わだつみの山口ツアー

〜1泊4日、山口県縦断の旅

後 編




◆旅行日:2014年3月27日〜3月30日

◆行程:
※下線はミラージュスポット(一部推定含む)
※グレー文字は前編にて

◇3月27〜28日:
東京駅八重洲口→(夜行バス・萩エクスプレス)→萩バスセンター→(タクシー)→東光寺→(徒歩)→松陰神社→(徒歩)→天樹院→(徒歩)→萩城址→(徒歩)→西浜→(徒歩)→玉江駅→(JR山陰本線)→長門市駅→(路線バス・サンデンブルーライン)→長門湯本駅駅→(徒歩)→山村別館・別棟しぇふず(宿泊)

◇3月29〜30日:
山村別館・別棟しぇふず→(宿送迎車)→長門湯本駅→(JR美祢線)→長門市駅→(JR山陰本線)→東萩駅→(防長バス)→大正洞バス停→(徒歩)→大正洞→(徒歩)→大正洞清風苑(ランチ)→(徒歩)→大正洞バス停→(防長バス)→秋吉台バス停→(徒歩)→秋吉台展望台→(徒歩)→秋吉洞黒谷口秋芳洞〜秋芳洞入口→(徒歩)→バス・タクシーターミナル→(防長バス)→新山口駅→(徒歩)→酒処 輪(居酒屋)→(徒歩)→ニパチ(居酒屋)→(徒歩)→新山口駅北口→(夜行バス・OTBライナー)→JR新宿駅西口

◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




後編の冒頭では、長門湯元温泉に宿泊した模様を書いていますが、ミラツアとは関係ありませんので、飛ばしたい方は、こちらをクリックして下さい。


車窓から眺める指月山。


見納めかなと思いつつパチリ。
17時3分、長門市駅に到着。


長門市駅は、日本海側を縫うように進む山陰本線と、山口県を縦断する美祢線が交差する駅。
駅前には、寂れてはいるもののステーションホテルなるものが建っていて、1階には、コンビニ?もあります。


メイク落としシートを持ってきていたはずが見当たらないので、売ってるかなと思って入ったら、売っていそうな気配すらありませんでした。最近のコンビニなら大概置いてあると思ったのですが…。恐るべし、地方のコンビニ。何か品揃えが全然違うんですよね。昔のおもちゃ屋さんで売っていたようなでっかい箱入りのおもちゃとか売ってた…。
17時20分、サンデン交通のバスに乗車。


しばらく、美祢線の単線の線路と並行するように走ります。


長閑な風景です。
16分ほどで、長門湯本駅に到着。


長門湯本温泉の最寄駅なんですが、ここも寂しい感じです。
川の両側に旅館が建ち並ぶ、長門湯本温泉。


温泉地にはありがちですが、廃業になった旅館の建物がボロボロのまま残っているところもありました。


アクセス悪いし、県内の人なんかは、いっそ九州の湯布院とか別府とかに行っちゃうのかもしれませんね。
こちらが、今回泊まらせて頂くお宿。


後ろの白い建物が「山村別館」という旅館で、その手前にある平屋&二階建ての建物が山村別館の離れ「師衣釜厨(しぇふず)」になります。私たちが泊まるのは、こちらのしぇふずの方。


前述の通り、当選した宿泊券でありがたく宿泊させて頂きます。
しぇふずの方は、全9部屋、全室源泉かけ流しの温泉付です。


部屋数が少ないので、サービスもきめ細かい。


本館(山村別館のこと。ややこしいですが、山村別館が本館に当たります)との間には外廊下があり、あちらの大浴場や売店も利用することができます。
先ずは、置いてあったお菓子でまったり。


夏みかんの砂糖菓子です。こういうのって当たり外れがあるからどうかな〜と思って食べましたが、甘すぎず、なかなかの美味。特に青い方。こちらはまだ色づく前に収穫した夏みかんを砂糖漬けにしたものらしいのですが、ほんのりと爽やかな苦味も感じられて、とても美味しい。


本館の売店で売っているとのことでしたので、おみやげに買いました。
窓際には、掘りごたつがあるのですが、何より嬉しかったのが、自分でコーヒーを淹れられるようになっていること。


コーヒー豆、手動のコーヒーミル、ポット、カップなどがセットになって置いてあり、好きな時に、自分で豆を挽いて、挽きたてのコーヒーを楽しむことができます。


旅館にいる時って、どうせあまりすることないし、このサービスは非常にいいですね。
部屋付のお風呂。お湯は源泉かけ流しです。


露天じゃないところが残念ですが、雰囲気は悪くないです。お湯もまろやか。


そして、楽しみの夕食は、部屋でゆっくりと…。



ただで泊まらせて頂いたからベタ褒めするわけではないんですが、たぶん、今まで泊まった旅館の夕食の中で、一番好感が持てたかなと。内容も豪華ですが、何より、一品ずつとても丁寧に作って下さっているのがちゃんと伝わってくるお料理ばかりでした。やはり、小規模の離れだからこそなんでしょうか。大きな旅館やホテルだと、見た目は豪華で美しくても、厨房でいっぱいお皿を並べて大量生産的に作っているのが目に浮かぶような味でがっかりすることがありますが、ここのは、一品一品気合が入っていて、しかもその都度、いいタイミングで仲居さんが持ってきてくれるので、本当に美味しく頂くことができました。上の写真、右下の鉢は、イトヨリの道明寺蒸しだそうで、桜葉で包んであり、とても繊細なお味でした。添えてある桜の花の形をしたものは、かまぼこのように見えますが、実は長いもをくり抜いたものだそうです。季節感に溢れ、創意工夫が感じられます。



