大人の本気!?ツアー in 烈夏の京都

〜みなぎわに涼をもとめて

前編




◆旅行日:2012年7月18日〜19日

◆行程:
※下線はミラツアスポット
※グレー文字は後編にて

◇7月18日:
東京駅→(こだま)→京都駅→(JR奈良線)→東福寺駅→(京阪本線)→出町柳駅→(叡山電鉄)→鞍馬駅→(徒歩+ケーブルカー)→鞍馬寺→(徒歩)→貴船「ひろ文」(ランチ)→(徒歩)→貴船神社→(徒歩)→貴船駅→(叡山電鉄)→出町柳駅→(京阪鴨東線)→祇園四条駅→(徒歩)→四条大橋→(徒歩)→円山公園→(徒歩)→ねねの道〜石塀小路〜二年坂〜三年坂〜清水坂→(バス)→祇園界隈〜白川沿い
→(徒歩)→四条大橋→(徒歩)→先斗町→(徒歩)→まんざら亭団栗店(夕食)→(徒歩)→四条河原町→(バス)→京都駅前→(徒歩)→リーガロイヤルホテル京都→(徒歩)→新・都ホテル

◇7月19日:新・都ホテル→(徒歩)→京都駅→(徒歩)→鴨川べり→(徒歩)→豊国神社→(バス)→京都駅前→(徒歩)→新・都ホテル→(徒歩)→京都駅→(JR奈良線)→宇治駅→(徒歩)→宇治橋→(徒歩)→中の島→(徒歩)→茶室・対鳳庵→(徒歩)→中村藤吉平等院店(ランチ)→(徒歩)→宇治駅→(JR奈良線)→京都駅→(バス)→京都大学→(徒歩)→銀閣寺→(徒歩)→哲学の道→(徒歩)→水路閣→(バス)→京都駅前→(徒歩)→地下街ポルタ→(徒歩)→京都駅→(こだま)→東京駅

◆同行者:パートナー




かねてより私が四国四国四国…と呪文のように唱えていたにもかかわらず、今夏の四国行きもあえなく却下と相成りました(涙)。足摺岬のプランも考えてはみたんですが、関東在住の私たちが公共交通機関を駆使して行くには、時間とお金がかかり過ぎるんですよね(空港から遠くて…)。足摺岬はやはり2泊3日くらいのつもりでじっくりと予定を立てないと無理そうです。

というわけで、その他のミラツアスポットの中から(相変わらずこれが前提)相方が選んだのが京都。叔母が京都に住んでいたり、以前勤めていた会社の本社が大阪にあったので出張の度に翌日休暇を取って京都で遊んで帰ったりしていた(笑)ので、これで人生十何度目かの京都です。
因みに、その会社、御堂筋にありました(ハザマ製菓じゃありません…笑)。


今回利用するのは、JR東海ツアーズのプラン。新幹線往復+ホテル素泊まりで、一人19900円というお得なプランですが、安い代償として新幹線が「こだま」という…。
例によって野菜ジュースで気合いを入れます。
東京駅を6時56分に出発したこだまが京都駅に到着したのは、10時34分。3時間半以上…。長かった。

写真は新幹線西口。 

『みなぎわの反逆者』で、高耶さんと綾子ねえさんが待ち合わせをしていた烏丸中央改札口へは、乗換えで時間がないため、また後ほど。


それでは、京都の広域地図を見ながら、今回の旅の計画を…。赤字は主なミラツアスポット。鞍馬寺、神護寺、宇治公園がやや遠いですね。1泊2日ですべて回るには時間的にちょっと無理があるので、今回は神護寺を諦め、『みなぎわ〜』にのみスポットを当てることにします。内容復習の方も『みなぎわ〜』だけで精一杯ですし(一週間前に急に決まったので)。

1日目は、先ず鞍馬に向かいます。鞍馬寺を拝観し、貴船へ抜けて貴船神社を見た後、京都市街に戻ります。四条大橋、円山公園を回ってから祇園界隈や二年坂、三年坂辺りを散策。夕飯を食べた後、宿泊するホテルに帰りがてらリーガロイヤルホテルにお邪魔します。2日目は、豊国神社まで早朝散歩。一旦ホテルに戻ってから宇治へと出発。午後、京都市街に戻って京都大学へ。京都大学を見た後は相方の希望で銀閣寺を拝観。哲学の道を辿って、水路閣の辺りまで歩きます。

