祝ミラツア四国初上陸

〜四国三県を駆け抜けろ

後 編




◆旅行日:2012年11月30日〜12月2日

◆行程:
※下線はミラージュスポット(一部推定含む)
※グレー文字は前編にて

◇11月30日〜12月1日:
舞浜→(高速バス)→宇多津駅→(徒歩)→中村うどん→(徒歩)→丸亀城→(徒歩)→丸亀駅→(JR特急南風)→大歩危駅→(四国交通バス+徒歩)→かずら橋→(徒歩)→新祖谷温泉ホテルかずら橋→(徒歩)→西祖谷山村集落→(徒歩)→檪生小学校→(徒歩)→ホテル秘境の湯→(夕食後、ホテルの送迎バスにて)→かずら橋(ライトアップ)→(ホテルの送迎バス)→ホテル秘境の湯

◇12月2日:ホテル秘境の湯→(ホテルの送迎バス)→大歩危駅→(JR特急南風)→高知駅→(徒歩)→追手筋(日曜市)→(徒歩)→高知城→(徒歩)→ひろめ市場(昼食)→(徒歩)→県庁前→(徒歩)→鏡川→(徒歩)→川沿いのビジネスホテル→(徒歩)→梅の辻バス停→(高知県交通バス)→国民宿舎桂浜荘→(徒歩)→浦戸城址→(徒歩)→桂浜→(徒歩)→坂本龍馬像→(徒歩)→桂浜バス停→(高知県交通バス)→南はりまや橋バス停→(徒歩)→はりまや橋交差点→(徒歩)→はりまや橋バス停→(土佐電鉄バス)→高知龍馬空港→(JAL)→羽田空港

◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。



翌朝。予報どおりのどんよりとした空です。午後には雨マークになっていますので、どこまで降らないでいてくれるかが問題。


写真はホテルの前から。西祖谷山村の集落が見えます。
朝食に出た鮎のみりん干し。


鮎のみりん干しって初めて食べました。小さい鮎で丸ごと食べられて美味しかったです。やっぱり鮎はうまい。
朝食後、ホテルの送迎車に大歩危駅まで送ってもらいました。


祖谷の山々も見納めです。
大歩危駅。


まだ少し時間が早いからか、無人駅状態でした。
おっと、失礼。無人駅ではなかったようです。助役がいらっしゃいました(笑)。こちら、大歩危駅助役・虎太朗くんです。


読み方は、「とらたろう」ではなく、「こたろう」らしいですよ。こ、こたろう! 赤鯨衆に飼われていた黒豹を思い出します。
土讃線の電車。


これぞローカル電車。一両編成ですね。
8時49分、私たちは来る時にも乗った特急南風に乗車。


そしてやはり、しばらくは、このエメラルドグリーンの吉野川と併走します。
9時38分、高知駅に到着。


2008年に完成したこの駅舎の屋根は地元の杉で造られているそうで、愛称は「くじらドーム」だとか。
駅構内では、くじらの尻尾が「歓鯨」してくれます。


赤鯨衆のお膝元に乗り込んできたことを実感。
くじらドーム全貌。


ドーム状ってだけで、さほど鯨感はない。
土佐へ来たぜよ!(笑)


高知駅前には巨大な像が。向かって左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎。


季節柄、クリスマスツリーが添えてあるのが何とも…。
高知も路面電車が走っているんですね。


情緒のある街には路面電車の風景がある、というか、路面電車があるから趣きがあるのか。


それでは、高知の地図を見てみましょう。


高知市の広域図です。高知市内にはミラツアスポットがたくさんあります。一日では回りきれないので、今回は竹林寺や雪蹊寺はパス。高知城とその周辺を回った後、バスで桂浜まで行き、帰りは高知龍馬空港から飛行機に乗ります。桂浜…結構遠いんですね。



こちらは市街地部分。赤字はミラージュスポット。黄色いラインは今回歩いた道筋です。高知駅から歩き出した私たちは、追手筋の日曜市を巡りながら高知城へ向かいます。高知城を見学した後は、ひろめ市場でお昼ご飯。その後は、県庁前を通って南下、鏡川へ出ます。しばらく鏡川沿いを歩いて潮江橋を渡り、梅の辻バス停からバスで桂浜へ向かいます。
マップの中で、「高知県警」のみ、今回は訪れていません。ミラージュの中でも、名前は出てきましたが、シーンとしては出てきていません(22巻で高耶さん捜索中の直江が訪れる予定でしたが、途中で例のパネル写真を見つけたので県警は訪れていないようです。その前後で訪れていた可能性はありますが)。

こちらは駅前の通り(電車通り)。この通りを南下して、先ずは高知名物・日曜市を見に行きます。そうなんです、この日はちょうど日曜日でラッキー。


ビルには「土佐鶴」の看板があったりして高知って感じですね。
南下する途中で川を渡りました。


川沿いにヤシの木とは、さすが南国土佐。
「蓮池町通電停」を西に曲がると、高知城追手門前まで続く追手筋。ここで日曜市が開催されています。

追手筋と言うと、22巻で直江が来ているんですね。竹林寺で鮎川と偶然の再会を果たした後、一蔵と「追手町筋」(正しく?は「追手筋」らしい)に面した喫茶店に入っています。そして、店を出た後、県警へ向かうため高知城の方角へ歩きながら、ふと入り込んだ路地のギャラリーで、あの高耶さんの裸写真と巡り合ったのでした(22巻214ページ〜)。

