臼杵&国東ツアー

〜嶺次郎と直江の足跡をたずねて

後 編




◆旅行日:2015年6月25日〜6月27日

◆行程:
※下線はミラージュスポット
※グレー文字は前編にて

◇6月25日:
成田空港→(ジェットスターGK601)→大分空港→(高速バス・佐臼ライナー)→臼杵インターバス停→(徒歩)→うさ味(ランチ)→(徒歩)→臼杵石仏→(徒歩)→臼杵石仏バス停→(路線バス)→辻口バス停→(徒歩)→稲葉家下屋敷→(徒歩)→サーラ・デ・うすき→(徒歩)→五嶋旅館(宿泊)

◇6月26日:
五嶋旅館→(徒歩)→臼杵城址→(徒歩)→
五嶋旅館→(徒歩)→二王座歴史の道〜龍原寺〜上臼杵駅→(JR日豊本線)→大分駅→(徒歩)→マルショク(スーパー)→(徒歩)→大分駅→(JR日豊本線)→別府駅→(徒歩)→別府駅西口バス停→(亀の井バス)→鉄輪バスターミナル→(徒歩)→地獄蒸し工房(ランチ)→(徒歩)→ひょうたん温泉(立ち寄り湯)→(徒歩)→地獄原バス停→(大分交通バス)→別府タワー前バス停→(徒歩)→シーサイドホテル美松→(徒歩)→とよ常(夕食)→(徒歩)→シーサイドホテル美松(宿泊)

◇6月27日:シーサイドホテル美松→(徒歩)→別府駅→(JR日豊本線)→別府大学駅→(徒歩)→六勝園・別府海浜砂湯前バス停→(大分交通バス)→国東バスターミナル→(タクシー)→文殊仙寺→(徒歩)→岩戸寺→(徒歩)→岩戸寺バス停→(大分交通・国東観光バス)→小原バス停→(徒歩)→道の駅くにさき→(徒歩)→黒津崎バス停→(大分交通・国東観光バス)→大分空港→(ジェットスターGK604)→成田空港


◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




後編もしばらくはミラージュとは関係のない部分が続きますので、飛ばしたい方はこちらをクリックして下さい。


さて、最高の思い出をくれた五嶋旅館に別れを告げまして、二日目は引き続き相方とは別行動でスタート。


相方は大分県立美術館に行きたいそうなので、好きにさせるとして、私はもう少し臼杵に留まり、城下町を散策してみることに。お昼頃、大分駅周辺で合流します。


時刻は8時51分。五嶋旅館を出発し、海添川(かいぞえがわ)沿いの道へ出てきました。遠くの山に低く薄雲がかかり、相変わらずの梅雨空。路面は濡れていますが、取りあえず、この時は降っていません。散策の間、もってくれればいいのですが。
ヨシノボリ? チチブ? 正確な名前はわかりませんが、それっぽい魚が二匹、縄張り争いなのか、頭をつきあわせて威嚇し合っていました。


よくよく見ると、ヒレの辺りがきれいな瑠璃色をしています。


ミラツアとは関係ない部分ではありますが、一応地図を。今回、通った道のりは、オレンジの線で記してあります。五嶋旅館を出発して、上臼杵駅に向かう間、雰囲気の良い道を選びながら歩いてみようかと。

川沿いの道を離れて少し進むと、交差点があり、その脇から伸びる小道に入りました。

このあたりは「二王座」というエリアで、坂道や入り組んだ道が多くあるようです。27巻に書いてあった城の南側の「寺町」というのは、この辺りのことですね。

右側は墓地。人通りもなく、趣きがあります。
この辺りは、立派なお屋敷も多いようです。


石段や門構えからして、歴史がありそうですよね。
お屋敷の石塀の上から青い朝顔がのぞいていました。

景虎さまの好きな花だよな、と思い出しながらパチリ。

そう言えば、今回のミラツアは高耶さん不在ですもんね。ちょっと寂しい。高耶さんは…四万十大正で大変なことになっていたんですよね(さつまいも事件)。
こちらは…何ていう植物だろう…。あちこちの雨どいや屋根瓦に生えていました。灰色の世界の中で、小さく可憐に咲いていて、目を引きます。


旅先で雨にあたるのは嫌ですが、雨できれいに見える風景というのもあるんですよね。
こういう石畳もそのひとつかもしれません。濡れていると不思議と風情が増します。

この十字路の横方向の道は「二王座歴史の道」という名前がついていて、昔ながらの町並みが残る通りなんだそうです。写真で十字路の向こう右角にある白い建物は、稲葉家の分家の蔵で、休憩所として開放されています。

ここで左折して、その二王座歴史の道に入ります。
こちらが二王座歴史の道。


道端の緑が美しいと、ついこういうアングルで撮ってみたくなります。
二王座歴史の道を歩いて行くと、こういった切通し部分に至ります。


しかし、すごい地形だな。タモリさん喜びそう。臼杵辺りも、ブラタモリで歩いてくれるとなかなか面白そうなんですけどね。余談ですが、長崎ツアーのレポートでブラタモリのこと書きましたが、その後やっぱり長崎に行ってましたね。いかにもタモリさん好きそうだもんなあ。
切通しの崖にこんな穴がいくつも空いていました(塞いでありましたが)。


何に使っていた穴でしょうね。説明がないので、不明です。なんらかの歴史があるのでしょう。
何回か角を曲がりながら、そろそろ龍原寺の近くまでやってきました。


こういう木造の古い家屋っていいですよね。維持するのは大変かもしれませんけど。
県道33号に出て、龍原寺の前を通り過ぎます。ちょうどこの頃、雨が降り出しまして、慌てて雨具を引っ張り出しました。ああ、あれが例の三重塔か〜と思いつつ、参拝は省略させて頂き、先を急ぎます。


