米沢秋旅

〜上杉と直江と毘沙門天に出会う旅




◆旅行日:2014年9月19日〜9月21日

◆行程:

◇9月19日:
東京駅→(夜行バス)→…

◇9月20日:
…(夜行バス)→米沢駅→(徒歩)→マック→(徒歩)→上杉神社(米沢城址)&稽照殿→(徒歩)→米沢市上杉博物館→(徒歩)→上杉家廟所→(徒歩)→法音寺→(徒歩)→上杉伯爵邸(ランチ)→(徒歩)→上杉城史苑→(徒歩)→林泉寺→(徒歩)→東光の酒蔵→(徒歩)→米沢駅→(JR米坂線)→今泉駅→(山形鉄道フラワー長井線)→長井駅→(徒歩)→タスパークホテル(宿泊)

◇9月21日:
タスパークホテル→(徒歩)→長井駅→(レンタサイクル)→やませ蔵→(レンタサイクル)→はぎ乃湯→(レンタサイクル)→總宮神社→(レンタサイクル)→長井駅→(山形鉄道フラワー長井線)→赤湯駅→(JRいろいろ乗り継ぎ)→東京駅

◆同行者:パートナー


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「デスティネーションキャンペーン」という言葉、ご存知でしょうか。JRと各地方自治体等が協賛して行う観光キャンペーンですが、山形県も2014年の6月〜9月にかけて「山形日和。」というタイトルのデスティネーションキャンペーンを開催していました。

そのキャンペーンの一環として、宿泊券プレゼント等の懸賞もインターネットで実施されていたようで…、されていたようでって、あんまり覚えてないんですけどね、恐らく応募したんでしょうね…つうか、当たったんだから、間違いなく応募したわけですよね(笑)。

というわけで、八月吉日、「タスパークホテル」さんから無料宿泊券が届いたわけです。
このタスパークホテルさん、どこにあるのか調べてみますと、山形県長井市とのこと。
ミラージュファンにとって、山形=米沢ということになりますが、長井は米沢から電車で1時間くらいの距離のようで。この瞬間、米沢ツアーが決定と相成りました。

長井もなかなか素敵な街のようですので、一日目は米沢、二日目は長井を観光することに。山形は、そう言えば、生まれて初めて訪れます。

さて、9月19日夜、東京駅八重洲口にやって参りました。東京駅は本当にきれいになりましたね。
私たちの旅は、基本、貧乏旅行なので、当然のごとく、JR特急などはよっぽどのことがない限り使いません。今回の交通手段は、行きは夜行バス、帰りは普通列車です。

ただ、夜行バスと言っても、東京から米沢まではさほど遠くないので、東京駅を23時05分に出発して、米沢駅に着いたのは約5時間半後の、早朝4時半頃。辺りはまだ真っ暗です。

写真は米沢駅。
米沢駅には、こんなポスターが貼ってあったりして、ああ上杉の城下町に来たんだなあと、早速実感。

米沢って、ミラツアの行き先として、大定番ではありますが、考えてみると、実際にストーリーの舞台になったということはないんですよね。私の記憶では、20巻『十字架を抱いて眠れ』の中で、邂逅編当時の景虎様と直江が米沢城下を訪れた回想シーンがありましたが、それだけだったかと。

とは言え、米沢には、上杉家ゆかりの場所が多数ありますので、桑原先生の『炎の蜃気楼紀行』や『ミラージュ・フォト紀行』も参考にしながら、それらのスポットを巡ってみたいと思います。
まあ、普通、ミラファンの方々が米沢を訪れると言えば、やはりゴールデンウィークの「上杉まつり」の時というのがお決まりなんでしょうね。私もいずれ行ってみたいですが、今回は、秋の実りの時期にしっとりと米沢を楽しみましょう。

まだ9月ではありますが、事前に天気予報で気温を調べてみると、深夜から早朝は10度くらいに下がるようだったので、ダウンジャケットを持参しました。バスを降りると確かに寒い。半袖の上に羽織りまして、米沢駅前を出発です。

