四国三県ミラツア第二弾

〜白地城に寝て、浦戸アジトで昼食を

中 編




◆旅行日:2013年12月20日〜12月22日

◆行程:
※下線はミラージュスポット(一部推定含む)
※グレー文字は前編&後編にて

◇12月20日:
成田空港→(ジェットスターGK411便)→高松空港→(琴参・空港リムジンバス)→坂出駅前→(徒歩)→坂出港→(徒歩)→坂出駅・亀城庵(ランチ)→(JR予讃線)→善通寺駅→(徒歩)→善通寺→(徒歩)→善通寺駅→(JR特急南風)→阿波池田駅→(徒歩)→ビジネスホテル阿波池田→(徒歩)→あわの抄(白地城跡)


◇12月21日:
あわの抄(白地城跡)→(徒歩)→三縄駅→(徒歩)→三縄郵便局→(徒歩)→三縄駅→(JR土讃線)→大杉駅→(JR特急しまんと)→高知駅→(MY遊バス)→五台山展望台バス停→(徒歩)→展望台駐車場→(徒歩)→竹林寺→(徒歩)→竹林寺前バス停→(MY遊バス)→竜馬記念館前バス停→(徒歩)→桂浜荘→(徒歩)→龍王岬&桂浜→(徒歩)→桂浜裏側(浦戸大橋側)の海岸→(徒歩)→桂浜バス停→(高知県交通バス)→長浜出張所バス停→(徒歩)→雪蹊寺→(徒歩)→長浜出張所バス停→(高知県交通バス)→南はりまや橋バス停→(徒歩)→はりまや橋電停→(路面電車)→高知橋電停→(徒歩)→高知グリーンホテル はりまや橋→(徒歩)→一本釣り(居酒屋)→(徒歩)→ひろめ市場→(徒歩)→高知グリーンホテル はりまや橋


◇12月22日:
高知グリーンホテル はりまや橋→(徒歩)→追手筋通り(日曜朝市)&ひろめ市場(ランチ)→(徒歩)→はりまや橋バス停→(四国高速バス)→高松駅前バス停→(徒歩)→がいな奴(うどん)→(徒歩)→高松駅前バス停→(ことでん・空港リムジンバス)→高松空港→(ジェットスターGK412便)→成田空港


◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




二日目、7時前に起床して、朝食前に少し散策をすることに。


天気はあまり良くないようです。
ホテルの北側から、建物の裏側(東側)に回ってきました。


一応、散歩道になっているので、入っても問題ない場所です。


写真右がホテルの建物、左は木が生い茂っていますが、前述した通り、ここは崖になっています。
冬は特に歩く人もいないのか、少々荒れ気味。


大して景色もよくないし(木に囲まれていてあまり見通しがよくない)、城跡に興味がある人くらいしか散策しないかも知れませんね。
辛うじて木が途切れる箇所があり、眼下に吉野川を見ることができました。


写真左の方に、池田大橋の端っこが写っています。


城跡の東側はすぐ崖になっていることがおわかり頂けるかと。
建物の東側から。


前年に土讃線の車窓から見たこのアングルを、間近で見ると、なかなか感慨深いものがあります。
ホテル建物の南端の方へ回って来ると、更にその南側に、神社のような建物が見えました。


実は、ネットで、大西神社という神社に「白地城址」の石碑があるという情報を得ていたのですが、その大西神社の場所がよくわかっていなかったんですよね。これがもしかしたら、大西神社?と思い、朝食後にあちら側を散策してみることにしました。
再び、ホテル西側へと戻ってきました。


建物の西側は広い駐車場になっています。この辺りのどこかに霊波塔が建っていたんでしょうか。


何度も触れましたが、向こうに見えるのは、天神山。
建物内に戻り、前日に夕食を食べたのと同じ場所で朝ごはんです。


朝食は、品数はさほど多くはありませんが、ビュッフェ形式。3組だけなのに、何だかもったいないですね。
目玉焼き、クロワッサン、アスパラの炒め物、茄子の煮物。他にも少し食べた気がしますが、前日の夕食が多かったので、少量で充分でした。


豪華でなくても、朝もちゃんと手作りの品が並んでいて、本当、価格の割りに頑張ってる宿だと感じました。
さて、私は一足先に朝食を終え、再び散策へ。


あわの抄の門を出て左(南方向)を向くと、こんな感じで道が二手に分かれています。


中央の家の右側にある道は、前日国道の方から上って来た道、左側の道はあわの抄の南側にある施設や小さな公園へと続く道です。
既に廃寮となっているらしい中学校の寮を左手に見ながら進むと、突き当たりに門らしきものが現れました。


デイサービスセンターの表札と一緒に、「池田町白地児童公園」の札も掲げられているので、入っても大丈夫なようです。
この門を入って、デイサービスセンターと寮の建物の間の道を進んで行くと、寮の建物の東側(写真奥の木が生えている辺り)に、大西神社があります(前編に掲載した手書きの地図もご参照下さい)。


この写真、右にある建物がデイサービスセンター、左の建物が廃寮になっている寮。
こちらがその大西神社。


鳥居の奥にある階段を上ったところに、小さな祠が建っています。


探していた石碑は、この写真で見ると、ちょうど鳥居の真ん中辺り、木の後方に見えています。
「白地城址」の石碑。


北側のあわの抄の敷地と、先ほどの寮、デイサービスセンター、この大西神社、それから、南端にある児童公園がすべて、白地城の敷地だったようです。


案内板もいいですが、こういう石碑を見ると、多少実感が湧いてきますね。
更に南へ行くと、短い階段があり、少し下がったところに、児童公園があります。
児童公園。


南西の方角を向いて撮っていたようで、奥に見えるのは、どうやら天神山のようですね。
8時頃チェックアウトし、あわの抄を後にします。


桑原先生のおっしゃる通り、作中の記述とは異なる部分もあったものの、雰囲気は感じ取れました。白地戦の舞台となった場所を見て、泊まれただけでも満足です。
来るときに上って来た坂道を下りていきます。
途中で振り返ると、先刻見た児童公園が上の方に見えました。
国道32号との分岐点まで下りてきました。