山口と言うと、やっぱりふぐ刺しとか出ちゃうのかな〜なんて楽しみにしていたんですが、ズバリ、ふぐ刺し・ふぐ鍋・ふぐの唐揚げと、ふぐ尽くしのような料理に大満足。ふぐ料理なんて、会社の上司のおごりとかでしか食べたことないよ(笑)。量的にも、めちゃくちゃお腹いっぱいですが、食べきれなくはないという、絶妙な量でした。それから、旅館の夕食と言うと、必ず牛肉が出てきて辟易することがありますが(往々にして「とりあえず牛出しときゃいいんだろ」的な雑な味だったりする)、こちらのステーキは二口だけ、非常に美味しいお肉を出してくれました。もうね、中高年になると、これ見よがしに牛肉とかゴロゴロ出されても大して食欲そそらないわけですよ(笑)。その点、こちらのシェフは、最後まで美味しく食べられることをきちんと考えてくれている、そんな風に感じました。
そうそう、お酒は、山口と言えばやはり…ということで、「獺祭(だっさい)」を注文。獺祭の「純米大吟醸(磨き二割三分)」とかいうのでしたが、すっきりしていながら甘みも感じられる旨い酒でした。

デザートはあまおうのムース。


甘酸っぱくて、とても美味しかったです。


そう言えば、あまおうの産地・福岡県とは、海を隔てたお隣同士ですもんね。
食後は、本館の大浴場へ。

露天風呂は、塀に遮られて大した眺望はありませんでしたが、若い桜の木があって、咲き始めたばかりの花を見上げながら入る湯はなかなか気持ちのいいものでした。

桜は満開ばかりがいいとは限りませんね。魁のように枝先にぽつぽつと咲いているのも風情があって素敵です。

こちらの写真は、本館と離れの間の中庭。こちらの桜もちょうど咲き始めでした。
萩城址近くの土産物屋さんで買った夏みかんの缶チューハイを湯上りに。


味は、まあまあかな。
翌朝、6時前に起床し、部屋の温泉に入ってから朝食会場へ。


写真は、中庭の桜を、離れの廊下から見上げて。
この日も予定がつまっているので、朝食は一番早い朝7時から。


少しずつ色んなものを出してもらえるのはありがたいです。


また始まる長い一日のために完食。
宿のご厚意で、長門湯本駅まで車で送って頂きました。


写真は駅前の様子。立派な桜の木がありますが、寂れた感が否めません。


天気も、大分あやしいですね。


最初に載せたものの使い回しですが、一応、再度広域地図を。


さて、この日の予定ですが、JR長門湯本駅から、美祢線、山陰本線と乗り継いで、先ずは東萩駅まで戻ります。秋吉台方面へは、萩より、長門市や長門湯本辺りからの方が距離的には近いのですが、如何せん、交通手段が無いので、萩まで戻らねばなりません。


そもそも、秋吉台エリアへ公共交通手段で行くには、東萩から大正洞を経由して秋芳洞へ行くバスが一日に2本、その逆向きのルートが同様に2本しかないようです。


防長交通HP↓ 別窓展開
http://www.bochobus.co.jp/


と言うことは、必然的に、1日2本あるうちの1本目のバスに乗って大正洞へ行き、2本目のバスで大正洞から秋芳洞へ移動するしかないということ.。しかし、帰りに逆向きの2本目のバスに乗ろうとすると、秋吉台&秋芳洞の観光が1時間ちょっとしか時間が取れないという事態に…。そこで、秋芳洞からの帰りは、萩方面へは戻らず、比較的便が多い新山口へ向かうことにしました。しかも、夜行バスの運賃は萩からよりも新山口からの方が一人当たり4,000円も安いので好都合(新山口は新幹線との競争があるので安いのでしょう)。


大正洞と秋芳洞の両方に行くためには、このスケジュール以外は組めないという…、公共交通機関を利用して旅する人にとっては本当に行きにくいエリアです。

長門湯本駅8時38分発の電車に乗車。


写真は長門市を流れる深川川(ふかがわがわ)。


堤防沿いの桜がきれいですが、如何せん天気が…。
途中、長門市駅で山陰本線乗り換え、東萩駅へ。


こちらの写真は、東萩駅のひとつ手前の萩駅。


ノスタルジックな雰囲気が素敵な駅ですが、萩観光の窓口は東萩駅の方なので、こちらは無人駅。堂々と「萩」と名のついた駅が無人駅なんて、ちょっと意外ですね。
大きな桜の木が、歴史ある萩の街にふさわしい情緒をかもし出していますが、乗降客はほとんどなし。
萩駅を過ぎてすぐ、山陰本線は阿武川を通過します。


阿武川は、この地点で、松本川(写真右)と橋本川(写真左)に分かれています。つまり、ここは、萩の三角州のちょうど先端というわけですね。


橋本川の先に小さく見える山は、例の指月山です。
9時50分、東萩駅に到着。

前日はバスで萩入りし、玉江駅から電車に乗ったので、東萩駅はこの日が初めて。「維新のふるさと」の文字に、改めてここが幕末に討幕派の先鋒となった長州藩のお膝元であったことを実感します。

秋芳洞行きのバスは1時間後。途中、大正洞でお昼になりますが、昼食を食べる場所があるかどうかわからない(大正洞はマイナーなのかHPもない)ので、バスを待つ間におにぎりでも購入するつもりでした…が。

なんと、東萩駅の中には売店ひとつありません。一大観光地(のはず)なので、一応、観光協会の窓口はあるのですが、ちょっとしたおみやげコーナーはおろか、キオスク的な売店も一切なし。
むむむ。でも、駅の周辺には何かしらあるだろうと思って、駅の外に出てみたのですが、見回してみても、お店らしきものの影は見当たらず(←の写真は東萩駅)。

