昭和編ツアー 第二弾

〜東京タワーを駆けのぼれ




◆旅行日:2014年9月13日〜9月14日

◆行程:
※下線はミラージュスポット

◇9月13日:
新宿駅→(徒歩)→大ガード→(徒歩)→新宿ゴールデン街→(徒歩)→新宿三丁目駅→(丸ノ内線)→赤坂見附駅→(徒歩)→山王日枝神社→(徒歩)→虎ノ門地下鉄出口→(徒歩)→虎の門病院→(徒歩)→愛宕神社→(徒歩)→東京タワー→(徒歩)→赤羽根橋駅→(都営大江戸線)→清澄白河駅→(徒歩)→ロイヤルパークホテル(宿泊)

◇9月14日:
ロイヤルパークホテル→(徒歩)→清澄白河駅→(都営大江戸線・有楽町線)→有楽町駅→(有楽町線)→月島駅→(徒歩)→かちどき橋→(徒歩)→もんじゃ いろは(夕食)→(徒歩)→月島駅


◆同行者:なし(途中でパートナーと合流)


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




2014年1月に昭和編第一弾『夜啼鳥ブルース』が発表されてから半年経った7月、第三弾の『瑠璃燕ブルース』が発売されました。半年で3冊って早いな…。しかし、考えてみれば本編の頃から結構なスピードだったんですよね。おちおちしていると、こっちが置いていかれそう…。
というわけで、『瑠璃燕〜』を入手したところ、すぐにでも回れそうな都内のスポットがちらほら出てきていましたので、昭和編ツアー第二弾を決行することとなりました。

※因みに、第二弾の『揚羽蝶ブルース』は、第一弾同様レガーロ周辺(新橋、銀座)が主な舞台で、他に白川郷なんかも出てきましたが、単独でミラツアできそうな感じでもなかったので、ツアーはとりあえず見送り。そうそう、第一弾のツアーで触れた銀座和光の時計とか、新橋駅前の街頭テレビとかが出てきて、思わずおお〜と唸ってしまいました。


今回のツアーで回るスポットを地図に落としてみました。新宿駅をスタートし、「大ガード」を見た後、昼間の「ゴールデン街」を散策。メトロで赤坂見附まで移動した後、軒猿の拠点である「松川神社」が近くにあったという「山王日枝神社」をお参りし、虎ノ門へ。勝長が勤めていた「虎の門病院」を見てから、「愛宕神社」を経由し、クライマックスシーンの舞台となった「東京タワー」へ。景虎様に倣って?階段で大展望台まで登ります。その日は水天宮にある「ロイヤルパークホテル」に宿泊。翌日、有楽町で私的なお買い物などした後、ラストシーンで出てきた月島は「かちどき橋」へ。
他にも、ご成婚パレードの際、夜叉衆の面々が待機していた二重橋、外苑広場、祝田橋、四谷の沿道、青山通りなどもちらりと出てきたりしましたが、今回は割愛。

10時30分頃、新宿駅東口からスタート。


地方ツアーでは、バスや電車など1本乗り遅れると洒落にならないことが多いので、綿密な計画が必須ですが、都内ならスケジューリングがアバウトで済むので非常に楽です。
新宿でチェックするスポットは2箇所。大ガードとゴールデン街。

因みに、本編の方でも高耶さんが新宿に来ていましたね。あれは、『覇者の魔鏡』の序盤でのこと。

千秋から直江とのことを咎められ、豊島園を一人後にした高耶さんがふらりと訪れたのがこの街でした。

そして、パーラメントの香りに直江のことを想い、通りすがりのチンピラと喧嘩してぼろぼろになったところを氏照兄に助けられたのが、新宿コマ劇場の前。

…ですが、その新宿コマ劇場は今はもうありません。2011年に解体され、跡地には「新宿東宝ビル」が建っているそうです(ピンクの星印の場所)。

昭和三十四年に、聞き込みのために直江を連れてにゴールデン街を闊歩した加瀬さんは、三十年後、次の宿体になった自分がこの街で小さなうさぎのようにうずくまって震えることになるとは思いもしなかったでしょうね。


そういうことを考えながら昭和編を読むと、感慨が増しますし、ミラージュツアーもまた面白くなります。

さて、先ずは線路沿いに北上しまして、大ガードを目指します。

前方に見えるレンガ色のビルは新宿プリンスホテル。そのすぐ向こう側が西武新宿駅です。私は西武線沿線で生まれ育ったので、西武新宿駅周辺の方がなんとなく馴染みがあるような気がします。もっとも、新宿なんて、10年も経てば大概のお店は刷新されていますから、ほぼ知らない街になってしまっていますけど。
大ガードが見えてきました。ゴールデン街で聞き込みをした後、景虎様と別れた直江がここの付近を通っています。

<家路を急ぐ会社員と歌舞伎町に遊びに行く人の波とが、交差点でぶつかりあっていた。靖国通りを行き交う車が、国鉄の大ガードの下へと吸い込まれていく>(『瑠璃燕ブルース』132ページ)

画面を横方向に走っているのが靖国通り。ちょうど車がガード下へ向かっているところです。しかし、この大ガードって、当時もあったんですね。『瑠璃燕〜』は昭和34年春のことらしいですから、今(レポートを書いている2015年)から56年も前のことか。都電なんかは(荒川線以外)すっかり姿を消してしまいましたが、レガーロのあった新橋周辺の高架下然り、残っているものはちゃんと残っているんですね。
こちらは大ガードのすぐ東にある交差点。人の波がぶつかり合っていたというのは、この辺りでしょうか。


