て、とりあえず展望台の方へ歩いてみます。先を歩く人影もかすみ、どこに何があるのかさっぱりわかりません。


『群青』のラストシーンで、綱成叔父さんと氏照兄が待ち合わせていた「見晴らし台」は、どこ?
見晴らし台らしき空間はありましたが、山頂駅から結構歩きました(5分ほどの距離)。作中では、綱成叔父さんはロープウェーを降りてすぐ氏照兄から声をかけられたようなイメージかと思っていましたが…。


謎は謎のままですが、ともかく、元宮へも行って見なくては、と再び歩き始めます。しかし、背景真っ白だな。
途中、広場のようなところがあって、そこから元宮へ続くらしい道があったのですが…、実は私、山頂駅に着いてから、相方を置いてぶらぶら歩き始めてしまい、この時独りだったのです。携帯は圏外、人影は見えなくなる、周囲は真っ白、トドメに私自身かなりの方向音痴とくれば、恐怖を感じるには充分過ぎます。とりあえず山頂駅に戻ってみようと、ドキドキしながら誰もいない、何も聞こえない道を歩きます。

視界がきかないことが、これほど怖ろしいこととは初めてしりました。この道のすぐ先にロープウェーの建物があるはずなんですが、本当に何にも見えません。
いやはや、何とか山頂駅付近にいた相方と合流し、一緒に元宮にやってきました。


長い石段を登っていくと、霧の中、カンカンカンと金槌の音が聞こえてきます。
どうやら、修繕工事をしていたようです。屋根の上に大工さんの姿がありました。こんな霧の中、人気もないところでお仕事するってどんな気持ちなんだろう…。

綱成叔父さんと氏照兄は、この左手にある広場に立ち、神山と富士山が並ぶ雄大な景色を眺めるわけですが、この霧では当然景色のけの字も見えるはずなく。広場があることだけ確認して山頂駅へと戻りました。
駒ヶ岳山頂については、この一月後に再び行った箱根旅でリベンジしていますので(性懲りもなく一月後に…)、そちらのレポートの中で詳しく書く予定です。
ロープウェーから降りると、時刻は11時半過ぎ。箱根園でお昼でも…という時間ですが、先を急ぎます。

箱根園まで歩いてきた道路を、引き続き湖尻方面へ向けて歩いて行きます(この道は途中から一般車輌通行禁止となっています)。
箱根園から約20分で九頭龍神社が鎮座する「九頭龍の森」の入り口に着きました。

九頭龍神社に参拝するには、(毎月13日の月次祭に元箱根から出る有料の参拝船に乗る、もしくはモーターボートをチャーターして近くの桟橋で降りる場合以外は)、この九頭龍の森に一人500円を支払って入園してお参りすることになります(写真奥の建物で支払い、建物の向こう側へ抜けます)。「樹木園施設管理費」として、この一帯を管理している西武グループに納めなくてはならないということらしいです。商売気を感じて何か腑に落ちない気もしますが、小田急に押され気味な感のある西武も必死なんでしょう。


九頭龍神社への参拝方法(道順など)は、箱根神社のHP(「九頭龍神社本宮月次祭のご案内」のページの下の方。ページが改装されていたらご容赦下さい)に詳しく載っていますので、行く予定のある方は一読されるといいかもしれません。
九頭龍神社は近年、縁結びのご利益があるとして特に若い女性に人気があるようです。こんなアクセスの悪い場所にあるにも関わらず、私たちの前にはやはり九頭龍神社に行くらしい数人の女性グループがいました。
上の写真は、入園してすぐのところにある園内図。同じものが箱根園のHPにも載っています。九頭龍の森についてもこのHPに書かれてありますが、九頭龍神社については一言も触れていないという…。さすがに、神社をダシにして料金を徴収しているようでまずいということなんでしょうか。

この辺りでは、コテージが点々としているのを目にします。

『覇者の魔鏡』で、小太郎が裏切り者の遠山を始末するために九頭龍神社へと連れていきますが、作中でもこのコテージについて触れてありましたね。

<箱根園をすぎて自然林のなかの道をもう少し行くと、また点々とコテージが見えはじめた。湖からは都嶋の鼻と呼ばれるあたりである>(『覇者の魔鏡・中篇』193ページ)
コテージ村を右手に見つつ、私たちは湖岸沿いの道へと入り、九頭龍神社へと向かいます。


