わだつみの広島ツアー

〜宮島で潮の満ち干を楽しもう!

後編




◆旅行日:2012年10月14日〜15日

◆行程:
※下線はミラツアスポット
クリーム色文字は前編にて

◇10月14日:
東京駅→(のぞみ)→広島駅→(徒歩)→広島駅北口観光バス待機場→(徒歩)→広島駅南口→(徒歩)→アーバンビューグランドタワー(広島グランドホテル跡地)→(徒歩)→広島城→(徒歩)→旧広島市民球場跡地→(徒歩)→相生橋→(徒歩)→原爆ドーム→(徒歩)→宝(ランチ)→(徒歩)→平和記念公園→(徒歩)→平和大通り〜鯉城通り→(徒歩)→紙屋町西駅→(広島電鉄)→広電宮島口駅〜宮島口フェリー乗り場→(松大汽船)→宮島(松大桟橋)→(徒歩)→御笠浜→(徒歩)→表参道商店街〜町家通り〜表参道商店街→(徒歩)→フェリー乗り場待合室→(徒歩)→宮島桟橋→(宮島参拝遊覧船)→大鳥居→(宮島参拝遊覧船)→宮島桟橋〜松大桟橋→(松大汽船)→宮島口〜広電宮島口駅→(広島電鉄)→胡町駅→(徒歩)→お好み村・大丸堂(夕食)→(徒歩)→魚樽本店(居酒屋)→(徒歩)→ホテルニューヒロデン

◇10月15日:ホテルニューヒロデン→(徒歩)→広島駅→(JR山陽本線)→新井口駅→(徒歩)→商工センター入り口駅→(広島電鉄)→広電宮島口駅〜宮島口フェリー乗り場→(松大汽船)→宮島(松大桟橋)→(徒歩)→厳島神社→(徒歩)→ロープウェー紅葉谷駅→(ロープウェー)→ロープウェー獅子岩駅→(徒歩)→弥山本堂、霊火堂、三鬼堂→(徒歩)→弥山山頂、展望台→(徒歩)→干満岩→(徒歩)→ロープウェー獅子岩駅→(ロープウェー)→ロープウェー紅葉谷駅→(バス、徒歩)→牡蠣屋(ランチ)→(徒歩)→千畳閣→(徒歩)→大鳥居→(徒歩)→ミヤトヨ本店、やまだ屋本店(もみじまんじゅう購入)→(徒歩)→松大桟橋→(松大汽船)→宮島口〜広電宮島口駅→(広島電鉄)→…途中下車寄り道…→広電広島駅→(徒歩)→JR広島駅→(のぞみ)→東京駅

◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




翌朝起きたのも、まだ暗いうちでした。広島ミラツア二日目はいよいよクライマックスの厳島神社と弥山へ。


薄明の中、ホテルをチェックアウトして広島駅へ向かいます。
6時14分発のJR山陽本線に乗車。


そうなんです、広電じゃないんです。広電はこの時間、まだ始発が出てないので。
「商工センター入り口」という駅で広電に乗り換え。


JRに乗ったままでも宮島口まで行けますが、折角ですからフリーパスを使います。
昇ったばかりの太陽を拝みながら宮島口へ向かいます。


今日は天気が良さそう。弥山からの眺めも期待できるかも。


海に浮かんで見えるのは牡蠣の養殖場かと思われます。
宮島口に到着。


右の方にJRのフェリー乗り場、左の方に松大汽船のフェリー乗り場があります。


萩から駆けつけた七里頼周らの黒い車が停まったのはこの辺りでしょうか(後編164ページ)。
前日撮影しそびれた宮島口のフェリー乗り場の様子(松大汽船)。

<止めに入る職員をなぎ払い、頼竜は船へと駆けた。無理矢理船に乗り込む僧衣の一群を、職員が大挙して止めにかかる。ついには警察官まで駆けつけ、大混乱になった>(『わだつみの楊貴妃・後編』199ページ)

闇戦国一しぶとい男・頼竜。ほんとは高耶さんのこと好きなんだろ、とか突っ込みたくなるのはオレだけ?(笑)。結局この後頼竜はモーターボートに乗り、海上で奮闘する高耶さんの邪魔をしたものの、天狗軍団に阻まれて一旦行方知れずとなったのでした。
こちらは待合室の様子(松大汽船)。

<綾子たちと宮島口で合流したとき、友姫は鳴美の体からすでに離れた後で、元に戻った鳴美とさつきは身を寄せあうようにして連絡船の待合室に座っていた>(『わだつみの楊貴妃・後編』266ページ)

松大汽船の方には確かに小さな待合室がありました(JRの方は未確認)。友姫と漁姫の結末があんなだったので、この二人が無事だったことには少し救われる思いがします。
松大汽船の始発(7時15分発)に乗って、宮島に到着。

<桟橋周辺は身動きもとれないほど人々が集まっている。宮島の町は大パニックになっている。(略)高耶と小太郎も松大桟橋から『大和』の猛攻ぶりを固唾を呑んで見つめている>(『わだつみの楊貴妃・後編』196ページ)

松の木でよく見えませんが、こちらが松大桟橋。この後、高耶さんは大和が信長に攻撃されるのを見て、聖崎(写真で右の方向)に向かって走り出したのでした。
「日本三景碑」が建っていました。


世界遺産だし、国宝は多いし、日本三景のひとつだし…。宮島は一大観光地なわけですよね。
当然、お店はまだ開いていません。人通りも無し。
お店のシャッターが開く音を聞いて寄ってきた親子鹿。食べ物をくれると思ったのかな。

