横浜横須賀ツアー

〜『霧氷街ブルース』、『鷲よ、誰がために翔ぶ』の舞台をめぐる




◆旅行日:2016年2月5日〜2月6日

◆行程:
※下線はミラージュスポット
※グレー文字は後編にて

◇2月5日:
自宅→(JR)→駅→(徒歩)→ホテルニューグランド(ランチ)→(徒歩)→横浜赤レンガ倉庫→(徒歩)→外国人墓地→(徒歩)→カトリック山手教会→(徒歩)→寿町→(徒歩)→ホテルニューグランド→(徒歩)→中華街(夕食)→(徒歩)→ホテルニューグランド(宿泊)

◇2月6日:
ホテルニューグランド→(徒歩)→日ノ出町駅→(京急線)→横須賀中央駅→(徒歩)→横須賀港(軍港めぐりクルーズ)→(徒歩)→横須賀中央駅→(京急線、JR)→自宅

◆同行者:相方、相方母(二日目のみ)


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




2015年さんざんお世話になった「ふるさと割」ですが、そのラストがこちらの「かながわ旅行券」。2016年2月末まで有効ということで、ぎりぎりの2月に、以前から一度泊まってみたかった「ニューグランド」の宿泊に充てることにしました。

ニューグランドと言えば、昭和編の『霧氷街ブルース』に出てきた老舗ホテルですね。ということで、今回の旅は、霧氷街ツアーと相成りました。景虎様と信長が対峙した「赤レンガ倉庫」や、美奈子が景虎様を助けた「カトリック山手教会」などを回ります。

そして、二日目は、まだ行ったことのない横須賀へ。横須賀港は、CDドラマの『鷲よ、誰がために翔ぶ』の冒頭に出てきた場所でした。
↑の写真は、「かながわ旅行券」。1枚1万円分を5,000円で購入。今回はニューグランドで2枚使用。


←の写真は、「かながわお楽しみクーポン」。神奈川県内の観光施設、お土産店、飲食店で使える2500円分のクーポンが1,750円で購入できます。5枚購入して、昼食と夕食に充てることに。


※かながわ旅行券もかながわお楽しみクーポンも既に終了しています。
今回めぐる横浜周辺の地図です。



インターコンチは、今回は行きませんが、近いので一応場所を落としておきました(インターコンチのツアーは、レポート番号9とP1 をご覧下さい)。



半日かけて、ゆっくり歩いて回ります。
いつもなら5分10分刻みで綿密なスケジュールを立てるところですが、何せ近場なものですから、立ち寄る場所と順番だけざっくりと決めて出発。


写真は、山下公園通り。右側の白い建物が早速、ニューグランド。通りの左側は山下公園、その向こうは海です。


時刻は12時30分。既に昼過ぎ…。
<海岸通りに面した高級ホテルの車止めに、黒塗りの外国車が五台。物々しい様子で現れた。外国人居留者のための由緒ある名門ホテルだ>(『霧氷街ブルース』138ページ)


ホテルニューグランドは、昭和2年に開業した老舗ホテルです。所謂クラシックホテルというやつですね。終戦後、マッカーサーが宿泊していたことはよく知られています。覇者・信長がいかにも好みそうなホテルです。
ホテル開業当時の写真を見ると、目の前の道路はまだ舗装もされていない状態だったようです。中は改装を重ねていると思いますが、この本館の建物の外観はほぼ当時のままのようですね。玄関の柱のタイルとか、マッカーサーが写っていた写真のままで、思わず感動してしまいます。


現在は、本館の隣にタワーが建っていて、そちらの方が客室は多いのですが、ミラツアで泊まるなら、やはり本館でしょう。
『霧氷街〜』では、ここのスイートルームに真中丈司が監禁されていて、信長が様子を見に来たところに、丈司の居場所を突き止めた夜叉衆がホテルマンに扮して潜入し、向山の三猛将とバトルを繰り広げる…という展開でした。


