真冬の直江津行

〜物語の始まりと終わりの地を巡る


後編(浜辺リベンジ〜御館公園〜帰途)



旅行日:2010年12月28、29、30日

行程概要:
28日…深夜、バスで東京池袋発。
29日…早朝直江津着。海岸を見た後、バスで春日山へ。春日山登頂後、林泉寺へ。再びバスで直江津に戻り、ホテルにチェックイン。夜は直江津の居酒屋へ。
30日…朝、再び直江津の浜辺へ。ホテルへ戻りがてら御館公園に寄る。昼過ぎにバスで直江津を発つ。

同行者:パートナー





●第五章 浜辺リベンジ 〜打ち寄せる波に、直江の行く末を思う


翌日は、相方を残し、朝7時前にホテルを出発。前日に悪天候で行けなかった浜辺へと向かいます。

写真は県道123号の陸橋から直江津駅方面。

曇っているものの、風は強くなく、穏やかな天気です。
前日のように123号をまっすぐ北上せず、途中で何度か東に折れながら住宅街の中を縫うようにして浜辺を目指します。

道が意外に広くてびっくり。こういう道は昔からある道なんだろうなあ、などと思いを馳せながら北進。

空はだいぶ明るくなってきました。
ホテルを出て20〜30分で海に到達。

拡声器がありますね。夏は海水浴客で賑わうのでしょうか。
海沿いの道では犬を散歩している人を見かけましたが、浜には人っ子ひとりいません。
うっすらと雪を被った砂浜に下りていきます。


「遥かな時間の果てに、この世の最後のひとりとなって生きて、最後の命が尽きる瞬間、私はあなたに証明するだろう。私の愛は、永劫だった、と」(『千億の夜をこえて』より)

ミラージュのラストで、直江がそんな想いを胸に抱き、見つめていた海です(実際には降り立った浜辺がどの辺か特定されていませんが、直江津の浜辺と言ったら恐らくこの辺りのことだろうと思います)。季節は少し違いますが、直江が来たのと同じ朝、同じ重い雲の広がる空。四百年前と変わらぬ波が打ち寄せるこの浜で、直江が思い起こしていた景虎との出会い、二人の「最上」を求めて戦い抜いた今生の日々、その果てに「幸福」に到達した直江の心境、けれどもあまりに切ないその幸福感、そして心に秘めた静かなるも壮大な決意…色々なことを思いました。過去から永劫へと続く悠久な時の流れを彷彿とさせる海は、正にあの物語のラストシーンにふさわしい場所だったと思います。

直江の行く末を思っていると、本当に胸が締め付けられるようです。何だろう、あれはもう「愛」すら越えているように思えます。人間というものの…ある「意思」のかたち。どんなに苦しくても痛くても浅ましくても、途方もなく愛しいその「かたち」が、たとえ単なる物語の中であろうとも、この世に存在してくれたことに、私は救われ、深く感謝するのです。

最後に直江の足跡を静かに包んでいった波。

かもめは一羽だけ目撃しました。カラスの方が多かったです(笑)。
直江津港の方角。工場地帯です。直江津の「今」を感じさせます。
直江津港とは逆の方角。こちらの景色は昔とほとんど変わっていないでしょう。雪を被った山を背景に、荒波が打ち寄せる様は越後!って感じですね。
春日山、直江津の浜辺と、新潟の二大聖地?を無事制覇したら、今回の旅もいよいよ終盤です。





●第六章 御館公園 〜春日山、御館川、御館跡を一望

海沿いの道を西に歩き、水族博物館のある交差点まで来て、前日も来た道を南下します。

写真はその近くの直江津中学校。私が子供の頃は、グラウンドに少しでも雪が積もっていようものなら、皆競って足跡を付けまくったものですが、雪国の子供は見向きもしないのでしょうね。広いグラウンドは綺麗なままでした。
道路を挟んで向かいにある新潟県立直江津高等学校。やっぱ、つい撮りたくなっちゃうんですよね、直高…(笑)。でも、平成23年度末に閉校になってしまうらしいです。
さて、すっかりお馴染みになった県道123号を南下してきましたが、御館公園に向かうため、途中で脇道に下ります。この先、線路に突き当たったところを右折し、少し歩くと住宅地の中に小さな公園が見えてきます。
謙信の死後、景勝方によって春日山を追われた景虎が立てこもったのが、景虎に加担した関東管領・上杉憲政の居館・御館です。その御館跡であるこの御館公園は、昭和三十九年の発掘調査の後、越後の中世史を語る重要な史跡であることから公園として残されたものだそうです。

雪に埋もれる御館公園の向こうに、今回宿泊した「ホテルアルファーワン」が見えます(青い看板の建物)。
当時の御館は、この公園の約6倍の広さだったそうです。その敷地は現在のJR線路にも跨っています。写真の案内看板の左図、赤い四角で囲まれた部分が現在の御館公園です。