駅前にはちょっとしたホテル(ひとつ下の写真)があるので、その中または付近にコンビニや売店があっても良さそうなものですが、何にも無い…。

実は、先刻電車の中からスーパーらしきお店をちらっと見かけていたので、一縷の望みを託して行ってみたら、それはスーパーではなくホームセンターだったという始末。
時間的余裕はかなりあるのに、東萩駅周辺で、おにぎりひとつ買えないとは、これ如何。

駅から見える範囲には無いだけで、いくらなんでも、少し歩けばコンビニくらいはあるだろうと思い、駅中の観光協会の窓口にいる方に訊いてみたところ、「ないんですよ」と、耳を疑いたくなる返答が…。

あまりにも予想外な状況に、観光協会の方に思わず愚痴ったところ、「そうなんですよ」と大いに共感して下さり、色々お話を聞くことができました。
山口県は、政治家、とりわけ自民党議員を多数輩出しており、彼らが道路ばかり造ったものだから、自動車社会に拍車がかかり、公共交通機関はより一層廃れてしまったということらしいです。

これを聞いて、なんだかすごく納得してしまいました。萩も秋吉台も立派な観光地なのにやけにスケジュールが組みにくい、市街地でもないところで妙に渋滞気味(ほとんどの人が車で通勤しているから)、駅と駅周辺がやたらと廃れている…など、計画段階から抱いていた違和感が、ここへきてストンと腑に落ちたといった感じです。

それにしても、山口県出身の政治家が多いというのは、やはり長州藩という土壌があったからですよね…。つまり、この地が維新の先駆けとなったことが、巡り巡って、「東萩駅でおにぎりひとつも買えない」という現在の状況をもたらしたということ?
風が吹けば何とやらで、それは言いすぎかもしれませんが、あながち因果関係がないとも言い切れないでしょう。駅に掲げられていた「維新のふるさと」という言葉も、こうなると皮肉にしか思えません。観光協会の方も、観光客には不便過ぎると嘆いていらっしゃいました。

しかし、もちろん悪い面ばかりではないんですよね。萩の城下町が昔の風情のまま残っているのも、道路社会になって、開発の波が郊外に伸びていったおかげだとも言えるでしょう。住んでいる方々にとっては、車さえあれば便利でしょうし。
ひとつ上の写真は、スーパーを探して駅周辺を歩いた時に撮ったもの。東萩駅から歩いて数分のところに、こういう昔の蔵が残るお家があったりします。山陽新幹線が通っている、岡山、広島、新山口辺りでは、駅前にこの風景はありえないでしょうし、萩がアクセスしづらい土地であることは、案外悪いことではないのかもしれませんね。

でも、2015年の大河は吉田松陰がらみらしいですし、少しは観光客誘致に力が入ることでしょう。

さて、だいぶ脱線しましたが、結局お昼ごはんは調達できないまま、10時50分発の秋芳洞行きのバスに乗車。
バスは国道262号線を南下していきます。262号線と言えば、高耶さんを乗せた車が萩入りする際に通った道です。

<「ROUTE 262」の文字が眼に入る。どうやら車は国道262号線を北上している。山口市内を抜けようとしているところだ>(11巻『わだつみの楊貴妃 中編』98ページ)

写真は、秋芳洞方面へ通じる県道32号と分岐する手前辺り。作中に出てきた場所とは異なりますが、国道262号を北上して萩入りしたのであれば、この場所も通ったはず。
因みに、国道262号線は、「萩往還」と呼ばれる古道で、幕末には志士たちが往来していた道なのだそうです。


←の写真は、262号から外れた後に撮ったものだったと思いますが、山口県って長閑な場所が多いですね。日本の原風景とでも言うんでしょうか。初夏にはホタルが飛んでいそうです。
東萩駅から50分ほどで、大正洞のバス停に到着。
広い駐車場が閑散としています。この日は一応土曜日なんですけどね。


この季節は秋吉台周辺はまだまだオフシーズンなのでしょうか。萩では結構咲いていた桜も、この辺りではまだ蕾です。


でも、駐車場脇に一応お店があり、軽食が食べられるところもありそうなので、一安心。
駐車場から大正洞の入口までは、結構長いアプローチが続いています。
数分歩いて、料金所に到着。


そう言えば、こういう観光地化された洞窟に入るのって、初めてだったような…。
整備や維持にお金がかかるので仕方ないのでしょうけれども、洞窟の観覧料って意外と高いんですよね。大正洞は1,000円、秋芳洞は1,200円。

何か割安のチケットとかないのかなと調べたら、この「三洞周遊共通チケット」なるものを発見。秋芳洞、大正洞、景清洞の三洞を観ることができて、1枚2,000円。景清洞には行きませんが、それでも普通にチケット買うより安い…。

ただ、発売期間が限られている(有効期間は割と長い)ようで、この時には発売されていなかったため、オークションで入手しました。
大正洞では、無料でマグシーバーを貸してくれます。


説明が聞けてとてもありがたいのですが、複数ヵ所の音声を同時に拾うことが多くて、ちょっと聞きづらかったな…。
料金所から洞窟入口までも、少し距離があります。

←の写真は、「犬ヶ森ポノール」。ポノールとは、雨水を地下の水面まで吸い込む深い竪穴のことだそうです。

このポノールは、ほぼ垂直に40メートルほど下へと水を吸い込み、2キロ離れた景清洞へと流れているそうです。
苔むす森を抜けて洞窟入口へと進みます。


大正洞は、綾子姐さん&友姫VS下間頼廉らのバトルが繰り広げられた場所です。満珠を取り戻すため、綾子姐さんと友姫は、秋芳洞から続く洞窟を通って、この大正洞へとやって来たのでした。
洞窟の入口が見えてきました。

