松本&妻女山、信州うららか春旅

〜仰木高耶を育んだ街を訪ねて

後編




旅行日:2012年4月28日〜29日

行程:(下線はミラツアスポット)

4月28日:
千葉駅→(あずさ)→松本駅→(徒歩)→マクドナルド松本店→(徒歩)→「松本インター手前のガソリンスタンド」&「向かいのファミレス」→(徒歩)→「駅前のショッピングセンター」→(徒歩)→松本駅前ターミナル→(徒歩)→伊勢町通り→(徒歩)→パルコの通り→(徒歩)→「大通りの楽器店」→(徒歩)→駅前大通り→(徒歩)→信越放送&NHK→(徒歩)→中町通り→(徒歩)→蕎麦倶楽部 佐々木→(徒歩)→中町通り→(徒歩)→本町通り〜千歳橋→(徒歩)→女鳥羽川沿いの道→(徒歩)→中の橋→(徒歩)→四柱神社→(徒歩)→松本ホテル花月→(徒歩)→テレビ信州→(徒歩)→松本城→(徒歩)→深志高校→(徒歩)→丸ノ内中学校→(徒歩)→義民塚→(徒歩)→城山公園→(徒歩)→ホテル飯田屋→(徒歩)→ホテルブエナビスタ→(徒歩)→卯屋→(徒歩)→MAIN BAR COAT→(徒歩)→ホテル飯田屋

4月29日:松本駅→(JR篠ノ井線)→篠ノ井駅→(徒歩)→妻女山展望台→(徒歩)→篠ノ井駅→(JR篠ノ井線)→松本駅→(バス)→浅間温泉→(バス)→松本駅→(あずさ)→新宿駅→帰宅


※グレー文字は前編にて

同行者:パートナー





さて、松本城の見学を終えると、時刻は4時過ぎ。松本城にもっと時間がかかると思っていたので、予定より少し早めです。これから深志高校、義民塚を見て回り、最後の城山公園で夕焼けを見ようという寸法なのですが…、タイミングが合うかどうか。

松本城より北は、普通の住宅街が広がっていました。この細い道をずっと道なりに北上すると、深志高校の正門前に辿り着きます。

何の変哲も無い道ですが、高耶さんや譲も通ったことがあるかもしれないと思うと、妙にワクワクしますね。
深志高校が見えてきました。

『炎の蜃気楼紀行』で桑原先生が書いてるところによると、城北高校にはモデルは特にないらしく、場所的に言えば、深志高校のあたりになるとのことです。

あくまでイメージではありますが、それでもやはりひと目見てみたいんですよね。
深志高校の正門前。

この建物(管理普通教室棟)は、旧制松本中学校校舎として昭和8年に建てられたもので、国の登録有形文化財になっているそうです。

アニメの城北高校のデザインを見ると、確かにこの深志高校をモデルにしていることがわかります。
この校門前で、直江は何度高耶さんを待ち伏せ?したことでしょう。

しかし、高耶さんが高校を卒業できなかったことを思うと、切ない気持ちになります。
校門前のバス停。

1巻で、すし詰め状態のバスからはじき出されてつまずいた沙織が、譲に手を差し出されるというシーンがありました。

思えば最初は学園モノっぽかったんですよね。
正門の西側にもひとつ門があり、そこから自転車置き場が見えたのでパチリと撮らせてもらいました。

10巻では、修学旅行の準備のために登校した沙織が自転車置き場で「待っててね、あたしの成田君!」と気合いを入れたところで、突然譲本人から声をかけられ悲鳴を上げる…なんていうシーンもありました。

因みに、その後の…千秋のレパードが乱暴に職員用の玄関に乗りつけ、高耶さんが降り立つシーンはやたらとかっこよかったです。
深志高校を見た後は、義民塚へ向かいます。

陽はだいぶ西に傾いてきました。

深志高校の辺りもそうでしたが、坂が多いです。
義民塚の前に…、義民塚の向かいにある丸ノ内中学校に寄りました。ここは加助たちの遺骨が出土した場所です。

<沙織の通っていた中学校は四十年ほど前に創立された学校だが、校舎建設にあたり敷地の地ならし工事をしていたとき、その土地からたくさんの人骨が出てきたという。(略)これをきっかけに調査を進めたところ、この場所は江戸時代前期、貞享三年(一六八六年)に松本で起きた『加助一揆』の首謀者とされた人々が処刑された場所であったのである>(2巻『緋の残影』131ページ)
義民塚入り口。