30年後の高耶さんも、歌舞伎町に向かう横断歩道を渡っていますが、それはもうひとつ東のスクランブル交差点ではないかと推測します(アルタ前から最短距離で歩いてくると、もう一つ東の交差点に出るため)。
新宿なんて10年経てば知らない街なんて言いましたが、ここは例外的に昔からの雰囲気を色濃く残しているようです。ゴールデン街にやって来ました。

<訪れた場所は、新宿・歌舞伎町。花園神社にほど近いあたりだ。木造長屋に間口の狭い小さな飲食店がひしめき合い、まだどこか闇市の名残が濃い界隈だ。それもそのはず、もともとは新宿駅前にあった闇市を撤去した際の、代替地だった>(『瑠璃燕ブルース』124ページ)
<特殊飲食店街として売春行為を黙認されていた赤線地帯に対し、青線地帯のほうは許可をとらず、一般飲食店の二階などで売春行為を行っていた。そんな「いかがわしい」店が集まっていることで知られていた。狭い路地で、肩を細くして歩く直江の前を、景虎はなんということもなく堂々と歩いていく>(『瑠璃燕ブルース』124ページ)

今は、若い人が個性的なお店を出したりしていて、ある程度のルールさえ守っていれば初心者でも楽しめる飲み屋街だそうです。とは言え、間口が狭く、小さいお店がひしめき合っている様子は変わらず、看板にも昭和臭が漂っていて、夜の歴史が積み重なって沈殿しているような、そんな独特な雰囲気があります。
昼だったから良かったですけど、夜だったら一人で歩き回るのはちょっと不安になりそうです。


でも、現代の新宿で、本当に貴重な場所だろうなと感じました。昭和編のツアーなんて、当時の雰囲気を味わうことはほぼ不可能に近いと思われますが、ここは珍しく、昭和30年代に景虎様が見ていた風景に近いだろうと思わせてくれる街でした。
作中にも書いてありましたが、ゴールデン街のすぐ隣に花園神社があります。


写真はゴールデン街から見た花園神社の裏側。
折角ですので、参拝していくことに。


ビルとビルの間に挟まれた狭い参道を通っていきます。鳥居も少し窮屈そうですが、新宿という土地柄、仕方ないのでしょう。
こちらは拝殿。昭和40年に建てられた、鉄筋コンクリートの建物だそうです。


花園神社自体の歴史は古く、徳川家康が江戸に入る前から新宿の総鎮守として祀られていたそうです(当時は伊勢丹デパートの辺りにあったらしい)。新宿が「新しい宿場町」であった頃から、街の発展をずっと見守ってきたわけですね。
さて、新宿は1時間足らずで切り上げ、新宿三丁目駅から丸ノ内線に乗り、赤坂見附駅までやってきました。


写真は、赤坂見附駅の11番出口へ向かうところ。山王下方面へ出ます。


赤坂見附からは、しばらく徒歩の旅です。山王日枝神社を参拝し、虎ノ門方面へ向かいます。笠原直江が利用した地下鉄虎ノ門駅周辺を通り、色部さんが勤務していたという虎の門病院へ。
山王日枝神社は、名前だけちらりと出てきましたが、特に物語の舞台となったわけではありません。八海が宮司をしているという「松川神社」が、この山王日枝神社の近くにあった…とのことなんですけどね…。松川神社というのは、ネットで色々調べてみましたけど、それらしき存在はつきとめられませんでした。架空の神社かもしれません。

11時26分、赤坂見附の11番出口から地上へ。

新宿とはまたがらりと街の雰囲気が変わっています。プルデンシャル生命の大きなビルがあったりして、こちらはオフィス街の様相。

しかし、この日は土曜のため、閑散としています。
外堀通りを南下していくと、間もなく、日枝神社の大きな鳥居が見えてきました。


なんか、シックで都会的な鳥居だな。
上を見上げれば、高層ビルとの共演。
しかし、少し脇に回ると、こんな日本的な風景もあったり。


こちらは、日枝神社のすぐ隣にある山王稲荷神社の参道のようです。目についたので、こちらの参道を登っていきます。
山の上をぐるりと回って、山王日枝神社にやってきました。どうやら結婚式をやっていたようです。

山王日枝神社は、1478年、太田道灌が江戸城を築城する際、川越は喜多院の鎮守である「川越日枝神社」を勧請したことに由来するのだそうです。

私は川越周辺の出身なんですが、この大都会の中にある立派な神社が川越から勧請したものだとは。そう言えば、川越城も太田道灌の築城なんですよね。『群青』にちらりと出てきた川越城。そのうち改めて訪れたいです。
前述の通り、山王日枝神社は作中、名前が出てきただけで、特に舞台になったわけではありません。「松川神社」が不明なので、その代わりと言ってはなんですが、立ち寄ってみました。

<松川神社は赤坂にある。日枝神社にほど近い山王下にひっそりとある神社だ>(『瑠璃燕ブルース』123ページ)

作中の松川神社では、どこか妖しげな桜の木が印象的でしたが、日枝神社の社務所前にも古そうな桜の木がありました。
軽く参拝し、日枝神社の参道を降りていきます。
鳥居前で参道を振り返って。