前日は、阿波池田駅から歩いて来たので、写真手前の方(北)から来ましたが、この日は三縄駅から電車に乗るので、国道32号を先の方(南)へと歩いて行きます。
民家が両脇に並ぶ国道を南下していきます。
「三好橋」までやってきました。


池田大橋のところで触れましたが、三好橋は白地戦の折、嘉田隊が受け持っていた場所です。


三縄駅は、吉野川の反対側にありますので、この橋を渡って行きます。
三好橋から下流の方を向いて。


あわの抄は山肌に隠れて見えていません。


縮小した画像ではわかりにくいですが、遠くに池田大橋と池田へそっ湖大橋が見えます。
こちらの写真では、二橋ともうっすらと確認できますね。


橋の上から土讃線を跨ぎます。
橋を渡り終え、右折してしばらく進むと、再び右へ折れる道の突き当たりに三縄駅が見えてきます。
三縄駅は、郷愁を誘う木造駅舎。錆びた跨線橋もいい味出してます。もちろん?無人駅ですよ。


前年、特急列車の車窓から通過するこの駅を撮ったのを思い出します。


あわの抄からは、歩いて20分ちょっとでした。
三縄と言えば、ミラージュ的にはもちろん、三縄郵便局。当然、見に行きますが、ぱらぱらと雨が降ってきてしまったため、一旦駅舎に入ってポンチョを着用します。

カッパじゃなくて、ポンチョ。背中に大きなリュックを背負っていますし、前は首からカメラを提げているので、ポンチョが最適なんですよ。そのまま上からスポッと被れますし、写真を撮りたければ前をめくり上げるだけでOK。

写真は、駅舎の中からホームを見て。
駅舎の中に、「きっぷは駅前の根来商店で発売しています」という貼紙があったので、相方に購入を任せ、私は郵便局へ。


写真左のお店がその根来商店。でも、途中の駅までの分しか買えず、結局電車の中で追加購入することに。
先刻、三縄駅へと右折した交差点から、南へ伸びる一本山側の道(県道269号)があり、そこを真っ直ぐ行くと道路の右側に三縄郵便局があります。三縄駅からは徒歩5分ほどの距離。

23巻で武藤医師から話を聞き、祖谷で高耶の足取りを掴んだ直江は、その後、例のヌード写真がこの三縄郵便局から発送されたことを突きとめたのでした。

<調べるうちに例の写真の投函場所も判明した。池田市の三縄局。JR三縄駅のすぐ近くの郵便局だ。(略)「三縄って、旦那。白地城のすぐ近くだぜ」 目と鼻の先と言っていい。吉野川の対岸が城跡だ>(23巻『怨讐の門 青海編』60ページ)
直江と一蔵は、実際この三縄郵便局を訪れたわけですが、潮がヌード写真の他に発送した荷物が、室戸岬と中村宛だったと聞き、赤鯨衆が絡んでいることを悟った一蔵は、一旦直江の元を去ったのでした。

一方、直江にとっても、この三縄郵便局で得た情報は、高耶さんが赤鯨衆にいるという決定打となる重要なものでした。

高耶さんのヌード写真、ここから発送されたのか…と思うと、感慨深いものがあります(笑)。
三縄駅に戻りまして、8時47分発の土讃線に乗車します。


三縄駅は特急は停まりませんので、途中の大杉駅まで各駅で行き、乗り換えます。
三縄駅を過ぎると、土讃線は鉄橋を渡り、吉野川の西岸を走るようになります。


写真は下流方向(北)を向いて。
そして、次の駅「祖谷口」駅に着く少し手前。推定ではありますが、もしかしてここがモデル?と思われるスポットを通過します。

「ウッディレスト渓流館」という食堂です(写真右の建物。進行方向左側の車窓より撮影)。白地戦の直前、高耶さんら遊撃隊が待機していたレストハウスというのが、ここではないかと…。

<高耶たちは要請が入るまで、後方の、国道沿いの古ぼけたレストハウスに待機する。休日とあってツーリングを装えば、そう不自然には見られないはずだ。個室を借り切って作戦ルームにしていた>(22巻『魁の蟲』101ページ)
レストハウスの場所については、上記の「後方の、国道沿い」ということしか書かれていません。それと、高耶さんはレストハウスから出て、下を流れる吉野川の河原にいたらしいので、傍に吉野川があることが手がかりです。

こちらのウッディハウス渓流館は、国道32号沿いにあり、すぐ下に吉野川が流れているので、記述と合致します。「後方」というのはどうでしょう…。目的地の白地城から大分離れているような気もしますが、彼らの出発地が剣山麓のアジトであることを考えれば、まあまあ「後方」と言える位置かもしれません。

他のミラージュ関係のサイトさんを拝見しても、ここを取り上げていた方がいらっしゃるようでしたので、やはりここと考えていいかと。祖谷口駅から歩いて行けるようなので、機会を見つけて行ってみたいです。
その後も、列車はしばらく吉野川に沿って走ります。
水面は美しいエメラルドグリーン。
大歩危駅に停車。


前年はここで下車して、祖谷のかずら橋の方へ向かったのでした。
車内は比較的空いています。


それでも、この日は土曜日で、青春18きっぷの利用可能期間でもありましたので、鉄道ファンらしき子供やおじさんが複数乗っていました。出会ったばかりの鉄道ファン同士が仲良く話していたりして、車内はほのぼのとした雰囲気。


土讃線は車窓の風景も見応えありますしね。18きっぷを利用した旅も良さそうです。
大杉駅に到着。ここで特急列車と待ち合わせします。


私たちは高知までなるべく急ぎたいので、ここで特急に乗り換え。きっぷは乗り換えた特急内で車掌さんから購入しました。


ちょうどこの大杉駅に着いた辺りから晴れ間が見えてきました。
10時37分、高知駅に到着。


高知の天候は晴れ。前年の桂浜のリベンジが果たせそうです。


写真は、高知駅前にある観光案内所「とさてらす」。ミラツアを始める前に、先ずはここに立ち寄ります。
入手したのは、MY遊バスの1日乗り放題券(1,000円)と、龍馬パスポートの申請ハガキ。


