夏雨煙る箱根遊覧

〜名物?風魔の霊霧に遭遇!





◆箱根のミラツアについて◆
箱根は複数回訪れています。
それぞれの主な訪問場所は次の通りです。
夏雨煙る箱根遊覧(このページ)
2011年8月20〜21日
早雲寺、箱根神社など
芦ノ湖東岸ウォーキング
2012年8月16〜17日
九頭龍神社(本宮)など
「箱根旅助け」で巡る群青ツアー
2012年9月15〜16日
駒ヶ岳山頂、大涌谷など



旅行日:2011年8月20日〜21日

行程:

8月20日:新宿→(ロマンスカー)→箱根湯本駅→(徒歩)→早雲寺→(徒歩)→箱根湯本駅→(バス)→星の王子さまミュージアム→(バス)→桃源台→(海賊船、芦ノ湖遊覧)→箱根町港→(徒歩)→箱根神社→(徒歩)→元箱根港→(バス、箱根新道経由)→箱根湯本駅→(徒歩)→箱根パークス吉野

8月21日:箱根パークス吉野→(旅館ワゴン)→箱根湯本駅→(箱根登山鉄道)→強羅駅→(ケーブルカー)→早雲山→(ロープウェイ)→大涌谷→(ロープウェイ)→桃源台→(海賊船、芦ノ湖遊覧)→元箱根港→(バス、旧街道経由)→甘酒茶屋→(バス、旧街道経由)→箱根湯本駅→(ロマンスカー)→新宿


同行者:パートナー

お盆過ぎのまだまだ暑い時期。今回の旅は、「避暑地に行こう!」というテーマだったはずなのですが、色々調べたらしい相方によると、どこの避暑地もあまり惹かれるものがなかったらしく…「そんじゃま、箱根にしとくか」っつうわけで箱根行きが決まりました。もちろん、私にとってはミラツアできるので大歓迎なわけです。

んで早速、小田急トラベルで、宿泊+往復ロマンスカー+箱根フリーパスがセットになったツアーを申し込み。

写真は新宿駅に入ってきたロマンスカーEXE。これに乗って一路、箱根湯本まで向かいます。
天気はあいにくの曇り空。予報によると、20日、21日とも曇り時々雨。暑くないだけいいかなといったところです。

車窓から多摩川を渡るところをパチリ。


先ずは、地図を確認しておきましょう。赤文字&赤線はミラージュの舞台になったor地名が登場した場所です。青字はミラージュとは関係なく、今回私たちが立ち寄った場所。
箱根は、言わずと知れた『覇者の魔鏡』中篇&後編、及び『群青』の舞台です。
今回ターゲットとなる大きなミラツアスポットは5箇所。箱根湯本にある早雲寺、ロープウェーの途中にある大涌谷、芦ノ湖、芦ノ湖の北東に聳える駒ケ岳、そして箱根神社です。果たして、この天候で無事に回ることができるのでしょうか…。

さて、新宿から1時間半ほどで箱根湯本駅に到着です。

これは、駅(写真右側)と直結した歩道橋から見下ろした国道1号(東海道)です。芦ノ湖方面を見ています。

はい、早速、何気にプチミラツアスポットですよ。鏡に封じられた高耶さんからのメッセージを読み取り、箱根神社へ向けて車を走らせる直江がここを通っています。

<箱根の山並みの稜線がくっきりと浮かんできたころ、車はようやく箱根湯本の駅のわきを走り抜けた。さすがにこんな時間に走る車は少ないと見えて、国道一号線は快適なくらいすいている>(『覇者の魔鏡・中篇』8ページ)
直江はこのまま国道1号で元箱根方面へと行きますが、私たちは先ず早雲寺へと向かいます。

駅前にある「あじさいばし」を渡ると、正面に早雲寺への案内板があります。左方向は遠回り、右方向は健脚向きの近道。相方と私は何のためらいもなく右の健脚向きの道へと向かったのですが…
とんでもねえ山道でしたよっ!(泣)

小高い山のような早雲公園を突っ切っていく道なのですが、急な山道が結構長く続き…近道のレベルじゃなかったです。軽い登山でした。大して暑くなかったのに、山を越えた頃には汗だく状態…。

しかも、蜂がいて、途中からずっと付け狙われていました。刺されそうでむっちゃ怖かったです。

帰りは遠回りの道を通って来ましたが、ミラツアされる方には、遠回りする方をオススメします。
やっとこさ辿り着いた早雲寺。こちらは惣門です。

<早雲寺は後北条氏の菩提寺だ。二代・氏綱が父・早雲の菩提を弔うために建立したもので、秀吉によって焼かれる以前は壮大な堂宇を擁していた。湯本の町ももともとは早雲寺の門前町である。いまは温泉街の一角にある小さな寺にすぎないが……>(『群青』86ページ※文庫版)
こちらは中門になります。

