春爛漫の小田原日帰りツアー

〜相模の海はしょっぱかった!


旅行日:2011年4月10日

行程概要:

 関東某所→小田原駅→北条氏政・氏照墓小田原城→小田原おでん本店(ランチ)
 →丸う田代總本店(かまぼこ屋さん)→御幸の浜小田原駅西口北条早雲像→帰宅。

同行者:なし


祖母が桜の開花を前に逝った年に、満開の桜を見て、「人生、幾度桜を見られるかわからない。春を迎えられたなら、必ず桜を愛でるべきだ」としみじみ思ってからというもの、なるべく毎年お花見をするようにしている遊丸です。

今年はなんだか忙しない春で、お花見する余裕もなかったのですが、せっかくの桜なんだからどこか行かなくては!と思い立ったのが小田原。まあ桜というよりミラツア目的ですが、小田原城の桜は有名らしいので。初めてのミラツア一人旅です。『群青』と『覇者の魔鏡・前編』を復習してからレッツゴー。
小田原に行くには、うちからはJRで行くのが便利なのですが、料金的には小田急の方が安い…。どうしようかと思っている時に(新幹線に乗るなどというゴージャスな選択肢は初めからない/苦笑)、ふと思い出したのが「ホリデーパス」。

2300円、土日限定、当日限り有効で、首都圏の特定区間のみ乗り放題というフリーパスです。小田原方面は平塚までしか有効ではありませんが、それでもこっちの方が割安なので、さっそくご購入。
やってきました小田原駅。迎えてくれるでっかい小田原提灯に、若干テンションも上がります。

小田原提灯は、蛇腹部分を折り畳んで携帯できるので、江戸時代に大人気商品になったそうです。歴史ある小田原を感じさせます。


張り切って朝早く出たので、着いたのは8時過ぎ。
小田原駅東口。現在の駅舎は2003年に完成されたものらしいです。それ以前の駅舎を写真で見ると、何となく可愛らしい感じで、昔の駅に慣れ親しんだ人は少し寂しかったろうなぁと思います。

高耶さんが小田原に行った時も古い駅舎だったはずですが、パジェロだったので、駅には行ってないか…。
さて。北条氏のお膝元・小田原に足を踏み入れたからには、先ず最初に領主様にご挨拶に行かなくては…というか、単に駅から近いから…なんですが、氏政・氏照のお墓に行くことにします。

歴史好きかミラージュファンしか訪れないであろうひっそりとしたスポットなので、少々わかりずらい場所にありますが、ミラツアサイトさんを参考にさせて頂いたお蔭ですぐにみつけることができました。
駅前に「箱根登山ベルジュ」という建物があり、1階が通り抜けできるようになっているので、そこを抜け、まっすぐ進み、突き当りを左折して少し行くと右側にそのお墓があります。

こんな風に商店街の中です。このギャップに四百年の時の流れを感じてしまいます。
ミラジェンヌの皆様はご存知かと思いますが、五代に渡って続いた後北条氏の居城・小田原城は、1590年、秀吉に攻められ、籠城戦の末、無血開城を迫られると、氏政・氏照兄弟は、秀吉から切腹を命じられました。本当は氏政の息子で当時の領主・氏直が自らの命と引き替えに一族と将兵たちの助命を願い出たのですが、許されず、氏直は高野山へ追放され、氏政・氏照が切腹を命じられることとなったそうです。

両人の遺体は、当時この地にあった北条氏の氏寺・伝心庵に埋葬されました。お墓は江戸時代に入って整備されたものの、大正12年の関東大震災で埋没し、その翌年有志により復元されて現在に至っているそうです。
菊の花が供えられていました。ちゃんと供養してくれる人がいるんですね。向かって右の大きな五輪塔が氏政婦人の墓、中央の二つの小さな五輪塔のうち右が氏政の墓、左が氏照の墓だそうです。そして、氏政・氏照の墓の手前に安置されている平たい石が、「生害石」といって、この上で両人が自刃したと伝えられている石とのこと。