龍原寺の三重塔が家並みの中に顔を突き出していた>(27巻『怨讐の門 黄壌編』54ページ)
臼杵川と赤猫橋。近くに商売繁盛のご利益がある赤猫社という小さい社があるのが橋名の由来のようですね。

写真では、臼杵川を渡る橋のように見えますが、実際は臼杵川に合流する二本の川に架けられた橋で、臼杵川を渡るわけではありません。

何ともめでたい感じの橋ですが、上臼杵駅へ行くには、実はこの橋を渡ってはいけなかったんです…。この橋の手前で左の方に分かれる道へと入らなくてはならなかったのですが、雨も次第に強くなり、つい地図を見ずにそのまま進んでしまいました。おいでおいでしているこの赤猫につられたかな…。
んで、前方に見えてきたのが、上臼杵駅ではなく、道路の上を跨ぐ高架線路だと気づいてようやくハッとしたのでした(写真)。

地図を見て、ここからなら戻るよりは、線路を潜って南側から駅に入った方が早そうだと踏んで、線路と平行するように通る国道217号を上臼杵駅の方へ向かったのですが…。なんと、歩き始めた217号は上り坂となり、いつの間にか高架化、一方上臼杵駅は、さっき潜った部分では高架でしたが、駅は地面の上(こういうのは地図からは読み取りにくい…)。つまり、南側からは駅へは入れないんですね。電車の時間は迫ってくるし、おいおい、どうやって駅まで行ったらいいんだよ、と雨の中途方に暮れそうになりましたが、たまたま国道が工事中で交通整理していた人たちがいたので聞いたら、この辺の人ではないらしく、駅へ繋がるかどうかわからないけれども、取りあえず前方に高架から下りられる口はあるとのこと。
教えてもらったところから国道の高架を下りると、踏み切りがあったので、これでようやく駅の北側に戻れます。

ちょうど逆向きの電車が来て、通過待ちになりましたが、乗りたい電車には間に合いそう。ほっとして国道の高架を振り向いたら、さっきの工事現場の人たちが手を振ってくれて、私も手を振りました(観光エリアではないし、雨の中、道に迷ってる人間なんて珍しかったろうなと思います)。なんか妙な感じだけど、ちょっとうれしいワンシーンでした。
↑の踏み切りの辺りから、国道を振り返って(工事現場の皆さんがいたのは画面よりずっと右の方)。


こんな感じに高架になってるんですよ。焦ったよ、まったく。
10時4分、上臼杵駅に到着。


1時間余りの散策でした。萩の城下町もそうでしたが、短時間の散策では物足りない感じがします。機会があれば、もっとゆっくり歩いてみたいものです。
臼杵は、確かにこじんまりとした、静かな城下町ですが、もし自分がここで生まれ育っていたら、きっと故郷のことをすごく誇りに思うだろうな、なんて思ってしまうような街でした。さほど有名ではないですけれども、ちょっとした自慢がたくさんありそうなんですよね。


上臼杵駅は無人駅で、レトロな雰囲気。
10時13分発の電車に乗車。

電車のアナウンスで初めて気づいたのですが、関東の人が言う「大分」と、大分(と言うか九州?)の人が言う「大分」ではイントネーションが違うんですね。

関東では「おお」を強く発音しますが、本場では平坦なイントネーションで、「大阪」と同じような音調で発音するようです。「臼杵」や「国東」も同様でした(そう言えば、高知の「宿毛」もそうなんですよね。もっと言うと「高知」自体もそう)。東の人間からすると、ちょっとしたカルチャーショック…。
11時ちょうどに大分駅に到着しました。


大分駅のトイレがお風呂屋さん的になっている…。さすが温泉県。
改札を出まして、駅から歩いて少しのところにある「マルショク」というスーパーにやってきました。


相方とこのスーパーで合流しまして、色々と食材を買い込みます。旅行中になぜ食材を?という理由は後ほど。


雨は止んだようですね。
12時47分大分発、中津行きの電車に乗車。最近中津から揚げでとみに有名になったあの中津ですね。


写真は大分駅。2012年に高架化され、駅がリニューアルされたようです。きれいな駅なんですけど、どうも新しい駅っていうのはどこか味気ない気もしてしまいますね。
13時ちょうどに別府駅に到着。


「べっぷ〜〜」というホームの到着駅を知らせるアナウンスがまた、旅情感溢れまくりなんですよ。「べっぷ〜〜」の「っぷ〜〜」の部分が必要以上に音程高いんです。


ミラツア部分ではないので、別府周辺の地図は省略。
別府と言えば、言わずもがな、温泉です。


ひとくちに別府と言っても、別府の中にいくつもの温泉地があるわけで、私たちがやって来たのは、その中のひとつ、鉄輪(かんなわ)温泉。


写真は、鉄輪バスターミナルで下車したところ。別府駅西口から路線バスで20分ほどの距離です。
鉄輪バスターミナルからほど近いところにあるのが、こちらの「地獄蒸し工房」。地獄蒸しというのは、温泉の蒸気を利用した釜で食材を蒸すことです。


時刻は、13時37分。お昼過ぎてしまいましたが、混雑が緩和されたくらいの良い頃合かと。


さっきスーパーで買った食材は、そうなんです。ここで地獄蒸しにするためなんです。
こちらがその食材。

右から、長ナス120円、原木生しいたけ150円、いんげん85円、宮崎県産霧島黒豚バラ薄切り283円、えのき111円、とうもろこし158円、ハモ388円、もやし46円、ミニトマト138円、さつまいも甘太くん198円、たまご141円、いさき398円、大葉60円(すべて税別)。大葉は薬味的な感じで生で食べます。

