火輪ツアー 其壱

〜有名観光スポット編

前 編




◆旅行日:2015年10月22日〜10月24日

◆行程:
※下線はミラージュスポット
※グレー文字は後編にて

◇10月22日:
成田空港→(ジェットスターGK611)→阿蘇くまもと空港→(リムジンバス)→通町筋バス停→(徒歩)→熊本ホテルキャッスル→(徒歩)→行幸橋→(徒歩)→桜橋→(徒歩)→船場橋洗馬橋電停→(徒歩)→熊本県立第一高等学校→(徒歩)→桜の馬場 城彩苑(ランチ)→(徒歩)→加藤神社→(徒歩)→熊本城(頬当御門〜宇土櫓&天守&本丸御殿〜不開門)→(徒歩)→下通りアーケード新市街アーケード→(徒歩)→代継橋→(徒歩)→下通りアーケード・バルテカ エミリア(休憩)→(徒歩)→熊本ホテルキャッスル→(徒歩)→居酒屋・HERO海(夕食)→熊本ホテルキャッスル(宿泊)

◇10月23日:
熊本ホテルキャッスル→(徒歩)→藤崎八旛宮→(徒歩)→上通りアーケード→(徒歩)→テレビ塔→(徒歩)→堀端→(徒歩)→熊本ホテルキャッスル→(徒歩))→熊本城・市役所前電停→(市電)→
熊本駅→(JR豊肥本線:武蔵塚光の森国道57号立野駅立野火口瀬赤水外輪山)→宮地駅→(徒歩)→阿蘇神社→一の宮インフォメーションセンター→(徒歩)→阿蘇はなびし(ランチ)→(徒歩)→霜神社火焚殿→(徒歩)→道の駅阿蘇→(徒歩)→西巌殿寺→(徒歩)→阿蘇駅前バス停→(産交バス)→阿蘇市商工会前バス停→(徒歩)→おしま屋家具cafe(休憩)→(徒歩)→阿蘇ホテル一番館(宿泊)

◇10月24日:
阿蘇ホテル一番館→(徒歩)→下新町バス停→(産交バス)→大観峰入口バス停→(徒歩)→大観峰→(徒歩)→大観峰入口バス停→(産交バス)→阿蘇駅前バス停→(徒歩)→阿蘇駅→(JR豊肥本線)→立野駅→(徒歩)→武蔵茶屋(ランチ)→(徒歩)→立野駅→(南阿蘇鉄道)→南阿蘇白川水源駅→(徒歩)→白川吉見神社白川水源→(徒歩)→白川水源入口バス停→(産交バス)→高森中央バス停→(リムジンバス)→阿蘇くまもと空港→(ジェットスターGK614)→成田空港


◆同行者:パートナー



はじめに


このレポートで紹介する熊本&阿蘇ツアーに行ったのは、2015年10月。熊本&阿蘇は見所満載ですので、当然それだけでは回り切れず、2016年1月にも一人でツアーに出かけています。その後、2016年4月に熊本地震が起こり、現在2016年8〜9月にこのレポートを書いています。

自分の目で見て、すごいな、美しいなと思ったものが、今はその形をとどめていないというのは、何ともやり切れない気持ちです。ミラージュツアーでは、本編当時の建物がなかったり、様子ががらりと変わっていたりというのはよくあることですが、こういう災害で失われてしまうというのは悲しいと言うほかありません。

熊本城や阿蘇神社は大きな被害を受け、国道57号や阿蘇の鉄道はこれを書いている現在も不通の区間があります。これからご紹介する写真に写っている建物や風景は、現在とは様子が違うものも多くあります。「熊本&阿蘇って良いところでしょ、是非ツアーに行ってね」と言いたくても、これから行かれる方が同じものを見ることができないのが、個人的には一番つらいです…。

それでも、レポートはやはり書きます。まあ、これは自分の中での総括という意味合いが一番強いですから。熊本と阿蘇の復興は、長い時間がかかるとは思いますが、信じて待ちたいですね。私自身の熊本&阿蘇ツアーもまだ完結していません(阿蘇山上はまだ行っていない)し、また必ず行きます。このレポートは復興への祈りを込めて書くつもりです。ただ、レポート内では、被害状況についてさらりとご説明していきますが(時間が経つにつれて、徐々に復旧していくと思います。お出かけの際は、ご自身で下調べをなさって下さいね)、気持ちが暗くなってしまっても仕方ありませんので、震災のことはあまりくどくど書きません。あくまでも楽しい熊本&阿蘇のミラージュツアーを紹介するつもりで書きます。

前置きが長くなりましたが、それでは、いつも通り、熊本&阿蘇のミラージュツアーレポートを始めましょう。




火輪の王国シリーズは、最初にミラージュを読んで以降、一度も読み返したことのない部分でした。その時の印象は、高耶さんと直江がもうどこへも行き場がないような感じがしてとにかく苦しかった…というだけで、実は細かいストーリー展開などは忘れている部分が多かったです。内容的にも暗かったのと、私自身忙しかったことなどもあって、読むのもだいぶ途切れ途切れだったような覚えがあります。

熊本と阿蘇はもちろん、ずっと行きたいと思っていましたが、2014年10月にジェットスターが熊本就航したのを機に、これは是非行かねばならないと奮起し、ツアー前に、5冊、読み返しましたよ。そして、びっくり。
何でしょうね、最初に読んだ時より、恐らく何倍も感動してしまいました。火輪シリーズは5冊あるだけあって、物語に深みがありますね。もちろん、高耶さんと直江の関係性や上杉軍と闇戦国の変遷なども根底にありつつ、ヒムカ教や鬼八、ジュリアの話などが絡み、登場人物それぞれが持つ背景も掘り下げられていて、非常に読みごたえがありました。純粋に、ストーリー展開が面白い。

こういう書き方って、勢いと情熱がなければできないでしょうね。桑原先生、現在は昭和編を書いていらっしゃいますが、どんなに長くなっても話が複雑になってもいいので、またこういう書き方をしてくれればなぁと思ってしまいます。大人の事情などもあって、できないのかもしれませんけど。昭和編も楽しんでいますが、これから物語が展開していきそう…と思ったら、急に収束してしまったりするので、惜しい気持ちもしてしまうのです。
それはそれとして。

物語が壮大なら、ツアーもそれなりに大がかりなものになりそうです。というか、大変。何せ5冊ある中で、大部分が熊本&阿蘇が舞台になっているのですから、チェックしたい場所が多く、広範囲に及びます。

5冊読み終えて、主なスポットを書き出してみました。
<熊本>
熊本ホテルキャッスル、熊本城、加藤神社、古城高校、テレビ塔、下通り、上通り、新市街、船場橋、駅前ニューオータニ、藤崎八旛宮、熊本空港、石神山、本妙寺、江津湖、水前寺公園、熊本新港、花岡山

<阿蘇>
国道57号、立野駅、北外輪山、阿蘇神社、霜神社、西巌殿寺、国造神社、大観峰、白川水源

<阿蘇(山上)>
烏帽子岳中腹、古坊中、草千里、火山博物館、中岳火口周辺
すべてではありませんが、概ね以上のような具合でしょうか。阿蘇山上は、2014年8月から噴火警戒レベルが上がり、中岳火口付近に行けなくなっています(草千里や火山博物館までは行くことができますが、熊本地震後は交通機関や道路が不通の場合もありますので、行かれる場合は下調べして下さい)。山上部分はいつか規制が解かれてから行くことにしたいので、今回は除外。

それ以外の部分ですが、私たちの旅行は長くて二泊三日が限度なので、一度に回れるスポットには限りがあります。そこで、今回は普通に旅しても面白そうな観光地をピックアップして回ることにしました。観光地ではないマイナーなスポットは後日私が一人で回ることとします(10月のツアー出発時には1月のチケットを既に予約済)。そして、仕上げに、いつか中岳火口の規制が解かれたら、山上ツアー(高千穂とセットにしてもいいですね)という…火輪シリーズのミラツアは三部構成でお届けしたいと思っています。


最初に、熊本と阿蘇の大まかな位置関係を載せておきます。熊本市街地周辺は込み入っているので省略。熊本空港を挟んで東に阿蘇、西に熊本市街地があります。今回は、一日目に熊本市街地で一泊、二日目に阿蘇に移動して阿蘇で一泊、三日目に南阿蘇の白川水源に立ち寄ってから熊本空港から帰るスケジュールを立ててみました。マップ上で( )の付いているスポットは今回は立ち寄っていない場所です。

ツアー一日目。9時35分、ジェットスターで熊本に着地しました。

この時のチケット代は、一人往復で5,100円(セール価格)。安すぎる…。でも最近、この安さが普通になりつつある自分が怖い…。

熊本は、生まれて初めて…ではありません。そう言えば、高校の修学旅行が長崎と阿蘇だったんですよね。たぶん、草千里辺りに行っているんだと思います(記憶があやふや)。広い草原っぽいところに馬が放牧されている風景を覚えているので。でも、それだけなので、実質初めてのようなものですね。

気持ちの良い秋晴れです。
さて、しょっぱなからミラスポットです。熊本空港は、胸騒ぎがして高耶の身を案じた成田譲が羽田から到着したシーンがありました。

<熊本空港に羽田からの到着便を告げるアナウンスが響いた。まもなくして到着ロビーは全日空645便から続々と降りてきた搭乗客であふれかえった>(17巻『火輪の王国 後編』126ページ)

<めまいと吐き気と動悸を覚えて、譲はロビーの椅子に座り込んだ>(17巻『火輪の王国 後編』128ページ)

到着ロビーにはちゃんと椅子がありました。当時の様子とは違っているかもしれませんが。譲は熊本の濃い霊気に当たって体調を崩し、ロビーのあちこちに霊の姿を見つけてしまったのでした。
そして、実はこの飛行機に乗っていたのは譲だけではなかったのでした。衆目を集めながら登場したのは、あの斯波英士。

