としまえん今昔物語

〜懐かしの遊園地探訪





旅行日:2011年9月18日

行程:関東某所→池袋→(西武線)→豊島園→(東京メトロ、JR)→関東某所

同行者:パートナー


2011年9月9日、東京都がとしまえん遊園地を閉園前提で買収するとのニュースが報じられました。防災公園にするとのことらしいです。西武側は売却を否定しているようですが、としまえんは近年だいぶ寂れてきているらしいので、あり得ないことでもないと思い、HPを覗いてみたら、ちょうど「夕涼みチケット(15時以降の入園+2ライドチケットで1000円)」というのを発売しているのを知り、なんなら今行っとくか…というわけで、急遽プチミラツアがてら遊びに行くことになりました。

原作連載開始から20年も経つと、舞台となった地も随分様変わりしているところも多いと思いますが、存在すらなくなってしまうということもあり得るんですよね…。防災公園も大切ですが、何とも寂しい気分です。

実は個人的にも、としまえんは非常に思い出深い場所だったりします。父方の祖父母の家がとしまえんの近くにあったので、ものごころつく前からしょっちゅう遊びに行っていました。今回行くのは20年以上ぶり…でしょうか。

このツアーレポートは、前半は『覇者の魔鏡・前編』の内容に触れつつ、後半では古い写真を交えながら私の祖父についての回想や、としまえんの思い出と紹介なども綴ってみたいと思います。



さて、先ずは池袋まで出てきました。ミラツアで池袋駅ときたら、ここをチェックしないわけにはいきません。電話コーナーです。

<せわしく行き交う池袋の駅の人ごみの中で、高耶はいくつも並んだ公衆電話の前に立っていた。次々と用を済ませた人々が、入れ替わり立ち替わり電話の前から去っていく>(『覇者の魔鏡・前編』66ページ)

千秋と言い合いをして、一人で「豊島遊園」を後にした高耶さんは、池袋駅で橘家へと電話します。直江のことが気になってどうしようもなかったんでしょうね。勇気を振り絞ってボタンを押したのに、出たのは義明のお母さん。当の狂犬野郎はと言えば、女連れで外泊…。結局誤解だったとは言え、高耶さんが怒るのも無理はありません。それに、あの男なら本当にそういうことやりかねないし(笑)。
しかし、家に電話して取り次いでもらうのにドキドキするなんてシチュエーションは今の時代、もうなくなってしまいましたね。携帯電話が当たり前になって、原作では人であふれ返っていた公衆電話コーナーも、今ではよっぽどのことがない限り使われる様子もなく…。それなのによく撤去しないで、こんなに何台も残っているなあと思いますが。

ここは、池袋駅地下にある西武線の改札近くの電話コーナーです。高耶さんが池袋駅のどの電話コーナーを使ったのかは定かではありません。

西武池袋の電話コーナーは、1Fにもありましたね。今もまだあるかどうかわかりませんが、私は実家が西武線沿線にあるので、池袋に出てくると、よくそこから「帰る」コールをしていたものです。確かにあの頃は、利用する人がいっぱいで順番待ち状態でした。懐かしきかな、公衆電話。
怒った高耶さんはそのままJRの改札へと向かい、新宿に行くわけですが、私たちは高耶さんとは逆にとしまえんに向かいます。

西武線と言うと、やっぱりこの黄色い電車のイメージです。
西武「豊島園駅」。

ミラージュでは「豊島遊園駅」として書かれています。実在する「豊島園駅」は、西武線のと、地下鉄都営大江戸線のと、二つありますが、原作当時は大江戸線は「練馬―光が丘」という短区間しか開通していなかったので、先ず間違いなく西武線の方を指していると考えていいでしょう。

ここで森野沙織+由比子と、高耶さん+千秋+譲+綾子姐さんが待ち合わせをしていました。『最愛のあなたへ』で、初めて直江のセクハラ(笑)を受けて以来の登場となった高耶さんは、ここへきて別人のように雰囲気が一変してしまっていました。
<荒れている、と言っても服装がどうとかではなく、態度とか様子とかがどこかすさんでいるのである。ふだんから目つきの悪いと言われる高耶だが、こんなに冷たい目をしているのは見たことがなかった>(『覇者の魔鏡・前編』35ページ)