空は次第に白んできました。駅前の道(県道232号)をまっすぐ行くと、「ホテルアルファワン」が。直江津で泊まったのが懐かしい。


先ずは地図を確認してみましょう。米沢駅から上杉神社までは約30分という距離感。上杉家廟所や林泉寺はそこから更に少し離れたところにあります。市民バスもあり、一日乗車券なども発売されているようですが、私たちとしては、この程度ならバスを待つより歩いた方がいいかなと、すべて徒歩で回ることにしました(レンタサイクルもありますので、レンタサイクルで回るというのもひとつの手です)。
先ずは、まだ薄暗い早朝ですので、マクドナルドで時間を潰します(早朝やってそうなお店が、このマクドナルドかその近くのガストしか見当たらず…)。他のスポットから結構離れていますが、夜明けの最上川沿いを散歩するのも悪くないですしね。それに、相生橋からは、上杉まつりの際に、「川中島の合戦」の再現イベントが行われる河川敷(地図上の赤い部分)を見ることができます。
マックである程度、時間を潰した後は、先ずは謙信公にご挨拶ということで、米沢城址にある上杉神社を参拝し、上杉神社の宝物殿・稽照殿と米沢市上杉博物館を見学、それから上杉家廟所を参拝した後、一旦、米沢城址の方へ戻って、上杉伯爵邸で昼食を取り、林泉寺へ向かいます。米沢駅に戻りがてら、酒造資料館である「東光の酒蔵」を見学して、この日のツアーは終了です。

米沢駅を出発して、10分程度で最上川に架かる相生橋に到着(交差点を越えた向こうが相生橋)。


時刻は5時少し前。
相生橋の上から、最上川の南(上流方向)を見て。

最上川(米沢では、「松川」と呼ばれているらしい)はこの先、たくさん合流を繰り返して大河になっていくようなので、ここ米沢ではまだ大して広くはないですね。河川敷は広いですが。

その河川敷は、「川中島の合戦」のイベントが毎年行われる場所です。
確かに広々としています。


かなり迫力があるんでしょうね。一般の人も甲冑武者として参加できるそうですよ。


空はだいぶ白んできました。
西の空に残っていた、逆三日月。

余談なんですが、大河ドラマの『天地人』、後からレンタルで頭の方だけ見たんですけど、北斗七星のくだりで、画像が北斗七星ではなく、射手座の「南斗六星」になっていて、げんなりしました…。いくらなんでも北斗七星を南にある南斗六星と取り違えるのは…。結構大事なところなのに。

まあ、知らなければ有り得ないことではないですが…。私も気をつけよう。
たまにウォーキングやランニングをする人とすれ違いながら、川沿いを北へ向かって歩きます。


川を見ながら…と思ったんですけど、河川敷が広すぎて、実際川面はほとんど見えないという…。
ファミマがあったので、温かい飲み物を買いました。

やはり盆地だからでしょうかね、日中と夜間の温度差が激しい。この後、昼間は半袖で回りましたけれども、朝は本当に寒かったです。ダウンジャケット持って来て大正解。

そう言えば、桑原先生も、上杉まつりの催しのひとつ「武てい式(漢字が出てこない)」で「凍えて死にそうになった」と書かれているので、やはり米沢の朝晩は侮れないということですね。ツアーに行かれる方は気をつけて下さい。
ようやく朝日が射し込んできました。


時刻は5時53分。
河川敷は、すすきの穂が揺れて、秋の気配ですね。
堤防の外側では、秋の花・コスモスが咲き乱れていました。
6時15分、マクドナルドに到着。


この時は6時開店だったようですが、このレポートを書いている時点では、7時開店に変わったようです。マックも問題続きで、赤字のようですから、採算を取れるよう色々見直しをしているんでしょうね。
フィレオフィッシュとホットコーヒーが朝ごはん。

あ、すみません。いつも写真撮るの忘れて、一口食べてから撮っちゃうんですよね。

もちろん、高耶さんのことを想いながら食べました。でも、高耶さんは、米沢には来たことないですよね、たぶん。そう言えば、越後にも足を踏み入れたことがないんじゃないかな。ミラージュ本編のラストシーンは直江津の浜辺でしたけれども、もちろん物語の幕引きとして、これ以上に相応しい場所はないわけですが、直江がきっと高耶さんに見せたかったんでしょうね、越後の海を。
マックで1時間ほど休憩させてもらいまして、上杉神社に向かって、マックの前の道を真っ直ぐ南下していきます。


こちらは、その途中で通り過ぎたスーパーの店頭。ああ、こんな地方にまでハロウィンの習慣がはびこってきたか…、と思いきや、ちゃっかり「いも煮会」用の宣伝も。山形県民がいも煮会に心血注ぐってのは本当だったんですね。なんか微笑ましい。
「大沼」という地方デパートの周辺が昔ながらの商店街のようで、雁木造りのアーケードになっていました。


こういうところも、なんとなく越後を彷彿とさせるんですよね。
上杉神社の標識が見えてきました。


この交差点を北へ(写真右方向へ)曲がると上杉神社です。
上杉神社手前に、年季を感じさせる校舎を発見。

「九里学園高等学校」という、百年以上の歴史を誇る私立高校だそうです。現在は共学ですが、当初は、男尊女卑の時代に女性の自立を目指して創立した裁縫学校だったそうです。校舎は、昭和10年に建てられたものだとか。

