プチ・ミラージュツアー


「開山堂&含満が淵」の巻


●旅行日 2015年3月27〜28日
●『炎の蜃気楼』該当箇所 8巻『覇者の魔鏡 後編』
●対象スポット 開山堂、含満が淵など
●同行者 実母

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日光は、2011年5月にミラージュツアーとして訪れたほか、2014年3月には雪の中禅寺湖を見るためだけの日帰り旅に行っています。

しかし、まだ取りこぼしているスポットがありますので、いつか行きたいと思っていたところ…、ありがたいことに東照宮にほど近い旅館の宿泊券が当たりました。今回は母娘のふたり旅なのですが、これ幸いと合間にミラツアを挟んでみましたので、プチツアーとしてご紹介しますね。

取りこぼしているスポットというのは、開山堂と含満が淵です。開山堂は、千秋が東照宮奥社に近づくため結界を突破した場所ですね。含満が淵は、山内に続く地下道が通っているということになっていて、直江がこの地下道を通って二荒山神社へと向かっています。

2011年に行った時は、場所が少し離れているような気がしたので立ち寄らなかったのですが、今考えればあの頃はまだまだ全然甘かった。大して遠くないです。むしろ近い。まあ私自身、ここ数年、ミラツアの過酷さに結構鍛えられてきたからそう思うのかもしれませんが…。

というわけで、2015年3月、先ずはオカンと二荒山神社をお参りしました。
引き続き、東照宮へ。オカンは、若い頃、中禅寺湖は行った覚えがあるそうですが、なぜか東照宮は来ていないそうな。残念ながら、この時、陽明門は修理中でしたが、その代わり、宝暦の修理で覆われて以来、215年ぶりに出現したという壁画を観ることができました。

東照宮の階段はオカンには結構きつそうだったので、もっと歳取ると来るのは難しかったかもしれません。この機会に来れてよかったのでしょう。

そして、私にとっても、東照宮にはもう一度来たい理由がありました。それは、もちろん、唐門の上にいるツツガさんですよ。前回、2011年に来た際は、この唐門が修理中で観ることができませんでした。

今回は…ちゃんとおわしますようで。
こちらがそのツツガさん。


『覇者の魔鏡』シリーズでは散々暴れまわっていましたが、このサイズで見るとかわいいな。


ツツガと言えば、この獰猛な霊獣を手懐けた高耶さんには感服します。高耶さんってなぜか猛獣の扱いが実に上手い。わだつみシリーズの虎とか、火輪シリーズ以降の黒豹とか、もっともあれは小太郎ですが。そう言えば、千秋も何気にツツガに命じて結界を突破していましたよね、ちゃっかり(笑)。一方、直江は苦手そうですね、こういうの。いろは坂で怪我負わされてたし。なんでだろ。やっぱり直江自身が獣(ケダモノ)だから?
今回は中に入りませんでしたが、輪王寺はまだ修理中で素屋根に覆われていました。どうやら、十年くらいかかるようですね。
                 
宿泊券を頂いたのは、こちらの「日光千姫物語」という旅館。東照宮から十分足らずの場所にあります。


旅行サイトで調べると、評判もなかなか良いようです。
チェックインすると、天井の高いラウンジで、お抹茶とお菓子を出して下さいました。


3月下旬の日光はまだまだ枯れ野の風情ですが、それでも自然の景色を望む大きなガラス窓は気持ちが良いものです。
お部屋からの眺め。


この宿は、大谷川(だいやがわ)を見下ろす場所に建っています。日光で有名な例の「神橋」は、この少し下流、今回行くつもりの「含満が淵」は、この少し上流です。もっとずっと上流へ遡ると、華厳の滝、中禅寺湖となります。


写真は、大谷川上流方向を向いて。
この日は、ゆっくり温泉に浸かり、お部屋で夕食を頂いて、終了。


お食事は、春の息吹を感じさせるような献立で、どれも美味しかったです。「千姫」というだけあって、女性客を意識しているのか、少量ずつ色んなものを出してくれるのが良かったです。