明らかに直江とのことでショックを受けていると同時に、この頃から、高耶さんの中で徐々に「景虎」が芽生え始めているようでした。

<譲は最近ふと感じるようになったささやかな違和感を、今また高耶に感じた。(略)何か確かなものに裏づけられた落ち着きと自信が、今の彼にはある。(略)高耶のもつ愛すべき不器用さ、飾らない心の暖かさ、とはあきらかに違うものが高耶の中に芽生えてきている>(『覇者の魔鏡・前編』38〜39ページ)

これは、鏡の中に閉じ込められて「景虎」が完全覚醒する前の予兆でしょうか。
豊島園駅の改札を出ると、遊園地はすぐ目の前です。この時、15時少し前。土曜日だったし、夕涼みチケットを利用する客で少しは賑わっているかと思いましたが、割と閑散とした様子です。

15時になるのを待って、入園します。因みにとしまえんの閉園時間は17時。早っ。この時はビアフェスタをやっていて、ビアフェスタ会場だけは20時までやっているようでしたが…、乗り物が動いていない遊園地でビール飲んでも寒々しい気分になりそうな気が…。

「としまえん」のHPはこちらからどうぞ(別窓)。
小さい頃、数え切れないほど遊びに来たとしまえんですが、ここが昔、お城だったとは、ミラージュを読んで初めて知りました。その城の主である豊島氏に因んで「としまえん」と名づけられたのだということも…。

残念ながら、城の遺構は今ではほとんど残っていないそうです。写真は正門を入ってすぐ左手にある花壇。ネットで書かれているところによると、この花壇の向こう、ウォータースライダーがある辺りが、昔、本丸があった場所だということらしいです。今でも高台として残っているので、僅かながら往時の様子が偲ばれます。

ウォータースライダーはこの地形を利用して造られたんでしょうね。昔の殿様も、まさか城跡にこういうものが造られるとは思ってもみなかっただろうなあ。
正門から真っ直ぐ続く道の途中、石神井川が流れる手前で、土塁と思しき地形を確認することができます。道の両側の、少しこんもりしている部分がそれです。

土塁と言っても、ここは石神井川がカーブしているところなので、土砂が溜まって元々自然に崖が形成されていたようです。
その土塁跡。何となく手付かず感が漂ってます。

練馬城は、1331〜33年頃に豊島氏の城として築城されました。1476年、長尾景春の乱が勃発した際、景春方に味方した豊島泰経・泰明は、江古田・沼袋原の戦いで、山内・扇谷両上杉方の太田道灌に敗れ敗走。練馬城は石神井城とともに落城し、豊島氏はやがて滅亡、城自体もその後廃城となったそうです。

因みに…ですが、山内・扇谷両上杉家は後に、河越合戦で氏康パパと戦って破れ(『群青』参照)、扇谷上杉家は滅亡、山内上杉家の上杉憲政(関東管領)は力を失い、数年後上杉謙信の元へ身を寄せることになるわけですね。そこで謙信から御館を居館として与えられたと。北条とは因縁深いはずなのに御館の乱では景虎を支持した憲政。どういう心境だったんだろう。

園内を流れる石神井川。護岸壁で固められてしまっているので、いにしえの様子は窺えませんが、こう…日陰になっているところを見ると、落城の際、姫様が身投げしたという重々しい空気がどことなく漂っているような気もしてきます。

ミラージュで書かれている豊島泰明の娘・伊都姫に関して、ネットで調べてみたのですが、彼女についての逸話はほとんど探し当てることができませんでした。史実なのか、桑原先生の創作なのか不明です。

豊島氏当主・泰経の娘である「照姫」が石神井城の三宝寺池(現石神井公園内)に身投げしたという伝説(あくまで伝説らしいですが)の方が有名のようです。今でもその御霊を弔うため、毎年「照姫まつり」が開催されているそうです。
石神井川を渡って、少し行くと、乗り物エリアに出ます。

これは、ミラージュにも名前が出てきた「フライングパイレーツ」。120人乗りの海賊船と商船の2隻の大船が、地上45メートルを急上昇・急降下するという、としまえんの「顔」とも言うべきアトラクションです。