豚肉と卵以外は、大分県産でそろえてみました。しめて2,458円。これで二人分って、多いよな(笑)。
地獄蒸し工房でも食材のセットなどを販売していますが、好みの野菜など持ち込むとやはり楽しいです。

持ち込む場合は、持ち込み料(300円)が発生しますが、地獄蒸し工房で販売している食材を1,000円以上購入すれば、こちらは免除となりますので、550円のわっぱ飯を2つ買ってみました。釜の使用料(今回は小さい釜30分で500円)は別途必要です。

基本的に体験工房とのことなので、ほとんどセルフサービスなのかなと思っていたのですが、窓口で食材を渡すと厨房の中で全部洗ってセットして下さいました(蒸し時間が長いものを下から順に)。釜の使用料は自販機でチケットを買うようになっていますが、どのチケット(釜の大きさ、時間で違う)を買えばいいのか、食材を見てアドバイスしてもらえるので安心です。
そして、セットされたものを指定された釜へ持って行くと(↑の写真)、係りのおばちゃんがいて、食材を確認し、これは何分、これは何分…と教えてくれるので、指示された時間ごとに自分で食材を取り出しに行けばいいだけ。

貸してもらったタイマーをセットして席で待ちます。

ぽん酢は地獄蒸し工房で自由に使っていいものが置いてありますが、折角ですので、臼杵で買ってきたものを使ってみます。フジジンの生ぽん酢です。カボスが入っていて、出汁の旨みも効いていて、まろやかな感じのぽん酢です。
5分でミニトマトといんげん、7分でたまごとハモが出来上がりました。

ちょっとつまんでいると、すぐに次の引き上げ時間になるので、結構忙しない…。

蒸しただけなので、素材の味がよくわかってなかなか良い感じですよ。蒸気に多少の塩分があるのか、たまごは少し塩気が入っているように思えました。何もつけなくても大変美味しい。
こちらは15分で上げた、豚肉+えのき+もやし、いさき、長なす、しいたけ、わっぱ飯。

スーパーで買ったまんまをポンと渡しただけなのに、きれいに並べて下さって、ほんとありがたいです。もやしとえのきと豚肉は一緒に食べたいな〜と思っていたこちらの意図もちゃんと汲んでくれています。

豚肉はもちろんうまい。宮崎産とのことですが、霧島黒豚ってことは、鹿児島に近い方なんでしょうか。いさきも身がふわふわで美味。そして、しいたけはやっぱり最高に美味しいのです。大分もうまいものが多いな〜。

わっぱ飯は梅とじゃこ、椎茸と鶏の二種類。こちらもふわふわに蒸しあがります。
30分で最後のさつまいもととうもろこし。

温泉の蒸気で蒸すせいか、甘みが強く感じられますね。とくにさつまいもは甘く感じました。

二人でこの量を食べ切れるわけもなく、たまご、とうもろこし、さつまいもは当初から持ち帰りを想定していました。翌日の朝ごはんです。
温泉の恩恵を食したところで、次はもちろんその温泉に浸ります。


しかし、別府界隈はまた一段と蒸し暑いです。真夏だったら、本当に地獄で蒸されているような感じじゃないかな。


本当は別府名物「地獄めぐり」もしてみたかったのですが、今回はそこまでの時間はなく。次に来るなら、寒い季節にするべきですね。


写真は、途中で通りかかった川。川底がエメラルドグリーンです。温泉の成分なんでしょうかね。
地獄蒸し工房から10分ちょっと歩いて、「ひょうたん温泉」にやって来ました。日帰り専用の温泉施設です。


大正11年の創業時、ひょうたん形の岩風呂を造ったことが名前の由来らしいのですが、このひょうたん形の岩風呂は今も女風呂に存在しています。なぜひょうたんかと言うと、創業者が秀吉好きだったから、らしいですよ。
前庭に、竹を使った温泉冷却装置が展示してありました。


鉄輪温泉の源泉は100℃もあるそうですが、この装置を使うと数秒で47℃まで一気に湯温が下がるのだとか。水で薄めないというこだわりが感じられますね。
鉄輪温泉を満喫して、17時22分、バスで再び別府エリアに戻ってきました。


宿泊先に近い別府タワー前のバス停で下車。
今夜の宿は別府湾に面した「シーサイドホテル美松 大江亭」。


料金は、素泊まり二名で税込10,800円。ですが、ふるさと割の5,000円クーポンを利用させて頂きまして、5,800円。相当お得です。


2015年度は、これ以外にもたくさんふるさと割を使わせてもらいました。旅行好きには本当にありがたい企画でした。またやってくれないかな。
お部屋はきれいで快適です。


温泉宿はやっぱり和室に限りますね。
素泊まりの安いプランですので、部屋は街側。海は見えません。


でも、屋上の露天風呂からは別府湾が一望できます。


茶褐色のお湯で、ぬめりが強く、湯上りはしっとりとする温泉でした。個人的にはひょうたん温泉の温泉よりこっちの方が好みかな。
居酒屋さんに向かう前に、海辺に出てみました。


すると折しも美しい夕焼けが。明日は晴れかと思わせるいい夕焼けですが、天気予報は曇りのち雨。梅雨、絶賛継続中なのです。


画面右奥の方が国東半島の方角です。最終日となる翌日は、その国東半島へと向かいます。
別府駅前まで出てきました。


駅周辺は、なぜか外国人観光客ばかりでした。中国とかタイとかベトナムとか? 日本の温泉地というよりは、どこかアジアの国に来たような妙な感じ。
駅前にある「とよ常」という居酒屋に入りました。