宮島では、以前は鹿せんべいなどを売っていたそうですが、今では市街地に増えすぎた鹿を自然へ還すため、廿日市市は餌を与えないよう呼びかけています。ゴミ袋などを誤って食べてしまうことも頻繁にあるとのことですので、自然に還せればそれに越したことはないのでしょう。しかし、人間のせいで野性を失くしてしまった鹿に、他に食べ物がないのにただ餌やりを禁じるだけというのも酷な話です。地元の人は、飢えた鹿に余った野菜屑などをあげることもあるのだそうです(※写真のお店とは関係ありません)。
海岸沿いに、厳島神社の方へ。
昨日写真を撮った辺りまで来ました。


朝陽に映える大鳥居も美しい。
厳島神社の社殿はいい感じに水の中です。


この時の潮位は300cm弱。嚴島神社が海に浮かんで見える潮位の目安は250cm以上だそうです。


厳島神社のマップです。参考までに、作中に登場した場所を印しておきました(「東廻廊」は確か出てきてません。また「不明門」は名称は出てきていませんが、「本殿奥の扉」として書かれているのがこれのことかと思われます)。ベージュ色は屋根がある部分です。

こちらは拝観入り口。


一方通行になっていますので、出口は反対側です。
時刻は7時45分くらい。時間が早いため、あまり人影がありません。

写真は東廻廊から見た祓殿〜高舞台〜平舞台〜灯籠の辺り。


厳島神社の創建は、推古天皇即位の年(593年)。その後、1168年に平清盛によって現在の規模にまで整えられたのだそうです。
海上にめぐらされた廻廊(こちらは東廻廊)。


潮の満ち引きで全く異なる景観を見せるなんて、本当に心憎い演出です。


このように、人のいない廻廊を撮れるのは、早朝だけ…なんだと思います。
厳島神社の廻廊と言えば、信長公の初登場シーンが印象的でした。

<大勢の家臣たちのなかを、織田信長は堂々と歩いていく。全身にみなぎる威厳は、まさに覇王の名にふさわしく、力に満ちていて、その姿を見た者たちはあまりの迫力に言葉を失って身震いを起こすものもいた>(『わだつみの楊貴妃・中篇』74ページ)

闇の中、篝火に浮かび上がる廻廊。その廻廊の両側に居並ぶ数十人の男たち。その中を堂々と歩いていく魔王・信長。身震いする気持ちもわかります。※このシーンが東西どちらの廻廊かは不明です(写真は東廻廊、奥が本殿の方向)。
東廻廊から望む豊国神社(千畳閣)と五重塔。


千畳閣は後ほど訪問します。
社殿から見る大鳥居もまた素敵です。
東廻廊の角まで来て、本殿の後方に何やら門が見えました。恐らくは、これが神様の通り道とされる「不明門(あけずのもん)」なのでしょう。

<不意に本殿の奥から不気味なうなりが聞こえてきたかと思った途端、いきなり扉があけはなたれたのだ。(略)突如、撃ち放たれたのは神気だ。厳島神社の祭神・市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命らがついにその神威を発動したのである>(『わだつみの楊貴妃・後編』240〜241ページ)

上記で「恐らく」と書いたのは、別の門(写真の門よりもっと奥にある。マップの
の場所。神社裏手から見に行けるらしい)を「不明門」としているHPや雑誌もあるからです。しかし、「不明門は厳島神社の中で唯一の瓦葺き」などと書かれている文章もあることから考えると、こちらの門が「不明門」なのだろうと思われます(の門は瓦葺きではない)。まあ、どちらも山から下りてくる神様の通り道には違いないのかもしれませんね。
東廻廊の角にて。


色んな角度で、それぞれ異なった美しさを見せる社殿。横を向いてみたり、振り返ってみたりしながら、ゆっくり進みます。
足下を見ると、床板の間には若干の隙間が。


これは造りが雑なのではなく、高潮による浸水で床が浮き上がってしまうのを防ぐための工夫なんだそうです。
拝殿の前までやって来ると、巫女さんが何かの舞を舞っていました。巫女さんが居る場所が拝殿、その奥に祭壇らしきものが見えるところが本殿になるかと思われます。信長は、厳島神社に居る間、主にこの拝殿にて指揮を執っていたようです。

<祭壇の正面にはいやに場違いな、背もたれの高い派手な西洋風の装飾がほどこされた椅子が置いてある。譲は祭壇に背を向けてその椅子に座っている>(『わだつみの楊貴妃・後編』66ページ)

神社に西洋風の椅子とは、さすが信長公。
そして、ラストバトルの際、信長が譲の姿でひとり、高耶さんたちを出迎えたのも、ここ拝殿でした。

<拝殿のなかを見て、高耶たちはおもわず息を呑んだ。誰もいないと思われた拝殿にひとがいる。少年だ。祭壇のまえの派手な装飾の大椅子に脚をくんでゆったりと座っている。「ようこそ、上杉の諸君」>(『わだつみの楊貴妃・後編』249ページ)

写真は拝殿と祓殿の間の通路から拝殿の方を向いて(その奥に本殿。拝殿と本殿には観光客は入れません)。
こちらは、拝殿と祓殿の間の通路から祓殿の方を向いて。屋根がなくなった辺りに高舞台があるのが見えます。


譲の体で一歩一歩詰め寄る信長に、高耶さん、千秋、綾子の三人は思わず後ずさります。祓殿の中は入れないようになっていますが、三人は柵を越え、この祓殿の中を後ずさったのだと思われます。
上の写真と同じ位置から望遠で外を撮るとこんな感じ。


高舞台があり、その先に(ここからだとよく見えませんが)平舞台、そこから突き出た桟橋、桟橋の先端に灯籠、更にその先、海中に大鳥居が建っています。
祓殿を回って逆側に来ました。目の前が祓殿、通路を挟んで拝殿、本殿と続きます。

信長の挑発に痺れを切らした千秋と綾子ねえさんは、高耶さんの制止を聞かず、信長に向かって凍結波を撃ったのでした。

<念が跳ね返され、千秋と綾子は真正面からまともにくらった。「ぐっ!」 ふたりは平舞台のほうまで弧を描いて跳ね飛ばされた>(『わだつみの楊貴妃・後編』253ページ)
祓殿の前から大鳥居の方を向いて。目の前にある一段高くなっている舞台が高舞台。その向こうに千秋たちが跳ばされた平舞台があります。