丸ノ内小学校から道路を挟んで向かい側にあります。

訪れる人もなく、ひっそりとしています。
入り口を入るとすぐ、加助のレリーフが飾られた石碑があります。

レリーフの下には義民二十八名の名前が彫られています。
丸ノ内中学校で発掘された遺骨を埋葬した義民塚は、草の生い茂る中を通って奥の方にあります。
あれ、どこどこ? と一瞬探してしまいましたが、この社の左側にほとんど獣道のような道があり、そこからぐるっと裏側へ回ると、義民塚です。
義民塚。

<四人は奥の『義民塚』の方に足を進ませた。そこはささやかな広場になっていて、柵と祠の向こうに、こんもりと半円状に盛られた墳墓が築かれている。あたりは静かで鳥がさえずる声だけが聞こえた>(2巻『緋の残影』136ページ)

この場所で、綾子ねえさんが結跏趺坐し、霊査を行ったのでした。
それにしても…、一旦承諾した年貢の引き下げを反故にし、更に百姓たちの窮状を訴えた者を処刑するなどという卑劣極まりないことが、かつてまかり通っていたなんて。今の世で、「自由」や「平等」が当たり前のこととして認められているのは、歴史の中で人々が絶えず不条理と戦ってきた賜物なんだなと、改めて思ってしまうのでした。

敷地内には、ムスカリの花がひっそりと咲いていました。ムスカリの花言葉には、「失望」、「明るい未来」というまるで正反対のものがあるそうです。義民たちの想いは果たして今の世に通じているのかどうか。
次は城山公園に向かいます。

展望台があるくらいだから、公園は高台の上。多少近道かと思って、住宅街の中の細道を通ったら、こんなに急な坂が。見晴らしはいいでしょうけれども、住んでる人は大変だろうなあ。

ひたすら坂を上り続けて、ふと振り返ると、いつの間にか街を見下ろす高さになってました。
城山公園に到着です。

桜は八割方散っていましたが、芝生の上ではまだお花見を楽しむ人がいました。

2巻のラストでは高耶さんと直江が、10巻では高耶さんと千秋が、それぞれこの城山公園の展望台を訪れています。
入り口の案内板に従って歩くこと数分。展望台が見えてきました。
加助騒動の三日後、直江は高耶さんを「夕焼けを見に」誘い出し、ここへやってきます。

高耶さん曰く、
「普通、こんな時間にこんなとこくんのは、変なカップルとかそんなんだけだぜ」

ごめん、変なカップルで(笑)。つか、別の意味で変なカップルだな、おれら。
結構立派な展望台です。

しかし、カップルの話題が出たところで、すかさず
「あなたにはいないんですか? 一緒に来るような女の子は」とちゃっかり聞いておくあたり、さすが直江ですね。
眼下には奈良井川が流れています。

こちらは南西の方角。
松本の市街地。縮小前の画像ではちゃんとお城の姿も確認できました。

10巻で、高耶さんは松本の街を見下ろしながら、
「オレは……この街が嫌いだ」、「早くこの街から、逃げ出したかった」と語っていました。それでも、どんなに嫌っていても、仰木高耶という少年の中にはこの街のにおいが染み付いているように思えます。だからこそ、高耶さんは嫌っていたのかもしれませんが。

高耶さんを育んだ街だと思うと、私にはとても愛しく感じられます。


2巻で、高耶さんと直江は西の山並みに太陽が落ちた後の夕焼けを眺めていました。今回はちょっとばかりタイミングが早かったようですね。でも、西日に照らされる松本平も充分きれいです。

<風にあおがれて、高耶は自分の腕を抱いた。展望台から見下ろす松本平。この土地に染みついた深い歴史を思って、高耶は小さな自分を抱いていた。「……?」まぶたを閉じた彼の背中を暖かい空気が包んだような気がして振り返った。直江がおだやかな目で彼を見つめている>(2巻『緋の残影』238ページ)

<他愛のない会話をしているうちに、陽はとっくに山の向こうに落ちてしまった。松本の街に灯りがともり出す。ぽつぽつとともる家々の灯り。美しい山々のシルエットに囲まれて、松本平の灯りはひとつひとつが、なぜだかひどく、暖かい>(2巻『緋の残影』241ページ)

10巻では、高耶さんがここからの眺めが好きで、よく待ち合わせ場所にしていると書かれていました。もしかして、直江との関係がこじれる前に二人でここから夕焼けを眺めた思い出を、高耶さんは無意識のうちにあたためているのかな、と邪推したり。その10巻で、千秋から「直江を失くすことになる」と忠告を受けたにも関わらず、直江とのことには誰にも口をはさませないと突っぱねた高耶さん。果たして千秋の忠告は不吉な予言のごとく現実のものとなってしまうわけですが、「あいつの真実以外のものに、……オレは惑わされない」と告げた高耶さんの気持ちもわかるんですよね。二人の間にある究極の真実を見極めようとするなら…、中途半端な優しさや愛情に妥協したくないというなら…、あのまま突っ走るしかなかった…やはり、直江を一度失うしかなかった…のかな、と。直江の「死」は必然のなりゆきだったのかもしれないと思えてしまうのです。