<大正洞は、異様な空気に包まれている。洞内も洞口周辺にも、墨染めの僧兵姿の男たちがあちこちに立ち、見張りをしている>(12巻『わだつみの楊貴妃 後編』44ページ)

この入口周辺も僧兵たちがうろうろしていたのでしょう。
それでは、いざ洞窟の中へ。


写真は、洞窟内から入口の方を振り返って。
洞口で部下へ指示を下した後、頼廉が降りていったと思われる階段(12巻45ページ)。


因みに、大正洞は入口と出口が別々です。作中では、「洞口」とだけ書かれているので、それだけでは入口か出口か判別できませんが、出口の方は入るとすぐ上りになるので、頼廉が最初にいたのはやはり入口の方で間違いないかと。
<ここは戦国時代、土地の人々が戦に巻き込まれて牛を奪われることを恐れて隠したことから“牛隠しの洞”と呼ばれている。五層からなる立体構造をした鍾乳洞だ>(12巻『わだつみの楊貴妃 後編』48ページ)


その、牛を隠したと言われる場所が、入口から少し下ったところにあります。ほんの数頭しか入れられないくらいのスペースですね。
入口から最初の数分間くらいは、下りが続きます。


「五層の立体構造」とのことですが、どこからどこまでが一層なのか、はっきりとはわかりませんでした。
ただ、こんな感じで、要所要所?に、目印となる名称が付けられているだけ。


大正洞のみの公式HPというのはありませんが、「カルストドットコム」という美祢市のサイトに多少案内が載っていますので、確認したい方は↓からどうぞ。


http://www.karusuto.com/  ※リンク先別窓
「仁王門」の少し先で、ここが一番標高が低いところかと思われる場所がありました。ここで、下り道は終了。この先からは上りになっています。


秋芳洞から地下道を通って来た綾子姐さんたちは、大正洞の「最下層」に出たとのことですから、この辺りのことかもしれませんね。
階段が続きます。


地下ということもあり、自分がどのくらい下って、どのくらい上り、どっちの方向へ進んでいるのか、まったく感覚が掴めません。
上りがしばらく続きます。

<なぎ倒した僧兵のなかを綾子と友姫は強行突破した。階段を上に登る。上から駆け降りてくる兵を念で撃ち、矢で射、激しいもみあいの末に、とうとう『満珠』の安置してある階までやってきた>(12巻『わだつみの楊貴妃 後編』52ページ)

この階段も、念を撃ちながら駆け上ったのでしょう。
3〜4分上った後、「よろめき通路」という狭い通路に差し掛かります。
観音菩薩…と言われてもねぇ…。
なだれ岩…、確かになだれっぽくはあるけど…。


特別似ているからと言うよりは、目印の意味で何らかの名称を付ける必要があったのだろうと思いますが、見ている方から言えば、地質学的な説明でも書いてもらった方がありがたいんですけどね。
狭い通路を上った先に、やや広い空間が見えてきました。
ここは「極楽広場」と呼ばれる場所だそうで、左側が第二極楽、右側が第一極楽となっています。


順路は、左の第二極楽から。
第二極楽。


何だか、どこを撮っても変わり映えしないな(笑)。
「こうもり穴」というところがありましたが、こうもりはおらず。


洞窟と言うと、蝙蝠がバサバサッと出てきてキャーというのを想像しますが(おいらはきっと蝙蝠くらいじゃ驚かないけど)、この大正洞でも次の秋芳洞でも、何の動物にも出会いませんでした。残念。
第二極楽にある「子育て観音」。


これは何となく頷けますよ、子どもを抱っこしているように見えますね。小さくてかわいらしい。
第二極楽の最奥は、細くなっていて人は通れないのですが、地上に続いているそうです。
第二極楽から引き返して、第一極楽の方へと向かいます。

左手にあるのは、先ほどの「子育て観音」。

天井部分をよく見ると、小さな鍾乳石が育ちつつあるのがわかります(縮小画像ではわかりにくいですが、小さな棘のような突起がいくつも出ているのが見えます)。
観光地化しているので、洞窟内はちゃんと照明があるんですが、灯りのもとには、コケのような生物が繁殖していました。


すごい生命力ですね。洞窟内の環境に影響がないといいですが…。
第一極楽までやってきました。


左奥の方に見える柵の中に、例の「獅子岩」があります。
こちらの写真は、ぐるっと回って、来た方を振り返って撮影したもの。

<獅子岩と呼ばれる鍾乳石のまわりに祭壇を仕立て、その中央に小さな厨子が安置してある。なかには阿弥陀如来像が入っており、『満珠』はその胎内に収められている>(12巻『わだつみの楊貴妃 後編』46ページ)

この獅子岩周辺が大正洞の中で最も広い空間のようですね。最下層から洞内に侵入した綾子姐さんと友姫は、ここで頼廉らと対峙します。
綾子姐さんに庇われながら、友姫が呪文を唱えると、満珠の力で地底から大量の水が押し寄せ、洞内はあっという間に水没したのでした。


写真は、少し進んでから獅子岩を振り返って。
第一極楽には脇道があって、その奥に「洞内淵」という水たまりがあります。


案内板によると、ここに、目の退化した「シコクヨコエビ」という洞窟や井戸に棲むエビの一種が棲息しているそうです。探してみましたが、見つけられませんでした。
それから、ロマンスの欠片も感じられない「ロマンスくぐり」を通り…、
地味な「ナイアガラの滝」を見ながら進むと…、
第一極楽の端から出口へと繋がる細い道があります。ここからは下りです。