詳細地図はまたその都度載せますね。

と言うわけで、先ずは鞍馬寺です。鞍馬へ行く叡山電鉄は出町柳から出ています。出町柳へはもちろんバスでも行けますが、私たちは時間の読める電車を使うことにしました(京都市内は渋滞が多いので)。

写真は途中の乗り換え駅で。こんな風にエスカレーターが左側通行なのを見ると、「関西圏に来たー!」って実感するんですよねえ。
出町柳駅から叡山電鉄に乗ります。

この辺りから若干ローカルな感じが。
電車はやがて緑濃い山の中へと入って行きます。
京都駅から1時間ちょっとで鞍馬駅に到着。

駅のホームで天狗のお面がお出迎え。鞍馬と言えばやはり天狗でしょうか。『みなぎわ〜』でも天狗さんたち大活躍でしたね。

鞍馬、貴船エリアは初めてなのでワクワクします。


では、鞍馬〜貴船周辺の位置関係を。赤字はミラツアスポット。鞍馬寺から貴船へ抜ける山道は、コチラ(リンク先PDF。リンク切れの際はご容赦下さい)のイラストマップが非常に参考になると思います。今回私たちがランチを頂いた「ひろ文」さんのHPにアップされているものです(作成は貴船観光会というところらしい。私は現物を貴船駅で入手しましたが、鞍馬駅にも置いてあるのかもしれませんね)。

『みなぎわ〜』で、高耶さんは二度、鞍馬寺を訪れていますが、最初に来たのは、京都大学から阿木老人を追ってのことでした。

<老人が向かった先は鞍馬山だった。(略)山の裏側には有名な貴船神社があり、京都の奥座敷と呼ばれるだけあって、趣のある場所だ。鞍馬寺のそばの小さな駅の周辺にはみやげ物屋が並ぶほかは店も少なく、閑散としている>(『みなぎわの反逆者』110ページ)

郊外と言えども、さすが京都。観光客は結構います。冬だと多少閑散としているんでしょうか。
<老人は、仁王門の前でハイヤーから降りると、ここからケーブルカーに乗って上にある本殿のほうへ向かったようだ>(『みなぎわの反逆者』110ページ)

階段を登ると仁王門があります。阿木さんはこの先からケーブルカーに乗ったとのことですが、仁王門からケーブルカー駅までの間にも少し階段がありますし、上でケーブルカーを降りてから本殿までは更に十数分の道のりで途中階段もありますので、おじいちゃんにはキツそうです。それとも相当元気なおじいちゃんなのかな。
仁王門。

写真左に、狛犬を撮影している方がいらっしゃいますが、この狛犬、実は…
狛犬ではなく、虎なんです。

「阿吽の虎」と言うそうです。こちらは吽形の方ですね。

鞍馬寺の本尊の一尊である毘沙門天の使いが虎であることから、鞍馬山では虎が大切にされているのだとか。

この阿吽の虎は本殿前にも一対あります。
その毘沙門天の加護を受け、高耶さんの霊波同調は格段に精度があがっていました。

<高耶は上にのぼるのをあきらめ、仁王門のそばの石段に座りこんで、護法童子との霊波同調に集中した>(『みなぎわの反逆者』111ページ)

高耶さんが座ったのはどの辺りでしょうか。
仁王門をくぐると受付があり、ここで愛山費200円を納めます。

愛山費は「浄域と山の自然を保つため」だそうです。
右の階段を行くとケーブルカー乗り場。歩いて本殿に行く人は左の坂を登っていきます。「つづら折り」というかなりしつこい上り坂が待っているそうです。