松本平を見下ろしながら滑空する鳶。

もし、高耶さんの魂が生まれ変わることがあるとしたら、こんな風に鳥になって松本の街を見守るように飛んでいるかもしれません。

背後に聳えるのは北アルプスの山々。中央が常念岳(じょうねんだけ)。その左裾の方に槍ヶ岳も写っているのですが、縮小画像ではちょっと見えにくいですね。
無事、本日のノルマを終えて、再び駅前へと戻ります。

写真は遠くに望む松本市街。こう見ると、随分遠くまで歩いてきたんですね。

しかし、自分が住んでる街を一望できる場所があるのって、何かいいなあ。
側溝脇に生えているクローバーの中に、四つ葉を見つけました。

美しき松本に幸あれ。
帰り道に偶然通りかかった「駒町馬頭観世音」。

例の加助騒動の際、農民側に同情した藩士・伊藤伊織が助命に奔走し、赦免状を得て江戸から早馬で駆けつけたものの、この辺りで馬の足が折れ、処刑の時刻に間に合わなかったという逸話があるそうです。その時の早馬の頭蓋骨を奉祀したのがこの観音様なのだとか。
陽は北アルプスの向こうへと沈み、街に夕闇が訪れようとしています。

女鳥羽川を越えたら、松本駅はもうすぐです。
ふと足元を見ると…。

松本のご当地マンホールは、手鞠柄でした。
今夜の宿は駅前にある「ホテル飯田屋」。

JTBのツアーで、宿は選べたのですが、一番安かったのがここだったので。安い割りに立地も良く、なかなか便利でした。

このホテルの一階には蕎麦屋があって、この蕎麦も安くて美味しいらしいです。一度入ってみたかったのですが、今回は機会がありませんでした。
部屋は安価なビジネスホテルとしては一般的。

この時点で18:30。居酒屋さんの予約は20:00なので、ひと休みです。
おっと。本日のミッション、まだ完遂していませんでした。もう一箇所残っているんです。

予約してある居酒屋はホテルのすぐ裏ですが、ちょっと早めにホテルを出ます。

そして、マクドナルドの前を通る時は、二階席を見上げることを忘れずに。
夜の松本駅。

ここは1巻のラストバトルの舞台です。停まっている車は炎に包まれ、駅のターミナルビルは爆撃にでもあったような有様…だったというのに、「いつしか忘れられていった」の一文で片をつけてしまう桑原先生、す、すごいな…。

そう言えば、アニメでは松本城がラストバトルの地になっていましたね。やっぱりここじゃ地味だからか?
夜の駅前大通り。

こう見ると、そこそこの都市なのに、高耶さんが「ちっぽけな街」だと、「息がつまる」と感じたのは、やはり周囲を山に囲まれていて、閉塞感があるからなのでしょうか。旅行者の目には美しい山々も、住んでいる人間からすと、また少し違うように見えることもあるのかもしれないですね。
松本東急イン。

2巻で出てきた「駅前のホテル」(直江と綾子が宿泊したホテル)は、当初はこの東急インあたりをイメージしていたらしいですね。

後になって(1991年11月)、ホテルブエナビスタがオープンし、ちょうど最上階にラウンジもあるということで、ブエナビスタの方がミラツアスポットとして注目されるようになったということらしいです(『炎の蜃気楼紀行』参照)。
と言うわけで、ホテルブエナビスタにやってきました。

地図に載せていませんでしたが、場所的には松本駅より南の方、駅から歩いて4分くらいのところにあります。

松本では一番ランクの高いホテルです。
1階ロビー。

実は残念ながら、現在、最上階(14階)にラウンジはありません。あれば行きたかったんですけどね…。今はフレンチレストランになっているようです。
こちらは、1階にあるカフェ&バー。14階のラウンジをなくした代わりに造ったのでしょうか。大きな煙突状のものは暖炉だそうです。ここに入ってみても良かったのですが、事前にネットで見たところ、メニューが少々お粗末だったので止めました。

その代わり…というわけでもないのですが、ホテル内にあるパン屋さんが結構評判いいらしいので、そこでパンをいくつか購入。翌日の朝ごはんにします。
今夜の呑み処「卯屋(うさぎや)」。
松本と言ったらやっぱり馬刺し。同窓会?で高耶さんたちも食べていた馬刺しですよ。