なんと、エスカレーター付ですよ。こんな参道初めて見た。
引き続き、外堀通りを虎ノ門方面へと歩いて行きます。


週末のオフィス街はがらんとしていて、奇妙な感じ。
左は霞が関ビル、右の二棟は、霞が関コモンゲート西館と東館。

金融庁や文科省が入っている霞が関コモンゲートの二棟は、比較的最近に開発されたビルですが、霞が関ビルは結構古く、1968年の竣工です。

さすがに加瀬さんたちの時代には間に合っていませんが、私の祖母が私の両親の結婚式のために田舎から出てきた際、建ったばかりの霞が関ビルを見て、その高さに驚いた…という話をしていました。

高層ビル群って、いつものミラツアにはなかなか無い風景ですね。
時刻は12時12分。虎ノ門交差点までやって来ました。


画面左には「虎の門病院」の案内板が出ていますね。
虎ノ門交差点から見た、旧文部省庁舎(手前)と霞が関コモンゲート東館(奥)。


10年ちょっと前…かな、虎ノ門に通勤していた時があって、その頃はこの旧文部省の後ろはずっと工事中だったので、こんなでっかいビルが建つ景色はなんか新鮮。


旧文部省庁舎は、1932年(昭和7年)竣工の登録有形文化財です。戦前の建物なんですね。加瀬さんや尚紀くんの目にも触れていたことでしょう。


交差点は工事中ですが、地下に歩道を建設しているらしいです。
<電車を乗り継ぎ、銀座線の虎ノ門駅に降りると、狭い階段をかけあがった。まだ開業したばかりの病院は、高層の建物で、ひときわ目立つ。新橋とは目と鼻の先だから、運ばれたならここで間違いないはずだ>(『瑠璃燕ブルース』49ページ)

加瀬が事故に遭ったと、お手伝いの秀子さんから伝言を聞いた直江が向かったのは虎ノ門でした。写真は虎ノ門駅の2番出口。確かに狭い階段ですけど、出口はいくつもありますし、昔とは違っているかもしれませんので、参考までに。この出口、実は以前通勤で使っていました。懐かしい。
景虎様が運び込まれた虎の門病院。

昭和33年5月の開業らしいので、『瑠璃燕〜』の時は、確かに開業したばかりです。途中、改修や新館の増設などはしているようですが、こちらの本館の基本的な構造は当時のままかと思われます(虎の門病院HPの沿革ページに開院当時の写真が載っています)。しかし、当時はこれで「高層」の建物だったんですねぇ。

前回の『揚羽蝶〜』の頃から、色部さんが勤務している病院ということでちらほら使われている虎の門病院。今後も登場する機会がありそうです。
虎の門病院を見た後は、愛宕神社に立ち寄りつつ、今回のクライマックスの舞台となった東京タワーへと向かいます。



昭和編のツアーは回りやすくて助かります。下調べが超ラク。

まあ、地方の行きにくいツアーもそれはそれで攻略し甲斐があって楽しいですし、ミラージュに出会っていなければ行くこともなかったであろう場所を訪れるのは嬉しいことなんですが。
虎ノ門、桜田通り沿いから東京タワーを望んで。


ビルの群れに隠れて上層部しか見えませんが、昔はもっと眺めが良かったんでしょう。
虎ノ門ヒルズのある交差点までやって来ると、意外と古いお家がまだ残っていてびっくり。


新橋なんかもまだ古い民家が残っているところが結構ありますが、貴重な昭和の風景ですよね。都心では、あと少ししたらこういうお家もなくなってしまうのだろうと思うと、なんとなく寂しいものがあります。
愛宕下通りを南下すると間もなく、愛宕神社の参道入口に着きます。


神社正面には階段があるはずですが、「入口」と書いてあるので、取りあえずこちらから上ってみることに。
社のある鬱蒼とした小山をぐるりと回るように坂道が巡らされています。
愛宕神社の入口。都心にあるとは思えないような緑の濃さです。


<松川神社から髑髏を持ち出したマリーが、やってきたところは、愛宕山にある愛宕神社だった。NHKの放送博物館があり、鉄骨製のアンテナが何本も天を突くように立っている。かつては江戸を見下ろせる眺望所で知られていた。目と鼻の先には去年できあがったばかりの東京タワーの足許が拝める>(『瑠璃燕ブルース』185ページ)
手前の4階建ての建物が、NHK放送博物館。

現在の建物は昭和43年に建てられたものらしいので、当時のものではありません。「鉄骨製のアンテナ」というのも、現在は無いようですね。ウィキペディアに昔の写真が載っていますので、興味がある方はご覧になってみて下さい。
愛宕山は標高26メートル。23区内で、自然の地形としては最も高い山なのだそうです。

そして、この愛宕山からは東京タワーの足許が拝めた…とのことですが、もちろん現在はそんなもの見えません。

少しでも東京タワーの姿が見えないかなと思って、その方角を見てみると…、あ、見えました。放送博物館の建物の上に、先っちょだけ。
<「男坂」と呼ばれる蹴上げが高い石段を、一気に駆け上がってきたマリーは、振り返って、追っ手がないのを確かめると、ようやく一息ついた>(『瑠璃燕ブルース』186ページ)

松姫に取り憑かれたマリーが一気に駆け上がったという石段がこちら。確かに急です。毎度のことですが、夜叉衆の体力半端ない…。

ここを上がってくるのは、かなり大変そう。やはりさっきの坂道を回って来て正解だったかもしれません。
男坂を背に、愛宕神社の社殿を向いて。小ぶりながらも美しい朱塗りの門が建っています。