そして、二人に駆け寄ろうとした高耶さんも、信長に阻まれ、投げ飛ばされたのでした。

<立ちはだかれ、驚いた高耶の襟を目にも留まらぬ勢いでつかみあげると、信長は片手でおもいきり高耶を投げ飛ばした。「うあ!」 高耶の体は高舞台を越えて、海に突き出た桟橋にまで飛ばされ、たたきつけられた>(『わだつみの楊貴妃・後編』253〜254ページ)


こちらがその「海に突き出た桟橋」。一般には「火焼前(ひたさき)」と呼ばれるそうです。

<「どうした刃向かってみろ」 威圧され、高耶は、じり、とあとずさる。信長はゆっくりと歩み寄り、桟橋の先端へと高耶を追い詰める。(略)後ずさった高耶のかかとが灯籠の石台にあたり、もたれかかるように座り込んだ。桟橋の先端だ。あとがない。下には潮が満ちている>(『わだつみの楊貴妃・後編』254〜255ページ)

見事なドSっぷりで高耶さんを追い詰める信長。高耶さんは封じられた譲の意識を呼び覚まし、隙をついて凍結波を撃ちますが、あえなく信長の念波に押されます。そして、信長がとどめの一撃を放とうとした瞬間、高耶さんの背後で海水が突然間欠泉のように噴き上がり、高耶さんの手からその意思とは関係なく凍結波が撃たれたのでした。

<このとき、高耶の背後の白い影を、その正体を目撃したのは倒れ伏していた千秋だった。(あ……れは……)かすむ視界のなかに千秋は確かに男の影をみた。高耶の背後に立った人物、それは白いずきんをかぶった、僧兵姿の武将だったのである。千秋は、その者の名を知っていた。(――謙信……公……?)>(『わだつみの楊貴妃・後編』258〜259ページ)

結局このバトルに終止符を打ったのは謙信公でした。この頃の高耶さんは、後から考えると、まだまだ真の強さを取り戻していなかったようですね(萩城跡での荒れっぷりは凄まじかったですが)。四国編以降の闘いっぷりなどは、そら恐ろしくなるほどでしたから。それにしても、謙信公って謎です。魔王の種を凍結させる力があるなら、初めからやってくれればいいのに…なんて、言っちゃいけなかったですかね?(笑)



信長を封じた後、疲れ切った高耶さんは、この灯籠に体をもたせかけ、随分長い間、動くことができずにいました。美しい鳳凰の姿をした楊貴妃と友姫の魂が西の海へ飛び去っていくのを見送ると、心に思い浮かべるのはもちろん、あの男のことでした。

<冷えていく体を感じながら、高耶は思った。(もうすぐ悪い夢は終わる) 現実の世界にかえれる……。(略)目覚めた自分の枕元に、彼はきっといるだろう。そしていつものあの優しい微笑で声をかけるのだ。――目が、覚めましたか? と>(『わだつみの楊貴妃・後編』262ページ)

この自己暗示がとんでもない事態を引き起こすことになったんですよね…。しかし、そうとも思わなければ高耶さんは正気を保つことができなかったのでしょう。それだけ、直江という存在が大きかったということなのに…。

<打ち寄せるさざ波。疲れ切った体を灯籠にもたせかけ、高耶は静かに、うつむいた。(目が覚めたら、オレたちは今度こそ探り出せるだろう? 直江) おまえとオレの『最上』のあり方を>(『わだつみの楊貴妃・後編』263ページ)

失ってはじめて、そのものの真価を思い知る…なんて、言葉にしてしまえば非常に陳腐なことなんですけれども、この時の高耶さんを思うと、どうしてもそんな言葉を当てはめてしまいたくなります。もちろん、高耶さんが直江のことを大事に思っていなかったなんて思いませんし、景虎と直江のあの関係性においては高耶さんはああいう態度を取るしか選択肢がなかったのだということもわかります。しかし、今、やり直せると思うのなら、なぜ直江をあそこまで追い詰めてしまったのか。高耶さんを責めたくはない(高耶さんの弱さも高耶さんの魅力のひとつですから)ですが、ただひたすら悔しいというか…。
まあ、一歩引いて考えるならば、あそこまでこじれてしまった二人の関係がリセットされるには、「直江の死」は不可欠だったとも言えるでしょう。実際、「直江の死」を経た高耶さんは、直江(だと思い込んでいる小太郎)に対して以前より態度が柔らかくなったところがありましたし、直江(だと思い込んでいる小太郎)が自分を求めないことに焦りさえ覚える始末でした。直江にしても、「死ぬ」以前はあれだけ景虎に憎悪の念を燃やしていたのに、「死んで」からはひたすら高耶さんのことを案じ、早く傍に行きたい一心でした。総大将という任に就いて初めて景虎を理解した部分があり、人間的に成長したというのもあるのでしょうけれども、自分を失って小太郎を自分だと思いこむしかないほど傷ついている高耶さんを見て、凍てついていた心が溶けたというのが大きかったのではないかと想像します。『わだつみ〜』を最初に読んだ時は、なんだかとても苦しい気持ちっだったんですが、振り返ってみれば、「直江の死」は、言わば、歩み寄れない二人への「鉄槌」であると同時に、二人が後にひとつになるための「代償」だったのかな、と妙に納得できたりもするんです。