かつて「240名様、昇天」というキャッチコピーがつけられたというこのアトラクションも、今は乗る人も少なく、1隻しか動いていませんでした。
としまえんに来たら、やっぱりこれは押さえておかないと…ということで、2ライドチケットの1枚を使って、乗ることにします。

安全のため、身長120p未満の方は乗れません。小学生の頃、初めて乗った時は超ー怖かった思い出があります。

「確かに怖いな。支えてる軸がダメんなったら、そのまま空にすっ飛ぶし」と相方。いや、そういうスリルは求めてないんだけど…。
さあ、動き出しました。

しかし、超ガラガラですね。土曜日のこの時間にこんな状態で、大丈夫なのでしょうか、としまえん。本当に売却されてもおかしくない気がしてきました。
結構高いところまで上がります。前を向いていると青空しか見えません。乗っている人たち、余裕ぶっこいているようにも見えますが、これでなかなか怖いんですよ〜。端っこに立っているのは、もちろん人形です。
わざわざお金を払って恐怖体験しているのですから、しっかり恐怖を味わっておきましょう(笑)。というわけで、斜めってる下の景色も堪能してみます。

うーん、高耶さんが千秋に頬を叩かれて、ぶつかった木はどれかなーーなんて考える余裕は…ありませんでした。
<頭上からフライングパイレーツの客の歓声が風に乗って聞こえてくる。(略)一行は着替えて、遊園地のなかのピクニックスペースにいた>(『覇者の魔鏡・前編』57ページ)

プールで伊都姫の霊を調伏した高耶さんたちがやってきたという、そのピクニックスペースがどこなのかは特定できませんが、恐らくはこんな感じの場所でしょうか…。正面の建物の上がフライングパイレーツです。

ピクニックスペースで、沙織と譲が由比子を励ましている間、高耶さんは千秋に少し離れた場所に連れて行かれ、ビンタ+お説教されいましたね。
<思いきり頬をひっぱたかれた高耶がよろめいて木にぶつかった>(『覇者の魔鏡・前編』59ページ)

千秋ビンタの犯行現場は…こんな感じのところでしょうか。

<「偽善者はおまえだろ、景虎。自分だけ狂ってないような顔して。四百年も生きてきて、てめぇだけ"まっとうな人間”みてぇなツラしやがって。俺たちはな、もう鬼だよ。(略)てめぇの罪深さにも気づかず、一番最初に地獄に堕ちんのは、……てめぇだろう、景虎!」>(『覇者の魔鏡・前編』62〜63ページ)

さすが千秋。きっつー。でも、景虎にこんな風に物申せるのは、長秀だけだったんだろうなと思います。これも重要な役回りです。
物語の展開とは前後しますが、ここで、プールの入口まで行ってみることにします。プールの営業は9月4日で終了していますが、入口だけ…。

さっき渡った石神井川を上流の方で再度渡ると、プールの入り口があります。
プール入口付近の石神井川。すごく浅い川です。護岸工事される前は、身投げできるくらいの深さがあったんでしょうか。

プールのすぐ傍を流れているので、ここで非業の死を遂げた姫様の怨霊がプールに現れるというのは、いかにもあり得そうです。
プール入口。正面に見える大きな建物は更衣室です。

高耶さんたち一行はこの奥にあるプールで、多数の武者霊を引き連れた伊都姫の怨霊と派手なバトルを繰り広げます。途中、高耶さんは伊都姫に、「オマエニハ北条ノ匂イガスル」と見事看破されていました。考えてみれば、このとしまえんのくだりって、すべて、後に新宿で氏照兄が登場するための伏線だったんですよね。なんて壮大な物語だ。

としまえんプールも毎年、祖父母の家にいる間は毎日のように行っていました。懐かしい。
今回プール内には入れなかったので、その代わり…には全然ならないのですが、昔の写真を紹介します。以下、後半はミラージュとは関係ない、個人的なとしまえんや祖父の思い出話になりますので、ご理解頂ける方のみお付き合い下さい。

