祝ミラツア四国初上陸

〜四国三県を駆け抜けろ

前 編




◆旅行日:2012年11月30日〜12月2日

◆行程:
※下線はミラージュスポット(一部推定含む)
※グレー文字は後編にて

◇11月30日〜12月1日:
舞浜→(高速バス)→宇多津駅→(徒歩)→中村うどん→(徒歩)→丸亀城→(徒歩)→丸亀駅→(JR特急南風)→大歩危駅→(四国交通バス+徒歩)→かずら橋→(徒歩)→新祖谷温泉ホテルかずら橋→(徒歩)→西祖谷山村集落→(徒歩)→檪生小学校→(徒歩)→ホテル秘境の湯→(夕食後、ホテルの送迎バスにて)→かずら橋(ライトアップ)→(ホテルの送迎バス)→ホテル秘境の湯

◇12月2日:ホテル秘境の湯→(ホテルの送迎バス)→大歩危駅→(JR特急南風)→高知駅→(徒歩)→追手筋(日曜市)→(徒歩)→高知城→(徒歩)→ひろめ市場(昼食)→(徒歩)→県庁前→(徒歩)→鏡川→(徒歩)→川沿いのビジネスホテル→(徒歩)→梅の辻バス停→(高知県交通バス)→国民宿舎桂浜荘→(徒歩)→浦戸城址→(徒歩)→桂浜→(徒歩)→坂本龍馬像→(徒歩)→桂浜バス停→(高知県交通バス)→南はりまや橋バス停→(徒歩)→はりまや橋交差点→(徒歩)→はりまや橋バス停→(土佐電鉄バス)→高知龍馬空港→(JAL)→羽田空港

◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




広島ミラツアから十日余り。ヤフーの爆買いの日とやらに、何気なく(?)宿の安売りプランを見ていたら、祖谷のかずら橋近くのホテルが載っていて…勢いに任せて決めてしまいました…。祝ミラツア四国初上陸。

ずっと行きたかった祖谷。四国編の始まりの地・祖谷。高耶さんの色々なもの(!?)が染み付いているであろう祖谷ですよ。

こちらの写真は、今回の旅のお供となった『赤い鯨とびいどろ童子』(でも旅の途中に読む暇はなかった)。ブックカバーはかつての契ワインのグッズです(ヤフオクで入手)。


しかし、関東在住の私にとって、四国のミラージュスポットは非常に攻めにくい(空港から遠いところが多い)。でも、折角だから祖谷だけじゃなくて他のスポットもいくつか回りたい。そう思って、考え抜いた末に決めた旅程は、深夜バスで早朝に香川入り→JRで大歩危へ→祖谷で一泊→翌日再びJRで高知に移動→高知市内観光→高知空港から羽田に帰るという行程。

三県を跨ぐ移動旅。少しでもスケジュールが狂うと大変なことになりそうですが、どんな旅になることやら。

今回のミラツアの開始地点はここTDR。


夜行バスの出発地が「TDRグーフィー駐車場」というところでした。
夜行バスの車内。


20時にTDR駐車場を出発。


そこそこゆったりとしたシートに見えるし、フットレストもあるし、これなら大丈夫かも…と思ったんですけど、夜行バスはやはり手強かった…。寝返り打てないせいか、足腰が痛くなるんですよね。
バスは未明に大鳴門橋を渡り、四国入り。

鳴門と言えば、直江捜索中の鮎川が立ち寄っていましたね。機会があればうず潮を見に行ってみたいです。


写真は、一旦徳島市内の停留所を回ったバスが香川県を目指して吉野川を渡ったところ。時刻は7時前。綺麗な日の出が見えました。ここはだいぶ下流の方ですが、上流の方とはこの後もまた縁があります。
徳島と香川の県境辺りは山深いところでした。つうか四国って、どこ行っても絶景という印象がある(by 水曜どうでしょう)。


天気は、一応は良さそうですね。雲はありますが。心配なのは翌日。雨マークがあったので。
高松の手前で、へんてこな形の山を見つけました。


山頂に五つの大きな峰があることから、「五剣山」というらしいです。中腹には第八十五番札所の八栗寺があります。
またしても変わった形の山が。


こちらは「屋島」。昔は島だったそうですが、今では四国本島と陸続きだそうです。


源平の古戦場で、山上には第八十四番札所の屋島寺があります。
おっと、お遍路さん発見!