米沢は歴史を感じさせるものがたくさん残っている街ですね。
時刻は8時18分。上杉神社の入り口に差し掛かりました。


交差点を渡って、道を真っ直ぐ行った突き当たりが上杉神社です。
真っ直ぐ続く参道。先の方に小さく鳥居が見えます。

この道の右側には、土産物屋&レストランの入っている「上杉城史苑」、左側には「米沢市上杉博物館」があります。

米沢はほんと、上杉だらけだな。
少し行った先に、上杉鷹山公の銅像が。

上杉神社は、上杉謙信を祀る神社ですが、すぐそばには、上杉鷹山らを祀る「松岬神社(まつがさきじんじゃ)」もあります。

米沢の町を回った印象としては、やはり最も崇められているのは謙信公で、その次に崇敬を集めているのが、この鷹山公という感じがしました。

鷹山公は、米沢藩第九代藩主で、質素倹約を奨励し、藩の財政難や飢饉を乗り越えた名君として知られています。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という言葉は有名ですね。また、アメリカ元大統領のジョン・F・ケネディは、政治家で最も尊敬するのは上杉鷹山だと語ったことがあるそうですよ。

お堀を渡る橋の前までやって来ました。

上杉神社は、米沢城の本丸跡に建っているのですが、お堀以外の遺構は特にないので、城跡感はあまりありません。平城ですし、そもそも天守も元からなかったそうです。
はためく「毘」の旗に上杉を感じて、思わずテンションがあがってしまいます。
橋を渡ったところには、謙信公の像があります。

謙信公は、ミラージュで言えば、景虎様が四百年の換生人生を送ることになった大元的存在なわけですよね(一時は、ラスボス的雰囲気さえ醸し出していたように思えました)。景虎様は、謙信公をこの上なく崇敬していたようですけれども、ミラージュ本編って、景虎様が謙信から自立する過程を描いた物語だったとも言えるような気がします。

歴史上の人物としても、物語の中の人物としても、謙信って神格化され過ぎていて、いまいちピンと来ないんですよ、個人的には。
その傍に、「伊達政宗公誕生の地」と書かれた石碑があります。


米沢城は、政宗さんが生まれた場所でもあったんですね。
堀を渡ってすぐ右手に、こんもりと小山のように高くなっているところがあるんですが、ここはかつて、謙信公の遺骸が安置された御堂が建っていた場所だそうです。
上にのぼると、石碑と案内板があります。


春日山で亡くなった謙信の遺骸は、漆で密閉された甕に納められており、景勝の代になって、越後から会津、会津から米沢へと移封される度に遺骸も移され、米沢ではこの場所に安置されていたそうです。明治の廃藩に際して、この地は上杉神社となり、遺骸は上杉家廟所の方に移されたのだとか。
御堂跡から、堀と米沢の街を眺めて。


上杉の治める米沢を、謙信もここから見守っていたのでしょうか。
小山から下りて、再び参道を奥へと進みます。

重厚感のある石造りの鳥居に、「上杉神社」の額が架かっています。
石造りの鳥居を潜った先に、手水舎があります。

普通、こういうところの水の出口って、龍が多いと思うんですが、ここでは虎です。「越後の虎」に因んでということなのでしょう。

そもそも、謙信の幼名「虎千代」は、彼が生まれたのが寅年の寅の月、寅の日だったからそう名付けられたと言われているそうです。
二つ目の鳥居は、神聖な佇まいの木の鳥居。
その先に、神門があり、更にその先が拝殿になっています。


鳥居や門を潜る度に、ここが神域であることが強く感じられ、心が洗われていくような気がします。こういうプロセスって結構大事ですね。
神門の前に控える狛犬も、筋骨隆々でどこか虎っぽいんですが、虎…なんですかね?


牙がないから、やっぱり犬かな。
こちらが拝殿。


米沢がこれからも素敵な土地でありますように(どこかにお参りすると大抵これをお願いする)、それと、これからも楽しいミラージュツアーができますように、と謙信公にお祈りしてきました。


この写真でお参りしているのは、私です。
朝陽を背負う神門が神々しい。


朝…と言っても、時刻は8時49分。上杉神社の宝物殿「稽照殿」は9時からですので、ちょうどいい頃合になってきました。
その稽照殿は、一つ目の鳥居と二つ目の鳥居の間を、社殿に向かって右の方へ行ったところにあります。

しかし、その前に、一つ目の鳥居の手前まで戻って、観光協会に立ち寄ります。そこで購入したのが、こちらの「米沢観るパス」。

稽照殿、上杉博物館、上杉家廟所、東光の酒蔵、宮坂考古館の入場券がついて1,000円でした。それぞれ別に支払うよりお得です。更に、レストランやホテルなどで使えるクーポンもついています。

期間限定のパスですが、2015年も発売していたようですね。内容は少し変わったりするようですが、割と毎年実施するのかもしれません。
上の写真、左に写っているのは、無料で配布されていた「節電うちわ」。かねたんのキャラクターが可愛らしくて一枚頂きました。


