昭和編弾丸ツアー

〜昭和三十年代の景色を探して




◆旅行日:2014年2月16日

◆行程:
※下線はミラージュスポット(推定含む)

◇2月16日:
有楽町駅→(徒歩)→銀座並木通り→(徒歩)→銀座三越→(徒歩)→数寄屋橋交差点→(徒歩)→日比谷公園→(徒歩)→国会議事堂前→(徒歩)→内堀通り→(徒歩)→靖国神社→(徒歩)→市ヶ谷駅→(有楽町線)→有楽町駅→(徒歩)→新橋ガード下→(徒歩)→東京駅

◆同行者:なし


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




ご存知かとは思いますが、2013年12月27日に、『夜鳴鳥ブルース』が発売になりました。待望の炎の蜃気楼昭和編です。

本編初期の頃から「三十年前」の出来事として触れられてきた例のエピソードですが、そもそも本編の開始から相当時間が経っているので、背景となっている昭和三十年代は今からすると五十年ほど前…ということになりますね。

本編のツアーをしていても、既にその場所がなくなっていたり、がらりと様子が変わっていたりすることが多いのに、昭和編のツアーなんてかなりキビシいんですが…、読んだら居ても立ってもいられなくなり…、行って来てしまいました、昭和編弾丸ツアー。


昭和編の主な舞台は東京の都心。数年単位でお店も建物も入れ替わる所が多いですし、しかも高度成長期を迎えたばかりの頃の風景なんてほぼ残っていないと思われますが、現代の東京に昭和の香りを探しつつ、昭和編に登場してきたスポットを巡ってみたいと思います。

先ずは、銀座周辺から。例によって、赤字はミラージュスポット(推定含む)。二つの赤い矢印の間は並木通り。黄色いラインは歩いた道のりです。

物語の背景となった昭和三十年代とは全然違う景色なので、雰囲気重視ということで、今回は写真をモノクロにしてみました。

スタートは有楽町駅。時刻は15時。こちらは中央口付近(銀座側)。写真左手が駅で、右手に建つビルは「東京交通会館」です。このビルは結構古くて、開業は昭和40年だそうです。その前は、戦後の闇市から発展した飲み屋がひしめき合う地域で、近所にあった新聞社の記者たちの溜り場だったのだとか。昭和編の頃は正にそういう風景があったのでしょう。

交通会館の南側には複合商業施設「イトシア」があります。2007年にこのビルが建つ前は、昭和風情の小さなお店がまだこの辺りに残っていたと言いますから、割と最近まであったことになりますね。
交通会館には地方のアンテナショップがあったりするので、以前、日比谷に通勤していた時はたまに寄っていました。B1にあるラーメン屋さんの柚子ラーメンが美味しいんですよ。

こちらは有楽町のガード下の通路。この真上を新幹線が通っています。画面左側にイトシアがあります。因みに新幹線の開業は昭和39年ですから…、昭和編の景虎様や直江は、新幹線を見ることはなかったんでしょうかね…(『夜啼鳥〜』は昭和三十三年のことだそうですが、この戦いは何年続くんでしょうか…)。

画面中央よりやや左にある小さな店舗は「百果園」という老舗の果物屋さんです。創業はなんと昭和26年だそうですので、昭和編の景虎様や直江たちの目にも触れていたかもしれませんね。
<今夜も電車に乗って有楽町で降り、銀座界隈をふらつきながら、まだ浄化できていない霊を見つけて目印をつける>(『夜啼鳥ブルース』60ページ)

笠原尚紀くんこと直江が日課のように怨霊調伏をするシーンです。直江、有楽町駅を使っていたんですね。

写真は有楽町駅付近のガード下。駅前の風景は面影もなく変わってしまいましたが、このレンガの構造物は、昔のままかと思われます。
ウィキペディアを見てびっくりしたんですが、「有楽町の地名は、この辺りに織田信長の弟である織田長益(有楽斎)の邸宅跡地があったことに由来している」のだそうです。知らなかった。こんな所が織田絡みだったなんて…。


さて、私は有楽町駅から少し北上し、首都高の下を通って、銀座へやって来ました。写真は、銀座1丁目と2丁目の間を走る銀座柳通り。
2丁目から、並木通りを歩きます。関東はこの少し前に大雪が降ったため、道端にまだ残雪があります。

<並木通りを歩いていると、向こうから酔ったサラリーマンの集団がやってきた。絡まれないように道を開けた。いいな、会社員は。いっそ怨霊退治も定年制にしてくれればいいのに>(『夜鳴鳥ブルース』62ページ)

前出のシーンで怨霊調伏をした後、レガーロに行くまでの間に直江が通ったのがこの並木通りです。景虎様に会いに、夜な夜なこの道を通ったのでしょうか。それにしても、やさぐれてますね、直江。
今は数々の高級ブランド店が立ち並ぶ、この並木通り、景虎様のお気に入りのバーがあった通りでもあります。