ミラージュの中では触れられていなかったように思いますが、早雲寺は、幼少の三郎が喝食の僧として過ごしていたとされる寺でもあります。
一旦焼き払われたので、元の様子はわかりませんが、かつてこの地に三郎がいたんだなあ…と想いを馳せながら、足を踏み入れます。

正面の建物は庫裏、左が本堂です。
中門を潜って右手を見ると、茅葺の立派な鐘楼があります。

この梵鐘は、秀吉の小田原攻めの時、石垣山一夜城で陣鐘として使われたものなのだとか。
本堂裏にある幻庵作の枯山水を見に行きましょう。

三郎たち兄弟から見て大叔父に当たる幻庵は、ミラージュ本編でも活躍していましたね。彼は北条早雲の三男として生まれ、97歳で死去するまで、後北条氏5代のすべての当主に仕えた人物です。亡くなったのは、一族が滅亡する8ヶ月前とのことですから、幸せな人生だったのではないでしょうか。

1569年、息子たちを戦で相次いで戦で失った幻庵は三郎を養子に迎え入れます。しかし、同年越相同盟が締結されると、翌年には三郎は越後へ養子入りすることになったのでした。

<景虎の口ぶりからも彼が幻庵をとても慕い尊敬していたことがうかがえたが、そのあとのことはあまり口にしようとしなかった。たしかに、もしもあのまま上杉への養子入りの話がなければ、景虎は幻庵の跡目を継ぎ、小机城主として一族の柱石にもなったことだろう。(略)でも景虎自身もよく知っていたのだろう。過去を振り返って、「もしも……」をとなえるのは虚しいだけだ、ということを>(『覇者の魔鏡・中篇』12ページ)
幻庵は、戦国時代初期を代表する文化人だったそうです。その幻庵作の枯山水…アングルが悪くて何だかよくわからないですね;; これ以上立ち入ることができなかったので…。

早雲寺は『群青』の中で、刺客の襲撃に遭っていました。

<境内は地面に巨大な亀裂が走り、本堂は倒壊こそ免れたが、西側の壁が完全にふっとび、なかが丸見えになっているという有り様だ。(略)自慢である枯山水の方丈も地面をえぐりかえされ、元の姿をとどめていない>(『群青』85ページ※文庫版)

ひとつ上の写真に写っている壁が、ちょうど「本堂西側の壁」になります。
また、境内にある「北条五代の墓」も襲撃に遭っていました。

<もっともひどかったのは、北条五代の墓のあたりだ。(略)(氏照は)怒りに顔を紅潮させて、まっぷたつに砕けた父・氏康の墓石の前で、拳をぶるぶる言わせている>(『群青』85〜86ページ※文庫版)

真ん中が氏康パパの墓石です。
早雲寺の拝観を終え、一旦箱根湯本駅へ戻り、バスで次の目的地へ向かいます。

行き先は「星の王子さまミュージアム」。相方のリクエストです。この女性受けしそうなスポットは、よりによって相方のリクエストという…。

写真は国道1号線、宮ノ下手前辺りです。ここは直江が箱根神社に向かう時に通っているはずですね。私たちはこの先で国道138号に入ります。
星の王子さまミュージアム。『星の王子さま』を愛する人にとってはいいミュージアムなんじゃないかと思います。

サン=テグジュペリって貴族の生まれで、お城で育ったらしいですね。お城が自分の家って、どんな感覚なんだろう…。あ、それを言ったら我らが景虎ぎみもそうでしたね。もっとも景虎ぎみの場合はあちらこちらへ売り飛ばされて波乱万丈ですが。
ミュージアム内は季節の花が植えられていて、お庭も楽しめます。

小さな教会があったり、フランスの町並みを再現した建物があったり…なかなか雰囲気のいいミュージアムでした。
星の王子さまミュージアムから再びバスに乗って、芦ノ湖北端の桃源台を目指します。

ここは仙石原付近。ススキの原で有名なところですね。今度は是非秋に行ってみたいです。
桃源台に到着。

前回の箱根の旅でも来ましたが、ここから船で芦ノ湖に出ます。
氏照兄が三郎を乗せてやりたかったであろう海賊船です(ときめきテレフォン参照)。

因みに、芦ノ湖には小田急系の「海賊船」と、西武系の「芦ノ湖遊覧船」があります。発着場が微妙に違っており、駒ケ岳ロープウェーの出ている箱根園へは西武系の芦ノ湖遊覧船しか行きません。

私たちが購入した箱根フリーパスは小田急系なので、芦ノ湖遊覧船はパスでは乗れません。というわけで、取りあえず海賊船に乗船。
途中で、九頭竜神社の鳥居が見えてきます。毎月13日には月次祭があり、その際には直接九頭竜神社の桟橋に着く船が出るそうです。縁結びのご利益があるとかで、賑わうそうですね。