この後、貴船へ抜ける山道も歩かねばならないので、私たちはケーブルカーへ。片道100円ですしね。
ケーブルカー「山門駅」。

上の「多宝塔駅」へはほんの2分ほど。
ケーブルカーを降りてから本殿まで、まだまだ歩きます。

灯篭の並ぶ木漏れ日の道がいい雰囲気。
見上げれば、もみじの緑が鮮やかです。

紅葉の時期は真っ赤に色づいて綺麗でしょうね。
あれ、まだこんなに長い階段が…。おれら、ケーブルカーに乗ったはずだよね、確か…。

まあしかし、神社やお寺って、こうして階段を一歩一歩踏みしめて詣でるからこそ、ありがたみがあるというものなのでしょう。
本殿に上っていく途中にある手水舎にて。

「お水さんありがとう」の言葉が何となく京都っぽいなあと。


やっとこさ本殿に到着。

<「これが例の遺髪曼陀羅や」 箱を受け取って、中から現物を取り出す。曼陀羅は「巻き物」状となって、箱に入っていた。高耶はそれを取り出して、静かに石畳の上に広げた>(『みなぎわの反逆者』175ページ)

この本殿前の広場は…高耶さんが空中に種字曼陀羅を描く〜下間頼竜の謀略に遭い、高耶さんが吐血して倒れる〜尊天が味方して高耶さん復活〜地面から天狗現る〜という一連の場面の舞台となった場所ですね。中でも、種字曼陀羅を描くシーンは印象的でした。曼陀羅に描かれた無数の仏たちの真言を一つずつ唱え、空中に正確に種字曼陀羅を描き上げていく高耶さん。惚れるわー。

作中で「石畳」と書かれてあるのは、恐らくこの「金剛床」のことなのでしょう。

金剛床は、人間と宇宙が一体化するという鞍馬寺の教理を現したものなのだそうです。近年ではパワースポットとして注目されているのだとか。
本殿脇から見た本殿前の広場。写真左側が本殿です。

数百体という数の天狗が地中から出現したのも、この広場一帯であったと思われます。

<ビキビキ、と音を立てて、地面が木の根っこ状に模様を描いて盛りあがった。さらに土は隆起し、ボコボコと高さ一メートルほどの土人形のようなものが高耶を取り囲むようにできあがった。(略)鞍馬山の天狗たちは尊天の眷属であった。それらがいま、魔王尊と同化した高耶の命をうけて息づきだしたのである>(『みなぎわの反逆者』221〜222ページ)


本殿前の広場から街の方角(南)を眺めて。

阿木さんらが曼陀羅を取りに行っている間、高耶さんは広場に立ってじっと街の方を見つめていました。そして、村重を晴家ごと討てなどと、まるで忠誠を試すかのように冷酷な命令を告げる高耶さんに、直江は殺意を覚えたのでした。

<沸き起こる憎しみはみるみる膨れあがり、すぐに抑えきれなくなる。(略)のどをしめつけたまま、直江はその耳元へ、唇を押しあてるようにして囁いた。「あなたを。このまま……殺してやりたい……っ」>(『みなぎわの反逆者』174ページ)

高耶さんと直江の衝突が頂点に達した瞬間だったのではないでしょうか。傲慢で威圧的な高耶さんに翻弄される直江の苦痛は相当なものでしょう。ましてやその人を愛してしまっているわけですから。でも、高耶さんも高耶さんで、そんな態度を取る以外、直江との関係性をうまく計れなかったのだろうと思います。失うことへの恐怖や己への猜疑心、他者への不信感…心の中に巣食ったそういう負の感情が彼を「女王様」に仕立て上げてしまったのでしょう。そう思うと、直江よりむしろ高耶さんの方が痛々しいように、私には感じられるのです。

あ、因みに高耶さんはこの辺りから街の方角を見つめていましたが、街自体は山に遮られて見えません。この展望台のように張り出た一角は「翔雲台」と言って、平安京の擁護授福のため護法魔王尊が金星から地球に降臨した場所なのだそうです。


さて、こちらは本坊金剛寿命院です。本殿の西側にあります。

寺務所がある場所で、遺髪曼陀羅を預ける時と受け取る時、阿木老人がここを訪れていました。
本殿と金剛寿命院の間に、奥の院(魔王殿)へ続く参道の入り口があります。参道と言っても、ほぼ山道です。