<景虎のいう馴染みのバーは、並木通りにあった。小さな店で、テーブルはなくカウンターだけだ。中で働いているマスターは、五十がらみのベテランで戦前から銀座に店を出していたという>(『夜啼鳥ブルース』100ページ)

直前に言い合いをしながらも、景虎様は「晴家にも教えていない」という行きつけのバーに直江を誘ったのでした。
並木通りは銀座1丁目から8丁目まで続いていますが、銀座4丁目を過ぎ、晴海通りへ出たところで南東に少し進み、晴海通りと中央通りの交わる、銀座四丁目交差点付近にやって来ました。この周辺は日本一地価が高いことで有名だそうです。

画面右の円柱形のビルは、交差点の西角に建つ「三愛ビル」。昭和38年に建てられた結構古いビルです。

その手前には晴海通りを走るはとバスが写っています。「はとバス」という愛称が誕生したのは終戦後数年のことだそう。昭和編の景虎様や直江たちも認知していたかもしれませんね。
こちらは銀座のシンボルとも言える「和光ビル」。銀座4丁目交差点の北角に建って八十年余り(昭和7年竣工)、銀座の時を刻み続けてきました。


もちろん、『夜鳴鳥〜』の昭和三十三年にも、ここに建っていたことになります。
景虎様と直江が山梨の坂口家を訪れている頃、マリーこと晴家は朽木慎治を霊査するため彼と日比谷&銀座デートをしていたのでした。

<デパートの屋上でソフトクリームを舐めながら、とうとう朽木は切り出した>(『夜啼鳥ブルース』122ページ)

当時銀座にあったデパートと言うと、三越、松屋、松坂屋…くらいでしょうか? 私は三越の屋上(と言うか、今風?に言うと「テラス」らしい)に来てみました。
銀座三越の開業は昭和5年ですが、昭和43年には建て直されているようですし、屋上の様子も当時とはまったく違うものになっています。昭和30年代と言うと、屋上には遊園地なんかあったかもしれませんね。休日には家族でデパートに行き、お母さんは買い物、お父さんと子供は屋上遊園地、ランチはそろってデパートの食堂で…なんていう時代でしょうか。

今の三越屋上は、傍にあるカフェで買ったサンドイッチなどを食べることができる芝生広場になっています(この日は雪に覆われていました。なお、12月〜4月は養生期間のため芝生には入れないそうです)。
ひとつ上の写真は、そんな屋上の一角にある「銀座出世地蔵尊」。ここだけ昔の銀座の面影を残しているようです。



三越を出て、晴海通りを日比谷方面へ歩いていきます。
こちららは数寄屋橋交差点。向こうにそびえるビルは「有楽町マリオン」です。竣工は昭和59年ですので、辛うじて昭和の息吹がかかっていることになりますね。

<数寄屋橋がかかる外堀も、今は高速道路を作るためとかで埋め立てられてしまった。黒い鏡面めいた川面にネオンが映る様は風情があったものだが>(『夜啼鳥ブルース』61ページ)

怨霊調伏のため銀座をふらつく直江が懐古する一幕です。有楽町マリオンの手前を走る高架がその高速道路。
数寄屋橋交差点南角から、北東方向を向いて。

画面中央奥から、手前左側へと、外堀通りが走っています。この通りがもともと江戸城の外濠で、その外濠を跨ぐように、ここに数寄屋橋が架かっていた…ということですね。

景色があまりにも劇的に変わってしまっているので、想像力が要りますな。桑原先生も、元々博識な方だとは思いますが、昭和編は色々大変そうです…。
交差点の東には数寄屋橋公園があり、「数奇屋橋此処にありき」と書かれた碑が建っています(写真手前)。


その向こうに見えるのは岡本太郎作の「若い時計台」。太陽の塔に似ていますね。こちらはその太陽の塔よりも早い昭和41年の作。人間の意欲や迸る情熱を表しているそうですが、当時の高度成長期の日本を象徴するような作品と言えるかもしれません。
さて、高速道路の高架下と鉄道の高架下を潜り抜け、日比谷へと出てきました。


前方右手には皇居のお堀、左手には日比谷公園があります。
日比谷交差点の南角から、日比谷通り(北側)を眺めて。

通りの左側はお堀、右側には帝国劇場などの大きなビルが立ち並んでいます。


日比谷通りを渡って、南下すると、日比谷公園とは反対側に大きな建設中の敷地が見えてきます(ひとつ下の写真)。ここは、三信ビルと日比谷三井ビルの跡地です。
三信ビルは、昭和4年に竣工したアールデコ調のオフィスビルで、吹き抜けになった曲線美が美しい天井や四方に巡らされた二階の廊下などは、昭和と言うより何となく明治大正の風情すらあるように感じられました。通り抜けができたので、日比谷から有楽町へ出る時に、よく中を通っていたんです。中に入っているテナントも昭和風情の洋品店とかあったりして、タイムスリップした気分になれたものでした。