そんな九頭竜神社も、ミラージュでは裏切り者の遠山が小太郎に始末された物騒な場所となっています。また、この付近の湖岸は、生き返った高耶さんと湖底心中の夢から覚めた直江が立ち寄り、核心に迫る会話を交わした場所でもあります。

<あなたにできることは、もう私の苦痛を一時取り除くための道具になることしかありませんよ。裸になって、俺に組みしかれて、俺を根元まで受け入れながら、歓喜にのたってくれますか>(『覇者の魔鏡・後編』29ページ)

うーん、改めてみると、すげえセリフだな(笑)。
湖上から見た駒ヶ岳です。頂上付近は雲を被っているのがわかります。この様子では、上に行っても視界はほとんど望めないのがわかるので、この日は駒ヶ岳行きは断念することにしました。翌日の天気予報も良くないので、望みうすですが、箱根園までの往復の船賃&ロープウェー代を別に払ってわざわざ行って、視界ゼロとかいったら、あまりにも報われないので…。

写真の船は西武系の芦ノ湖遊覧船。
小田急グループと西武グループは、戦後から、箱根の観光地開発においてずっといがみ合ってきた抗争の歴史があるようですね。箱根山戦争と言われてるそうです。近年でこそ箱根観光振興のため歩み寄りを見せているものの、各々のフリーパスは互いのグループでは使えない(割引可のものも有)という状態です。早く共通のパスを発行して欲しいものです。
船上から望む、北条邸?と思いたくなる、この建物。正体は、駒ケ岳ロープウェイが出ている箱根園近くにある「龍宮殿」という西武グループのホテルです。箱根園周辺は西武グループの牙城なんですね。

北条邸は、箱根神社とは対岸の山腹にあるとのことですが、実際には、対岸の山はまったくの未開の地といった感じで、見る限り建物は皆無です。
箱根町港に着きました。天気は相変わらずどんよりですが、雨が降っていないだけよしとします。

この日の駒ケ岳行きはなしになりましたので、箱根神社へ向かうことにします。その前に、腹ごしらえを…。

箱根町港付近には食堂が何軒もありますが、私たちが選んだのはこのお店。大正(だいまさ)です。魚料理がおいしそうだったので。国道1号沿いにあります。
私が注文したのは、いくら丼。箱根でいくら丼?って感じですが、他の丼と同じ価格だったし、何か食べたくて…。相方は鯵すし丼を頼んでいました。美味しかったらしいです。

右の汁物は鯵のつみれ汁、奥の揚げ物は駿河湾の桜海老のかきあげ。思ったよりでかかった。どれも美味しかったです…が、食いすぎです。超お腹いっぱい。宿の夕飯が食べられるか心配です。
満腹になったところで、腹ごなしに歩きます。元箱根方面に少し歩くと、箱根関所があります。

江戸時代に東海道を行き来する旅人を厳しく取り調べたという関所が復元され、資料館も併設されています。今回はスルーです。
箱根関所を過ぎて、引き続き東海道(国道1号)を元箱根方面へと歩いて行くと、東海道のすぐ右側に平行して「旧街道杉並木」が姿を現します。

樹齢400年近くの大杉が409本並んでいるそうです。旅人に木陰を与えるために街道の両側に植えられたものなのだとか。箱根神社に行くのに、元箱根港ではなく、箱根町港で船を降りたのは、実はここを歩きたかったからなのです。

江戸時代の旅人が通ったのと同じ道を歩いているんだなあという感慨に耽りつつ、てくてく元箱根へと向かいます。
杉並木を過ぎて、少し歩くと、箱根神社に到着です。

箱根神社は、平安末期以降、多くの武家の崇敬を集めてきました。後北条氏も歴代の当主が崇め、前出の幻庵はここの別当を務めていたそうです。

『覇者の魔鏡』の中で、蘇った北条は、この箱根神社を一大拠点としています。「関東大三角」の「受地」となるのが箱根であり、その中心が箱根神社でした。日光の二荒山神社と並び、箱根神社の境内でもご神木に贄を木縛する準備が進められます。
参道入口。

神社ってみんなそんなもんだと思うのですが、ここも階段が多いです。途中、杖をついてお参りしている参拝客を見ました。大変な思いをしても神前に詣でるその透明な気持ちが少しでも報われるといいですね。

箱根神社の境内マップは、こちらの公式HPから「境内案内」ページをご覧下さい。
参道入口から入り直進すると、上の本殿正面から湖上の平和鳥居まで真っ直ぐ伸びる長い石段の参道と交わるところに出ます。その付近に御神木・矢立の杉があります。

