小雪舞う仙台、伊達な歩き旅

〜六つの結界点を制覇せよ!

後編



旅行日:2012年2月18日〜19日

行程:(下線はミラツアスポット)

2月18日:関東某所→東京駅→(新幹線)→仙台駅→(市営地下鉄)→北四番丁駅→(徒歩)→東北大学農学部→(徒歩)→東北大学医学部附属病院→(徒歩)→青葉山トンネル出口付近(の対岸)→(徒歩)→青葉城跡→(徒歩)→瑞鳳殿→(徒歩)→米ヶ袋の高校→(徒歩)→新幹線高架下→(徒歩)→仙台駅前→(バス)→青葉城跡→(バス)→仙台駅前→(徒歩)→居酒屋・大黒→(徒歩)→居酒屋・源氏→(徒歩)→ホテルグリーンセレク

2月19日日:ホテルグリーンセレク→(徒歩)→広瀬通一番町付近→(徒歩)→阿部蒲鉾店→(徒歩)→仙台駅前→(バス)→秋保温泉・ホテルニュー水戸屋→(バス)→仙台駅→(新幹線)→東京駅→帰宅


同行者:パートナー





参道の長い坂道。

青葉城に引き続き試練の時です(笑)。でもこちらは幸い雪も積もってなくて歩きやすかったです。
瑞鳳殿の観覧順序。

ぐるりと一周するような形で観覧します。
坂を登っていくと石段が見えてきます。

少し登ったところで、道は二手に分かれます。
左が入口の石段(瑞鳳殿方向に行く石段)、右が出口の石段(感仙殿方向から戻ってくる石段)です。

この石段は戦争による焼失を免れた藩政時代のものだそうです。
瑞鳳殿に向かう石段。伊達の禄高(62万石)と同じ62段あるのだとか。また、左右にそびえる杉並木は古いもので樹齢370年余りだそうです。

<杉並木のゆるい石段を、この絢爛たる廟所の主は歩いていく。政宗は感慨深げに、鬱蒼とした高い杉木立を見上げている。(略)高耶は傍らで主従の会話を聞いている。二人の様子が、何となく誰かたちによく似ているような気がした>(『硝子の子守歌』116〜117ページ)

政宗の要望で瑞鳳殿にやってきた政宗主従と高耶さん。このシーンは穏やかな中にもそこはかとない切なさが滲んでいて、とても好きなシーンです。政宗と小十郎の自然体なやり取りも楽しいですね。
観覧券売場。

<「廟所に入るに、銭がいるとはのぅ。うかつに死ねもせんわ」小十郎は苦笑して、「そのための六道銭なのでございましょうな」>(『硝子の子守歌』118〜119ページ)

自分の廟所に入るためにチケットを買う政宗公って…(笑)。
瑞鳳殿入口。

ここから先は、小十郎を置いて、政宗と高耶さんだけで入っていきました。
手水舎(上の写真で左奥にある建物)。

気温が低いので所々氷ができています。
涅槃門。

ここを抜け、階段を登ると、更にもう一つ門があり、その向こうに政宗公が眠る瑞鳳殿があります。


瑞鳳殿。政宗公は1636年、江戸で70歳の生涯を終えると、仙台に送られ、この地に葬られました。生前、ホトトギスの初音を聴くために経ヶ峯に登った折、同行の家臣に死後ここに墓所を造るよう命じていたのだそうです。

<瑞鳳殿は桃山様式の豪華絢爛たる廟建築として戦前国宝に指定されたほどの見事なものだったが、惜しくも昭和二十年の仙台空襲で消失してしまった。その後、再建を求める声が高まり、発掘による詳細な学術調査のあと、八億の巨費と五年の歳月をかけて、新装瑞鳳殿は昭和五十四年に完成し今に至る>(『硝子の子守歌』116ページ)