いやー、お遍路さん見ると、ここは四国なんだあと実感します。
こちらは高松港のフェリー乗り場。


そう言えば、高松港は何気にミラージュスポットでしたね。『無限浄土』で、亡くなった娘の霊に会いに来た松崎さんが降り立った場所です(81ページ)。フェリー乗り場にほど近い食堂に入った彼は、食堂の奥さんから改めて四国の異常な状況を聞いたのでした。
高松港の西にある坂出港もミラージュスポットです…が、バスからは港の様子が見えませんでした。画面左の建物の奥の方に港があるものと思われます。その向こうには瀬戸大橋が見えてますね。

坂出港は、『拝啓、足摺岬にて』に出てきたようですね。「ようですね」って、実は…あまり堂々と書けないんですが、私、この一篇だけ、いまだに読めないでいるんです。最後の一篇…。それを読んでしまったら、もう私の知らない高耶さんはいないんだと思うと、どうしても手がつけられなくて。変な思い込みだろうし、読み返せば、いつでも新しい発見はあるんだろうけれど、やっぱり寂しいんですよね、なんか。いつになったら読めるんだろう…。
9時前に宇多津駅に到着。私たちはここでバスを降ります。


今回、ミラツアとしては四国初上陸ですが、個人的には四国には…と言うか香川県には何度か来たことがあります。以前の彼氏殿が丸亀の人だったので、ご実家に泊めてもらったり、うどん屋を色々案内してもらったり、こんぴらさんに行ったり。でも、その頃はまだミラージュを知りませんでした。悔しい。
約13時間戦い続けた強敵・コトバスエクスプレスともここでお別れ。


さて、先ずは、朝ごはんで腹ごしらえといきましょうか。香川と言えば、うどんですよ、当然。今回のミラツアは、さぬきうどんと祖谷の温泉と高知のカツオで相方を釣ったので(笑)、美味しいうどん屋に行かなくては。
目指すうどん屋は、宇多津と丸亀の間にある「中村うどん」。

ここ何年かでさぬきうどん巡りをする人が格段に増えているようですが、ここは超有名店です。



道々、街路樹の落ち葉が綺麗でした。


宇多津から丸亀へ、歩いたルートを記録しておきます。
丸亀駅を12時台に出発し、祖谷へと向かわなくてはならないので、今回は香川県のミラツアはなし。
でも折角なので、うどんを食べた後、丸亀城には登るつもりです。
香川県には、『拝啓、足摺岬にて』の舞台になった場所がいくつかあるようなので、いつか読んでからまた来たいです。あと、崇徳院の怨霊と戦った白峯寺もありますしね。
というわけで、ミラツアと関係ない香川観光の部分をすっ飛ばしたいという方はこちらをクリックして下さい。

途中で川を渡ると、予讃線の線路の向こうに讃岐富士(飯野山)がよく見えました。
中村うどんは、ビルの一角にあります。外観だけ見ると、これが有名店?と思われるかもしれませんが、行列ができることが多いらしいです。

10時開店ですが、私たちはだいぶ早く着いてしまったので、一番のり。

土器川沿いにある姉妹店の「なかむらうどん」(昔は客が自分で裏の畑から薬味のネギを取って来なければならなかったという伝説の?うどん屋)は、連れて行ってもらったのを覚えているのですが、こちらの中村うどんは来たことがあったかどうか。来たような気もするんですが…。やっぱり記録を取っておくことって大切ですね。
店の外で開店を待っていたら、店員さんが気を使ってくれて、観光客向けに細かい説明書きがあるメニューを渡してくれました。二人してリュック背負って、見るからに「たった今、夜行バスで着きました!」って風情だったからなあ(笑)。

香川のうどん屋はほとんどがセルフで、観光客にはメニューやシステムが非常にわかりにくいです。色々連れて行ってもらった私も戸惑います。このメニューの裏には、どこでどのように注文し、どこでうどんを受け取り、どこで薬味や天ぷらを取るか、どのうどんにはどの薬味が合うか、どのようにお会計するか等が細かく説明されています。
開店と同時に入店。独自のシステムに多少緊張しますが、実際には、観光客と見ると、お店の人が親切に色々と教えてくれます。


店内はさっと食べてさっと出て行くのに適した造り。一杯のうどんがとてつもなく安いので、回転率が良くないとやっていけないでしょうしね。この後すぐに、地元の人やら観光客やらが押しかけ、ほぼ満席状態に。
私が注文した「ひやあつ」の小。200円。ひやあつとは、水でしめた麺に熱いダシをかけたもの。麺自体を楽しむには先ずはこれかと。

写真で伝わるでしょうか、透明感すら感じさせるこの麺。つやつやしています。そして、しっかり角が立っている。
食べればつるつる、しこしこ、喉ごし最高。 ああ、初めてさぬきうどんを食べた時の感動が蘇ります。本当に、震えるほど美味い。本能的に身体が喜ぶんですよね、こういういいうどんを食べると。ダシもまたうまい。
こちらは相方が注文した、ご存知「釜玉」。こちらも小で、250円。

二人とも小を注文したのは、もう一杯ずつ食べるためです。私は二杯目は「しょうゆ」(冷たいうどんに大根おろし等の薬味と特製しょうゆをかけて食べる)を注文。冷たいうどんもまた美味い! 途中からすだちをかけて食べましたが、これがまたいけるんですよ。あっという間に平らげてしまいました。

相方は二杯目は「湯だめ」(釜からあげた麺を濃いめのダシで食べる「つけ麺」。一般には「釜あげ」)を食べていました。こちらもなかなか美味しそうでした。
お土産用の麺も購入して、大満足でお店を後にします。