境内は鬱蒼とした杜に囲まれている。赤い神門には葵の御紋がある。すでに閉まっていて、常夜灯のみがともっていた>(『瑠璃燕ブルース』186ページ)
葵の御紋、ありますね。

愛宕神社は、1603年に徳川家康の命により、防火の神様として祀られました。その後、江戸の大火、太平洋戦争時の空襲によって二度焼失し、現在の社殿は昭和33年に再建されたものだそうです。

作中でマリーが訪れたのは、再建された直後ということになりますね。
<『こんな時間に夜詣りか。マリー」 ギョッとして振り返ると、石碑のもとに人影がある。若い男がひとり、腰掛けている>(『瑠璃燕ブルース』186ページ)

石碑…というのは、この石碑のことでしょうか。神門より手前右側に、「桜田烈士愛宕山遺蹟碑」と書かれた石碑が立っています。「桜田烈士」とは、江戸末期に大老・井伊直弼を桜田門外にて暗殺した18名の襲撃者のこと。襲撃前に成功を祈ってこの愛宕神社に集結したという由縁があるのだとか。

江戸幕府終焉へのきっかけを作った烈士たちの石碑のもとに腰掛けるなんて、信長のやりそうなことですね。
境内には池がありまして、美しい鯉がたくさん泳いでいます。

しかし、きれいだなーと思って不用意に近づくと、わらわらと鯉の群れが岸に押し寄せ大変なことになります(笑)。

「餌くれ」アピールの強さに押され、思わず鯉のえさを買ってしまいました(しっかり売っている)。

写真ではわかりづらいかもしれませんが、黒っぽい部分は黒い鯉です。おしくらまんじゅう状態です。
マリーが駆け上がってきた石段を降りてきました。下から見上げるとこんな感じ。


降りるのも怖いくらい急な石段ですが、かつてここを馬で登った人がいるそうです。三代将軍・家光公の命を受け、四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎という人が見事馬で登り降りし、有名になったことから、この石段は「出世の石段」と呼ばれているのだとか。

嘘みたいな話ですが、この石段を馬で登り降りした人は他にもいて、昭和に入ってからは、テレビの特番でその模様が放送されたこともあったらしいです。
愛宕下通りを引き続き南下していきます。
歩道橋に上ると、いつのまにか東京タワーがこんなに間近に。

下の「大展望台」(青い矢印)と上の「特別展望台」(黄色い矢印)がはっきり見えます。

『瑠璃燕〜』のクライマックスで、景虎様と直江はそれぞれ、階段で下の大展望台まで上り、そこから関係者用エレベーターで上の特別展望台(当時は保守作業用の部屋だったらしい)へ上っていました。そして、信長が待ち構えていたのは、更にそこから階段で上った、アンテナの真下、屋上のような足場部分(恐らく赤い矢印の辺りかと)。

タワーに上ってからでは逆にイメージしにくい部分もありますし、信長と対峙した屋上部分というのは当然行けるはずもないので、今のうちにチェックしておきましょう。
こちらは下の大展望台(青い矢印)。四角い部屋のようになっていて、1階と2階に分かれています。


地上150メートルなので、大して高くはないですね(当時は充分高かったのでしょうけど)。ここでは、信長に操られた観光客に襲われ、景虎様と共に上ってきた次郎、それから直江と共に上ってきた色部さんが、それぞれ足止めをくらいっていました。
大展望台の上、地上250メートルのところに円形の特別展望台があります(黄色い矢印)。

信長とのバトルが繰り広げられたのは、更にその上、恐らくは写真の赤い矢印で指した辺り…というイメージかなと(今から56年も前の設定ですので、東京タワーも多少は改修しているでしょうし、昔の写真を見ると、今とは様子が少し違っているようではありますが…)。

<景虎はようやくアンテナの真下に辿り着いた。保守用のやや広い足場がある。鉄網の床面からは下が透けて見える。そこは屋上のようになっており、むろん吹きっさらしだった。その中央に巨大アンテナがそそり立つ>(『瑠璃燕ブルース』215ページ)
直江はここから飛び降りたんですよね…(そう言えば信長も飛び降りていましたが)。信長に操られ、「景虎を殺せ」と暗示をかけられた直江は、景虎様の首を絞めるものの、一瞬の隙に自ら柵を乗り越え、この高所から身を投げたのでした。

<「信長などに操られてあなたを殺めるくらいならと思ったんです」>(『瑠璃燕ブルース』230ページ)

後日そう告げた直江を、景虎様はまるで故意に貸しを作ったとでもいうように受け取り、「さもしい」とまで詰っていましたね。しかし、直江からしたら嘘偽りない無心の行動だったんでしょうけれど。景虎様ももしかしたら、直江のそういうところを実は理解していて、でもそれを認めたくなくて直江を全否定するしかなかったんでしょうか。
この頃の景虎様は一体、直江とどうなるのが理想だったんだろう…。晴家のように主従関係から解放された、同志のような、もっと気安い関係? 或いは、景虎様からしたら、そうだったのかもしれませんね。

直江が特別なものを求めて来なければ、景虎様は直江に特別なものを求めることはなかった。二人の関係って、結局はそういうものだったかもしれません。想いも対等じゃないんですよね。