鬱蒼とした森の中を進みます。
> 「都嶋の鼻」という岬のようになっているところの少し手前で、ちょっと不思議な建物が。


コテージ村の施設のひとつらしいです。
九頭龍の森に入園してから10分程度で九頭龍神社に到着。

<小太郎が遠山をつれてきたのは、例の竜神伝説のゆかりの場所、九頭竜神社だった。それほど大きくはないお堂がぽつりと建っている>(『覇者の魔鏡・中篇』193ページ)

しかし、小太郎と遠山は随分長く歩いたことになりますね。私たちが元箱根から湖岸の道をここまで歩いた時間を単純に足すと、1時間10分(小太郎たちが歩き始めたのも同じ元箱根)。北条が所有しているモーターボートもあっただろうに。忍びの脚をもってすれば、これくらいの距離は何でもないってことなんでしょうか。
階段途中から湖の方を見下ろして。


非常にこじんまりとした境内です。人影が入らないように写真を撮りましたが、実はタイミングを計るのに少々苦労するほど、参拝客が多かったです。月次祭の折には、ここが行列で埋め尽くされるようですね。
<湖上には、箱根神社の平和鳥居ほど大きくはないが、つつましい朱色の水中鳥居がある。(略)そこから見る芦ノ湖は、ほんとうに竜が現れてもおかしくないくらい美しく、静まりかえっていた>(『覇者の魔鏡・中篇』193ページ)


木の枝に遮られて、岸から鳥居はよく見えませんでした。あ、この写真、手前の枝にピントが合ってしまった…。手動で鳥居に合わせるべきでした…。
ここ九頭龍神社は遠山が小太郎に殺られた物騒な現場ですが、直高的には、湖上で蘇生した高耶さんと直江が訪れ、例の『最愛のあなたへ』の狂犬事件以来、初めて核心に触れる会話を交わした場所でもあります。

写真は、九頭龍神社の桟橋。水中鳥居より少しだけ湖尻寄りにあります。高耶さんと直江がモーターボートをつけたのはこの桟橋でしょうか? でも、作中には「古ぼけた木の桟橋」と書かれてあるんですよね。これは木製ではないようで…。昔は木製だったのか、それとも別の桟橋だったのか、よくわかりません。
<ボートからおりて九頭竜神社までやってきた高耶と直江は、石段にこびりついた血痕と男の遺体の前にじっと立ち尽くした>(『覇者の魔鏡・後編』22ページ)


遠山の血痕がこびりついていたという石段を下から見上げて(先の写真に写っていたのと同じ階段です)。


<高耶は波うちぎわまでやってきた。一メートルほど先の浅瀬にキラキラと光を反射するものが沈んでいる。裸足の高耶は湖水に足を踏み入れ、それを拾い上げた。遠山に持たせた手鏡である。(略)直江が波打ちぎわに立って、白い着物姿の高耶の背中を見つめている。高耶は振り返らずに問いかけた。「“景虎”を、助けにきたのか」>
(『覇者の魔鏡・後編』22ページ)

いまだ景虎の存在を自分のものとして受け容れられない高耶さんは、直江が景虎に寄せる想いの重さに耐えかねて、ついに感情を爆発させたのでした。

<「おまえ。景虎のことが、……好きだったのか」 凍るような沈黙が訪れた。だが直江は表情を変えなかった。男の氷のような瞳は、ただ、高耶を見つめかえした。(略)「あなたは、知っていたはずです」 「…………」 「私がどれだけあなたを想いつづけてきたか。どれだけあなたに脅かされて、あなたを憎み嫉妬してきたか」>(『覇者の魔鏡・後編』25ページ)