こちらは高耶さん視点の写真(灯籠を背に社殿の方を向いて)。


祓殿(正面の屋根がある部分)からこの桟橋まで、相当な距離を投げ飛ばされたんですね、高耶さん。
平舞台から。


背後には、漁姫が同化した干満岩がある弥山が聳えています。
こちらは西廻廊。


高耶さんたちは、出口の方から入り、この西廻廊を通って祓殿の方へ向かったのでした(後編249ページ)。
西廻廊から見た大鳥居。
西廻廊の角から祓殿の方向を撮影。


柱と欄干の影が落ちる廻廊もなかなか素敵です。
出口を出て振り返ったところ。


時刻は8時44分。たっぷり1時間かかりました。
こちらは、出口を出てすぐのところにある宝物館。


杉ノ浦で落ち合った高耶さん、千秋、綾子ねえさんの三人は、綾子が拝借したランドクルーザーをこの宝物館前に置いて、厳島神社に入っていったのでした(後編249ページ)。
この後、本当は千畳閣を見に行く予定だったのですが、先に厳島神社を見終えていた相方がロープウェーの方に向かってしまっていたので、千畳閣は後回し。ロープウェーの紅葉谷駅へ向かいます。


私は散歩がてら歩いて行きましたが、紅葉谷駅へは厳島神社裏手から無料送迎バスがありますので、そちらを利用すると便利です。
こんな裏道のような場所にまでもみじまんじゅう屋さんが。

このお店のすぐ向こう側を左右に走る道が「滝小路」という道なんですけれども、作中に名前だけ出ていました。吉川元春が「大和」の艦橋でかつての厳島合戦を思い出すシーンで、「滝の小路なるところ」で窮地に陥り、友姫と漁姫の父・熊谷信直に救われたのだと(後編183〜184ページ)。

宮島は神の島ですが、かつての激戦地でもあったんですね。滝小路の写真は…撮り忘れました…。
途中、仲睦まじい親子鹿に出会いました。
紅葉谷公園の中を通って、ロープウェー駅へ。
紅葉谷というくらいですから、当然紅葉の名所なのですが、10月中旬のこの時期、まったく色づいていませんでした。見頃は11月以降なんでしょうね。


この日はまだまだ暑くて、私は上着を脱いで半袖Tシャツで弥山に登りました。
相方と合流し、紅葉谷駅からロープウェーに乗ります。


ここも宮島フリーパスが使えます。上の獅子岩駅まで通常往復1800円かかりますので、とってもお得。
ロープウェーで登っていくと、眼下に大野瀬戸が見下ろせます。


萩で元春らを乗せた大和は、関門海峡を経て、呉に入港した後、この大野瀬戸へと侵攻してきたのでした。
途中で一回ロープウェーを乗り換えて、終点「獅子岩駅」を目指します。

厳島神社の後背地にあるこの森は、多様な植生が評価され、「弥山原始林」として、厳島神社とともに世界遺産に認定されています。

宮島は島全体が神の島として崇められており、土地を耕すことも、樹を切ることもタブーなんだそうです。そういった信仰が、宮島の自然保全に一役買っていたんでしょうね。


獅子岩駅近くにあった案内板。ガイドブックなどにも弥山山頂付近の地図は載っていたのですが、平面的なものはいまいちわかりにくくて…。このマップが一番わかりやすいです(赤字と黄色字は私の方で載せました。赤字はミラツアスポット)。ここから山頂までは片道約30分のハイキングになります。

弥山は、綾子・友姫・漁姫のおなご組と千秋が訪れた場所です。『わだつみ〜』は友姫と漁姫の不幸な昔話から始まったお話でしたけれども、この二人のストーリーが悲しいクライマックスを迎えたのがこの弥山でしたね。それにしても、ミラツアってスポーツだよな…としみじみ思ったり。

獅子岩駅近くから望む弥山山頂。


歩いてしまえば、結構あっという間(なんて言える私はこれまでのミラツアで免疫ができているのかも…笑)。
山頂目指していざ出発。


一応整備されているので、割と歩きやすい場所が多い…
…なんて思っていたら、ちょっと通りにくそうな道があったり。


地滑りの跡なんかも見かけました。
しばらく歩いていくと、弥山本堂に到着。おっと、こんなところにも鹿さんがいます。


<弥山頂上をめざした綾子ら三人はとうとう弥山本堂にまでやってきた>(『わだつみの楊貴妃・後編』189ページ)

ここには織田の兵が陣を据えていて、綾子ねえさんたちは一戦交えることになります。
こちらが弥山本堂。


広場を挟み、弥山本堂と向かい合うように建っているのが、「霊火堂」。そして、霊火堂の右手にある階段を上ったところに「三鬼堂」が建っているという位置関係です。
こちらが、霊火堂。右手の階段の上に三鬼堂も見えます。

<綾子は友姫とともに脇の林へ駆け出した。ほどなく後方が人々の騒ぎだす声が聞こえた。漁姫が暴れ出したらしい>(『わだつみの楊貴妃・後編』190ページ)

漁姫は陽動で、この後、綾子ねえさんが意表をついて三鬼堂の裏手から襲撃するんですが…、この階段以外に三鬼堂の方に回れそうな場所はちょっと見当たらず…。まあ、綾子ねえさんなら登れたのかもしれませんね。
<友姫は三鬼堂の左手にある古いお堂に入っていった。そこは不消霊火堂という。中に足を踏み入れると、壁や天井は煤で真っ黒になっている。真ん中に炉があって、これもまた煤で黒くなった大きな茶釜が、火にかけられている>(『わだつみの楊貴妃・後編』192ページ)

こちらがその霊火堂の茶釜と霊火。この火は弘法大師が焚いてから千二百年も消えずに燃え続けているのだとか。織田の兵を一掃した後、友姫は、ある目的のために、この霊火をたいまつにして持っていったのでした。
霊火堂の中はものすごく煙たくて、写真を撮るのがやっとでした。


ロープウェーで駆けつけた千秋に窮地を救われ、おなご組は更にこの上の頂上を目指します。


写真は霊火堂脇から三鬼堂へと続く階段。
階段の途中から振り返るとこんな感じ。


左奥が弥山本堂、右手前が霊火堂です。
こちらが三鬼堂(さんきどう)。祀られている三鬼大権現は、大小の天狗を従え、強大な神通力で衆生を救うのだそうです。

<千秋は懐から景虎の「紹介状」の木端神を取り出して、三鬼堂の戸を開いた>(『わだつみの楊貴妃・後編』196ページ)