昔、食べたことあったんですが、味は忘れてました。改めて食べてみたら、これが美味い! 牛肉みたいにしつこい感じがなくて、私は気に入りました。薬味は生姜とにんにくがついてきましたが、私はもっぱらにんにく派。本来肉がダメな相方も少しだけ食べて美味いと言っていました。

箸をつける前に撮影するの忘れてしまって…ぐちゃっとしててすみません;;
それから、これも外せませんね。信州サーモン。

信州サーモンは、ニジマスとブラウントラウトをかけ合せた養殖品種で、なんとこの魚、卵を産まないのだそうです。人の手で生み出した品種ですが、万一自然界に流出しても繁殖しないというメリットもあるようです。

サーモン特有の臭みがなくて、サーモンの刺身があまり好きではない私でも美味しいと感じました。
にじますの陶板焼。

小ぶりのにじますですが、味は良かったです。魚の出汁がよく出ているのか、このスープがやたらと美味でした。

私たちはカウンターで食べていたんですが、後ろの座敷にいる客がやたらと酔っ払って大声出していると思ったら、どうも言葉の端々から察するに、深志高校の同窓生のようでした。高耶さんも普通の生活を続けていたなら、こういう居酒屋で高校の同窓会とかに参加してたかもしれないですね(半ば嫌々参加してそうですが…)。
カウンターの前に焼酎の瓶がたくさん置かれていますが、信州の地酒もちゃんとあります。

私が選んだのは、「緑香村(りょっかそん)」と「大信州」。特に大信州はすっきりしていながら、旨みがあって、私好みの日本酒でした。

ところで、目の前に「百年の孤独」(焼酎)の箱があるんですが、「百」の前に、思わず「四」をマジックで書き足したくなる衝動が…。うーん、酔ってきたかな。
さて、ほろ酔い気分で松本の夜に繰り出します。

ここは昼間も来た千歳橋。高耶さんが鉄パイプで闘ったところですね。
松本は、実は、良いバーがあることで有名らしいです。検索すると、本格的な店から庶民的な店まで色々出てきます。

それならば二軒目は、ちょっと正統派バーにでも行ってみようではないかということで、やって来たのが「MAIN BAR COAT」。蔵造りっぽい建物の二階にあります。

ここのマスターは、ブエナビスタのバーで修行した後、独立したとのことらしいので、もしかしたら、高耶さんにカクテルを作ったのはここのマスターかも!? (あ、でも、ミラージュには「熟年風のバーテン」って書いてあるから、違うな…)
ぎりぎりまで落とされた照明、ぬくもりの感じられる木の調度品、穏やかなマスターの話し声。落ち着いた雰囲気ながら、バーテンダーの洗練された所作ひとつひとつに格調の高さが表れています。

私が何にしようか迷っていると、観光客であることを察知したマスターがさりげなく「松本らしいものがよろしいですか?」と声をかけてくれました。勧められて注文したのがこの「松本ブリーズ」。地元のりんごジュースを使ったウォッカベースのカクテルで、りんごだけでは甘すぎるので、クランベリーも入れているのだと教えてくれました。爽やかでとっても美味しい。なるほど、アルプスから吹き降ろす清々しい風のイメージです。相方が頼んだのは、フローズンストロベリーダイキリ。これがまた苺の風味が濃厚で、甘さも絶妙。口当たり良くて、ついクイクイと飲んでしまいそうですが、アルコール度数は意外と高そう。こういうので、酔わされちゃうんだろうなあ。高耶さんとか。誰にとは言わないけど(笑)。

カメラのISO設定を変えることをすっかり忘れてました。悲しい…。そのせいもあり、この写真はなんと10秒も露出してます。カクテルを作るマスターの姿がブレブレで写ってますね。膝の上にカメラを乗せて、ファインダーも覗かずこそっと撮りました。あまり堂々と写真を撮れる雰囲気ではないもので。
二人で一杯ずつ(+お通し)だけだったのですが、一軒目の卯屋とお会計が同じくらいでした(卯屋では写真のお料理の他にも色々頼んでいます)。でも、それぞれに堪能できて、二軒とも大満足です。

さて、この道は「パルコの通り」です。パルコ前から駅前にかけては確かに居酒屋が多く、夜になるとこんな風に学生やサラリーマンがたむろっています。20巻で高耶さんと美弥ちゃんが通った時もこんな様子だったのでしょう。

ホワイトバランス戻すの忘れた…。
恒例、ホテルの部屋での三次会。

途中のコンビニでチューハイとおつまみを仕入れてきました。おつまみは、信州限定の「ばかうけ 塩わさび味」。

信州安曇野産のわざびを使っているというこのばかうけ、かなりわざびの風味が効いています。ツンと鼻をつく辛味に一瞬ウッとなりますが、その独特の旨さはちょっと癖になりそうです。
旅の二日目。

