日光山から天上の湖・中禅寺湖へ

〜東照宮はツツガなし!?

前編



旅行日:2011年5月4日〜5日

行程:
5月4日:関東某所→浅草→(電車)→東武日光駅→(バス)→天海僧正像&神橋輪王寺東照宮→昼食→二荒山神社
西参道バス停→(バス、いろは坂経由)→中禅寺温泉バス停→ペンションフレンドリー→中禅寺湖畔散策(桟橋スポット探し)→ペンションで湖の幸の夕食
5月5日:華厳の滝二荒山神社中宮祠湖畔遊歩道日光レークサイドホテル中禅寺温泉バス停→(バス、いろは坂経由)→東武日光駅→(電車)→浅草→帰宅


同行者:パートナー



折角のゴールデンウィークにどこにも行かない手はない!というわけで、旅行することは早々に決めていたものの、何しろ、相方と夜に電話で計画を立てようにも、私が疲れていて既に半分寝ぼけていたせいで、GW後半の宿の手配をGW前半に入ってからするという無謀な出だしから始まったこの旅。

いやぁ、四月には小田原に行ったこともあるし、ここはやっぱり順を追って箱根だろう!と、当初は箱根に行く気満々でした。が、いざネットで、ぎりぎりまだ空室のある旅館を探し出し、じゃあここにしよう!と「予約」ボタンをクリックした時、悲劇は起きたのです。タッチの差で、満室表示…。そんなわけで急遽行き先変更。覇者の魔鏡・後編の復習もままならぬまま、日光へ。

最寄り駅を始発で出て、浅草から6時台の日光行き電車に乗車。浅草を出て間もなく、電車はスカイツリーのすぐ傍を通り過ぎます。天気は上々のもよう。
今回の旅で使った「まるごと日光東武フリーパス」。往復の電車賃と中禅寺湖までの往復バス代を足して僅かにおトクかな〜という料金設定。一番のメリットはバスの乗り降りでいちいち小銭を出さなくていいところでしょうか。

噂の?スペーシアにも乗ってみたかったのですが、時間的にメリットがなかったので見合わせました。

今回の旅は…一日目に日光山内を回り、バスで夕方に中禅寺湖入り。二日目に中禅寺湖周辺を回る予定。何とか取れた宿は温泉ではないので、日帰り入浴をやっている温泉にでも行こうという計画です。
東武日光駅、8時半着。

ここは、『覇者の魔境・前編』で浅岡麻衣子と「宇都宮の独身僧侶」(※サングラスに黒スーツ姿)が待ち合わせをした場所ですね。そして、ウィンダムのデビューシーン。

しかし、高耶さんをほっぽっといて罪な男だな、宇都宮の独身僧侶(笑)。

日光駅から山内へは、渋滞しているとバスに乗るより歩いた方が早いようですが、まだ早い時間のせいか空いていたので、バスで移動することに。
駅前で麻衣子を助手席に乗せた直江が、参道口の手前、日光橋のたもとでふと目にとめたのが、この天海僧正の像。

「天海僧正とは輪王寺の中興の祖であり、徳川家康の懐刀と言われた、影の謀略者としても有名な人物である」(『覇者の魔鏡・前編』98ページ)

物語後編では、この天海僧正が施した山王一実神道の秘法をめぐって、景虎と北条方が争います。また、家康公の時代、幕府転覆のため悪用され、悪事を尽くしたツツガ(※作中の字はPCで出ないので、カタカナ表記とします)を雌のツツガ鏡の中に封じ込めたのも天海僧正だということになっていますし、直接登場しないものの、何気に、この『覇者の魔鏡』シリーズの大元となるお方です。

そもそも今の日光が一大観光地となっているのも、天海僧正が東照宮を創建し、日光山の中興に尽力したからなんでしょうね。
大谷川に架かる神橋。

「日光開山の祖・勝道上人が激流の大谷川を渡るために神仏に祈ったところ、深沙大王が現れて赤と青の二匹の蛇を投げ橋に変えたという伝説がある」(『覇者の魔鏡・前編』98ページ)

橋も美しいのですが、下を流れる大谷川の水がとても綺麗なのが印象的でした。清冽…とでも言うのでしょうか、神域にふさわしい流れです。
神橋と並列して架かる日光橋を渡ると参道への入口があります。

ここから一歩足を踏み入れた途端、スッと杉の香りが鼻につきました。さすがは杉並木で有名な日光。心洗われる気持ちがしましたが、次の瞬間すぐさま、あー何か樽酒の匂いっぽいな・・・などと考えて喉を鳴らした私はつくづく汚れているようです。