仙台編後編で、「連壇法」が行われたのもここでした。護摩の炎があかあかと燃えるふたつの火輪壇では、それぞれ「降三世明王法」と「大威徳明王法」が修されていました。そして、譲が黒成田化し、仙台の夜空に巨大な二明王を顕現させてみせたのでした。政宗をして悪寒を感じさせるほどの冷酷っぷりを発揮していた譲…やはり闇戦国中最強です。

煌びやかな廟建築は日光東照宮を思わせます。

このすぐ近くには資料館があり、副葬品や、発掘された頭骨をもとに復元した三藩主の復元容貌像、遺髪などが展示されています。
涅槃門前のスペース。

瑞鳳殿前のスペースは若干狭いので、連壇法が修されたのは、この涅槃門前だったかもしれません。
感仙殿の方へ向かう前に、逆回りで入って来られないよう自動ドアが設置されています。
感仙殿へと向かう道。

政宗は高耶さんに両親のことを聞き、自分の母親と弟が宿敵・最上についてしまったことに触れると、この道を先に歩いて行ってしまいました。

そのさびしげな背中を思わず追いかけるように走り寄った高耶さん。「親なんざ関係ねぇ」などと悪態をつきながらも、政宗の中の孤独と共鳴するものがあったのかもしれません。
感仙殿。

二代藩主・忠宗公の廟所です。瑞鳳殿と同様、国宝に指定されましたが、戦災により焼失し、1985年(昭和60年)に再建されました。
感仙殿方向からの帰りの石段。小十郎はここで待っていました。

「オレはあんたを消すかもしれないぜ」という高耶さんに、「それもよかろうな」と答える政宗。小十郎が「ゆっくりお話をなされてきたようですね」と問えば、「我が廟所を言うだけ自慢してきたわ」と一言、鷹揚に笑うのでした。

この瑞鳳殿のくだりは、政宗の懐の大きさが感じられる一幕です。
後編では、義康の狐に操られ、武器を手にした群集が、修法中の瑞鳳殿を襲わんと参道を登り、この石段の辺りまで押し寄せました。
帰りの坂道では、印象深いシーンがありました。

<「主従は戯れごとを交わしながら先を歩いていく。小十郎は政宗の言葉を柔らかくまぜっ返しながらも、ひと言ひと言にさりげなく政宗への親しみと尊敬の念をこめている。慈しみと厳しさをあわせもつ眼差しは、どこかで見た覚えがあった。坂の道をおりていきながら、高耶はふと思い出した。(そうか――……)仙台の空に、彼の面影を浮かべた。(直江――。あんたか……)>(『硝子の子守歌』128ページ)
高耶さんが直江のことを思いながら見上げた仙台の空。

直江のことを「おまえ」ではなく「あんた」と呼ぶ辺り、この頃ならではの遠慮というか微妙な距離感を感じます(景虎を取り戻してからの高耶さんは直江のことを「あんた」とは呼んでいませんよね?)。でも、そんな距離感も新鮮でいい感じです。
瑞鳳殿の参拝を終えたら、第三の結界点・米ヶ袋の高校へと向かいます。

写真は霊屋(おたまや)橋。淀橋、大橋、評定河原橋に続き、本日四つ目の橋です。
広瀬側沿いにある遊歩道から高校へと向かいます。

写真は遊歩道入口。
そろそろ陽が傾き始めてきました。でも、ほぼ予定通り。順調順調。

遊歩道をしばらく歩いて行くと左側に高校が見えてきます。
第三の結界点と思われる、宮城県工業高等学校の体育館らしき建物。

作中では高校名は書かれていませんが、「米ヶ袋の高校」と言えば、場所的にはここかと思われます。

この結界点を地鎮したのは千秋&綾子ねえさんでした。地鎮を終えたところで、最上の呪法に操られた人々が武器を手に経ヶ峯へ向かおうとしているのに気づいたのでした。
高校を通り過ぎ、しばらく遊歩道を歩いて次の結界点(新幹線高架下)へと向かいます。