何だか食べてばかりのような気も致しますが、今日はたくさん歩くので、しっかり食べておきます。

写真は、昨日ブエナビスタで買ったパンたち。相方が駅前マックでコーヒーを調達してきて、ホテルの部屋でささやかな朝食です。

手前の丸いパンは、水を使わず赤ワインのみで作ったパンだそうです。中には信州産のクリームチーズが入っています。どれもなかなかの美味。
さて、二日目は松本から電車に乗ってちょっと遠出します。どこへ行くかと言いますと、電車&徒歩で、妻女山へ行こうという無謀な計画…。

元々、妻女山へ行くには「岩野駅」という最寄駅があったのですが、実はこの長野電鉄屋代線が、つい先日の2012年4月1日に廃線。となると、最寄は「篠ノ井駅」になるのですが、ここからがかなり遠い。でも、この機会に行かなければ、妻女山なんて今後一生行く機会がないんじゃないかという気もして…。迷ったら行っとけ、それがミラツアの掟です。

この日はホームから北アルプスが綺麗に見えました。
7:30発のJR篠ノ井線に乗ります。

かなりローカルな感じです。
犀川と北アルプスの山々。

車窓からの風景は終始のどか。
松本から一時間弱で「篠ノ井駅」に到着しました。
さすが信州。駅の売店でおやきを売っていましたよ。おにぎり的感覚で。朝ごはんはしっかり食べてきたというのに、いろはすのりんごとあわせて買ってしまいました。

妻女山で食べようかと思ったのですが、結局、篠ノ井駅に戻ってきた時に食べました。野沢菜の味付けがすっごーくよかった。ほんのり甘くて。野沢菜…あなどれんな。あと、なすバージョンのおやきもあって(この辺りではなすの方がポピュラーらしく、たくさん置いてあった)、買ってみたんですが、これもなかなか美味しかったです。


妻女山と言えば、1巻でいきなり現れた直江が高耶さんを拉致してドライブ?に連れて来た場所ですね。妻女山の前に、千曲川の河川敷に降り立っていますが(川の水が血の色に見えたという、あのちょっぴりホラーなシーンですね)、その場所は↑の地図でピンクに色づけした辺りかと思われます。直江は、川中島の合戦を詠んだ頼山陽の漢詩を引用し、
「当時の千曲川はもう少し南の山すそ沿いに流れてましたが、……そうですね。ほぼこの辺りが今の“鞭声粛々……”の場所と見ていいんでしょう」と語っていますが、上杉軍が渡河した「雨宮(あめみや)の渡し」はその言葉通り、現在の千曲川よりだいぶ南にあり、詩碑が建っているようです。
今回は、二人が降り立った河川敷や雨宮の渡し跡には行きません。と言うか、行けません。妻女山に行くだけでいっぱいいっぱいでして。何せ、最寄の篠ノ井駅から妻女山まで、ルート検索によると徒歩で片道約1時間という計算です。復路もあることを考えると、普通、歩いて行く距離じゃありませんね…。本数の少ない篠ノ井線の時刻表をチェックし、少し余裕をもって往復3時間で帰ってくる予定とします。

篠ノ井の駅前通り。

閑散としてます。ほとんど人の姿が見られません。そんな中、商店街のスピーカーからは陽気な歌が流れていて…ちょっと不思議な光景でした。
少し歩くと、人家もまばらになり、果樹園が広がる風景が。

さすがはフルーツ王国・長野。
これはリンゴの花でしょうか?
だらだら歩いて、45分ほど。

やっと千曲川に架かる「岩野橋」までやってきました。そして、やっと妻女山が見えてきました(赤い矢印の低い小山が妻女山)。
橋の上から見下ろす果樹園。これは桃でしょうか。

千曲川は画面左の方にあります。
千曲川。上流の方を向いて(進行方向に向かって右)。

この流れを遡ったところに、高耶さんたちが降り立った河川敷があるのでしょう。
岩野橋を渡って少しすると、「岩野駅」が見えてきます。知らなければ、とても駅には見えないような建物です。

この佇まい…廃線になってしまうのもわかる気はしますが、こういうローカルな路線が次々となくなってしまうのは少し寂しいです。
<ふたたび車を走らせ、長野電鉄の単線ぞいの道を数分、岩野という小さな駅の近くの踏切を渡った>(1巻『炎の蜃気楼』88ページ)