こちらの写真は、観光協会に置いてあった折り紙のミニ兜。私は、「毘」と書いてある黄色の兜を頂きました。ここだけでなく、色んな観光スポットで配っていましたよ。
こちらが稽照殿。


例の、直江兼続の「愛」の前立が展示されています。
それだけでなく、謙信の遺品なども多く展示されていました。

謙信所用の鎧に、愛用の杯や琵琶、川中島で被ったと伝えられる頭巾、直筆の書(これは複製でしたが)まで。

あの謙信公が自らの手で触れたであろう品々を、自分の眼で見ることができるなんて、とても不思議な体験でした。私たちの日常生活においては、上杉謙信なんて、ほぼ伝説くらいの存在でしかありませんが、こういう品々を見ると、彼の息遣いさえ聞こえてくるようで、ちょっと感動しました。
お参り&宝物拝観の後、授与所でお守りを購入。


最後の、恒例土産物紹介コーナーに載せますね。
天地人の景勝&兼続主従像なんてのもありました。


別のふたりを重ねて見てしまうのは、ミラージュファンのさがですな。
時刻は9時49分。

米沢市上杉博物館の方も見学していきましょう。観るパスも使えますので。

芝生の向こうに建つ近代的な建物が上杉博物館。

ここでは、信長から謙信に贈られたという「洛中洛外図」を見ることができます(展示期間外の場合もあるようです)。
上杉博物館を見終わり、時刻は11時22分。お堀に架かる橋の前まで戻ってきました。米沢城址周辺の観光はひと先ず終了です。

<景勝の訃報をきいて、景虎と直江は米沢という土地を訪れた。(略) 景勝の死を悼む米沢城下を、景虎と直江は、遠くからただ、見守っていた。遅い桜の季節だった。(略) 上杉が生き残れたのは、景勝のちからだ。米沢という、ふたりの歴史にはなかった土地で、上杉はこれからも生きていく。そして自分たちもなお……生きていく。城下を見おろす山は、風に舞う桜吹雪に包まれていた。景虎のかたわらには、いつしか、直江が常に寄り添うようになっていた>(20巻『十字架を抱いて眠れ』171〜172ページ)
20巻での回想シーンです。「城下を見おろす山」に二人は居たようなので、場所も違いますし、季節も違いますが、ここで引用してみました。

景勝の死は、彼らにとって、確実にひとつの区切りとなったことでしょう。自分を死に追いやった、または自分が生前仕えた人間が死ぬことによって、自分の存在も歴史の中に葬られ、二度目の死を迎えたような気分だったかもしれません。それと同時に、景勝から切り離された換生人生の始まりだったとも言えます。米沢の城下町を見守る二人は、本当に複雑な心境だったでしょうね。

写真は、お堀の北東角から米沢城址を向いて。


この後は、お堀の北側を通って、上杉家廟所へと向かいます。廟所をお参りしてから、上杉神社の南側にある「上杉伯爵邸」でランチです。

お堀の北西辺りは、蓮の葉で埋め尽くされていました。


もう9月なので、さすがにほとんど咲いてはいませんでしたけど(何個かは咲いていました)。
密生する蓮の隙間で、亀ちゃんと鴨さんが仲良く?休憩していました。


ほっこりするツーショットですね。
県道233号を真っ直ぐ西へ進みます。


上杉家廟所まで900mの看板が。
途中で、見慣れた漢字の羅列を発見。


毘沙門天を祀るお堂のようですね。


せっかくなので、お参りしていきましょう。
案内板を見てみると、こちら「善日山千勝院」は、元は越後高田にあった謙信の祈願所で、上杉の移封とともに米沢へ移ってきたのだそうです。


とてもこじんまりとしたお堂ですが、上杉まつりでは、武てい式の前には必ず立ち寄ることになっているそうです。
233号から斜めに真っ直ぐ伸びる道があり、その先が上杉家廟所です。杉木立の辺りですね。


何となく、仙台の瑞鳳殿を思い出します。
上杉神社からのんびり歩いて30分程度で、廟所の入り口に到着。


張られた幕には、上杉家の家紋が。
樹齢四百年を越すという大杉の間を進んで行くと、上杉家歴代藩主の廟がひっそりと佇んでいます。


とても厳かな雰囲気です。
米沢に来て、もう見慣れた感すらある「毘」と「龍」の軍旗がここにも。
真っ直ぐ行った突き当りが、謙信公の廟所で、そのやや手前に左右に整然と並んでいるのが、景勝公以降の歴代藩主の廟所です。
謙信公の廟所に向かって左側。こちらは偶数代藩主の廟所になります。