ところで、満珠の力で水が押し寄せて来た後の綾子姐さんと友姫ですが…

<逃げる者たちに逆らって水の噴出口ののほうに移動した綾子と友姫は、大きく息を吸い込むと、いきなり水の中にもぐった。(略) 『満珠』を奪った友姫と綾子は、水中に潜って、別の狭い抜け穴へと進んだ。『風天の石笛』を酸素ボンベ代わりにして交互に酸素を補給しあい、出口へと泳いでいく。(略) ほどなく洞内は、最上層を残して水没したようだ。ふたりは浅瀬まで泳いで、陸にあがった。ここは一番上の階層らしい。細い道の向こうが出口のようだ>(12巻『わだつみの楊貴妃 後編』60〜61ページ)

綾子姐さんと友姫が出た「出口」というのが、観光ルートの出口だったのかどうか…。
←は、ものすご〜く大雑把ですが、獅子岩周辺の位置関係です。

「細い道の向こうが出口」というのは、観光ルートの出口の状況と一致しているんですが、二人は「一番上の階層」に泳ぎ着いたんですよね…。洞窟内で一番標高が高いのは、たぶん第二極楽の奥の方(人は通れないけど地上に通じる穴があるというところ)だったように思います。そっちの方へ向かったというのであれば、「逃げる者たちに逆らって水の噴出口のほうに移動した」という記述と合致します(水は恐らく、下層の「よろめき通路」の方から湧き上がってきたのでしょうから、敵兵たちは出口方面へ逃げるところ、逆方面の第二極楽の方へと移動した、と)。

しかし、前述の通り、第二極楽の奥は、人が通れるような道はありません。観光ルートにはない、何らかの通路があったという設定なのかもしれませんね。或いは、単純に、そこまで洞内の状況を反映させて描いていたわけではなかったか。
まあ、地底の世界って、ミステリアスですから、どこがどこに繋がっていてもおかしくないような、そんな気はしますよね。


こちらの写真は、出口の直前の通路。奥に見えるドアの向こうが外界です。


入口から約30分ほどかかりました。
外は鬱蒼とした森。

<そのときだ。ふたりの前に、突然地下から、浮かび上がるようにして一頭の猛獣が現れたのは。(略) 「景……虎……?」 綾子はそれが景虎の放った虎だということに気づいたようだ>(12巻『わだつみの楊貴妃 後編』62ページ)

<巨大な鳴動と咆哮が地面から起こりだしたかと思うと、足元の下、地底深くを火竜の群れが、マグマを引き連れて轟音とともに駆け抜けていった。北北東に向かった。あの方角は萩だ>(12巻『わだつみの楊貴妃 後編』65ページ)

綾子姐さんたちが出た出口がここではないとしたら、上のシーンもこの場所ではないわけですが、この辺は大体こんな森の中ですから、綾子姐さんがホログラムの高耶さんから「宮島へ行け」と命を受け、地底を行く火竜の気配に不安を覚えたのも、大よそこんな感じの森の中だったかと思われます。
料金所の方へ戻る途中、観光ルートの入口でも出口でもない、謎の穴がぽっかり空いているのが見えました。


やっぱりこういう穴があるんですね。一体どこに繋がっているのか。
こちらは、さっき入っていった入口。


観光客はまばらで、数組ほど見かけましたが、洞内でかち合うほどではなく、終始貸切状態でした。
料金所まで戻ってきました。


この辺りで、とうとう雨が…。
駐車場の方まで戻ります。


しかし、このアプローチ、折角作るんだったら、屋根もちゃんと作ってくれればよかったのに。
時刻は、12時45分。次のバスが来るのが14時3分なので、1時間以上余裕があります。


駐車場脇にある「清風苑」というお土産屋さん兼食堂に入って、昼食を取ることに。
ごぼう天そば、600円を注文。この辺りのカルスト台地は、水はけが良いことから、ごぼうが名産なんだそうです。


観光地の食堂にしては、良心的な値段。おそばはイマイチでしたが、出汁とごぼう天はなかなか。このごぼう天、ちょっと変わっていて、予め味をつけたものを天ぷらにしているようです。なので、柔らかくて食べやすい。
食べ終わって、まだ時間が余っていたので、歩いて数分のところにある「秋吉台エコ・ミュージアム」へ。


入場料無料と言いつつ、協力金一人200円を払うというシステムのようで、一応払いましたが、簡単な展示物があるだけで、特にこれといった目玉はありませんでした。ああ、秋吉台で採れたというトリュフが展示してありました。日本でも採れるんですね。
14時過ぎ、秋芳洞行きの二本目のバスに乗車。


一日二本しかないので、乗り逃せません。
秋吉台周辺の地図です。


バスは大正洞を出て、秋吉台を南北に貫く「秋吉台道路」を通って秋芳洞へと向かいます。


私たちは展望台からの眺めも見てみたいので、「カルスト展望台」に近い「秋吉台」バス停で下車します。


秋芳洞は、南側の正面入口の他、北側に「黒谷口」という入口もあるので、今回は展望台から比較的近いこの黒谷口から入ることにしました(秋芳洞には3つの出入口があり、どこから入ってどこから出ても良いようになっています)。


帰り(新山口行き)のバスは正面入口の方から出るので、洞窟内を往復しないで済みますし、黒谷口から入ると道が下りなので多少楽というメリットもあったりします。


因みに、もうひとつの出入口(「エレベーター口」)は、黒谷口と正面入口の中間(やや黒谷口より)にあるので、あまりお勧めはしません。
数分走ると、バスは広々としたカルスト台地に差しかかります。


緑豊かな季節には、点在する白い石灰岩が草原にいる羊のようだと言われるカルスト台地ですが、3月下旬ではまだ荒野のような趣き。
天気が悪いこともあって、一層寒々しいですね…。