奈良の吉野山で飲んだ吉野杉の樽酒は旨かった…。

さ、さて。気を取り直して、山内の地図を見ながら北条とその野望を砕こうとする夜叉衆の戦いをざっとおさらいしておきましょう。

『覇者の魔鏡・後編』で、北条方は、霊魂を木縛した山内の木々に火を放ち、巨大な霊融合体を作る「火合の法」を行おうとします。輪王寺の三仏堂では、氏政の指揮の下、下準備の修法が行われ、二荒山神社では幻庵の見守る中、小太郎が連れてきた大ツツガによって、譲の魂が御神木の主木に木縛されます。三仏堂での修法が終わると、松明を手にした僧侶たちが黒門から表参道を東照宮へ、更には上新道を通って二荒山神社へと向かい、山内のあちこちに配されます。それに対し、中禅寺湖畔の浅岡旅館の一室にいる高耶は、ツツガ鏡を通じてツツガたちを操り、北条方の統制を乱しつつ、天海の秘法の元となった家康の髑髏を目指して、東照宮の霊獣と闘いながらその奥社へと向かいます。一方、稲荷川を渡って山内の結界に侵入し、、開山堂の前に出た千秋も、奥社に向けて崖を上りだします。
車ではないので、開山堂の方まで回るのは無理ですが、輪王寺→東照宮→二荒山神社と、私たちも普通の観光と同様に山内を一周することにします。

参道口から石段を上り、輪王寺の入口付近までやってきたところで猫に出会いました。

観光客慣れしているのか、カメラを向けても相手をするでもなく、動じるでもなく、すました猫ちゃんでした。まるで高耶さんのよう…。いや、高耶さんならギロリとひと睨みされるか(笑)。
輪王寺の入口にある勝道上人像。

勝道上人は奈良時代に輪王寺を創建したと伝えられる人物です。

『覇者の魔鏡』では、この勝道上人が昔、男体山にて悪さを働く二匹のツツガを呪法で鏡に変えたというのが「ツツガ鏡」の始まりだという設定になっています。

伝承では、男体山の登頂に成功した勝道上人が、観音菩薩の住処とされる補陀洛山(ふだらくさん)に因んでこの山を二荒山(ふたらさん)と名付けたところ、後に「二荒」が音読みで「ニコウ」と呼ばれるようになり、これが「日光」の地名の由縁なのだとか。
そして、こちらが、北条が荘厳な護摩修法を行った輪王寺三仏堂・・・を覆う「素屋根」です…。そう、三仏堂は、10年にわたる大修理中なのでした(涙)。でも、中のでかくてド派手な…三仏様はちゃんと拝観できました。

この「素屋根」の前壁の手前にある桜(写真ではよく見えなくて壁に描かれた絵の一部のようですが、ちゃんと本物の桜なんです)は、金剛桜と呼ばれる推定樹齢500年の名木で、国の天然記念物に指定されています。行った時はちょうど満開でした。樹木って本当にすごいなと思いました。人間や、人間の作った建造物が移り変わっても変わらずにそこに花を咲かせているんですから。
輪王寺の黒門を外側から。

「松明を手にした僧侶の列が、三仏堂の正面のゆるく広い石段をおりて、黒門から表参道へと唱名を唱えながら歩いていく」(『覇者の魔鏡・後編』118ページ)
黒門脇辺りから、表参道を東照宮方面へ。

真っ直ぐに伸びる杉並木の参道です。こんなところを夜中に、松明を持った僧侶の列が進んでいくなんて…想像するとぞっとして鳥肌立ちそうです。
東照宮の石鳥居が見えてくると、俄然人が多くなってきます。ここまで来るとやっぱりゴールデンウィークだなって感じです。それでも、修学旅行生がいない分はまだ混雑具合もマシかもしれません。
今更ですが、東照宮って神社なんですよね。家康公を神格化した東照大権現を祀る神社です。

1616年、家康公は駿府城(静岡県静岡市)で75歳で亡くなりました。「遺体は久能山におさめ、一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつること」という遺言通り、遺体は一旦久能山に埋葬され、一年後に現在の日光東照宮に改葬されました。