日比谷三井ビルは昭和35年に竣工した建物で、ここには三井住友銀行の本店が入っていました。こちらも高い吹き抜けがあって、いかにも昔の銀行!という雰囲気がありました。どちらももう無くなってしまったのかと思うと、寂しい感じがしますね…。
景色が変わっていくのは世の常ですが、埋め立てられてしまった外濠を見て昔を懐かしむ直江の気持ちが、何となくわかるような気がしました。


さて、こちらは、日比谷公園の向かいにある帝国ホテル。開業は明治23年ですが、写真に写っている建物は昭和45年に建てられたものです。このホテルの隣(画像右側)には、かつて鹿鳴館がありました。
日比谷側の中央にある日比谷門から、日比谷公園の中へ。

日比谷公園は110年以上の歴史があり、日本で最初の西洋式近代公園だそうです。

すぐ目の前(正面の木の向こう側)に大噴水があります。雪が結構残っていますね。
<柿崎晴家ことマリーは、朽木とともに日比谷公園へとやってきていた。黄金色の銀杏が美しい。舗道も金色に染まり、枯葉の香りがたちこめている。噴水の前のベンチに座り、マリーはお手製のサンドイッチを広げた>(『夜啼鳥ブルース』121ページ)


二人が銀ブラデートの前に訪れたのが、この日比谷公園でした。この時は枯葉一枚残っていませんでしたが、銀杏の樹もありますし、噴水とその周辺にベンチもあります。
晴家と朽木くんがサンドイッチを食べたのは、この噴水周辺に違いない…と思ったのですが、後で調べてみたら、この大噴水、完成したのは昭和36年だとか。


むむむ…。昭和33年当時に、他の場所に噴水があったのかどうかはよくわかりません。あくまでイメージということかもしれませんね。
木々の向こうに見えるレンガの建物は、昭和4年に建てられた日比谷公会堂。公園の南角にあります。


晴家(綾子ねえさんと呼べないのが少し寂しい…。マリーねえさんと呼ぶべきかな)が来た当時もこの場所に建っていたわけですね。
こちらは10円カレーで有名な老舗洋食店・松本楼。

公園の開園と同時にオープンした松本楼は、関東大震災による焼失、戦後のGHQによる接収、デモによる焼失など、時代の波に揉まれながら今に至っています。

現在の建物は、昭和48年に再建された三代目の建物だそうです。
こちらは雲形池。薄く氷が張っていました。


奥に聳えているのは霞ヶ関のビル群。
公園を突っ切って、霞ヶ関側に出てきました。


こちら側に来ると、いかにも官庁街的な雰囲気が漂っています。


前出の地図の範囲を出てしまうので、ここらで再び載せておきましょう。


日比谷公園を出た後は、国会議事堂を経て靖国神社へ向かいます。地下鉄を使ってもいいかもしれませんが、中途半端な距離ですし、景虎様がタクシーで通った道を辿れるので歩くことにします。

しかし、気がつけば、日比谷公園を出た時点で時刻は既に16時13分。靖国神社の参拝はこの季節は17時まで。日比谷公園から靖国神社まで地図上では約40分と出ていましたから、かな〜りギリギリです。最後に、日が暮れてからのガード下の様子を見たいし、どうせ都内だしで、スタート時刻を遅めにしたんですが、ナメてたようです(今回は本当に弾丸ツアーで、時間配分もろくに設定せずに出てきました)。果たして間に合うんでしょうか…。

と言うわけで、大急ぎで歩きます。

ここは「霞が関坂」と名づけられているようです。画面左側には外務省、右側には国土交通省、総務省などがあります。この日は日曜なので、ほとんど人気がありません。

急いでいるというのに、微妙に上り坂…。
国会議事堂が見えてきました。

道端に警察の人員輸送車らしき車輌が複数台停まっています。何か警備すべき理由があったのか、割といつもそうなのかわかりませんが。

この辺りもほぼ人通りなしです。
<国会議事堂の前は、大勢のデモ参加者で溢れていた。(略)パトカーもたくさん来ていて国会議事堂の前には警官隊がみっしり並び、不測の事態に備えている。頭にタオルを巻いた者たちが両脇の者と腕を組んで、延々と蛇行するように進みながら、声を張り上げている>(『夜啼鳥ブルース』76ページ)