時刻は10時半。次は丸亀城に向かいます。


おっと、ここでもお遍路さんが。キャリーバッグを引いています。長期戦なんだろうなあ。
土器川からも讃岐富士が綺麗に見えました。


長閑だ。
丸亀城が見えてきました。


丸亀城は現存天守を有する十二城のうちのひとつです。
正面にやってきました。


現存天守の中で最も小規模ながら、総高60メートルの石垣は日本一の高さを誇ります。


遠くからは何度も眺めましたが、登るのは私も今回が初めて。
お堀には白鳥が泳いでいました。


白鳥は本来渡り鳥ですが、ここの白鳥たちは、1972年に皇居から送られたペアの白鳥の子孫だそうで、ここで大切に飼われているそうです。
城内に足を踏み入れると、昨今流行の武将隊?の方々が。

「丸亀城バサラ京極隊」の京極高朗(たかあきら)さん(左)と京極高或(たかもち)さん(右)です。ほとんどやる気の無さそうな高或さんに対し、高朗さんはノリノリでダンスと歌を披露(CDも出しているらしい)。歌詞を所々ラララで歌っていたのはご愛嬌でしょうか(笑)。でも、すごく楽しそうです。帰りに通った時もサービス満点でした。

「京極高朗」は、名君として名高い丸亀城の第六代藩主だそうでうが、丸亀をこよなく愛したというその人柄が少しばかり偲ばれるような気がしますね。
さて、それほど時間もないので、とっとと城を攻めましょう。


こちらは、三の丸北側の石垣。高さは20メートル以上、丸亀城の石垣の中で最も高いものだそうです。高いだけでなく、その優美な曲線は、その形から「扇の勾配」と呼ばれているのだとか。
長い坂道を登っていきます。


紅葉がまだ残っていました。
見晴らしの良い三の丸の広場からは、市街地と讃岐富士が一望できます。
冬桜なのか、狂い咲きなのか。桜の枝が小さな可愛い花を咲かせていました。
登り始めて10分余り、天守が見えてきました。
可愛らしいくらい小さな天守です。
しかし、この急な階段が現存天守の証。
最上階は、ほんのこれだけの広さ。
丸亀駅〜丸亀港の方角を望んで。
美しいハゼノキの紅葉を眺めながら下山。
目の前まで行くと、ちんまりとしたお城にええ!?と思いますが、こうして遠くから眺めると、立派な石垣のおかげできちんと様になっていますね。


春は桜に囲まれて一層美しいらしいです。
丸亀城を後にして、丸亀駅へ向かいます。


途中アーケード街を通ったら、見事なシャッター通りでした。こ、これは寂しすぎる…。土曜のお昼なのに。駅から割と近い場所なのに。


高校を卒業すると、大半の人は大阪や東京の大学に行ってしまうらしいですから、町が衰退するのもわかる気はしますが…。
丸亀駅に到着。
丸亀の特産として有名なのが団扇です。全国シェアの90%を占めており、丸亀港には「うちわの港ミュージアム」なるものもあります。


それにしても、クリスマスツリーを団扇で飾るっつうのはすごい発想ですね。冬だか夏だかよくわからん(笑)。
みどりの窓口で特急券を購入し、12時44分発の特急南風(なんぷう)に乗車。


祖谷への玄関口・大歩危駅を目指します。
お昼ごはんを食べる時間がなかったので、駅の売店で色々買ってみました。ってお菓子ばっかりですね。実際にはうどんを二杯も食べたおかげで、ほとんどお腹は空いてなく、チューハイ飲んで、昨日の晩御飯の残り(夜行バスの中で食べた)とウメトラ兄弟を食べただけでした(ウメトラ兄弟大好きっス)。


帰宅してから食べた「焼ぽてと」は、なると金時を使ったもの。しっとりとしていて、なかなか美味。キットカットは中国・四国限定の「柑橘黄金ブレンド」。温州みかん、レモン、すだちを絶妙なブレンドで配合してものだそうで、これはかなりよかった。甘味と酸味のバランスがすばらしい。
さて、これから長距離移動とは言え、ぼけーっとしてはいられないのが四国ミラージュツアー。車窓からもゆかりの場所をチェックしていきますよ。


こちらは途中停車駅の善通寺駅。


空海生誕の地に建てられた善通寺は、ここから徒歩で約20分。『拝啓、足摺岬にて』に出てきたらしいですね。いつかきっと行くぞと思いつつ、今回は素通り。
車窓から見える景色は実にのどか。


遠くにまだ讃岐富士の姿が望めます。
こちらは、琴平駅。列車が動き出してから撮ったのでだいぶブレてしまいました…。

「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう、金比羅宮=こんぴらぐう、とも)の最寄駅です。○に独特な字体の「金」のマークがお出迎え。一度行ったことがありますが、長い石段の参道が印象的でした。

何気に、ミラージュにも出てきているんですよね。闘うハトの会の過激派を率いた元・黒の僧兵・晃焔が、赤鯨衆襲撃のための拠点を置いたのがここでした(33巻119ページ)。
トンネル内で香川・徳島の県境を越えて間もなく、列車は今朝見た吉野川と出会い、しばらくの間、並走することになります。
こちらは阿波池田駅。阿波池田と言えば、23巻で、高耶さん捜索中の直江が、高知市内で手がかり(例の高耶さんヌード写真)を見つけた後、祖谷へ赴くために拠点としていた場所です。