日曜市と大きな街路樹で、追手筋の様子がよくわからないですね。まあ、場所も詳しくは特定されていませんし、喫茶店、ギャラリーともにモデルは存在しないのかもしれません。
山荘での悲痛な別れ以来、初めて高耶さんがまだこの世に存在している証を得ることができた直江、言葉にならないくらい嬉しかったことでしょう。思わず、がんばったね直江、と言ってあげたくなります。


そんな運命的な出会いがあった追手筋ですが、この日は日曜市でとっても賑やか。多種多様なお店が並びます。こちらは生姜の専門店でしょうか。高知の生姜、有名ですよね。
こちらのお店では、珍しい種類の大根を色々売っています。地のものがたくさん並んでいる市は見てるだけでも楽しいものです(と言いつつ、荷物になるのについ買ってしまうオレ…)。


この日曜市、相当規模が大きかったです。日本三大朝市のひとつとか言われている千葉・勝浦の朝市より断然大きかった。全長1.3kmにわたって約500店が軒を連ねているのだそうで、歴史も長く、なんと300年以上も前から続いているのだとか。
文旦も有名ですね。たくさん売っていました。


高知って、本当にうまいものが多いなあ。
地元の人に交じって観光客も結構いるのか、かなりの人出です。
ゆずネードのお店を見つけて一杯飲みました。


酸っぱかったら調整するからと言われて飲むと、確かに濃いけれども、全然嫌な酸味じゃなくて、私は気に入りました。季節的にもちょうど旬で余計美味しかったのかもしれません。


日曜市で買ったものは最後のお土産コーナーにて。
高知城追手門前に到着。


高知城も現存天守を有する十二城のうちのひとつです。二日間で現存天守を二つ、制覇しました。しかし、十二城のうち四城が四国にあるとは。戦禍を免れたからでしょうか。
それでは早速、『赤い鯨とびいどろ童子』に出てきた高知城へ。


山内一豊公の銅像がお出迎え。

ミラージュでは、長宗我部の遺臣であった嶺次郎らの立場で書かれていたため、悪役っぽい山内一豊ですが、土佐入国後、高知城を築城したり、城下を整備したりして現在の高知市の基礎作りに貢献したお人だそうです。
追手門。


枡形になっていて、三方から敵を攻撃できるようになっています。
追手門を潜ると、最初の階段の脇に板垣退助の銅像があります。


土佐の人って、やはり魂の熱い人が多いんでしょうかねえ。
夜になるとキャンドルイルミネーションが催されるようで、階段脇には小さなキャンドルが並んでいました。
三ノ丸手前にある「杉ノ段」から望む天守。


名物アイスクリンのお店が出てました。
三ノ丸を過ぎ、この階段を上ると二ノ丸の広場です。


お。ここにもアイスクリンのお店が。もちろん後で食べますよ。
二ノ丸から本丸を望んで。


「廊下門」(写真中央)を潜って本丸へ入ります。


手前にある竹組みは、これも夜になるとイルミネーションになるようです。
廊下門の中。


天上から吊り下げられた星形の飾りが妙な感じ…。ここは本当にお城か?と思ってしまいます。お城の経営?も色々大変なんでしょうけど。
天守と本丸御殿。


高知城は、日本で唯一本丸の建物が完全に残っている城だそうで、入館料400円で天守の他、本丸御殿の中も見学することができます。
こちらは本丸御殿上段ノ間。


武者隠しの扉があります。再現されたものでなく、本物なのだと思うと、生々しく感じます。
天守の中の展示パネルにこんなものを見つけました。


「一豊公入国時の騒乱」として、嶺次郎らが戦死した「浦戸一揆」についても触れられています。
高知城もやはり階段は急です。


現存十二天守の写真が飾ってあるのも、お決まりなんでしょうか。
最上階。


眺めはどんなもんでしょうかね。
こちらは南の方角。


赤い矢印の方角に浦戸城跡や桂浜があります。結構遠いので、手前の山よりずっと向こうになります。


そして、手前右の大きな建物が県庁で、黄色い矢印の場所が県庁前の交差点。ここは赤鯨衆の裂命星輸送団が通過した場所でしたね。詳しくはまた後ほど。
こちらは、東の方角。

高知駅やはりまや橋がある方角で、右端の方には辛うじて五台山が写ってます(矢印)。

五台山には、直江と鮎川が再会した竹林寺がありますね。例のフライドチキンの…(笑)。

そう言えば、ミラージュの人物って、よく買い食いしてますよね。潮のでこまわし然り、千秋の焼きいか(22巻浦戸にて)然り、嶺次郎と草間のアイスクリン(『赤い鯨とびいどろ童子』の高知城にて)然り。松本ではたい焼き食べてましたし(『ふたり牡丹』)。他にもありましたっけ?
今回はどう予定を組んでも時間が足りず、竹林寺や雪蹊寺へは行きません。


おや、北の方角からすぐ下を見下ろしてみたら、龍馬さんが。これもライトアップするんでしょうね。
一領具足をイメージしたらしい像なんかも展示してありました。

嶺次郎なんかは、頭もきれて、リーダーの素質もあったのでしょうけれども、どこか終始泥臭いところが、半農半兵の一領具足らしいとも言えるかもしれません。でも、そういうところがまた、愛すべき部分でもあるんですよね。