「景虎のことが好きだったのか」なんて、罪深い質問ですね。いや、罪深いのは高耶さんをしてこんな台詞を口にするよう仕向けた景虎でしょうか。高耶さんと再会したばかりの直江は、記憶がないことは二人にとっていいことかもしれないなどと言っていましたが、果たしてどうだったのか。いくら記憶を封じても、高耶さんがまぎれもなく景虎である限り、直江は景虎を崇拝し、景虎に脅かされ続けるわけで、高耶さんもまた、そんなふうに苦しむ直江を見るにつけ、苦悩することになるという宿命だったのでしょう。景虎がどんな想いで自らの記憶を封じたのかを考えると胸が痛みますが、氏照兄が「忘れられるはずのない過去から逃げようとした、三郎自身への報いだ」と言っていたように、逃れられないものから逃れようとしたツケを高耶さんは払わなくてはならなくなったのだということなのかもしれません。もっとも、それも承知の上で、それでも可能性に賭けたくて、景虎は記憶を封じたのでしょうけれども。
この時点で二人はどうすればよかったのか、どうすれば救われたのか、何か道はなかったのか。どんなに考えても答えがでません。これ以上ないほど互いを必要としているのに、束縛とか服従とか憎悪とかでしか結びつくことができないなんて、本当にやるせないです。

写真は九頭龍神社近くの波打ち際です。浅瀬に降りられそうな場所を選んで撮影してみました。

さて、若い女性やカップルで賑わう九頭龍神社を後にして、私たちは引き続き湖尻方面へと向かいます。あ、上のマップに「湖尻」の地名が載っていませんでしたが、湖尻は桃源台(小田急系の箱根ロープウェーと海賊船の乗り換え駅)より少し南の一帯のことらしく、西武系の遊覧船の発着所があります。

ネットで事前に調べていたら、さっき入ってきた入り口に戻らなくても湖尻へ抜けられる道があると書かれていた文章があったので、信じてそのまま湖尻方面に歩いてみたのですが…。
行けども行けども森の中をぐるぐる回るばかり。結局、元来た入り口から一度出なければならないようでした。まあ、それもそうですよね。入園料を取っているわけですから、抜け道があるなら、そこにも門番なり料金徴収口なりを設けなければならないわけで。地図にそれが載っていない限り、抜け道はないということなのでしょう。

でも、この森をぐるぐる回ってわかったことがあります。それは、この辺一帯がすべて廃墟だということ。神社の北の森を徘徊して、最初に見たコテージ村へ迷い込んだのですが、草はぼうぼう、建物も手入れされていなくて、何年もほったらかしのような状態でした。
来る時に見た円形の謎の建築物(マップには「お休み処」と書かれていますが)も草木に埋もれています。

箱根と言えば、首都圏で人気の一大観光地であり、休日ともなれば人々がこぞって訪れ、道路も渋滞するようなイメージですが、実はこんな風にひっそりうち捨てられてしまった場所もあったんですね。

そもそも、西武が開発した場所は衰退の影が濃いような気がします。駒ヶ岳ケーブルカーはだいぶ前に廃止されたそうですし、さっき乗ったロープウェーも傷みが激しいように見受けられました。箱根園自体も、箱根の他のスポットに比べたらどことなく寂れているような感じがします。
経営が傾く要因というのは色々あるんでしょうけれども、少なくともこの九頭龍の森に関しては、もう少し何とかできないのかなと思ってしまいます。将来的に再度運用するつもりがあるにせよないにせよ、荒れ放題のほったらかしでは、折角造った施設がもったいない。それに、九頭龍神社を訪れる多くの参拝客から「樹木園施設管理費」を徴収している言い訳が立たないのでは?と思うのですが…。

結局、30分くらいウロウロして、ようやく最初の入り口から出てきました。元の湖沿いの道を今度こそ湖尻方面に向けて再出発です。
九頭龍の森入り口から、歩いて30分弱で湖尻に到着。


写真は西武系遊覧船の発着所「湖尻ターミナル」です。
湖尻にある「そば処みよし」でランチにします。

時刻はもう1時をだいぶ回っていましたが、ほぼ満席状態。
山菜そばと、箱根小涌谷の「黒ちゃんたまご」とやらを注文。大涌谷の「黒玉子」は有名ですが、こちらは小涌園の温泉で作った温泉玉子で、贅沢に「ヨード卵光」を使っているのだとか(殻はやはり黒いらしい)。歩き疲れた身体もこれで元気回復。