「小さなビジネスホテル」に泊まったとの記述(23巻51ページ)がありますが、この辺りにそれらしきホテルはひとつだけ。「ビジネスホテル阿波池田」というまんまなネーミングのホテルですが、車窓からは見ることができませんでした(その付近でトンネルに入ってしまうため)。しかし…@部屋から池田湖(池田ダム=吉野川を堰き止めて造られたダム)が見えるA対岸の高台に白地城が見えるB祖谷の山々が左手に見えるC下の方に線路が通っている(23巻66〜67ページ)。という記述に、このホテルが合致するかどうかは不明です。地図を見た限りでは無理そうな気が。桑原先生の創作かもしれませんね。
阿波池田駅を過ぎて少しすると、吉野川の対岸に白地城跡が見えてきます(矢印部分)。


手前に見える赤い橋は「池田大橋」。赤鯨衆の白地攻めの際、
「上流の三好橋側から嘉田が、池田大橋側には斐川がつく」との記述があります(22巻114ページ)。
<白地城跡には現在、簡易保養センターという宿泊施設が建っている。その敷地内に、三好は巨大な鉄塔をたてた>(『22巻 魁の蟲』99ページ)

かつては「かんぽの宿」だったこの白地城跡は、現在は「あわの抄」という民間の旅館になっています。この宿泊施設内でも、三好方と赤鯨衆は壮絶な白兵戦を繰り広げていました。

赤鯨衆は白地城を落とし、高耶さんは、またしても評価を上げてしまうことになるわけですが、上杉景虎としてではなく、ただの現代人として集団の中に身を置き、それでも自ずと頭角を現してしまうこの頃の高耶さんが、私はとても好きなんです…。
通り過ぎた方向を振り返って。池田大橋と白地城跡が見えます。三好橋は、この少し先(手前側)です。


貪欲に車窓からミラージュスポット探しをしてみましたが、悲しいかな、車無しでのミラツアではこの程度が限界です。いつか、あわの抄にでも一泊して、この辺りのミラージュスポットを回ってみたいですね。
あ、もうひとつありました。三縄駅です。ここは通過駅だったので、またしてもわかりづらい写真になってしまいましたが…。


祖谷での聞き込みの末、潮が例の写真を発送したとわかった三縄郵便局は、この駅の近くにあります(23巻60ページ)。さすがに郵便局までは車窓からは見えませんでした。
吉野川の川幅が、上流にいくにつれ、次第に狭くなってきました。
川の色も、いつしか美しいエメラルドグリーンに。
13時51分、大歩危駅に到着。


ホームにはミニかずら橋がありました。観光地としては、ほぼ、かずら橋だけでもってるようなものですしね(あ、あとラフティングとかあるか)。
大歩危駅(ホーム側から撮影)。

子泣き爺の像が出迎えてくれました。この辺りは妖怪の伝説が多く残る地域なのだそうです。確かに、それも納得できるほど、山深い場所です。

21巻で西祖谷山村の集落とかずら橋を訪れた潮は、この大歩危駅から歩いたと言っていましたが、徒歩だと2時間以上かかります。アウトドア派の潮くんには楽勝なんでしょうけれども、私たちはバスに乗ります。
大歩危駅駅前の様子。


小さな商店や住宅が少しあり、そのすぐ背後は山。秘境への入り口って雰囲気が出てますね。
Yahoo!トラベル経由で申し込んだ今夜の宿は、その名も「ホテル秘境の湯」。大歩危駅から、かずら橋に向かう途中にあります。朝夕食付で一人11,340円。土曜日の価格なら、まあまあ安い方でしょうか。


ホテルの送迎車に来てもらうことも可能なのですが、私たちはかずら橋へ直行したいので、四国交通バスを待ちます。


大歩危〜かずら橋周辺の地図。かずら橋を観光した後は、徒歩で元来た道を戻り、潮が歩いた西祖谷山村集落を回ってからホテルに入ります。作中に記述のみ出てきた「小便小僧の像」へ行くには、徒歩では無理そうな距離なので(集落から片道1時間半くらいかかりそう&バスも本数が少なくて無理)、今回はパス。因みに、21巻で潮と高耶さんが出会った場所は、かずら橋より少し先(東方向=剣山方向)に進んだところかと思われます(23巻58ページで、潮が奥祖谷まで歩くつもりだったらしいことが書かれているため)。

定刻どおりに来た四国交通バスに乗車。
かずら橋までの20分ちょっとの間、バスは山深い道を走ります。


これが祖谷の山々か、と思うと、感慨もひとしお。

毒にまみれ、孤独な獣のようになった高耶さんを受け入れた祖谷の山々は、どこか神々しく見えます。何の変哲もない山の景色なのに、こんなに特別に思えるなんて…ミラージュツアーって本当に面白い。