直江のセフィーロはこの線路の左側の道を走ったわけですね。

踏切はもう少し先。正面の山が妻女山です。
これがその踏切(今は使われていませんが)。ここを渡ります。

妻女山の手前には高速道路が通っているので、高架下の短いトンネル(写真中央よりやや右)を潜り、妻女山へと登る山道に入ります。
<踏切を渡ったところは畑の中の農道のようで、畑の向こうは工事現場がひろがり、ブルドーザーやらダンプやらがぽつぽつと見え、さらにその向こうは、明らかに人の手を加えたと見える土の色むき出しのハゲ山だった>(1巻『炎の蜃気楼』88〜89ページ)

当時まだ建設中だった上信越自動車道(のこの区間)は、1993年に開通したようです。
<「右手にトンネルの出口みたいなのが見えるでしょう。ここを高速道路が通るらしいですよ。ついこの間までなんでもない山だったんですがね。(略)人の想いが染みつく山河も、今は人の手でいとも簡単に消えてしまう。故郷の山河もみるみる姿を変えていく」>(1巻『炎の蜃気楼』89ページ)

たかだか数十年生きただけでも、風景の変わる様には度々驚かされるのだから、四百年生きてたらどれだけ感慨深いか、慮るに余りあります。
登り口にある「槍尻の泉」。

謙信が妻女山に本陣をかまえた時、槍の尻で地面を突いたところ、水が湧き、泉ができたという伝承があるそうです。

コップが置いてありますが、飲用には適していないそうです。
舗装されてはいますが、歩き続けた末にこの坂道は辛い…。

途中で一台登っていく車を見ましたが、歩いて登る人などもちろん他にいません。
展望台への道は何度もカーブしながら登っていきます。

あともう一息。
やっとこさ展望台に到着。

<広場の先端、岬の部分に、のろし台を模した木組みの見晴らし台が立っている。これもつい最近できたものらしい。昭和六十三年築とある。直江はそれをのぼっていった>(1巻『炎の蜃気楼』90ページ)

この展望台は鉄骨製で、何年築とも書いていませんでした。建て替えたんでしょうかね。


展望台からの眺め。

<善光寺平が見渡せる。土色の畑がすぐ下に広がり、あの辺りが千曲川か、さらに向こうに篠ノ井の町がある。それらを取り囲む山々。青空のコントラスト>(1巻『炎の蜃気楼』90ページ)

正に記述通りです。「土色の畑」はすべて長芋畑だとか。しかし、今は平和そのものに見えるこの土地の上に、六千余名もの人々の血がかつて流れたなんて、歴史の底知れぬ不気味さを感じてしまいます。
そして、この景色を眺めながら、高耶さんは直江の口から、自分が換生者であること、謙信公の名代として冥界上杉軍の大将となった上杉景虎その人であること、今この国は目に見えない戦国時代――闇戦国を迎えていることを聞いたのでした。本人は半信半疑だったとは言え、仰木高耶の人生が180度転換してしまった瞬間だったと言えるでしょう。

直江も説明していた武田軍が布陣した茶臼山と海津城ですが…、この画面には入っていません。茶臼山はこの少し左側にあります(展望台にあった説明図ではわかりづらくてどれが茶臼山だか判別できませんでした)。海津城は、この画面より右の手前の方にあるはずなんですが、木がこんもりと生えていて全然確認できませんでした。

↑の写真より左側を写した写真です。

どうやら、赤い矢印の辺りが茶臼山らしいのですが…、非常にわかりづらいですね…。
こちらは、海津城があると思われる方角(↑の写真より右側)。ご覧の通り、木が繁茂していて見えません。思ったより、視界が悪くて残念です。冬だったらまだ良かったのかもしれませんね。

本当は、展望台の近くにあるらしい「招魂堂」もチェックするべきだったのですが、見るの忘れてしまいました…。と言うのも、実はこの時、篠ノ井駅を出てからほぼ1時間半が経っていて、往復3時間を見積もっていたため、結構慌てていたんですよね。一本逃すと次の電車は1時間以上先なので…。

と言うわけで、若干早足で篠ノ井駅まで戻り、無事予定していた電車に乗れました。この辺りは、いつか免許を取ることがあれば、車で来てみたいですね。川中島古戦場跡とかも行ってみたいし。
再び松本に戻って来たのは12時半頃。写真は、昨日通ったアリオ松本の1階にあるバスターミナルです。

歩き疲れた身体を癒すには…そう、温泉ですよ。これから浅間温泉に向かいます。かつて、ときめきテレフォンで、高耶さんが「夜、いっぱい“ツカレタ”」ことが発覚したあの浅間温泉です(笑)。
バスで30分もかからず、浅間温泉に到着。