秋吉台に来るなら、やはり夏の方が良さそうです。
大正洞から約15分ほどで、秋吉台バス停に到着。


こちらの建物は「秋吉台バス停留所」と書いてありますが、随分寂れた感じです。昔はわざわざこんな建物を建てるほどバスが通っていたのかもしれませんが、今は本数が少なすぎますし、この寂れようも納得。秋吉台に来る人はほとんどがマイカーか、さもなくば観光バスのツアー客なのでしょう。
バス停から道路を隔てた向こう側に、「カルスト展望台」の建物があります。


こんな天気だし、観光客の姿はほどんどなし。
展望台から北東の方角を向いて。

秋吉台は、東西17キロ、南北8キロに及ぶ日本最大のカルスト台地だそうです。

そもそも、カルスト台地というのは、大昔の珊瑚礁が変化したもので、ひとつの巨大な石灰岩から成ったものだそうです。台地上には無数の石灰岩が顔を出していますが、実はそれらはすべて繋がっているのだとか。

そして、この石灰岩は水に溶けやすい性質であるため、浸食作用によって地下に洞窟ができやすいということなんですね。
展望台から北の方角を向いて。

<「あっちを見てください」と鳴美は北の方角を指さした。「ぼうっと光が見えるでしょう。秋吉台の長者の森から向こう、大正洞のあたりは今、結界のなかにあるんです。(略)」>(11巻『わだつみの楊貴妃 中編』145ページ)

このシーンは、綾子姐さんと友姫(鳴美)が落ち合った「秋芳洞の切符売り場」でのことですので、場所は違いますが、この展望台からその「長者ヶ森」を遠くに見ることができます。矢印の真下辺りです。大正洞は、長者ヶ森の更に向こう側。この広大な台地の地下を、綾子姐さんたちは歩いていったんですね。
こちらは、上の写真の一部を切り取ったもの。矢印の先に見える黒っぽい塊が長者ヶ森です。


そもそも、カルスト台地には土がほとんどないため、木が生えないとのことですが…。長者ヶ森は秋吉台で唯一の原生林で、色んな伝説も残っているそうですよ。
天気悪いし、寒々しいので、黒谷口まで急ぎます。


カルストドットコムに掲載されていたイラストマップを印刷して持参していましたが、マップ自体がわかりにくい上、現場も目印となるものがないわ、道は曲がりくねっいるわで、不安だったので、清掃員らしきおばちゃんに道を教えてもらいました。途中からは案内板がありましたが…。基本的に徒歩移動は想定されていないんでしょうかね。
うん、確かに徒歩移動はあまり想定されていないようですね。人が歩くには不向きの自動車道を通って、黒谷口の方まで下っていきます。
展望台から歩いて15分ほどで、秋芳洞の黒谷口に到着。

ところで、先ほども触れた綾子姐さんと友姫が落ち合うシーンですが、私はてっきり秋芳洞の正面入口のことかと思い込んでいて、現地でもそのつもりで回っていたんですが、今振り返ってみると、もしかしたらあのシーンは正面の入口ではなく、黒谷口、もしくはもうひとつのエレベーター口だったかもしれないと思い至りました。

<秋芳洞の、うえの洞口の、バス・タクシーターミナルに車を止めて、綾子は八階の指さしたほうを見た。秋芳洞の切符売り場にあるベンチに、ひとり、高校生くらいのセーラー服を着た少女が座っている>(11巻『わだつみの楊貴妃 中編』144ページ)

作中の記述によると、「バス・タクシーターミナル」から「切符売り場にあるベンチ」に座っていた鳴美が見えたわけですから、ターミナルと切符売り場は、距離的にさほど離れていないことになります。しかし、正面入口では、バスターミナルは確かにあるのですが、切符売り場からはかなり遠く、とても姿が見えるような距離ではありません。
なので、ずっと腑に落ちないままでいたのですが、今文章を読み返してみたら、「うえの洞口の」と書いてありますね…。うえの? 上の? 高低差的に上ということ? この表現を考慮すると、正面入口はますます当てはまらない。と言うのも、正面入口は山の割れ目のような形をした入口なので、洞窟内と入口付近の高低差はさほどないんですよね。一方、黒谷口の方は、洞窟へ入るにはかなり下って行きますので高低差がかなりあり、「うえの」という言い方もしっくりきます。

そう思って、ひとつ↑の写真を見てみると、「秋芳洞黒谷口」と書かれた屋根の奥が洞窟入口で、そのすぐ右側に切符売り場があるんですが、切符売り場の目の前に確かにベンチがあります。バス・タクシーターミナルは、その更に右側の青い屋根の辺りがそれっぽいとも言えます。よく見ると、タクシーが何台も停まっていますし。ここなら、車寄せの辺りからベンチに座っている鳴美を見つけることも可能です。
あとは、エレベーター口も可能性があるわけですが、如何せんそっちの方は行っていないので、状況がよくわかりません。ただ、地図サイトの航空写真を確認したところ、ターミナルっぽい場所が見当たらなかったので、恐らく、このシーンは黒谷口である方に軍配、でしょうか。


ひとつ↑の写真は、黒谷口の入口付近。人が立っている向こう側が入口。

←の写真は、入口から入って洞窟内へと下っていくスロープ。「3億年のタイムトンネル」と称し、地球誕生から現代までをイメージしたという絵が飾られています。
洞窟内に入りました。


大正洞と比べると、さすがに広々としていますし、鍾乳石も大正洞より派手な感じで見応えがありますね。もちろん観光客もそれなりに多い。


こちらは「マリア観音」。
「石灰華の滝」。
「黄金柱」。


15メートルほどの高さがあります。
途中でエレベーター口との分岐点を通過。
洞内は広く、川が流れています。
「大黒柱」。


天上から下へ向かって成長する「鍾乳石」と、地面から上に向かって成長する「石筍」が繋がった「石柱」です。
洞内を流れる川。かなり大きな水音が響いています。
天上から伸びる小さな鍾乳石。