有名武将でない一領具足が…、怨将ではないただの怨霊集団が、スポットを浴びたことは、ミラージュの中でとても大きな意義を持っていように、私には思えます。
昔の捕鯨シーンの模型もありました。


やっぱり土佐と言ったら鯨なんですね。
さて。本丸から出て、二ノ丸でアイスクリンを買います。


ウィキペディアによると、アイスクリンとは「鶏卵、砂糖、脱脂粉乳などから作られる乳脂肪分3%以下の氷菓のこと」だそうです。


味は、バニラ、イチゴ、チョコ、マッチャ、ユズ、ソーダの6種類。やっぱりここはユズしかないでしょう。それにしても派手なお店だな。
今回2回も登場してしまい、すみません…。アイスクリンを持って高知城をバックに記念写真を撮ってみたくて。日曜市で買い物したビニール袋が情けないですが(笑)。このアングルはもちろん原作を意識してですよ。

<かつて土佐の殿様がいた高知城も今は観光スポットだ。そのベンチで、名物のアイスクリンを眺めながら、ライトアップされた天守閣を眺めて嶺次郎は呟いた>(『赤い鯨とびいどろ童子』28ページ)

写真の場所は二ノ丸です。原作では場所は詳しく書かれていませんが、ベンチがあったのはここだけだったように思います。
<城門のほうが何やら騒がしい。争っているような声が聞こえる。なんじゃ? とベンチから腰を浮かせた嶺次郎は、必死の形相でこちらへと駆けてくる若者を見つけた。誰かに追われているらしい>(『赤い鯨とびいどろ童子』29ページ)

これが、三好方の死人に追われていた中川掃部と嶺次郎&草間の出会いでした。写真は二ノ丸から階段を見下ろしたところ。嶺次郎らが二ノ丸にいたとしたら、中川先生はここを駆け上ってきた…のでしょうか?

ところでさっきのアイスクリンはさっぱりしてて、なかなか美味しかったです。嫌な甘さが残らない感じで。でも、前日のホテルで買った「はちきん柚子アイス」には敵わなかったな。
負傷した嶺次郎を、中川先生が手洗い場で手当てするというシーンもありましたね。

<そういうわけにはいかない、と若者は嶺次郎をぐいぐい引っ張って、手洗い場まで連れてきた>(『赤い鯨とびいどろ童子』31ページ)

お、あります、あります。手洗い場。三ノ丸の階段脇です。
嶺次郎が手当てを受けたと思われる手洗い場。


右に三ノ丸、左に二ノ丸へと続く階段があります。


この時点で時刻は12時過ぎ。私たちは高知城を後にしてお昼を取ることにします。
やって来たのは、高知城にほど近い「ひろめ市場(いちば)」。日曜市が開かれている追手筋にあります。


ひろめ市場とは、屋台村のような施設で、飲食店の他にも土産屋や雑貨屋などがひしめいている、活気のある市場です。
中はこんな感じ。この日は日曜市の日なので、特に混んでいるようですね。


何とか2席確保できたので、交代で各々の好きなものを買いに行きます。
こんなふうに、お刺身や一品料理を少量ずつ売っているので、自分の気に入ったものを、気に入った店で買うことができます。


マンボウ、うつぼ、鯨は唐揚げ。あおのりは天ぷら。そして、ドロメにかつおのタタキ。土佐らしい食べ物が並んでいます。
こちらは相方のチョイス。


かつおのタタキ定食とえび天を買ってきた模様。
私はかつおのタタキの単品とゆずサワーを。旅館の朝ごはんを食べたからまだあまりお腹が空いてなくて。

感動したのは、このゆずサワー。眼が覚めました。これが本物のゆずサワーかと。私が今まで飲んでいたのは何だったのかと。とにかくゆずが濃くて、フレッシュ。口の中でゆずの香りがはじけます。これを飲むためにまた高知に来たい!と思える一杯でした。相方も同じものを買ってきて、やはり同じように思ったらしく…、高知は一泊してじっくり楽しみたいと言っていましたよ。しめしめ、高知オンリーミラツアもそう遠くない!?

カツオも美味しかったです。高知でカツオと言えば当然にんにくと一緒に。昼間からにんにく臭くなりますが(笑)、ここは躊躇無く食べますよ。とてもよく合います。
ほろ酔い気分でひろめ市場を出た時には、ついに小雨が降り出していました。午前中もっただけマシだったんだろうと言い聞かせ、高知散歩を再開。


こちらは高知県庁。高知城のすぐ南にあります。ソテツ?が南国の雰囲気を醸し出していますね。


さて、この県庁。作中に名前が出てきました。
<県庁前にさしかかる。ほんの数日前に直江が残した軌跡を、そうとは知らずクロスして、高耶のバイクは西へと向かった>(23巻50ページ)

県庁、というか、出てきたのはこちらの県庁前の交差点。必死に高耶さんを探す直江と赤鯨衆にいる高耶さんの足跡が数日違いですれ違ったという、切ないシーンの現場です。高耶さんは烈命星の輸送中、この交差点を東から西へと通過しています(写真では左から右へ。写真は交差点の北東角から撮影)。

直江の方は…ここをいつ通ったのか詳細は不明です。高知には一週間ほど滞在していたようですから、役所と宿泊していたホテル(川沿いのビジネスホテル)とを往復する際に通っていたのかもしれません。
県庁前の交差点を過ぎて、私たちは更に南下します。


街路樹も南国っぽい。
通りがかったパーキングの建物に、目を疑うようなマークを発見。


赤い鯨!? 