龍馬パスポートってご存知でしょうか。高知県内の観光施設や食事処、道の駅、宿泊施設等を利用すると、スタンプを押してもらえて、スタンプがたまると色の違うパスポートに順次ステージアップしていくというシステムで、参加施設でパスポートを提示すると様々な特典が受けられるというものです。なお、ステージアップすると、抽選で県産品が当たったり、上の方のランクではもれなく宿泊券がもらえたりするそうです。
その龍馬パスポートを入手するには、先ずはこの申請ハガキを手に入れ、3つスタンプを集めなくてはなりません。

これを手にしたということは、私たちは今後、結構本気で高知を旅するつもりだったりします…。

とさてらすで買い物もしたので、早速ひとつスタンプを押してもらいました。


先ずは高知市内の地図を確認してみましょう。



竹林寺→桂浜→雪蹊寺の順に回り、夜ははりまや橋近くのビジネスホテルに宿泊します。



竹林寺と雪蹊寺は前年取りこぼしたスポット。桂浜は行きましたが、残念ながら雨だったんですよね…。それに、龍王岬に行っていませんでしたし、浦戸大橋も見ていなかったので、今回はその雪辱戦です。



高知城は一応地図に載せましたが、前回行きましたので、今回は行きません。
高知駅前11時発のMY遊バスに乗車しました。


バスははりまや橋交差点を左折し、竹林寺のある五台山の方角へと向かいます。


写真ははりまや橋交差点の少し手前にて。


前回の高知ツアーでも触れましたが、ここは、高耶さんを含む裂命星輸送団が通った場所です(輸送団は交差点を右折して県庁前の方へと向かいました)。
国分川河口に架かる青柳橋を渡った後、バスは五台山の山道を登っていきます。

<一蔵の指示で、五台山に向かうことにした。五台山は高知市の東にある標高一四〇m小さな山で、竹林寺という県下有数の名刹があることで知られている>(22巻『魁の蟲』199ページ)

高耶さんの足跡と裂命星の行方を追っていた直江と一蔵は、赤鯨衆に通じている人物がいるという竹林寺に向かったのでした。


五台山山頂付近の地図です。例によって、赤字はミラージュに出てきた場所、緑字はミラージュとは関係なく立ち寄った、或いは目印となるような場所。黄色い線は歩いた経路(右下部分、薄い黄色は県道の印ですので違います)、オレンジの線は運転のできない一蔵が車で逆走したと思われるルートです。

本堂、大師堂、五重塔、山門、客殿は、すべて竹林寺の寺域内になります。

11時24分、竹林寺手前の五台山展望台バス停にて下車。バス停の目の前に駐車場があります。

<直江は(略)、五台山頂の展望駐車場に来ていた。高知市街が一望できる。展望台には少し冷たい風が吹いていた。鮎川はずっと怖い顔で直江を後ろから睨みつけている。五ヵ月ぶりの再会である>(22巻『魁の蟲』204ページ)

竹林寺で偶然の再会を果たした直江と鮎川が来たのが、恐らくこの駐車場。

物語の順序的には竹林寺から見た方が良かったんですが、そうすると坂を登ってこなくてはならなくなるので、ここで降りた次第です。
実際には「展望駐車場」ではなく、「展望台駐車場」らしいです。展望台の最寄の駐車場、ということですね。

五台山には他にも駐車場があり、全てチェックしに行ったわけではないんですが、@山頂の駐車場であること、A見晴らしが良いこと、B竹林寺から近いこと、C車で来ると、竹林寺方向からは逆走となること(一蔵が竹林寺から駐車場まで車で逆走していることから)、等から、彼らが来たのはこの駐車場でほぼ間違いないかと。

上杉に戻ってくれと、鮎川が土下座したのはどの辺りでしょう。
しかし、鮎川って、ひたすら可哀想なキャラクターですね。苦労ばかり背負って。でも何が一番可哀想かって、振り回され、親友だと思っていた男のことを、本当は微塵も理解できていなかったことでしょうか。あ、あと、「現代で気に入った唯一の食べ物」がフライドチキンだという辺りも結構可哀想かも(笑)。

駐車場から見渡せるのは北側の市街地です。はりまや橋等の繁華街は北西の方角なので、左の方を向けばぎりぎり見える感じですね。

なお、直江が去った後に、鮎川が浦戸湾を見下ろすシーンがありましたが、実際はここからは浦戸湾は見えませんでした。
次は竹林寺に向かおう…としましたが、折角なので展望台に寄ってみることに。


写真の撮影位置の右手前から後方が先刻の展望台駐車場。展望台はこの少し先、右手の方にあるようです。


因みに、一蔵が直江を車に押し込み、走り去ったのは、「坂の下へと」という表現がある(22巻211ページ)ので、写真左手前の方向になります。竹林寺から逆走してきた一蔵、結局逆走のまま山を下りていったんですね…。
遊歩道のような道を歩いて行くと、展望台の建物が見えてきました。


後で調べたところによると、五台山にはかつてロープモノレールが運行しており、この展望台は、当時の山頂駅だった建物なのだそうです。
最上階に上ってきました。


ここは360度、周囲を見渡せます。


建物から突き出た展望所まであります。
こちらは、西側の高知の市街地方面。


縮小前の画像では、中央辺りに高知城の姿も確認することができました。


写真手前を横切るように流れているのが国分川。架かっている橋は先ほど渡ってきた青柳橋ですね。その向こうに見えるのは鏡川(『赤い鯨とびいどろ童子』に出てきましたね)です。
こちらは南側。


浦戸湾や桂浜(山の向こう側)の方角を望めます。
東側を見ると、テレビ塔と竹林寺の五重塔が見えます。
展望台を出て、バス停の辺りまで戻って来ると、竹林寺へと降りられる階段があります。
木漏れ日の中の長い石段を降りていきます。


竹林寺で再会した直江と鮎川は、もしかしたらこの道を歩いて駐車場まで行ったのかもしれませんね。恐らく、どちらが誘うともなく、無言でこの道を登っていったのでしょう。
この階段を降りていくと、竹林寺の裏手の方に辿り着きます。


五重塔を右手に見上げながら進みます。


逆光でよく見えませんが、下の方には、無数のお地蔵さんがいらっしゃいます。
裏から入ってしまいましたので、一旦、大師堂の前を素通りし、長い石段を降りて、正面から入り直しましょう。
石段を一番下まで降りてきました。