空港の玄関口に出た斯波を、烏帽子岳から逃れてきた加藤清正が満身創痍で出迎えたところを、譲が目撃しています。

二人が車に乗り込み構内から出ていくのを見届け、譲はタクシー乗り場からタクシーに乗り込みます。

写真はそのタクシー乗り場。
さて、私たちは、歯科医院の跡継ぎ息子のようにタクシーには乗りません。もちろんバスですよ、バス。

9時52分発の熊本駅前・西部車庫行きリムジンバスに乗車。熊本空港はバスが比較的多いので便利です。

早朝の成田空港行きのリムジンバスは暖房が入っていたんですが、熊本空港からのリムジンバスには冷房が入っています。10月下旬で冷房か。火の国熊本を実感…。
バスの車窓から、熊本空港を見て。


色つきのガラス窓なので、ちょっと色が変です。
乗り物に乗っても、油断できないのがミラージュツアー。

<九州自動車道の高架を過ぎた辺りから様子がグッとおかしくなった。いわゆるあれは結界というやつなのか。その中に入った途端、息ができなくなるかと思ったくらいの濃密な霊気にあたって、気分は悪くなるは悪寒はするわ、で耐えられず近くの公園で下してもらったのである>(17巻『火輪の王国 後編』133〜134ページ)

写真に写っている高架が、譲が異変を感じたという九州自動車道です(バスが走っている道は県道36号)。私たちもここから熊本の結界の中に突入します。
九州自動車道を越え、県道36号をしばらく行くと、自衛隊の駐屯地があります。写真に写っている道路の向こう側がその「陸上自衛隊健軍駐屯地」の敷地ですが、御厨樹里が黄金蛇頭を使って爆発させたという自衛隊駐屯地というのは、ここのことではないかと思われます。


<街を舐めて走った雷は自衛隊駐屯地の弾薬庫をまともに襲った。大爆発が起こった>(18巻『火輪の王国 烈風編』182ページ)
予定時刻よりやや遅れて、10時38分、通町筋バス停で下車しました。


上通りアーケードと下通りアーケードに挟まれたこの通りは、熊本で一番賑やかな場所ではないかと思います。通りの向こうには、熊本城の雄姿が見えますし、正に熊本を象徴するような場所ですね。


それでは、熊本市街地の中の位置関係を見ていきましょう。こちらは広域マップ。熊本城周辺は別に作ります。

●本妙寺…清正の廟があり、結界点でもあった。信長と清正らがここから大友VS島津の戦いを見ていた。綾子ねえさんが拉致された場所でもある(その後長い監禁生活が…)。17巻162ページ〜、18巻80ページ〜他
●石上山(の採掘場)…古城高校の屋上から、鬼八の首を抱えて飛び立った阿佐羅が潜んでいた。18巻164ページ他
●花岡山…島津が本陣を据える。阿蘇惟光が生前自害した場所でもある。17巻239ページ〜他
●水前寺成趣園…開崎と色部が会う。15巻206ページ〜
●江津湖…大観望を霊獣とともに去った高耶が意識を取り戻した場所。湖面に向けて高耶は開扉法を行うが、失敗する。18巻62ページ〜

すみません、このいずれも、今回は行きません。石神山を除く四か所は、次回1月のツアーで行っていますので、そちらを参考になさって下さい(このレポートの後に書きます)。水前寺公園は有名な観光地ですので相方と一緒に行っても良かったのですが、時間が取れませんでした。1月のツアーでは、熊本エリアでは以上の四か所+熊本港に行っています。


こちらは熊本中心部。今回行くのは、この範囲内にあるスポットです。
上通りから下通り、新市街へと至るアーケード街とその周辺は、熊本の繁華街。それぞれ作中にも出てきていました。
「第一高」と記したところは、「古城高校」のモデルになった学校です。清正公以前の熊本城があった場所ということで、住所的には「古城町」というところなんですね。
大友VS島津の市街戦では、古城高校の守りは坪井川を内堀、白川を外堀として、各橋に兵隊が配置されていましたので、橋の名前がちらほらと出てきていました。
熊本城近くにある「熊本ホテルキャッスル」は、高耶さんと千秋が宿泊したと思われるホテル。駅前のニューオータニは、開崎が宿泊していたホテルです。


地図三連チャンですみません。こちらは熊本城の周辺になります。ミラージュスポットには一部推定も含まれます。

さて、熊本空港からのリムジンバスを通町筋で下車した私たちは、宿泊する熊本ホテルキャッスルに一旦荷物を預けてから、坪井川沿いを洗馬橋まで歩きます。そこから古城高校のモデルとなった熊本県立第一高等学校の西側をぐるりと回って、桜馬場というお土産店や飲食店の集まった観光施設で昼食。その後、加藤神社を参拝し、高耶さんのルートを辿るように頬当御門から熊本城に入り、あの不開門から城外へ。それから夕方の繁華街を下通り〜代継橋〜新市街へと歩き、熊本ホテルキャッスルに戻ってチェックイン。翌朝、藤崎八旛宮まで散策に出るという行程です。

というわけで、先ずは、通町筋にあるパルコです。

<「十時からパルコでバーゲンなんだわ。はよ並んどかなん」>(15巻『火輪の王国 前編』29ページ)

古城高校に通う小金沢今日子は、数学の教師が入院で休むと聞き、学校を抜け出してパルコに向かおうとしたのでした。しかし、そこへ突然現れた非常勤講師(千秋)に見つかり、やむなく教室に戻されたのでしたね。5巻に及ぶ火輪シリーズの冒頭の、束の間の平和な一幕です。

ミラージュでパルコというと、松本を思い出しますね。ミラージュの女性登場人物はみんなパルコ好きなんだろうか。
通町筋から熊本城を望んで。

路面電車の走る繁華街の向こうに熊本城がそびえるこの景色は、一度は何かで見たことがあるのではないでしょうか。テレビや雑誌などでよく紹介される風景です。

この通りを突き当たって右方向に行ったところに、熊本ホテルキャッスルがあります。先ずは荷物を少し置いてから、散策に出かけることにします。
こちらが熊本ホテルキャッスル。逆光になってしまいました…。

通りを挟んで向こう側(今立っている位置のすぐ後ろ側)は、熊本城の敷地です。

作中にホテル名は出てこないのですが、@部屋の窓から熊本城が正面に見える(15巻59ページ)こと、A不開門からホテルへと帰るのに熊本城の堀端を通ること(15巻182ページ)などから、高耶さんと千秋が宿泊したのはこのホテルかと推測されます。

なお、すべての部屋から熊本城が見えるわけではありません。宿泊プランの中に、熊本城が見える部屋という指定がありますので、ミラージュツアーで行かれる場合は、そういうプランを選択されると良いかと思います。
熊本ホテルキャッスルの入り口。

まだチェックイン時刻にはなっていませんので、フロントで荷物だけ預かって頂きました。

それと、今回のプランは、熊本城と湧々座の共通入場券&桜の馬場で使えるクーポン付ですので、それらのチケットを受け取ってから出かけます。
改めまして、11時ちょっと過ぎに熊本観光に出発です。

坪井川沿いを歩いていきます。

画面右側方向に熊本城、左側には通りを挟んで熊本ホテルキャッスルがあります。
少し歩くと、坪井川沿いの道は、大通りを離れます。
ここからは遊歩道のような道が続きます。
途中、清正公の像があります。


やはり、熊本と言えば、清正公。熊本城、加藤神社、本妙寺など、清正公ゆかりの場所が多く、市民に愛されているという感じが伝わってきます。
こちらは、坪井川に架かる行幸橋。


この橋を向こう側へ真っ直ぐ行くと、熊本城の頬当御門、加藤神社へと続きます。
<高校の隣の税務署のあたりは、桜橋から行幸橋にかけて坪井川沿いに木々が植えられている。ふたりは肩を並べて雨の中を歩いた>(15巻『火輪の王国 前編』112ページ)


実はこの時、高耶さんと朱実が歩いた道はてっきりこの道だという想像をしていたのですが…、よくよく考えれば、坪井川の対岸の方だったかもしれません。
坪井川の向こう岸、木々で見えませんが、あの辺が「税務署のあたり」ということになります(熊本国税局が入っていた合同庁舎の建物があります。国税局自体はこの時既に別の場所に移転済み)。

坪井川沿いに歩くのに格好の遊歩道のような道がこちら側にあるので、てっきりこちら側の道だと思っていたのですが…。こっちは「並木道」という感じでもないんですよね。

それに、「税務署のあたり」と言っているので、川を挟んだこちら側ではなく、やはり税務署の前の道が正解なのでしょう。
因みに、古城高校は坪井川の西側、ホテルは東側ですので、川のどちら岸を歩いていてもおかしくはありません。しかし、これはやはり坪井川の西側だったかも…。

でも、ちゃんとあちら側の道も歩いていますので、その様子はまた後ほど。

写真は桜橋。桜橋を越えた辺りから、向こう岸は古城高校のモデルとなった第一高の敷地となります。
この遊歩道には、猫ちゃんがたくさんいました。


とらじまの猫ちゃん…カメラを向けた途端そっぽ向いてしまいました。つれないところが誰かさんを思い起こさせます。
桜橋を振り返って。


鬼八の首が暴走し、古城高校の裏門から逃げた色部らと、信長に支配された成田譲がこの橋で鉢合わせしていますが、この後、高校の周りをぐるりと回ってから桜橋近くまで行っていますので、こちらもまた後ほど触れます。
木々でよく見えませんが、この辺りの対岸は、もう第一高の敷地です。
船場橋に到着しました。路面電車も通る、そこそこ大きな橋です。島津との戦いで、古城高校に近い船場橋は、守りの重要拠点となっていました。