山菜そばはサラダっぽく野菜や菊の花びらまで散らされていて、女性には喜ばれそう。店員さんも優しい方で、ほっと一息つけました。
お腹を満たした後、桃源台にやってきました。

時刻は2時過ぎ。まだまだ遊べる時間ではありますが、この日の宿泊は富士屋ホテルですので、滞在を楽しみたいということで、早めにホテルに向かうことにします。
桃源台からロープウェイに乗ると、間もなく大涌谷の噴煙地が見えてきます。

大涌谷は、『群青』でバトルシーンの舞台となっていましたね。前年に来た時は、降りて玉子茶屋のある噴煙地まで行ってみたものの、霧が濃く、周辺の様子がまったくわかりませんでした。

作中の文章によると、氏照兄は「ロープウェイの駅から駐車場に続く道に張り出した展望所」に立って谷底を見おろしていたらしいのですが、それらしき場所がわからず、いまだに謎のままだったのですが…。
大涌谷駅を過ぎてすぐ、噴煙の立ち上る谷がありました。よく見ると、上の方に小さな展望台のような場所もあります。前年行った噴煙地は本文の記述に符号していないので、あれぇ〜と思っていたのですが…、きっとこの谷だったのですね、氏照兄があの憎き松田を討ったのは。


納得しつつ、この日は素通り。翌日に行くつもりでいたのですが…、実は時間が押してしまって行けませんでした。
と言うわけで、ミラツア関連のご紹介はここまで。あ、一部例外もありました。『覇者の魔鏡』で高耶さんたちが風魔の幻術に惑わされた現場と思われる「七曲(ななまがり)」を歩いています。「七曲」へジャンプするにはここをクリック!


では、ここからはただの旅の記録になりますので、ご了承下さい。

ロープウェイ、ケーブルカー、登山鉄道を乗り継いで宮ノ下駅にやってきました。
富士屋ホテルに到着。

富士屋ホテルは、明治11年(1878年)に開業した、日本で初めての本格的なリゾートホテルです。その長い歴史の中で、外国人専用のホテルとなった時期もあることから、洋風のホテルでありながらも日本情緒を感じさせる設えが随所に見られる、どこかノスタルジックなホテルです。

写真は本館。1階は車寄せになっており、正面玄関とフロントは2階にあります。
私たちが今回泊まったのはフォレスト館。昭和35年に建てられた、富士屋ホテルの中では比較的新しい建物です。1泊朝食付で一人当たり約2万円。


フォレスト館のお部屋は、若干クラシックな雰囲気はありますが、まあほぼ普通の(少し年季を感じる)ホテルの部屋ですね。格天井のあるお部屋に泊まるのが夢だけど、むちゃくちゃ高そうだな。
部屋からの眺め。


富士屋ホテルの敷地が一望できます。
富士屋ホテルでは、宿泊客を対象に、毎日夕方4時から無料で館内案内ツアーを開催しています。私たちも早速参加。

先ず案内されたのは宴会場「カスケードルーム」。ステンドグラスや欄間の彫刻が見事です。

コンシェルジュのおじさんが、富士屋ホテルの開業時のエピソードなど詳しく聞かせてくれました。参加するお客さんはかなり多く、120人収容の宴会場がほぼいっぱいになっていました。
続いては、富士屋ホテルのメインダイニング「ザ・フジヤ」。


昭和5年、日光東照宮本殿をモデルに建てられたというこのダイニングルームは…
どこの名のある社寺に来たかと見まごうほどの立派な造り。


格天井には636種類の高山植物、天井付近の壁には507羽の野鳥と238匹の蝶がそれぞれ描かれているのだとか。更にあちこちに動物の彫刻が施され、正に東照宮を見るよう。


こんなところでフランス料理を食べるのってどんな気分なんだろう…。
足元に目を転じると、怖い顔が睨みをきかせています。

このレリーフは、富士屋ホテルの3代目・
山口正造氏の顔を模したものだそうで、「ザ・フジヤ」に対する思い入れが強かった正造氏がスタッフたちの働きを見張っているのだそうです。
そして、この日はたまたま、「創業135周年記念ウェルカムカクテルパーティー」というのが開催されていたので(宿泊者対象、参加無料)、館内案内ツアーの後、バー「ヴィクトリア」へ。