直江が坂口靖雄と知り合いになるきっかけができたのが、この国会議事堂前のデモでした。坂口との接点を持つためとは言え、直江がデモって(笑)。デモ行進って私も見かけたことありますが、今のものと比べ、昔のデモはさぞ凄まじかったんでしょうね。
国会議事堂の前の通りを、お堀の方へ向けて歩いて行きます。


この時点で時刻は16時24分。本当に間に合うんかいな…。
国道二四六号線と内堀通りが交わる三宅坂交差点にやってきました。写真は交差点の南東角から。

画面右の方にお堀があり、左の方で国道二四六号線と交わっています…と言うより、ここが二四六の起点らしい。

<「九段に行ってくれ」 車は国道二四六号線を東に向かって走り出した>(『夜啼鳥ブルース』205ページ)
物語終盤、護法童子によって朽木が堀端を歩いていることを知った景虎様は、彼の行き先を予測して渋谷からタクシーに乗り、国道二四六号線を東に向けて走ったのでした。

写真は、三宅坂交差点付近から、その二四六号線を眺めて。この道を真っ直ぐ行くと渋谷に出ます。

景虎様を乗せたタクシーは、三宅坂交差点で北に折れ、内堀通りを北上したことになります。
ここからはしばらく堀端を歩きます。皇居ランナーの方々がたくさんいました。東京マラソンが近かったからでしょうか。時にはほとんど行列状態で走ってました。どうやら反時計回りに走るというのが暗黙のルールのようですね。死遍路みたいだな(笑)。


景虎様が通った内堀通りは、写真の歩道のすぐ左側。
堀端が長い…、そして堀端を離れてからも長かった…。本当は大した距離ではありませんが、滅茶苦茶急いでいたので、足に鞭打って早歩きしました。時刻は16時48分。何とかぎりぎり間に合ったようです。

写真は内堀通りが靖国通りに接するT字路。内堀通りの突き当たりに鳥居があるような感じです(大鳥居は別の場所)。

<内堀通りから靖国通りに出たところで、景虎はタクシーを降りた。目の前にあるのは、靖国神社の大きな鳥居だった>(『夜啼鳥ブルース』205ページ)


靖国神社と周辺の地図です。鳥居の名称などは、靖国神社のHPを参考にさせて頂きました。
「目の前にあるのは、靖国神社の大きな鳥居だった」とありますが、内堀通りから靖国通りに出たところに建っているのはそれほど大きくない「石鳥居」です(昭和8年奉納。大きくないと言っても、石製鳥居としては最大級らしい)。一番大きな鳥居(第一鳥居)は別の場所にありますが、朽木を追って急いでいる時にわざわざ遠回りして境内に入ることはしないと思うので、景虎様はこの石鳥居を潜って中に入ったものと思われます。私も石鳥居を潜って境内に入ります。

石鳥居から参道までやって来ました。


写真は参道から社の方を向いて。境内の中の参道ですが、結構長いです(この反対側にもまだあるので)。
第二鳥居(明治20年建立)とその奥の神門。


閉門時間ぎりぎりですが、まだ参拝客はいるようです。
<景虎は奥へと進んだ。すでに内苑は閉門している時間だった。金色の菊の御紋が、闇の中で鈍く輝いている。大きな神門は固く閉ざされている>(『夜啼鳥ブルース』206ページ)


朽木が中にいると確信した景虎様は、かんぬきが外されていた門を開けて中に足を踏み入れたのでした。
神門の扉には、確かに金色の菊の御紋があります。


モノクロにしてしまったので、何色だかわからなくなってしまいましたが、ちゃんと金色です。
神門の前から拝殿の方を向いて。

<正面に建つ重厚感溢れる拝殿の前、暗い境内に、男がひとり、立っている。(略) 朽木は、しばらく振り返らなかった。ただじっと、菊の御紋が入った白幕を眺めていた>(『夜啼鳥ブルース』206ページ)

拝殿の前には小さな鳥居(中門鳥居)が建っています。拝殿に掛けられているのは通常白幕だそうですが、この日は紫色の幕でした。何か祭事があると紫色になるそうなんですが、この日に何の祭事があったのか不明です。
こちらが拝殿。

<拝殿の甍を背に、巨大な龍神がいる。長く太い胴体をうねらせ、麒麟のような顔には凶暴な眼が不気味に輝いている。圧倒的な霊威をまとって、景虎たちを見下ろしている>(『夜啼鳥ブルース』213ページ)

景虎様が朽木を説得していたところへ、上空から猛烈な勢いで龍神が飛んできたのでした。賽銭箱のすぐ手前には、朽木の攻撃から美奈子を庇う景虎様がそのすぐ前まで転がった(224ページ)という階段(数段のみの短い階段)があります。
中門鳥居の前から神門を見て。

龍神が現れた後、神門の方(参道の方)からはハンドウと直江が相次いで現れ、更には横から突如登場した高坂も加わり、「龍神VS朽木(信長)+ハンドウ(蘭丸)VS景虎様+直江+高坂」という大混戦になったのでした。