この木端神は腰細浦で一旦別れた時に高耶さんが渡したもので、鞍馬山の魔王尊の力を借りたことのある自分の命なら、弥山に住む天狗の太郎坊と次郎坊を動かせるだろうと考えた高耶さんが、己の霊波パターンとメッセージを刻んでおいたものでした。利用できるものはとことん利用して、全力で敵に向かう高耶さん…。こういうところは、やはり総大将なんだなーと感心してしまいます。
呼び出された天狗の太郎坊は千秋とともに、頼竜のために窮地に陥っていた高耶さんを救い、次郎坊らは厳島神社を攻撃して織田勢を一気に追い払ったのですから、大活躍でしたね。


引き続き頂上を目指します。階段も少しきつくなってきました。
頂上手前にある「くぐり岩」。


崩れてきたらと思うと、ちょっと怖い…。
大きな岩の隙間から見えるのが、頂上の展望台。


途中の弥山本堂辺りで少々時間を取りましたので、獅子岩駅からここまで、結局45分くらいかかりました。
展望台全容。


ここも織田に占拠されていましたが、綾子ねえさんがすべて調伏したのでした。そして、この展望台の上から、元春の乗った大和が満珠と干珠を操る信長に攻撃されているのを見て、漁姫が悲鳴を上げます。
瀬戸内海が一望できるというこの展望台、随分と年季が入っているようですね。


実際の眺望を見る前に、瀬戸内海周辺の地理を復習してみましょう。


赤字は、『わだつみ〜』に登場した地名。見落としもあるかもしれませんが、それぞれの地名が出てきたシーンをピックアップしてみました。

広島港:@直江と軒猿の一人がここからへ向かうフェリーに乗る(前編88ページ)。A鳴美を探すため、高耶、直江、成田、さつきの四人がここから宮島行きのフェリーに乗る(前編219ページ)。その後、直江は高耶とともに萩へと連行され、「死亡」したので、直江のウィンダムは広島港に置き去りにされた。
峠島・似島・江田島:直江と軒猿が広島港からフェリーで呉へ向かう途中、この付近を通る(前編89ページ)。
呉港:@広島港からフェリーに乗った直江が到着(一緒に乗った軒猿は途中で村上武慶に殺される)(前編142ページ)。A元海軍兵たちの霊を乗せるため、付喪神・大和が入港する(後編145ページ、159ページ)。
岩国港:瀬戸内海の小島で高耶と直江が小太郎らに連行され乗り込んだクルーザーがここに到着。ベンツに乗り換え、萩に向かう(中編95ページ)。
能島:村上水軍の本拠地。千秋と鹿之介が潜入。大和の舟形があり、行方不明になった人々が踊り狂っていた。後に高耶も潜入し、舟形を破壊する。
来島海峡能島を脱出した千秋・高耶らの安宅船が毛利から離反した村上水軍と合流する(後編152ページ)。
倉橋島・周防大島:信長が満珠と干珠を使うことを予想した高耶が、村上武慶に、倉橋島沖周防大島沖に出向き、安芸灘を封鎖し、織田水軍を外海に出すなと命じる(後編153ページ)。
周防大島・江田島:織田は大和の呉入港を阻止すべく水軍を配置したが、周防大島沖で敗れ、最後の砦である江田島沖でも敗れた(後編144ページ)。
倉橋島・西能美島:高耶たちの安宅船は倉橋島の南に進路を取り、西能美島の西から宮島に向かった(後編171ページ)。
阿多田島:左手の島影から現れた陶方の小舟集団を、高耶は毘沙門刀の一振りで消し去った(後編172ページ)。
大野瀬戸:陶水軍を撃破した大和が侵攻してくる。信長の満珠と干珠に大和が沈められる。安宅船上の信長、氏康上の高耶、モーターボートで駆けつけた頼竜、天狗の背に乗った千秋…と、大混戦となる。



ついでに、宮島の地名も確認してみましょう。

包ヶ浦:尼子の屋敷が包ヶ浦を望む高台にある(後編90ページ)。
腰細浦:高耶、千秋、小太郎を乗せた安宅船が腰細浦に着く(後編174ページ)。
松大桟橋:人々がパニックになって桟橋周辺に集まる中、高耶と小太郎は松大桟橋から大和の猛攻ぶりを見つめている(後編196ページ)。
聖崎聖崎沖の大和が信長の満珠・干珠に攻撃され、船体から大量の霊が剥がれ落ちるのを見て、高耶は聖崎を目指して駆け出す(後編203ページ)。聖崎にいた高耶は、大和が砕け散ったのを見て、綾子に神玉を壊せと命じる(後編219ページ)。
杉ノ浦:信長と頼竜を一旦退け、海軍兵らの霊を調伏した高耶は、杉ノ浦で氏康の背から降り、千秋、綾子と合流して厳島神社へ向かう(後編243ページ)。

展望台から見た大野瀬戸(北の方角)。ここに大和が入ってきたんですね。満珠・干珠の威力は相当なものだったろうな、と想像します。


松大桟橋から聖崎まで、高耶さん、結構な距離を走ったんですね。
こちらは東の方角。晴れているんですが、遠くは霞んでしまって見づらいですね。一応、地図と見比べて地名を入れてみました(もし違っていたらごめんなさい)。