もう午後1時過ぎなので、先ずは昼食にします。二日目もやはり蕎麦。信州に来たらそりゃもうお蕎麦で決まりなわけです。

ここは浅間温泉で評判がいいらしい「かどや」。
有名人もかなり訪れているらしく、店内には筑紫哲也さんや小澤征爾さんらのサインが飾られていました。
私はもちろん冷たい蕎麦を注文しましたが、相方は二日連続で蕎麦が嫌だったのか、うどんを注文。それと天ぷらの盛り合わせ。

お蕎麦は二段でボリュームもあってとても美味しかったのですが、相方のうどんはそれと比べようもないほど残念な感じでした…。お店で出すレベルとは思えなかった…。信州の蕎麦屋でうどんを注文するのはタブーなんでしょうか。店側としても「蕎麦にしろよ!」ってことなのかもしれません。
お腹を満たしたところで、日帰り温泉「枇杷の湯」です。

こちらは、四百年前、松本城主の湯殿として生まれた由緒ある温泉だそうです。以前は旅館だったようですが、今は日帰り温泉施設となっています。
休憩所もなかなか趣きがあります。
お庭にある、立派な枝振りのこの松は、松本城主・石川康長公お手植えの松だそうです。

お風呂はそんなに広い感じはしませんでしたが、混んでもいませんでしたので、気持ちよく入れました。
さっぱりしたところで、浅間温泉の温泉街を少々散策します。

枇杷の湯の近くで、こんな味のある旅館の建物を見かけました(これは裏口だと思います)。歴史が古いだけに、旅館の建物も古の風情がありますね。
道端に設けられた飲泉所。

折角なので飲んでみました。硫黄が含まれているようで、近づいただけで硫黄の匂いがします。さっきの枇杷の湯は全然硫黄臭はなかったんですけどね。
「浅間温泉 湯けむり公園」。

浅間温泉へは、昭和三十九年まで松本から路面電車が通っていたらしいのですが、ここはその終点だった場所らしいです。昔の方が賑わっていたのでしょう。
たぶん、一番賑やかな通りだと思われる、中央通り。

…閑散としてます。日曜だと言うのに、観光客らしき人をほとんど見かけませんでした。松本観光のついでに寄るにはちょうどいいと思うんですけど…。でも、確かに特に見るべきところも無いし、お店もあまりないんですよね。まあこのうら寂しい雰囲気というのもまたオツなものですが。なんだろうな、天気のせいもあるのかもしれないですね。朝は晴れていた空も午後には曇りだしました。
「アトリエMOO(む〜)」という、障害者支援施設に併設された「おやきカフェ」にやってきました。

店内には障害者の方々が作った手作りの小物なんかが販売されています。

ここだけ浅間温泉らしからぬ?明るい空間が。
おやきセットを注文しました。焼きたてのおやきとプリンとほうじ茶でなんと380円という安さ。

おやきは色んな種類から選べるんですけど、私はかぼちゃのおやきにしました。ほんのり甘くて美味しかったです。でももっと美味しかったのはこのプリン。ほろ苦いカラメルがたっぷりかかっていて、プリン自体の甘さの加減もちょうど良くて、素朴な…、これぞ手作りって感じのプリンで、すごく美味しかった。
浅間温泉の入り口。

来た時はバスに乗っていて写真撮れなかったので。帰りは少し手前のバス停から乗車します。
バス停近くに咲いていた木蓮。

桜はもうほぼ終わっていましたが、この旅では所々でお花を楽しむことができました。その中で印象的だったのが、黄色いナズナ。イヌナズナといって、ほぼ日本中に分布しているらしいんですけど、初めて見ました。松本周辺には多いんでしょうか。何度か見かけました。
松本駅前に戻ってきました。時刻は16時半くらい。帰りのあずさは18時35分発なので、まだちょっと時間があります。

昨日の夜食べた馬刺しがあまりに美味しかったので、どうしても亀きち&亀ぞうに食べさせたいと思い、アリオの食品売り場や駅ナカを奔走したのですが、見つからず…。少し足を伸ばして「井上百貨店」というデパートの地下でようやくゲット。保冷剤をたんまり頂いちゃいました。
おみやげを買った後、まだ時間があったので、私は駅前マックで旅の余韻に浸りつつ時間をつぶすことに。相方は縄手通りの古本屋に行きたいということだったので、一人で行きました(あんだけ歩いた後なのに元気すぎる…)。

店内は小奇麗で照明も落ち着いた感じですが、昔は違ったんだろうなあ。高耶さんが今のこのマックを見たら、「ここもこんなに変わったのか」と、少し寂しく感じるかもしれませんね。
街に明かりが灯り始める頃、松本を去ります。