龍神が現れる前、朽木の≪力≫で景虎様が吹っ飛ばされて門に背中からぶち当たるというシーン(210ページ)がありました。どの地点から吹っ飛ばされたかわかりませんが、結構な距離ですね。厳島神社での信長との戦闘シーンを思い出しました(昔は中門鳥居の位置にも門があったらしいので、景虎様が当たったのはその門とも考えられるかもしれませんが…でもそれだとあまりに短すぎるかな…)。
私も一応お参りをし、社を後にします。閉門時刻の1〜2分前でした。

しかし、朽木が信長であったというのは、ワクワクする展開でした。信長の霊が行方不明、チンピラ相手に暴れる朽木が別人のように凶暴…という辺りから、こいつ信長くさいなとは感じていましたが。信長と景虎が互いを知らずに出会っていれば心を通わせることができたかもしれない、親友にすらなっていたかもしれないという可能性を垣間見て、何だか…本編の最後に、景虎様が信長をどのようにあの世へ送ったのかを思い出してしまい、切ない気持ちになりました。
ただ、朽木との関係をもう少しページ数割いて書いて欲しかったかなあという気がします。信長として覚醒する前の朽木くんと景虎様が親しくするシーンをもっと見たかったかなと。


私が神門の外へ出て間もなく、警備員さんが来て閉門しました。時間ぎりぎりに来たせいで、図らずも、景虎様が見たのと同じ、閉門している神門を見ることができました。随分慌てたけど、ラッキーだったかも。
この神門は、昭和9年に完成したものらしいので、昭和編の当時とほぼ同じ姿だろうと思われます。


今回の写真で、当時の様子に忠実な写真は、この一枚のみかもしれません。
第二鳥居の外から第一鳥居の方を向いて。


来る時は、参道途中の石鳥居から入りましたので、帰りは第一鳥居まで行ってみたいと思います。
第一鳥居(大正10年建立)を外側から見上げて。

<鳥居のところまで戻ってきた直江は、もう一度、社殿の方角を振り返った>(『夜啼鳥ブルース』233ページ)

景虎様は朽木を追い、美奈子を背負った直江が靖国神社を後にするシーンですが、これはどこの鳥居を指しているのか定かではありません。中門鳥居は近すぎるので、これではないでしょう。石鳥居の可能性もありますが、社殿の方を振り返るには角度的にいまいち…。「戻ってきた」という表現からは、来る時にも通った場所で社殿からは少し遠いという印象を受けます。やはりこの第一鳥居でしょうかね?
靖国神社は10代の頃一度来たことがありますが、今回改めて来てみて、やはり何となく普通の神社とは違うものを感じてしまいました。

そういう目で見るからかもしれませんが、庶民の平和でありふれた願いを受け入れ、親しまれてきた、ごく一般的な神社の雰囲気とは明らかに違うんですよね。お参りする人の作法が妙に周到だったり、警備員が多かったり、ちょっと怖そうなおじさんが酔っているのか大声で何か叫んでいたり(これはたまたまか)。全体的に何となくピリピリしている感じがして…。
ひとつ上の写真は、第一鳥居を出た後、靖国通りの向こう側を撮影したもの。武道館があり、そのすぐ向こうが北の丸公園です。『七月生まれのシリウス』では、まだ記憶の戻らない高耶さんが、北条の兄たちのことを考えながら夜の北の丸公園を見つめるシーンがありましたね。


さて、ツアーはこれでおしまい…ではないんですよ。最後に残しておいたものを見に行くため、市ヶ谷駅から地下鉄有楽町線に乗ります。左の写真は地下鉄入り口付近。
スタート地点の有楽町駅に戻ってきました。時刻はもうすぐ18時になろうかという頃。

写真は、有楽町駅の日比谷側。画面左に山手線の高架が見えますね。前方が東京駅方向、後方が新橋方向です。

最後に、例のレガーロがあった新橋付近のガード下を見に行きたいと思います。夜の方がレガーロの雰囲気が出るかなと思い、最後に残していた次第です。
有楽町駅から新橋方向に進んですぐのガード下は、昭和風情の居酒屋が数軒並んでいます。レガーロみたいなお洒落な昭和とはちょっと違いますが…。


看板も佇まいも年季が入っていて、どこか懐かしい感じがしますが、この風景もいつまで続くんでしょうか。
日比谷側のガード下を新橋に向かって歩いていきます。

レンガ壁のガード下は、一定間隔でアーチ形になっていて、アーチの下の部分が店舗になっています(入っているところと入っていないところがありますが)。

このレンガ造りの高架は明治時代に造られたものだそうで、築100年以上経っているそうです。
ここは、まだ有楽町にかなり近い地点ですが、新橋駅までずっとこのレンガ構造物を見ることができます(山手線内側部分のみ。私の記憶では新橋の先も少しあったかも…)。