かずら橋周辺。わかりにくい地図ですみません。バス停からかずら橋の方へ下りていくと、かずら橋の手前にコンクリートの祖谷渓大橋があります。この橋がかずら橋を見るビューポイント。かずら橋は一方通行で、川の北側から南側へ渡るようになっています。祖谷渓大橋の北側に、かずら橋へ行く小道の入り口があります。

かずら橋バス停に到着。


いざ、かずら橋へ…歩き出そうとしたら、方向転換するバス(乗ってきたのとは別のバス)が超怖いことになってました。バックするバスのすぐ後ろは崖です。縁石の超ギリギリのところまでバックしていて、見ているこちらの方がハラハラしてしまいました。
祖谷川が流れる谷を挟んで向こう側には、秘境には似つかわしくないほど大規模な駐車場があります(「かずら橋夢舞台」というらしいけど、確かに「舞台」って感じです)。やっぱり一大観光地なんですね。


駐車場近くには特産品を扱う物産館などもあるようで、行ってみたかったんですが、時間がなくて行けませんでした。
道なりに谷の方へと下りて行くと、かずら橋の手前に架かる祖谷渓大橋に辿り着きます。ここから見るかずら橋とその向こうの山々の景色はなかなかのもの。


この祖谷川を遡ったどこかに、潮と高耶さんが出会った場所があり、更にずっと遡った先に剣山があります(川が蛇行しているので、写真の方角=剣山の方角ではありません)。


ところで、ひとつ、気になる地名があるのですが…


<「……少し上流のところにテントを張ってる。ここに来てから一ヶ月だ」「上流? ああ深沢のへんか。あそこは俺も目ぇつけてたんだ。人も来ないし、いい場所だよな」>(21巻『裂命の星』83〜84ページ)


潮との会話によると、高耶さんがこの時テントを張っていたのは、「深沢」という場所らしいですが、この地名、調べてみてもよくわかりませんでした。桑原先生の創作でしょうか。「雨がひどい時は少し離れたバンガローを無断で借りた」(21巻88ページ)という記述があり、それらしきバンガローは、ここから1kmくらい上流のところに「かずら橋キャンプ村」というのがあるので、高耶さんが居た場所はその周辺だと推測されますが…。まあ、いずれいせよ、潮と高耶さんが出会い、ともに過ごした場所は、ここからさほど離れていない上流のどこかということでしょう。
<「そうそう。こうだよ。祖ぃ谷ぁのか〜ずら橋は〜」 本来哀調を帯びた淋しい歌だが、潮が歌うと調子が狂った>(21巻60ページ)


橋の中ほどには、潮も歌った「祖谷の粉挽き歌」の歌詞が石碑になっています。写真ではわかりませんが、実はスピーカーから歌も流れているんですよ。
さて、かずら橋を渡るため、祖谷渓大橋を戻り、かずら橋の入り口に向かいます。


こちらは、さっきバス停の方から下りてきた道。
こちらが、かずら橋へ向かう小道。
かずら橋が見えてきました。


かずら橋は一方通行。写真右手に料金所があり、一人500円の通行料を支払います。


年間数十万人もの観光客が訪れるため、橋は三年に一度架け替えているそうです。
この写真では渡っている人は少ないですが、私たちが渡り始めた直後、観光バスで乗りつけたらしい団体さんがやってきて、ちょっと心配になるくらい橋の上に行列ができてしまいました。


ただでさえ渡りにくい橋なのに、前後に人が溢れかえっていて、余計に渡りにくい…。


橋自体は、太い蔓で編んであって頑丈そうだなと思うのですが…
いざ渡り始めると、足元こんなですよ。


踏み板が細っ。よそ見してると、普通に足を踏み抜きます。おまけに、真下を流れる祖谷川がばっちり見えます。高所恐怖症の人にはキツイでしょうね。実際、私のすぐ後ろから来たおばさんは、無理無理と言って、渡る直前に引き返していきました(お金払った後なのに)。
足場は狭いわ、橋は揺れるわ、この状況で一眼レフを構えるのは至難の業。


でも、撮りましたよ。こちらはかずら橋の上から見た、祖谷川上流方向。高耶さーんと叫びなくなる気持ちを抑えつつ…。


しかし、曇ってきちゃったなあ。明日は雨の予報だし。
こちらはその反対側。


さっきまでいた祖谷渓大橋が見えます。
皆さんしっかり蔓につかまりながら必死に渡っています。右側の小さい子供を抱っこしているおじいさんが大変そうでした。


もう少しゆっくり渡りたかったんですが、後ろから団体さんが来ているので、あまりのろのろできず…。12月だからオフシーズンで空いているだろうと思ったのですが、やっぱり人気名所なんですね。旅行会社のバスツアーとかに組み込まれているんだろうな、きっと。
ところで、21巻で、私は潮がかずら橋を渡っていたように思っていたのですが、よくよく読んでみると、この時は渡っていないんですね。

<かずら橋の前で知り合いの食堂のおばさんに会った。(略)「カメラあるなら撮ってあげるよ。そこ立って」かずら橋をバックに一枚、記念写真ができた。「渡ってきたら? こっちから撮ってあげる」「いいっスよ。金かかっから」>(21巻『裂命の星』72ページ)