さて、ミラツア本番は、二日目から。


開山堂と含満が淵にオカンを付き合わせるのは無理そうなので、早朝にひとり、散策と称して出かけることに。


6時ちょっと過ぎに宿を出まして、先ずは東照宮までやって来ました。この場所が無人なのは初めて見ました。いつも観光客でごった返しているんですけどね、さすがにこの時間では誰もおらず、とても静か。
東照宮の鳥居を潜り、右手の方の細い道を進みます。東照宮美術館、東照宮社務所をぐるりと回るように東照宮の北側へと進んで行ったところに、開山堂はあります(↑の地図をご参照下さい)。

写真は、東照宮社務所を過ぎた辺り。この先、杉林が途切れた辺りで、稲荷川沿いの道に出ます。ここは稲荷川の西側ですが、千秋が先ず車で乗り付けたのは、稲荷川の東岸でしたね。

<日光山の結界線は、大谷川とその支流・稲荷川の西岸に沿っている。稲荷川の東岸の道路を北へ進み、対岸に渡れそうなところで車を止めて、千秋は河原に降り立った。暗闇のなかに川の音だけが聞こえる。そこにたたずんで千秋は日光山の森を睨み据えていた>(8巻『覇者の魔鏡 後編』120ページ)
<川の向こうは草の多く茂ったちょっとした崖になっているが場所を選べばのぼれなくはない。地図と実際の地形を見くらべながら思案する。暗くてよくわからないが、上がちょうど小さな発電所になっているあたりがのぼりやすそうだ>(8巻『覇者の魔鏡 後編』120〜121ページ)

写真は稲荷川西岸の道路。右に稲荷川が流れていて、左の杉林の奥は険しい崖になっています。この写真に写っている道路右側の建物がどうやら千秋の言っている「発電所」の建物のようです。

<のぼったところはもう日光山内だ。川沿いに通る車道がある。結界の壁は、ちょうどそのあたりにあるようだ。この方角から侵入すれば、ちょうど開山堂と勝道上人の墓のあたりに出る。そこから東照宮の奥社へは、直線距離ではそれほど離れていない。真っ暗闇でしかもけっこうきつい崖があるのが難だが、それをよじのぼっていけば、奥社の裏に出られる>(8巻『覇者の魔鏡 後編』121ページ)

開山堂と勝道上人の墓は、写真左(この位置より若干手前の方)の杉林の中にあります。
発電所の建物付近から、稲荷川を見て。


要は、千秋は、東岸から稲荷川を渡って、草を掻きわけ、発電所下のちょっとした崖を上って(その途中で高耶さんの護法童子と合流して)、結界となっている西岸の道路(↑の写真の道路)へ出て、ツツガとともに結界を破り、杉林の中の開山堂の奥から険しい崖を登って奥社へ侵入した…ということになりますね。
こちらが開山堂。勝道上人の墓は、開山堂のすぐ裏手にあります。


<「おつぎはこの崖か……」 正面にはちょっとうんざりするような崖がそびえている。これは地図で見るよりものぼるのはかなり酷そうだ。(略) 千秋は開山堂の前で、大きく深呼吸をした>(8巻『覇者の魔鏡 後編』123〜124ページ)


開山堂は、日光開山の祖・勝道上人を祀ったお堂です。
千秋の言う「ちょっとうんざりするような崖」というのがこちら。開山堂と勝道上人の墓のすぐ裏にそびえています。

この崖は「仏岩」と呼ばれていて、元は仏の形をしていた岩があったのだそうですが、岩盤が崩れやすく今はもう見られないそうです。岩の下には小さな石仏が置かれています。

<「行ってやろうじゃん」 千秋は場所を選びつつツツガをともなって崖のぼりに挑戦しだした。まわりで木縛された霊たちが助けを求めて叫んでいる。(待ってろよ) 燃やさせたりなんかしねぇ、と心で呟いて、千秋は痛む体を抱えつつ奥社に向けて黒い岩肌をのぼりだした>(8巻『覇者の魔鏡 後編』124ページ、※ツツガは原文では漢字表記)