<横手五郎らとともに船場橋近くで戦っていたが、彼(成田譲)の力はずば抜けていて凄まじかった。(略) 船場橋は最重要地点だけあって攻めてくる敵は協力だ。逃げまどう生徒を譲が守った。その身からは金色のオーラが舞い昇り、本人は気づいていないが≪力≫を振るう際の表情は鬼のような迫力だ>(17巻『火輪の王国 後編』241〜242ページ)

奮戦していた譲ですが、この直後に魔王の種が活性化し、信長に意識を乗っ取られてしまうのでした。
その後、それぞれ阿蘇から駆け付けた高耶&哲哉と、織田につくことをやめ、彼らと合流した清正の三人が、この船場橋まで攻め上ってきたシーンもありました。

<船場橋の守りは固かった。城で言うなら虎口にあたる場所であり、御厨は精鋭部隊を配置していたらしい。高耶と根津を敵とみなすと通告されていたのか、おなじ古城生徒でも侵入は許してくれなかった。(略) 哲哉が指さしたのは古城高校の校舎のうえだ>(18巻『火輪の王国 烈風編』178〜179ページ)

哲哉らは船場橋付近から古城高校の屋上に御厨樹里が立つところを見ていたようですが、ここからは郵便局の建物が邪魔して校舎を見ることはできません。
船場橋の上から。


写真左側の建物が郵便局。古城高校はその向こう側です。
船場橋を渡ると、道路の向こう側に「洗馬橋」電停があります。


おなじ「せんばばし」ですが、橋の方は「船場橋」、電停の方は「洗馬橋」という表記になるようです。
<「ホントにもう、うっとりなのよう! 最高なのよう、斯波様!」 洗馬橋駅についた市電から降りてくる通学生徒のなかに、朝っぱらから妙に興奮気味な女子高生の姿があった>(15巻『火輪の王国 前編』14ページ)

火輪シリーズの冒頭は、稲葉朱実が洗馬橋電停を降りて登校する場面から始まっていましたね。

ところで、電停の隣に、タヌキの銅像があるんですが…なぜタヌキ?と思いつつ案内板を読んで納得してしまいました。
♪せんばやまにはたぬきがおってさ

の、タヌキだそうです。「せんばやま」の「せんば」ってここだったのか!と知り、ささやかに感動。

そう言えば、「あんたがたどこさ、肥後さ」って歌ってるんですから、熊本のことなわけで。でも、歌詞によれば、このたぬき、煮て焼いて食われてしまうんですよね…。

この後、ブラタモリでタモリさんたちもここを訪れていました。「せんばやま」と言っても周囲に山らしきものはありませんが、その昔、堀を掘ってできた土塁が「せんばやま」であり、そこにはタヌキも住んでいたのだということをやっていて、なかなか興味深かったです。

因みに、いくつか↑の船場橋の写真で橋の上にエビの像がありますが、あんたがたどこさの歌詞には「船場川にはえびさがおってさ」というバージョンもあるんだそうですよ。
郵便局の西側に回り込むと、ここでやっと道の突き当たりに第一高の正門と校舎が見えてきました。
古城高校の校門と言えば、やはり生徒会による登校時のチェックが印象的ですね。

<小さな堀を渡ったすぐのところが校門だ。校門にはいつものように、黄色い腕章をつけた生徒たちが立っている。校門は改札のようになっていて、登校してくる生徒はここで必ず生徒手帳をみせることになっていた>(15巻『火輪の王国 前編』16ページ)

門の手前に橋が架かっているのがわかると思いますが、この下が小さな堀になっています。今の熊本城の前身の古城のお堀です。
それから、高耶さんを探しに来た譲が、校門前に駆けつけたシーンもありました。

<聞いた話の通り、古城高校の正門前には警察やら報道関係者やら保護者やらがつめかけてえらい騒ぎになっている。「な……なんだ。なんだ」 正門は固く閉ざされていて、その向こうに何人か高校生の姿が見えた。彼らはまるで門番のように一定間隔で並んでいる>(17巻『火輪の王国 後編』137ページ)

生徒たちに植え付けられた蛇蠱が孵化し、校内は御厨の指揮で戦闘準備真っ最中という時。譲はその後、校門に現れた御厨に能力を見出され、戦闘員に加えられたのでした。
他に、御厨から報告を聞いた立花道雪と高橋紹運が車に乗り込み、校門を出ていくというシーンもありました(15巻254ページ)。

さて、第一高の西側へと回ってきました。さすが、城跡に建つだけあって、石垣に囲まれているんですね。↑の譲が駆けつけたシーンではこんな記述もありました。

<古城高校はさすがに元城跡にあるだけある。周囲を東側は坪井川が外堀、西側も高い石垣に囲まれ、門は郵便局側の正門とお城側の裏門のふたつ。守るにはちょうどいい地形条件になっている>(17巻『火輪の王国 後編』137ページ)
第一高の西側は、石垣と小さな堀を挟んで、「古城堀端公園」という細長い公園になっています。


高校の石垣沿いを歩いてみます。
立派な石垣はよく見えるのですが、こちら側が低いため、高校の様子はここからはよくわかりませんね…。


しかし、なるほど、いかにも城跡というのが実感できます。
石垣の上に何かの建物が見えます。クラブハウス?か何か?


県立高校なんですが、教室のある校舎や体育館の他にも色んな建物があるようです。
第一高の西側を北に向かって進むと、熊本医療センターがあります。

加藤神社で負傷した高耶さんが運び込まれた病院はここではないかと推測します(加藤神社に近く、救急対応していることから。16巻14ページ〜、50ページ〜、121ページ〜)。

綾子ねえさんが、開崎の中に直江を見出したシーンは、思わずじんときてしまいました(16巻54ページ〜、133ページ〜)。夜叉衆ってまとまりがあるんだかないんだかよくわからない集団ですが、それぞれに四百年間ともに歩んできた絆が確かにあるんだなと思わせる一幕ですね。
第一高の北側の道は、切り通しのような道で、両側が高くなっています。

写真右側が第一高、左側が医療センター。

この左側上方は医療センターの駐車場になっています。島津家久と開崎が闘った場所(16巻55ページ〜)かもしれませんが、そもそも病院は特定はできないので、そこまでは見に行っていません。
第一高の北側を歩いていくと、裏門があります。この裏門も何度か作中で登場していました。

<高耶たちは裏の校庭へと駆けていく。あとからジュンサツらが追いかけてくる。裏門を出かけるところで高耶が振り向いた>(15巻『火輪の王国 前編』242ページ)

高耶さんと清正が、蛇蠱に取りつかれた生徒に追われ、学校を飛び出すシーンです(その後、加藤神社へ向かう)。
校庭の向こうに校舎があります。


高耶さんと清正は、ここを走ってきたのでしょうか。
門の脇には、「古城跡」の案内板があります。


城跡に学校が建つというケースは結構あるようですね。ミラージュに登場してきた場所で言えば、魚津城跡なんかもそうでした。
桜橋にたどり着きました(橋のこちら側、右方向が第一高)。先ほどは、この橋の下を通ったんですよね。これで第一高の周囲をぐるりと一周したことになります。

<色部と紹運と横手五郎の三人は、どうにか逃げて助かった。高耶たちのいる反対側、学校の東門にちかい桜橋のうえから、茫然と校舎を見上げている。(略) 背後から近づいてきた気配に驚いて、三人は振り返った。橋の向こうからひとり、学ラン姿の高校生が歩いてくる>(18巻『火輪の王国 烈風編』206〜207ページ)

古城高校の屋上で鬼八の首が暴走し、色部たちは東門(裏門のことかと)から出て、この桜橋まで逃げてきたようです。そして、この橋の向こうから現れたのは、魔王の種に支配された成田譲でした。
先ほど坪井川の対岸から木々の間にちら見えしていた合同庁舎(中に入っていた国税局はこの年の1月に移転済み)。

その前は…うん、確かに並木道になっていますね。「腕を広げた並木の梢」という描写(15巻130ページ)もありますから、やはり先刻歩いた坪井川東岸の遊歩道ではないようですね(あちらは木がまばらで、あまり大きい木ではない)。

では、改めまして…

<高校の隣の税務署のあたりは、桜橋から行幸橋にかけて坪井川沿いに木々が植えられている。ふたりは肩を並べて雨の中を歩いた>(15巻『火輪の王国 前編』112ページ)
下校時、雨が降っていたため、傘を持っていない高耶さんが稲葉朱実にホテルまで送ってもらった時のワンシーンです。相合傘で、高耶さんと二人きりで歩くなんて…なんつう役得、稲葉朱実。

あ、でも、二人きり…でもなかったですね。途中で根津耕市こと加藤清正が現れたのでした。

<坪井川沿いの並木道。木陰にもたれるようにして男子生徒がひとり立っている>(15巻『火輪の王国 前編』114ページ)

この木のどれかに、清正が凭れて、高耶さんを待ち構えていたのでしょう。
合同庁舎の西隣は、「桜の馬場 城彩苑」という、熊本城に付随する観光施設になっています。

※レポートを書いている2016年8月現在、熊本城は公開が中止されていますが、桜の馬場は営業しているようです

時刻は、12時02分。ここで昼食にします。
何軒か飲食店がありますが、「肥後めしや 夢あかり」というお店に入ります。

実はここ、熊本ホテルキャッスルの経営だそうで。だから選んだというわけではないんですが。

メニューは中華が多く、太平燕(タイピーエン)が食べたかったので、ここにした次第です。
そうそう、このエリアで、先ほどホテルで受け取ったクーポンが使えるんですよ。合計で1,100円分。クーポン上部は、熊本城と湧々座の共通入場券(券売所で引き換えが必要)になっています。