赤鯨衆が資金稼ぎに駐車場経営!?(笑)
山内家の屋敷や、仕える武士たちが住んでいたという、藩政時代の趣を色濃く残す一帯を通り過ぎると…
鏡川に突き当たります。


高知城で出逢った中川を、嶺次郎と草間は「鏡川の土手」に連れてきたのでした(『赤い鯨とびいどろ童子』32ページ)。
川の南にある低い山は標高100メートルあまりの筆山。


山上には公園があり、山内家歴代の墓所があるそうです。
嶺次郎たちは高知城から鏡川へ来たのですから、最短コースで来たとすれば、きっとこの辺りでしょう。


嶺次郎と草間は、この場所で、中川が三好の死人に追われていたこと、四国で怨霊同士が覇権を争っていることを聞かされます。この時はよもや自分たちがその闇戦国において一大勢力にまでなるとは思いもしなかったでしょうね。


写真は潮江橋方向を向いて。
鏡川一帯は、どこかほっとする景色が広がっています。
そして、この川沿いで忘れてはならないのが、直江が泊まったビジネスホテル。

<高知入りしてから一週間がたった。今は繁華街からほんの少し外れた川沿いのビジネスホテルに泊まっている>(22巻187ページ)

高知の繁華街と言えばやはり、はりまや橋付近でしょうか。そこから少し離れた川沿い…というと、この辺りに何軒かそれらしいホテルがあります。

こちらの写真(茶色い建物)は、「ビジネスホテル松栄」。鏡川の南岸にあります。
こちらは、北岸にある「ホテル松栄別館」。


こちらの別館は今は営業していないような気が…。松栄のHPにも載っていないようです。
こちらは、その隣にある「ホテル松栄第二別館」。


それにしても、この頃の直江に似合う風情のホテルだな…なんて言ったらホテルに失礼でしょうか^ ^;。リーガロイヤルとか泊まっていた頃の直江が懐かしい…。いやでも、よれよれのスーツとか着ちゃってる直江も決して嫌いじゃないんですよ。こう、必死さが伝わってきて。直江って本来はそういうタイプの男じゃないかっていう気がしますし。
前方に見える橋は潮江橋。


この潮江橋の少し北(写真左)にはりまや橋があります


直江が高耶さんを探しに高知に来ていたのは、はりまや橋辺りの繁華街がクリスマス気分に彩られる十二月とのこと(22巻187ページ)。ちょうどこの時と同じ季節だったんですね。
市街地を流れる川ですけれども、鏡川の水は結構澄んでいました。


『赤い鯨とびいどろ童子』に出てきた尼僧・寿桂尼が庵を構えていた「針原の里」というのは、この鏡川の上流の方にあるようですね。
潮江橋の上から西を向いて。


繁華街にほど近いはずなのに、どこかうらぶれた雰囲気が。血眼になって高耶さんを探していた直江の残留思念を感じます(笑)。
さて、橋を渡ったところにある「梅の辻」というバス停から、いよいよ桂浜に向けて出発。
14時16分発、桂浜行きに乗車。


バスはがらがら。日曜日ですが、こんな雨の日に桂浜に行こうなんていう観光客はほとんどいないんでしょうね。
海が見えてきました。


うおー。土佐の海だー。太平洋だー。しかし、あいにくの天気だー(泣)。


桂浜周辺の地図です。高低差があるので、地図上と実際に行ってみてからでは、印象ががらりと変わります。
龍馬記念館前でバスを降りて、桂浜バス停から市街地に戻るバスに乗るまで、猶予は1時間。桂浜って有名観光地のはずなのに、意外とバスの本数が少なく、これ以外の選択肢はありませんでした。きっちり1時間。これを逃せば帰りの飛行機に間に合いません。見所は…、桂浜荘(赤鯨衆のアジトとなった)に浦戸城跡、もちろん桂浜、そして龍馬像はやっぱり見ておくべきでしょう。長秀が対岸で焼きイカを食べながら眺めていた浦戸大橋までは時間がないので断念しますが、地形もよくわからないし、見所満載の桂浜を果たして1時間で回れるのか!?

しばらく海岸沿いの道を走っていたバスは、浦戸城のある高みを目指して山を登っていきます。


14時42分。龍馬記念館前のバス停で降りて、更にてくてく山道を登ります。写真はバスを降りた後。
登りきったところに…、ありました。赤鯨衆のアジト!