事前に電話をしたところ、通常は空いているので、直接来て下さいとのことで、予約は入れていません。


例によって、食べログで地元の美味しいものを食べられる店を…と探したお店です。


右上から反時計回りに、ふぐの唐揚げ、豊後あじ刺し、りゅうきゅう、やせうま。「豊後あじ」というのは、いわゆる「関あじ」と同じ豊後水道のあじだそうです(佐賀関の港で水揚げされたものだけが「関あじ」と呼ばれるらしい)。関あじより安価とのことですが、それでも、この量で2,000円…。しかし、確かに見た目も普通のあじの刺身とはまったく違う色をしていますし、鮮度が良いのがわかります。「りゅうきゅう」は、ケンミンショーでも話題になっていましたね。ぶつ切りにしたアジやサバを醤油・ごま・ねぎなどのタレで絡めた大分の郷土料理です。ごまが効いていて美味。つまみにぴったり。「やせうま」は、こちらも大分の郷土料理で、小麦粉の平たい麺にきなこと砂糖をかけたもの(↑のものは黒蜜もかかっていました)。和のスイーツです。この麺は、実は臼杵で食べただんご汁に入っていたのと同じものだそうです。野菜などと味噌で煮込めばだんご汁、茹でてきなこをかければやせうま、ということらしい。地方にはまだまだ知らない色んな郷土料理があるんですね。
あじの後ろに写っているグラスは、相方が呑んだかぼすサワー。大分と言えばやっぱりカボスですよね。写真には写っていませんが、私は「とっぱい」という麦焼酎を呑んでみました。少量生産で県外にはほとんど出回らない隠れた銘酒…らしいですよ。味は…どうなんでしょう。私は、焼酎はめったに呑まないのでよくわからないのですが、以前たまたま人の家で二階堂を呑ませてもらった時は、なかなかうまいなと感じたのですが、こちらのとっぱいは、ちょっとすっきりし過ぎたかな…。あくまで好みなんでしょうけどね。私はどうやらクセが強い酒が好きなのかもしれないです。

くまモンのイラストが目を引く「すいかソーダ」。、関東でも販売しているのかどうかわかりませんが、初めてみたので思わず、コンビニで買ってしまいました。

山崎製パンが作っているんですね…。どうせファンタ的な感じで化学的な味しかしないだろうと思っていたら、意外と美味しかったです。果汁10%未満。そこそこ入ってますね。

このレポートを書いているのは2017年6月なんですが、4月の熊本地震では、別府も被害があったようですね。でも、地震そのものの被害以上に、観光面での打撃が大きいかもしれません。熊本へも、大分へも、また行きたいです。見所がたくさんありますし、本当に素敵なところなので。
さて、三日目、旅の最終日となりました。残すミッションは、国東の文殊仙寺のみ。


しかし、この日も順調に曇り空ですよ。予報は曇りのち雨なので、どこまでもってくれるか。


朝7時過ぎにホテルをチェックアウト。


写真は別府タワーです。
別府駅で朝ごはん(私は前日の地獄蒸しの残り)と昼ごはんを購入します。


何せ、これから向かうのは国東半島の山の中なので、食料調達が難しそうなため、今のうちに準備しておかねばなりません。


幸い、駅中の「別府銘品蔵」というコーナーが早朝から開いているので助かりました(スケジューリングの段階で電話調査済…なぜかネットには情報がなかったので)。
8時ちょうど別府駅発の日豊本線中津行きに乗車。次の別府大学駅ですぐに下車し、国東バスターミナル行きの大分交通バスに乗り換えます。

国東バスターミナル行きのバスへは、別府大学駅の他にも亀川駅、大神駅…で下車しても(同じバスに)乗り換えられますが、知らない場所なので、乗り換えの時間を稼いでおきたいという理由から、早めのタイミングで乗り換えることにしました。

公共交通機関で僻地へ入ろうとすると色々下調べが必要ですし、頭も使わなくてはならないのです。それもまた旅の醍醐味ではあるんですけどね。
別府大学駅から数分歩いたところにある、「六勝園・別府海浜砂湯前」バス停で国東ターミナル行きのバスを待ちます。

結構時間があったので、前日のイモを取り出して食べるオレ(笑)。時間が経っても不思議としっとりとして柔らかかったです。甘いし、うまい。少し残しておいて、帰宅後、亀きち&亀ぞうにもあげたのですが、ふたりとも喜んで食べていました。

8時35分、予定時刻より少し遅れて来たバスに乗車。
初日に着地した大分空港も国東半島にあります。でも、来た時は高速道路を通ったのであまり感じなかったのですが、こういう一般道を走ると、国東は辺境感がものすごいです。


何だろう…。人は歩いていないし、車もあまり通らないし、家もほとんど見かけないし。日本だかどこだかわからない、えらいところに来ちまったなあという感じです。北海道のどこか端っこの辺りのような雰囲気もあります。
10時19分、国東バスターミナルに到着。

ここから文殊仙寺まで、実はちゃんと路線バスも走っているのですが、一日三便のみ(日祝はなし)で、どう行程を組んでも時間が合わないため、往路だけはタクシーを利用することにしました。

バスターミナルのすぐ隣にタクシー会社の営業所があります。事前に電話で確認したところ、予約しなくてもすぐ乗れるとのことでした。

国東は、電車が通っていないので、本数は少ないですが、コミュニティバスや路線バスが意外と充実しているようです。国東市のHPにわかりやすいPDFがあるので、よろしければ参考になさって下さい。


国東バスターミナルからタクシーで文殊仙寺へ。それだけでは時間が余りますし、折角ですので、六郷満山のお寺をもう一寺、ということで、岩戸寺まで歩きます。岩戸寺を参拝した後は、時間的にちょうどいい路線バスがありますので、それを利用して国東バスターミナル付近まで戻り、更にこの時点ではまだ少し時間があるので、道の駅くにさきに立ち寄ります。道の駅くにさきから大分空港へも路線バスを利用します。