この矢立の杉は、平安時代に征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が東北鎮撫に向かう際に立ち寄り、「表矢」を献上して武運長久を祈願したことに由来するそうですが…、そう言えば坂上田村麻呂ってミラージュでは弥勒でしたねぇ…。そんな矢立の杉に高耶さんが木縛されそうになったのは、何かの因縁でしょうか。

<箱根神社の『矢立ての杉』の前には、祭場をもうけて、ここにツツガ鏡が置かれた。氏照はこれから弟を木縛する神木を、じっとけわしい目つきで見上げている。樹齢千二百年の、立派な老大樹である>(『覇者の魔鏡・中篇』203ページ。※「ツツガ」の漢字が出てこないのでカタカナ表記としています)

そして、その直後、三郎の宿体を「始末」して戻ってきたらしい直江に、氏照兄が怒りの平手打ちを食らわすのでしたね。あれは何だか妙に萌えるシーンでした。
儀式の最中、直江は景虎の霊魂が封じられたツツガ鏡の奪取にまんまと成功します。北条の家臣たちの総攻撃に遭い、満身創痍となりながらも、尋常ならざる念を爆発させ、追っ手を振り切りった直江が降りて行ったのがこの石段です。

<あるかぎりの力を使い果たした直江は、このまま崩れて倒れそうな身体を引きずって、歩きだす。ツツガ鏡を傷だらけの腕に抱いて、石段を這いつくばるように降りた。(かげとら……さま……!)>(『覇者の魔鏡・中篇』211ページ)

平和鳥居の辺りには、若い男の子の集団が…。どうやらエヴァファンの方々だった模様です。興奮気味に湖に向かって何事か叫んでいました。エヴァンゲリオン…観てないですが、気持ちは何となくわかるような気がしてしまったミラツア中の遊丸でした。


どうにか鳥居のあたりまでたどり着いた直江を、ただ一人追って来たのは、あの氏照兄でした。

<氏照の必死の瞳には、涙がにじんでいる。彼はすでに武将ではなくなっていた。純粋に、景虎の兄でしかなかった。戦も企みも関係ない。氏照は、命をかけて懇願した。「……おとうとを……かえして……く」>(『覇者の魔鏡・中篇』213ページ)

しかし、そんな氏照をも、この時の直江は容赦することができません。その宿体にとどめを刺した直江は、景虎の魂を胸に抱き、永遠の理想郷を目指して、湖岸につけておいたモーターボートへと歩き出します。

<ボートに乗りこむと、シートに寝かせてあった高耶の身体を抱き起こした。痛みを必死にこらえ、あえぎながら、ツツガ鏡といっしょにかたく腕のなかに抱きしめた。(景虎様……)目がかすむ。意識が遠のきそうになる。直江は気力をふりしぼって舵をにぎった。エンジンをかけ、霧の湖へとモーターボートを走らせた>(『覇者の魔鏡・中篇214ページ』)

直江は天国への幻想を抱いてここから船を出し、湖上で苦渋の決断を下して、息を吹き返した高耶さんとともに(九頭竜神社に一旦寄った後)再びここに戻って来ます。この平和鳥居を潜って箱根神社へと足を踏み入れた高耶さんは、もう傷つきやすい少年の顔はしていませんでした。的確な判断を下す冷徹な統率者でした。そう思って見ると、この鳥居は、さながら夢と現を隔てる門のようでもあります。この門の向こうに、二人にとっての浄土が、確かにあったのですね。もう二度と手に入れることのできない浄土が…。

平和鳥居付近から石段を見上げて。

直江が最初に箱根神社に着いた時、氏照兄が降りてきたのはこの階段です。直江と氏照兄の初対面シーンでした。

<背後に近づいた人の気配に、直江は振り返った。神社のほうの石段からおりてくる一人の男がいる>(『覇者の魔鏡・中篇』15ページ)

また、写真で石段の上を車が走っているのが見えますが、この上は道路になっていて(道路を隔ててまた石段が続いています)、芦ノ湖から戻った直江&高耶の姿を見つけた綾子はこの道路の方から駆け寄ってきたようです。
先ほど通った矢立の杉付近を通り過ぎ、石段はまだまだ続きます。
長い石段を登りきると、ようやく本殿があります。

箱根神社へと入った高耶さんたちは、一帯を北条方が手出しできないよう結界を張るため、護界法を執り行います。

原作では「箱根神社の森がほぼ一望できるあたり」まで行って執り行ったようですが、アニメではどうやらこの辺りで護界法を行っていたようでした。高耶さんがカンチョーのようなポーズを取ったあの迷シーンですね(笑)。
本殿脇には九頭竜神社の新宮があり、その一角に「龍神水」という霊水が湧き出ています。この霊水は、芦ノ湖の水源から湧き出る龍神甘露の水で、掌にうけて口を漱げば一切の不浄を洗い清めるのだとか。