広瀬側のこちら側は比較的広い河川敷になっているのに対し、向こう側は高い崖になっています。その上にマンションなんか建っていますが、住むのはちょっと怖いような気もしますね。
正に断崖絶壁という感じです。ところどころに長い氷柱がぶら下がっていました。

なかなか壮観な眺めです。普通の観光だったら、こんなところはまず通らなかっただろうと思うと、この地味な結界点巡りの旅にもそれなりの意義があるように思えます。

しかし、結界点について相方に説明したんですが、「呪法」だの「洗脳」だの「建物倒壊」だの…、傍で聞いている人がいたら、さぞかしアブナイ人だと思われたことでしょう…。
途中、可愛らしい動物に出会って心も和みます。どうやらカルガモのようですね。

そう言えば、桑原先生は「青葉城址はカラスが多かった」というようなことを書いていらっしゃっいましたが(『炎の蜃気楼紀行』)、私が行った時はいませんでした。代わりに、仙台では何度かトンビを見かけました。杜の都というだけあって自然が多い証拠でしょうか。
川沿いの遊歩道から離れ、街中を歩く途中で、こんな趣のある銭湯を見かけました。

既に廃業している様子ですが、後で調べてみたところによると、この「開福湯」という銭湯、明治時代からあった銭湯らしいです。

もし営業していたなら、入ってみたかったです。
地下鉄の「五橋駅」付近を通り過ぎしばらく行くと、高架が見えてきました。ちょうど上を新幹線が通るところです。

写真中央にちょうど看板が写ってますけど、この辺り、「むにゃむにゃ通り商店街」っていうようですね…。何ともユニークなネーミングで。

第七の結界点(予想)の東北新幹線高架下。

綾子ねえさんと東北大農学部近くの喫茶店で結界点について話し合っている時、この高架下が倒壊予想地点として浮上し、大惨事になると高耶さんを大いに焦らせたのでした。

しかし、八つあるはずの結界点のうち、実際に倒壊したのは第六までですので、ここは倒壊していません。

以上で、八つの結界点のうち、特定できる六つの結界点を無事制覇しました。朝からほぼずっと歩き通し。運動不足の私にはきつかった〜。既に足に結構なダメージが。でも、妙な達成感に包まれ、一旦仙台駅周辺へと戻ります。


では、これから立ち寄る仙台駅周辺スポットの位置を確認しておきましょう。一部ミラージュとは関係のない場所も含まれていますがご了承下さい。

先ず、ピンク色に塗りつぶしている通りが仙台の中央通りです。長いアーケード街になっていて、たくさんのお店が立ち並んでいます。中央通りという名の通り、一番賑わう通りのようです。このアーケード街の入口は重要なミラツアスポットのひとつですね。

仙台駅西口のペデストリアンデッキは前編の最初の方で触れましたけれども、地図でわかりやすいようオレンジ色に塗りつぶしてみました。こう見ると確かに日本一というのも頷けるくらい広いです。

その他、「大黒」はこの日の夜に行った居酒屋。「文化横丁」と「壱弐参(いろは)横丁」は昭和の空気漂うレトロな飲み屋街。「阿部蒲鉾店」は仙台名物笹かまぼこの老舗。「広瀬通り一番町方面」というのは、仙台結界の中心となった場所です。

中央通りのアーケード入口。こちらは愛宕上杉通りに面した入口です。

政宗らと瑞鳳殿を訪れた後、伊達屋敷を去った高耶さんは土地勘がないため、電話で綾子ねえさんたちを呼び出し、「中央通りの大通りに面したアーケードの入口」まで迎えに来てもらったのでした。

ここで高耶さんは心配した綾子ねえさんにいきなりビンタされていましたね…。「信号待ちの歩行者の注目が集まった」とのことですが、確かにこんな人通りの多いところでビンタされたら相当目立ちます。
こちらは駅前通りに面したアーケード入口。このアーケード街は途中何本かの大きな通りで区切られているので、作中の「大通りに面した」というのがどの大通りのことを指しているのか特定できません。一応、二箇所押さえておきました。