でも、もし直江がああではなかったら、景虎様の心は満たされることはなかったのでしょう(昭和編では最後まで満たされていないと思いますが。恐らく、美奈子は癒してはくれたのでしょうけれども、彼の虚無を満たすことはなかったのではないかと)。きっと、換生してからずっと彼の心は虚無を抱えたまま、でもそれで良いのだと言い聞かせ、使命と罪を背負い、それから解放される日だけを切望して生きるだけだったのではないかと。景虎様って、割とそういうタイプ?ですよね。無欲というか。直江よりよっぽど病んでいるような気もします(直江の方が実は真っ当な人間のような気すらしてきます)。
そう思うと、直江がいてくれて、本当に良かったんだなと、改めて思います。景虎様にとって直江の存在がどれだけ大きかったか。

「おまえと出会えたことがオレの幸福だった」とは、あの20巻での高耶さんの台詞ですが、思わずその言葉を噛み締めたくなります。二人の結末は既に知ってしまっていますが、こうして知っているからこその楽しみ方があるところが、昭和編の醍醐味ですね。


だいぶ脱線してしまいましたが、13時21分、東京タワーに到着。
東京タワーの真下には「フットタウン」という建物があり、展望台へ行くエレベーターもこの建物にあります。


<景虎と次郎は、一足早く東京タワーについていた。(略) 高さ三三三メートルの巨大電波塔だ。インターナショナルオレンジと白とに塗られた塔は、堂々たる出で立ちだ。去年できあがったばかりで、すでに東京のシンボルとなっている。(略) エッフェル塔に似た、秀麗な赤い鉄骨製の電波塔は、上方に眺望階がある。「やはり上か」 「あがろう。加瀬賢三。きっと上だ」>(『瑠璃燕ブルース』209ページ)
<しかしタワーは混んでいる。まだ開業から半年とあって、エレベーターは長蛇の列だ。(略) 「階段だ」 タワーには外階段がついている。鉄骨製の階段だ。しかし長い。「エレベーターを待つより早い。行くぞ」>(『瑠璃燕ブルース』209ページ)


現在の東京タワーはと言うと、「長蛇の列」という訳にもいかないようで。写真は、大展望台へ上がるエレベーター(赤いテープが張られている方)。今はスカイツリーの方にすっかりその地位を奪われてしまったようですね。これも時代の流れでしょうか。
景虎様は混雑を避けるため、仕方なく階段を駆け上りましたが、実は今でも(?)一般の人でも大展望台まで階段で上ることができるんですよ(土日祝日限定、通常の展望料金が必要)。


普通なら、何が悲しくて歩いて東京タワーなんか上るんだよ、なんて思ってしまうところですが、景虎様が階段で上ったというなら話は別。当然私も階段で行きますよっ。景虎様に着いて行きますよっ。
外階段は、フットタウンの屋上から延びています(当時はどうだったのかよくわかりませんが)。

階段の手前で係員にチケットを見せ、いざ上り始めます。


<ふたりは階段を駆けあがった。六百段ほどあるという。普段なら、さほどでもなかっただろうが、あいにく景虎はずっと寝込んでいて体力が落ちている。半分も行かないうちに息切れしてしまい、足が止まってしまった>(『瑠璃燕ブルース』210ページ)
フットタウン屋上からタワーの上を見上げて。真下に来ると、構造がよくわかります。大展望台まで、エレベーター部分以外は本当に骨組みだけ。


<外階段だけあって風が強い。鉄骨製の塔は、吹きっさらしの風が冷たい。ひとしきり咳き込んで、はっとした。(これは……っ) 景虎は察知した。強い、強い気配を感じる。この上に。(略) 信長だ。髑髏の霊波同調力を、電波に乗せ始めている>(『瑠璃燕ブルース』209ページ)
信長が上にいると確信した景虎様は、体に鞭打って階段を駆け上がったのでした。肺の悪い加瀬さんが、六百段をなんと10分で上りきったというのですから、さすが根性あります。普段の鍛え方が違うのでしょうか。

自信のある方は、加瀬さんの記録に挑戦してみるのも面白いかもしれません。サブタイトルに勢い余って「東京タワーを駆けのぼれ」なんて付けてしまいましたが、いい年こいた中高年の私は、ゆっくりのぼることに致します。それではスタート。
すぐ隣に見える、木々に囲まれたお寺は、増上寺ですね。
階段には、一区切りごとに何段目か書かれていて、あとどれくらいあるかの目安になります。


大よそ三分の一まで上ってきました。案外あっという間です。しかし、ここで既に4分半経過。賢三さんにはとっくに置いていかれていますね…。
景色が見えるので、自分の足で少しずつ上っているのだという実感が湧くのが面白いところ。


眺める角度がだんだん変わってくるんですよね。上の写真では見えていなかった、レインボーブリッジとフジテレビが見えてきました(写真右奥の方)。
若干ぜいぜい言いながら、三分の二までクリア。


そして、ここで既に10分が経過しています。


人が写っていませんが、私の他にも階段で上っている人はちらほらといました。階段を使うのは上りだけ、或いは下りだけというのでもOKのようです。ただ、当たり前ですが、途中からエレベーターに乗り換えることはできません。
下を向くと結構な高さ。


ガラス越しでない、生の風景は、一味違います。


踊り場で小休止しながら上っていきます。
階段は途中から屋内へと入りました。


赤い鉄階段はここでラスト。あと一息です。
上りきったところに、係員がいて、「昇り階段認定証」というのを渡してくれました(写真右のカード)。どうやら、昇り階段踏破者として認定されたようです。