ここが、竹林寺の表門です。


石段の左側の道路に、車両進入禁止の標識があります。五台山の中の道はほどんどが一方通行のようですね。一蔵はこの道を、駐車場まで逆走したと思われます。
そして、上の写真の位置で、反対側を向くと、おみやげ屋さんが。


<山門前のみやげ屋の脇に車を停め、一蔵のあとをついて寺に入っていった>(22巻『魁の蟲』199ページ)


「みやげ屋」というのは、このお店のことのようですね。お店の左側に回ってみると…
こんな感じ。車を停めるスペースがあります。


写真の白いタクシーの向こう側に石段があります。


二人はここに車を停め、竹林寺へと入り、境内で鮎川と再会した直江は、(恐らく先刻の裏道を通って)展望駐車場まで行き、取り残された一蔵は、ここまで戻っても直江がいないため、仕方なく見よう見真似で運転し、駐車場まで逆走した、ということかと思われます。
<軽口を叩きながら、石段をひょいひょい身軽にあがっていく>(22巻『魁の蟲』200ページ)


一蔵は、この竹林寺が「はりまや橋で坊さん簪買うを見た」の坊さんがいた寺なんだとか、自分は恋もままならない坊主なんかにはなりたくないだとか言いながら、この石段を上っていったのでした。


今君の隣にいるのは、(元)色欲坊主だけどね、と教えてあげたくなる一幕でした(笑)。
<「五台山」と書かれた風格ある古めいた山門をくぐると、石畳が延びている。少し前なら紅葉が美しかっただろう。赤い五重塔が見えてきた>(22巻『魁の蟲』200ページ)


こちらがその山門。確かに「五台山」(実際は「五臺山」と旧字体で)書かれています。立派な山門です。
山門をくぐると、短い石段の後、美しい石畳の道が延びています。


確かに、紅葉の時期は見応えあるだろうなと思いますが、冬枯れの境内も悪くないですよ。


彼らがこのお寺に来たのは12月。私が行ったのもちょうど12月でしたから、彼らが見たのとほぼ同じ景色だと言えますね。
参道の両側には、見事な苔が。


冬の木漏れ日も、雰囲気ありますね。
石畳が途切れると、再び石段が現れ、その途中で五重塔が見え始めました。


古くて趣きのある石段です。
<目の前を白いお遍路姿の一群が横切っていく。杖の先の鈴が軽やかな音をたてていった。四国霊場第三十一番札所で、八十八の結界点のひとつでもある>(22巻『魁の蟲』200ページ)


写真を撮っていたら、奇しくも団体のお遍路さん登場。


本堂にお参りした後、大師堂へと来られたようです。
<入母屋造りの本堂は名刹らしい落ちついた雰囲気だ。木々も立派なものが多く、緑の季節には堂宇が埋もれるほどだろう>(22巻『魁の蟲』200ページ)

<一蔵はきょろきょろあたりを見回した。目指す相手は見あたらない。「変だな。ちょっと探してくる」といって一蔵は庫裡のほうへ走っていってしまった>(22巻『魁の蟲』200ページ)

本堂は大師堂と向かい合うように建っています。写真奥の建物が本堂。

庫裡らしき建物はこの周辺では見あたりませんでした(右の建物は、お守りやお札の販売所)。この後立ち寄った山門脇の客殿に「本坊」と書かれていましたので、そこが庫裡ということなのかもしれません。
<残された直江は大師堂の前で、そばにあった冬枯れの桜の木を見上げた>(22巻『魁の蟲』200ページ)

<直江は、どこか懐かしい感じのする茅葺きの本堂を眺めていた。(略) その本堂から歩いてきた旅行者とおぼしき男が目に留まった。(略) 片手になぜかフライドチキンをかじりながら、熱心にメモのようなものを読みながらこちらに歩いてくる>(22巻『魁の蟲』200〜201ページ)

直江目線で、大師堂の前から本堂の方を向いて。鮎川がフライドチキンを落としたのはどの辺だろう…。


改めまして、こちらが直江が立っていた大師堂前。写真右奥には五重塔があり、左手前には…何と、直江が見上げたという「冬枯れの桜の木」がちゃんとあるじゃないですか。幹は折れてしまったのか、途中で切られてしまっていますが、脇から枝が幾本も伸びています。作中の記述通りの光景に、ちょっと感激。直江がここに立っていたんだ…としみじみしてしまいました。

竹林寺と言えば、直江と鮎川とフライドチキン(笑)が先ず頭に浮かびますが、他にも舞台となったシーンがあるんですよね。

26巻『怨讐の門 黒陽編』178ページ〜では、夜の竹林寺で、牛鬼&ミホVS黒の僧兵の壮絶なバトルが繰り広げられました。人間に戻るために札所を破壊して回る牛鬼らと、四国結界を守るため高野山から派遣された黒の僧兵たち。そして、あまりに過酷なミホの運命を案じ、牛鬼たちに味方する長秀。長秀って、やっぱり良い人なんだなあ(笑)。織田についたのを知った時、初めは長秀らしくないと思ったんですが、彼のことだから、自分が織田にいることで、闇戦国解決の何らかの糸口が見つかるかもしれない…という考えがもしかしたらあったのかもしれませんね。まあ、上杉に嫌気が差したというのは本心だと思いますが。この闘いで、ミホは本堂の茅葺き屋根から登場し、少女の残忍な攻撃に倒れた僧の血で石畳は血に染まりました。ミホ強し。しかし、ケベスを想うあのひたむきさには、さすがに胸が痛みます。

また、40巻『千億の夜をこえて』85ページ〜では、嶺次郎たちの留守を守る卯太郎が、、この竹林寺で死遍路の誘導に走り回っていました。今空海が消えたことに困惑している死遍路たちをなだめ、皆の無事を祈るよう諭す卯太郎。あの幼かった彼が、だいぶ成長しましたね。そこへ、ハトの会を率いた晃焔が結界点を潰しに山門へと現れると、卯太郎は遍路を守るため、晃焔の二丁拳銃の前に立ちはだかったのでした。そして、死遍路たちの唱名が響く中、霊体となった獣見阿闍梨が現れ、晃焔を窘めると、後七日御修法への協力を申し出た…という一幕でした。