写真は、ニューグランド内のカフェレストラン「コーヒーハウス ザ・カフェ」の入口。折角なので、「かながわお楽しみクーポン」を使って、こちらで昼食を頂くことに。
日本生まれの洋食で、実は、ここニューグランドが発祥の地というものがいくつかあります。

このナポリタンは、正にここニューグランドで生まれたものだそうで。昭和生まれの人間にとっては、スパゲッティと言えばナポリタンかミートソースかくらいしか無かったので、懐かしの味です。

とは言え、馴染みのあるナポリタンのだいぶ高級バージョンですな。高いだけあって良い素材を使ってるのか、ベーコンの風味がとってもいい。
こちらは、相方が注文したシーフードドリア。

ドリアもニューグランドで誕生した料理だそうですよ。初代の料理長が、体調を崩した外国人客のために即興で作ったオリジナルメニューだったのだそうです。

他にも、プリンアラモードがニューグランド発祥なんだとか。

ニューグランドの中は、明るいうちに少し回りましたが、チェックイン後に撮った写真とあわせて後ほどご紹介することにします。
と言うわけで、先に別のスポットを見て回りましょう。先ずは赤レンガ倉庫へ。

写真は、赤レンガ倉庫の少し手前にて。道路右側前方が赤レンガ倉庫。奥の方に見えるカマボコ型の白い建物がインターコンチですね。本編の方で舞台になったことはご存知の通り(『黄泉への風穴』)。インターコンチについては、別のレポートで紹介済みです。

本編と昭和編の舞台が交錯するというのも、また新たな醍醐味ですね。
ニューグランドからゆっくり歩いて30分弱、赤レンガ倉庫にやって来ました。

ニューグランドの丈司奪還作戦の途中で重傷を負った景虎様が、力尽き、身を潜めていたのが、この倉庫街の一角でした。

現在、赤レンガ倉庫の中は、各種ショップや飲食店が入る商業施設となっています。倉庫としての利用が廃止されたのは平成元年とのことですので、意外と最近まで現役の倉庫だったんですね。というか、平成元年を最近と言ってしまうと年代が知れますが…。私の中ではやはり、『あぶない刑事』のエンディングのイメージがいまだに強烈です。
<横浜港は霧が濃くなってきた。人気のない倉庫街に霧笛が響く。視界が悪いのは、追われる身にはありがたい。三猛将との闘いで傷を負い、ここまでどうにか逃れてきた景虎だ。倉庫の壁伝いにすがりつくようにして歩き続けていたが、とうとう力尽き、物陰でよろめくように座り込んだ。(略)景虎は眼をつぶり、魚のように口を丸くあけて喘ぎながら、レンガ壁に頭を預けて天を仰いだ>(『霧氷街ブルース』154ページ)

写真は赤レンガ倉庫の2号館。竣工から既に100年以上が経過しています。一時は、壁にたくさんの落書きをされて荒廃していたのを、横浜市がきれいに復元したのだそうです。

景虎様が座り込んだのはどの辺りだったんでしょうね。
<夜露に濡れた線路が、街灯の明かりを反射して、鈍く光っている。景虎は銃口を向けたまま、身じろぎもできなかった。そこにいたのは朽木慎治……いや、織田信長だったのである>(『霧氷街ブルース』160ページ)


線路? そうなんです、この赤レンガ倉庫の前には鉄道が敷かれていたんですね。横浜港は貿易港として物流の要のような場所だったでしょうし、当時の主な運送手段と言えばもちろん鉄道なわけで。現在の様子からは想像もつかない気がしますけれども…、しかし。


←の写真をよくよく見て頂くと、建物の前に、レールが残されているのがおわかりでしょうか。もう再利用することもないでしょうけれど、こういう遺物をちゃんと残してくれているのって、粋な計らいですよね。
“慎ちゃん”が「よく磨かれた革靴」で踏みしめていたレールです(160ページ)。