レガーロもこのアーチ形の中のどれかで営業していたのでしょう。
<その店は銀座の繁華街からは、少し外れたところにあった。新橋駅にほど近いガード下だ。時折、頭上を電車が走る。それに伴う震動と騒音も、この店の評判を落とすものにはならない。まるで気にならないほどの熱気がここにはあった。その店の名は「レガーロ」>(『夜啼鳥ブルース』10ページ)

東京〜有楽町〜新橋界隈のガード下の店は何度も入ったことがありますが、電車の騒音って大して気にならなかったような気がしますね。かえって心地いいくらいだったような。それより、あまり広くないので、ここで演奏したら結構大変なことになりそうです。でも、そのくらいのことには構わない大らかな時代だったんでしょうね。
<閉店後、景虎が片づけを終えて出てくるのを、直江が裏口で待っていた。(略) 小柄な加瀬の体は、長身の笠原に至近距離で立たれると、見下ろされる形になる。景虎は振り払おうとしたが、直江はそれをさせず、ガード下のレンガ壁に彼の背中を押しつけた>(『夜啼鳥ブルース』95〜96ページ)

相変わらずだな直江。いや、こっちが先だから、相変わらずだったのは本編の直江の方か(笑)。

賢三さん(この呼び名、新鮮だ…)が背中を押しつけられたレンガ壁はもしかしてここかな〜と胸をトキメかせながら(笑)、新橋に向かって歩いて行きます。
だいぶ新橋に近くなってきました。

線路の向こうに聳えるのは、汐留辺りの高層ビルです。

新橋寄りのガード下は工事中で店舗が入っていないところが多かったです。古い構造物ですから、補強工事でもしてるんでしょうか。
新橋駅のすぐ手前辺りに、ガード下に入居しているローソンを発見。

明治に造られた高架下にローソンって…すごい画ですね。

この辺りの高架下に入っているお店はほとんどが飲食店ですが、意外と若い人が喜びそうなお洒落な感じのイタリアンとか、ドイツ系居酒屋とかが目につきます。
新橋駅に到着。

こちらは日比谷口付近。このSL広場はよくニュース番組などの街頭インタビューで使われてますね。サラリーマンの意見を聞く場所のド定番という感じです。

この日は日曜なので閑散としていますね。
駅を背にして見るSL広場。中央下の方に展示されているSLが写っています。

ウィキペディアによると、この広場は、昭和20年代後半から30年代初めまでは街頭テレビが設置され、多くの人で賑わっていたそうです。

駅前には多くのビルが建っていますが、この辺りは少し歩いていくと、終戦直後からありそうな古い店舗や民家なんかも残っているんですよね。散策してみると面白いかもしれません。
こちらは、SL広場の南に建っているニュー新橋ビル。

11階建てのオフィスビルですが、低層階は商業フロアになっていて、食堂、飲み屋、喫茶店、ゲーセン、マッサージ等のテナントが入っています。これぞサラリーマンの憩いの場的なビルです。昼間行くと、仕事をさぼっている?営業マンがゲーセンに入り浸っている様が見られます(笑)。

昭和46年竣工だそうですので、昭和編当時にはまだなかったわけですが、昭和の気分にどっぷり浸れるスポットです(今回は入りませんでしたが)。特に地下は雰囲気のある飲み屋さんが多いですよ。
山手線内側のガード下を歩いてきたわけですが、反対側はどうなっているかと言いますと…、こんな感じで、レンガの構造物は見ることができません。有楽町〜新橋間は高速道路が併走して走っているので、反対側からは山手線の高架下は見えず、高速道路の高架下になっています。この辺りは、より洗練された雰囲気のお店が多いようです(とは言え、高架下なのでバカ高い高級店という訳ではなく…)。

このままこちら側を歩いて有楽町駅まで戻ることにします。
再び有楽町駅まで戻ってきました。


今度は、また山手線内側に戻って、東京駅まで歩きます。
有楽町から東京駅までの間のガード下もたくさん飲食店があります。ここら辺は、かなり庶民的なお店が多いイメージです。


ひとりじゃなければ、ここらで適当なお店に入って、一杯ひっかけたいところなんですが…、あいにく今回はひとりなので…。
東京駅のすぐ手前まで来ました。


画面左に写っているのは、2013年3月にオープンした商業施設「KITTE(キッテ)」。旧東京中央郵便局舎の構造躯体を活かしつつ改修したそうで、外観はほぼ完全再現だそうです。東京駅と並んで、レトロ且つ華やかな外観が素敵です。
今回の旅のラストは東京駅。