因みに、ここから先の洞窟内の写真は、三脚を使用しています。
下は水を張った田んぼのように見える「千町田(ちまちだ)」、上は無数の鍾乳石がぶら下がる「傘づくし」。
そして、もうそろそろ出口かというところに、「百枚皿」があります。


棚田そっくりですよね。鍾乳洞の中の緩やかな斜面を少量の水が流れる時、このような生成物を形成することがあるのだそうです。
そう言えば、ミラージュでは、秋芳洞の内部は出てきていませんでしたね。

綾子姐さんと友姫は秋芳洞から続く洞窟を通って大正洞まで行ったとのことですが、秋芳洞内部でのことは書かれていませんし、鳴美が修学旅行中に秋芳洞の中で倒れたというのも、さつきの口から語られただけでした(10巻138ページ)。

でも、ミラージュ抜きでも、一度は訪れる価値がある、神秘の洞窟です。
秋芳洞の出口。いや、通常はこちらが入口なのかな。


洞内を流れる川も、ここから外へと流れ出ています。


時刻は、16時ちょっと過ぎ。実に1時間以上も秋芳洞の中にいたことになります。写真を撮ったりしていましたからね…。通常は見学時間30分程度とのことらしいです。
薄暗い洞窟内では気づきませんでしたが、この川の水は透明ではなく、微妙に乳白色っぽい感じがして、深いところでは青みがかって見えます。


炭酸カルシウムを多く含む水はこのように青く見えることがあるんだそうです。中国の世界遺産「九寨溝」の水が青いのも同じ原理らしいですよ。
入口を振り返って。


大昔に珊瑚礁だったところが隆起して陸地になって、その陸地が雨水によって浸食されて洞窟ができて、大地の成分が溶けた水は鍾乳石などの生成物を生んで…。地球の営みの壮大さを垣間見たような、良い体験ができました。
秋芳洞の内部から流れ出る川。


写真でおわかりでしょうか。きれいな水ですが、少し白っぽく見えますよね。これも石灰成分が溶け込んでいるせいでしょうか。
大正洞と同様、洞口から料金所までは少し距離があります。
5分程度歩くと、料金所が見えてきました。
料金所を振り返って撮影。


ここにもベンチはあるんですけどね…。前述の通り、「バス・タクシーターミナル」が近くにないわけです。
料金所から真っ直ぐ伸びる、参道的な商店街。


お土産屋さんがひしめいています。
ここのお土産屋さんは、古くからある観光地特有の、ちょっとレトロな雰囲気が漂っています。


関東で言えば、江ノ島のような感じでしょうか。どことなく哀愁漂う、チープで、ちゃっちくて、何の役にも立たなさそうな置き物(笑)なんかがたくさん売っています。いやでも、そういうのがちょっとそそられるんですよね、昭和の人間には。
よく目についたのが、鍾乳石の置き物。


え、鍾乳石って貴重なものじゃないの? 200〜300円で売ってるんですけど…。外国産のものなのかもしれませんね。


置き物をひとつ購入。
店先をのぞきながらゆっくり歩いて10分ほどで、T字路に出ます。バスのターミナルがあるのは、商店街がある細い道の終着点の斜向かい。

写真は、商店街の終点辺りからバスターミナルの方を見て。

当然、ここからでは料金所にいる人の姿は見えないわけで。綾子姐さんたちが来たのはこちらの入口だと思い込んでいた私は、この時、???な状態でした。
そのバスターミナルから、私たちは新山口行きのバスに乗ります。


16時40分、秋芳洞ターミナルを出発。
17時23分、新山口駅に到着。こちらは北口(在来線口)。


東京へ帰る夜行バスが出るのは21時20分。それまで結構長い時間を潰さなくてはならないのですが…、思った以上に寂しい駅前の様子に少々不安に…。
事前に目星をつけていた居酒屋さんがあるので、そこへ向かいます。


線路沿いを歩いていると、車両基地のようなところがありました。放射線状に、カラフルな車両が停めてあります。なかなか見ない光景。
鉄道ファンが喜びそうな場所だな〜と思っていたら、なんとSLが走ってきましたよ。


どうやら、新山口〜津和野間を走っているようです。山間の長閑な風景をSLから眺めるのって最高でしょうね。
最初に見当をつけて行ったお店は、たまたま貸切日で入れませんでした。


雨の中さまよって見つけた、こちらの「酒処 輪」へ入店。
こちらはのどぐろの焼き物。他に、アジフライやカキフライ等を注文。


獺祭をちびちびやりながら、美味しく頂きました。
常連っぽいお客さんが「馬刺し」を頼んでいたので、私も注文してみました。

メニューには「赤身」と「霜降」があり、迷っていたら、ご主人が相盛りもできますよとすすめてくれたので、相盛りで注文。

すると、メニューにはなかった白身も一緒に乗っかってきました。これ、「たてがみ」なんだそうです。まあ、要は脂身ですね。味は…あんまりない。赤身なんかと一緒に食べると美味しいそうですが、私はちょっと苦手かな。
悪くない居酒屋さんでしたが、一見客があまり長居できそうな雰囲気でもなく、19時過ぎには食べ終わってお店を出てしまいました。

でもまあ、新山口つったら、新幹線も停まる駅だし、駅中に何かしら時間を潰せるお店があるはず…と思ったらコレですよ。19時過ぎにすべての店のシャッターが閉まってるって…。

岡山や広島のような駅を想像していた私たちはギャフンと言わされました。もう、山口県の公共交通機関には最後までやられっぱなし。
駅の反対側(南口)に行ったら、もうちょっと賑やかなんじゃないかと思って来てみましたけど、駅周辺にビジネスホテルがあるのみ。