ところで、ひとつ不明なままなのが、高耶さんと直江が漂着した(そして、高耶さん強姦未遂事件があった)「瀬戸内海の小島」。これはさすがにモデルはなく、架空の島だろうと思っていたのですが、ネットで色々調べてみると、作中の島に極めて似た島があることが判明。それが、←の写真にも写っている「絵の島」です。無人島で、灯台があって、洞窟まであるというのですから、この島がモデルでもおかしくはないですね。織田の本拠がある宮島に近すぎる気もしますが、元々宮島に向かう途中で遭難したことを思えば、ここに漂着しても不思議はないですし。
絵の島、機会があれば行ってみたいけれど(直江が高耶さんにあんなコトやこんなコトをした洞窟を探してみたい/笑)、行く術がなさそうです。クルーザーでも持っていない限りは…。


こちらの写真は展望台から南の方角を見て。岩だらけの弥山山頂の様子が見下ろせます。岩の向こうに島影が見えるんですが、わかりますでしょうか。
望遠で見ると、こんな感じ。


この島が宮島の南方にある阿多田島かと思われます。高耶さんらの乗った安宅船はこの阿多田島の東に針路を取り、宮島に向かっていました。阿多田島の島影から陶の小舟集団が現れると、「雑魚に用はない」と言い、高耶さんは毘沙門刀の一振りで水軍の一団をなぎ払ったのでしたね。クールな高耶さんに痺れる一幕です。
さて、展望台からの眺めはこれくらいにして。綾子ねえさんたちおなご組の足跡を辿ります。弥山山頂でのクライマックスシーンと言えば、もちろんあの干満岩でのシーンですが…、原作を読むと、干満岩は頂上展望台のすぐ傍にあるような印象を受けるんですが、実際は少し離れたところにあるんです。


登ってきたのとは別の階段を降りていきます(この道も弥山本堂の方へ通じていて、こちら側から登って来ることも可能)。
2〜3分下っていくと、坂道の途中にひっそりとありました、例の干満岩。

<ゆっくりと漁姫は立ち上がった。干満岩に歩み寄ると、静かに背を岩にあて、両手を開いた。(略)まぶたをおろし、頭を岩に預ける。「さぁ、姉上」(略)友姫は矢をつがえ、漁の身体に向け、弓を思いきりひきしぼった。(略)「いさりぃぃぃ――っ!」矢が放たれる。黄金の矢は漁姫の胸をあやまたず射抜いた。矢はそのまま岩に吸い込まれ、岩全体が金色に変わる……!>(『わだつみの楊貴妃・後編224〜225ページ)

長年の憎しみを払いのけ、漁姫が姉・友姫と元春に対する愛情を、まるで幼い子供のように口にした瞬間は、思わずほろりときてしまいました。

しかし。後からよくよく考えると…、尼子屋敷で友姫が漁姫に一緒に弥山に行くよう告げた時には、別に犠牲者は漁姫じゃなくてもよかった…はずですよね? 憑依霊だったら別の人間でも…? まあ、漁姫の魂ならやさしい神様になれると信じたから、…かな?
<この穴には、満潮時には水があふれ、干潮時には乾くという不思議な現象が見られる。しかもあふれてくる水は海水なのだ>(『わだつみの楊貴妃・後編』209ページ)

その穴がこちら(上の写真の矢印の箇所)。この時の潮位は300cm以上あるはずなので、満潮に近いと思うのですが…。どうでしょう、ちょっと湿っている程度? 干潮の時の様子は、その時に来てみないとわからないですね。この水が海水かどうかは…、さすがに確かめる勇気はありませんでした(笑)。
そうそう、弥山でたくさん見られるという古代文字のペトログラフは、道々探してみたんですけれども、よくわかりませんでした。山頂でもう少しよく探してみればよかった。ちゃんとあるらしいです。


山頂からの眺めも見たし、干満岩もチェックしたし、そろそろ下山です。
ゆっくりペースで、行きは45分。帰りも結局40分くらいかかりました。


こちらは、獅子岩駅付近から望遠で撮った弥山山頂。展望台が見えますね。さっきまであそこにいたのかと思うと、不思議な感じ。
再びロープウェーに乗って紅葉谷駅へ。
帰りはバスで厳島神社の裏手まで送ってもらいました。
厳島神社の裏を通ると、社殿の下はすっかり干上がっていました。干潮時にのみ現れるという「鏡の池」が見えます。


時刻は12時過ぎ。潮位は240cmくらい。
海沿いを鹿さんたちがそぞろ歩いていました。


なんて長閑な風景なんだろう。宮島の鹿が幸せに暮らせることを願わずにはいられません。
さて、私たちはこの辺で腹ごしらえ。そう言えば、朝食は食べてなかったんですよねえ。


表参道商店街にやってきました。右側に「杓子の家」というお土産屋さんが写っていますけれども、宮島のお土産と言えば、昔から文字入りの飾り杓子が有名のようですね。かつては、「仰木高耶」とか「直江信綱」なんて名入りの杓子も売られていたそうじゃないですか(私も買いたかった…笑)。
こんな風に店頭で牡蠣を焼いている店もあったり。


こちらの「焼がきのはやし」も有名店のようですが、私たちが入ったのは…
こちらの「牡蠣屋」。


2008年にオープンした、まだ比較的新しい牡蠣料理専門店です。
じゃじゃーん。お目当てはこの「牡蠣屋定食」(2,000円)ですよ。これ、実は裏メニューで、店頭のメニューには載っていません(なぜだろう…HPには載っている)。


焼きがき、かきめし、カキフライ、牡蠣のオイル漬け、牡蠣入り赤出し(お椀が写真に入らなかった)の5種類の牡蠣料理が味わえます。この二日間で一体何個の牡蠣を食べただろう…。満足満足。
牡蠣づくしを食べ、お土産屋さんをぶらぶらし、御笠浜の辺りに来ると、大分潮が引いている様子。


大鳥居まで歩いていくには、もう少しですね。潮が引くのを待つ間、午前中行きそびれた豊国神社(千畳閣)に行くことにします。
豊国神社は、厳島神社のすぐ傍の高台に建っています。