『覇者の魔鏡・後編』で、高耶さんが氏政兄から蝶の毒を受け、その傷を幻庵大叔父が「箱根神社の聖水」で洗い清めていたシーンがありました。もしかして、この水のことかなあ…とも思ったのですが、この新宮が建立されたのは2000年のことで、『覇者の魔鏡』が出た当時はなかったことになります。或いは、この龍神水だけはあったのかもしれませんが…。真相は不明です。
箱根神社の参拝を終えた後、元箱根港からバスで箱根湯本まで戻ります。

元箱根から箱根湯本へ行くバスは、@箱根新道経由、A旧街道経由、B東海道経由と3ルートあります。この日は一番速い新道経由がちょうど出発時刻間近だったので、新道経由で戻ることにしました。

箱根新道は、1962年、当時の観光ブームに押されて、全国で2番目の自動車専用道路として開通した国道1号のバイパスです。山道なのでやはりカーブはありますが、翌日に通った旧街道と比べるとかなりスムーズでした。
泊まる宿は、湯本駅から徒歩15分ほど、須雲川沿いに建つ「箱根パークス吉野」です。

写真川上のベージュ色の建物がそうです。
建物自体はかなり古いようでしたが、お部屋は小奇麗で快適です。何より、リバービューで、川のせせらぎが絶えず聞こえてくるのが心地よかったです。

先ずはひとっ風呂浴びてから、夕食です。
料理は一般的な和食膳。多種多様なものが少しずつ出てくるのが嬉しかったです…が、肝心なお味の方は…うーん、いま一歩かなあ。素泊まりで、どこか別のところに食べに行ってもよかったかも。

朝食の方はバイキング形式で、まあまあ美味しかったです。コーンポタージュスープが妙にうまくて、3杯も飲んでしまいました。
夕食後、買い出しも兼ねて散歩に出ます。

「灯街道・箱根湯本」とかいうイベントをやっていて、温泉街の主要な通りが小さな灯篭でライトアップされていました。
駅前の国道1号沿いにあるセブンイレブン箱根湯本駅前店で飲み物とつまみを買い、ホテルに戻ります。

写真は夜の須雲川。夜の川は昼間とはまた違った趣きがあります。
旅先で地酒購入はやはり必須でしょう(笑)。セブンイレブンで売ってた「箱根のしずく」。本醸造生貯蔵酒で、「濃醇辛口」だそうです。キレのよさはありつつも、甘味がかなりあるように感じられました。料理と一緒に…というよりは、個人的には自然を肴に呑みたい酒だと思いました。春ならこれで花見などしたらいいだろうなあと。

最近はコンビニでよくフルーツを売ってますけど、立ち寄ったセブンイレブンはどういうわけか、普通のスーパーより安く売っていてびっくり。写真にある巨峰は確か250円くらいでした。

それにしても、この写真、もう少し撮りようがなかったのだろうか…。
翌日は朝から雨でした。がんばって5時頃起床し、露天風呂へ。朝早いせいか、ほとんど独り占め状態でした。雨に煙る夏山を眺めながらゆっくり浸かるぬるめの温泉もなかなかオツなものです。緑の山がところどころ蒸気を発していて、何となく幻想的で。ヒグラシが鳴いていたりして。ヒグラシって夕方というイメージがあったんですが、朝にも鳴くものなんですね。

でも、冬、雪が降っていたらもっと趣き深いことでしょう。白く雪化粧した山を眺めながら入る露天風呂は最高ですね。お盆をお湯に浮かべて、旨い酒をちびりちびりとやれれば、何も言うことはありません(結局それか)。
ゆっくり朝食を取り、9時頃旅館を出発します。箱根湯本までは旅館のワゴンで送ってもらいました。雨が強くなってきていたので大助かり。

写真は箱根湯本駅の改札口。この日は登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイを乗り継いで芦ノ湖に向かいます。前回の箱根の旅と同じルートですが、今回は大涌谷で降りて黒たまごを食べるというミッションがあります。

因みに、登山鉄道(箱根湯本〜強羅)、ケーブルカー(強羅〜早雲山)、ロープウェイ(早雲山〜桃源郷)は、すべて箱根フリーパスが使えます。
箱根登山鉄道の車両。これで強羅まで行きます。

箱根登山鉄道は日本唯一の本格的山岳鉄道で、急勾配を登るため、3箇所でスイッチバック(進行方向を替えてジグザグに上り下りすること)を行います。
登山鉄道の塔ノ沢−大平台間に、現存する国内最古の鉄橋があります。

スイッチバックポイントである、出山信号所からその鉄橋を望んだところ。中央やや下にある緑色の鉄橋が…見えますでしょうか。
望遠バージョンです。
「出山の鉄橋」として知られるこの鉄橋は、秋の紅葉時には通過する際、一時停車のサービスもあるそうです。