この道を行くと、奥の院を過ぎて、貴船エリアにある鞍馬寺西門に出ることができます。
奥の院参道を歩いて数分のところに「霊宝殿」があります(拝観料200円)。

一階は鞍馬山の動植物に関する展示のある自然科学博物苑、二階は寺宝展示室と与謝野鉄幹・晶子の遺品を展示した記念室、三階は仏像奉安室になっていて、国宝の毘沙門天像もあります。

毘沙門天と聞いては、拝観しないわけにはいかないでしょう。
時間はやや押し気味なので、一階、二階はさらりと見学し、三階の仏像奉安室へ。

ここに展示されている仏像には国宝が三体、重要文化財が二体。中でも平安時代後期のものとされる「木彫毘沙門天立像」は、左手を目の上にかざして彼方を俯瞰する姿が独特で、北方より平安京を守護する様をあらわしているのだそうです。

人も多くないので、じっくり仏像と対面することができます。200円で国宝を存分に眺められるとは、何ともありがたいことです。
再び山道に戻って、てくてく歩きます。


ところで、鞍馬という地名は「闇部(くらぶ)」から転じたとする説があるようで、その名の通り、鬱蒼とした木立に囲まれた山道は昼でも薄暗く、深山幽谷の情緒が漂っています。


また、ここ鞍馬山は、若き義経が天狗から武芸修練を受けたという伝説の残る山で、牛若丸に因んだ遺跡が点在しています。
ここもそのひとつ、「牛若丸背比べ石」。

柵に囲まれて見えにくいですが…、奥州に下る牛若丸が名残を惜しんで背を比べたと言われる石です。
「背比べ石」、鞍馬天狗と牛若丸が出会ったとされる「僧正ガ谷」を越えると、いよいよ「木の根道」。

岩盤が固く地中に根が張れないため、こうして地上に顕わになっているのだそうです。


『炎の蜃気楼紀行』によると、桑原先生はこの悪路を走って、鞍馬寺本殿から貴船神社まで行って往復一時間で戻ってきたとのことですが、これは大変な記録?です。私たちは、霊宝殿から鞍馬寺西門まで約四十分かかってます(貴船神社へは更に少しかかる)。それを往復一時間って…。さ、さすが、ミラージュの作者だ。
木の根道が終わった頃、現れるのが「奥の院・魔王殿」。

鞍馬寺の三尊のひとつ、護法魔王尊を祀っています。650万年前に金星から地球に降り立ち、体は通常の人間とは異なる元素から成り、年齢は16歳のまま年をとることのない永遠の存在であるというこの御法魔王尊。『みなぎわ〜』では、折れた肋骨が肺に刺さる重傷を負った高耶さんを、その神秘的な霊力で救ってくれていましたね。ありがとう、魔王尊さん。
奥の院を過ぎると、下り坂です。

鞍馬寺は千手観世音菩薩、毘沙門天王、そして前述の御法魔王尊を三身一体の「尊天」と称し、本尊としているわけですが、もらったパンフレットによると、尊天とは、「『宇宙の大霊であり大光明、大活動体』であり、私たち人間をはじめ万物を生かし存在させてくださる宇宙生命・宇宙エネルギー」であると書かれています。

何やら壮大な話ですが、この鬱蒼とした山中を歩いていると、暗い木陰のどこかに未知なる宇宙への扉が潜んでいるような、そんな不思議な感覚を覚えそうにもなるのです。
鞍馬寺西門を出ると、時刻はもう2時。

写真は西門を出てすぐの貴船川に架かる奥ノ院橋。
振り返って西門を撮影。

ここから逆ルートで参拝することも可能です。
さあようやく貴船に出てきました。貴船と言ったらもちろん川床ですよ。

しかし、川床は高い…。ランチと言えども一人7、8000円〜。そんなカネ、昼飯にかけられっかー!と憤慨した私たち(あれ、これって大人の本気ツアーじゃ? 全然大人の貫禄がないおれらって…)が、ネットで唯一見つけたお得に川床ランチが楽しめる店が「ひろ文」さんです。

このお店、流しそうめんが1200円で頂けるというのでかなり人気。ハイシーズンは1〜2時間待ちもあるとのことですが、さて、今日はどんな様子でしょうか。
混雑具合を心配しながら、 貴船神社の前を通り過ぎ、北上して「ひろ文」へと向かいます。