あれ。さっき第九代と書いた鷹山公のお墓がこっち側にあるぞ。なぜに? と思ったら、謙信公を初代として数に入れる場合は第十代になるということなんですね。なるほど。
こちらは、右側の奇数代藩主の廟所。


鷹山公の前の代から、鷹山公の考案で、少し簡素な造りとなっているそうです。こういう、身を削って財政難を乗り越えようとする姿勢が、名君と呼ばれる所以なんでしょうね。
こちらは、景勝公の廟所。


第二代として数えられていますので、参道のすぐ左手に鎮座しています。
そして、こちらが初代謙信公の廟所。

先刻も少し触れましたが、謙信公の遺骸は、春日山から会津を経て米沢城へ、明治に入ってからこの廟所へと移されたとのことです。

言い伝え通りならば、謙信公の遺骸は、今も甲冑を着て、この地下に眠っていることになります。

そっと手を合わせて参拝終了。
上杉家廟所の少し手前に、上杉家菩提寺の「法音寺」というお寺があります。

謙信公の時代には春日山にあり、やはり上杉家の移封に伴い、米沢へと移転してきたお寺です。

元々立ち寄る予定もなかったのですが、前を通りかかったら、山形デスティネーションキャンペーンに協賛して、宝物展が開催されていると知り、拝観させて頂くことに。
中へ入ると、檀家の方々が受付をして下さって、一組ごとにお寺の中の宝物を回って詳しく説明をして下さいました。大して歴史を知らない観光客なのに申し訳ないくらい丁寧に。でもこういうのは大変ありがたい。


何度も場所を移り変わったとは言え、さすが歴史のあるお寺だけあって、古く貴重な宝物がたくさんあります。
中でも、思わず胸が震えてしまったのが、「泥足毘沙門天」です(←の写真参照)。

こちらは、謙信公が春日山の毘沙門堂にて崇拝されていた毘沙門天像とのことで、ある時、謙信公が戦から帰還したところ、堂内に泥のついた足跡がこの毘沙門天像まで続いていたことから、「毘沙門天が共に戦場を駆け巡ってくれた」と歓喜したというエピソードがあるそうです。

あの春日山の毘沙門堂にあった泥足毘沙門天像の本物を拝見することができて、またひとつ、上杉謙信という人の足跡に触れられたような気がしました。
米沢はやはり上杉尽くしだなと感動を覚えながら、ぼちぼち歩いて、再び米沢城址周辺まで戻ってきました。


写真の木々がこんもりしているところが米沢城址。
時刻は13時9分。

お昼を食べに行きますが、その前に一箇所寄り道を。

「愛とパン」という名のパン屋さんです。

愛…って…。
うこぎメロンパンと、天然酵母を使った、(確か)いちじくとくるみのパン。これから昼食なので、すぐには食べませんでしたが…。


「うこぎ」というのは、上杉鷹山が生け垣として植えることを奨励した植物で、食糧難の際には食用としたのだそうです。こちらの、うこぎメロンパンは、皮にそのうこぎの粉末を混ぜてあるのだとか。特に苦味もなく、普通の美味しいメロンパンでした。チョコで書いてあるのは、「愛」の字です。
上杉神社のすぐ南側に「上杉伯爵邸」があります。「藩主邸」ではなく「伯爵邸」…ということは、明治に入ってから建てられたものということですね。

明治二十九年、ここ米沢城二の丸跡に、上杉家14代茂憲(もちのり)の伯爵邸として建てられましたが、大正八年の大火で一度消失し、現在の建物はその後再建されたものだそうです。

現在は、米沢の郷土料理が味わえる料理屋さんとなっています(喫茶もあるようです)。
垂れ幕にはもちろん上杉の家紋。


伯爵邸で昼食を頂くなんて、私たちにとっては贅沢なことですが、めったにないことですし、折角ですので…。
お食事処は、こんな感じ。


私たちが注文したのは、2,000円の「雪の膳」。他に、米沢牛のステーキなんかが付くコースなんかもあるみたいですよ。
献立によりますと…うこぎの冷汁、紫蘇巻き、青畑豆腐とだし、あけびと車麩の蒲焼き、塩引寿司、米沢牛の芋煮、うこぎご飯、ぶどう寒天など。豪華ですね。


あけびと車麩の蒲焼きというのが、甘辛い味付けで非常に美味しかったです。あけびをお料理に使ったのなんて初めて食べました。それと、山形と言えばやはり芋煮。もっと脂っぽいかと思いきや、意外とあっさりしていて、牛肉独特のくさみもなく、上品な味わいでした。
米沢観るパスに付いていたクーポンで、食後にちゃっかりコーヒーも頂きまして、時刻は14時23分。