<浦戸のアジトはその傍らに立つ。ここが実質的な赤鯨衆の総本部だ。宿泊施設を改造した比較的新しい建物内は夜でも大勢の隊士が動いているが、そのほとんどは生きた人間ではなく霊たちだった>(29巻『無間浄土』129ページ)

文中に出てきた「宿泊施設」というのは、この「国民宿舎 桂浜荘」のことのようですね。ダイナミックな眺望と郷土料理が自慢の宿泊施設らしいです。

因みに高耶さんの部屋は「三階の一番奥」だとか(29巻131ページ)。いつか泊まりたいなあ。部屋指定とかもできるんだろうか…。
このアジトも色々と思い出深い場所です。

<「あなたらしくない騒ぎですね」 濡れたタオルを高耶に渡して、直江は言った。頭を冷やすために外の非常階段に連れ出された高耶は、腫れた口元にタオルをあて、顔を背けたまま鉄柵に凭れて風にあたっている>(29巻192ページ)

廊下で嶺次郎と殴り合った高耶さんが、直江に引きずり出され、連れて来られたのが、こちらの外の非常階段。その直後、高耶さんは喀血したのでした。
それから、こんなシーンもありました。

<集まってきた遍路らのために、結局高耶は数分だけ屋上に立つことになった。(略)一歩外に出た途端、下から地鳴りのようなどよめきがあがった。(なに) 見下ろすと下の駐車場いっぱいに死遍路たちが隙間もなくぎっしり押し寄せているではないか>(29巻198ページ)

自分を崇める大合唱の声を聞いて、高耶さんは青ざめて戦慄したのでした。裏四国を成して、今空海などと呼ばれるようになり、人のものとも思えぬような体になっても、高耶さんは結局は仰木高耶という一個の人間なんだと思うと、ほっとする一方で、どこかいたたまれない気持ちになります。
29巻のこのアジトでのシーンは、今空海となった仰木高耶と、素の高耶さんとのギャップが描かれるという部分が多かったように思います。例のあの踊り場のシーン(楢崎事件!?)なんかもそうですよね。随分遠いところまで来ちゃいましたけど、高耶さんは(換生者とは言え)所詮生身の人間なんですよね。直江のやりきれない気持ちもなんとなくわかる気がします。

さて、その桂浜荘は建物内に売店もありますので、中に入ってお土産でも買いつつ内部の様子を見学…なんてこともできたと思うのですが、如何せん、この時結構な雨で、傘は差しているわ、合羽は着ているわの情けない状況だったので、中にお邪魔するのは止めました。いつか泊まる機会があれば、踊り場と屋上(出られるのか知りませんが)を見てみたいですね。
というわけで、次は浦戸城址を確認したいと思います。

そもそも、桂浜荘も浦戸城の跡地内なわけですが、浦戸城の天守台跡へ登る階段が桂浜荘の駐車場の片隅にあります。

こちらの写真は、その階段と「浦戸城」の石碑。ひとつ上の写真は、これを少し引きで撮ったもの。駐車場の隅にひっそりとあるんです。この宿に泊まっても、ここが城跡だったということに気づかない人もいるかもしれません。
では、早速その階段を登っていきましょう。
30秒ほどで、頂上の天守台跡に到着。


神社の小さな祠と、浦戸城天守跡の案内板があります。ここに三層の天守が建っていたそうです。
天守台跡は、木々が鬱蒼としていて、まったく見晴らしが効きません。


そう言えば、この浦戸は、嶺次郎が生前最期を遂げた場所であり、赤鯨衆の始まりの地でもあるんですよね。今の世に目覚めた無名の怨霊集団が初めて奪った城がこの浦戸城でした(『赤い鯨とびいどろ童子』119ページ)
桂浜荘の前まで戻ってきました。


この付近でもうひとつ、見たいものがあります。
正面玄関に入らず、建物沿いに右手の方へ歩いていくと…、浦戸城の石垣が見られます。


これは平成5年の桂浜荘の改築工事の際に発見されたものを移築したものだそうです。


そもそも、浦戸城の石垣は高知城を築城する際に再利用されたとかで、あまり残ってはいないのだとか。
桂浜荘の隣には、こちらの「坂本龍馬記念館」がででーんと建っているのですが、今回は時間もないため、素通り。


「龍馬記念館前」のバス停で降りて、龍馬記念館に入らないって…。
風変わりな水飲み場を発見。


やっぱり土佐の海には鯨なんですね。
この辺りから桂浜へ降りるのは、一旦先ほどのバス停の方へと戻り、「椿の小径」という遊歩道を下っていくのが近道。この小径、恐らくは高耶さんと潮が通っています。

<「おまえも引っかかってたのか。さっきのこと」 国民宿舎のほうから浜へと降りていく林の中の遊歩道で、潮が高耶を振り返ってそう言った>(29巻161ページ)

「さっきのこと」とは、「出雲大社に金色の雨が降った」という報告のこと。高耶さんはこの先の見えない階段を下りながら、知らず知らずのうちに信長との最終決戦へと足を踏み入れていたんですね。

時刻は15時ちょっと過ぎ。15時45分発のバスにはどうやら間に合いそうです。
視界が開け、撮影スポットも現れましたが、あいにくの天気。
桂浜に下りてきました。右手に見える岬が龍王岬(作中では「竜王岬」、「竜王崎」とも)です。

桂浜と言えば、私にとっては、やはり赤鯨衆結成のシーンが最も印象に残っています。

<浦戸城奪還を果たした草間と嶺次郎たち雑兵軍団は、桂浜におりて、車座になりながら、缶ビールを開けて、文字通り、勝利の美酒に酔った>(『赤い鯨とびいどろ童子』120ページ)