貴船川沿いはこういう川床の店がずらーっと並んでいます。見るだけで涼しそうです。

写真は「貴船茶屋」。
「ひろ文」の流しそうめん待合処。

待ち時間は30分くらいとのこと。ほっとして受付でお金を払い、こちらの待合処で順番が来るのを待ちます。

一段上に流しそうめんのレーンが設けられている川床があって、順番が来るまではこちらの下の川床で待つというスタイルです。
鞍馬山の中は日陰だったとは言え、険しい山道だったため、結構汗をかいていたのですが、川床に上がったら涼しいのなんのって…。市街地との気温差は10度くらいあるそうです。天然クーラーとは正にこのこと。

撥ねる水飛沫を眺めながら涼んでいると、待ち時間なんてあっという間です。
流しそうめんの注意事項。

HPにも書いてあったので、事前に知ってたんですが、所々突っ込みたくなるような文句が。「どんなに待ち時間が長くなっても絶対におこらないで下さい」って(笑)。

結局、順番が来るまで50分くらい待ったんですけど、川床があまりに気持ちよくて、待つのも全然苦痛じゃなかったです。川床マジックですね。
流しそうめんのレーンの目の前は滝になっていて、一層涼しげです。
レーンは4本あり、事前に自分たちのそうめんはどのレーンなのか説明があるので、そのレーンを流れてきたそうめんを掬って食べます。最後に赤い梅味のそうめんが流れてきたらおしまい。

そうめんだけでお腹いっぱいになるのか?と思っていたのですが、量は割とたっぷりあって、しっかり満腹になりました。デザートにわらび餅までついて、1200円で貴船の川床と流しそうめんを体験できるなんて、値打ちのあるランチでした。
しかし、貴船は人出が多かったです。狭い道にしょっちゅう車も通るし。きっと直江のようなやつがぴゅーっと車でやって来て、1万円くらいの川床ランチを食べて、ささっと車で帰っていくのでしょう。涼しい川床で美味しい鮎でも食べませんか、とか言って高耶さんを誘惑するのですよ(笑)。

おっと。こちらは貴船神社の参道です。無数の灯篭が立ち並ぶ情景は有名ですね。今度は灯りがともる時間帯に来てみたいです。
境内に上ると、七夕飾りがありました。

風流だな〜と思って短冊を眺めていると、「がんばれ、オレのかんぞう」なんて書いてあるのを見つけてしまいました…。うーん、取りあえずアルコールを控えようよ(笑)。
貴船神社にお参りした後は、貴船駅へと下って行きます。

川床の上ほどではないですが、川沿いの道は幾らか涼しげです。
道すがら、麩まんじゅうを買い食い。

独特のもちもちした食感がたまりません。
貴船駅から再び叡山電鉄に乗って京都市街に戻ります。

出町柳駅で乗り換え、今度は京阪鴨東線に乗って祇園四条駅へ。
市街地に戻ると、京都の暑さが身に染みます。むわーっとします。恐るべし、盆地の夏。

写真は、祇園四条駅の目の前にある「南座」。江戸時代から続く日本最古の劇場だそうです。
祇園四条駅のすぐ西には四条大橋が架かっています。

四条大橋は、高耶さんと綾子ねえさんが来ていますし、二百年前にこの近くで晴家と慎太郎が出会ったという場所でもあります。『みなぎわの反逆者』という物語の原点とも言える重要な場所ではないでしょうか。

写真は、橋の南東のたもとから、四条河原町の方を撮影。

ここへはまた後ほど、日暮れ時に来ることにします。


それでは、ここらで再度地図を。
この後はミラツアスポットの円山公園を訪ね、暮れなずむ京都の町並みを少し散策します。ねねの道〜清水坂(オレンジ色部分)、白川沿い(水色部分)、先斗町(紫色部分)などをぶらぶら。夜は「まんざら亭団栗店」の納涼床でしっぽりと。