「渡ってきたら」という言葉から、潮が通りかかったのは、かずら橋の出口側だったことがわかります。
そして、かずら橋の出口付近には、確かに食堂が。


作中で、食堂のおばさんは潮に「でこまわし」をおごっていましたが、こちらの「いこい食堂」さんにもちゃんと売っていましたよ、でこまわし。
いこい食堂のおばさんからでこまわしを買って、かずら橋をバックに記念撮影。


でこまわしはゆず味噌の田楽で、じゃがいも、こんにゃく、豆腐の三種類が串にささっています。もちもちとした食感のじゃがいもは、どうやら「ほどいも」という昔から祖谷地方で栽培されていた在来種のいもだったようです。こんにゃくも祖谷の特産のようで、こちらもプリプリとした食感がちょっと普通のこんにゃくとは違うようでした。残念だったのは、炭火の火が弱かったのか、すでに冷めていたこと。まあ、冷めても美味しかったけど。
いこい食堂を過ぎて少し行くと、「琵琶の滝」というちょっとした名所もあります。


昔、平家の落人がここで琵琶を奏で、慰め合ったことからその名がつけられたそうです。平家の隠れ里ってどこにでもある気がするけど、桑原先生が書いているところによると、この辺りは「由緒正しい『落人の里』」(21巻62ページ)とのことなので、あながちでたらめでもないかもしれませんね。
琵琶の滝のすぐ傍にある「滝美食堂」。


こちらも、あめごやでこまわしを売っています。潮にでこまわしをくれたおばさんの店はどちらでしょうね。やっぱり、かずら橋に近い、いこい食堂の方かな?
河原に下りられるようになっていたので、下りてみました。


重なってしまってわかりづらいですが、かずら橋の向こうに祖谷渓大橋があります。
こちらは反対方向(祖谷川上流方向)。
水が透明で綺麗です。


なるほど、これなら水浴びしても大丈夫。
土讃線と並走していた吉野川もそうだったのですが、祖谷川も遠くから見ると、濃いエメラルドグリーンです。


よくよく見ると、この辺りの石は薄い緑青色なので、そのせいで水がエメラルドグリーンに見えるのかもしれないですね。
<沢の音は優しかった。高耶を慰めてくれたのは、物言わぬ木々や風や空だった。人間がたったひとり、生きるには厳しい。でも行き場のない害獣にも居場所をくれる>(21巻『裂命の星』97ページ)

総大将の任を解かれ、四百年すがってきた使命を失くし、あまつさえ毒を垂れ流す身体になって、愛する者と身を裂くような別れをした高耶さん。一体どんな気持ちでこの山奥に身を潜めていたのでしょう。もはや惰性で、獣のように生きながらえる日々を送っていた高耶さんは、この地で命というものの極限と向き合っていたのではないかなという気がします。
高耶さんは後に、赤鯨衆の中で、初めて使命とは無関係に、己が生きる意味を見出すことになります。或る意味、高耶さんは一度死に、生まれ変わったのだとも言えるかもしれません。抜け殻のような状態で最後に辿り着き、赤鯨衆と出逢ったこの祖谷は、生と死が交錯する場所であり、深い自然の懐は高耶さんにとって母の胎内のような意味合いを持っていたのかもしれない、なんてことを思ってしまいました。
そんな雄大な祖谷の自然ですが、人の努力によって景観が守られている一面もあるようです。


こちらのかずら橋近くの岩壁。一見、何の違和感もないように見えますが、実は人工護岸らしいです。観光地ということで、景観に溶け込むような見た目に仕上げたようです。よく見ると、下の方の切れ端がわかります。不粋なコンクリートで固められるよりはよっぽどいいですね。
かずら橋を見てみると、団体さんが来たのか、また観光客が行列になっていました。


人数が多いときは入場?制限を設けるらしいですが…、これくらいは平気なんですね。
さて、かずら橋の観光を終えて、私たちは徒歩で西祖谷山村集落→宿泊予定ホテルへと向かいます。

かずら橋から歩いて20分くらいの道沿いに、「新祖谷温泉 ホテルかずら橋」という宿泊施設があります。潮がかつてバイトしていたという「かずら橋近くの旅館」というのはここのことかなと推測します。かずら橋のすぐ傍というわけではないですが、もっと近くには小さな旅館しかないようで。団体客を迎えるような旅館ということになると、恐らくここなのでしょう。

あ、さっき見たギリギリバックの送迎バスがある…。
<この旅館は山側に露天風呂がある。風呂へ続く回廊の途中に「ミニかずら橋」なんていうものがあるのも面白い>(21巻『裂命の星』71ページ)

このホテルかずら橋には、「ミニかずら橋」はありません。とあるミラツアサイトさんによると、何年か前に水害に遭い、全館リニューアルしているそうです。そして、リニューアル前は確かにミニかずら橋があったそうです。当時とは別の建物になっているということですし、中に入ってはみませんでしたが、今は「ケーブルカーで登る天空露天風呂」なるものがあるらしいですよ。機会があったら泊まってみたいですね。
途中の景色はずっとこんな感じ。