タクシーに乗り、国東半島の中心部の山に向かいます。


この頃、ぽつんぽつんと雨が窓を打つように…。
20分ほどで文殊仙寺に到着。

タクシー料金は、4,180円でした。

写真は、参道の石段を少し上ったところから見下ろした駐車場と乗ってきたタクシー。

さて、ここからミラージュツアー再開ですね。
上の写真と順序が前後しますが、こちらが、文殊仙寺の参道入口。結構な石段が続いています。私たちとほぼ同時くらいに老夫婦が一組、車で到着していましたが、石段の下から様子を見ただけで帰って行かれました。んん…こういうところは、どうしたって自分の足で歩くしかないですもんね…。

小雨ですが、降ってきたので、一応ポンチョを着込んでから出発です。本当はゴアテックスのレインウエアみたいなのが良いのかもしれませんが、何せ、背中にバックパック、首からは一眼レフを提げていますので、その上からすべてカバーしてくれるポンチョの方がありがたいのです。撮影時は、前をめくればいいだけですし。
<駐車場から続く月明かりの石段をあがってくる人影がある。外は薄く影ができるくらいには明るかったが、従者らしき者が念のため、懐中電灯で後からついてくるもうひとりの足元を照らしている>(27巻『怨讐の門 黄壌編』60〜61ページ)

誰もいない石段は、梅雨時というせいもあってか、昼間でも薄暗い感じがします。

↑のシーンで石段をあがっているのは、大友の立花道雪と甲斐宗運。
嶺次郎と大友方との正式な会談を控えた前夜、直江は水面下の手回しをするために、立花道雪と会う手はずを整えていたのでした。


この文殊仙寺を会う場所に指定したのは道雪らのようですが、恐らくは直江が、臼杵から離れた人目につかない場所がいいと申し出たのではないかと思います。嶺次郎の手前もあるでしょうし、元上杉の総大将だった直江が怨将と面会を持つとなれば、やはり人目を忍ばねばならないでしょう。それにしても、忍びすぎな感はありますけどね。お蔭で来るのが大変ですよ、こっちは(笑)。
しかし、そうは言っても、文殊仙寺は素敵なお寺です。逆に桑原先生に感謝ですね。


このアングルの写真はよく観光パンフレット等に使われています。格好良い仁王像、ほんと画になります。


余談ですが、私の中で、この大分旅行のイメージは、雨、石、苔の三つに尽きます。臼杵の石仏然り、文殊仙寺然り。水と山と生命が、古の人の手も加わって渾然一体となったような…そういうものが時の力を借りると、神とか仏とかいう存在になるのかな、などと思ったり。


この季節の大分ツアーは、意外とおすすめです。
石段の両側は緑の苔でびっしり。


ため息が出るほど美しく、厳かな雰囲気。長い石段を上る大変さも、自然と気にならなくなります。
足元の緑越しに見上げる山門。


元々、大友と手を組むと言い出したのは、高耶さんであり、直江がここへ水面下の交渉をしに来たのも、彼の命令によるものです。あの、中村での夜のことでしたね、高耶さんが直江にこの密命を下したのは(屋形船事件?のあの時。26巻122ページ)。


直江は、その一方的な命令を無茶だと腹を立てていましたが、結局その横暴な高耶さんの背中にきっちりついていくのが直江なんですよね。それが直江の矜持なんだろうな、と思います。


山深い夜の寺でひとり、道雪を待っていた直江はどんな心境だったのでしょう。
<山門には「文殊仙寺」とあった。国東の六郷満山と呼ばれる寺院群のひとつである。かつてこの国東半島は修験の地だった。宇佐神宮と関わり深い神仏習合の寺々で、創建は千二百年以上も前だという。この文殊仙寺もそのひとつに数えられる名刹だった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』60〜61ページ)


648年に役行者が創建したと伝わっているそうです。
山門に、確かに「文殊仙寺」とあります。
山門を潜ると、また長い石段が。


<立花道雪は長い石段の先を見上げた。石段の果てに小さな明かりの灯るお堂がある。岩山のシルエットを背負う古びたお堂はこの寺の「奥の院」だった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』61ページ)


その奥の院は、石段の先、右手にあります。こんな感じ↓


<崖にはめこまれたようなお堂だ。舞台のようになっている正面の廊下に人影がある。梢越しに、月を見つめているようだった>
(27巻『怨讐の門 黄壌編』61ページ)

ああ、本当だ。崖にはめこまれたようなお堂で、舞台のような廊下があります。あそこで直江が道雪を待っていたんですね。月夜というのはまた一段と雰囲気があるのでしょう。


<石段を上りきると、羅漢像群が待っている>(27巻『怨讐の門 黄壌編』61ページ)


↑の写真の石段が途切れたすぐ先に、その羅漢像群があります。


この十六羅漢さんがそれです。植物に覆われて、一見何が何だかよくわかりませんが…
よくよく見ると、こんな感じで、葉っぱの間から、優しいお顔が覗いています。
<奥の院の先客は、人気に気づいたようだった。スーツ姿で腕にコートを抱えて、こちらに歩いてくる>(27巻『怨讐の門 黄壌編』61〜62ページ)

待っていたのが、阿蘇で死んだはずの直江信綱本人であることを知り、道雪は驚愕します。

<月は山水画のような岩山の上空にある。梢が風にさざめいた。奥の院の舞台の床がぎしりと鳴る。背後の文殊山の岩塊が、まるでのしかかってくるようだ。直江と道雪は睨み合った>(27巻『怨讐の門 黄壌編』64ページ)

元上杉の総大将である直江の口から、自分は赤鯨衆の一員として来たのだということ、更に大友の怨将であることをやめ、立花道雪個人として赤鯨衆とともに戦って欲しいという言葉を聞き、道雪は驚きを通り越して怒りすら滲ませるのでした。
直江が待っていた舞台。
舞台から石段の方を見下ろして。