綾子ねえさんにビンタされた後、この場所で状況報告をしている最中、高耶さんは偶然通りかかった母・佐和子に名前を呼ばれたのでした。以前と変わらず優しい声で話しかけてくる佐和子に、高耶さんは酷い言葉を投げつけて人波の中に去って行ってしまいます。ずっと辛く寂しい思いをしてきた高耶さん。心の底ではどれだけ母親の笑顔と優しい声を欲していたかわからないのに…。何とも切ないシーンです。
いい加減歩きつかれたので、カフェでひと休み。

アーケード街の中にあるエクセルシオールカフェで、ジンジャーハニーカフェラテとジンジャーハニーロイヤルミルクティーを注文。ジンジャー感が半端なかったです。
さて、カフェを出ると、外はいい感じにとっぷりと暮れており…。時刻は6時ちょっと前。

観光するにはもう遅く、居酒屋に入るにはまだ早いというこの時間帯。一体どうするのかと言いますと、いい考えがあるんですよ。うっふっふ。

ペデストリアンデッキを通って仙台駅前のバス停へと向かいます。
市バスに乗って、再び青葉城址へGO!

高耶さんたちがラストバトルの地・青葉城址へ行ったのは夜だったので、ここはやはり夜も行っとくしかないでしょう!ということで、今度は駅前からバスを利用してサクッと行ってサクッと帰ってくる寸法です。
バスは青葉城址の上まで登ってくれるのでラクチンです。

樹の枝に邪魔されていますが、バス停近くから仙台電波塔が見えました。東京タワーに似ていて、とっても綺麗です。私たちは勝手に「仙台タワー」と呼んでいました。
ライトアップされた政宗公騎馬像。

毘沙門刀で義光を調伏した後、高耶さんは犠牲にしてしまった国領夫人のことを痛々しく思い出していました。

<「これで……、奥さんは許してくれるだろうか」「…………」直江のまなざしがいたわるようにおだやかになり、直江はゆっくりと答えた。「許してくれます、きっと……」(略)高耶はあたりを見やった。そばに伊達政宗の騎馬像が、仙台を見おろして立っている。高耶は暗い空を仰いだ。闇の空を流星がひとつ 光跡を帯びて北へながれた>(『琥珀の流星群』218〜219ページ)

この騎馬像のライトアップが始まったのは、2008年のことらしいので、当時はライトアップしていなかったものと思われます(夏季限定などで行っていれば別ですが…)。


青葉城址から望む仙台市街の夜景。高耶さんたちもこの夜景を見下ろしたことでしょう。
そして、この街の上空で、あの譲が操る二明王と義康が生み出した狐蠱のバトルが繰り広げられたのでした。

<“狐蠱”の塊は巨大な狐の姿を成し、稲妻を散らしつつ、すさまじい霊力を持って迫りよってくる。(略)“狐蠱”がふたつの明王に猛然と襲いかかる。降三世明王が六本の腕を大きく振りあげる。大威徳明王を乗せた水牛が、恐ろしげな咆哮を仙台の空にとどろかせる。人知を超えた力同士がいま、巨大な戦いを始める>(『琥珀の流星群』155ページ)

折しも上空は怪しい雲行きとなり、あのすさまじいスケールの人外バトルを彷彿とさせるような空に…。
夜の青葉城址は、人影もまばらでした。やはりまだ寒い時期だからでしょうか。夏だったら、夕涼みがてら夜景見物に来るカップルも多いかもしれません。

青葉城址に30分ばかり居て、再びバスで駅前に戻って来た頃には、夕飯にちょうどいい時間に。

食べログで調べて、予約しておいた「大黒」に入ります。
ご当地の地酒を呑むのは、旅の楽しみのひとつであります。

蔵元曰く、「料理の邪魔にならない、料理を引き立てる調味料のつもりで造っている」というこの綿屋。確かに主張し過ぎないけれども、柔らかな口当たりで充分な旨味も感じられる、バランスのよいお酒だと思いました。