四条通を円山公園の方に向かって歩きます。

個人的には、八坂神社に向かうこの道を歩くと、ああ京都だな〜と思ってしまいます。
途中にあったお茶屋さん「祇園辻利」の祇園本店。

二階と三階に喫茶がありますが、私たちは店頭で売っている抹茶ソフトを購入。
店員さんが「店の奥のベンチでどうぞ」と言ってくれたので、座って食べさせて頂きました。

抹茶ソフトは、すごく濃厚で、なめらかで、とても美味しかったです。
商品もディスプレイの仕方も、シックで統一感があって素敵です。

お茶好きな相方は、試飲させてもらった水出し冷煎茶を美味い美味いと言って一箱買っていました。
四条通のどんづまりに、八坂神社の楼門が見えてきました。

円山公園へは、八坂神社の中を突っ切って行きます。
立派な本殿を横目に真っ直ぐ歩いて行くと、いつのまにか円山公園の中でした。
有名な円山公園のしだれ桜。

狭間社長が電話で呼び出され、ここで村重と会っていましたね。村重が頼廉に襲われた時、助けたのは綾子ねえさんでした。
「女だと思って侮ると痛い目見るわよ。こっちゃあ気合いの入った二百年目の女子なんだから」って、さすがねえさん、女らしいと言うべきか男らしいと言うべきか(笑)。でも、慎太郎と思った相手が村重だとわかっても、景虎の命に反して追いかけて行ってしまうその心情はやはり女の子なんでしょうね。
さて、ここからはミラージュと関係無い場所を少し散策します。

ここは円山公園から高台寺界隈へと続く「ねねの道」。豊臣秀吉の妻ねねが、秀吉の菩提を弔った高台寺に通うためによく歩いた道であることから、この界隈をそう呼ぶのだそうです。

旅館や料亭が建ち並ぶ、しっとりとした風情の道です。
ねねの道沿いにある旅館の塀の上から、ひょっこり顔を出していたにゃんこ。

ばっちり目が合ってしまいました…。
こちらは、ねねの道から西側にそれたところにある「石塀小路」。

石畳の道は夜のお客を迎えるためか、涼やかに打ち水が施されています。
敷居の高そうな料亭や旅館ばかり。

仮にも「大人の本気ツアー」ならば、こういうお店に入ってみたいところですが、奮発したとしても無理そうです。一見さんお断りでしょうからね。

しかし、古風な佇まいの店が並ぶ小路は、まるで江戸か明治かの頃にタイムスリップしたような感覚を味わえて、なかなか楽しいです。
再びねねの道を南下して二年坂までやって来ました。

この辺りはお土産屋さんが並ぶ賑やかな道…のはずなのですが、大半のお店はもう閉まっていました。それもそのはず。この時、時刻はすでに6時半。
こちらは三年坂の辺り。

清水寺にある子安観音へ安産を祈願するために登る坂であることから「産寧坂」とも呼ぶそうですが、こんな急な坂、妊婦さんが登って大丈夫なんでしょうか…。
三年坂を登り切ると、清水坂に出ます。

写真は清水寺の方を見上げたところ。先端だけ見える塔は、清水寺の三重塔でしょうか。

東山をバックに西陽を浴びた坂道、「ゆどうふ」「八ツ橋」の看板。いかにも京都らしい情景です。
そして、清水坂を下って行くと、お客を乗せた人力車が小気味よい速度で追い越していきました。


道の上に伸びる長い影が、何となくセンチメンタルな感情を呼び起こします。
清水坂を下り切ったところでバスに乗り、バス停2個ほど北上して祇園界隈にやって来ました。

祇園と言うと、京情緒溢れる花街というイメージですが、こんな風に雑居ビルが建ち並ぶところも結構あるようです。

で、驚いたのは、この辺りの電線のカオス具合。見事なまでにぐっちゃぐちゃ。なぜにこのようなことに…?
白川に架かる「新橋」までやって来ました。

写真は、「新橋」の上から「巽橋」の方を眺めて。

薄暮の街に灯りがともり始めました。
こちらは「巽橋」(中央やや右)。


この辺りは人気スポットで、外国の方々や、人力車に乗った観光客が次々と訪れます。
白川沿いも旅館や料亭が並んでいます。


提灯の灯りって、柔らかくていいですね。
白川沿いを川端通まで歩いてくると、空は見事なトワイライトカラーに。

いい感じに暮れてきたところで、もう一度、四条大橋へ行ってみます。


続きは後編にて。
 









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