復元工事が終わってから、乗り換えなどで利用することはあっても、駅の外観を見に来たことがなかったので。

今年(2014年)は東京駅開業100周年だそうですね。100年前に既にこの外観だったとは…。ちょうど昭和編の頃(昭和33年)には、高層ビルに建て替える構想もあったとか。当時は高度成長期に差しかかったばかりで、スケールのあるものが喜ばれる風潮だったんでしょうね。建築基準法の規制のため、実現できなかったそうですが、今、復元された東京駅の雄姿を見ると、高層ビルなどにしないで大正解という気がします。


昭和編弾丸ツアーいかがでしたでしょうか。当時の景虎様や直江たちが見ていた風景を探し歩いてみましたが、ミラツアだか何だかよくわからない感じになってしまいましたね。でも、今回は初めて、読んだ直後に、新鮮な情熱とともに、舞台となったスポットを訪れたわけで、そういう意味では貴重なミラツアだったかもしれません。しかし振り返ってみれば、どこも一度は訪れたことがある場所ばかりだったという…。まあ、都内だったからね。

『夜啼鳥ブルース』は他にもツアーができそうな場所が出てきましたね。山梨は初鹿野駅(現在の甲斐大和駅)や姫ヶ淵、景徳院。都内では、今回訪れた場所の他に、渋谷駅と松涛の高級住宅街、笠原くんが通っている東都医大のキャンパス、それからラストシーンで景虎様と直江が訪れていた高台のある公園。この公園がどこの公園なんだかよくわからないんですよね…。たぶん、渋谷近辺だと思うのですが(二人が北里家の家政婦のお葬式の後に立ち寄っていることから。北里家があったのは渋谷松涛なので、家政婦の息子さん夫婦の家というのも渋谷近辺である可能性が高いかなと…)。ポイントは高台があることと、銀杏の木が(たくさん?)あること、それと東京タワーが見える(かつて見えた)こと。代々木公園かとも思ったんですが、高台なんてあるんだろうか…。それとも特にモデルはないとか。うーん、よくわからない。わかる方、教えて下さい。あと、東都医大ってどこでしょう? 東大医学部? 実験動物の供養塔があるかどうかネットで調べてみましたが、特にそういう情報は見つからず…。

ミラツアの話はさておき。物語の感想でも。

先ず、桑原先生が昭和編を描いて下さって、私は本当に嬉しいです。このサイトでも度々呟いていたかと思いますが、「三十年前」の美奈子さん絡みの話、ずっと読んでみたいと思っていました。ただ単に景虎様と直江という、平面的な恋愛関係ではなく、第三者が入った複雑な展開を見てみたかったですし、もっと言えば、景虎様が他の人間を好きになるのが見てみたかったんですよね。景虎様は本音ではずっと直江のことを愛していて、美奈子は二人の犠牲者という見方をする方もいるかもしれませんが、私はどうもそうとは思えないんです。「愛している」という感情は、言葉はひとつでも、本当はひとくくりにはできないほど様々な形があるものだと思います。誰かを愛していれば、他の人を愛せないかと言うと、そういうわけでもないし(道徳的な話は別として)。直江に求めたくても求められないものを得るためだったとしても、景虎様はちゃんと美奈子のことを愛していたはずです。そうでなければ、本編で事あるごとに美奈子のことを思い出したりはしなかったでしょう。あの20巻の大事な(…)シーンとかも。本編では、景虎様と直江の関係は、物語の紆余曲折には大きく左右されていますが、人間関係としてはほぼ二人の間だけで進行していましたよね。他の誰も関与する余地なく。それはそれで読み応えありましたが、第三者が絡むことによって感情に深みが増すと思いますし、より真実味が出てくるのではないかという気がするのです。

まあ、その辺りの三角関係の醍醐味が出てくるのは、この後でしょうね。これからが楽しみです。それにしても、美奈子のハートを最初にゲットしたのが尚紀くんだったというのは、なかなか素敵な展開です。もちろん直江は景虎様一筋なわけですが、美奈子のことを悪くは思っていない様子でしたから、それをまんまと後から出てきた景虎様に掻っ攫われるのかと思うと、楽しすぎる(笑)。直江にとっては二重に苦しいでしょうね。美奈子を犯してしまう、直江の気持ちがわからないでもないような…。景虎様と美奈子の恋愛模様は丁寧に描いてもらえると嬉しいなあと思います。ほのかな恋心とか言うんじゃなくて、ちゃんとした恋愛を希望します。私は腐女子であり、基本的には男女間の恋愛にはそれほど萌えませんが、男男間の話に男女が絡んでくるのは大歓迎なのです(何えらそうに書いてんだろう…笑)。男の色気が増すんですよね、それによって。なので、景虎様の男の部分も見てみたいなと。