美味い地魚に旨い地酒。もう何も言うことはないっす。
宮城と言ったら、やっぱり牡蠣は外せません。このひと粒に濃厚な旨味がぎゅっと凝縮されているんですよねえ。食べた後、口の中にいつまでも牡蠣の風味が残っていました。

でも、宮城の牡蠣は震災で随分やられてしまったんですよね…。この牡蠣は果たして宮城のものだったんでしょうか。どこ産のものか聞けばよかったんですが、聞くの忘れました。
こちらは「石巻のなよの一夜干し」と、「金華〆鯖の刺身」です。

「なよ」と言うのは、「沖キス」のことだと店員さんが教えてくれました。沖キスと言うと、直江津でも食べた「ニギス」と一緒?でしょうか…? それにしてはでかい。立派です。味の方も脂が乗ってとーっても美味でした。

「金華鯖」というのは、一種のブランド魚で、金華山沖で獲れる旬の大型の真サバのことだそうです。こちらも大変脂の乗りがよく、鮮度もよく、〆具合もちょうどよく、今まで食べた中で一番美味しい〆鯖だったと思います。
居酒屋「大黒」は、料理はどれも美味しく、店員さんも人当たりがよく、ちょうど団体客がいたので、予約していても席はカウンターでしたが、居心地良かったです。

満足して、二軒目へ。

合言葉は、「仙台の夜に繰り出すぞー!」「おー!」って、私が一人で叫んでたんですが(笑)。
ほろ酔い気分でやってきたのはここ、「壱弐参(いろは)横丁」。

飲み屋の他にもカフェや雑貨屋などが軒を連ねるこの横丁は、戦後の復興期に誕生したものだそうです。

中を歩いていると、まるで昭和に戻ったよう。公共トイレなんかの風情は、ドラマのセットのようで、とても現代日本という感じがしません。
こちら文化横丁の誕生は更に古く、大正13年(1924年)。

お目当ての店は、この文化横丁の細〜い脇道を入ったところにひっそりとある居酒屋「源氏」。

「ひっそりと」と言っても、食べログではかなりの高得点をマークしている名店らしく…。
足を踏み入れると、そこは時の流れが止まってしまったかのような懐かしくも優しい空間。

決して敷居が高いわけではない、大衆居酒屋なんですが、長い月日によって自然に醸し出される落ち着きと温もりがあります。

女将さんは和服に割烹着。あくまで静かにゆっくりと楽しんで欲しいというお店の意図なのか、「お酒は四杯まで」というルールらしいです。そんなお店の方針も相まってか、古いだけではない、上品で洗練された粋な空間が保たれています。
上の写真の日めくりカレンダーが「新政」のものですが、ここのおすすめは「新政」のようでしたので、「新政 無濾過純米別誂火入れ」というのを一杯頂きました。芳醇な味わいで、飴色の柱や天井に囲まれてじっくり味わうのにぴったりなお酒でした。

この「源氏」はお酒一杯ごとに突き出しがついてくるシステム。出てきたのは根菜としいたけの煮物。家庭的な料理ですが、味付けがハッとするくらい絶妙でした。最初にお通しでぬか漬けも出たのですが、これもまた驚異的なほど美味しかったです。このお店と同様、年季の入った糠床だろうとお見受けしました。
コの字型のカウンターを囲んで語らい合う客たちの静かな話し声がお店のBGM。

この写真を撮った時はたまたま空席が目立っていましたが、結構入れ替わり立ち替わりでお客は多かったです。私たちの隣に、出張中のサラリーマンと思しきお客が座ったのですが、一見さんのようだったので、この人も食べログを見て来たのかなーと思ってしまいました。