浦戸から近いこともあり、竹林寺は結界点としてもかなり重要な役割を担っていたのでしょう。

長い石段を再び降りていくと、山門を過ぎてすぐ左の方に、竹林寺の客殿があります。ネットで見ると、「客殿」と書かれていたのですが、表札には「本坊」とあります。客殿を持つ本坊ということらしいですね。


一蔵が走っていった庫裡というのは、ここのことでしょうか。因みに納経所もここにあります。


こちらの本坊の庭園と、宝物館は有料で拝観することができます。
竹林寺の拝観を終え、次のバスの時間にはまだ間があったので、坂を少し上ったところにある、お土産屋さんにやってきました(直江たちが車を停めたお土産屋さんとは違います。前出の地図参照)。


柚子最中が乗っている柚子ソフト。やっぱり高知の柚子は最強です。
柚子ソフトを食べ終わってもまだ少し時間があったので、一蔵が逆走していった、竹林寺前から駐車場へ向かう道をちょっとだけ歩いてみました。


こんな感じの細い道です。逆走して来られたら、かなり怖いですね。
竹林寺前、13時9分発のMY遊バスに乗車。桂浜を目指します。


写真は、浦戸大橋に差しかかったところ。


前年は、浦戸大橋を通っていませんでしたし、見てもいませんでした。
進行方向に向かって右側の車窓から浦戸湾を見下ろして。


写真右側の海岸に、長秀が山中鹿之介とともにこの橋を見上げていたと思われる港が見えます。


今回は、桂浜を見た後、桂浜側から、この浦戸大橋を見てみる予定です。
13時30分、龍馬記念館前のバス停に到着(写真は乗ってきたバスを振り返って撮影)。


ここから道路を少し上ったところに、例の桂浜荘があります。


前回も載せましたが、一応今回も桂浜周辺の地図を…。


赤字はミラージュスポット、緑字はそれ以外の目印、( )付の場所は今回は立ち寄っていない場所。オレンジ色のラインは、桂浜荘の方から龍王岬(りゅうおうざき)へ下る遊歩道です。

桂浜荘駐車場にある浦戸城の石碑。石碑左側から伸びている階段を上がっていくと、天守跡に着きます。


前年行ったので、今回は素通り。詳しくは前回の四国レポートを見て下さいね。
こちらが桂浜荘。前回は雨の中でした…。あの時、中に入ってお土産コーナーだけでも見たかったんですが、カッパ脱ぐの面倒で止めたんですよね…。


今回は、ここでランチを頂きますよ。


この国民宿舎・桂浜荘は、赤鯨衆の浦戸アジトとなっていた建物です。こちらも詳しくは前回のレポートを参照して下さい。
桂浜荘の玄関。12月も後半ですから、門松が飾ってありますね。


赤鯨衆の皆、ここから出入りしてたんでしょうね。もちろん、高耶さんも。
それでは、いざ、浦戸アジトに初潜入!


こちらは玄関入って右側。フロントがあり、その左奥の方にレストランがあります。
こちらは玄関入って左側。お土産品を売っている売店「こじゃんと」があります。

「こじゃんと」という方言を聞き慣れているような気がするのは、やはりミラージュの影響ですよね…。

ランチを頂いた後、こちらの売店で買い物しました。え?これってもしかして赤鯨衆グッズ?なんて思いたくなるような小物もあったりして。最後にご紹介します。
フロントの奥にあるレストラン「きてみいや」。


ランチには遅めの時間でしたが、そこそこお客さんが入っている様子。
赤鯨衆の皆さんは、ここを食堂として使っていたのでしょうか。


一旦そんな風に思って見ると、もうここがレストランというより食堂にしか見えなくなり…(笑)。


威勢の良い隊士たちに紛れて、仰木隊長も浦戸に滞在している間はここでご飯を食べたのかもしれませんね。
窓際からは、青い海が見下ろせます。
食べたのは、鰹たたき丼。


鰹のたたきはもちろん旨い。下にたっぷり敷いてあるタマネギもいい。素揚げのニンニクチップもよく合う…。


そんなに期待していたわけじゃなかったんですが、思っていたよりかなり美味しかったです。


高耶さんもきっとここで、鰹のたたきを食べたことでしょう。魚好きですもんね。
MY遊バスの乗り放題券を見せると、コーヒーを1杯サービスしてくれるという特典が実はありまして。折角ですので、頂きました。


桂浜荘、大満足です。いつか泊まってみたい…。
お腹も満たされたところで、浜の方へ降りていきます。


前回は、桂浜の方へ降りたので、バス停付近から伸びる「椿の小径」という遊歩道を通りましたが、今回は龍王岬に行くので、また別の遊歩道を行きます(前出の地図参照)。
鬱蒼とした森の中の遊歩道をひたすら降りていきます。
遊歩道を下ること数分、太平洋が見えてきました。
中央の、木が数本生えている岩山の上に見晴台があります。


どうやら、あそこが、『赤い鯨とびいどろ童子』のラストシーンで嶺次郎と草間が訪れた見晴台のようですね。
右(西)の方を向くと、西陽にきらめく海がきれいです。


この時はまだ気づいていなかったんですが、遥か海の向こうに、実は足摺岬が見えています。
見晴台はもうすぐかと思いきや、道はまだまだ下って行き…
結局、浜の方へと降りてしまいました。


龍王岬へ行く遊歩道と言っても、結局は一度、龍王岬近くの浜に降りて、そこから再度龍王岬に登らなくてはならない、ということのようです。
階段を降りた付近から見た桂浜。


龍頭岬(りゅうずざき)の方角です。龍頭岬は今回は行きませんが、22巻で中川先生が木偶の平四郎から闇戦国の動向を聞いた場所です。こちらも詳しくは前回のレポートをご覧下さい。
逆側を向けば、すぐ目の前が龍王岬です。
階段を上っていきます。
階段の先には鳥居が。
その鳥居を潜ると、左手に小さな祠があります。