今回はこのクーポンが付いているプランで、熊本城が見えるツインで、朝食付きで、2名で23,000円…のところを、ふるさと割の10,000円クーポンを利用したので、実質13,000円。1人当たり6,500円。熊本城のチケットや昼食代(1,100円分クーポン)が含まれていることも考えると、相当お得です。
それで、こちらがそのタイピーエン。海鮮、豚肉、白菜などの野菜が入ったスープに春雨が入ったもので、熊本のご当地グルメです。ここのタイピーエンは、ちょっと高級なのかユリの花(つぼみ)が入っていました。それと、辛みそが付いていて、好みの辛さに調節できるのが特徴でしょうか。

タイピーエン初体験でしたが、なかなか美味しかったですよ。もともと春雨は大好きですし。

でも、この後、2017年1月に熊本駅の中のお店で食べたタイピーエンはこの上を行っていました。次のレポートで紹介しますね。
余ったクーポンで、別の店でソフトクリームも食べ、満腹になったところで、いざ、熊本城に向かいます。時刻はこの時、13時15分。


桜の馬場の北側から、熊本城にアクセスできる近道の階段が設けられています。


熊本城の中で、歩いたルートをオレンジ色でなぞってみました。宇土櫓、天守、本丸御殿の中も見学していますが、その辺りの詳細ルートは省略。頬当御門から入り、天守を見上げ、不開門(あかずのもん)から城外へ出るという、高耶さんの歩いたルートを辿るように回ってみました。
熊本城は不思議な構造で、天守、天守前広場、本丸御殿入口の辺りが一番高い場所になるのですが、ここへ行くには本丸御殿地下に設けられた「闇り通路(くらがりつうろ)」を通らなくてはなりません。闇り通路には、頬当御門側、天守入口側、不開門側の三つの出入口(地図上の黒い点)があります。

桜の馬場からゆっくり歩いて10分余り。頬当御門の前までやって来ました。


が、取りあえずここは素通り。先ずは加藤神社に立ち寄り、清正公にご挨拶をしてきましょう。
頬当御門の前を過ぎ、立派な宇土櫓(うとやぐら)を横に仰ぎ見ながら加藤神社(写真左方向)へと歩いていきます。


宇土櫓は、熊本城を代表する現存の遺構です(天守も含め熊本城の建築の多くは再建)。石垣も立派で、まるで天守のような威風です。
頬当御門の前の道を北上していくと、加藤神社の白い鳥居が見えてきます。

清正公を祀った神社は、元々は、現在の浄地廟(本妙寺)にあったそうですね。後に、火災で焼失した本妙寺が浄地廟に移転したため、長い間寺院と同居?していたところを、神仏分離令により、清正公を祀る神社の方が熊本城内へ引っ越し、名称変更や場所の移動などを経て、現在に至るそうです。

<ちょうどそのとき、神社の手前を自転車で通りがかった女子高生の姿があった。古城高校の制服を着ている。稲葉朱実である>(15巻『火輪の王国 前編』262ページ)

朱実が通りかかったのは、この道でしょうか。因みに朱実は、ここで頼竜らに拉致されて、阿佐羅と引き換えにするための人質とされ、国造神社近くの小さい古墳の中に監禁されてしまうのでした。
<高耶と根津は、熊本城址内の加藤神社の境内へとやってきていた>(15巻『火輪の王国 前編』255ページ)

古城高校の裏門から逃げてきた高耶さんと清正がやってきたのが、この加藤神社です。

<「街の人知ったらぶったまげるぜ。あのでかい城つくった清正公(せいしょこ)さんが地元高校に通ってるなんて」 「つくったのはわしではない。大勢の人足じゃ」 「そうじゃなくてな……」>(15巻『火輪の王国 前編』255〜256ページ)

ここで初めて根津の正体が明かされたのでした。それにしても、高耶さんの砕けた口調が松本時代のようで何だか懐かしい…。同じ生徒として出会ったからこそのこの態度なのでしょうね。
鳥居をくぐったところ。奥に社殿があり、その手前に大木がそびえています。

清正が高耶さんに「黄金蛇頭」のことを語っていたところへ、頼竜が現れ、戦闘になりました。

<加藤神社のそう広くはない敷地のなかでいったい何が起きたというのか。まるで暴風雨と地震がいっしょに襲って来でもしたような有り様だ。本殿は屋根が完全に吹き飛ばされて半分傾き、木々はなぎ倒され、おまけに地面はあちらこちらで大きく陥没している>(16巻『火輪の王国 中編』8ページ)

バトルの後、千秋が加藤神社に駆けつけた時の描写です。この目の前の木もなぎ倒されていたのでしょう。
バトルの後に駆けつけたのは、千秋だけではありません。千秋を追って来た三池哲哉、そして、夜になってから高橋紹運とともに開崎もここへやって来ました。

<倒れた木のもとで、おもむろに開崎が片膝をついた。「開崎殿?」 開崎はそこで静かに皮手袋を外すと、地面に手をのばして、指先で何か拭うような仕草をした。紹運にはわからなかったのだが、そこはちょうど頼竜の念の直撃を受けた高耶が、倒れて血を吐いた場所だった>(16巻『火輪の王国 中編』31ページ)

開崎が片膝をついたのが、この木のもとかどうかはわかりませんが、イメージということで。
鳥居を潜ると、すぐ右の方に手水場があります(後方に見えるのは宇土櫓)。


高耶さんの息の根を止めようとしていた頼竜は、突然空に現れた鳥人たちに攻撃され、体中が熱くなり、手水場に飛び込んだのでした(15巻275ページ)。
加藤神社の社殿。


<清正は自分がまつられている加藤神社のお社を眺めやり、グッと両腕を組んでみせた>(15巻『火輪の王国 前編』257ページ)


高耶さんとともに加藤神社に逃げ込み、御厨の暗示について話していた一幕です。
話の最中、清正が宇土櫓をにらみあげるというシーンもありました。


<清正はくっきりとした唇を厳しく結び、自分の城の宇土櫓をにらみあげた>(15巻『火輪の王国 前編』259ページ)


写真は、加藤神社の境内から見上げた宇土櫓。
こちらは、社殿右脇のスペースに設けられたベンチ。ご丁寧にテントまで張ってありますが…これ、移動できるタイプですね。当時どこに置いてあったかは不明ですが、高耶さんと清正が加藤神社にたどり着いた直後、ベンチに座り込む場面がありました。

<高耶が息を切らしてベンチに座り込むと、根津も詰め襟のホックをうっとうしげに外した>
(15巻『火輪の王国 前編』255ページ)

そして、そのベンチも、頼竜とのバトルで壊されていました。

<ぶん、と頼竜があごをしゃくった。同時に清正の体がゆうに十メートルは後ろに吹っ飛んだ。観光客の悲鳴が上がった。清正はベンチに激突した。ベンチは派手な音をあげてバラバラになった>(15巻『火輪の王国 前編』268ページ)
加藤神社からは、熊本城天守もよく見えます。


<どんよりした重々しい雲の隙間から、背後の熊本城に向けて一条の光が差し込む。その黒い雲を背に、天から人間がゆっくりと降りてくる>(15巻『火輪の王国 前編』276ページ)


高耶さんを助けた(さらった)鳥人たちの登場シーンでした。
加藤神社のお参りを終え、頬当御門前(ほほあてごもん。作中のルビは「ほお」となっていますが、「ほほ」の表記が正しいようです)に戻ってきました。時刻は、13時47分。

<熊本城・不開門前。午後二時。メッセージに従って、高耶は熊本城公園に向かった。学校から城までは遠くない。歩いても十分あればつく距離だ。不開門は城址内にあるらしい。高耶は城の正門にあたる頬当御門から入場券を買って中に入った>(15巻『火輪の王国 前編』158ページ)

ゲートの左脇に券売所があります。先刻ホテルで受け取ったチケットは、券売所で引き換えが必要ですので、私たちも券売所に立ち寄ってから中に入ります。
<さすが熊本市内を代表する観光名所だけあって、平日でも、観光客がたくさんいる。高耶は目の前に立ちはだかる見事な石垣の向こうに、豪壮にそびえ立つ天守閣を見た>(15巻『火輪の王国 前編』158〜159ページ)

写真は、頬当御門をくぐったところ。高耶さんもここから天守を見上げたんですね。

※2016年4月の熊本地震で、この周辺の石垣は、残念なことに大規模に崩壊してしまいました。
<熊本城は日本三名城のひとつとして知られる。肥後の武将・加藤清正が七年の歳月をかけて完成させた城だ。大天守・小天守というふたつの雄大な建物が中央に建ち、その周囲には小城の天守閣にもなりそうな立派な櫓や廓があふれている。注目すべきは「清正流」なる石垣の美しさだ。流麗な曲線を描いて重なるそれは完璧な造形を保ちつつ、なお実践での有用性を備えている>(15巻『火輪の王国 前編』159ページ)

本当に立派な天守ですね。石垣も実に美しい。松本城のように現存ではなく、昭和35年に再建された建物ではありますが、名城たる風格はさすがです。

※たくさん報道されていましたが、熊本地震では、天守の瓦が落ちたり、石垣が一部崩壊したりという被害があったようです。
天守前の広場近くに、「五郎の首掛石」なるものがあります。横手五郎が首に掛けて運んだという言い伝えのある石だそうです。横手五郎と言えば、ミラージュでは、御厨樹里の腰巾着のような存在・尾崎の正体がこの横手五郎でしたね。


<横手五郎。熊本では伝説的人物として有名だ。天正年間の天草一揆で加藤清正と一騎打ちして死んだ父のかたきを討つため、毘沙門天に頼んで七十五人力を授かったといわれる人物だ。清正を殺すために、人夫として城にもぐりこんだが、清正に見つかって計略を用いられ井戸に生き埋めにされたという>(15巻『火輪の王国 前編』239ページ)
広場を挟んで、大小の天守と反対側に、さっき加藤神社からも見えた宇土櫓があります。