多くのお客さんに対応できるよう、供されていたのは簡単なカクテルやノンアルコールカクテルでしたが、さすがに味は良かったです。ジントニックとか、やっぱ居酒屋で飲むのとは違うなあ(当然か…)。
ほろ酔い気分になった私たちは、館内散策に出かけました。本当は、夏祭りが開催されている強羅まで行くつもりでいたのですが、先刻、強羅を通った時にすでに人がいっぱいなのを目にして嫌気が差したのと、折角の富士屋ホテル滞在なのでということで、行くのは止めにしました。

ということで、翌日に撮った写真も含め、富士屋ホテル内のちょっとした風景をご紹介してみたいと思います。

先ずは、廊下風景その一。工芸品などが所狭しとディスプレイされています。外国のお客さんが多かった頃の名残でしょうか。
廊下風景その二。


富士屋ホテルは幾つもの建物に分かれていますが、ほとんどは廊下で繋がっています。長い廊下は迷路のようで、何となく不思議な空間です。


スタッフ以外立ち入り禁止っぽい、カーテンで仕切られた謎の入り口なんかがあったりして、ミステリアスな感じ。
廊下風景その三。


古い博物館のような雰囲気。そう、富士屋ホテルは正に泊まれる博物館といった雰囲気なのです。
廊下風景その四。


明るい窓に面した廊下も。
こちらは資料展示室。


創業当時からの貴重な資料の数々が見られます。
資料展示室に展示されていたレジスターブック。


チャップリン、アインシュタイン、ヘレンケラー、ジョンレノンなど、多くの著名人が宿泊した富士屋ホテル。レジスターブックはホテルの宝とも言えるでしょう。
照明その一。


レトロな雰囲気が可愛らしいです。
照明その二。


ロビーのシャンデリアも、ゴテゴテ感はなく、すっきりと美しいフォルム。
自販機コーナーの表示灯も、レトロな雰囲気。
ガラス窓から差し込む柔らかい陽射しと、漆喰の壁が織り成す光と影は、古いモノクローム写真のよう。
昭和天皇来訪時の写真。


昭和40年のことです。
こちらは、ヘレンケラーの手形と直筆文。


ホテルのもてなしに対する感謝の言葉などが綴られているようです。1937年のもの。
そのヘレンケラーにまつわる心温まるエピソードを秘めた尾長鶏の彫刻が、かつてのフロントカウンター脇で見られます。


ヘレンケラーは二度、富士屋ホテルに滞在しており、最初に泊まった際には、ホテルで飼われていた尾長鶏をとても可愛がったらしいのですが、次に来訪することになった時にはその尾長鶏はすでに亡くなっていたため、ホテル側がヘレンケラーのために柱に彫刻を施して、彼女が触って撫でられるようにしたのだそうです。
館内を歩いていると、常に何かの香りがしていて、何だろうと思っていたのですが…、正体はホテルオリジナルのアロマオイルだったようです。


どことなく漢方っぽい、落ち着いた、歴史と伝統を感じさせる香りです。
部屋に戻って、一先ず汗を流すことに。部屋のお風呂は、狭いユニットバスですが、ちゃんと温泉が引かれているんです。


ほっこりして窓の外を眺めると、夕闇にともしびが灯り始めていました。強羅の夏祭りは花火も上がるらしいですが、ホテルの従業員のお姉さんによると、ここからは見えないとのことなので、夕飯を食べに行くまでのんびりするか…と思っていたら。
ちょっと小さいですが、部屋からちゃんと見えましたよ、花火。


富士屋ホテルの上に上がる花火はまた格別です。


もう少し露出を長くしてホテルの建物を写したいところでしたが、三脚無しの撮影でしたので、ここらが限界。
8時過ぎ、夕食付でないプランの私たちは、食事を取るために外に出ました。