現存する建造物の多くは、三大将軍・家光公の時に建造されたものだそうです。

東照宮内部のマップはこちらからどうぞ。
東照宮の中に足を踏み入れたら、さあ、霊獣探しの始まりです。

景虎がツツガを操っていることを察した小太郎は、東照宮の守護霊獣に息を吹き込み、自衛作用を発動させます。高耶さん操るツツガたちはこれらの霊獣と睨み合い、霊獣大戦争(笑)の幕開けです。

「まず表門に現れたのは、「獏」と呼ばれる霊獣だった。熊の体に象の鼻、犀の眼、牛の尾、虎の足をもつ、避邪の霊獣である」(『覇者の魔鏡・後編』128ページ)
「獏」のアップ。頭だけなので、全身の様子がわかりませんが、記述通り想像するに、非常に奇妙な獣であろうかと…。

因みに、『炎の蜃気楼紀行』で桑原先生がオススメしていた、東照宮の権禰宜やっている方が書かれたという『東照宮再発見』という本は売っていませんでした。もう二十年近く昔のことなので無理もありませんが、ちょっと残念。
表門を潜って、左手に建つ神厩舎には「見ざる聞かざる言わざる」で有名な「三猿」がいます。昔から日光のおみやげというとこの「三猿」がモチーフになったものが多いですね。うちのおじいちゃん家にも小さな置物があったのを覚えています。

今でも修学旅行生向けなのか、みやげ屋には可愛いお猿さんのストラップなどがたくさん見られました。あとは「眠り猫」関連。でも、東照宮には面白い霊獣がたくさんいるのだから、霊獣をモチーフにしたグッズとかあっても良さそうだけど、そういうのは無いんですね。観光地だからおみやげは豊富なんだけど、購買欲をそそる商品が全然見当たらなかった…。何か記念になるものを買いたかったんですが。
右手には、「三神庫」が立ち並び、一番奥の上神庫に次の霊獣のお目見えです。

「上神庫の前に立ちはだかった大きな霊獣は「象」である」(『覇者の魔境・後編』128ページ)
「象」です。よくよく見ると、ずいぶんにやけた表情をしています(笑)。今でこそ、象なんて動物園で普通に見られる動物ですが、江戸時代からしたら、こんな鼻や耳を持ったどでかい生き物は正に「霊獣」だったんでしょうね。
ここで、陽明門をバックに、記念写真を一枚。

この砂利石の辺りは、修学旅行生が集合写真を撮るのによく使われるスペースですね。私も小学生の時、ここで写真を撮ったのを覚えています。あいにくの雨で、写真を撮る時に傘を畳むよう言われて、皆うんざり気味でした。

あれから●●年後…、こんな風に東照宮に興味を持って再訪することになるとは。
東照宮で最も有名な建造物、陽明門(この写真は裏側から)。「豪華絢爛」とはこのためにあるのではないかというほどのこのゴテゴテ感。本当、よくぞここまで作ったなと感服します。なるほど覇者の産物だなと思いました。

でも、こういう豪華なものを造ったということよりも、これが今まで壊されずに残っているということこそが、徳川が歴史の覇者だったことの証しなのではないかという気がします。どんなに立派なものを造っても、敗者の遺物は土に埋もれる運命であることが多いでしょうから。
「続けて陽明門には三十体近くの竜に似た生き物が現れた。尾垂木の部分に彫刻された「息」という霊獣である」(『覇者の魔鏡・後編』128ページ)

すべて竜に見えるこの彫刻群、日光観光協会のオフィシャルサイトによると、実は「竜」、「息」、「竜馬」の三種類がいるそうです。緑色っぽい彫刻の上段、及び白い彫刻の真ん中部分にいるのが「竜」、緑色っぽい彫刻の下段にいるのが「息」、白い彫刻の両脇にいるのが「竜馬」。「竜馬」は足があるのですぐわかりますが、「竜」と「息」はよく似ています。「竜」は胴長で顔の周りにヒゲが多く、「息」は上唇に鼻孔があるので見分けるようです。
そして、陽明門を潜ると正面にはあのツツガのおわす唐門が・・・あるのですが、何とここでも修理中。ツ、ツツガが・・・ツツガがぁ・・・(号泣)。肝心なツツガちゃんに会えない日光ミラツアなんて、セクハラしないN江N綱くらい物足りないというものですよ(笑)。

まあ、文化財を後世に遺すには、これも大事なこと。致し方ないと思いましょう。ツツガは見られなかったけど、これで正しく「ツツガなし」ということで。
唐門に向かって右手へ進むと、奥社への入口、坂下門があります。ここには有名なあの「眠り猫」がいます。