不正が発覚して問題も露呈した食べログですが、もし食べログがなければ、こんなに素敵なお店とも出会えていなかったわけですから、有り難い存在には違いありません。
たった一日ですが、仙台という地方都市の持つ力をとくと見せられた感じがしました。

今宵の宿、ホテルグリーンセレクにチェックインしたのは11時ちょっと前。普通のビジネスホテルです。この部屋は元々シングルだったのをツインにしたのか、ベッドが片方簡易ベッドでしたが、まあまあ清潔で過ごしやすいホテルです。
途中のコンビニで買った缶チューハイとおっとっとで三次会。

二軒で日本酒一杯ずつなので、程よい飲酒量です。
一日中コートのポケットに突っ込んで持ち歩いた、仙台ミラツア用虎の巻。

撮影ポイントを記したスケジュールや、作中に登場した地名とあらすじのまとめ、地図などを一冊にまとめてあります。今回の旅はかなり予定通りに運びました。ミラツアにはやはり入念な準備が必要なんですね。

疲れたので早々にシャワーを浴びて就寝。
翌朝目覚めると、脚全体が激しい筋肉痛に…。でもこの日は温泉に入りに行くのでよしとします。そう、二日目は相方の希望で仙台郊外にある秋保(あきう)温泉に行くのです。

ホテルを出て、先ず目指したのは仙台結界の中心点、「広瀬通り一番町方面」。結界点巡りをして、ここを取りこぼしてはいけませんね。…と言っても名前が出てきただけで、作中、この中心点で何が起こったわけでもないですが、一応。
中央通りにある笹かまぼこの老舗「阿部蒲鉾店」。

色んな種類のかまぼこがバラで買えるのが嬉しいです。

「ひょうたん揚げ」という名物を店先で売っているらしいのですが、この時はまだ時間が早くてやっていませんでした。
左上のスモークかまぼこと左下のチーズボールが特に美味しかったです。右下の「千代(せんだい)」はプレーンな笹かまぼこ。題字は、政宗公の手によるものです。美しい字ですね。

入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや
千代(ちよ)とかぎらじ せんだいの松

この和歌は政宗公が仙台に入った時に、仙台の末永い繁栄を願って詠んだ歌だそうです。

この「千代」は、帰宅後、お留守番してくれた亀きち&亀ぞうにもあげました(普段は塩分や添加物を気にして加工食品はあまりあげないのですが)。喜んで食べてくれました。
秋保温泉は、「ホテルニュー水戸屋」の日帰り温泉とランチバイキングがセットになったプランを利用します。

仙台駅前からホテルの無料送迎バスが出ているので楽々です。
バスに乗り、仙台市街を走っている時、ふと、あることに気づきました。

ここから仙台郊外の秋保温泉へ行くということは、あの仙台西道路を通るのでは…? だとしたら、昨日広瀬川越しに遠くからちらりとしか見えなかった青葉山トンネルの出口も通るのでは…? と。

そして、ビンゴでした。行きは座った位置が悪く、上手く撮れなかったので、これは帰りのバスで撮った写真です。ちょうど青葉山トンネルを出るところ。
では改めまして、第四の結界点・青葉山トンネル出口です。

前方に見えるのは川内トンネル。

最上義康は青葉山トンネルの出口を崩壊させ、通行止め状態にして、この辺りで招魂法を行ったものと考えられます。
30分ほどバスに揺られ、秋保温泉の「ホテルニュー水戸屋」に到着。

かなり大きなホテルでした。日帰り温泉+バイキングのプランは一日限定300名までらしいのですが、この定員数からも、その規模がうかがえます。
バイキングは氷見の寒ブリが目玉でした。にぎりやしゃぶしゃぶで頂きましたが、美味しかったです。