結局、15分ほどかかりました。予想より、悪くないかも? なんて思ったら、東京タワーのHPには、幼稚園生でも15分で昇り切る…なんて書いてあります。これは喜ぶべきか悲しむべきか。

写真左は、ふたつの展望台のチケット。下の大展望台は900円、上の特別展望台は700円です。チケットはセットにはなっておらず、特別展望台へのチケットは、大展望台で購入します。
認定証をもらったら、ようやく大展望台1階の入口です。
<展望台は観光客で混んでいる。老若男女、地上百五十メートルからの眺望に夢中になっている。(略) 「まだ上か」 行こう、と景虎が階段に向かいかけた、その時だ。(略) 観光客が一斉にこちらを見た。大勢の視線が向けられる。――いけない!>(『瑠璃燕ブルース』211ページ)

信長に操られた観光客らに襲われ、次郎はここで足止めをくらい、景虎様だけが上へ向かったのでした。その後、追いついた直江と色部さんが観光客に抑えられている次郎を見つけ、色部さんは木剣の妙音で暗示を妨害するために残り、直江だけが景虎様の後を追って上へのぼっていきました。
大展望台でマンゴーソフトを買いました。歩いて上ってきた後に食べるソフトクリームは最高。


そう言えば、お昼を食べていませんでしたが、暑さのせいか空腹感はそれほどありません。相方とは夕方、宿泊先のホテルで合流することになっています。ひとりで外食するのも何だし、このままお昼は食べないことにします。
大展望台から北東の方角を望んで。


遠く、青い矢印のところに、スカイツリーが見えます。黄色い矢印は、さっきまでいた愛宕山。矢印の先の白い建物がNHK放送博物館です。
床の一部がガラス張りになっているのは、お約束。
大展望台1階の下りエレベーター。

フットタウンからエレベーターで上がると、大展望台2階に着き、下りのエレベーターは大展望台1階から乗るというシステムのようです。

上の特別展望台へ通じるエレベーターは、大展望台2階より更に少し階段を上った先にあります。
<景虎はバックヤードに飛び込み、更に上階へあがる関係者用エレベーターへと走った>(『瑠璃燕ブルース』212ページ)


大展望台の1階から2階へ行く階段。二層構造の大展望台が二階とも公開されていたのかどうかはわかりません。ただ、上の特別展望台は作業室だったとのことですので、ここから上へ向かうエレベーターは「バックヤード」部分だったわけですね。
大展望台の2階で特別展望台のチケットを購入し、エレベーターホールへ来てみると、なんと長蛇の行列が(大して広くないスペースにたくさんの人がいたので、ちょっとホールの様子を撮影するのも躊躇われるほどでした)。


スカイツリーの方に客を奪われたみたいなことを書きましたが、実はそうでもなく、逆にスカイツリーができたことで、東京タワーも再び注目を浴びているのかもしれませんね。


写真は特別展望台へ向かうエレベーターホールのエレベーター扉の前辺りで。
意外と待たず、十数分ほどで、エレベーターに乗ることができました。

写真は上昇中のエレベーターから。

景虎様も直江も、大展望台から上の特別展望台まではエレベーターを使っていました。
最初は赤い鉄骨が見えていましたが、突然白い鉄骨に変わる部分があります。


これを見ると、ああ確かに上の特別展望台に向かっているんだなと実感します。大展望台より下には白い鉄骨はありませんからね。
<タワーには二百五十メートル付近に、もうひとつ円形の見晴台がある。一般には開放されていない、保守作業に使う部屋だった。しかし、そこにも人影はない。アンテナはこの上だ。直江は外に出た>(『瑠璃燕ブルース』214ページ)

その保守作業に使う部屋だったというのが、今はこの特別展望台になっています。

ここから上は、エレベーターはないので、景虎様も直江も外に出て、階段で更に上へとのぼって行ったのでした。もちろん、一般人はここから外に出ることはできません。
地上250メートルからの眺め。さっきの大展望台からの眺めとは、まただいぶ違った印象です。でも実は池袋のサンシャイン60の展望台の方が若干ですが、高いそうですよ。

しかし、この景色、加瀬さんたちが見ていた頃とはほぼ別物のように変わってしまったんでしょうね。それでも、50年以上の時を経て変わらずここに建っているなんて、東京タワーってほぼ遺跡のような存在だと言っていいかもしれません。でも…、本当は5、60年なんてほんの短い間なのかな。そんな風に思えるようになった自分こそ、遺跡に近かったりして。
この日のミラージュツアーはこれにて終了。ラストシーン(本当のラストはレガーロでしたが)の月島は、翌日のお楽しみに。

そう言えば、私、二十年ほど前に、一度東京タワーに上ったことがあったのでした。ほとんど記憶にないんですが。

スカイツリーの方は上ったことないので、一度は行ってみたいですね。東京タワーもスカイツリーも行ったことがない母親も一度行ってみたいと言っているので、そのうち新旧タワー巡りでもしてみるかな。
千葉市在住なので、都内のツアーなんて、宿泊する必要はまったくないんですが、今回は(も?)無料宿泊券がありまして。ああでも、今回はモニターなので、写真撮ったり文章書いたりしなくてはならないという制約があるんですが。そのくらいで泊まらせてくれるのなら、ありがたい限りです。