<嶺次郎は波打ち際まで行くと、何をするでもなく沖合いを眺めた。(略)岩の小山といった竜王崎のシルエットの向こうに、さらに黒々と墨を流したような夜の海が広がる。(略)他の者たちも全員立ち上がり、夜の太平洋を黙って、しばらく皆で見つめた。「赤い鯨ちゅうのはどうじゃ」>(『赤い鯨とびいどろ童子』125ページ)
別のページでも書きましたけど、このシーンを思うと、いつもTHE BACK HORNの「コバルトブルー」という歌を連想してしまいます。歌詞とか、まんま赤鯨衆なんですよね。興味あったら聴いてみて下さい。


振り返ると、山の上にさっきの桂浜荘が見えます。確かにあそこからは見晴らしがいいでしょうね。下に見えるのは、桂浜水族館です
記念すべき赤鯨衆結成の舞台となった桂浜ですが、嶺次郎の、こんなやるせないシーンもありました。


<浜辺に人影がある。その男は片手に一升瓶を下げ、裸足で波打ち際に佇んでいた。そしてふいに何を思ったか、ズボンが濡れるのも厭わず海に入っていき、膝あたりまで進むと、一升瓶の酒を残らず注ぎ始めた。(略)「あれは七年前の今宵ぞ。“赤鯨衆”の名が生まれたのは。ここが命名の地じゃ。月は見えんが今夜はこじゃんと騒ごう」>(29巻121ページ)
裏四国成就によって草間を始め多くの仲間を失った嶺次郎の傷心は慮るに余りあります。その上、首領としての重責に押し潰されそうになった嶺次郎は高耶さんとの関係も悪化させてしまうのでした。でも、この二人はやはり「親友」なんですね。高耶さんも嶺次郎には本音でぶつかっていますし。高耶さんと本当の意味で「対等」の仲間って他にいないんじゃないでしょうか(譲は守るべき対象という感じだし、千秋は結局は従者だし)。嶺次郎は高耶さんにとって、直江とはまた違った意味でかけがえのない存在だったのだろうと思います。


写真は、左手の竜頭岬(「龍王岬」と同様、「竜」と「龍」どちらの表記が正しいのか不明)の方を望んで。
そして足元を見れば…ありました、五色石。そんなに色鮮やかというわけにはいきませんが、確かに色んな色合いの石があります。

五色とは赤、灰、緑、白、黒の五色で、これらの石は、清流として名高い仁淀川の流れによって上流から運ばれてきたものらしいです。何でも、恐竜が生きていた時代の岩石なんだとか。

作中にも何度か登場していましたね。『赤い鯨とびいどろ童子』では、嶺次郎らが五色石を使って≪力≫の訓練をしたり(43ページ)、己と妹の最期を語った掃部先生が上士への恨みを解き放つように五色石を海へ投げたり(94ページ)。
また、最終巻『千億の夜をこえて』では、霊体となった嶺次郎が五色石を海に投げ、亡き高耶さんのことを想うシーンもありました(328ページ)。


というわけで、私も万感の想いを込めて、五色石を海に向かって投げてみましたよ(傘で隠れていますが、写っているのは私です。今回三度も登場してしまいすみません)。雨の桂浜で独り、小石を海に投げる女…。なんなんだ一体(笑)。
竜頭岬までやってきました。反対側の龍王岬も行きたかったんですが(『赤い鯨とびいどろ童子』のラストシーンは龍王岬の見晴台でした)、時間がないので断念。


ここ竜頭岬は、22巻で、掃部先生が傀儡子の平四郎と待ち合わせ、彼から闇戦国の情報を聞き出した場所です(167ページ〜)。「柵にもたれて」という記述がありましたが、この手前の柵のことでしょうかね。
竜頭岬付近から上に登る階段があります。


この長い階段を登っていくと…。
この、あまりにも有名すぎる龍馬像が待ち構えています。


『赤い鯨とびいどろ童子』で、掃部先生と嶺次郎が来ていましたね。掃部先生はここで、びいどろ童子に封じ込められた怨霊は坂本龍馬ではないか、と言っていました(89ページ)。
大海原を見つめる龍馬像。


<「痛快ですね。郷士の子孫が徳川を倒したがですね。わしゃ嬉しいです。長宗我部を潰した徳川を、我らが子孫が二百数十年後に倒すとは。わしらの無念も、報われる気がします」 「わしが死んだこの浦戸に、そがいな男が立っちょるのも、不思議な気分じゃ」>(『赤い鯨とびいどろ童子』90ページ)


なるほど、彼らからしたら、確かにそういう思いなのでしょう。人の数だけ歴史の見方はあるということかもしれませんね。
土佐闘犬センターの近くを通って、桂浜バス停へ。


時刻は15時26分。お土産屋さんがたくさんありますが、ゆっくり見て回るほどの時間は無いし、傘も濡れてるしで、大人しくバス停に向かうことに。
始発なので、バスは早々に来ていました。


今回のミラツアはこれにてほぼ終了。中に入って座ると、達成感とともに疲労感がどっと押し寄せました。三県行脚の旅…長かったです。
バスは予定通り、15時45分に発車。土佐の海も見納めです。