この後、30分ほど、上杉城史苑でお買い物をしてから、最後のスポット、林泉寺を目指します。


林泉寺は上杉神社の南の方にあります。ここからだと、更に少し南へ行ったところにある「南米沢駅」の方が近いので、元々は林泉寺を拝観した後、南米沢駅から電車に乗る予定でしたが、まだ少し時間が余っていたのと、観るパスを使えるということで、「東光の酒蔵」も見学していくことにし、米沢駅へと戻ります。

上杉城史苑周辺から約15分ほどで、林泉寺に到着。


「春日山林泉寺」という文字を見ると、直江津の林泉寺を訪れた時のことを思い出します。林泉寺も、上杉家の移封に伴い、米沢に引っ越してきたと言われています。
正面が本堂。


その手前にある拝観受付で、拝観料を払って、墓所をお参りします。
墓所は、本堂左手の、杉木立に囲まれた辺りにあります。


ここ林泉寺には、上杉ゆかりの人々が眠っています。
例えば、こちらの直江兼続夫妻。仲良く並ぶ左側が兼続のお墓で、右側が妻・お船のお墓です。


お船さんと言えば、最初は信綱の妻だった人なんですよね…。信綱は婿養子で直江家に入ったわけですが、例の恩賞を巡るトラブルとやらで殺害されてしまったため、兼続が直江家を継ぐことになったのだそうです。
そう言えば、『炎の蜃気楼紀行』の中で、桑原先生が以前、信綱のお墓を探しに林泉寺まで来たというエピソードが書かれていましたね。「墓標は自分の胸の中にたてて、供養する心が大切」というご住職の言葉は胸に染みます。

景虎様のお墓も、信綱さんのお墓も、どこにも無いようですしね。そもそもミラージュは、怨念を残した墓無き者の物語なのでしょうから、それも当然かもしれませんが。


こちらは、謙信公の姉で、景勝の母である仙洞院のお墓。
こちらは、景勝公の正室・甲州夫人(菊姫)のお墓。

武田信玄の死後、跡を継いだ勝頼が、景勝と和睦し、景勝に嫁がせた妹がこの菊姫です。つまり、菊姫は信玄の娘であり、景勝は謙信の息子(甥であり養子)であるので、戦国史上最大のライバルは、その子供の代になって結ばれたということになります。

情勢が激しく変化した戦国の世ではこれも有りうることだったんでしょうけれども、数奇な運命ですね。
ところで、甲州と言えば、葡萄。その葡萄が山形にもたらされたのは、菊姫が甲州から嫁入りしたのがきっかけだったという説があるそうです。

山形は今、国産ワインの産地として有名(山梨、長野に次ぐ産地かと思われます)ですが、それも元を辿れば、菊姫が甲州から嫁いできたことから始まるのかと思うと、何やら歴史ロマン…のようなものを感じてしまいます。


写真は、墓所から見た田園風景。とても長閑な場所にあります。
人が場所を移ることによって、縁が生まれ、その土地に何かを残していく。


言葉にしてしまえば普通のことなんですが、米沢という土地を歩いていると、そのことが実感としてストンと胸に落ちてくる感覚があります。
去り際、もうひとつ、見覚えのある名前を見かけました。上杉に仕えた吉江家のお墓です。

吉江と言えば、ミラージュでは、吉江景資が新上杉の総大将である直江の補佐的立場で登場していました。

景資とその父・宗信は、例の魚津城で討ち死にしたのだそうです。
林泉寺の拝観を終えたのが15時43分。

せっかく「観るパス」があるので、「東光の酒蔵」を見学していくことに。


背の高いポプラの木には青空がよく似合いますね。写真は通りがかった小学校。
林泉寺から20分ほどで到着。

日本酒「東光」を造る小嶋総本店は、四百年以上の歴史があり、かつては上杉家御用達の酒屋だったそうです。

今の酒蔵は少し離れたところにあるようで、こちらの古い酒蔵は酒造資料館として公開されています。
中は、昔のままの酒蔵の様子が残っています。


実は、ここは、SK-UのCMが撮影された場所でもあるそうです。杜氏の手が美しいことからヒントを得た…みたいな内容のやつ。
16時21分、見学を終え、この日の観光は終了。


今朝、まだ暗いうちに渡った相生橋を米沢駅の方へ。
最上川と、川中島の合戦が繰り広げられる緑地をもう一度眺めて。


時間が違うとまったく別の風景のようですね。空気が澄んできたのか、朝はよく見えなかった遠くの山並みがくっきり見えます。
東光の酒蔵から25分ほどで米沢駅に到着。


こちらも今朝見たのとはまったく印象が違います。こんなに立派な駅舎だったんですね。
米沢駅から、17時03分発の米坂線に乗って、本日の宿がある長井市へ向けて移動します。