信長は、横から景虎を狙っていた三猛将の一人を銃で撃ち殺しますが、景虎と息詰まる対峙中にその霊に襲われることになるのでした。しかし、信長は恐るべき力でその霊の魂を砕くといった荒技を見せつけ、二人は巨大な念をぶつけ合い、倉庫街は跡形もなく破壊されたのでした。…あ、この赤レンガ倉庫もぶっ壊されているんですね…。毎度毎度、各地で派手な破壊を繰り返すところは本編と一緒ですね。
景虎様と慎ちゃんが対峙したであろう、レンガ壁の倉庫と、その前を通る鉄道のレール。


景虎様、何気に千載一遇のチャンスを何度も逃してるよなぁ…。まあ、今回は負傷していたので、仕方ないかもしれませんけど。
赤レンガ倉庫のすぐ横は海。


今はがらんとした広場いなっていますが、昔はたくさんの積み荷や労働者でごった返していたんでしょうね。
海を背にして、赤レンガ倉庫を向いて。


左が1号館、右が2号館。2号館の方が少し長いんですね。
時刻は14時30分。


赤レンガ倉庫周辺の散策を終え、元来た方へ戻り、今度は山手方面へと向かいます。


写真は、赤レンガ倉庫近くの新港橋。この橋にもレール跡が残っています。この橋は大正元年に架けられたもので、元は鉄道橋だったんですね。
赤レンガ倉庫を振り返って。


やはり、インターコンチのカマボコ型が目を引きますね。これがあると、一発で横浜だとわかります。
ニューグランドの前を再び通り過ぎ、山手方面へ。


ニューグランド本館の向こうに建つ高層ビルは、ニューグランドのタワー館。
高速道路の高架下から「谷戸坂」という坂を上って、山手エリアへと入ります。


写真は谷戸坂。
折角ですので、「港の見える丘公園」に立ち寄りました。


写真は、公園内の展望スポット。
んー…さほど良い景色でもないな。


横浜ベイブリッジが見えます。
港の見える丘公園から西に少し歩き、15時19分、外国人墓地の前までやって来ました(道路右側の門が墓地の入口)。

<ふたり(長秀、勝長)は流しのタクシーを拾い、その足で向かったのは、外国人墓地だった。八海と合流する手はずになっている>(『霧氷街ブルース』183ページ)

ニューグランドでの衝突の後、長秀は寿町で向山三猛将のうちの一人を追っている最中に勝長と落ち合い、ここにやって来たのでした。なんでわざわざこんなところで合流?と思いますが、人目を避けるためだったのでしょうね。今ではこの辺りは観光スポットも多いので結構人が居ますけれども、当時は違ったのかもしれません。
墓地の中は、関係者以外は勝手に入れませんので、垣根から覗くようにして(手だけ伸ばしてファインダーを見ずに)、墓地の中を撮影。

しかし、日本の墓地にはない美しさを感じるのは何なんでしょうね。十字架というこの形自体がやはり美しいのでしょうか…。人を磔にするための形なんですけどねぇ…。

<人気のない外国人墓地からは港の灯りが見下ろせる。背の低い墓碑が並ぶ一帯は、眼下の騒ぎが嘘のように静まり返っている>(『霧氷街ブルース』183ページ)
上の写真は、港方面とは逆の方を向いています。墓地の中から港を見下ろせる場所が本当にあるのかどうかは不明です。昔はあった、ということなのかもしれませんし、今も場所によっては見通しが良い場所もあるのかもしれません。

こちらの写真は、二つ上の写真の交差点付近から、元来た方を振り返って。この道の突き当たりが港の見える丘公園です。八海がオート三輪でやって来たのは、この道でしょうか。

<そこへ坂の下のほうから霧をくぐるようにしてオート三輪があがってきた>(『霧氷街ブルース』189ページ)
さて、私たちは、山手教会を目指して外国人墓地横の、ゆるく曲がりくねった道(山手本通り)を行きます。


この通り沿いには、洋館や教会、キリスト教系の女学校があり、横浜の山手の雰囲気が味わえる恰好の散歩道です。


写真、道路右手は外国人墓地、左手にある洋館は、山手十番館です。昭和42年に建てられたとのことなので、こちらは古い建築ではないですね。
こちらのグリーンの建物は、山手資料館。


明治42年に建てられた、木造の洋館だそうです。
こちらは、横浜山手聖公会。プロテスタントの教会です。


昭和6年に建てられたもので、外側は大谷石を使っているそうです。
電話ボックス?