こちらは昭和20年代後半と思われるとしまえんプール。昔のとしまえんの様子を伝える貴重な写真かもしれません。

としまえんの開園は1926年(大正15年)、プール部分の開業は1929年(昭和4年)とのことですから、遊園地もプールもかなり歴史があることになります。この頃はまだ大小2つのプールしかなかったはずですが、かなり人でいっぱいです。としまえんは、戦前から、戦時中の一時閉園(園内の練馬城跡に軍事施設が設置されたそうです)を経て戦後の復興まで、日本の成長をずっと見守ってきた遊園地なんですね。

城跡という歴史的遺物を壊した上に建てた遊園地も、時を経て、今ではそれ自体が既に歴史的な存在になったと言えるでしょう。

写真の中、一番右端で小生意気なポーズを撮っているガキんちょは、私の親父殿です。
幼い私を何度もとしまえんに連れて行ってくれた祖父。

何歳頃の写真かよくわかりませんが、私が知っている祖父はもっと年を取った祖父でした。

祖父と言っても、私の父は養子でして、血縁的には私の大伯父に当たる人です。

写真は何を飲んでいるんでしょうね。瓶の形からすると、ワインでしょうか。そう言えば、幼稚園の頃か、まだ幼稚園に上がっていないくらいの頃、正月に、酔った祖父に、無理やり赤玉ワインを飲ませられた記憶があります。私は一口飲んで、びっくりして泣き喚いたのを覚えてます。思えば、あれが私の人生のお酒デビューでした(笑)。祖父さん、後で祖母さんに怒られてましたけど。
酒、煙草、釣り、写真、ファッション…。祖父は当時の娯楽らしい娯楽はひと通り嗜んでいたようです。

鮎釣りのしすぎで肺炎になったり(鮎釣りは腰まで水に浸かってするらしく…)、三越で月給とほぼ同額?くらいの外套を平気で買ったりしていたらしいです。

そう言えば、としまえんのプールは、昔は夏の間以外は、釣堀になったんですよ。この釣堀にもよく連れて行ってもらいました。釣りの最中、祖父さんってばすぐに、その辺の子供に話しかけて仲良くなるんですよね。色々教えてあげたりして。そんで、釣った金魚なんかは持ち帰って、家の近くの保育園のプールに放してました…。たぶん許可は得ていたんでしょうけれども。

近所では所謂名物じいさんだったようです。クリスマスには、サンタのコスプレをしてその保育園に登場して、子供たちを喜ばせていたらしいです。
祖父は東電に勤めていたらしいのですが、この写真は恐らく、昔の東電の保養所です。鮎釣りで肺炎になった時にしばらく入っていたらしく。それにしては皆元気そうですが。

実にいい写真ですね。でも、西瓜を叩きつける棒があまりブレていないので、静止しているところを撮ったんじゃないかなという気もします。それにしても昭和らしい雰囲気を伝えるいい写真です。

祖父が写真好きだったというのは、亡くなってだいぶ経ってから、遺された写真を見て初めて知りました。祖父は私が中学2年の頃、亡くなったのですが、中学生と言えば、ちょうど親離れが進む微妙な年頃。祖父ともそれほど口をきかなくなっていました。もっと、大人になってから色んな話をしてみたかったと、今になって切に思います。
さて、ここからはまた現代に戻ります。思い出話を交えつつ、としまえん園内を紹介しましょう。

先ずは、としまえんが誇る回転木馬「カルーセル エルドラド」。このアールヌーボー様式の美しいカルーセルは、1907年ドイツで生まれました。なんと100年以上の歴史があるんですね。国内では最古、世界でも最古級の遊戯機械だそうです。

1911年にこのカルーセルはドイツからニューヨークにある遊園地に渡りましたが、1964年にその遊園地は閉園。その後、としまえんが購入したという経緯のようです。太平洋を渡ってやってきたこのエルドラドは、1971年からこの地で回り続けています。
木馬をはじめ、豚やゴンドラ、馬車など、すべてが木造の手彫りで、馬の表情なども一頭一頭違うのだそうです。現在でも大変な価値を持ったものだと評価されているのだとか。

小さい頃乗っていた時は、そんなにすごいものだとはついぞ知らなかったです。私は毎回必ず大きな馬を選んで乗っていました。わかりやすい子供だな。
よく見ると、確かにこの繊細で優美な装飾はすばらしいですね。