本当に、山奥の秘境って感じです。遠くに滝が見えますね。
トンネルもあったり。


こんな道を歩く人はあまりいないのか、歩道が狭いです。
かずら橋から歩いて約50分、新祖谷大橋に到着しました。


先にかずら橋に行ったので、順番があべこべになってしまいましたが…、ここは、潮の記念すべき初登場シーンの舞台となった場所です。


橋の向こうは大歩危駅の方へと続き、橋のこちら側には潮が立ち寄った西祖谷山村の集落があります。それでは、位置関係を確認してみましょう。


作中には「新祖谷大橋」という名前は出てきていませんが、位置関係から、潮が渡ったのはこの橋で間違いないかと思われます。今夜の宿・ホテル秘境の湯へ行く前に、潮が立ち寄った小学校と斉藤商店を探して集落を歩きます。
それにしても、物語を読んだ印象では、集落も「かずら橋近くの旅館」もかずら橋も、皆すぐ近くにあるような気がしたのですが、実際は歩くとかなりの距離があるんですね。やっぱりミラツアは甘くない。

<渓谷にかかる橋から祖谷の山々を眺めて、武藤潮は山のにおいを心ゆくまで吸い込んだ。(略)下を流れるのは祖谷川という。駅から歩いて一時間、ようやくめざす西祖谷山村についた>(21巻『裂命の星』58ページ)


写真は、新祖谷大橋から祖谷川上流方向(かずら橋方向)を向いて。
<橋を渡ったそこが村で一番の集落だ。狭い道路沿いに商店が並んでいる。橋を渡ったつきあたりが小学校になっていて、体育をしている子供たちが鉄棒のあたりに集まっていた>(21巻『裂命の星』59ページ)


写真は、新祖谷大橋を集落の方へ向けて渡りきった辺り。突き当たりが小学校になっていると作中にはありますが…
突き当たりはこんな感じで、小学校はありません。


昔はあった…という雰囲気でもないから、この位置関係は桑原先生の創作ですかね。
橋のたもと辺りに、一軒、商店がありました。


斉藤商店…とは、ちょっとイメージが違うかな?
集落の中へと進んでいきます。


確かに、狭い道沿いに商店ちらほらとありますが…。写真中央の衣料品店などはどうやら営業してなさそうです。
更に少し進むと、「喜多酒店」という酒屋さんがありました。
酒屋さんですが、外からちらっと覗いてみると、食品や日用品も扱っているみたいです。そうそう、これこれ。これぞ田舎の商店って感じですね。


外に玉こんにゃくの浮いているたらいは出ていませんでしたが(冬季だから?)、イメージとしては、こんな感じのお店かもしれないですね、斉藤商店。ブリキっぽい看板もありますし。
後に直江が高耶さん捜索の際に、この斉藤商店も訪れていて、その文章から、斉藤商店の近くには「祖谷川を見おろせる駐車場」があるように取れるのですが(23巻57ページ)、それらしき駐車場は見当たりませんでした。やはりこの集落については、実際のイメージを元に先生がある程度創作を加えているのでしょう。


喜多酒店を過ぎて間もなく、檪生(いちう)小学校へ入る脇道があります。小さい集落ですから、小学校はもちろんここだけです。
同じ方向に神社もあるようで、脇道には鳥居がありました。
鳥居を潜って、坂を下って行くと、確かに小学校が。


赤い屋根の建物が神社の社?
こちらが、檪生(いちう)小学校。


あ、小学校の敷地に入っちゃったかな…。校門もないし、神社と一緒になっていて、区切りがよくからない…。


作中に書かれていた「校門」も「鉄棒」も見当たらない小学校でした。位置も違うし、モデルになった小学校というわけではないのでしょう、恐らく。
元来た道を戻って行くと、喜多商店の近くに移動販売車が停まっていました。


こういう移動販売が村の人たちの生活を支えているんでしょうね。
新祖谷大橋には歩行者専用の橋が併設されています。


写真は、歩行者専用の橋から新祖谷大橋を見上げたところ。
橋の上から、祖谷川の下流を向いて。


右端に西祖谷山村の集落が写っています。
17時少し前、ホテル秘境の湯に到着。


香川県から、長い旅路だったなあ…。
すでに灯りが点っています。


「秘境」の割には、でっかいホテルだな。


写真左の建物がお風呂なんですけど、館内が広くて移動するのが結構大変。迷いそうでした。
そんなに広くはないけれど、小奇麗で落ち着く部屋でした。


小一時間ほど休憩したら、お食事処へ。
夕食は18時から。ちょっと早く来すぎたかな?