「自働電話」と扉に書かれています。


街並みに合わせて昔の電話ボックスを復元したものでしょうか。公衆電話のことを昔は「自働電話」と言ったらしいですね。中には緑の公衆電話があります。


つうか、公衆電話自体が既にレトロな存在ですよね…。
フェリス女学院の横を通りまして、山手教会へと向かいます。


写真は、フェリス女学院の中学・高校の門。
道路の左側に、やっと山手教会の尖塔が見えてきました。


時刻は、15時35分。


夢のお告げを得て、美奈子さんが桜木町駅からタクシーで駆けつけたのが、恐らくこのカトリック山手教会であろうと思われます。
<車はまもなく山手にある天主堂に到着した。すでに門は閉じていて、鍵がかかっている。(略)かくなる上は、と美奈子は足場になりそうなものを捜して、塀を這い上がった>(『霧氷街ブルース』191ページ)

門が閉じていますね。でも歩行者は脇から入れるようになっているので、美奈子さんのように塀をよじ登らなくても大丈夫です。

因みに、塀らしきものは見当たりませんでした。写真で…かろうじてわかりますかね、塀ではなく、柵で囲まれています。昔は塀だったのでしょうか。よくわかりません。
山手教会の聖堂。


美奈子さんの話によると、美しい庭があるとのことですが…。


<敷地の中に忍び込んだ。あの庭だ。夢の中の映像はくっきりと記憶に焼きついている。美奈子は捜した。よく手入れされた庭の噴水の奥。確か「ルルドの泉」を模したマリア像が立っているはずだ>(『霧氷街ブルース』191ページ)
聖堂の右脇の方へ歩いて行くと…。あ、マリア像(写真奥の白い像)。


しかし、庭らしきものはありませんね。噴水もない。


うーん…。手前が駐車場になってしまっているので、もしかしたら、昔はこの駐車場が庭だったのかもしれませんが…。。
<美奈子は悲鳴をあげた。「加瀬さん……!」 慈しみ深く手を広げたマリア像の足許に、加瀬賢三が倒れていた。服は血塗れだ。ひどい怪我を負っている。(略) 「いったい何があったんです。何が!」 加瀬の唇がかすかに動いて、何かを紡いだ。美奈子は耳を近づけた。――……なお……え……>(『霧氷街ブルース』191〜192ページ)

あああああ…、なおえ、なおえ、なおえぇ……。その直江はもちろん血眼になって景虎様を捜しているわけですが…。こういう時に景虎様を救うのは美奈子…なんですね…。
美しいマリア像。でも、作中に書かれたように、手を広げていませんね。これが「ルルドの泉」を模したマリア像なのかどうか、よくわかりません。ネットで調べてもそのような記述は見当たらず…。ただ、ルルドの泉のマリア像というのは、手を広げてはおらず、この山手教会のマリア像のように掌を合わせているようですね。ポーズからすると、ルルドの泉のマリア像に似ているように思います。

傍らにある案内板によると、この聖母像は、1868年にフランスから贈られたもので、1906年(明治三十九年)からこの場所に立っているとのこと。と言うことは、昭和編の時には、このマリア像が確かにここにあったわけですね。

描かれていたような庭もないし、そもそも本当にこの山手教会がモデルなのかという疑問もありますが…。美奈子さんが通っていたのはカトリック系のミッションスクールで、他の地域の教会とも交流があった(190ページ)とのことですから、モデルになった教会は山手にあるカトリック系の教会というのは間違いなく。であれば、やはりここがモデルなのだろうと推測されます。
マリア像の足許に咲いていたミニバラ。