飲食店なんかは、かえって北口の方がありそうなので、結局戻ることに。
しかも、駅の南北を移動するのに、工事中か何か知らんけど、駅中から移動できず、屋根も無い高架橋を通って渡らねば行き来できないようで。

寒いわ、濡れるわ、行き場所は無いわで、旅の最後にテンションダウン…。

何とか北口にあったチェーン居酒屋で時間を潰すことができました。
でも、まあ、総合的に、とても良い旅でしたよ。


山口県は初めて旅しましたが、雄大な自然と、歴史情緒溢れる素敵なところだなと思いました。それと、自分の目で見て、その場で体験して、初めて、その土地を理解するという旅の面白さみたいなものを改めて知ったような気がしました。


21時20分発の東京行きの夜行バスに乗って、今回のミラツアは終了。
翌日、自宅に戻ったら、出発前にはまだまだ蕾だった桜がだいぶ咲き進んでいました。


たった数日なのに。春は来るのも行くのも速いです。
それでは、恒例のお土産品コーナー。

こちらは、今回の旅で宿泊した「山村別館」の売店で買ったもの。

「ハギロール」は、母親に。結構美味しかったらしい。

「夏蜜柑菓子」は、夏みかんの砂糖漬け。お部屋にお茶菓子として置いてあったんですが、甘さ控えめで美味しかったので購入。まだ青いうちに採った夏みかんを輪切りにしたものと、完熟した夏みかん柑をスティック状に切ったものとあるんですが、青い方が、適度な苦味があって私は好きでした。
こちらは、萩の街を歩いている時に「風月堂」という和菓子屋さんで購入した、「長門鍔(ながとつば)」という求肥のお菓子。


黒砂糖味と夏みかん味。夏みかんのは、みかんの爽やかな香りが口に広がって、とっても美味しいです。日持ちはしませんが、オススメ。
こちらも、萩の街を歩いていた時にお土産屋さんで買ったもの。


「炙り焼ふぐ」は味つきで、開封してすぐに(骨ごと)食べられる優れもの。おかずにもおつまみにもいいですね。ひとつは亀きち&亀ぞうへのお土産に。


「夏みかんキャラメル」は、よくあるご当地キャラメル。味はまあまあかな。もっと酸味が効いててもよかった。
東光寺の目の前にある「萩焼の東光」で買った杯。


高級そうなお店っぽかったので、高いものばかりかなと思ったら、こちらは何と600円。しかも、ちゃんと箱に入れてくれました。


見た目もきれいですけれど、手に持った感じがすごくしっくりくるんですよね。最近はもっぱらこいつで呑んでます。
東光寺の中にあった売店で買ったストラップ。


NHKの大河ドラマのタイトルバックで使われたという鬼瓦がモチーフになっています。


実はこの鬼瓦、かわいいだけではなく、、両目の部分に小さな棒が入っていて、逆さにすると飛び出てくるんですよ。「目(芽)が出る」という意味が込められているそうです。
こちらは、秋芳洞近くのお土産屋さんで買った置き物。300円也。


鍾乳石、だそうです(亀さんは恐らくオニキス、青いのは恐らくラピスラズリ。台座部分が鍾乳石かと)。


鍾乳石を売っているというのは意外だったんですが、外国産とかなんでしょうかね…。



長いレポートをお読み頂きまして、ありがとうございました。萩と秋吉台のミラージュツアー、いかがでしたでしょうか。何だか最近のミラツア、無料宿泊券頼みになっている気がしないでもないですが(笑)。でも、行きにくい萩へ行くのに良い契機を与えてもらって、本当にありがたかった…。萩と聞いても大して心惹かれなかった相方を誘うのに最強の口実ができましたからね。

時間的にどうしても無理だったため、須佐の千畳敷を取りこぼしていますが、それ以外は、前回の広島ツアーとあわせて、わだつみツアーはほぼ完了、というところでしょうか。

『わだつみの楊貴妃』は、ミラージュ本編の中で最初の大きな転換点なわけですが、私は初読の時はあまり理解できていなかったような気がします。高耶さんの気持ちも、直江の心情も。むしろ、ちょっと反発を覚えていた…かな。やろうとしてもできないことばかりで。大切にしたくても大切にできない、どころか、逆に酷く傷つけてしまう。もちろん、そういう行動はちゃんと理由付けがされているわけですけれども、冷たく当たったり、情熱的に言い募ったり、手のひらを返すような変貌振りがどうしても納得がいかなくて…。そういう欠点や弱さも含め、高耶さんという、直江というキャラクターを愛しいと思えるようになったのは、もう少し後のことでした。

しかし、この『わだつみ〜』での喪失がなければ、もしかしたら高耶さんと直江の関係は平行線のままだったんじゃないか、という気がするんですよね。高耶さんの最後の戦いの日々において、ふたりが心を寄り添わせてともに歩いていけたのは、この悲劇を経たからこそなんだろうなと。

彼らの真摯な想いや、赤裸々な欲望が沁み込んでいるような萩の地を巡るのは、胸が熱くなる体験でした。


さて、例によってレポートが滞っておりますが、山口ツアーの後は以下のような旅をしています。
2014年5月:念願の四万十ツアー+宇和島、宿毛
2015年7月:ミクちゃんツアー(雲辺寺、根香寺)
2015年9月:瑠璃燕ブルースツアー(東京タワーなど)
2015年9月:米沢ツアー
10月は室戸ツアーを予定していましたが、台風の影響で中止になってしまいました(往復の飛行機は飛んだので、高知市街地で遊びました)。またそのうちリベンジします。
のろのろ更新ですが、今後も順次アップしていく予定です。


万歩計データ
3月28日:20600歩
3月29日:19182歩

2014.12.08 up

← わだつみの山口ツアー 前編







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