思えば、阿蘇では、直江は上杉の総大将として大友と同盟を結んでいたわけですから、道雪と宗運が驚かないはずがありません。

大友の大将・宗麟公は、中岳で呪法に失敗し、ヒムカの怨霊群によって滅びています。甲斐宗運は、中岳の戦いでのほぼ唯一の生き残りであり、立花道雪は、宗麟公から国崩し製造の名目で福岡県の香春岳に遠ざけられていたため、難を逃れたというわけでした。
舞台の奥から石段をのぼりきったところを向いて。


参拝して、お守りとちょっとしたグッズを買わせてもらいました。最後にご紹介します。
<やがておもむろに道雪がコートを翻して、きびすを返した。「少し歩こう」 夜空にそそり立つ岩山を後に、古い石段を下りていく。直江はそれに従った>(27巻『怨讐の門 黄壌編』73ページ)


奥の院より少し上にあるお堂やお地蔵さんにも参拝した後、私たちも元来た石段を下りて行きます。
<冴えた月光が道端の石仏の陰影を浮かび上がらせる。「この国東は仏の里と呼ばれてきた。毎年正月、六郷満山の寺々では修正鬼会という祭りが行われてきた。国東では鬼は追われない。鬼は歓迎されるのだ。(略) 修正鬼会とは里人が鬼と出会う火祭り。私にはその祭りが、神と仏との出会いのように思えるのだ」 そういえば、国東は神仏習合の土地だった。海の向こうから来た仏が、この土地の神々と出会う夜――。「切支丹の神と仏たちもそうなれれば、悲劇は起こらなかったのにな……」>(27巻『怨讐の門 黄壌編』73ページ)

石段脇には、ところどころにこういう石仏さんたちが佇んでいます。
大友はかつて宗麟公の命で六郷満山の寺々を焼いたのだと、道雪は語り出しました。宗麟公がその火で焼いたのは、本当はこの道雪だったのかもしれないと。


彼の弱さを受け入れてやる寛容さが自分にあったなら、彼も心を開いてくれたのかもしれないと、生前の主従関係を悔やむ道雪に、直江も大いに思うところがあったようです。
道雪の本音を聞くにつけ、理路整然と大友からの独立と赤鯨衆への加担を説いていた直江も、自分の本心を漏らすのでした。

<「私は、本当は、赤鯨衆に入る資格を持たない人間かもしれません」 「直江殿」 「思えば、私は独立すべきものを持たない男です。離れることを独立と呼ぶなら、そんなものには興味のない人間です。けれど独立をしないから依存だとは思わない。人生を彼に委ねるんじゃない。そんなもの背負わせようとは思わない。独りの男として立つことなしに、彼を支えられるとも思えない」 (略) 彼の説く理想なんてものも、自分はろくに信じていないけれど……。自分にとって譲れないものとは、自らの「主義主張」なのではなく。「私は、彼と同じ問題に、いつも関わり続けていたい。それだけです」 (略) 「上杉景虎という男、一度会ってみたいものだな」>
(27巻『怨讐の門 黄壌編』75〜76ページ)

本当はこんなこと言っちゃいけないんでしょうね(笑)。しかし、本心を吐露して見せることで、高耶さんの「人を動かそうと思うなら、小手先でやろうとするな。おまえの心をつぎ込むんだ」(27巻69ページ)という言葉に答えた形なのでしょう。この直江の赤心こそ道雪を動かす原動力になったのかもしれません。
石段脇には、石碑?らしきものが、半壊状態のまま並んでいました。


いつからここに建っているのでしょうね。この寺ではすべてが苔生していて、時間が止まってしまっているようです。
さて、元の駐車場に戻ってきました。

<天を突きあげる、あのゴツゴツとした岩嶺の奇景は、中国の五台山に例えられたという。このあたりは国東半島独特の鋭角的な岩山が多くそびえ立つ>(27巻『怨讐の門 黄壌編』60ページ)

順序が逆になってしまいましたが、文殊仙寺のくだりの冒頭部分です。岩山が木々に覆われてしまっていてわかりにくいかもしれませんが、確かにこの辺りの山は鋭角的で独特な形をしています。
文殊仙寺はゆっくり拝観して、1時間弱かかりました。


11時41分、文殊仙寺を出発し、岩戸寺まで向かいます。


ここからまたしばらくミラージュとは関係のない旅となります。最後に大分空港でワンシーン残っていますので、飛ばしたい方はこちらをクリックして下さい。
山道ですが、ちゃんと舗装された道路ですし、基本的に下り方向なので、楽は楽です。


ただ、雨がそこそこ降っていたので、そっちの方が大変。この時持っていたのは安いポンチョだったので、水が染みてきて、肌に生地が貼りつき、中は蒸れて暑いし、結構な不快感…。これじゃあだめだと思って、この後、モンベルのポンチョを買い直しましたよ。でも、まだそっちは出番が無い…。


途中数台の車とすれ違いましたが、歩いてる人間見て驚いたろうなと思います(もちろん、こんなところを歩いてる人間なんて他にいません)。
「国東半島峯道ロングトレイル」という案内標を見かけました。よく見ると、登山道のような道が整備されています。


しっかりした装備さえあれば、こういう道を歩くのも面白そうですね。
たまにこういう景色に出会えるのが醍醐味です。
山口池が見えてきたところで、大きな道(県道544号)に出ます。
足元を見れば、小さな隙間にも苔がぎっしり。