あとはまあ、一般的なバイキングですね。目の前で揚げてくれるフライとか、熱々でうまかったです。
私が楽しみにしていたチョコレートファウンテン。初体験です。

チョコレートの甘い香りが漂います。一口サイズのパンケーキや、マシュマロ、バナナ、イチゴなどにつけて頂きます。

個人的にはバナナのが一番美味しかったです。チョコバナナ最強。
お風呂もそこそこ広くて、色んな種類があって楽しめました。ただ、大規模なホテルなので、情緒は感じられませんでしたけど。今度は鄙びててもいいので、風情のある温泉につかりたいなあ。
再び送迎バスに乗って仙台駅まで戻ってきました。

駅チカや駅ナカでみやげ物と帰りの新幹線で食べる夕食を買うために歩き回っていたら、折角温泉に入ったばかりだと言うのにまた疲労がぶり返してきました…。荷物が重いんです。と言うより、カメラが重いのかな。ああ買い替えたい。

吹き抜けのスペースで東北のお酒をたくさん売っていましたが、遠くから眺めるだけで断念。
しかし、へばってはいられません。ミラツアはまだ続いているのです。

最上を倒し、その陰謀を阻止した上杉夜叉衆たち。千秋と譲は松本へ、綾子ねえさんは秋田へ、そして高耶さんと直江は芦名盛氏らを調伏するため東京へ向かうことに。

写真は、高耶さんが名残惜しそうな様子でくぐった新幹線の改札口。「忘れ物でも?」と問う直江に、高耶さんは仙台にはまたいつでも来れると自分に言い聞かせ、改札の中へ入ったのでした。
<一四番線のホームにはすでに列車が入線していた。(略)自分たちが乗る車輌の扉の前に、小柄な婦人が一人、立っている。(略)婦人がこちらに気がついた。高耶の息が止まった。婦人の顔におだやかな微笑みが広がる。そして懐かしい声で、彼を呼んだ。「高耶……」>(『琥珀の流星群』241ページ)

私たちが乗る新幹線も14番線に入線していました。車内清掃を待つ人が並ぶホームに、高耶さんがお母さんと会ったのもちょうどこんな情況だったのかなあと思いを馳せます。
「いつでも遊びにいらっしゃい」と、みやげの紙袋を差し出す佐和子に、高耶さんは答えず、逃げるように列車に乗り込んでしまいました。

残された直江は佐和子と少し話を交わしていますが、恐らくこの時に、あの『七月生まれのシリウス』の中で高耶さんに渡していたバースデーカードを佐和子から受け取っていたのでしょう。

直江が乗り込んできた後も、佐和子はホームに立ち、窓越しに高耶さんのことをじっと見つめていました。五年前の許しを請うような母のまなざしを思い起こし、高耶さんの心の中は激しく葛藤していたのでした。
発車のベルが鳴り響き、その長い警告音が鳴り止んだ、その時。高耶さんはついに席を立ちます。無我夢中で客をかきわけ、デッキへ飛び出すと、驚いたように見つめ返す佐和子がそこにいました。

<足を止めて一瞬立ちつくす高耶。胸に込みあげてきた感情が彼を突き動かした。歩みだそうとした。無心に右手を伸ばした。佐和子も我が子の手をとろうと、ホームから手を差し伸べる。だが、閉まりだした扉は、無情にも親子の手と手が触れ合うのを阻んでしまった。>(『琥珀の流星群』248ページ)
<ガラス窓に手を押しつけて、声を枯らさんばかりに叫んだ。思う心のすべてが、抑えきれずに噴き出した。「母さん!」>(『琥珀の流星群』249ページ)

置いていかれた孤独感、身勝手な憎悪、大人ぶった批判…、様々なわだかまりの末に、高耶さんが向き合った、自身の胸の内にある最後の真実は、ただ「そばにいてほしかったのだ」という子供じみた願いでした。当たり前の願い…。でも、それが、親子の最も強い絆なのかもしれませんね。