黄色いバラの花言葉はいくつかあるようですが、その中に「嫉妬」というのもあるようです。


嫉妬…。あの男の顔が浮かびます。
<夜の庭で、美奈子は叫んだ。「加瀬さん! 死なないで、お願い!」 血塗れの男を抱いて必死の形相で叫ぶ美奈子を、白いマリア像が見下ろしている。天主堂の尖塔が霧に包まれていく。夜の庭は、咲き始めたばかりの薔薇と血の匂いが濃く立ちこめている>(『霧氷街ブルース』193ページ)


もし本当に、昔は美しい庭があって、駐車場のために潰したというなら、惜しいことですね。駐車場はもちろん必要でしょうけれど…。


美奈子が、もし、この教会へ来なかったら…二人の関係はきっと深まることもなかったんですよね。そう考えると、ここは、ミラージュ全編において重要なターニングポイントだったのかもしれません。
外国人墓地、山手教会とミラスポットをチェックし終え、石川町駅の方に向かって山を下ります。


写真は、山手イタリア山庭園近くの階段。


横浜は、やはり長崎と少し似ていますね。港町、貿易港、洋館、中華街、坂道…。長崎のアウディノスツアーも忘れがたいなぁ…。
石川町駅までやって来ました。


時刻は、16時7分。駅の近くの喫茶店でコーヒーブレイクを取ってから、次のポイントへ。
寿町です。ニューグランドでの衝突の後、長秀が来ていました。


<日雇いの沖仲士たちが集まる寿町で、長秀は向山の三猛将のひとりを追いかけた。(略) 安居酒屋にはたくさんの沖仲士たちが飲んだくれている。赤ら顔の中年男や日焼けした老人、一升瓶をラッパ飲みする若者……、憑依し放題というわけだ。これでは外縛もままならない。そうかと思うと、いきなり後ろから攻撃を仕掛けられる。ビール瓶で殴りつけられ、長秀は路上に転がった>(『霧氷街ブルース』179〜180ページ)
日雇い労働者が集まる街ということで、ちょっと物騒な雰囲気で描かれていますが、実は、現在の寿町もそんな雰囲気が色濃く残っているそうです。

簡易宿泊所が立ち並び、安いお弁当屋さんとか赤提灯の下がる大衆酒場なんかが軒を連ねています。飲み屋の中から「ばかやろう!」という怒鳴り声が聞こえてきて、さすがにちょっとびっくり…。

昼間であれば、一人で歩いて危険なんてこともないとは思いますが…。私は写真を撮るのにファインダーを覗かずにシャッターを切りました。誰か人を撮りたいのではなく、風景を撮りたいだけなので何もやましいことはしていないのですが、さすがに一眼レフを構えてシャッターを切るのはよろしくないところだそうです。
寿町からゆっくり歩いて、17時28分、ニューグランド近くまで戻ってきました。


写真は、山下公園にて。奥に見えるのは氷川丸。氷川丸は昭和5年に、シアトル航路用に建造され、戦時中は海軍の病院船となり、3回も触雷したのだとか。終戦後は復員船を経て再び貨客船に戻り、たくさんの人々を運んだという歴史ある船だそうで。現在はここに係留されており、船の内部を見学することができます。
山下公園から見るニューグランド。


ライトアップされて、ホテルが最も美しく見える頃合いですね。
角度を変えて。


昼間とはまた趣きが全然違います。
17時半過ぎにチェックイン。


今回予約したプランは、60日以上前に予約してお得になるプラン。チェックインは17時以降という制約付きです。どのみち夕方まで散策していますから、好都合というわけで。


料金は、1泊朝食付きで2名で税込21,000円。5,000円で購入した10,000円の宿泊券を2枚使いますので、実際には2名で11,000円ということになります。オレらみたいな貧乏中高年にはありがたい限りです。
部屋の中。泊まったのは本館433号室です。


うわ、目の前にライトアップした氷川丸が。これ、最高のロケーションではないですか。
部屋からの夜景。


山下公園を隔てた向こうに、氷川丸と、遠くには横浜ベイブリッジが見えます。インターコンチ辺りの風景もいかにも横浜という感じですが、ここもまた横浜を代表する風景のひとつではないでしょうか。
さて。それでは、物語的には順序が前後しますが、昼間撮った写真も交えて、ニューグランドでのシーンを振り返ってみたいと思います。