なんか癒される。
県道544号。


ここをしばらく下って左折し、再びしばらく歩いた先に岩戸寺があります。
県道544号を左折した道にて。


どことなく、夏目友人帳の世界を彷彿とさせるような…。にゃんこ先生がひょこひょこ歩いてきそうな…。人吉も行ってみたいんですよねぇ。
岩戸寺の入口が見えてきました。


岩戸寺も六郷満山の寺院のひとつです。現在も修正鬼会(しゅじょうおにえ)が行われている寺院として有名らしいです(現在も修正鬼会が行われているのは天念寺、成仏寺、岩戸寺の三寺のみで、成仏寺と岩戸寺では交互に行われるので隔年での開催となるそうです)。
文殊仙寺から歩いて1時間ほど、岩戸寺の入口に到着。


この古い石段をのぼって行くと…


年季の入った仁王像が迎えてくれます。右側の阿形像は1478年に彫られたものだそうで、在銘の丸彫り仁王像としては日本最古のものなのだそうです。そして、参道奥に石の鳥居があるの、わかりますかね。参拝している最中はあまりに自然過ぎて疑問を抱かなかったのですが、ここは一応お寺ですから、本来は鳥居はあるはずがないんが。ここは正に「神仏習合」の地ということなんですね。

「天発育萬物、惟神呵護之」と書かれた、その鳥居。


「天は万物を発育せしめ、ただ神のみぞこれを護る」というように読めますが、これは裏を返せば、人間は無力であるという戒めの言葉なのではないかと思えてなりません。
人間の力が及ばない、及ぶことがかなわない領域というものがあり、それを畏れ奉ることで、己を知り、謙虚にならなくてはならないと、古の人々から諭されているような、そんな気持ちになります。

街の中で暮らしていると、そんなこと日々忘れていますが、自然に触れるにつけ、すっとこういう教えがすんなり受け入れられるんですよね。日本人の遺伝子なんですかね。

人類の可能性はどこまで伸びるのかわかりませんけれども、基本的に人間はものを生み出すということはできないんです。ただあるものを変形させているだけで。決して本当の意味で生み出しているわけではない。そう考えると、この世には神秘が満ち満ちているわけです。苔が生えることも、草木が生長することも、人間が存在し、ものを考えているということも。私自身は、宗教とか占いとかオカルト的なものとか(ひとくくりにしてはいけないかもしれませんが)、そういう論理的な思考をすっ飛ばしてしまったものの存在や考え方は一切信じない人間なんですけれども、そういうものを抜きにしたって、この世界はすでにロマンチックなんですよね。世界は美しい。その「美しい」ということは、そういった手の届かないものへの憧憬に他ならないのだろうと、思えてなりません。
岩戸寺の石段も長いです。


そして、また鳥居がありました。
こちらは国東塔(国東に多く見られる独特な形の宝塔)。


1283年に建てられたもので、最古の国東塔だそうです。
石段の先には、本尊の薬師如来が鎮座する薬師堂、更にその先に、六所権現が祀られているお堂、子安観音が祀られている崖下の小さな祠などがあります。


写真の石段の先に見えているのは、薬師堂。
こちらは六所権現が祀られているお堂。


鳥居があったのは、この六所権現のためですね。
奥まで参拝してから、石段の途中にあった講堂の軒先をお借りして休憩させてもらいました。

実はここ、修正鬼会が行われる場所なんだそうですよ。

そんな場所で申し訳ない感じなのですが、他に雨をしのげそうな場所も無かったので、何も落とさないよう気をつけながらお弁当を食べさせてもらいました。
これまた、食べかけの状態ですみません…。相方の野郎、人のこと待たずに先に食べ始めていまして(この弁当は半分こ)。

「山海三昧」というJR九州駅弁大会でグランプリを受賞したという駅弁です。まあまあ美味しかったです。これとは別に「味めぐり」という鯖や鯛の押し寿司の弁当も買った(こちらは同大会で準優勝だったらしい)んですが、そっちの方が私たちは気に入りました。

それにしても、、大分の食べ物は総じて美味しい。
お弁当を食べていたら、目の前をひょこひょこひょこと、巨大な毛虫が横切っていきました。

あまりにきれいでまじまじと見てしまいました(苦手な方にはすみません)。

後で調べたところ、クスサンという大きい蛾の幼虫らしいです。こういうものの中にも神を見出したくなる気分です。
お弁当を食べ終え、石段を下りていきます。
来た時は、まっすぐ石段を上ってしまいましたが、石段の手前の方の少し脇にそれた場所に、本堂があったようです。


近年建てられたものか、だいぶ新しい感じがしますね。
お昼ごはんも含めて、岩戸寺の拝観も1時間程度かかりました。


県道544号沿いにある「岩戸寺」バス停から、14時11分発の路線バス(国東バスターミナル行き)に乗ります。


人気もないし、車もほとんど通らないから、多少不安でしたが、ちゃんとバスは来ました(本数が少ないので計画段階で調べて下さいね)。
「小原」というバス停で下車して、「道の駅くにさき」までやって来ました(バス停から歩いて10分ほど)。


元々、「国東バスターミナル」まで行ってから歩くつもりだったのですが、運転手さんが「小原」で降りた方が近いと教えてくれました。


時刻は15時15分。
喫茶コーナーで、先ずは冷たいアイスコーヒーでも。雨の中延々と歩いた疲れを癒します。


産直野菜コーナーもあって、もう後は帰るだけなので色々買い込みました。最後にご紹介します。
海辺へ出られるようになっていたので、少し散策しました。雨は上がったようですね。


位置的には、本州と四国と九州に挟まれた海域です。
17時22分、道の駅ほど近くの「黒津崎」バス停から、再び路線バスに乗って、大分空港へ向かいます。
17時38分、大分空港着。