米沢ツアーはこれにて終了。この後は、翌日の長井の観光とおみやげ紹介のコーナーとなります。よろしければ、最後までお付き合い下さい。
車窓から見た米沢盆地の風景。

米沢市は周囲を山に囲まれた大きな盆地の中にあります。この日の宿がある長井市は、米沢盆地の北から続く、南北に細長い長い盆地に位置しています。

なので、車窓からの風景はずっと盆地続き。山に囲まれた長閑な田園風景です。九月の田圃は、黄金色に色づいて、夕陽に照らされ輝いて見えます。
途中、今泉駅で、山形鉄道フラワー長井線に乗り換え、17時46分に目的地の長井駅に到着。


写真は、長井駅で、乗ってきた列車を見送って。どことなく郷愁を誘う一枚になりました。
こちらは長井駅。


無人駅ではないです。一応、観光地なので。
夕闇迫る中、歩いてホテルまで向かいます。


ちょっと寂れた感じのする繁華街には、昭和感満載の地方デパートなんかがあったりして、古い町であることをうかがわせます。
駅から歩いて30分ほど。

この日泊まらせてもらうタスパークホテルが見えてきました。もう暗くてよくわかりませんね…。

最上川沿いに建つタスパークホテルは、フィットネスクラブや結婚式場を備えた、シティホテル的な宿泊施設です。
ツインのお部屋。


ごく一般的な感じですが、充分快適です。
実は今回、宿泊券と一緒に、館内レストランの20%割引券も頂いておりまして、折角ですので、こちらの「井井殿(せいせいでん)」という和食レストラン(居酒屋?)を利用させて頂くことに。
日本酒(何の銘柄を頼んだのか忘れてしまった…)と、丸茄子の漬け物。

山形は、丸茄子の漬け物が有名らしいですね。

茄子の漬け物、大好物なんです。もうこれだけで、延々とちびちびやれる感じ。
天ぷらの盛り合わせ。

手前中央に盛られてるのが、うこぎの天ぷら。ほろ苦くて、なかなか良い味。

他には、かんぱちのかま焼きとか、ごぼうスティックとか。シメには、冷たい蕎麦とうどんを注文。山形は蕎麦どころのはずなんですが、なぜかうどんの方が美味しかったです。
上杉城史苑で買った「高畠ワイン」と、東光の酒蔵で買った「吟醸 東光」。

ワインは、食後に部屋で開けました。

日本酒は持って帰って自宅で。きりっとしながらも旨みのある美味しいお酒でした。
翌朝、部屋の窓から外を見ると、長井の街には一面霧が降りていました。


この写真を撮った時はだいぶ引いてきましたが、名残の雲が少し残っています。天気は前日に引き続き良いようです。
お部屋は街側でしたが、廊下の端まで行くと、最上川を見下ろすことができました。

大きな川が流れる街っていいですよね。

長井は、江戸時代に最上川の舟運で栄えた街だそうです。昨日駅から歩いた感じではだいぶ寂れた感もありましたが、観光スポットもありますので、この日は長井の街を回ってみる予定です。
8時からホテルで朝食。和定食です。ここへ来る途中、さんざん色づいた田圃を見てきたので、山形はやはり「つや姫」かなーなどと、過度に期待してしまったのですが、ご飯は割と普通でした…。

まったくの余談なんですが、私がこれまで食べた中で鮮烈に記憶に残る美味しいお米はふたつ。ひとつは、富山は五箇山の合掌造りの民宿に泊まった時に出してくれたご主人が自ら作っているというお米。もうひとつは、大分・臼杵の旅館で食べたお米(臼杵の旅は後日レポートを書きます)。こちらは自作ではないようですが、親戚の方が臼杵で作っているというお米で、その都度精米しているとのことでした。やはり精米したてというのが、美味しいお米の絶対条件のようですね。
この年になってつくづく思いますが、米がうまいというのは、最高の贅沢だなと。もっとも、夜は米より酒派ですが(笑)。


この日はのんびり10時くらいにチェックアウト。

写真は、昨夜は暗くてよく見えなかった、タスパークホテルの外観。
長井駅にやって来ました。


歩いて回るのは距離的に少しきついので、ここでレンタサイクルを借ります。
長井周辺の地図。


ミラツアではないので、細かいスケジュールは切っていません。


「やませ蔵美術館」と「はぎ乃湯」は立ち寄ることにして、それ以外は、16時20分長井駅発の電車に間に合うように、最上川沿いなどを適当にサイクリングするつもりです。
ミラージュツアーではないので、長井の観光はさくっとご紹介します。

先ずやって来たのは、長井の代表的な観光スポットらしい「やませ蔵美術館」。

江戸時代から続いていた紬問屋の蔵(明治期に建造)を開放し、代々の当主が集めた美術品などを展示している美術館です。
古い蔵や収蔵品だけでなく、小さな水路が流れる庭園もまた見所です。秋には紅葉が色づいて大変美しいそうです。