「天地(あまつち)の 清き中より 生まれきて もとのすみかに 帰るべらなり」

北条氏照辞世の句です。『覇者の魔鏡』で、一族の復興を投げ捨て、「今度こそそなたを救いたいのじゃ」と、三郎に自分とともに氏政を討たせた氏照兄の心境と何となくだぶるものがあります。
お墓の柵にいっぱい鈴がかかっています。「幸せの鈴」といって、願い事をかけて鈴を持ち帰り、願いが叶ったらここに鈴を結びに来るというものだそうです。鈴は商店街の中のお店で配布しているらしいけど、まだ早い時間でお店も開いてないし、私はもらいませんでした。願いと言ってもなぁ…。

長引く戦禍にまみれる領民を思って開城を決意した氏政・氏照にあやかってのことらしいです。


小田原は行くべき場所もさほど多くないのですが、位置関係を把握しておきましょう。氏政・氏照の墓所をお参りした後は、一旦駅前に戻ってからメインスポットの小田原城へ向かいます。小田原城を見た後はランチがてらにちょっと寄り道。東海道と交わる御幸の浜交差点を東に折れ、直進。ネットで調べた評判のおでん屋さんとかまぼこ屋さんへ。再び御幸の浜交差点に戻って、更に南下すると、ミラージュスポットの御幸の浜です。


駅前の商店街には小田原らしいお店が並びます。

ここはかまぼこ屋さんの籠清。ショーウィンドーが華やかです。

小田原のかまぼこは、江戸時代に、小田原を通って箱根を越える旅人や湯治客のために製造されたのが始まりだとか。戦国時代にはまだなかったんですね。
薬のういろう、駅前店。ういろうとは仁丹に似た薬で、口中清涼・消臭等に用いられるそうです。室町時代から京都で製造販売していたものを、戦国時代に北条早雲の招きで小田原でもういろうの製造販売をするようになったとか。

環境破壊のために原料が少なくなっているようで、対面販売限定となっているそうです。

ういろうにはお菓子のういろうもあり、本店は小田原城の近くに、お城のような建物が建っています。
小田原城のお堀が見えてきました。先に見える赤い橋は「学橋」。綺麗な橋なんで、何とな〜くふらっとこの橋を渡ってしまったのですが、小田原城登城の正規ルートはここからじゃなく、ひとつ先の馬出門土橋からになります。後で気づいて、中から戻りました…。

お堀端は桜並木になっていて、とても綺麗なのですが、それにしても、この日は天気予報は一日「晴れ」だったのに、曇ってます。花曇りってやつでしょうか。


正規ルートは、馬出門土橋→馬出門→住吉橋→銅門→常盤木門→天守閣となります。


気を取り直して、馬出門土橋から入ります。

これは馬出門土橋から学橋方面。至る所に立派な桜の木があります。開花状況は、満開のところと、満開ちょっと手前のところとまちまちでしたが、まあ見頃と言っていいでしょう。
ここは馬出(うまだし)門。

平成21年に復元されたばかりらしいので、高耶さんが来た時にはなかったんですね。
二の丸観光案内所。

ちょうど甲冑を着たおじさんが出てきたところ。
案内所の中に展示してある甲冑を撮ろうとしていたら、おじさんがモデルになってくれました。
住吉橋を渡って銅門へと向かいます。
銅(あかがね)門。

ここで、さっきの甲冑を来たおじさんたちと記念写真が撮れます。写真のおじさんはほら貝を吹いています。あの音を聴くと、お〜戦国〜〜って感じがしますね。

銅門は平成9年に復元されたそうで、ここも高耶さんが来た時にはなかったことになります。
銅門をくぐったところ。桜の木の背後に見える屋根は「歴史見聞館」です。

少しずつ晴れ間が出てきました。
常盤木門。そばにある巨(おお)松になぞらえてその名が付けられたそうです。

「石段をのぼって正面の常盤木門をのぼっていくと、目の前には復元されたコンクリート造りの小田原城がそびえ立っている」(『覇者の魔鏡・前編』178ページ)
高耶さんも通った常盤木門か〜と感慨深く石段を踏みしめます。
「高耶は無言で立ちつくして、城を見上げた。本丸の城趾公園は動物園にもなっていて、城の下に象やらライオンやらがおり、なんだか奇妙な光景である」(『覇者の魔鏡・前編』178ページ)