来た時は、あまり時間に余裕がなかったので気づきませんでしたが、国東のイメージでしょうか、仁王像が立っていました。


そして、この大分空港も実は作中にちらっと記述があるんですよね。
臼杵湾の津久見島付近に錨泊していた兵頭は、万一、交渉が決裂しても手ぶらで帰るつもりはない、と宣言しています。

<「一週間後に≪国崩し≫五基が上杉方に流される。(略) 大分空港から空輸される。それを奪う。手はずはこうだ。大分港と空港間を就航しているホバークラフトを手に入れる。空港からコンテナごと奪って、隣接するホバー基地で積み替え、そのまま海上に脱出する」 (略) 大分空港は国東半島のほぼ先端、海に面したところにあるから、このやり方が有効だ>(27巻『怨讐の門 黄壌編』79ページ)

そのホバー基地というのは、残念ながら今はありません(2009年に廃止)。陸路が整備される前は、大分・別府へアクセスするにはホバーフェリーの方が断然速かったそうです。
<「この先の速吸瀬戸(豊予海峡)は急流下りをするようなもんだ。潮の流れがめまぐるしくて、油断できん」>(27巻『怨讐の門 黄壌編』78ページ)

こちらも兵頭の台詞。その速吸瀬戸を、大分空港から見ることができます。この日は天気が悪く、縮小した写真では判別できなくなってしまいましたが、肉眼ではちゃんと見えましたよ。

愛媛県側の佐田岬と大分県側の佐賀関の間の海峡が、速吸瀬戸です。潮の流れが速いので、魚が美味しいそうです。この海域で獲れ、佐賀関に水揚げされたアジやサバが、いわゆる「関アジ」「関サバ」になるわけですね。
少し早いですが、空港内の「スカイライン」というレストランで夕食(↑の滑走路の写真は、このレンストランの席から撮影。離陸するところを見ながら食事できます)。

大分と言えば「とり天」が有名ですが、ここまで食べる機会がなかったので鶏料理を注文。ただし、これはとり天ではなく、「おおいた冠地どりのネギ香味からあげ」というメニューでした…。まあ美味しかったので満足。相方はまた太刀魚重を食べていました。臼杵石仏で食べたのより美味しかったらしい。

20時発のジェットスターに乗り、大分ツアーは終了。
それでは恒例、おみやげ紹介コーナー。こちらは臼杵石仏のお土産屋さん(石仏観光センター)で買ったもの。

だんご汁の中の椎茸があまりに美味しくて、干し椎茸を買いました。

それと、石仏公園の蓮から抽出したという蓮のアロマオイル。なかなか良い香りです。

おこしは、オカンに買ったもの。そう言えば味の感想を聞いてなかった…。
こちらは、道の駅くにさきで買ったもの。

野菜がどれも安かったです。右上は、下茹でしてあるたけのこ。120円也。右上の小さい瓶は「さかな味噌(青こしょう)」という商品で、国東半島の先にある姫島の特産品だそうです。カナガシラという魚の身と味噌が同量入っていて、青唐辛子が良いアクセントになっています。ご飯のお供に最高。その隣のプラスチック容器に入っているのは、「からししいたけ」。椎茸をからし・醤油・みりんなどで味付けしたもので、こちらも美味。実はこれ、この隣に写っている梅ドレッシングを買った時に、おまけでくれたものなんです(作っている人が売りに来ていた)。千葉県から来たと言ったら、遠くから…と喜んでくれて…。おまけの方が買ったものより高いという…。やさしいおばちゃんでした。
大分空港で買ったもの。

人にあげたものなので、私自身はどれも食べていません。

大分は美味しそうなものがたくさんあるので、つい色々買いたくなるんですよね。

左から、かぼすフェットチーネ、かぼす風味のかるかん(まんじゅう)、椎茸ちりめん。
文殊仙寺で買ったお守りと、鬼の…チャーム? これは顎の下に「文殊仙寺」と書いてありますが、同じものが国東では色んなところで売っているようでした。
大分空港で買ったケベス漬。奈良漬のようなものです。酒粕の風味とうりの食感が良い。とても美味しかったです。結構おすすめ。夏に漬けたうりがケベス祭りが始まる頃に食べ時となることから「ケベス漬」と言うのだそうです。

ケベス祭のパンフレットは…どこだったかな…確か、道の駅くにさきに置いてあったものかと。記念に一部頂いてきました。

ミラージュファンにとって、どうもこの言葉はどこか切ない響きに聞こえてしまいますね。

お読み頂きまして、ありがとうございました。臼杵も国東もとっても素敵な土地でした。きっと、ミラージュと出会っていなければ、一生行く機会なんてなかった場所だろうと思います。ミラージュもミラージュツアーも、本当に、人生を豊かにしてくれるものだと、改めて感じています。

今回は、高耶さん不在の旅、主に嶺次郎と直江の足跡を辿るような旅でしたが、旅自体が非常に内容が濃かったなと。臼杵の石仏、別府の温泉、国東の寺々…、大分の魅力を存分に味わいました。もちろんご当地のうまいものも。ミラージュツアーとしては、臼杵も国東も、恐らくマイナーな部類に入るのでしょうけれども、私としてはおすすめしたいスポットです。

この後アップ予定のミラージュツアーは次の通りです。

●2015年10月 熊本・阿蘇ツアー
●2016年1月 熊本・阿蘇ツアー
●2016年2月 横浜・横須賀ツアー
●2016年2月 箱根プチツアー
●2016年5月 富山ツアー

万歩計データ
6月25日:16,189歩
6月26日:23,496歩
6月27日:20,681歩


2016.06.24 up



← 臼杵&国東ツアー 前編







このページは別窓展開ですので、ブラウザを閉じて終了させて下さい。
検索等でこのページにたどりついた方は、↓からトップページへどうぞ。
七変化 MIRAGE-SIDE トップページへ