次に訪れる時は、真っ青な大海原を見たいものですね。
30分余りで、南はりまや橋バス停に到着。

こちらははりまや橋交差点(南西角から撮影)。この旅最後のミラージュスポットです。

<深夜三時を過ぎた街は車もほとんどない。まるで公務のパレードのごとく車両群ははりまや橋交差点を右折した。高耶を探していたという男が現れた竹林寺もここから近い。(まさかおまえもこの街に……) いるのではないかと。じっとこらえてグリップを握る>(23巻45ページ)
赤鯨衆の裂命星輸送団とともに高耶さんがこの交差点を通っています(矢印の方向へ)。ここを通った時、高耶さんは直江のことを思っていたんですねえ。


こちらの写真は交差点の南東角から。


輸送団はこの後、西へ向けて直進し、県庁前の交差点を通った、ということになります。


このはりまや橋交差点、随分大きな交差点ですが、昭和初期の頃には、東洋一の交差点と言われていたこともあるんだそうですよ。
交差点の北東角に、またもや鯨を発見。
こちらは、はりまや橋交差点の北西角にある「はりま家」。はりま家系列の土産店はこの付近に何店舗かあるようですが、こちらが本店です。


そもそも「はりまや橋」というのは、江戸時代に豪商であった「播磨屋」の前に架けられたから「播磨屋橋」と呼ばれたのだとか。
なので、はりま家の隣に…ちゃんとありましたよ、はりまや橋。


現在の橋は江戸時代のものを再現したものだそうです。しかし、有名なわりにはこじんまりとした橋ですね。
「はりま家」の前からはりまや橋を撮影。


因みに現在の「はりま家」さんが江戸時代の豪商・播磨屋の系統なのかどうかはよくわかりません。HPには明治37年発足と書かれてあるから、違うのかな。
はりまや橋交差点の北東角で空港行きのバスを待つ間、アンパンマンの路面電車を見かけました。

高知は、多くの漫画家を輩出している漫画王国らしいですね。
17時半頃、高知龍馬空港着。


空港内に「お遍路さんコーナー」なんてのがありました(着替えなどの身支度に利用できるようです)。四国ならではですね。
飛行機の出発まで割と余裕があったので、空港内で買い物をする時間が取れました。


高知は特産品が色々あるので、見ているだけでも楽しいですね。


そして、ここでも柚子アイスを買ってるオレら…。どちらも美味しかったけど、やはり祖谷のホテルの売店で買った「はちきん柚子アイス」が最強でした。
夕飯を食べる時間はなかったので、機内で食べようと、空港で買いました。


右からイトヨリ、サバ、焼サバ、昆布巻き…かな。なかなか美味しかったです。
こちらも空港内のお店で買った抹茶わらびもち。結構たくさん入って200円だったんですが、かなり美味しかったです。次、高知空港を利用することがあったらまた買いたいですね。
さて、それでは恒例のお土産紹介コーナーです。


こちらは祖谷で宿泊した「ホテル秘境の湯」の売店で購入したすだちジャムと、部屋に置いてあったすだち飴。


飴はまあまあ美味しかったですが、このジャムはイマイチでした。酸味が足りない。やっぱりある程度の酸味がないと、すだち感が出ないんですよね。
こちらは、高知の日曜市で買った品々。

上段右は手作りのおまんじゅう。柚子あんとさつまいもあん。60円だったか70円だったか80円だったか(あいまいだな)、すごく安かったんですよね。素朴で、いい味でした。

上段中央は、手作りの文旦クッキー。これはとっても美味しかった。文旦ジャムの風味と甘さ控えめのクッキーが好相性。

上段左は高知の柚子。別に、うちの近所のスーパーでも買えますけどね。雰囲気に呑まれて1個だけ買ってみました。

下段右は昔懐かしいポン菓子(玄米)。これも雰囲気で購入。香ばしくてうまかったですよ。

下段中央は干し芋。オレンジ色の芋なんですね。甘みは◎でしたが、芋の風味が少し足りなかったかな。

下段左は、塩けんぴ。高知と言えば芋けんぴですからね。ひとつ買ってみました。こちらは室戸海洋深層水を使用しているそうです。

こちらは高知空港で買ったもの。

「ゆずしぼり」は柚子が最も美味しい時期に絞った100%の柚子果汁。これで柚子サワーを作ると手軽に高知の味が楽しめます。

その右隣の瓶は、四万十のりの佃煮。これは四万十のり100%のものです(中にはブレンドのものもあり)。清流と仰木隊長の味がしました(笑)。

手前の青のりは、高知県産とだけ書いてあって四万十とは書いてないので、四万十産ではないのでしょう。こちらも室戸海洋深層水を使っているようですね。お雑煮に入れたり、やきそばにかけたりすると風味が格段にアップ。あと、亀きち&亀ぞうのために作るお魚バーグにも入れたりしましたよ。

これは亀きち&亀ぞうへのおみやげ。

田作りは、丸亀城から丸亀駅へ向かう途中のアーケード街で買ったもの。頭も内臓も骨も全部食べられるので、お湯でふやかして(無添加ですが、海のものなので、塩抜きも兼ねて)毎日あげています。

小さいフルーツトマトは、高知の日曜市で買ったもの。1個100円で売ってたので、1個だけ買わしてもらいました。私も少し食べましたが、確かに味が濃い感じですね。亀ぞうは喜んで食べてました。亀きちは…相変わらずちゅるちゅるの部分だけ食べてました(種の周りのちゅるちゅるしたところが大好きらしい)。
こちらは、高知のはりま家で買ったグッズ。