写真は常盤木門付近から天守閣方向を望んで。
常盤木門を出て正面にはかつての動物園跡があります。今はマップにも「動物園」の表記はなく、動物もお猿さんしかいません。

桜の木の右手にある檻がお猿さんの檻です。
狭いところで運動不足なのか、十頭前後のお猿さんたちが一斉に檻の中をぐるぐると走り回っていました。

ここの動物園は、飼育環境があまりよくなかったらしく、愛護団体などからは不評だったようですね。
高耶さんも見た象のウメ子。2009年に永眠し、今はレリーフのみ残されています。

戦後復興期の1950年、ウメ子は推定3歳で日本にやってきてから、60年近くこの地で飼育されていたことになります。たくさんの人に笑顔と元気をあげていたことと思いますが、当のウメ子は幸せだったのかどうか。人間たちに囲まれながらも、彼女が少しでも楽しい、心地よいと感じた瞬間があったことを願います。
常盤木門近くに生えている巨松。

小田原市の天然記念物。樹高は30メートル、樹齢は推定約400年だそう。三郎が生きていた時代からすでにここに生えていたのでしょうか。


「男はチケット売り場で入場券を買って、高耶が歩みだすのを待たずに城への石段をのぼっていった。復元された天守閣は、現在、小田原城関連の資料館になっている。先をゆく男のあとをついて、高耶も城のなかに入っていった」(『覇者の魔鏡・前編』178ページ)


高耶さんの足跡を追うように、天守閣へと登っていきます。ちなみに今はチケット売り場は天守閣の中にあります。

インターネット割引で、歴史見聞館との共通券を購入。
「なかの展示品には、男は見向きもしない。右手に例のアタッシュケースを持ったまま、そのまま階段を上がっていくと、天守閣の一番上、展望台までやってきた。(略)『あれが石垣山。太閤・秀吉の本陣があった場所だ』男は南西側のゆるやかな斜面を眺めつつ、そう言った」(『覇者の魔境・前編』178〜9ページ)

写真正面の小高い山が石垣山です。

続けて氏照兄は、この小田原城を関東一の名城だと、北条一族の誇りなのだと語ります。
前方のこんもりしたところが、小田原城八幡山古郭。すなわち、戦国期の小田原城の中心部があった場所です(↑の地図参照)。
箱根方面。

この先は正に『覇者の魔境』と『群青』の世界ですね。北条、風魔、芦ノ湖、氏康パパ…。箱根は一度行きましたが、もう一回じっくりミラツアしたいです。
展望台から相模湾方面を望む。
「展望台に立っても、高耶は山のほうは見ていない。きらきらと陽の光を反射してきらめく相模湾を見て、高耶はただその風に吹かれている」(『覇者の魔鏡・前編』180ページ)


「中の展示品には見向きもせずに…」というのが正しいミラツアの作法?のようですが、一応お金払ってるので、ひと通り展示品を見て回り、天守閣を出ると、ちょうど青空の下に小田原城の雄姿が…。桑原先生も「青空の下に、白亜の天守閣のコントラストが美しい」と書いていますが、小田原城には青空がよく似合います。


歴史見聞館。

中は思ったほど広くはないですが、紙芝居やミニシアターなどで北条時代の歴史が紹介されていて勉強になります。

氏康パパが活躍した「河越夜戦」の話などもあって、川越出身の私には興味深かったです。私の出身地も、今住んでいるところも、元は全部北条の領土だったんだなーと…「北条」をより身近に感じられた気がしました。
小田原城を出て、南下し、「御幸の浜」交差点までやってきました。この交差点は東海道と交わっています。

写真は箱根方面の東海道。かつてはどんな様子だったんでしょうか。

おでん屋に行くために、この交差点を箱根とは逆の東京方面に曲がります。
おでん屋へ向かって歩いている途中で、「松原神社」の文字を見つけました。松原神社って、『群青』に名前だけ出てきた神社です。里見方からのゲリラ襲撃を受けたところです。