中に入れるようですので、見学させてもらいましょう。
入口から中に入ると、先ずは平屋部分の長い廊下を通ります。床の高さは均一ではなく段差が設けられています。また、視界を悪くすることにより、伏兵を配置して守りやすくしているようですね。


※宇土櫓は、貴重な現存の建物だったのですが、地震の影響で、この廊下部分のみ、ごっそりと倒壊してしまいました。
現存の建物らしい、急な階段をのぼって、櫓の上へ。
宇土櫓から、大天守・小天守を望んで。


確かに、普通の城なら天守としてもいいくらいの規模です。


現存の天守と比較すると、姫路城、松本城、松江城に次ぐ高さがあるそうですよ。
木に隠れてよく見えませんが、お隣の加藤神社の方を見下ろして。
宇土櫓の見学を終え、前述の闇り通路を経て、天守前広場にやって来ました。天守の入口はこちら側にあります。

反対側とは石垣の高さが違います。実際に歩いてみると、熊本城が人を惑わすような構造になっているのがよくわかります。高さの違う石垣とか、地下の通路とか、曲がりくねった道とか…。観光客は案内板があるのでその通りに行けばもちろん迷いませんが、何も知らずにこの城を攻め込もうとしたら、確かに一筋縄ではいかないでしょうね。

おや、天守前で何かショーが始まるようです。
おもてなし武将隊の演武です。清正公はいらっしゃいませんでしたが、島津義弘、細川忠興、立花宗茂のお三方が格好いい舞いを見せて下さいました。結構見入ってしまうものですね。


※このレポートを書いている現在、熊本城が閉鎖されているため、おもてなし武将隊のみなさんは、城彩苑にて演武等のおもてなしをされているそうです。最新情報は武将隊のブログ等で確認なさって下さい。
天守の中に入り、最上階までやって来ました。途中の階は史料の展示室になっていて、確か撮影禁止だったかと(写真がない)。


写真は、西の方角。右下に見えるのは、先ほど上った宇土櫓。正面、赤い矢印で示したところが石神山です。
<「どこだ! いまどこにおっとか!」 炎がなお高く踊り上がった。その中で、ほかげはなきべそをかいている。≪石神山の採石場。ヒムカ教とかいうひとたちがいっしょにいる≫>(18巻『火輪の王国 烈風編』164ページ)

阿佐羅が目覚め、阿蘇の火焚殿から飛び去ったほかげは、石神山にいるところをヒムカ教の者たちに発見されたのでした。

石神山は鱗珪石という鉱物が採れ、採石場跡が残っているそうです(今は採掘していない)。
こちらは、南西の方角。


手前から、桜の馬場 城彩苑、国税局の入っていた合同庁舎、第一高の校舎(赤い矢印のところ)が写っています。
東の方角。


赤い矢印のビルは、熊本ホテルキャッスルです。


街の向こう、遠くにうっすらと見える山並みは阿蘇の山々です。
北西の方角を望遠で。

本妙寺山の麓に本妙寺があります。清正の浄地廟があるところですね。

綾子ねえさんが拉致された場所であり、大友VS島津の市街戦で、信長が戦いの様子を眺めていた場所でもあります。

本妙寺は、2017年1月に行っていますので、詳しくは次のレポートで。
天守の次は、本丸御殿へ。

写真は、本丸御殿入口部分。

見切れてしまっていますが、左側に写っている木は、清正公お手植えと伝えられる銀杏の木です(加藤神社にもあります)。熊本城が別名・銀杏城と呼ばれているのは、清正公が築城の際、銀杏の木を植えたことに由来しているそうです。籠城戦になった場合に食糧にするため、ということらしいです。
その銀杏の近くには、西南戦争の時の火災で溶けたという瓦や壁土の塊が置いてありました。


清正公お手植えの銀杏もその時に焼けてしまったそうなのですが、脇芽が成長して再び大きくなったそうです。植物の生命力ってすごいですね。
熊本城の本丸御殿は2008年に復元されたものです。

写真は、その中で最も豪華絢爛な「昭君(しょうくん)の間」。中国の絶世の美女・王昭君の故事が描かれています。一説によると、「昭君の間」は、実は「将軍の間」であり、有事の際、秀吉の子・秀頼を匿うために清正が作らせた部屋ではないかと言われているそうです。

※本丸御殿の被害状況はあまり伝えられていませんが、復旧費用の内訳に計上されていることから、相応の復旧工事は必要な状況かと思われます。建物自体に大きな損傷がなくても、内部がこれだけ豪華ですからね…お金もかかるのでしょう。
前述したように、本丸御殿の地下にある「闇り通路」を通って、不開門の方へと向かいます。

本丸御殿が復元されたのは、2008年のこと。それ以前も通路自体は一応あったようです。


高耶さんもここを通ったはずですが、現在の様子とはだいぶ違っていたのではないかと思います。
闇り通路を出ると、緩い石段と緩い坂になっています。

<不開門は城の鬼門に建つもので、天守閣の裏手にあたる。さすがにこのあたりまでは観光客はこないらしく、閑散としている。ゆるい坂道をおりていく>(15巻『火輪の王国 前編』159ページ)

確かに、闇り通路からこちら側に出ると、人影がぐっとまばらになりました。いかにも城の裏側といった風情です。
↑の坂を下りた先は、東に面していて、ちょうど木の間から、高耶さんたちが宿泊した熊本ホテルキャッスルが見えます。


しかし、開崎も良い場所を指定したものですね。高耶さんが学校帰り(と言ってもわざわざ早退したようですが)に寄りやすく、ホテルへも帰りやすい場所で、人目につかない場所。街中ではだめですし、観光客で賑わっていてもだめ。不開門は絶好の場所です。それに何だか「開かずの門」なんて、高耶さんの内面を象徴しているような気もして切なくなります。もっとも、記憶の扉は閉じたままでしたが、心の扉は開崎に対して半開きくらいにはなっていたようですけどね…。
そして、↑の辺りから左を向くと、道の先に不開門が見えます。


<門の前にはすでに人影があった。ひとりのようだ。開崎誠だった>(15巻『火輪の王国 前編』159ページ)
開崎が待っていた不開門。

往時の熊本城では、このような櫓門が十八か所もあったそうですが、現存しているのは不開門だけだそうです。城の鬼門にあることから、普段は閉めっぱなしで、死体や不浄物の搬送時のみ開けられたとのことです。

「門の前」に人影があったとのことですので、開崎が待っていたのは、こちら側だと思うのですが…
二人で話をしたり、開崎が高耶さんを追い詰めたりしたのは、恐らく、門の向こう側ではないかと思うんですよね。


と言うのも、人気が少ないとは言え、門のこちら側は人がいれば、目につきます。一方、門の向こう側は石垣に囲まれていて、よっぽど近くまで来ない限り、人に見られることはないからです。


反対側(料金所へ続く側)から見た不開門。人目を忍ぶには恰好の場です。

<あの夜のあなたを、私は覚えていますよ」 いきなり核心に踏み込まれた気がして、高耶は身をこわばらせた。開崎はかすかに目を伏せると、高耶のほうにゆっくり歩み寄ってきた。「あの夜のあなたは、そう。とても脆かった。触れれば崩れ落ちそうだった。私の胸の下で、あなたは子供のように震えていましてね」 「そ……んな…こと、…知らな……」 「知らないわけない」 後ずさる高耶を、開崎はゆっくり追いつめた。高耶の背が石垣につくと、開崎は「逃がさない」と言うように、顔のすぐ横に左手をついた。高耶は目を見開き、ゴクリと唾を飲み込んだ。「おぼえてるくせに」>(15巻『火輪の王国 前編』163ページ)

いい加減気づいて下さい高耶さん! これが直江でなくて、誰が直江だと言うんですか高耶さん! と思わず絶叫したくなるようなシーン。こんな元祖壁ドン男は直江の他にはいませんよ、高耶さん。

<高耶はまっすぐに目を上げて、相手を見た。開崎もひたむきなほど高耶を見つめている。やがて開崎は、その眼差しをまぶたのうちにそっと、おし隠すと、高耶へと静かに顔を近づけてきた。高耶も仰のいて、まぶたを閉じた。ふたつの唇が、柔らかく重なった>(15巻『火輪の王国 前編』169ページ)

あああ…高耶さん……。

<長い口づけを終わらせて、ふたりは、あふれかけた激しさを胸に鎮めるように、静かに離れた。開崎の黒い瞳が高耶を映している。「私が何者か……。訊かないんですか」 「訊かない」 高耶は開崎を見つめあげて答えた。その眼差しには強い意志の光がともっている。「ひとに答えは要求しない。おまえが何者か。答えは、自分で出す」>(15巻『火輪の王国 前編』170ページ)

ううう…高耶さん……。

<あぁ……これだ、と開崎は噛みしめるように思った。このひとかけらの強さ。決して雄大でもなんでもないが、どんなに脆くなって、鎧をはぎ取られても、なお最後でみせる、この小さな強さを。――開崎は懐かしいと思った。一見開き直りともとれる、このひとかけらの勇気が、美しくて、ただいとおしいと思う。景虎のこんな姿にこそ、自分は強く惹かれたのだった、ということを、彼は思い出した>(15巻『火輪の王国 前編』171ページ)