土佐つむぎのコースターと、鯨&鰹の箸置き。今回、食べ物ばかり買っていたので、思い出に残るものも欲しいと思って購入。
最後に、桂浜で拾った五色石を。


こうして水に入れて見ると、結構綺麗ですね。色も形も様々な石ころは、それぞれに個性のある赤鯨衆の隊士たちのようでもあり…。

以上、ミラツア四国初上陸の旅でした。香川、徳島、高知の三県を正に「駆け抜けた」旅でした。1泊(夜行バス含めれば2泊)にしては広範囲にわたって旅することができましたが、どこも浅く見ただけなので再チャレンジが必要ですね。香川は『拝啓、足摺岬にて』のツアーをしたいですし、崇徳院関連のスポットなんかもありますし。徳島は、今回祖谷に泊まれて満足ですが、電車からチラ見した「阿波の抄」にもいつか泊まってみたいです。他にも鳴門(鮎川スポット)、星谷寺、剣山なんかも一度訪れてみたいですね。高知に関しては何度行ってもいいでしょう。高知市内にも今回行けていない場所がありますし、室戸、足摺、四万十…などもそれぞれじっくり旅したいです。まあ、今回は初めての四国ミラツアということで、相方に四国の素晴しさを刷り込むことには成功したようなので(笑)、よしとしましょう。

ミラージュという物語の中では、四国は、とても特別な意味を持った土地ですよね。シリーズで言うと第3部(21巻〜)が四国を舞台にしているわけですが、全編を通じて、物語の最も大きな転換点がこの部分にあったと、個人的には思っています。
先ず、「私設警察・上杉VS闇戦国の怨将」という勧善懲悪的な図式が崩れたこと(そもそも夜叉衆自身が元怨霊であったという時点で単純な勧善懲悪にはなり得ない話だったのかもしれませんが)、これは非常に大きな意味を持っているでしょう。高耶さんが上杉を下ろされ、毒塗れの身体になり、怨霊集団に一隊士として加担したことによって、それまでの価値観が一気にひっくり返ってしまったのですから。私は、ミラージュを読み始めた頃、上杉VS怨将の図式はずっと続いていくのだろうと思っていたので、高耶さんが上杉を離れたり、怨霊に加担したりしたことに度肝を抜かれました。これに関しては嫌がる方もいらっしゃるようですが、私はとてもいい意味での裏切りだったと思っています。こういう思い切った展開にして下さった桑原先生に畏敬の念を覚えます。他のページでも書いた気がしますが、私が高耶さんを本当の意味で好きになったのは、四国以降です。名も無き雑兵集団の中で一隊士として戦う高耶さんは、それまでの地位や名誉など何もない、まっさらな状態だったにも関わらず、それでも彼本来の実力や魅力でいやが上にも集団の中でそのカリスマ性を発揮してしまうわけです。当然と言えば当然かもしれませんが、この展開は実に痛快でした。そしてもっと重要なことは、高耶さん自身の内面の変化です。上杉ではなくなったこと、自分自身が有害な身体になってしまったこと、怨霊たちとともに戦ってみたことで、高耶さんの心理に少しずつ変化が生じます。これまで使命のためだけに生きてきたことへの疑問、負けた者・否定された者たちが抱く「生きる意志」への共感。そうして、言わば、上杉景虎は死後、初めて「生きる」ことになったのだと思います。生まれながらにして選ばれし者だった彼にとって、ここまでどん底に堕ちて、雑兵集団の中で生きがいのようなものを見つけるというのは皮肉かもしれませんが、こういう泥臭い場所で真実を見つける等身大の高耶さんに、私はとてつもなく惹きつけられました。
高耶さんと直江、二人の関係という点から見ても、四国以降は大きく変化していますね。20巻『十字架を抱いて眠れ』で「結ばれ」た二人でしたが、今度は高耶さんの延命という一点をめぐって衝突することになります。直江は、高耶さんに生きる意志を与えたのが自分の存在ではなく、赤鯨衆であったことに落胆していましたが、高耶さんがそういう人であったからこそ、私達は高耶さんという人に惹かれるんですよね。無論直江もそうだったはずです。そして、直江も覚悟を決めて高耶さんとともに戦いに身を投じていくことになります。しかし、直江にとっては、四国は苦悩の土地でしたね。高耶さんと分かり合ったはずなのに、結局直江の敵は高耶さんでした。この後、第四部で真の意味で高耶さんとともに戦い、歩むまでの混迷期だったと言えるかもしれません。ただ、その一方で、赤鯨衆にあって密かに愛を深め合う一幕があったりするのもこの四国編の大きな魅力のひとつですね。

四国編が好きな余り、思わず語ってしまいましたが、彼らの熱い血潮が染み込んだ四国は、私にとっても特別な場所です。そう遠くないうちにまた訪れたいです。今度は…四万十かな。沈下橋が見たい…。

今回もレポートをアップするまですごーく時間がかかってしまいましたが、私はこの四国ツアーの後、2013年に入って、長崎と京都に行っています。そちらのレポートも追々。
それでは、長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。よろしければ感想などお待ちしております。ツアーに行ったよ!というお話も聞かせて頂けるととても嬉しいです。


万歩計データ:
12月1日:19912歩
12月2日:30719歩

2013.06.13 up







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