豊臣秀吉の命により、戦没者供養のために建てられたものの、秀吉が急死したため未完成のまま現在に至っています。
<「明朝、配下のものを千畳閣に集めよ。秀吉(さる)めが作った寺は中途半端で情けないが、武者だまりにくらいは使える。軍議を開くぞ」>(『わだつみの楊貴妃・後編』70〜71ページ)

いかにもな信長の台詞ですね。確かに、だだっ広いので軍議を開くには良さそうです。

未完成のため、壁も天井もなく、吹きっさらしの状態なので、床は磨かれてぴかぴかなんですけれど、飾られている額絵などは痛みが半端じゃないです。貴重なものもあるだろうに…。
夜叉衆では綾子ねえさんがここに来ていましたね。弥山の山頂で満珠・干珠を封じた後、友姫とともにやって来て、ここを占拠していた兵を倒し、厳島神社の織田勢が天狗と神々によって追い払われる様をここから見守っていたのでした(後編242ページ)。


それにしても、この千畳閣、風がとても気持ちいいんです。高台にあって、壁も窓もないから、本当にいい風が来るんですよね。写真に何人かのんびり座っている人が写っていますけれども、ここでぼーっとしていたくなる気持ちがよくわかります。
豊国神社から降りてくると、なんと天狗に遭遇。どうやら、何か地元のお祭りがあるような雰囲気。


修学旅行中とおぼしき女子高生たちに取り囲まれたこの天狗。なんだか嬉しそうだなと思って見ていたら、「中の人はおじさんだよー」とか、鼻に触ろうとする女の子たちに「だめだよ、触っちゃ。かたくなっちゃうからー」とか言ってました…。下ネタかよ!(笑)。ま、女の子たちも楽しそうだったから、別にいいけど。
大鳥居の方を見ると、既に人が集まっています。


時刻は14時少し前、潮位は120cmくらい。宮島観光協会によると、大鳥居まで歩いていける潮位の目安は100cm以下とのことですが…、行けそうなので行っちゃいましょう。足もと、ゴアテックスでよかった。
御笠浜に階段があり、下に降りられるようになっています。


社殿の方はすっかり干上がっていますね。
足もとをよくよく見ると、小さいヤドカリがいっぱい。小さなカニも見ました。


GWの頃は潮干狩りもできるらしいです(大鳥居より内側は厳島神社の境内のため禁止)。
この二日間で何度も眺めた大鳥居ですが、こうして自分の脚で近づいて見上げると、また少し違った感慨がありますね。

高さ約16メートル、総重量約60トンのこの大鳥居。実は、根元が土に埋まっているのではなく、完全に自重で建っているってご存知でしたか? 地下に杭を打って地盤強化し、屋根の下の部分には5トンもの経石を詰めて安定を保っているのだそうです。

現在の大鳥居は、平安時代から数えて八代目、明治8年に建てられたものです。
鳥居の真ん中は、海水が川のようになって、沖へ向かって流れていました。


月の引力がこうさせているのかと思うと…、自然の力の神秘を感じてしまいます。
青空との鮮やかなコントラストに目が奪われます。
柱に付着したフジツボの間に無数の小銭が貼り付けてありました。


なんでも、落とさずに貼れたら願い事が叶うとかいう話があるそうで…。
柱の根元には…、天然牡蠣!?


さすが宮島だ。
大鳥居付近から見た瀬戸内海と対岸。


海も空も青くて、おまけに対岸の山まで青いベールがかかったような感じで。太平洋とも日本海とも違う、瀬戸内海独特の美しさというものがあるんでしょうね。
弥山を背景に、この大鳥居を見ると、本当にここが「神の島」なんだという気がしてきます。
社殿の方を見てみると…うわあ、すごい人の山です。修学旅行の団体さんが来ているようで。


早朝に拝観しておいて、大正解でした。
大鳥居付近から見た御笠浜。


修学旅行生が続々と厳島神社に向かっていきました。
これで、無事すべてのミッションが完了。


表参道商店街で買い物をし、時間がまだあるので、お茶でもしようと、町家通りにやってきました。


表参道商店街の人の多さとはがらりと変わり、こちらは静かで落ち着きます。
入ったのは、「ぎゃらりぃ宮郷」。

古民家をギャラリーとして再生させたお店で、アンティークショップと小さな喫茶コーナーも併設されています。

店内は和物グッズを展示販売していて、いい雰囲気。さり気なくお花が飾ってあるのもいい。
私はアイスココアを注文。甘さがちょうどよくて美味しかった。疲れも吹き飛びます。


厳島神社や表参道で人の波に寄った時、休憩しに来るには絶好のお店です。
窓の外には趣のある中庭が。


元は、築二百年の杓子問屋だったのだそうです。
すっかりリフレッシュしてお店を後にすると、町家通りをお祭りの一団が賑やかに通り過ぎていきました。
こちらは、表参道商店街にある「やまだ屋」(本店)。


宮島に来たら、やはりもみじまんじゅう買わないとね。やまだ屋は、種類が多く(季節限定ものなんかもある)、バラ売りしていて、自分で手で取って選べるので、楽しくてつい買いすぎちゃいます。
こちらは、フェリー乗り場のほど近くにある「ミヤトヨ」(本店)。おっと鹿さんが写りこんでしまった。


焼きたてを詰めて売ってくれます。やまだ屋みたいに大きなお店ではありませんが、こちらのもみじまんじゅうもなかなか人気らしい。
ミヤトヨで「アイスもみじなるものを買ってみました。


生地とアイスの相性は良さそうだぞ、と期待したんですけど、肝心なアイスが美味しくない…。まあ、暑い時、冷たいものを食べたい時はいいかも。
帰りのフェリーに乗る前にひとつ確認しておきたいことがありまして。