闇戦国に巻き込まれて、高耶さんは幾度ここから旅立ったのでしょう。次は帰れないかもしれない…なんて想いを、もしかしたらいつも抱いていたのかもしれません。
あずさの中で、相方が買ってきたピザを食べました。街中で車で移動販売しているピザ屋で買ったらしいです。注文してから焼いてくれるらしいんですが、待っている間、店主の若いお兄ちゃんと会話していて、松本城に行ったと言うと、「あんなとこなんもないっすよ!」と吐き捨てるように言われたとか(笑)。いや、話し上手な気さくなお兄ちゃんだったらしいんですけど、国宝の松本城も、実際にそこに住んでいる地元の人にとっては大してありがたみのないものなのかなと…、そういう感覚の人もいるんだなと…、ちょっと衝撃的ですが、それもひとつの冷静な意見かもしれないと思ってしまいました。600円払って行列になって危険な階段を上り下りして何が楽しいんだと言われれば、確かに…ね…。

ピザは移動車販売とは思えないくらい美味しかったです。
こちらは、亀きち&亀ぞうのために買った馬刺し。

もちろん、喜んで食べてくれました。食べきれない分は冷凍して、炙ってからあげてます。うーん、贅沢だな。

あ、でもこれ、熊本産だった…。やっぱり熊本の方が本場なんでしょうか。
アリオの地下で買ったみやげもの。

ジャムは沢屋という軽井沢のお店のもので、相方がもともとここのジャムが好きだったので買いました。桑の実ジャムは初めて。粒がはっきり残っていて、一見何かの虫っぽくてグロテスクにも見えますが、自然な甘さで美味しいです。オレンジママレードはとてもオススメ。皮のほろ苦さがちゃんと残っていて、他のママレードとは一線を画しています。

「川中島」は純米のにごり酒。トロリとした濃厚な舌触りで、お米の旨味や甘味が楽しめる逸品です。瓶の美しさに惹かれて買ったのですが、中身も当たりでした。蔵元の「酒千蔵野」は、創業が1540年と、全国でも七番目に古い酒蔵だそうです。なんでも、川中島合戦の折には、信玄公もこの酒蔵のお酒を飲んだのだとか。
そして、松本と言えば、やっぱり手鞠でしょうか。根付をひとつ買いました。

色んなところで同じようなものを売っていましたが、これはMIDORIという駅ビルの中のおみやげ屋さんで買ったもの。「松本」のタグが付いているのが気に入りました。

うららかと言うには、いささか日差しが強すぎた感もある、信州ミラージュツアー。このレポートをアップするまでに2ヶ月以上かかってしまいましたが、私の左手首には、妻女山まで歩いた時についた「腕時計焼け」の痕がいまだに残っています(あと歩きすぎて足の親指の爪に血豆ができた…)。

松本の印象は…残雪を戴く北アルプス、昼夜の温度差が激しい気候、歴史豊かな風土、綺麗な水に旨い酒…などなど。そして、美しい街だと思うと同時に、展望台から一望できる程度の大きさの、平凡で平和な街だからこそ、あの反骨精神旺盛な仰木高耶という少年が育ったのだろうと、実際に松本を訪れてみて、なんとなく納得してしまったのでした。

松本の街に残る高耶さんの幻影は、実に色々な姿をしています。幸せな家庭に恵まれた無邪気な子供、行き場をなくして荒んだ少年、親友に恵まれて束の間の青春を謳歌する高校生。そして、己の正体を告げられ戸惑いながらも闇戦国に立ち向かい始めた十六歳、怨霊調伏に奔走し高校生活を犠牲にせざるを得なくなった十七歳、幻として妹の前に姿を現すことしか叶わなくなった十九歳…。高耶さんが生まれ育ったこの街には、色んな高耶さんが染み付いていて、どこを歩いていても、高耶さんもこの道を通ったのかなとか、高耶さんもこの景色を見ていたのかなとか、ついついそんなことを思ってしまうのでした。

他のミラツアスポットとは異なり、松本は色んな巻でちらほらと登場しているため、そのすべてを拾えたかどうか…。漏らしてしまっている部分もあるかもしれないですね。今回はなるべく原作に登場した場所を拾いつつ松本の街を歩いてみましたが、次に行く機会がもしあれば、スポットなどいちいちチェックせずに、ただぶらぶらと街を散策してみるのもいいかもしれないと思います。無計画にのんびりと歩き回ることによって、初めて得られる感覚もあるのではないかと。ミラツアの楽しみ方は様々ですね。

さて、次回は夏にどこかに(できれば四国に!)と思ってたのですが…、もしかしたら秋以降になるかもしれません。いい加減西に進出したいぞー。

長文、お読み頂き、ありがとうございました。
 






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