<守信に案内されて、信長は館内に入っていった。赤絨毯が敷かれ、エレベーターで三階にあがる。廊下の一番奥の部屋に着いた。よく磨かれた真鍮のドアノブを開くと、中に、男がひとり。真中丈司だった>(『霧氷街ブルース』139ページ)

写真は、海岸通りに面したエントランスを建物内から撮影したもの。慎ちゃんはこのエントランスから館内に入ったと思われますが、現在は赤絨毯は敷かれていません。ここを入って、すぐ正面にあるのが、吹き抜けになっている二階へ続く↓の大階段です。
大階段の上に美しい装飾で飾られたエレベーターがあります。

このエレベーターはもちろん一階から続いていて、階段をぐるりと回った向こう側に一階のエレベーター乗り場があります。慎ちゃんはそこからエレベーターに乗ったのでしょう。

因みに、↑の本館エントランスは、昔は正面玄関だったはずですが、現在はフロント機能がタワー館の方に移動しているので、ただの出入り口となっています。

そして、作中で勝長殿が潜入していたラウンジが、恐らく本館一階のフロントの近くにあったのだろうと思われますが、現在は、本館一階にはラウンジはありません。後からタワー館が建ったこともあり、ホテル内部の施設はかなり変わっている部分があるようです。
慎ちゃんがここから乗ったであろうと推測される一階のエレベーターホール(ホールというほどでもないんですが…)。


大階段の裏側にあります。人目に付かないから簡素な造りなのでしょうか。往時の方が豪華だったかもしれませんね。
こちらは、夜に撮影した大階段上のエレベーター。昼間見るのとはまた趣きが違います。


さすがに、クラシックホテルの貫禄。
二階エレベーター前から。


階段下が、海岸通りに面したエントランスです。


階段の向こう側はロビーになっています。
慎ちゃんが訪れた真中丈司が監禁されていた部屋は、三階の廊下の一番奥とのことらしいですね(139ページ)。更に、勝長殿の台詞から東の端の三〇一号室だということがわかります(144ページ)。

というわけで、その三〇一号室を探してみました。写真手前のドアが三〇一号室です。が、一番奥の部屋ではありませんでした…。まあ、あくまでフィクションですから実際とは異なる描写だったのか、昔と部屋の番号が違っているのかはわかりません。

それと、信長の覇気に反応するように廊下の天井の電灯が音を立てて弾けていくという、印象的なシーン(141ページ)がありましたが、現在は、そういう弾け甲斐のありそうな電灯ではないですね、当然…。
こちらの写真は、二つ上の写真にも写っていた、本館二階のロビー。天上が高く、風格がありますね。

もしかしたら、とっつぁんが潜入していたラウンジは二階にあった可能性もありますが…、よくわかりません。チェックインしている客でにぎわっているところに紛れていたとのことですから、ラウンジはフロント近くにあったはずです。フロントが一階にあったとすれば(普通は一階ですが…)、ラウンジも一階にあったはず。フロントがもし二階にあったのであれば、ラウンジも二階のこの場所だったかもしれません。
本館二階のロビーを別の角度から。


一階とは打って変わって広々としています。
こちらは昼間撮影していた中庭です。

<「中庭から裏手に出る従業員用通路が手薄だ。そっちを使え。気をつけろよ」>(『霧氷街ブルース』144ページ)

ホテルマンに扮した景虎様がラウンジに潜入していた勝長殿からアドバイスを受ける一幕。実際には、作戦途中で向山三猛将の襲撃を受け、丈司を連れてこの中庭から脱出するということはありませんでした。