今回の『夜啼鳥〜』はまだまだ昭和編の導入部分でしょうし(まだ長秀も色部さんも出てないし)、織田との戦いも始まったばかりだと思いますが、とりあえず、この巻を読んで、前から気になっていた「三十年前」の時点で「景虎様が直江をどう思っていたか」ということが何となくわかったような気がしました。桑原先生が「片想い」と称しているように、もちろん、直江が思うのと同じように思っているわけはないんですけど、景虎様自身も直江との関係を探っている最中だったのではないでしょうか。「景虎は四百年かけて築いてきた関係を壊したがっている」というのは、直江の心の中の台詞ですが、壊したがっていると言うよりは、新たに構築し直したがっているように私には思えました。主従という枠を超えて一歩踏み込んできて欲しかったのではないかと。晴家のように…と言うよりは、晴家とは少し違う形での親密さを求めていたのかもしれません。この時、景虎様は晴家と一緒に住んでいたわけですが、直江と一緒に住めたかと言うと、きっと嫌だと言うでしょうね(笑)。でも、晴家や他の人間には担えない役割を、景虎様は無意識に直江の中に見出していたんではないでしょうか。晴家にも教えていない行きつけのバーに直江を連れて行ったり、発作を起こした時コートをかけてくれた直江に何か言いたそうな素振りをしたり、ラストシーンの公園で直江の優しさを求めるように弱さを垣間見せたり。そういうのって、他の人には決して見せない姿でしょう。結局、直江にどうして欲しいのか、直江とどういう関係でいたいのかというのは、景虎様自身わかっていなかったんだと思いますが、とにかく、直江に対して求めるものがあったのは確かなようですね。しかし、そんな中途半端なものに直江が応えられるわけもなく、結局直江は古い主従と言う鎖と怨霊調伏という使命を振りかざして景虎様を縛るしかなかった…という…。まあ、二人の最上のあり方を探求するのは、本編のお二人の仕事ですから、昭和編ではすれ違う二人のジレンマをとくと味わいたいと思います。

ところで、時代が変われば当然宿体も変わるわけで。賢三さんと尚紀くん…、悪くないですね。私は本編の高耶さんがあまりに好きすぎるので、賢三さんには少し戸惑いましたが(目上の人にはちゃんと敬語を使う賢三さんとか…。高耶さんってそう言えば目上の人にもほとんど敬語を使っていなかったような…笑。学校の先生くらい? いや、でも随分不遜な感じだったと思うな。賢三さんはちゃんと大人でレガーロのオーナーなんかに対しては敬ってるような感じだし。それに、賢三さんちょっと優しいし。朽木に対してとか。高耶さんは譲に対しては優しかったけど、賢三さんのような穏やかさってなかったよね。もちろん高耶さんは記憶をなくしてたってのもありますが…。そう考えると、高耶さんって奇跡のキャラクターだな)。尚紀くんは、何というか…、年齢的にはだいぶ若いものの、往年のゴージャス直江を彷彿とさせるようなお坊ちゃんぶりがちょっと嬉しかったです。景虎様の方が年上というのも悪くないです。年下攻め上等(笑)。そして、高坂は相変わらず唇が赤いし、蘭丸も相変わらず外国人っぽいし、八海に至っては相変わらず中年だし(笑)。まるで久々に再会した友人があまり変わってなかったみたいで妙に嬉しかったです。晴家に関しては…、彼女は辛い思いをしてきているから、せめて女性として謳歌して欲しいし、才色兼備のシンガーということでいいんじゃないでしょうか。でも強い女性としての一面ももっと見たいですね。やっぱりそういうイメージもあるので。

しかし、この昭和編、結末は決まっているわけで、ストーリーとしてはどうしても暗くなりそうですね。もっとも本編も充分暗かったですが、それでも最初の頃は普段の高耶さんが無邪気だったり、譲とのやり取りで高校生らしさが感じられたりして、ほのぼの感がありました。そういうほっとする部分とか、軽いノリみたいなのは…昭和編ではどうなんでしょう、桑原先生描いてくれるのかな? 個人的にはそういう一幕も見てみたいけど…。譲みたいなキャラクターがいないと難しそうですが、そういう役割を美奈子がするかもしれませんね。ともかく、今後の景虎様と美奈子に期待したいです。

思いつくままに書いたら、感想だかなんだかよくわからなくなってしまいました…。大して参考にならない(汗)ミラツアレポートとだらだらした読後所感をお読み頂き、ありがとうございました。昭和編の次の巻も、できたらまたミラツアしたいです。


万歩計データ:
20229歩

2014.03.02 up







このページは別窓展開ですので、ブラウザを閉じて終了させて下さい。
検索等でこのページにたどりついた方は、↓からトップページへどうぞ。
七変化 MIRAGE-SIDE トップページへ