掘りごたつで足が楽です。テーブルは囲炉裏風になっているけど、火力は電気でした。でも、雰囲気は悪くないですね。
食事は山の幸を中心にした素朴なお料理。


こちらは、アメゴのお刺身。祖谷特産の刺身こんにゃくが添えられています。さっき食べたでこまわしのこんにゃくと同様、歯ごたえがあります。

徳島のすだちをかけて、さっぱりと頂きます。
そして、高耶さんと潮も食べていた「アメゴの塩焼」ですよ。


骨まで食べられました。なかなか美味です。
他にも阿波尾鶏のタタキとか、きのこの和え物とか、豆腐の味噌朴葉焼きとか、色々出ました。素朴でも、地のものを出してくれるのが、旅行者には一番嬉しいですね。


こちらは、シメの祖谷そばとすだちゼリー。祖谷そばは太くて短いのが特徴らしいです。関西風のだしがとても風味がいい。すだちゼリーは、さすがすだち王国徳島!と感心してしまう味。すだちの酸味が際立っていて、甘さとのバランスもいい。作る人が上手なんですね、きっと。お腹いっぱいでもおかわりしたくなるくらい美味しかったです。
夕食後、ホテルの送迎車でかずら橋のライトアップを見に連れて行ってくれるサービスがあったので、参加しました。


夜のかずら橋は…幻想的と言えば聞こえはいいですが、どこかおどろおどろしい感も。

これは、『蟲師』の「一夜橋」の世界ですね。あれは実際、ここのかずら橋がモデルらしいですし。『蟲師』はオススメです。
かずら橋の出口から。


日没後は危険なので、当然渡ることはできません。


夜の渓谷の雰囲気をもっとゆっくり感じたかったんですが、団体行動だったので、そうのんびりもしていられず。まあ、夜の渓谷って言っても、ライトアップしていないところは真っ暗なだけなんですけどね。
しかし、そんな暗闇の中、高耶さんは毎夜独りで過ごしていたんですよね。「母の胎内」だなんて書きましたけど、文明に慣れ親しんだ人間にとって、自然は本当はそれほどやさしくはないはず…。夜の闇なんて孤独で怖ろしいだけでしょう。それでも、そんな場所が唯一高耶さんに許された場所だったのかと思うと、切なくなりますね。


高耶さんがこの山中で過ごした夜を思いながら、山際に見えた星を撮ってみました。
ホテルに戻って、売店をうろうろ。


他にお土産屋さんもほとんどないので、こういうお店はありがたい。
その売店で買った「土佐のはちきん柚子アイス」。すだち王国の徳島で、ゆず帝国・高知のゆずアイスを売っているとは(笑)。


で、このアイス…めちゃくちゃうまかったです。シャーベット状なのですが、ゆずの味がとても濃い。うちの近所でも売っていたら間違いなくリピートするのに。
その後はお楽しみのお風呂へ。もちろん温泉ですよ。「おうむ温泉」ではないですが。

お風呂の写真は撮れませんので、興味のある方はホテル秘境の湯のHP(別窓表示)をご覧下さい。

しかしてこの温泉、炭酸水素塩泉とのことで、とろみのあるお湯が実に心地よく、正に美肌の湯といった感じでした。相方は今まで入った温泉の中で、ここのお湯が一番お気に入りだそうな。祖谷の温泉ってみんなこういうお湯なのかどうか…わかりませんが、高耶さんにも入って欲しかったなあ。まあ、高耶さんの場合、温泉なんか入らなくても既に美肌だろうけど。
寒かったからか、露天風呂の方には全然人が入ってこなくて、一人で長時間、ぬるめのお湯を満喫しました。

木々の間から見える夜空と雲の狭間から僅かに覗く月明かりを見上げながら、想うのは、もちろんあの夜の高耶さんのこと。


※この写真は早朝にホテルの部屋から撮ったものです。三脚使わないで撮ったのでだいぶブレちゃってますが。
<ごくり、と唾をのんだ。月の光はよくない。ぞくぞく…、とあの独特の疼きが腰から生まれて、背中をのぼってくる。(略)降り注ぐ光線はあの男の視線に似ている。優しくて冴えていて深く……そして。全身にそれを浴びている気がしてきて、思わず身震いした>(21巻『裂命の星』99〜100ページ)

「存在そのものが男性器な男」(笑)のことを想いながら××する高耶さんを想いながら湯に浸かっていると、のぼせそうに(笑)。思わず、「ふやけてろよ、くそが」という高耶さんの台詞(23巻116ページ)が脳裏に浮かんでにやけてしまいましたよ(重症)。
さっきの売店で買った徳島の地酒。前夜バスの中で食べるつもりで食べていなかった甘栗をつまみに。でも、疲れていて、一口飲んだだけでした。


この日電車で通過した阿波池田よりも少し下流の吉野川沿いにある芳水酒造という酒蔵のお酒ですが、「大歩危・祖谷温泉郷」とラベルに書いてあるので、この辺りのお土産用に販売しているお酒なんでしょうか。しかし、「チョット イッ いってみるかい」とは、祖谷にぴったりなネーミングで(ミラージュ的に/笑)。


続きは後編にて。

2013.06.13 up








このページは別窓展開ですので、ブラウザを閉じて終了させて下さい。
検索等でこのページにたどりついた方は、↓からトップページへどうぞ。
七変化 MIRAGE-SIDE トップページへ