それにしても…、ホテルマンの格好をした景虎様の挿絵が見たかったですな…。
中庭から、タワー館を見上げて。


新しくてきれいなんでしょうけれど、やはり建築物としては味も素っ気もないですね。
こちらは、タワー館のロビー。

フロントは、写真右手の方。本館の宿泊者もここでチェックイン・チェックアウトをします。

クラシックなシャンデリアが存在感ありますね。作中にもシャンデリアが登場していました(150ページ)。
そして、おまけ。

こちらは、315号室のマッカーサーズスイート。終戦後にマッカーサー元帥が宿泊していた部屋です。もちろん入れませんが、扉の前まで来てみました。

中はそれほど広くはないそうですが、当時のライティングデスクなどがそのまま置いてあるそうで…。宿泊料金は、二名で二十数万円だとか。
箱根の富士屋ホテルもそうでしたけど、ホテルの豪華さにそぐわない、こういう薄暗い印象の古い階段がひっそりとあったりするんですね。


どこか別世界にでも繋がっていそうな、妙な雰囲気です。
さて、昭和編の横浜ツアーはこれにて終了。


そして、横浜の夜と言えば、やはり中華を食べに行きますよ。


と言うわけで、朝陽門から中華街に突入。
以前一度入ったことがあった「同發別館」というお店へ。


「かながわお楽しみクーポン」を利用させて頂きました。


余談ですが…。これを書いているのは、2017年6月。数か月後に私は四国に引っ越すことになるのですが、今いる関東に未練があるとすれば、横浜中華街くらいでしょうか…。今だってそんなに頻繁に行くわけではないですが、中華料理ってやっぱり全然違いますからね。お店のレベルによって、美味しさが。四国には中華街ないですし…、それでも松山辺りまで出れば、美味しい中華料理屋もあるんでしょうかね。今からそれが気がかりです。

紹興酒と酒のつまみと点心類。このお店は、点心類が非常に美味しいのです。恐らく本場の名店にも引けを取らないのではないでしょうか。エビもぷりぷり、牡蠣も薬味が効いていい味でした。大満足です。

ニューグランドの部屋に帰ると、クルーズ船のロイヤルウイングが帰港するところでした。


ヨコハマだなあ。
翌朝。ニューグランドの朝食です。


ビュッフェでした。色々と揃っていますが、個人的にはインターコンチの朝食の方が好みだったかな。


午前10時頃、ニューグランドをチェックアウト。
日ノ出町駅から京急線に乗って、横須賀中央駅までやって来ました。


相方母と合流して、横須賀軍港めぐりのフェリーに乗ります。


もちろん、ミラージュツアーの一環ですが、黙っていればわかりません(笑)。
横須賀に着いたらもうお昼過ぎ。


ここはやはり海軍カレーでしょうね。「横須賀海軍カレー本舗」というお店で昼食。
横須賀海軍カレースペシャルのチキン。


小麦粉を少なめにし、野菜とフルーツでとろみをつけたカレーだそうです。絶品というほどでもないですが、まずまずですね。
「どぶ板通り商店街」を通って、フェリーの発着地へ。

ウィキペディアによると、「第二次大戦前、この通りには道の中央にどぶ川が流れていたが、人やクルマの通行の邪魔になるため海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、どぶ川に蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになった」のだそうです。今はどぶ川はありません。

スカジャンのお店が目立ちますが、シャッターが下りているお店も多いようで。この日は一応土曜日なんですけどね。

横須賀は、ドラマCDに港のシーンがちらっと出てきただけですので、地図は省略。
大きなショッピングセンターの裏側に、軍港めぐりの出航地があります。

ドラマCD『鷲よ、誰がために翔ぶ』の冒頭で、高耶さんが任務を終えてくる直江を待っていたのが、この真冬の横須賀港でした。

<直江「この横須賀からもたくさんの軍艦が出ていきましたね。どうして黙っているんですか? あなたも長くいたところでしょう?」>(『鷲よ、誰がために翔ぶ』)
海軍時代の話を少しして、結局、言い合いになる二人…。

<直江「……家まで送ります」 高耶「いらない。おまえとの実のない議論は疲れるだけだ。帰り道でもやられたらたまらない」 直江「ひどい言い方ですね」 高耶「せめて主人を疲れさせない家臣になれ。おまえに期待するのはそれだけだ」>(『鷲よ、誰がために翔ぶ』)