そうか。そう…ですよね。直江だけじゃない、きっと高耶さんのファンはみんな、高耶さんのこういうところが好きなのではないでしょうか。決して尊大な強さを持っているわけじゃない。弱いところも、ずるいところもある。わがままだし、ひどいことも言う。だけど、どこまでも真っ直ぐで、ひたむきに信じた道を進もうとする。傷ついてもぼろぼろになっても歩むことを止めない(四国編もそうだった…)。みんな、そういう高耶さんが好きだし、いとおしいと思っているはず。高耶さん自身が思うように、直江に負けたらとか、追い越されたらとか、そういうことでは決してない。ただ、あなたのひたむきなところとか、さりげない笑顔とか、そういうものが果てしなくいとおしいんです。直江はちゃんとそういうものを見ていたんですよ、高耶さん。

思えば、火輪シリーズは、全編通じて、高耶さんが最も傷ついていた時期ではないでしょうか。

高耶さんって人は、生い立ちから色々あり、直江とのいさかい、別れ等、散々辛い目にあってきましたが、火輪に至っては、偽直江に心を痛めたり、直江に売られたと吹き込まれたり、直江の死を思い出しかけたり、知らない間に冥界上杉軍の総大将を下ろされていたり…。本当に散々でした。

直江はそばにいないわ、自らの存在意義を失うわで、どうやって生きていったらいいか見当もつかない(というより、生きる資格すらないと思えるような)状況で、それでも高耶さんは決して立ち止まらず、成すべきことを成していたわけで。

こういう人だから、そりゃあ、直江の想いに応えるためだけに、直江に匿われるだけの生活をよしとはしないはずですよね。そして、こういう人だから、いわゆるハッピーエンドなんて当然ありえないわけです。でも、高耶さんが歩み続けてくれたからこそ、直江も読者も胸を打たれたし、高耶さんがいなくなっても、いつまでも高耶さんのことを愛しいと思えるのではないかと、色んなものを永遠へと昇華してくれたのではないかと、そんな気がしてしまうのです。
何やらだいぶ話が逸れましたけれども…。


こちらは、不開門脇の石垣です。


直江が高耶さんを追いつめたのは、どの辺りだったんでしょうね。
この大きい石なんて、高耶さんの背中をつけるのに、ちょうど良さそうだな…。
高耶さんの背中を…。高耶さんの背中…。高耶さんの…。思わず、ぴとっ、と手のひらをくっつけてみたり(笑)。


しかし、開崎は別に高耶さんの唇を奪うためだけに呼び出したわけではありません(それも目的のうちだったようには思えますが)。ちゃんと、高耶さんに情報を伝えているんですよね。所属が変わっても、体が変わっても、高耶さんのために動くのはもうほとんど彼の本能みたいなもんなのでしょう。
そして、古城高校の異変に大友が絡んでいることを告げた時、開崎は人の気配を察知したのでした。

<黒い人影が石垣の陰から躍りでて、坂のほうへと逃げ出した。開崎の反応は早かった。弾かれたようにかかとを翻すと、人影を追って駆け出した>(15巻『火輪の王国 前編』174〜175ページ)

逃げる御厨の配下を開崎は追い、催眠暗示で記憶を抹消したのでした。逢引を邪魔なんかされたら、この男は容赦ないですからね。

写真は、不開門前から料金所の方へと続く坂。直江と高耶さんも、それぞれこの坂道を下りています。
<「またお会いしますよ、景虎殿」 そうしてゆっくりときびすを返す。坂を下りていく開崎を、高耶は風に吹かれながら見送った。石垣のきれるところまでいったとき、ふと開崎が何か思い出したように振り返った>(15巻『火輪の王国 前編』174〜175ページ)

料金所の少し先の方で石垣が途切れていますね。あの辺りで開崎が振り返って、高耶さんに言い忘れたこと(加藤清正のこと)を伝えたようですが…。 高耶さんはどの辺りに立っていたんでしょう。結構距離は近かったのかな? それとも開崎は結構な声量で叫んだのか?(笑)
その石垣が途切れる辺り。


恐らくは、このくらいの、叫ばなくても声が届くくらいの距離から見送っていた、ということなのでしょうね。


<「手強い相手です。気をつけて」 そう言い残すと、開崎はもう振り返ることはなく、ゆるい下り坂を須戸口門のほうへと去っていった>(15巻『火輪の王国 前編』178ページ)
須戸口門の方へ向かう道。


開崎はこの道を歩いて行ったのでしょうか。
下から見上げた不開門。


※ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、大変残念なことに、この不開門は、熊本地震により、倒壊してしまいました。現存の貴重な建物が壊れてしまったことはもちろん悲しいことですし、ミラージュファンとしても高耶さんの思い出の場所がひとつなくなってしまったようでとても寂しく思います。熊本城は甚大な被害を被ってしまいましたが、それでも必ずいつか、もとの雄姿に戻ってくれることを信じています。
熊本城HPはこちらをクリック(寄付金についての案内もあります)。



写真は、須戸口門へ続く道から振り返った不開門。
この道の先にあるのが須戸口門。


本当は…ですね、高耶さんが不開門からホテルへと帰った道(堀端の道らしい)を辿ってみるとよかったのですが、この時は半ば燃え尽きたような感じで、明日に持ち越すことに。
時刻は16時22分。熊本城の見学を終えたところで、今度は熊本の繁華街に繰り出します。


写真は、通町筋。


最新型っぽい路面電車が走ってますね。
通町筋から下通りアーケードにやってきました。地図は前出のものをご参照下さい。

<街の中心は上通り・下通りと呼ばれ、アーケードを中心にしてたくさんの店がひしめきあっている。まさに熊本市の中心エリアだ。(略) 下通りから新市街にかけてはやたらとゲームセンターとパチンコ屋が目につく。三軒に一軒はゲーセンではないかと思うほどだ(もっとかもしれない)>(15巻『火輪の王国 前編』58ページ)

転校一日目の放課後、クラスメイトの遠藤が高耶さんを繁華街へと案内していたワンシーンです。しかし、時代の流れですかね。ゲームセンターなんて一軒も見当たりませんでした。パチンコ屋さんもほとんどなし。比較的目についたのはカラオケ屋さんかな。
譲が熊本入りした時は、この下通りもすでに異様な有り様でした。

<下通りのアーケードを歩きながら譲は思わず顔をしかめた。浮遊霊だか地縛霊だかが、活性化してあちらこちらにたたずんでいる>(17巻『火輪の王国 後編』134ページ)

また、市街戦での描写もありました。

<小金沢今日子ら二年D組の生徒は下通筋の交差点を拠点にしていた。(略) アーケードはあちこちでポルターガイストが起き、シャッターをこじあけての略奪も始まった>(17巻『火輪の王国 後編』236〜238ページ)

写真は、下通りアーケードの途中にある比較的大きな交差点。小金沢今日子が戦っていたのはここでしょうか。
しばらく行くと、アーケード街はほぼ直角に折れ曲がっています。


下通りはここまで。右へ曲がった先は、新市街です。
<「昨日あんたら見たよ。夜、いっしょに新市街でメシくってたろ。先生、あんた仰木のなんなんスか。前から知り合いやったとか」>(15巻『火輪の王国 前編』232ページ)

三池哲哉が千秋を問い詰める一幕。

どうやら小太郎がホテルに来た日(開崎と逢引した日でもある)に、高耶さんがふさぎ込んでいたので、千秋が無理やり外に連れて出たということらしいのですが、思えば、二人がこんな風に何気ない時間を一緒に過ごしたのって、これが最後だったんじゃないですかね。この後、長い別れになってしまったわけですから(バトルまでする始末…)。そう思って歩くと、感慨深い新市街のアーケードです。
そして、新市街のアーケードが途切れるこの場所では、衝撃の再会シーンがありました。

<哲哉の声に我にかえって高耶は振り向いた。新市街アーケードの出口に突然現れた男。高耶は驚いて目を疑った。その男も高耶の姿を認めると、こう叫んだ。「景虎様……」 (略) ダウンジャケットを着込んだ角張った顔のその男は、高耶には確かに見覚えがあった。高耶はふたたび愕然とした。かすれた声で、その男の名を呼んだ。「八海――……」>(18巻『火輪の王国 烈風編』142ページ)

阿蘇の大観望を去った高耶さんは江津湖に立ち寄った後、古城高校を目指して、哲哉、清正と合流しながら、怨霊を倒しつつ、市街地を進んでいたのでした。そんな中での八海との再会…。
高耶さんは、この時の八海の言葉から、萩で直江が死んだこと、そしてその直江が実は生きているのだということを知ったのでした。新上杉という存在を、高耶さんが初めて己の目で認識し、新上杉には従わないとはっきり明言したのもこの場面においてでしたね。

景虎様って、謙信公の命令と怨霊調伏という大義名分のために仕方なく生きているという部分がどこかあったように思えたのですが、そんなものがなくなっても、やはり自分で自分の生きる道をちゃんと選択しているんですよね…。

写真は新市街に現れた八海……じゃなくて、くまモン。
新市街のアーケードを出て、少し遠回りになりましたが、代継橋までやって来ました。

<朝日を受けて白川の流れがキラキラと輝いている。代継橋のうえを駅へ市街へと車が行き交う。街はあわただしい時間を迎えている>(15巻『火輪の王国 前編』14ページ)

火輪シリーズの冒頭部分です。こんなに爽やかな出だしだったんですね…。
代継橋の上から東の方を望んで。


東は上流方向になります。白川は阿蘇の方から流れていて、有名な水源のひとつが、あの白川水源です。直江が高耶さん探しのために訪れた白川吉見神社のあるところですね。このツアーの最終日に行きます。
こちらは西の方。下流方向です。ずっと先、熊本港付近で、海に注いでいます。フェリーターミナルのある熊本新港は、色部さんと御厨樹里が訪れていたスポットですね。こちらは次の熊本ツアーで訪れていますので、そちらでご紹介します。

<南から攻め入る島津から古城高校を守るためには白川が外堀、さらに坪井川が内堀の役目を果たす。生徒らは城兵と外兵にわけられ、さらに長六橋、代継橋などの各主要ポイントに配置された>(17巻『火輪の王国 後編』236ページ)