そして、ここは『群青』で、刺客の襲撃に遭ったポイントでもあります。

<「箱根登山鉄道の塔ノ沢・大平台間の鉄橋が破壊され、通りかかった車輌が落下転覆……! こちらにも多数の死傷者が出ております!」>(『群青』117ページ※文庫版)

本当にミラージュって色んなところをぶっ壊してますね…。
強羅からはケーブルカーに乗り換えです。

前回も同じような写真を載せていましたが…、線路上にある太いケーブルで車輌を引っ張っています。

単線なので、上から来る車輌とは、部分的に複線になったところですれ違います。
早雲山から先はロープウェイです。写真は振り返って早雲山駅を見下ろしたところ。

観光客は多かったのですが、乗車時にちょうど人が途切れ、定員18人のゴンドラの中は、私と相方の二人きりに…。

そして、晴れていれば、噴煙を上げる大涌谷を見下ろし、遠方には富士山を望み、東京スカイツリーまで見渡せるというこのロープウェイですが…
360度真っ白けやんけー!
どちらを向いても何も見えない…視界ゼロというのは妙に怖いものなのだとよくわかりました。風魔の霊霧に襲われた高耶さんたちの気持ちが何となく理解できた気がしました。

また、ここも『群青』での刺客襲撃ポイントになります。

<箱根ロープウェイは早雲山から桃源台まで全長四キロ。地上との高低差が大涌谷・早雲山間で百三十メートルもある。大涌谷は神山の爆裂火口の跡で、ロープウェイの下は赤茶けた岩肌の険しい谷となっている。ゴンドラ落下はそこで起きた>(『群青』117ページ※文庫版)

しかし折角のミラツアポイントも何が何やらさっぱりです。
大涌谷で降りて、黒たまごを売っている「玉子茶屋」まで散策します。地上に降りてもやはり霧で視界はほとんどない状態です。

大涌谷は、『群青』で氏照兄と松田勝秀が対決した舞台でもあります。かつて「大地獄」と呼ばれていた、あの迫力のある景色を見たかったのですが…、またいつかリベンジします。
大涌谷名物・黒たまごが蒸し上がるところ。

黒たまごは、まず約80度の温泉池で60分ほど茹でた後、約100度の天然の蒸し器で15分ほど蒸して作られているそうです。

殻が黒いのは、表面の小さい気孔に、温泉の成分である鉄分が付着し、これに硫化水素が反応して黒い硫化鉄になるからなのだとか。
できあがった黒たまごは、大涌谷駅付近の売店まで専用のロープウェイで運ばれます。たまごがロープウェイで運ばれてるって、何ともシュールな光景です。
で、これがその黒たまごです。

ばら売りはなくて、5個500円のみの販売なのは、商売戦略ですね。

黒いのは殻だけで、中身は普通のゆで卵。味も普通のゆで卵です。帰宅してから亀きち&亀ぞうに白身の部分をあげてみましたが(黄味の部分だと水中で溶けてしまうので)、喜んで(?)食べてました。
大涌谷から再びロープウェイに乗り、桃源台を目指します。

霧の向こうに芦ノ湖が見えてきました。
桃源台駅から芦ノ湖を見下ろして。

湖面の霧を期待していたんですが、ダメでした。どうやら湖面の霧というのは、早朝に、気温と水温の関係で発生するそうですね。

この時、雨は止んでいました。
前日と同じように、海賊船に乗って、芦ノ湖へゴー。

周囲の山々は濃霧をまとっていて、どこか幻想的で神韻とした情景を堪能できました。駒ケ岳行きは諦めざるを得ませんでしたが、この霧ならではの雰囲気も楽しめたので、よしとしましょう。


水面が波立つと、氏康パパを思い起こしてしまいます。


芦ノ湖の南方から湖心を望んで。
箱根神社で北条の手からツツガ鏡を奪った直江が、息を引き取った高耶さんとともにボートでやってきたのは、この辺りでしょうか。

<湖心のあたりはなお深い霧に包まれている。直江はボートのエンジンを切った。静寂が押し寄せてきた。ボートは湖のちょうど真ん中あたりで停まった。波打っていた湖面もやがて静まりかえる。四方を青々と囲む箱根の山並みは霧に閉ざされて望むことはできなかった。>(『覇者の魔鏡・中篇』216ページ)

<冷たい高耶の身体をじっと抱いたまま、直江はこの目で見る最後の光景を、深すぎるほどの感慨を込めて見つめていた。この湖が、霊域と呼ばれ、神のすむ湖だと信仰された理由がいまよくわかる気がした。(略)この深い水底に、浄土がある。神の湖にいだかれて、あなたとともに眠ろう。あなたを封じた魔鏡にいま、おのが魂を封じ、深い水底に鏡を沈める。(略)永遠に、あなたのそばにいる。あなたのそばにいる。もう……はなれない>(『覇者の魔鏡・中篇』216〜218ページ)