宿泊先は、水天宮にある「ロイヤルパークホテル」。16時頃到着しました。いつものオレらなら決して泊まることのない(笑)上質なホテルです。
しかもですね、今回はエグゼクティブフロアでの滞在です。「エグゼクティブ」って(笑)。なんか可笑しくて、オレらの中でしばらく流行語でした。

そのエグゼクティブフロアに滞在するお客様は、このエグゼクティブラウンジでお紅茶などのお飲み物を頂きながら優雅にチェックインできちゃったりします。

いや、茶化してしまいましたが、悪くないですよ。実に快適です。色んな飲み物がありますし、ホテルのクッキーなんかも置いてあります。開いている時間帯はいつでも利用していいそうです。
客室もシックな雰囲気で、居心地がいい。


歩き通しでやや疲れたので、一休み。
夕方5時からは、さっきのラウンジでアルコールと軽食を提供するとのことでしたので、行ってみました。

ラウンジからは、遠く東京タワーを望むことができます。

東京タワーって、これくらい小さく見える方が、可愛らしくていいかもしれません。
軽く食べてから、外でどこか居酒屋でも探すつもりでいたんですが…、予想以上に美味しいワインが出ていて、つまみもそこそこ充実していたので、結局ずっとここに入り浸ってしまいました…。

写真は白ワインが写っていますが、この後赤ワインを飲んでみたら、実に美味しくて、ずっと赤ワイン飲みながら、読書(確かミラージュの四国編)していました。自分でスーパーで選ぶ赤ワインって美味しいと思ったことはほぼないのに、こういうところで出てくる赤ワインって不思議とハズレがないんですよね。

こういう、ゆったりした夜の過ごし方もたまには悪くない。いいじゃん、エグゼクティブ(笑)。
東京タワーのライトアップがいつの間にか切り替わっていました。


東京の夜景がこんなに華やかなるなんて、加瀬さんたちは思いも寄らなかったかもしれませんね。


夜景に赤ワインって、『夜を統べる瞳』でも読んでいれば完璧だったかな。
翌朝は、緑と滝のある庭園を眺めながら、1階のカフェでビュッフェの朝食。


種類が豊富で、焼きたてのパンなんかがとても美味しかったです。
こちらはその朝食ではなく、その後、ベーカリーコーナーで買ったシュークリームとケーキ。

チェックアウトは12時なので、かなりゆっくりしてしまいました。

いつものミラツアからしたら、考えられない余裕さ加減です。
午後になりまして、有楽町へと出てきました。

昭和編第一弾ツアーで歩きましたが、例の、レガーロが入っていたという、レンガの高架橋が残っている界隈です。

しかし今回の目的は、アンテナショップ巡り。ミラツアとは関係ないですが、この辺りは各都道府県のアンテナショップが密集していて、退屈しないんですよね。
そして、16時30分頃、月島に到着。


事件解決後、まだ三千夫に憑依している次郎が訪れたのが、この月島でした。


写真は、月島のもんじゃストリート。


月島と言うと、もんじゃで有名な街ですが、高層マンションが林立する新しいエリアと、昭和の風情を残した古い家並みが交錯している街でもあります。地図上で、もんじゃストリートの周辺など、区画が狭い場所は、大抵、古い家屋が軒を連ねています。
次郎コロッケのお店も、そういう路地にあったんだろうな…と容易に想像できる風景がいまだにしっかり残っているんですよね。桑原先生も、そんな風景に思うところがあって、月島を舞台にしたのかな…という気がします。

先ずは、次郎と景虎様が待ち合わせていた「かちどき橋」へ。


写真はかちどき橋の南東側(月島側)から。
かちどき橋は、昭和15年に竣工した跳ね橋です。つまり、大型船舶を通行させるために、橋の中央部分が跳開するように設計されているんですね。しかし、近年では大型船舶の航行も少なくなったことから可動部分はロックされてしまっているそうです。


昭和編当時は、この橋の上を都電が通っていたのだとか。橋の上を都電が通る風景って、ちょっと見てみたいですね。


そう言えば、広島なんかは今でも橋の上を路面電車が通っています。相生橋、あそこもミラージュの舞台になっていました(『わだつみの楊貴妃 前編』。
<月島は、下町の風情が色濃い町だ。かちどき橋の下を、木材を積んだ船が過ぎていく。隅田川の川縁で待ち合わせた東雲次郎は、相変わらず三千夫の体に憑依している。松葉杖をついて現れた景虎を見て、立ち上がった。「悪いな。つきあわせて」 「いや」>(『瑠璃燕ブルース』226ページ)


かちどき橋のたもとにて。隅田川を行くのは、木材運搬船ではなく、遊覧船です。
隅田川の川縁で待ち合わせた二人は、一旦月島の路地に向かった後、再びかちどき橋に戻ってきます。

<かちどき橋の上で、景虎と次郎は肩を並べ、隅田川を眺めている。春の陽差しがきらきらと水面に反射する。かつて焼け野原だった町には、気がつけば、甍の波が溢れている>(『瑠璃燕ブルース』228ページ)

こちらはかちどき橋の東京湾側。このどこかに次郎さんと景虎様が立っていたんですね。
<欄干にもたれて、次郎は東京湾のほうへと消えていく木材運搬船を眺めた。(略) 景虎は川風に吹かれて、次郎の横顔を見ている。(略) 船の汽笛が響く。(略) 航跡が水面に溶けて消えていくのを、ふたりは黙って見つめていた>(『瑠璃燕ブルース』228〜229ページ)