先の方に見えるのが長六橋です。更にその先に泰平橋(17巻238ページ)、白川橋(18巻45ページ)と続いていて、それぞれちょこっとだけ作中に出てきました。
新市街アーケードと下通りアーケードの接合部まで戻ってきました。


取りあえず、市街地散策は、この日はここまで。アーケード街を歩きながら、ホテルの方へ戻ることとします。
その前に、下通りアーケード内で通りかかったカフェで休憩を取ることに。


バルテカエミリアとかいうお店。夜はイタリアンなのかな。レポートを書いている現時点では、別の場所に移転しているようです。
あまおうのレアチーズケーキと、渋皮栗モンブラン。


ミラージュツアーに甘いものはつきものです。何せ体力使いますからね。


本当は、熊本城の入場券には「湧々座(歴史文化体験施設)
」の入場券も付いていたので、行ってみても良かったのですが、時間も中途半端なので、結局行きませんでした。
18時に、改めて熊本ホテルキャッスルにチェックイン。写真はロビー。奥にフロントがあります。

<ホテルの玄関をくぐってロビーに足を踏み入れた高耶の目に、見慣れた黒のスーツを着た男の姿がとびこんできた。高耶は目を見張った。男はすぐに高耶に気づいた。革張りのソファから立ち上がって、男は呼んだ。景虎様、と>(15巻『火輪の王国 前編』189ページ)

開崎と逢引した後、高耶さんがホテルに戻ってきたシーン。直江だと思い込んでいる小太郎がそこにいたのでした。
玄関から入って左手に↑のフロント、右手はこちらの写真のように数段高いスペースにソファが置いてあります。ただ、革張りではありませんでした。昔は革張りだったのでしょうか。

ホテルの部屋で一通り報告(&あれやこれや)を済ませた後、小太郎は高耶には内緒である人物と面会していたのでした。

<エレベーターでロビーに降りてきた小太郎を、待っていたのは見覚えのないふたり連れの男の姿だった>(15巻『火輪の王国 前編』205ページ)

後にその人物が下間頼廉と明智光秀であったことが明かされています(16巻201ページ、203ページ)。
高耶の身を案じて熊本入りした成田譲が、最初に訪れたのも、このホテルでした。

<「まだ帰ってませんか」 フロント係から話を聞いて、譲は苦々しい顔になった>(17巻『火輪の王国 前編』135ページ)

フロント係から高耶さんが通っていた高校を聞き出して、譲は古城高校へ向かうのですが…、時代を感じさせますね。個人情報に厳しい昨今では先ずあり得ませんから。

写真は、ホテルの玄関を内側から。
<高耶に変わりはないようだ。相変わらず小太郎に対しては口数が少ない。必要なことしかしゃべらない。けれどどことなく、緊張しているようにも見えて、小太郎はいぶかしんだ。エレベーターに乗り込んだところで、高耶が口を開いた>(15巻『火輪の王国 前編』190ページ)

エレベーターの中で、高耶さんは開崎のと会ったこと、開崎と大友がつながっていたことなどを語ったのでした。

写真はエレベーター内。活けられた花がミラージュ過ぎる…。
部屋に入ると高耶さんは小太郎の報告を聞き、聞き終わるや否や、小太郎を帰らせようとしたのでした。

<廊下に出たところで、小太郎は言った。「………。もう少し、ここにいたらいけませんか」 (略) 「ダメだ。オレは忙しい。お前もすぐに調査に行……」 最後まで言葉を発せられなかった。不意に小太郎が肩をつかみ、こちらを向かせて、正面から抱きすくめたせいだ。(略) 驚いてめいっぱい瞳を見開く高耶に、口づけは静かだった。荒々しさはなかった。ただひどくひんやりとしていた。(略) 「キスの仕方も、……忘れたのか」 小太郎の無表情に、ひびが入った。哀れなほど衝撃を露にした小太郎を、高耶は静かにみて、腕から離れると、肩越しに一度だけこちらを振り向いてから、ドアの向こうに消えた。小太郎は廊下に立ち尽くした>(15巻『火輪の王国 前編』198〜200ページ)
火輪シリーズの小太郎は、本当に切ない。しかし、あの小太郎でさえ、見事なまでに完璧に自分の配下にしてしまう(結局小太郎は最後まで本気で高耶さんに仕えることになったわけで)高耶さんほど恐ろしいものはないですね…。


高耶さんたちの部屋は十階だったようですが(15巻194ページ)、私たちが泊まった部屋は7階、726号室でした。いつも泊まっているようなビジネスホテルの狭い部屋と違って、ずいぶん広々としていますよ。
二間続きになっていて、奥にベッドルーム、手前にはソファセットが置かれています。

<部屋に戻って、高耶が着替えをする間、小太郎はルームサービスのコーヒーをふたつ頼んだ。いつものジーンズ姿になって高耶はソファに座った>(15巻『火輪の王国 前編』194ページ)

高耶さんもこんな感じのソファに座ったのかな…。それとも十階の部屋にはもっと豪華なソファセットが置いてあるんだろうか。
順序が前後しますが、古城高校に登校した第一日目にもホテルのシーンがありましたね。

<部屋の窓からはライトアップされた熊本城がちょうど正面に見える。それをずっと眺めていた高耶は、チャイムの音に振り返った>(15巻『火輪の王国 前編』59ページ)

古城高校の教師らに歓迎会をしてもらった千秋が千鳥足気味に帰ってきたのでした。ダーツゲームを持ち帰って来たり(教壇から高耶さん目がけてチョークを投げる練習だったとか…)、最初は松本時代を彷彿とさせるくらい平和だったんですよね…。
<高耶は疲れた溜息をついて、窓際の壁にもたれた。(略) 高耶は窓の外、見事な石垣の上に煌々と照らされる青白い天守閣を見つめている>(15巻『火輪の王国 前編』62ページ)


古城高校に潜入してわかったことを互いに報告し合う間、高耶さんはこんな感じで熊本城を見つめていたんですね。確かに、ここからは熊本城が正面に見えます。
千鳥足気味に帰ってきた千秋も、このソファに座っていました(15巻60ページ)。

絡んでくる千秋に腹を立てた高耶さんがクッションを投げつけたシーン(15巻61ページ)なんてのもありましたが、その通り、ちゃんとクッションも置いてあります。

直江とはあんな状況なので、千秋とのイチャつき?シーンには少し救われる気がします。
一通り情報交換し終えると、高耶さんは風呂入ってくると言い、バスルームに向かったのでした。

<「おまえ、こないだっからなんだか様子がおかしいぞ」 高耶が、ビクンと肩を揺らした。バスルームへの扉に手をかけたまま、高耶はいくらかうつむいた。「阿蘇が近いせいか」 「…………」 「三十年前のこと、思い出したのか。あの信長との最後の戦いを」>(15巻『火輪の王国 前編』71ページ)

例の三十年前の出来事というのは、阿蘇が舞台だったんですね。レポートを書いている現在、昭和編が継続中ですが、これからどんな風に舞台が阿蘇へと移行していくのか楽しみです。

写真はバスルームの扉。
<ガラスのブースのなかに高耶はいる。頭上から注がれる熱い雨を、高耶は肌に浴び続けている。濡れてはりついた前髪をかきあげて、鈍く瞳を開いた>(15巻『火輪の王国 前編』80ページ)


高耶さんたちの部屋のバスルームはガラス張りだったようですが(15巻80ページ)、7階のこの部屋のバスルームはごく一般的なものでした。


三十年前の出来事、思い出しかける萩での記憶、不可解な直江と開崎の態度…、どれも高耶さんを追いつめるものばかりで、本当に火輪シリーズは読んでいる方も苦しいです。
夕焼けを背負う熊本城はとても美しく雄壮な姿をしています。


この景色を見るためだけでも、このホテルに泊まる価値はありそうですね。
部屋で休憩している間に、とっぷりと日が暮れ、ライトアップされた熊本城が闇の中にくっきりと映えるようになりました。
20時の居酒屋さんの予約に合わせて、ホテルを出ました。


写真は、下通りアーケードの入口と、その左隣のパルコ。


熊本の街は賑やかですね。四国のアーケード街なんかは、シャッター通りになっているところも多いですが、熊本は人口が多いのかな…。活気があります。
予約した20時ちょっと前に、居酒屋「HERO海(ひろみ)」に到着。


下通りの入口付近の地下にあります。


天草の牛深漁港から直送された鮮魚が食べられるとのことでしたので、このお店にしてみました。熊本と言うと、馬刺とか阿蘇赤牛とかが有名ですが、天草のお魚という手も忘れちゃいけません。
というわけで、お刺身の盛り合わせを頼んでみました。シマアジ、ハンタ、石垣鯛、真鯛、ヒラメ、サワラ、カンパチ、羽ガツオ、サーモンの九点盛り…かな(本来は七点盛りのところをサービスで)。

あまり聞かない名前のお魚もありますね。「ハンタ」はベラの仲間で天草ではよく獲れるそうです(写真左端)。白身でもっちりとしていてなかなかの美味。それにしても、やはり鮮度がいい。シマアジなんか、身がコリコリしていました。

そして、熊本の刺身醤油がまたいい。九州の醤油って、甘いんですよね(臼杵の醤油もそうだった)。原材料の中に、どうやら砂糖も入っているようで。関東の人間には最初は抵抗あるようにも感じるんですが、コクがあって、食べてるうちにすぐにやみつきになりました。
今では、自分の家でも九州の刺身醤油を使っています(フンドーキンの)。微量なので問題ないでしょうが、砂糖って常習性があるんだな、と身をもって感じてしまいました。