御館の乱の最中、景虎は十ヶ月ほどこの地にいたことになります。御館は最終的に景勝方に放火され、落城したのですが、発掘調査では乱の時に使われたとみられる銃弾や刀剣のほか、櫛やかんざしなども発見されたそうです。女性を含む多くの人々が犠牲になったことがうかがわれます。
邂逅編『夜叉誕生』では、換生後の景虎が荒れ地のままの御館跡に立ち尽くし、黙って涙を流すシーンがありますね。どれだけ無念だったか、慮るに余りあります。

そんな御館跡も今は住宅街の中のありふれた小さな公園。桜の季節には花見ができそうです。時の流れとは恐ろしいというべきか、ありがたいというべきか。

…どうでもいいんですが、公園の入口に「公園の中には犬を入れないで下さい」の立て札が…。ミラージュファンへのサービスでしょうか?(笑)
御館公園の案内看板に線路沿いから春日山が見えると書かれていたので、線路沿いに出てみました。

この時はどれが春日山なのか???な感じでしたが、後で検証してみてわかりました。架線にかかって見えにくいですが、矢印の辺りが春日山です。

そして、ここから春日山が見えるということは、ホテルの部屋からも見えるのではなかろうかと、ホテルに戻って窓の外を見てみたところ…


見えましたとも! 青い矢印が春日山。その麓から流れる御館川がちょうどこのホテルのすぐ脇まで流れてきています。手前の橋は県道123号の御館橋。そして、赤い矢印の方…線路の向こう側に御館公園があります(なぜ画面に入れて撮影しなかったんだ、私…)。御館川の上流・春日山と下流にある御館で戦争をしていたんだなぁというのが、一望の下です。こうして俯瞰してみると、歴史を生々しく感じられるような気がして、ちょっと感動してしまいました。

別にこの眺望を狙ってこのホテルを予約したわけではなかったのですが(駅前のホテルよりこっちの方が安かったからです/笑。予約した後に、御館公園がホテルのすぐ近くであることに気づく始末…)、ラッキーでした。部屋は804号室で、高層階だったのも良かったのでしょう。直江津のミラツアに、私はホテルアルファーワンをお奨めします。


望遠で見た御館公園。

線路際に建つアパートの向こうにある空き地がそうです。
望遠で見た春日山。前夜に雪が降ったせいで、うっすらと雪化粧しています。

三郎景虎屋敷跡周辺の杉木立がはっきりとわかりますね。昨日あそこにいたのだと思うと、妙に感慨深いものがあります。





●第七章 帰途 〜北条三郎の来た道

午前10時、ホテルをチェックアウトして、昼食を食べに直江津駅の方へやってきました。せっかくなので、記念写真を一枚。

どうですか、この着ぶくれよう。このダウンコートを私は「ミノムシ」の愛称で呼んでいるのですが、これを着て寒い思いをしたことはいまだかつてないというツワモノです。今回の直江津の海辺でもへっちゃらでした。春日山に至っては、かえって暑かったという…。

手には途中、ヨーカドーで買ったみやげ物を提げています。
昼食を食べたのは、ホテルハイマート内のレストラン多七。

めぎすフライ定食です。めぎすとは、ニギスの直江津での呼び名で、キスに似ているけれど別種だそうです。水深の深い海底に生息している魚らしい。

味はキスに似て、淡白でくせがなくて美味しかったです。この頃には食欲も回復し、多めのご飯も完食しました。
満腹になったところで、再びバス停のあるヨーカドーに向かいます。この二日間で何回ヨーカドーに行ってるんだろう…。でもこれだけ訪れたにも関わらずヨーカドーの写真が一枚もない。撮っても面白いものではないですが、記念に一枚くらい撮っとけば良かったです。

写真は途中の商店街。これが雁木造りというやつですね。冬の間、通路を確保するため、軒を延長するように屋根を設けた建築様式です。雪国ならではですね。
午後1時半、バスで直江津を発ちます。早めに予約したからか、席が一番前でした。フロントガラスからも景色が見られて得した気分です。

途中、見慣れた地名をいくつか通り過ぎます。写真の上部がブルーなのは、フロントガラスの日除けです。
バスは日本海側を信越本線と平行しながら走っていきます。

水平線が曇天の空と滲むように交わる景色は、冬の日本海らしいです。
柿崎、柏崎、長岡を経て関越道に入ると南下し始め、しばらくすると、国境の山々に入っていきます。ここは越後湯沢の辺り。

こんな雪山の景色が随分長く続いていました。北条三郎が越後入りする時に越えてきた山々です。彼が通ったであろう三国峠は関越道から少し離れていますが、こんな感じの山々を彼は確かに越えて来たんだなあと思いながら、iPodで「還れない海」を聴くとひどく切ない気分になります。