折角だから寄って行こう!と思って、路地を折れたところで、見つけたのが写真の小料理屋(?)「なおえ」。

ミラージュツアーをする女子のために存在するとしか思えぬようなこのめぐり合わせ。
松原神社。

ひっそりとした神社でした。男の人がひとり、静かにやってきて、熱心に手を合わせていきました。
境内には小さな池があって、亀さんが一匹甲羅干ししていました。うちの亀きち&亀ぞうと同じミシシッピアカミミガメですね。

桜の花びらがほっぺたにひっついているのが何とも愛くるしいです。
小田原おでん本店。

ちょっと風流な感じの店構え。中は厨房をぐるりと囲むカウンター席のみで、奥には茶室があるそうです。

おでんと茶飯のセットを頂きました。おでんはうすあじで美味しかったです。茶飯は半分くらい食べてから、おでん出汁をかけてもらってお茶づけ風にして食べました。こちらもなかなかいけました。
道を挟んで、小田原おでん本店の斜め向かいにある、かまぼこ屋・丸う田代總本店。

小田原と言えばやっぱりかまぼこだよなぁーというわけで、かまぼこじゃなかったけど、おいしそうな練り物をいくつか購入。試食もできるので、安心です。

買った練り物は↓の方でご紹介します。
さて、お腹もいっぱいになったところで、再び御幸の浜交差点に戻って南下し、浜辺を目指します。

高耶さんと氏照兄は城趾公園から歩いて浜まで行ったようなので、きっとこの道を通ったのかなーなどと思いつつ…。
明治天皇御幸ノ浜行在所跡。この碑は、西湘バイパスをくぐる直前にあります。

この浜は明治天皇が立ち寄ったことから、御幸の浜と呼ばれるようになったそうです。

つまり、それ以前は「御幸の浜」という名前ではなかったということ。だから、三郎が家臣たちに陵辱された浜は単に「相模の浜」となっているんですね。
西湘バイパスをくぐると、浜辺です。
「小田原市外の海沿いには、西湘バイパスが国道一号線と並行するように走っている。ドライブにはもってこいといったところだが、浜辺に立つと背後の山並みがかくれてすこしものたりなくも、ある」(『覇者の魔鏡・前編』182ページ)

確かに、景観的には残念な感じです。

時間的には、高耶さんと氏照兄が来た夕暮れ時にはまだ早いのですが、再び曇ってきたので、雰囲気的にはそれっぽい感じに。


「夕凪の海から吹く風が髪をかるく乱し、高耶はまぶたを閉じて、両腕で自分の身体を抱くようにして風を受け止めていた。男も、もう話しかけることはない。高耶のすこし後ろから彼を見つめたきり、何も言おうとはしなかった」

そうして、砂浜を夕闇が包む頃、氏照兄は高耶さんに「帰ってこないか」と問いかけます。生前とうとう帰ることの叶わなかったこの故郷に帰ってこないかと。父上もおまえを待っているのだと。


先に見えるのは真鶴半島。
御幸の浜は、『群青』で、氏政と氏照が早朝、海を見に来て、刺客に襲撃された場所でもあります。

海を見ながら二人の兄は末弟・三郎のことを語り出します。四百年前、御館の乱の時に三郎を救い出せなかったことを悔やみ、感情に任せて謙信を恨む氏照に対し、長兄・氏政は、三郎が四百年もの間生きてきたのは、強制だけではない、三郎なりの理由があったのだろう、と諭すように告げます。
一見、末弟に冷たいように見える氏政兄ですが、ただ冷酷なだけではない、長兄らしい複雑な想いが、このシーンでは見え隠れしてるようです。
この浜辺は、景虎が想い焦がれた故郷の象徴であるとともに、心に深いトラウマを抱えることになったあの陵辱事件の現場でもあるんですよね。