こちらは、鯵の揚げかまぼこ。牛深の郷土料理らしいです。素朴だけど美味しい。

ミラージュとは関係ありませんが、天草は行ってみたい場所のひとつです。
ああ、もちろん、馬刺も食べましたよ。相方は軽度のアレルギーがあり、肉がダメなので、少量を注文。


<「馬刺喰ってきたぜー、景虎。熊本の馬刺は最高だなー。おまえ知ってっか。高級の馬刺ってのはなぁ、喰うとまぐろみたいなんだぜー。とろっとしてて、独特の醤油が」 「うるせーな」 「古城高校の教諭陣は、気前がいいねぇ。球磨焼酎呑みながら、馬刺。熊本来たらこれよこれ! おめーも喰いたかったか、ん? 喰いたかったろう? うまかったぜー。ほっぺた落ちちゃうぜー。松本の馬刺負けるぜー」>(15巻『火輪の王国 前編』60〜61ページ)


焼酎は詳しくないので、店員さんのオススメを聞き、フルーティーで呑みやすいという「鳥飼(米焼酎)」を注文。鳥飼って名前はよく聞きますけど、人吉の蔵元なんですね。つまり、いわゆる球磨焼酎。確かに、うまかったですよ。最高。これは、高耶さんに自慢したくなる気持ちもわかる(笑)。
熊本は日本酒も良い酒があるようで、「れいざん」という阿蘇のお酒も呑んでみたりして(昔ながらの日本酒…というような味わいだった)、大満足でお店を後に。


コンビニに寄るため、下通りのアーケードを少し歩きましたが、平日の22時過ぎでも結構人がいますね。
千秋と同じように夜11時前に、ホテルに戻ってきました(15巻59ページ)。

二人で、古城高校の異常さについて報告し合っている最中、高耶さんは窓際の壁にもたれてライトアップされた熊本城を見つめていたんでしたね。そして、しばらくして、高耶さんは熊本城のライトが消える瞬間を見ています(15巻70ページ)。

本当にこの時間帯に熊本城のライトアップが消えるのかな…と思って、動画撮影してみましたところ、本当に消えました。23時に。書いてあった通りで、何だかうれしくなったので、YouTubeで限定公開しました←。

熊本城のライトが消えるだけという、ひとっつも面白くない動画ですし、何だかオレまで千鳥足気味だったのかブレブレですが、よろしかったらどうぞ。あ、撮影時に時刻を入れればよかったですね。入れられたのかな?
二日目。

早朝5時頃起床し、6時過ぎにホテルを出ました。

相方は部屋に残し、一人でちょっと散策。

写真は、熊本ホテルキャッスルの脇の道から東を向いて。地図は前出のものをご参照下さい。

この道を行くと…
上通りアーケードに当たります。


前日の街歩きでは、上通りは来ていませんでした。上通りも作中にちょこっと登場していましたが、また後ほど触れることにしましょう。
上通りを横切って、白川のほとりまでやって来ました。


早朝に歩いて気持ち良いのは、やはり川沿いということで、阿蘇から流れる白川沿いを藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)まで歩きます。
ホテルから二十数分で藤崎八旛宮に到着。

<荒れた街を駆け藤崎八旛宮のあたりまでたどり着いた哲哉はとうとう怨霊たちに行く手を阻まれた>(18巻『火輪の王国 烈風編』90ページ)

高千穂神社の御神刀は役に立たず、見覚えのある古城高校の生徒たちがそこかしこで倒れている姿を目にして恐怖に駆られたところで、哲哉は高耶さんに助けられたのでした。

場所は、この藤崎八旛宮のあたりとのことですが、詳しい場所はわかりません(「路地」とか「ビル」とかいう言葉がありますので、付近の繁華街でのことかと思われます)。名前が出てきましたので、早朝のお参りがてら、見に来てみました。
高耶さんと哲哉さんはこの付近で合流し、上通りアーケードを通り、途中清正とも合流しながら、新市街アーケードの出口では八海に出くわし、古城高校へと向かったのでした。


写真は、藤崎八旛宮の参道(社殿の方に背を向けて)。


参道沿いの松が立派ですね。
参道入口から。


早朝の静かな街にまだ残る灯籠の明かりが印象的でした。


※熊本地震による藤崎八旛宮の被害は、幸い、灯籠の倒壊などで済んだようです。
帰りは、上通りアーケードを通ってみました。さすがにこの時間では誰もいません。

<哲哉と高耶は戦い続けてようやく上通りのアーケードまでたどり着いた>(18巻『火輪の王国 烈風編』142ページ)

壁によろめいて崩れ込みながら、高耶さんは生み出した毘沙門刀で奮戦していたのでした。

高耶さんたちは、この後、清正とも合流しながら、新市街アーケードを経由して古城高校へと向かっていたわけですが、途中、高耶さんが熊本城を睨むシーンがあるんですよね。
<毘沙門刀で敵を払いながら通りの向こうにそびえる熊本城を睨む>(18巻『火輪の王国 烈風編』133ページ)

どこかアーケードの切れ目でもあって、熊本城が見える場所でもあるのかなとも思ったのですが、やはり、見えません(写真は、上通りアーケードから熊本城方向へと延びる路地。私はここからアーケードを出ました)。しかし、よくよく考えれば、新市街アーケードを通ったということは、下通りアーケードも通っているはず。となれば、上通りから下通りへ行く間には、通町筋を渡らなくてはなりません。あそこからは、確かに通りの向こう(と言うか、通りの先)に熊本城がよく見えますので、高耶さんはあそこから熊本城を睨んだのではないかと。写真はこちらをクリック(ページ内該当箇所へジャンプします)
上通りアーケードを途中で出て、堀(坪井川)沿いまでやって来ました。目の前にある電波塔はNHK熊本放送局のものです。

<「成田譲はいまテレビ塔の上じゃ。アンテナぶんなげてやったら強面の怨霊どもがわらわら逃げまどっておかしくてならん! 地縛霊どもも大いに騒いでおるな。怨霊同士が怨念をぶつけあうか! 不毛だが面白い!」>(18巻『火輪の王国 烈風編』83ページ)

本妙寺で清正の廟の上に登った信長が、魔王の種で譲を操りながら言った台詞です。譲が登ったテレビ塔は、この塔のことかと思われます。
熊本城の堀ともなる坪井川。通りを挟んで写真左の方に熊本ホテルキャッスルがあります。昨日お預けにしていた、高耶さんが通った「堀端」の道ですが…。

<高耶は、城の堀端を吹き抜ける風を受けながら、ひとり呟く。(略) 高耶は、美しい石垣のうえにそびえたつ熊本城の天守閣を見上げた>(15巻『火輪の王国 前編』182、188ページ)

開崎と不開門で会った後、ホテルへ帰るまでのシーンなんですが、私はこの坪井川沿いの道のことかと思っていたのですが、後から色々考えてみると、どうもここではないような気もしています。


高耶さんが直江のことを考え、開崎に言われたことを検証し、自問自答しながら歩いた「堀端」の道ですが、不開門から降りて突き当たる、県道303号沿いに、よくよく見ると、小さな水路のような堀?らしきものがあるみたいなんですよね。最短距離を通るだろうことも考え、高耶さんが通ったと推測されるルートが緑のライン、私が前日に歩いたルートがオレンジのラインです。高耶さんは、小さな堀のある県道303号沿いを歩き、県立美術館分館のところで道をそれ、坪井川と信号を渡り、ホテルへ戻ったのではないかと。ただ、「堀端を吹き抜ける風」とあるのがちょっと引っかかるんですが…。県道303号沿いにあるのが、小さな堀であることを考えると、ちょっとイメージが違うのかもしれません…。前日、不開門から下りてきて、お城の敷地内の遊歩道っぽいところを通ってしまったので、その堀沿いの道の雰囲気がよくわからないので、何とも言えませんが。途中、天守閣が見えるかどうかということもありますし…。また熊本を訪れる機会があれば、今度は是非この道を歩いてみたいと思います。

6時50分頃、ホテルに戻ってきました。


写真は、部屋から見た熊本城。朝日を受けて、神々しささえ感じられます。


1時間弱の散歩でしたが、前日夜、意外と量を食べていなかったせいか、近年感じたことがないほどお腹が空いてしまいました。
7時から、ホテルにて朝食。和食と洋食どちらか選べたんですが、相方も私もほぼ迷わず和食に。

結果、大正解でした。お腹が空いていたせいもあると思うのですが、一品一品が美味しくて、夢中で食べてしまいました。カレイの西京焼きとか、脂が乗ってて最高にご飯が進みます。焼きなすとなめこのお味噌汁も味わい深かったです。

好きなものを選んで食べられるバイキング形式の朝食も良いんですが、この内容なら、定食でも大満足ですね。これまで泊まったホテルの中でも、特に心に残る朝食でした。
朝食後、名残を惜しむように、熊本城をもう一枚。


この日も良い天気です。
8時前にチェックアウトし、最寄りの「熊本城・市役所前」電停から市電に乗車。


路面電車が走っている街では、やはり一度は乗っておきたいものですよね。
15分ほどで、熊本駅に到着。


手前左の屋根は市電の駅の屋根です。
熊本駅のすぐ近くに、「ホテルニューオータニ熊本」があります(写真中央のビル)。

<「滞在中は熊本駅前のホテルニューオータニに宿泊します。来る用事もないだろうけれど、一応伝えておきます」>(15巻『火輪の王国 前編』177ページ)

不開門付近で、開崎が去り際に高耶さんに伝えた台詞です。携帯とかまだ無い頃の話ですもんね…。

立花道雪と高橋紹運が、新冥界上杉軍の総大将となった直江に会うために、このホテルを訪れるシーンもありました(15巻277ページ)。

列車の時間もあるため、ニューオータニは遠くから見るだけ。そして、ここで前編は終了。後編の阿蘇へと続きます。



2016.09.28 up


火輪ツアー 其壱 後編 →







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