「かならずここに帰ってきなさい。そしてまた、兄とともに相模の海の夕暮れを見よう。誓うぞ、三郎」(『群青』より)
三郎がどの季節に越後入りしたのかは知りませんが、当時は行くだけでも大変な旅だったろうと思います。一体何日かかったのでしょう。山道では馬も使えなかったのではないでしょうか。籠に乗せてもらったのかな。でも急なところは自分の足で歩いたかもしれません。どんな気持ちだったでしょう。人質として行くわけですから、きっと既に死をも覚悟していたのではないでしょうか。そして、彼はその道を二度とは還らなかった…(注:一番下の追記参照)。戦国大名の家に生まれた彼のさだめだったと諦めるにはあまりにも過酷な運命です。
バスはこの後、長い関越トンネルを抜け、群馬県へと入ります。

個人的なことですが、関越道というと、子供の頃、祖父母の家に行く時によく通っていたことを思い出します。と言っても、当時住んでいた川越から練馬までの短い距離でした。当時はその道がどこまで続いているのかなんて考えもしませんでした。車を運転しない私は、あの頃よく通っていた道が、この雪国まで続いているのだということを、●●年後の今になって初めて思い知ったわけです。関越って関東と越後ですもんね、そりゃそうですよね…。
その日の夜、無事帰宅し、家でお留守番してくれていた亀たちに謝りながらすぐにごはんをあげました。

写真は直江津駅で買ったお菓子。景虎物語は、どらやきです。もちろん名前に釣られて買いました(笑)。ごまあんとつぶあんがあり、ごまあんを食べましたが、まあまあ美味しかったです。柿チョコは、前年、五箇山に行った時、乗換駅の越後湯沢で初めて買って食べたのですが、予想以上に美味しかったので、今回も買いました。麦チョコみたいだけど、麦チョコより歯ごたえがあって私は大好きです。
ヨーカドーで買った品々。越後かきもちは人にあげました。笹団子は笹の風味が濃厚でとても美味しかったです。久比岐もちは、米所越後の餅だけあって、しっかりとした噛み応えのあるお餅でした。それから、上杉軍御用達のかんずり。唐辛子を発酵させた無添加の調味料で、寒中に仕込むので「寒作里(かんずり)」というのだそうです。上杉軍は戦の時、陣中食としてこれを食べたのだとか。納豆に入れたり、パスタに入れたり…色んな食べ方があるようです。さて、何に使おう…。

そして、越後銘酒「越乃景虎」の純米。ええ、そうです、ラベルに惹かれて買ったんですよ(笑)。この「景虎」は謙信公の幼名から取ったものだそうですが、いいんです。「私にとっての景虎様はあなただけです」(by直江)。

よく都内の居酒屋なんかでも見かけるので、呑んだことはあるんですけどね。味は、私は雪中梅の方が好みかな。でも、淡麗辛口で、使っている水の良さを感じさせるお酒です。ああやっぱり日本酒はいいなあ。
こちらは、直江津の浜辺で拾った胡桃と春日山で拾った小さな松ぼっくり。調べてみたら、浜辺に落ちてる胡桃って意外に多いらしいですね。山になっているものが落ちて、川で運ばれてくるのだそうです。松ぼっくりの方は拾った時はかさが閉じていたのですが、家に持ち帰って出してみたら開いてました。これも調べてみたら、松ぼっくりは湿度が高い状態だとかさが閉じていて(雪の上だったから閉じていたようです)、低い状態だと開くらしいです。中の種子を効率的に飛ばすための知恵なんですね。こんな小さな松ぼっくりにも生命の力が宿っているんだなあと感心してしまいました。

初めてのミラツアらしいミラツアでしたが、天候にも恵まれ(きっとこれでも恵まれていた方でしょう)、思わぬ幸運などもあり、私としては大変満足な旅となりました。残念だったのは林泉寺と、居酒屋でもう少し食べたかったことですね。あと、もう少しまともな写真を撮りたかった…(涙)。でも、十分ミラージュの世界に浸れましたし、舞台となった地を実際に見て視覚的な理解が深まりました。また、史実をもとにした部分でもあったので、歴史を肌で感じることもできました。「日本海の魚が美味しいところ」への旅を提案してくれた相方のお蔭です。その相方にはちょっと可哀想な旅だったかな。今度ミラツアに行く時は一人旅にしようと思います。さて、どこにしよう。やっぱり、奈良かな…。

長文、お読み頂きありがとうございました。よろしければ、ご感想などお聞かせ下さい。↓の拍手ボタンからも送れます。




注:史実によると、1571年、景虎は氏康の死去に際して一度小田原に帰っているそうです。(2011.10.10追記)


前編(出発前〜直江津海岸〜春日山〜林泉寺〜居酒屋)へ
 







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