この最高に幸福な終わりを、結局直江は選択することができませんでした。「このひとを死なせたくない。生きていてほしい……」そう願ったのは、究極のところ、自分も死にたくないという自らの生への醜い執着のためなのか、それとも、彼が生きていれば、その身体を獲得する日も来るかもしれないという浅はかな肉欲のためなのか。直江という男の行動原理が、正義や忠誠心というきれいごとだけで推し量れないのは確かでしょう。嫉妬、見栄、自己愛、征服欲…そんなエゴの塊のような男が浄土を選べなかったのは、当然なのかもしれません。でも、そんな人間臭い直江だったからこそ、こんなにも長い間景虎を愛し、景虎に縛られ続けていたのだと思います。そして、傷ついた高耶さんの魂を温かく包むことができたのも、直江という熱い血の通った男の体温だけだったのだろうと思います。

船は、前日行った箱根神社の平和鳥居の傍を通り過ぎて、元箱根へと向かいます。
元箱根港。写真の鳥居は、箱根神社の第一鳥居。

景虎に脅された遠山が、小太郎と待ち合わせたのが元箱根の伊豆箱根桟橋の駐車場でした。「伊豆箱根桟橋」という名称の桟橋は実際には無いようですが、恐らくは伊豆箱根鉄道(西武グループ)の遊覧船が発着する桟橋のことだと思われます。その桟橋は写真左手の方にあります。…すみません、撮影しそびれました。

それにしても、小太郎と遠山はここから九頭竜神社まで歩いたわけですが、相当の距離があります。戦国人の足をなめるなよ、ということなのでしょうか。でも、宿体は現代人のものですよねえ。
海賊船を降りると、もう1時近く。昼食を食べるところを探します。

入ったのは「あしのこ茶屋」。小田急の系列なので、箱根フリーパスの提示で割引が適用されました。

こちらは大海老天ぷらそば。特に名物というものではありませんが、天ぷらもおそばも美味しかったです。
あしのこ茶屋を出て、元箱根港のバス停まで戻る間に通り過ぎた「賽の河原」。鎌倉時代後期に作られた貴重な石仏もあるのだそうです。

<この芦ノ湖は箱根神社の「御手洗の池」として神聖なものとされているが、室町後期から江戸時代にかけては「湖底に地獄がある」という庶民信仰が起こったという。元箱根にある賽の河原は、ここに由来して作られたものだった>(『群青』140ページ※文庫版)

直江が夢見た浄土も、地獄だったとは皮肉です。それとも景虎様と一緒なら地獄も天国…なのでしょうか。
元箱根港のバス停から、今度は旧街道経由のバスに乗ります。

写真はさっき入ったあしのこ茶屋の前を通り過ぎるところ。左手に芦ノ湖があります。
旧街道の途中でバスを降り、ミラージュとは関係ない場所に立ち寄ります。「甘酒茶屋」です。

400年余りの歴史をもつこの茶屋は、かつて東海道を歩いて旅する人々がほっと一息つける休憩所として賑わったそうです。
甘酒はホットとアイス、両方あります。気温的にはどちらでもOKな感じでしたので、ひとつずつ頼みました。温かい方にはフキの佃煮が付いてきます。

ここの甘酒は砂糖などの添加物を使わない昔ながらの製法で作られているそうで、普段甘酒が苦手な方にも飲めそうな、やさしい味わいです。

甘酒は各400円。フリーパスで割引が利いたようですが、出すの忘れました…。
天井は立派な梁が渡してあり、いかにも歴史ある建物のようですが、現在の建物は2009年に改装したものなのだそうです。

店内の灯りはほのかに燈る程度で、囲炉裏などもあり、いい雰囲気です。美味しい甘酒も飲めたし、立ち寄ってよかったです。
この頃には、また雨が強く降り出してきました。本当に降ったり止んだりのお天気です。昔の旅人もここで雨宿りをしたことでしょう。

この近くに旧街道の石畳の道があるそうなので、行って見たかったのですが、この雨では無理でした。また次の機会に。

旧街道経由のバスは1時間に2本くらいしかないので、バスで立ち寄る方は、事前に時間をチェックしておくことをオススメします。
やって来たバスに乗り、引き続き旧街道を湯本へと向かいます。

高耶、直江、綾子の3人が箱根を出る際に通ったのは、この旧街道かと思われます。『覇者の魔鏡・後編』51ページに
<箱根新道に出てからは、道はほぼ直線となる。小田原から高速にのるにはこちらが一番早い>と書かれていますので、彼らは元箱根から先ず旧街道を通り、途中の須雲川ICで新道に入ったのでしょう。