急な坂を登って、宮ノ下の駅へ向かいます。
やって来たのは、駅のまん前にある「森メシ」。


アットホームな雰囲気の食堂です。地元の野菜と相模湾の新鮮なお魚にこだわっているのだとか。
本日の魚(鯵)の竜田揚げと…あれ、何だったか忘れてしまった…。海老とししとうの炒め物?かな? 鮮度も味付けも申し分なく、美味でした。


お酒は、神奈川の地酒「丹沢山」。


富士屋ホテルでおフランス料理も一度くらいは経験してみたいけれど、やっぱこういう方がしっくりくるんだよなあ。
冷奴と鯵の骨せんべい。


お豆腐は、宮ノ下のお豆腐屋さん「豊島とうふ店」のお豆腐だそうです。豆腐そのものももちろん美味しかったのですが、添えられた小ネギが甘味があって驚くほどいい味。絶妙の冷奴でした。

骨せんべいも酒のつまみに最適(量はもっとたくさんありました)。
他には、揚げナスとオクラのサラダ(何種類もの変わったオクラが入っていた)などを食べ、サービスでお吸い物(これもとても美味しかった)まで頂いてしまいました。


出来てまだ間もないお店らしいですが、こういうきちんとした味の料理を出すお店は長続きして欲しいものです。
ホテルに戻って来たのは10時過ぎ。でも、夜はまだまだこれからですよ、うっふっふ。


という訳で、バー・ヴィクトリアに再び来てしまいました。どうしても飲んでみたいカクテルがあったので…。
それがこちら、「Mt.Fuji」と名づけられたカクテル。白い泡が富士の頂に積もる雪を連想させます。口をつけると先ず、卵白の泡の滑らかさに感動。ふわっと柔らかく唇に当たる感触が何とも言えません。ジンベースにパイナップルジュースを合わせた実に飲みやすいカクテルなんですが、その万人から愛されそうなところもまた「Mt.Fuji」の所以なのでしょうか。


そう言えば、富士屋ホテルって、「富士」の名はついていても、実はホテルから富士山は見えないそうです。外国人にとって富士山が日本の美の象徴だったこともあり、その名が付けられたのだとか。この日は、駒ヶ岳から富士山を拝むことができなかったし、私も舌で「Mt.Fuji」を味わうことにします。


因みに、この「Mt.Fuji」は、1937年(昭和12年)にはすでにホテルのメニューにあったという歴史あるカクテルなのだそうです。
一夜明けまして、早朝からまた散策にでかけました。


こちらはホテルの2階正面玄関。扉は昔ながらの回転扉です。
昭和11年築の「花御殿」。


富士屋ホテルを象徴する建物で、格天井のスイートルームはこの花御殿にあります。
ホテル内にはそれほど広くはありませんが、庭園もあります。


こちらは温泉熱を利用した温室。自由に入室できるようですが、この時は朝早すぎて開いていませんでした。
こちらの水車小屋付近では、6月上旬から7月上旬にホタルが見られるのだそうです。
立派な錦鯉が泳ぐ池もあります。


まだ早い時間なのに、お庭を散歩する人は多かったです。
朝食付きのプランなので、ホテルでビュッフェスタイルの朝食を頂きます。


クロワッサンが美味しかったです。オムレツはシェフが好みを聞いて目の前で焼いてくれます。相方はカレーが気に入ったようで、おかわりまでして食べてました。朝からカレー二皿って…。
朝食をゆっくり味わっていたら、予定より少々遅れてしまいました。


9時15分に宮ノ下駅を出発します。
この車輌のシートは、箱根細工柄でした。
おっと。油断していると、何気にミラツアスポットが。


『群青』の中で、刺客により破壊された、塔ノ沢・大平台間の鉄橋です。昨年は遠くから写しただけでしたが、今回は通り過ぎるところを撮影できました。
箱根湯本まで出てきました。


早川にかかる赤い「あじさい橋」の左手に建つホテルは、湯本富士屋ホテル。宮ノ下の富士屋ホテルと同じ富士屋ホテルチェーンで、こちらは1973年創業。
バスで旧街道の畑宿にやってきました。ここから旧街道の石畳を芦ノ湖に向かって歩きます。