歴史的建造物に微塵も興味を持てなかったガキんちょだった小学生の私も、この「眠り猫」だけはよく覚えています。もっとも、当時飼っていた猫に似ていたからという、どうでもいい理由でしたが。その時も今回も先ず感じたのは「小っせぇー」ということ(笑)。その有名さとは裏腹に、意外と小さい作品なのです。この小さい「眠り猫」を見るために、多くの人が(ここから別料金であるにもかかわらず)門下に押し寄せます。そんなにこの猫がありがたいかなぁ。まあ、東照宮と言えば「三猿」と「眠り猫」っつう図式が人々の頭にこびりついているからでしょうか。
「それまで静かに眠っていた彫刻の猫の瞳が、ぎらりと見開かれたのはこのときだった。しゃがれた大声をあげて、猫が地面へ飛び降りた。その姿はもはや平和に眠る愛らしい「眠り猫」ではない。体長五メートルはあるかという凶暴な化け猫だった。(略)彫刻の「眠り猫」は眠った振りをしているが、耳を立て中腰の姿勢をとっている。それはまさに獲物を捕らえるときの姿だ。平和を乱すおろかな謀反人は、このどう猛な猫に殺されるのだ」(『覇者の魔鏡・後編』142〜143ページ)

作中でこの猫は、聖域へ通じる門を守るにふさわしい壮絶な闘いぶりを見せてくれます。しかし、よく見れば、なるほど、前足をしっかり踏ん張っていますね。これは絶対狸寝入りに違いありません。
「眠り猫」の裏側には雀の彫刻が施されています。猫が眠っているから雀が遊んでいられるということで、「平和」を表しているのだとか。
「坂下門をやぶって、傷だらけのツツガは奥社への長い石段を駆けのぼった。(略)力強くかつしなやかに、ツツガは飛ぶように駆けていく。目ざすは奥社に安置した、覇者の髑髏」(『覇者の魔鏡・後編』148ページ)

桑原先生が実に丁寧なつくりだと賞賛していた石段です。確かに緻密に造られているのがわかります。これが江戸時代に人の手で造られたのだと思うと、感服します。科学技術は進歩したでしょうけれども、職人の技としての「技術」は果たして進歩しているのかどうか…。
長い石段の途中にある立て札。これを見て、皆さん一息つくんですね。この言葉の後には次のように続くらしいです。

「不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり」

「鳴くまで待とう」の家康公らしいですね。
えっちらおっちら上ること約5分、奥社の拝殿が見えてきました。
拝殿の更に奥には、墓所へと続く最後の門「鋳抜き門」があります。

「ドオッと鋳抜き門を蹴破って、大ツツガが奥社家康の御宝塔に踊り出た」(『覇者の魔鏡・後編』149ページ)

この門を蹴破った…んですね。毎度のことですが、結構派手なことしてます…。
そして、この「鋳抜き門」には、竜に似た「蜃」という霊獣がいます。この「蜃」が口から気を吐いて生み出した楼閣が「蜃気楼」なのだそうです。作中には出てきませんが、ミラージュ的には重要なチェックポイントですね。

因みに、「蜃」とは、巨大なハマグリであるという説もあり、海上に現れる蜃気楼は、この巨大なハマグリが海中から気を吐いて作り出していると考えられていたようです。
御宝塔。

物語では、幾重ものプラズマに囲まれ、千秋と高耶を拒絶していましたが、高耶が己の中にいる謙信公の姿をそこに具現化させると、それに応えるかのように御宝塔の扉がゆっくりと開きます。

その後、それぞれの場所で結跏趺坐して同じ真言を唱え始める千秋と高耶さんの絶妙なコンビネーションが・・・何気に千×高っぽくて、私的にはちょっとした萌えポイントでした(邪)。
御宝塔周囲の石柵に咲いていた白スミレ。

物語のクライマックスの地を拝めて一先ず満足したところで東照宮はおしまいです。

ここでは紹介しませんが、この日、二荒山神社へ行った後に「大猷院(たいゆういん)」という三大将軍・家光公の廟所にも立ち寄りました。家康公の墓所が「奥社」まで公開されているのに対し、家光公の墓所である「奥の院」は(過去に公開されたこともあるようですが)一般公開されていないんですよね。何となく不思議な感じがします。なんで家光公の墓所だけ厳重に閉ざされているのか…。相方と話していて、家康公は本当はあそこには眠っていないのではないか…なんて話も出ましたが、真相やいかに。
東照宮から表参道を少しだけ戻って、脇道に入ったところにある茶屋「日光茶屋」。