毎度のことではありますが、夜叉衆の身体能力半端ないっす。
次は含満が淵へ向かいましょう。


一旦、宿泊している「日光千姫物語」の方へと戻り、宿の建物の脇を通り過ぎて、大谷川沿いを上流へと向かいます。


写真は、大谷川に架かる橋。


この橋を渡って、大谷川の南側を歩いて行きます。所々に、案内板も出ています。なお、「含満が淵」の表記は「憾満ヶ淵」などと書かれていることもありますのでご注意下さい。
大谷川の南側には、「含満児童公園」、「含満ストーンパーク」という小さな公園があります。


写真は、ストーンパークの辺り。
ストーンパークを抜けると、小さな門があり、社のような建物が見えてきたので(写真左)、これが霊庇閣?と思ったら違ってました。


慈雲寺というお寺の跡地だそうです。含満が淵と霊庇閣はもう少し先のようで。


この辺りは景勝地で、美しい渓流を見下ろしながら散策することができます。
慈雲寺跡のすぐ先から連なる「化け地蔵」。


70体ほどのお地蔵さんが並んでいるんですが、数えると、行きと帰りで数が合わないという伝説から「化け地蔵」と呼ばれているそうですよ。


こちらの写真は、進行方向に背を向けて振り返って撮影。
川幅は細くなり、流れが大きな岩に遮られるようになりました。含満が淵が近いようです。


日光の名所として、決して有名ではないようですが、景色がよく、人もあまりいないので、散策するには良い場所です。
開山堂からゆっくり歩いて35分ほど。


前方にそれらしき屋根が見えてきました(写真左、枯木の奥の方)。結構、川際ぎりぎりのところに建っているんですね。 
こちらが霊庇閣。

アニメ版で、高坂が直江に、秘密の地下道の入り口が「霊庇閣」の下にあることを告げていた印象が強いのですが(それを知った直江はここから地下道を通って二荒山神社へと侵入し、小太郎と対決した)、原作をよくよく見返してみると、「霊庇閣」という名前はどうやら出てきていないようですね。

<直江が、含満が淵から続く地下道を通って、山内に入ったのは、再活性化が始まったころだった>(8巻『覇者の魔鏡 後編』164ページ)

「含満が淵から続く地下道」とだけ書かれています。
一応、霊庇閣の下をのぞいてみました。こんな感じになっています→


井戸とか地下道とかが見えるということはなく…。この円形のものは一体何でしょうね、謎です。
霊庇閣と含満が淵。


霊庇閣の対岸にはかつて不動明王の石像が彫られており、慈雲寺を創建した晃海大僧正がこの場所で天下泰平を祈って護摩供養を行ったとのことです(現在の霊庇閣は再建されたもの)。
1時間半ほどの散策を終え、宿で朝食を食べた後、バスで中禅寺湖へと向かいました。前年入った日光レークサイドホテルの温泉がとても良かったので、立ち寄り湯を利用しようということで。


写真は、バスの車窓から見た明智平。目の前に聳えるのは男体山です。日光は何度か来ましたが、明智平のロープウェイはそう言えば一度も乗ってないんですよね…。
中禅寺温泉のバス停で下車し、折角来たのだからということで、華厳の滝を見に行きました。写真は、上の観瀑台(無料の方)から。


周辺にはまだ雪が残っていましたが、水量はそこそこあって、なかなかの迫力でした。
男体山をバックにオカンの記念撮影。


風景は寒々しいですが、花粉が絶好調の時期ですので、終始マスクを着用していました。
日光レークサイドホテル。


直江、高坂、綾子、片倉がこのホテルの周辺で合流し、作戦を練っていましたね。


ここの温泉は、硫黄の香りが強い、乳緑色のお湯で、最高に気持ち良いです。
入浴後、レークサイドホテルの休憩室から、中禅寺湖を眺めて、プチミラージュツアーは終了。

心残りだった東照宮のツツガ、開山堂、含満が淵が見られて満足です。

オカンは、この年の5月に甲状腺がんの摘出手術をしました。初期のがんでしたので、手術は難なく成功したのですが、その後一時、薬が合わずに体調を崩したこともありましたが、今は一応元気に過ごしています。人間年取れば、どこかしら不具合が出てくるのが普通でしょうし、いかに病気とうまく付き合っていくかということに尽きるのかもしれませんね。年齢とともに行ける場所って限られてきますので、機会があればまたどこかしら連れていきたいとは思うんですが…。



2016.03.03 up







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