箱根町と元箱根の間の杉並木の道は、前回歩きましたけれど、もっと昔の旅人気分を味わいたいと、今回はちょっとハードなハイキングを計画してみました。
ここから旧街道を歩く人が多いからか、「箱根路 東海道の碑」なんてのが建ってます。
畑宿の一里塚(江戸から二十三里)。


これは文献と発掘調査をもとに、復元されたものらしいです。昔の旅人は、こういったものを目安にてくてく歩いていたんですね。
さっそく石畳の道が始まりました。


なぜ街道に石畳を敷いたかというと、箱根の山中は、ひとたび雨が降ると足元がぬかるんで歩くのが困難だったからだそうです。石の敷き方も、雨水をうまく排水させる工夫が施されていたのだとか。


そう言えば、折しも桑原先生が『箱根たんでむ』という箱根の駕籠かきを主人公にした小説を出されましたね。私はまだ読んでないのですが、箱根と言うと親近感が湧いてきますので、一度読んでみたいと思ってます。
畑宿から少し行くと、「宙吊り石畳」と呼ばれる箇所を通ります。


なぜ「宙吊り石畳」と呼ばれるかと言いますと…
実はこの部分、箱根新道の上に架かる陸橋だからなんです。


新道建設の際に分断された旧街道を橋で繋いだということなのでしょうけれども、その上にちゃんと石畳を再現しているところが心憎いです。
更に少し進むと、「七曲(ななまがり)」に差し掛かります。


前年の箱根レポートでも触れましたが、『覇者の魔鏡・後編』で、高耶さんたちが箱根を脱出する際、風魔の幻術に惑わされたのは、この七曲でのことかと思われます。
<そこからはRがヘアピンに近い危険なカーブが続く。ただでさえ危険な場所だ。これをこの視界でスピードも落とさずこなすのは無茶以外の何ものでもない。「次は左だ、直江……!」>(『覇者の魔鏡・後編』49ページ)


正にヘアピンカーブ。あんなに険悪な雰囲気だったのに、こういう時は絶妙のコンビネーションで切り抜ける高耶さんと直江が素敵です。
七曲区間は、自動車道の脇の歩道を歩くようになっていたかと思うと、階段が設けられていてカーブをショートカットするようになっていたりします。
前年はバスで通りましたけれども、歩くことができてちょっと嬉しかったです。ここを高耶さんたちが通ったんだなあと思いながら上り坂を登っていきます。


しかし、歩道の部分に草が伸びてきていて、歩きにくかった。歩いて通る人なんてあまりいないんだろうなあ。
箱根の旧街道石畳は、度重なる震災等の災害により、大半が崩壊したり埋没したりしていたのを、後に復元したものらしいです。一部は往時のままの箇所もあるらしいですが、それがどの部分かはよくわかりませんでした。


こんな風に荒れ果てた感のある箇所は、もしかして昔のまま?なんて思ってしまいますが、どうなんでしょうかね。
それにしても、石畳は歩きにくいわ、階段は多いわ、やたらと暑いわで、この時すでに疲労困憊。計画では、畑宿から甘酒茶屋まで30分で歩くつもりだったのですが、まだ甘酒茶屋に着いてないのに1時間経ってしまいました。甘かった…。

「猿すべり坂」のバス停を見つけ、時刻表を見ると間もなく来そうだったので、甘酒茶屋まで一駅ですが、バスに乗ることに。

この坂を自転車で登っていく人たちがいて、ひたすら脱帽の思いでした。
桑原先生は…(ご自身のHPによると)、旧街道を芦ノ湖まで歩いたらしいですね。どこから歩いたのかはわかりませんが、さすがです。


写真は甘酒茶屋の外観。
ここの名物である甘酒は、前年頂きましたので、今年はしそジュースと抹茶ジュースを頼んでみました。


しそジュースはもっとうんと酸っぱくても、私的にはよかったかな。でも、汗かいた体に染み渡りました。
こういう建物ですから、エアコンなんて無いのでしょう。その代わり、こんな風流なものが置いてありました。氷柱です。見た目にも涼やかですね。
本当は、甘酒茶屋で休憩して、更に芦ノ湖まで歩くつもりでしたが、体力的にも時間的にも無理そうなので、甘酒茶屋からバスに乗って元箱根にやってきました。