ここは、旧街道の難所・七曲(ななまがり)。3人が風魔の幻術にかかったのはこの辺りではないでしょうか。
<「前が見えません……!」「オレが眼になる! 言うとおりにハンドルをきるんだ!」右だ、と高耶が言った。その直後に、直江の耳へ≪左だ……≫と正反対のことをささやくものがあった。(なに……)幻聴だった。惑わされるまいと、高耶の声のとおりに右へハンドルをきる。高耶にしたがったおかげで右カーブはなんとかこなした。>(『覇者の魔鏡・後編』49ページ)

こんなすごいカーブで、前が見えない上、スピードも落とせないなんて…。そう言えば、日光のいろは坂ではツツガに乗っかられてたし、直江のウィンダム、災難続きですね。
七曲を過ぎてしばらく行くと、箱根新道へ入る分かれ道があります。バスはこのまま旧街道を走りますが、高耶さんたちはここから右の新道の方へ行ったようです。

新道でも幻術はまだまだ続きました。対向車にぶつけられそうになったり、たくさんの生首に追っかけられたり(怖っ)、落石攻撃を受けたりしていましたね。ウィンダムに箱乗りしながら障害を次々とクリアしていく高耶さん、かっこよすぎです。
湯本駅へと戻ってきました。

駒ケ岳に行かなかった分、時間が余ってしまったので、みやげ屋さんが連なる駅前通りをそぞろ歩きます。
杉養蜂園のはちみつソフトクリームを食べました。何か、観光地に行く度、ご当地ソフトを食べてる気がしますが、これはご当地ソフトというわけではなく…。杉養蜂園というのは熊本にあるようです。販売店は全国にあるようですね。

口に入れた瞬間は普通のソフトクリームと何ら変わりないんですが、溶けた瞬間、鼻から抜ける香りがはちみつ独特の香りです。しつこくなくて美味でした。
いくつかみやげ物を買った後、再び駅に戻ってきました。
ロマンスカーの出発時刻まで、まだまだ時間があるので、駅中の「箱根カフェ」で時間をつぶします。

今回の旅では「東海道」に触れる機会が多々ありました。昔の人は旅の途中で何を食べていたのだろうとか、宿賃がない人は野宿だったのかなとか、そんなことをだらだらと話していました。

歩いて旅をするって、今から考えると、とんでもなく大変なことだと思います。食糧にも困るでしょうし、山賊などの危険もあったかもしれません。風雨にも晒されなくてはならないし。今でこそ私たちは気軽に旅をしますけれども、昔は一大決心を以って臨むものだったんでしょうね。
帰りのロマンスカーも、このEXEとかいうゴールドの車輌でした。相方は展望席のある赤い車輌に乗りたかったらしいです。

ロマンスカーの展望席って、特別料金なしで乗れるらしいですね。一度乗ってみたいです。
箱根湯本の駅で購入した「東華軒」の「小鯵押寿司」。相模近海で獲れる鯵で作られた小田原名物です。なんと明治36年から販売されているのだとか。

写真はしょぼくなってしまいましたが、脂がのっていて、生臭くなく、美味しい押寿司でした。

高耶さんは松本生まれの松本育ちでも魚好きなはずです。相模も越後も魚が美味しいところですから。

前日の残りの「箱根のしずく」を呑みながら味わいました。旅の帰り道に呑む酒っつうのも旨いんだな、これがまた(笑)。
それでは、みやげ物紹介コーナーです。

「いか塩辛ゆず入り」は小田原の「しいの食品」のものです。試食で頂いてウマウマだったので。

その右側にちんまりとあるのは、旅館の部屋にお茶請けで置いてあった梅干です。はちみつ入りで、まろやかな味でした。小田原は梅干も有名ですね。

というか、箱根の食べ物って、やっぱり小田原のものがほとんどなんですね。箱根独自の特産品ってあんまりないのかな?
工芸品なら、「寄木細工」が有名です。

春に小田原でも買いましたが、今回も小さいアイテムをいくつか買ってみました。箸置きと根付とペンダントトップのようなもの(?)です。自然の色で作られた緻密な幾何学模様がなんとも美しいです。

今回のミラツアは雨と霧に遭い、一部計画変更もありましたが、それなりに楽しく、有意義な旅でした。早雲寺と箱根神社に行けたのが、やっぱり嬉しかったです。濃霧の外輪山に囲まれた芦ノ湖もいい雰囲気でしたし、高耶さんたちが幻術に襲われたと思われる七曲の街道も通れました。残念だったのは、大涌谷と駒ケ岳。それは、次回の旅のお楽しみということで。
これで、『覇者の魔鏡』の三大聖地=日光、小田原、箱根を制覇したことになります。今年は魔鏡イヤーでした。次こそは、関西以西に進出したいところですが…どうなることやら。

 






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