この海津見(わたつみ)神社は、海の安全を司る神様として信仰されているそうです。


青い空、紺碧の海に囲まれた場所で、小さな祠の朱色は非常に鮮やかに見えます。
ここから真っ直ぐ南を向けば、鯨も泳ぐ大海が目の前に広がっています。


ほんと、今回は天気に恵まれて良かった…。
西の方に目を転ずると…、この時気づきました。遥か彼方に伸びる陸地が、あの足摺岬であることを。太陽の真下辺りが、ちょうど岬の先端です。

この場所で、足摺岬を遠くに発見した瞬間が、私にとってはこの旅のクライマックスだったように思います。

写真右の松の木のすぐ上が見晴台です。
足摺岬を望遠で。

ああ足摺岬。こんな遠くからですが、生まれて初めて、この眼でその地を見て、万感の想いが込み上げてしまいました。色んなことがありましたよね、足摺では。

補陀落信仰の地、足摺が、旅立ちの場所であるならば、高耶さんも正に、この足摺で新しい一歩を踏み出したのだと言えると思います。妙な言い方ですが、死後、初めて自分の足で人生を歩み始めた、そのきっかけとなった地ではないかと。直江との再会もありましたしね。
そして、ここから見えるのは足摺岬だけではありません。


東の方を向けば、室戸岬も見えるんです。


左の方から水平線の上に延びている陸地の先端が室戸岬です。
目指す見晴台は、実はここではなくて、もう少し先です。


写真は海津見神社の前から、見晴台の方を向いて。
逆光を浴びて、何だか神々しい雰囲気に。
狭い見晴台ですが、ここから望む風景は実にダイナミック。


<草間と嶺次郎は、竜王崎の見晴台にあがった。「くー。寒いのう」 いくら南国土佐とはいえ、真冬の海風はこたえる。草間は寒さに強いのか、震える嶺次郎を笑ってみていた。(略) 東南に向く桂浜では、夕陽は背後に落ちるので見ることができないが、竜王崎にのぼると、右手にどこまでも延びる真っ直ぐな海岸線を一望することができる。太平洋の大きさが実感できるここが、嶺次郎たちのお気に入りだった>(
『赤い鯨とびいどろ童子』185〜186ページ)

二人は、この場所で色んなことを語り合っていましたね。亡くなった庵主様のこと、強敵・安芸国虎のこと、赤鯨衆の今後のこと…。

<行く手には、雑草たちを真の鯨にするための試練が待っている。(行っちゃるしかない。行けるところまで) 西の空が燃えている。世界は震え立つほど美しい顔をして、彼らを待ち受けている。「“我成すことは、我のみぞ知る”じゃ。行こう。草間さん」>(『赤い鯨とびいどろ童子』191〜192ページ)

その美しい世界に飛び込んでいった彼ら二人の運命を思うと…。彼ら自身、まさか自分たちが反目し合うことになるとは思いもしなかったでしょう。草間さんは、あの高耶さんへの拷問の一件から、どうしても悪役的な見方をしてしまいますが、元はと言えば、嶺次郎とは赤鯨衆の黎明期に辛苦をともにした無二の友であったはずなんですよね。
思えば、ミラージュの人間関係って、そういうのが多いような気がします(無論、現実にもあることではありますが)。敵味方が複雑に入り組んでいるというか、敵と味方は紙一重…と言うか。味方であったものが敵になり得るし、敵であったものも味方になり得る。そもそも、敵とか味方とかって、一体何なんだろう…って、思ってしまいます。人間の立場なんて人それぞれ。考え方や利害の差なんて誰との間にもあるはずなのに。それが小さければ味方になり、少し大きければ敵になるのでしょうか。もちろん、そういう些細な違いにどうしても許しがたいものを見出してしまうのが、人間の哀しい性なんでしょうけれども。しかし、ミラージュ本編の最後で、高耶さんがどのように信長をあの世へ送ったかを思うと、敵だの味方だのといがみ合っていた姿は、本当は幻影のようなものなんじゃないかなとも思えたりするんです。昭和編において、景虎様や晴家と心を通わせていた朽木という男が信長だったことは、それを裏付けているような気がしてなりません。そう言えば、そもそも景虎様と直江だって、初めは敵同士だったわけですしね。

※作中にある「竜王崎」は、「竜王岬」または「龍王岬」という表記が一般的のようです(読みはいずれも「りゅうおうざき」)。因みにこの写真にも足摺岬が写っています。
※こちらの写真は、物語のシーンを意識して画像を加工しています。

桂浜から龍王岬を見て。


このアングルは有名ですね。桂浜と言えば、この景色みたいな。


龍王岬の白い階段がここからも見えますね。その左の岩山に海津見神社があり、右の岩山(木が数本生えているところ)に見晴台があります。
桂浜から陸の方を見て。

丘の上に桂浜荘が見えています。その下にあるのは桂浜水族館です。

波打ち際で五色石を拾っていたら、危険なので海に近づかないで下さいという放送が流れ、断念。前年はそんなことなかったんですけどね。その時の状況によるのかもしれません。
浜から上がり、闘犬センターの方にやって来ました。写真は闘犬センターの売店。土産物がいっぱいあります。

因みに、五色石は浜で拾えなくても、この辺りのお土産屋さんの店先で、1袋100円で売っています。

一旦、この土産屋エリアを素通りして、桂浜の反対側へと向かいます。
おお、見えました。さっき通って来た浦戸大橋。


でもここからだとちょっと見えにくいですね。
もう少し先まで歩いて行くと、ようやくきれいに見ることができました。

<よさこいよさこい。と謡って港の埠頭から浦戸大橋を見上げていた若者が、隣にいた山中鹿之介を振り返った。あたりには漁船が何隻も停泊している。浦戸大橋は浦戸湾にかかる立派な橋で下はフェリーがゆうにくぐれるほどの高さがある。対岸が有名な桂浜だ>(22巻『魁の蟲』57ページ)

長秀と鹿之助が浦戸大橋を見上げていたのは、こちら側ではなく、向こう岸の方。
望遠で向こう岸を撮影。

港らしきものは、さっきバスの窓から見えた方、ここからだと橋の少し向こう側になりますかね。しかし、長秀、どこで焼きイカ買ったんでしょう。

さて、無事、桂浜リベンジを成し終え、土産物屋で少し買い物をして、桂浜バス停15時40分発の高知県交通のバスに乗車。
この後、雪蹊寺に行くので、バス営業所で、雪蹊寺最寄の「長浜出張所」までの乗車券を購入しました。