ここから海賊船に乗ります。
この日は姿を見せている駒ヶ岳の頂上を横目に睨みつつ、桃源台へ向かいます。
桃源台に到着。


ここからはバスに乗り、箱根ガラスの森美術館へと向かいます。
仙石原のススキ野はまだまだ緑一色です。


白い穂が一面にたなびく景色も一度見てみたいものです。
箱根ガラスの森美術館に到着しました。


写真ではわかりませんが、木の枝(木を模した人工物?)にクリスタルガラスが無数に飾られていて、キラキラ光ってとっても綺麗です。


時刻はすでに2時近く。何はともあれ昼食を、と美術館内のレストランへ。
一番混雑する時間は過ぎているはずなのに、結構並んでいて、少し待ってからようやく入れました。


注文したのは、夏野菜のトマトパスタ。まあまあかな。それより、満足できたのは、こちら…。
カンツォーネの生演奏。


たまたま目の前の席に通されました。カメラを向けると、カメラ目線をくれたりしてサービス満点。私たちの隣のテーブルにいたちょっとセレブっぽいおばさまがボトルワインを空けながらノリノリで手拍子を打ったり合いの手を入れたりしていました。演奏時間は一応決まっているんですが、堂々とアンコールしたり。でも、おかげでこちらも楽しめました。
館内は、フラッシュをたかなければ、撮影OKとのこと。


ガラスの美しい装飾品が盛りだくさんで、見ていて飽きません。こちらもガラス製品で、人の顔を形どったものなんですが(手前はゴッホ)、実は指先ほどの大きさなんです。
ランプや花瓶、コブレット、ガラス玉のネックレスなど、展示物は様々。
そして、この時は「夏休み特別コンサート」と称して、グラス楽器の生演奏がありました。


一番左の「グラスハープ」は、グラスの形状や中に入れる水の量などを調整して音階を作る珍しい楽器です。


繊細な響きで奏でられる井上陽水の『少年時代』は、夏の旅のしめくくりにはこれ以上ない最高の一曲でした。
このクリスタルガラスのアーチ、よくテレビで見ますよね? 天気予報でよく見た覚えがあるんですが…。


箱根は雲が出てきて、早くも暗くなり始めました。時刻は4時半過ぎ。大涌谷は今回は諦めました。
箱根を早めに発ったので、小田原で途中下車。


駅前の鈴廣で、亀きち&亀ぞうへのおみやげを買います。
鈴廣の2階に、ビールバーラウンジというのがあって(季節限定らしいです)、休憩していくことに。鈴廣って、「箱根ビール」という地ビールも出しているんですね。


写真のセットはなんと500円。
鈴廣で買った練り物。左は「浜大漁」、右は「シーフランク」。


良質の魚を使っているというしんじょ・浜大漁は、湯引きして塩気を少し抜いてから亀きち&亀ぞうにあげました。美味そうに食べてくれました。シーフランクは正にフランクフルトのお魚版。ハーブが効いてて美味しかったです。
こちらは、箱根ガラスの森美術館で買ったもの。


かめさんの置物は、裏側のお腹の部分に色がつけてあって、見る角度によって、甲羅の色が変わります。

星型のペンダントもきらきら光ってなかなか綺麗です。
富士屋ホテルで買った絵葉書。四季それぞれの富士屋ホテルが描かれています。


何か記念になるものを買いたいと思っていたのですが、他に手頃なものがなくて。もう少しグッズが充実してると嬉しかったです。

お付き合い頂き、ありがとうございました。今回の箱根ミラツア、3つのミッション(@駒ヶ岳A九頭龍神社B大涌谷)があったわけですが、結果は一勝二敗…ですね。でもまあ、大涌谷はロープウェイから眺めて、バトルの場所を把握できたというのはひとつの収穫でした。やっぱり、夏の箱根は天気が読めないし、駒ヶ岳に霧がかかっている確率が高いんだよ、駒ヶ岳に行くなら断然冬だよ、と言っていたのに、なぜかこの一ヵ月後にまた箱根に行っている私たち…。さて、宿願の駒ヶ岳はリベンジなったのか。レポートはこれから書きます。









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