私も次郎さんのように、欄干にもたれ、東京湾の方を見てみました。一応、こちらが東京湾側なんですが、埋め立て地が多く、湾という感じには見えませんね。折しも東京湾の方からやって来たのは、松本霊士さんデザインの「ホタルナ」という遊覧船。近未来チックなこのデザインがどことなく古代の三葉虫を思わせるところは、松本霊士さんらしいロマンを感じさせます。ゴキブリという人もいるようですが(笑)。
ここからの眺めも、だいぶ変わったんだろうな…と思いながら眺めていると、ちょうど夕陽の方角に東京タワーを発見。

ビルの陰に隠れそうになりながら、ひょっこりと姿を見せてくれていました。

景虎様も、朽木とバトルを繰り広げたばかりのあの塔を、ここから複雑な想いで見つめたことでしょう。
次郎が、景虎様と月島で待ち合わせたのは、結婚するはずだった恋人・優子をひと目見るためでした。

<ふたりが向かったのは、月島の路地にある小さな長屋だった。まだ春だというのにランニング姿の子供が狭い路地を走り回り、長屋の窓からは赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。生活感の溢れる一角に、次郎がどうしても会っておきたい人がいた。「元気そうだな……」 訪れたのは、小さなコロッケ屋だ>(『瑠璃燕ブルース』226ページ)

物陰から彼女をひと目見るくらい、本当なら次郎さんひとりでも行けそうですが、何となく勇気が湧かなかったんでしょうね。辛いけれど、見に行かないと心配で、でもひと目見たら見たで、どんな行動に出てしまうかわからない。

景虎様が見かねて店に行き、次郎とふたりで「次郎コロッケ」をほおばるシーンは泣けました。
そんな「次郎コロッケ」のお店がいかにもありそうな路地が、月島には結構残っています。

素敵な風景だな〜と写真を撮らせてもらいましたが、なにぶん、狭い路地の中の個人のお宅ですし、風景写真として撮影するよう注意しないとな…と思っていたところ、地元の方らしきおじさんに声をかけられまして。

怒られちゃうかな…と少々どきっとしたら、「今のうちに撮っておいてよ」と。近い将来にはこういう風景もなくなってしまうから、とおっしゃって下さいました。素敵な雰囲気なのに、寂しいですよね、高層マンションもいいですが、こういう古い家並みは残っていて欲しいですね、と話した後、おじさんも少し寂しそうに高層ビルを見上げ、「たけのこのようだよ」とぽつりと言ったのが印象的でした。

たけのこか。「雨後のたけのこ」のことを言ったのでしょうけれど、地元の人からしたら、正にそんな感じなんでしょうね。
さて、今回のミラツアはこれにて終了。


月島に来たら、やっぱりもんじゃを食べて帰らないと。と言うわけで、「いろは」というお店に入ってみました。
こちらは、めんたいもちチーズもんじゃ。

この組み合わせは最強です。

所詮はB級グルメかもしれませんが、たまに食べたくなるんですよね。
もんじゃストリートは人通りも多く、賑やか。

加瀬さんたちの時代は、もんじゃストリートどころか、もんじゃ専門店というものはなく、駄菓子屋で子供たちのためにもんじゃを焼いていただけのようですね。

次郎コロッケも、食べてみたかったな…。


お読み下さいまして、ありがとうございました。ツアーからレポートアップまで、丸々一年が経過してしまいました…。昭和編の方は、今秋、舞台化第二弾も控えていて、盛り上がってきているようですね。第二弾はちょうど、この『瑠璃燕ブルース』の部分らしく。できれば観に行きたいですが…どうかな。まだわかりません。

小説の方も、第五弾『夢幻燈ブルース』まで進み、短編『夜叉衆ブギウギ』も出ましたね。横浜周辺が出てきたので、昭和編ツアーとして、是非また出かけたいところです。

『夜叉衆ブギウギ』は、購入後、ちょっとお預け状態。今は、火輪シリーズのおさらいをしています。10月に熊本&阿蘇ツアーを控えておりまして。あ、でも、中岳、噴火しちゃいました…。まあ、それはそれで、阿蘇の活発な姿が見られていいかもしれません。

火輪シリーズは、一度読んだ後、ほとんど読み返したことがなく、忘れている部分が多かったので、新鮮な気持ちで読んでいます。改めて、そのストーリーの壮大さに、初めて読むような楽しさを感じています。桑原先生、昭和編もそういう書き方をしてくれないかな、なんて思ってしまったり。何冊になってもいいので、ひとつの物語をもっと掘り下げて書いてくれたらなと。『霧氷街〜』と『夢幻燈〜』は、続き物でしたが、2冊でも全然足りないように思えました。

そうそう、てっきり忘れていて、今回火輪を読み返して思い出したんですが、例の「三十年前のバトル」って舞台が阿蘇だったんですよね。ということは、昭和編は最終的には、舞台は阿蘇になるということですよね。まだまだ長く楽しみたいので、もっと先のことであって欲しいですが、楽しみです。

この後の、レポートアップ予定は…
・2014年9月 米沢
・2014年12月 四国(プチツアー)
・2015年3月 箱根(プチツアー)
・2015年3月 日光(プチツアー)
・2015年5月 四万十(プチツアー)
・2015年6月 大分
といった感じ。プチツアーは、過去に行ったツアーの拾遺的なツアーなので、部分的な紹介になる予定です。


万歩計データ
9月13日:12313歩
9月14日:11074歩

2015.09.25 up








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