なんとまあ冷え冷えとした会話。『鷲よ…』は、時間軸的には、『みなぎわの反逆者』の後くらい、とのことだそうですから、こんな風に氷点下にまで冷却した主従関係も納得ですが…。
海軍にいた加瀬さんには、この横須賀は馴染みの土地だったのでしょうか。


横須賀軍港めぐりのフェリーが到着しました。意外と人気らしく、乗船を待つ人が行列を成しています。予約可能ですので、乗る日時が決まっていれば、予約した方が良さそうです(私は予約していました)。
45分間の船旅で、たくさんの軍艦を見ることができました。どんな船が見られるかは、その時の運次第ということらしいです。軍事情報になりますので、予めわかるということもないそうで。


こちらの写真は、海上自衛隊の潜水艦。この日は、他にもアメリカの原子力潜水艦も見ることができました。素人が見ても何が何だかわからないですけどね、船内にはちゃんと説明のアナウンスが流れているので、興味深く見学することができます。
<千秋「つれないこと言うなよ。横須賀どうだった? アメリカの空母でも来てたか」>(『鷲よ、誰がために翔ぶ』)

ええ、来てましたよ、アメリカの空母。写真は、空母「ロナルド・レーガン」。遠くからの写真で大きさがよくわからないかもしれませんが、全長が333メートルとのことですので、ちょうど東京タワーを横にしたのと同じだけの長さがあるということになります。

しかし、このドラマCDの千秋も、いい人を発揮していましたね。高耶さんと直江が心配で仕方ないといった感じ。それでも、適度に悪態ついて恩に着せないから余計にいい人なんだよなあ。
こちらは海上自衛隊の軍艦3隻(あ、軍艦というのは、正確には違うんですね。あくまで「自衛艦」)。左から、海洋観測艦「にちなん」、護衛艦「いかづち」、掃海母艦「うらが」。

日々一般市民として普通に生活していると、こういう世界があるということを忘れがちですが、日本はたくさんの軍艦を所有しているし、当然金もかかっているし、そこで働いている人もかなりの数に上るわけです。そして、現在もそれが必要な世界情勢である、ということですね。

しかし、灰色の空に灰色の軍艦じゃ、画的に厳しいな。
横須賀も、海軍つながりという点では、昭和編にゆかりのある場所なんですよね。景虎様は加瀬さん、直江は笠原ではなく、山口という宿体の時のことです。

「若くして階級を登り詰めていくあなたの姿は、いっそ心地よかった」と直江は言っていますが、「赤鯨衆の中の高耶さん」みたいなものだったんでしょう。よくわかります。軍服姿の若き加瀬賢三というのも見てみたいな。

写真は、軍港めぐりのチケットセンターで買ったロナルドレーガンのピンバッジ。

お読み頂きましてありがとうございました。横浜は幾度となく来ていますけれども、またミラツアで訪れることになるとは思いもしませんでした。ニューグランドに泊まることもできて良い体験をさせてもらいました。これを書いている2017年6月時点で、昭和編はまだまだ続行中。これから阿蘇のクライマックスに突入することになりそうです。ああ…阿蘇。まだ山上には行っていませんしね。いつか、昭和編ツアーも兼ねての三度目の阿蘇ツアーということになるのでしょうか。火山活動が早く収まってくれるといいですが。

この後も、のろのろペースではありますが、レポート編集続けていきます。ツアー自体は、今年はちょっと厳しいかな。9月くらいに引っ越しを予定していますので…。つうか、それなら余計に関東近辺で残しているところは行かなくてはならないんでした。甲府とか八王子山とか行ってないし。都内にもちらほら残っている場所がありますし。あと、鮫ヶ尾城跡行ってないな…。まあ、引っ越し前に行けなかったとしても、ミラツアとはまだまだ長い付き合いになりそうですので、ゆっくり続けていきます。

ああそうでした。ひとつ、すでに決定しているツアーもあるんです。9月末に室戸の予定が入っています。この室戸ツアーの前までには高知に引っ越して、マイカーで室戸に行くのが、当面の目標です。



2017.06.13 up










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