色んな意味で上杉景虎という人物の形成に深い影響を与えた場所だと言えるでしょう。

そして『覇者の魔鏡』では、氏照兄の誘いを拒んだ高耶さんがツツガ鏡に封じ込まれるという重大な事件が起きます。
昨年末に見た直江津の海のような荒々しい感じではないのですが、波はそこそこ高かったです。でも水は透明感があって、綺麗でした。

形のよい波を思わず食い入るように眺めてしまいます。
『覇者の魔鏡』で、氏照兄に逆らって念波を繰り出した高耶さんは、逆に氏照兄の放った念波にふっとばされて波打ち際に転がり、打ち寄せた波に身体を洗われます。

綺麗な波を撮ろうと、必死になってファインダー覗いて油断していると、砕けた波が思いのほか激しい勢いで足もとまで打ち寄せ…
あれよあれよという間に、足もとを波に掬われ…ええ、見事にすっ転びましたとも!!

足もとからおケツ、ポシェットに至るまで水を被りました(涙)。カメラが無事だったのは不幸中の幸いです。つーか、
そこまで原作を忠実に再現してどうするよ、オレ!!

ハンドタオルを持っていたので何とか拭き拭きして取り繕いましたが、これから電車で帰るというのに…。気にしない気にしないと自分に言い聞かせ、それでも懲りずにまだ浜辺を少し散歩してから、駅に向かいます。
小田原城を、来た時とは逆の線路側を通って駅の方角へ。

写真は線路際から見た小田原城。

本当は、八幡山古郭の辺りまで回って、戦国期の堀の跡なんかを見てみたかったのですが、翌日からまた疲れる仕事が待っているので、早めに帰ることに。小田原ならまた気軽に来れますし。
最後のスポット。小田原駅西口にある北条早雲公像。

馬に跨る早雲公の下にいるのは角に火をつけた牛です。これは、後北条氏の祖・早雲公が小田原を攻める際に、牛の角に火をつけ無勢を多勢に見せかけて見事勝利したことに由来しています。人を集めるより牛を集める方が大変な気がしますが、どうだったんでしょう…。

でも、早雲公のこの勝利がなければ、小田原北条氏も、北条三郎もなかったわけで、そうなると、ミラージュという物語もなかったんだなぁ…と、感慨深くなったところで、小田原に別れを告げます。
丸う田代總本店で買った練り物二種。

左がしそ風味のチーズちくわで、右がしょうが入りのたんざくあげ。

両方とも美味しかったです。特にしょうが風味のがちょっと変わっててよかったかな。酒のつまみにちょうどいい。
こちらは小田原城の最上階のおみやげコーナーで買った寄木細工の根付。450円也。

ひょうたんとか色んな形のがありましたが、私はどんぐりが好きなのでどんぐりを選びました。どんぐり、好きなんですよー。なんつーか、秋の実りの象徴って感じがして。落ちてるとつい拾っちゃいます。でも、何かになりそうで、何の役にも立たないんですよねぇ、どんぐりって(笑)。まあその辺も好きなんですが。
御幸の浜で拾ったもの。

ガラスの欠片はよく海辺で落ちてますよね。色がとっても綺麗なので拾っちゃいました。元は何の瓶だったんでしょうか。他にもあるかと探してみましたが、落ちていたのはこの2個だけでした。

それと、何の貝だかわからない貝殻と、平べったい石。石はあまりにも見事に丸く削られていて、小気味よかったので。
これは御幸の浜で海水の洗礼を受けた私の所持品、『覇者の魔鏡』前編と中編です。カバーは外して持ち歩いているので、被害を受けたのは中身だけ。

まあこれもミラジェンヌの勲章(!?)と思って、大切な思い出としましょう。

「春爛漫の小田原日帰りツアー 〜相模の海はしょっぱかった!」はこれにて終了。いかがでしたでしょうか。原作刊行から二十年近く経ってのことですので、当時と状況が変わっているところもあり、時の流れを感じさせられる旅でしたが、少しでも雰囲気を感じ取ってもらえたら嬉しいです。

次こそは、奈良に行きたいぞーと思いつつ…予定は未定です。


 




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