MY遊バスは、高知駅から五台山を経由し、桂浜までの、浦戸湾東側を通るコースを往復しています。浦戸湾の西側を通るコース(南はりまや橋〜桂浜間)は高知県交通の桂浜路線があり、MY遊バスの1日乗り放題券でも乗車できるのですが、片道1回のみという制限があります。桂浜から長浜出張所までより、長浜出張所から南はりまや橋までの方が距離が長いため、1回の制限はそちらに残しておき、長浜出張所までの乗車券は別途購入したというわけです。

前回、桂浜に行ったのに、乗り放題券を買わなかったのは、正にこの制限があったためです。
バスは名残を惜しむように、少しの間、海岸沿いを走ります。


いつか必ず行くであろう足摺岬とは、ここでお別れ。
15時53分、長浜出張所バス停に到着。


ここから雪蹊寺までは徒歩4分ほど。
雪蹊寺に到着。竹林寺と比べれば、随分こじんまりとした静かなお寺です。

四国霊場第三十三番札所・雪蹊寺は、長宗我部家の菩提寺でした。

ミラージュでは、元親の息子・信親の霊を、草間らが大分から招き、ここ雪蹊寺で保護していました。

そして、その信親の霊が刺客に襲われ、消されてしまうという大事件が起き、結果、草間と嶺次郎の考え方の違いがますます浮き彫りになったのでした。
門前から。正面に本堂が見えます。

<門前で嶺次郎を迎えたのは、信親の近習役についていた谷新之丞という若者だった。(略) 「なにがあった。新之丞」 新之丞は青ざめ、答えようとしない。「なにがあったかと聞いちょるがじゃあ!」>(22巻『魁の蟲』152〜153ページ)

白地戦の勝利の余韻も束の間、草間が雪蹊寺に出向いたまま連絡もよこさないのをいぶかしんだ嶺次郎は、車を走らせ、雪蹊寺の門前へと駆けつけたのでした。
<境内に駆け込んだ嶺次郎は、息を呑んだ。雪蹊寺は無残な姿と化している。本堂は半分崩れ、瓦が吹き飛び、梵鐘は落ちて、そのまわりの石塔や石畳も、まるで爆撃にでもあったかのような(「ように」の間違い?)破壊されていた。地面はあちこちが陥没し、電線が垂れて火花を散らしている>(22巻『魁の蟲』153ページ)

いつもながら、ミラージュの破壊活動は凄まじいですね(笑)。

梵鐘が落ちたという鐘楼、確かにありますね。石畳の道もあります。鐘楼の奥が大師堂、大師堂の向こう、石畳の道の突き当たりにあるのが本堂です。
破壊されたという石塔らしきものは、鐘楼と大師堂の間にありました。
垂れて火花を散らしていたという電線も、大師堂の辺りにあります。


写真、大師堂の右に電柱が建っていて、電線が架かっています。
<「草間さんはどこじゃあああ、新之丞!」 新之丞は本堂のほうを指さした。乱暴に突き放して弾かれたように駆け込んだ。(略) 「草間さん!」折れた柱のもとに、草間はいた。芯の抜けた操り人形のように、力なくうなだれている>(22巻『魁の蟲』154ページ)

放心状態の草間が居たという本堂。草間は嶺次郎の仕業と思い込み、斬りかかってきたのでした。
信親公亡き後、雪蹊寺にこもり続ける草間の元に、思いも寄らぬ知らせが飛び込んできたのは、嶺次郎たち裂命星輸送団が剣山を発った直後でした。

<目通りを、目通りさせてくれ! と外で誰かが切羽詰った声をあげている、聞き覚えのある濁声だ。門番の制止を振り切って、庫裡の玄関まで乗り込んだ男が、必死に草間を呼んでいるのだ>(23巻『怨讐の門 青海編』43ページ)

仰木高耶は上杉景虎である。この時の吉村の証言により、後に高耶さんは足摺で拘束される羽目になったのでした。

本堂の左にある、写真の建物が庫裡になります(雪蹊寺内の案内板にて確認)。草間がこもっていた仏間もこの建物の中にあったのでしょうか。
後から気づいたんですが、雪蹊寺には、信親公のお墓があったようです(本堂の奥の方に)。わかっていれば、ちょっと手を合わせたかったですけど…。残念。


今回のミラージュツアーのミッションは、これにて終了。今回もなかなか濃密な四国ツアーでした。


冬至を翌日に控え、早々に傾いた冬の陽が、道路に長い影を落としています。
長浜出張所バス停に戻って来ました。


思っていたより時間がかからなかったため、予定より少し早い16時30分発のバスで高知市街へ。
バスで鏡川に架かる潮江橋を渡ります。


そう言えば、嶺次郎も雪蹊寺に赴く際、車でこの橋を通っていました(22巻151ページ)。


向かう方向と時刻は、嶺次郎が通った時とちょうど逆ですね。
16時50分、南はりまや橋バス停に到着。


夜の高知へ繰り出す前に、一旦チェックインすることにします。
宿泊予定のホテルへは、歩いても行ける距離なんですが、MY遊バスの乗り放題券で、路面電車も乗れる(均一料金区間のみ)ので、折角だから乗ってみようということに。

やって来たのは、アンパンマン電車でした。作者のやなせたかしさんは、高知県と縁があったそうです。
高知橋電停で下車し、ホテルへ向かいます。


写真は、高知橋から見た江ノ口川。


前年もここ通りましたが、高い椰子の木が川沿いに並んでいるこの景色を見ると、高知だな〜という実感が湧いてきます。


高知の市街地の地図を一応。高知城など、周辺のミラージュスポットに関しては、前回のレポートを参照して下さい。

予約したのは、「高知グリーンホテル はりまや橋」。


「はりまや橋」って名前がついてますが、実際ははりまや橋からはそこそこ離れています。


でもまあ、安いのでOK。楽天トラベルで予約して、200円引きのクーポンを使って、2名で4,700円。泣けてくるほど安い…。
当然、部屋はそれなりの狭さですが、どうせシャワー浴びて寝るだけなので、問題なし。
17時半頃、夜の高知へと繰り出します。