直江、高坂、小十郎、麻衣子の四人が入った「表参道近くの茶店の座敷」とはこの辺りの店のことかな…と思いつつパチリ。

上杉、武田、伊達の家臣代表団+一般人女性はここで、盗まれたツツガ鏡と日光一帯における霊魂の木縛について情報交換をします。傍から見たらどんなにか怪しい一団だったことでしょう(笑)。
東照宮前から上新道を二荒山神社方面へ。

この辺りもずっと杉並木が続き、いかにも神域っぽい雰囲気です。
上新道を進んで行くと、突き当たりに二荒山神社の鳥居が見えてきます。

時間的にちょうどお昼になったので、二荒山神社を拝観する前に昼食を取ることにします。
西参道を少し下ったところに、何箇所かランチを取れそうな食堂があったのですが、どこも似たり寄ったり…のイメージ。何となく入りやすそうだったお休み処「やまびこ」に入りました。
食べる前に撮り忘れたので、途中で何なのですが、「ゆばそば」です。この辺のお店、どこもかしこも「ゆばそば」「ゆばうどん」を推していましたが、普通の関東風のおそばに味付けゆばが盛られているだけ…なんて言ったら怒られますか。まあ普通に美味しかったですよ。ゆばはやっぱりおいしい。
さて、腹ごしらえを済ませたところで再び二荒山神社まで戻ってきました。

二荒山神社は大まかに数えると三つのシーンの舞台になりました。@高坂に連れられてやって来た直江と麻衣子が、御神木に慎也の顔が浮かんでいるのを発見する。A「火合の法」が行われる夜、幻庵の見守る中、小太郎の指揮の下、日光山の霊融合体の核となる譲の霊魂の木縛の儀式が行われる。B地下道を通って山内に入った直江と、それを待ち構えていた小太郎がツツガ鏡をめぐって死闘を繰り広げる。

東照宮の霊獣に息を吹きかけんと、小太郎が水晶の玉を空に放ったのもここでした。何気に盛りだくさんです。
二荒山神社の境内案内図はこちらからどうぞ。

写真は夫婦杉。神門を潜ってすぐ右手にあります。高坂に連れて来られた直江と麻衣子が御神木を見上げている時、ツツガが現れたのはこの辺り。奥に見える神門からは伊達の家臣・片倉小十郎景綱が現れます。

こちらは親子杉。神門を潜ってすぐ左手にあります。
親子杉から更に左手の方に進み、神楽殿の脇辺りにあるのが御神木。

この真ん中の主木には譲が、右側の木には慎也が木縛されていました。

「主木の太い幹に向けてツツガが大きく口を開く。ぼわっ、と音を立てて、口からほとばしるように金色に光るかたまりが吐き出された。金色のかたまりは、主木の幹に浸透していく。(略)やがてその光る幹に、ひとりの人間の姿が浮かびあがる。それは成田譲の姿をしていた」(『覇者の魔鏡・後編』107〜108ページ)
拝殿。ツツガたちが暴動を始めた際、小太郎が指揮をとっていたのがここ。

「いったい何事なのだ」と問う幻庵に、小太郎は三郎が天海の秘法を再活性化させるつもりかもしれないと言い、拝殿を降りて、神木の前まで歩み寄ります。そして、三郎操るツツガに対抗するため、東照宮の霊獣に息を吹きかけんと、神木の霊力をもらいうけた水晶の玉を東照宮の方角の空へ放り投げます。
拝殿の階段上から境内を見下ろして。

中央奥に見える三本の木が御神木です。画面左端に親子杉があり、(写っていませんが)その更に左に神門、神門の左に夫婦杉という位置関係です。

この境内で、因縁の直江VS小太郎のバトルが繰り広げられました。
二荒山神社を出たら、日光山内のミラツアノルマは無事?達成。

西参道の小さなお休み処で一服です。このコーヒーなんと100円なんですよ〜。砂糖とミルクまでちゃんとついて、日光彫の可愛いお盆にのって100円。山内を歩き回った後の観光客にはありがたい限りです。
西参道を南下していくと、国道120号手前辺りから、みやげ物屋がたくさん立ち並んでいます。

これはその店先で食べた「ゆばソフト」。形はいまいちですが、味はゆばらしい豆の香りとコクが感じられておいしかったです。

山内はこれにておしまい。続きは後編にて。
 









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