仙台編は、もどかしい親子関係がひとつの重要なテーマになっていたように思います。政宗とその母・お東の方。また、最上義康と義光親子もそうでした。唯一、最後に和解への光明を見出したのが高耶さん母子でしたが、思えば、これが高耶さんとお母さんの永遠の別れになってしまったんですね。
佐和子と別れ、扉の前に立ちつくす高耶さんの背後には、いつの間にか直江が佇んでいました。

<直江はじっと高耶を見守っている。一歩だけ近づいた。途端に高耶が振り返った。「こっちにくんなよっ!」(略)「それは命令ですか」高耶は沈黙した。口をつぐみ背中を向けた。低い声で、答えた。「命令じゃ……ない」>(『琥珀の流星群』250ページ)

直江はもちろん、高耶さんに寄り添い、その肩にそっと両手を載せたのでした。って、なんちゅういイチャつきっぷり! でも、泣き出した高耶さんのそばにただそっと寄り添っているなんて、直江、この頃は忠犬だったなあ…。この直江が、『覇者の魔鏡』のラストではあんな別れ方をする直江になってしまうのかと思うと、涙が出てきます。
無事、最終ミッションを果たし、仙台ミラツアはこれにて終了。

一体何キロ歩いたのかわかりませんが、筋肉痛度合いは春日山の時を越えました。ミラージュツアーの過酷さを改めて痛感した旅でした(普段運動不足なだけという説もありますが)。
最後におみやげ品のコーナーです。

仙台に来たからには、やはり政宗グッズを何かしら買わなくては!と、青葉城址で買ったのがこちらのストラップ。

政宗グッズと言うと、BASARAか、そうでなければ一昔前のヤンキーが好みそうなケバケバしいデザインのか、どっちかだったんですよね。これは辛うじてノーマルな感じだったので。
東北大医学部附属病院から青葉山トンネルの方へ向かう途中で立ち寄った老舗飴屋さんで買った飴。

昔のソフトキャンディーとでも言ったらいいのでしょうか、ふわふわして、口の中でゆっくり溶ける飴でした。これはバナナ風味で、微かにバナナの香りがします。
チョイスが完全に中高年になっている気がしなくもないですが…。

仙台みやげに山形産のふきのとう味噌が含まれているのは、直江が山形に行っていたからです(笑)。

一ノ蔵は古酒です。日本酒の古酒を飲んだことがなかったので買ってみました。ワインのような爽やかな酸味と熟成香があり、日本酒であって日本酒でないような、不思議な味わいでした。

今回の旅で、私は初めて仙台に行ったのですが、仙台って「都市」なんだなあという印象を持ちました。遷都計画っていうのもちょっと頷けてしまいそうなくらい。日本一のペデストリアンデッキに代表されるように駅周辺は整備され賑わっているし、大きなビルの立ち並ぶ広い大通りはあるし。私は仙台と同じ政令都市の千葉市内に住んでいるのですが、千葉より全然都会だと感じました。でも、一方で、仙台には文化横丁のようなノスタルジックな空間もちゃんと残っているんですね。千葉にも「源氏」のような古くて洗練されたお店が果たしてあるかと言えば…ないような気がします。千葉の方が首都に近いのに(つうか隣接してるのに)断然田舎くさい。この差は何なんでしょう。やはり積み重ねてきた歴史の差なんでしょうか。
東日本大震災から約一年。青葉城址付近には通行止めの道があったり、街中には崩壊しかけの壁をネットで覆っている建物があったりと、いまだ影響は残っているようでしたが、震災などには決して負けない伊達魂がこの素敵な街にはあるのだろうと感じさせてくれる旅でした。

しかし、自分がこんなにミラツアにはまるとは思ってもみませんでした。ミラージュにはまってからも、自分がミラツアするようになるとは思わなかったんですが…。やってみると楽しくてたまりません。旅という漠然とした行為に明確な目的が生まれるのがいいのかもしれませんね。攻略?する楽しさと達成感がありますから。さて、次のミラツアは…桜がらみでどこか行きたいですね。

 







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