写真は、追手筋。ここを真っ直ぐ行くと高知城です。日曜市が開かれる通りでもあります。
事前に食べログで目星を付けていた居酒屋さん「一本釣り」にやって来ました。


アーケード街の中にあります。
店内はカウンターもありますが、昔ながらの座敷。


掘りごたつ式などという昨今の流行には目もくれないこの頑ななスタイル。土佐っ子の心意気を感じさせます。


やはり土佐の酒は胡坐をかいて呑まねばな(笑)。
壁には有名人のサインが貼ってあり、その中に一際目を引く一枚が。


え、蛭子さんじゃないですか。今や、テレ東の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で大人気?の蛭子さん…。


店名に因んで一本釣りのイラストなんて洒落たことしてますけど、どこに行っても名物とは関係なくカツ丼とかカレーとか食べてる蛭子さんがこのお店で一体何を食べたのか、ちょっと気になりますね(笑)。
お酒は「酔鯨」。赤鯨衆の隊士らが好んで呑みそうなネーミングですね。旨みがあり、料理とのバランスが取れる良い食中酒かと。

因みに相方はゆずサワーを頼んでいましたが、本場高知の割りにはゆず感が足りないと言っていました(高知以外で出されたら文句ないレベルですが)。

お通しは、卵焼きと砂肝と海ぶどうでした。う、海ぶどう?

あまり高知っぽくないお通しに多少焦りましたが、メニューはちゃんと土佐名物が目白押しです。
先ずは、どろめ。

<酒盗に、どろめに、ごりの唐揚げ…と言いたいところですが、あいにくプロセスチーズくらいしか…>(コバルト全員サービスCD『20歳の月』より)

どろめって何ぞや…とずっと思っていましたが、要は生シラスのことだったんですね。酒をちびちびやるのに最高です。

因みに、『20歳の月』ですが、桑原先生のHPにアップされたものや、コバルト2011年9月号の別冊ふろくに収録されているものには、このくだりは無いようです。

他にも原作の中で出てきた箇所があったような気もしますが…、どこだかわかりません。
こちらはクジラの竜田揚げ。


やはり、クジラは食しておきたいかなと。


個人的には特にクジラ肉が好きというわけではないんですが、レモンをかけるとさっぱり美味しく食べられますね。
それから、四万十川産の川海老唐揚げ。


これは間違いないです。文句なくうまい。


四万十川と仰木隊長に想いを馳せつつ頂きました。
そして、真打ち登場、カツオのタタキ。


この旅に出る直前の回の「青空レストラン」で、ちょうど高知の柚子を特集していたんですけど、その中で刺身を柚子酢で食べるというのをやっていて(後で確認したらカツオではなくブリだった)、メニューには無かったのですが、店員さんに聞いてみたところ、テレビでやっていたやつですね、と話が通じたようで、柚子酢とお塩でタタキを出してくれました。


これぞ土佐の味!に大感激。とっても美味しいです。塩がカツオの旨みを引き立て、柚子の香りが食欲をそそります。添えられたにんにくスライスももちろん一緒に食べますよ。土佐の男はにんにく臭など気にしないのだ(土佐人でも男でもないけど/笑)。
シメは「龍馬寿司」と名づけられたカツオの押し寿司。

酢飯の具合も良かったですが、やっぱりカツオが旨いんですよねぇ。甘みがあって。

頼みませんでしたが、他にも、「郷士鍋」とか「元親水軍めし」とか「長宗我部家野菜盛り」とか「隼人ステーキ」とか…、ミラージュファンへのサービスとしか思えないような(笑)ネーミングの料理がたくさんメニューに並んでました。隼人ステーキって…室戸衆がモリモリ食ってそうだな。
一本釣りは、一時間ちょっとで切り上げまして、追手筋にある「ひろめ市場」にやって来ました。


前年の四国ツアーでは、最終日のお昼にここに来て、高知のゆずサワーの洗礼を受けたのでした。あの衝撃は、恐らく生涯忘れません。
さっきの居酒屋は謂わば前哨戦。高知の呑みは、ここからが本番ですよ。うふふふふ。


土曜の夜、ひろめ市場はかなりの盛り上がりよう。観光客らしき方々も見受けられましたが、地元の方がほとんどかもしれませんね。
ようやく見つけた席に座り、先ずはもちろん、例のゆずサワー。目の前の「しもだや」さんで注文。


くぅー。これですよ。このゆずの濃さ。


相方がつまみを物色しに行っている間に、呑み干してしまい、もう一杯注文してしまいました。


でも、実は私以上に相方の方が、このゆずサワーに対する思い入れは大きいようで。これが呑みたいがために高知に来たようなものらしいですよ。
20時くらいになると、多少空き始め、席を移動。


折角なので、色んなお店のゆずサワーを呑み比べてみることにしました。
同じゆずサワーを注文しても、微妙にお店ごとに特徴があります。


こちらは、「土佐蔵社中」さんのゆずサワー。ほとんどのお店は350円ですが、こちらは400円。でもその分、グラスがしっかり冷やしてあったり、柚子の風味が濃かったりします。甘さはかなり控えめ。


あれ、結局食べ物って、何を買ったんだっけ?(笑)


相方はまぐろか何かの串カツを食べていましたが、私は何も食べず、ひたすらゆずサワーを呑んでいたようです…。
グラスが並んでますね…。この夜、二人で9杯呑みました。ゆずサワーばかり…。

その中で、一番美味しいと感じたのは、「やいろ亭」さんのゆずサワー。ゆずの風味が濃く、甘さと酸味のバランスが良かったので。

一軒だけハズレかなと思うお店がありました(甘いだけでゆず感が少なかった)が、ほとんどのお店のゆずサワーは、関東から来た人間にとっては感動もののレベル。

来年もまた来よう!と決意して、この日はお開き。

後編では、三日目に行った日曜市の模様や、今回の旅で買った土産物紹介、それと旅の総括を書きます。ミラージュとは直接関係ない部分ですが、よろしければどうぞ。

2014.08.05 up

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