それは、高耶さんが松大桟橋から聖崎へ走ったルート。実際に歩いてみるほどの時間はないので、桟橋を少し過ぎた辺りから聖崎の方角を見てみたのですが、海岸線が入り組んでいるため、聖崎までは見えず、様子がよくわかりません。途中までは海岸線沿いに道があるようなんですが、地図で見ると、道路は途中で内陸の方に入り、杉ノ浦の方へ抜けているようです。それとも、徒歩でのみ通れるような道なら海岸沿いにあるんでしょうか。結局、ここからでは、よくわかりませんでした。
16時過ぎ、いよいよ宮島ともお別れです。大鳥居も見納めです。


宮島で写真を撮ると度々背景に写り込んでいた弥山ですが、どの峰が弥山頂上なのかと言うと…矢印の部分がそうです。右の峰は「駒ヶ林」という峰。見る角度によっては駒ヶ林の方が断然高く見えることもあるのですが、宮島の最高峰は弥山の535メートル。駒ヶ林は509メートルです。
船上から西の方角を眺めて。物語の最後に、鳳凰たちが飛び去った方角です。


前日は曇りだったため、夕陽を反射して輝く海は見られませんでした。ラストシーンで、高耶さんが直江を想いながら見つめていたのは、こんな風景だったのかな…と想いを馳せつつ、今回のミラージュツアーは無事終了。
新幹線の時間まで若干まだ余裕があったので、相方の希望で途中下車してブックオフに寄り道。


広島に来てまでブックオフに行かなくても、と思うんだけど。
夕飯のお弁当を買い、19時6分発ののぞみに乗車。
穴子と鯖のお寿司。穴子は実はあまり好きじゃないんですけどね…、お弁当あまり残ってなくて、他に選ぶ余地がありませんでした。


でも、食べたら割と美味しかった。食わず嫌いかな。
相方は穴子飯のお弁当。


広島は、穴子も有名なんですよね、そう言えば。
それでは、恒例、現地で買った土産物紹介コーナー。


厳島神社のお守りと、弥山の霊火堂の隣にあった無人販売コーナーで買った天狗の鈴。裏に「宮島弥山 三鬼大権現」と書いてあります。
ぎゃらりぃ宮郷で買ったポストカードと、町家通りにあった酒屋さんで買ったお酒「彌山」&茶さじ。


ポストカードの写真は結構お気に入り。墨絵のような色合いが幻想的で、端に小さく写る大鳥居の朱色が映えます。彌山は、原料米も広島県産にこだわって造られたお酒。辛口で味わい深い佳酒です。
色んな味のもみじまんじゅうを食べ比べ。一番右の一列だけミヤトヨのもの。他はすべてやまだ屋。列ごとに上から…

左から1列目:ハニービーナス、ピオーネ、安芸クイーン
左から2列目:みかん、レモン
左から3列目:つぶあん、こしあん、クリーム、抹茶
左から4列目:チーズ、あずき(ブルーベリー)、あずき(ゆず)

一番左の葡萄シリーズは季節限定で、すべて宮島産の葡萄を使っているのだそうです(宮島で葡萄を作っていたとは驚き)。みかん、レモンも爽やかで良かったし、抹茶なんかもオーソドックスだけど美味しかったです。でも、一番はピオーネかな。葡萄の風味が良かった。ミヤトヨのは、焼きたてだからか、生地がしっとりしていて私好み。チーズ餡のが美味しかったです。コクがあって、変に甘くないチーズを使っているのがいい。チーズもみじの元祖らしいですね。
今回、亀きち&亀ぞうへのお土産にいいものが見つからなかったので、このミヤトヨのもみじまんじゅうの生地の部分を少しあげました(普段は人間向けの加工食品はあげないのですが、こういう時だけ…)。普段食べない味にちょっとびっくりしていたようですが、ふたりとも気に入ったみたいです。
こちらは牡蠣づくし。オカンへのお土産です。

上段右側の二種類は燻製。下段の個装のは一夜干し。やっぱり燻製の方が美味しかったらしいです。

左上のは「かき醤油」で味付けされたのり(かき醤油も有名ですね)。こちらも美味しかったらしい。


お読み頂き、ありがとうございました。広島のわだつみツアー、いかがでしたでしょうか。私としては、初めて平和記念公園に行くことができましたし、潮の満ち干きによって姿を変える厳島神社は素晴らしかったし、食べ物も美味しくて、いい旅でした。
物語としては、高耶さんと直江の関係が最も険悪になり、ついには破綻を迎えた部分ということで、振り返ると、少し辛い気持ちになったりもします。最初に読んだ時、一番辛かった…と言うか、どうにも納得できなかったのは、「直江の死」という大事件よりも、素直になれない二人の態度でした。立場や性格、それまでの経緯などもあって、そんなに簡単に互いを受け入れられるものではないというのは、よくわかるんですけど、それにしても、ひどい言葉のやりとりに、どうしてそこまで傷つけ合うのだろうと…。内心の気持ちと、表に出す態度があまりに違いすぎて、人物像に一貫性がないような気さえしたりして。でも、まあ、高耶さん自身、「あいつの真実以外のものに、オレは惑わされない」と言っていたように、嘘や見栄や建前などすべて取り除いた、傷つけて痛めつけて最後に残った究極の想いしか、信じられないということだったのでしょう。逆に言えば、それくらい、自分が相手に寄せる想いも真剣だということ。「人を好きになるという気持ちは、それだけ恐ろしいということですよ」とは、『最愛のあなたへ』での直江の台詞ですが、この言葉は不吉な予言のように現実のものとなったわけですね。二人が血まみれになりながらも、妥協できない想いを赤裸々にぶつけ合っていたからこそ、彼らの生き様に魅了されるのだろうと、今になって改めて思います。

2012年はこの後、四国にも行っています。そちらのレポートはこれから。今回の旅から万歩計をつけてみました。歩数を載せておきます。もっと歩いてるかと思ったけど、意外と少ない。


万歩計データ:
10月14日:17790歩
10月15日:13272歩

2013.02.10 up








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