乗り場は3段に分かれていて、それぞれ回転速度が違うので、動くと余計に豪華さが増します。

子供の頃は回転木馬ってこれが当たり前だと思っていたのですが、有り難い代物だったんですね。
こちらは、私のお気に入りだった「ミステリーゾーン」。

2人乗りの乗り物に乗って、異世界へと入っていきます。

昔はもっと長い行列ができていて、相当並んでからようやく入れたものでした。
入口には恐竜?か何かの骨とか展示してありますけど、中は何てことはない、ただの和風お化け屋敷です(笑)。

牢獄の囚人が格子から手を出して「助けて〜」とか叫んでいたり、カラスの鳴き声がする荒野?に晒し首が並んでいたり…結構悪趣味なんですが、この異世界的な雰囲気が幼い私には心惹かれるものがあったようです。

かつて長い行列を待ちながらよく眺めたこの入口の様子は昔のまま全然変わってなくて、何だか少し嬉しくなってしまいました。

ミステリーゾーンの隣には「アフリカ館」という、やはり乗り物に乗って探険するアトラクションがあったのですが、既になくなっていました。残念です。
としまえん園内には、昔から所々に輪投げコーナーがありました。昔はこんな屋根なんてついていませんでしたが、今でも健在で嬉しいです。

輪投げは大好きで、冷静に考えれば大して欲しくもないような置物を取るために、何度も祖父にせがんでやらせてもらったものです。
園内にあるドリンクコーナー。

この色あせ具合がまた年季を感じさせます。このフローズンって飲み物は昔からあって、昔からコーラとメロンの2種類でした。

私はよくプールでコーラのフローズンを食べていたなあ。
もう1枚残っている乗り物券は何に使ったかというと、このジェットコースター「サイクロン」。

1965年に造られた、かなり古い遊具です。高さ18m、最高速度65km、全長822m。登場当時は「東洋最大のコースター」と呼ばれたのだとか。

園内中心部と石神井川の上を、急上昇・急降下しながら疾走します。
これも小学生の頃、初めて乗った時はめっちゃ怖かった覚えがあります。園内をぐるぐる走っている様子はうんと小さい時からずっと見ていましたが、自分が乗ってみて、「ジェットコースターってこんなに怖い乗り物だったのか」と驚きました。

まあそれもジェットコースター初体験の子供の感想で、今乗れば特に怖い部類には入りません。世の中にはもっとひどい絶叫マシンが山ほどありますしね。私としてはフライングパイレーツの方がまだ怖い気がします。
園内で地面が隆起しているところを見つけました。こんなところにも東日本大震災の爪痕が…。ここも相当揺れたんでしょうね。園内に大きな被害はなかったようで、よかったです。
私のもうひとつのお気に入り、「昆虫館」。

子供の頃、昆虫大好きだったんですよね。今でも嫌いじゃないですが。昔はゲンゴロウとかカマドウマとかナナフシとか展示されていた気がします。蝶の標本もきれいでした。

外観は昔とあまり変わっていないようですが、HPを見ると、中は随分変わったようです。
ひと通り園内を回った頃には閉園の17時近くになっていました。思い出のとしまえんともここでさよならです。

まあ、西武は売却するとは言っていないので、また機会があれば今度は花見の季節にでも来てみたいと思います。

でもやっぱり、できれば存続して欲しいですね。地味な遊園地かもしれませんが、それなりに味のある遊園地なので、これからも子供たちの遊び場であって欲しいです。
都営大江戸線の豊島園駅。

帰りは地下鉄経由で帰ることにします。
帰宅途中のJR新木場駅から、東京のウォーターフロントを眺めて。

新木場駅のホームって何気に眺望がいいんですよね。ちょっとこの写真は失敗しましたけど。左端に東京タワーが写っていますが、スカイツリーも見えます。まだライトアップはしていないので、暗くなると見えなくなりますが。

橘不動産の東京事務所があるマンションはどれだろう…などと思いを馳せつつ、今回のプチミラツアは終了です。図らずも、また魔鏡ツアーとなってしまいました。じゃあ次は、パーラメント握り締めて歌舞伎町でしょうか(笑)。
 





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