因みに、この場所、JRのポスターで吉永さゆりさんが写っていた場所です(アングルが逆ですが)。

やませ蔵美術館は、曜日&季節限定での公開となりますので、行かれる方はご注意下さい。
その後、最上川沿いを北へ向けて少しサイクリング。


四万十川の雄大さとは違いますが、豊かな穀倉地帯を流れる母なる河といった趣きですね。
付近の田圃には、黄金色の稲が頭を垂れています。
最上川から少し離れ、支流の野川を渡ります。


西に見えるのは、フラワー長井線の鉄橋。
「はぎ乃湯」に到着。


立ち寄り湯ですが、宿泊できるプランもあるようです。結婚式や法要などで利用できる式場も併設されていて、どちらかというと、地元の方が多く利用する施設…でしょうか。
時刻は13時くらいでしたので、先に食堂でお昼を頂くことに。


こちらは、私が食べた「きのこそば」。具だくさん&甘めのつゆで、なかなか美味しいおそばでした。
こちらは、相方が注文した「冷やしラーメン」。

夏が暑い山形では、冷たいラーメンを食べるのが習慣だそうで。写真では冷たいのかどうかよくわからないかもしれませんが、確かに冷たいラーメンです。

適度な油分で、あっさりしていて、美味しかったそうです。
温泉は、透明で、うすく黄色(茶色?)っぽい色のついた温泉でした。体が温まると評判だそうです。


そして、はぎ乃湯のすぐ隣には、「はぎ公園」があります。折しも今は萩の花が満開の時期。折角ですので、見学させてもらいました。


萩の花は小ぶりなので、山中や荒地っぽい場所にぽつんとあっても雑草くらいにしか見えないのですが、こうしてまとまって咲いているととても華やかです。


萩のトンネルは上も下も萩の花だらけ。
萩の花。


小さくても、よく見れば可憐な花です。
はぎ乃湯を出た後、近くの「あやめ公園(四季折々に様々な花が楽しめる長井でも、あやめは特に有名らしい)」を通り抜けると、不意にどこかから太鼓の音が聴こえてきました。

誘われるままにやって来ると、神社でお祭りが催されていました。

總宮(そうみや)神社という県内屈指の神社だそうです。大迫力の獅子舞は、「長井の黒獅子」と言って、黒塗りの獅子頭と幕内に多人数が入って龍のようにくねくねと踊り回る様が特徴なんだとか。
たまにこうして、見物人の目の前に来てサービスしてくれます。


胴体が長いのに、動きは機敏で、圧倒されます。
あまり知らないで来たのですが、実はこの神社には、直江兼続が参拝の際に植えたとされる「直江杉」があります。


写真奥に写っている杉の木がそれです(すべてが直江杉ではなく、この写真に写っている範囲で5本、画面より右側の写っていない部分に4本、全部で9本あります)。
最上川を行く船頭さんは、遠くからこの直江杉を見て、長井の地に着いたことを実感したのだそうです。

兼続が植えたというのであれば、樹齢は四百年を越えており、景虎様や信綱さんの時代からここに生えていたことになりますね(もしかしたら彼らは亡くなった後だったかもしれませんが)。

そう思って見上げると、感慨深いものがあります。長井はミラツアとは無縁と思っていましたが、思わぬところで直江と繋がっていました。旅の偶然とは面白いものです。
16時20分、長井駅発の列車に乗り、帰路につきます。

米沢辺りから特急「つばさ」に乗るかと思いきや?、なんと普通列車を乗り継いで帰りますよ。吉永さゆりさんみたいに優雅な旅なんかしませんよ。JR、貧乏中高年をなめんなよ(笑)。

自宅の最寄駅まで8時間以上の列車の旅。それでも、夕方に出てその日のうちに(と言うか日付は変わっていましたが)着くのですから、まあ良しとします。18きっぷが利用できる期間だったらベストだったんですけどね。
フラワー長井線の車窓から。


米沢も長井も盆地ですので、どこを見ても必ず遠くに山並みが見えるというこの風景が、この旅で強く印象に残りました。
それでは、恒例、お土産品紹介コーナー。

こちらは、お土産…と言いますか、帰りに米沢駅で買ったお弁当。もう夕方だったんで、あまり良さそうなのが残っておらず、苦渋の選択。

米沢牛…ではなく、米沢名産の黒毛和牛の牛バラ肉焼きという微妙なお弁当。まあでも、タマネギがたくさん入っていて、そこそこ美味しかったです。
タスパークホテルの建物内には、物産館も入っており、土産物を豊富に扱っていました。こちらはそこで買ったもの。

山形名産ミルクケーキは、さくらんぼ味を買ってみました。ちょっと固めの食感とミルクのまろやかさ、さくらんぼの風味がたまりません。おすすめ。

のし梅は、山形県産の梅肉と寒天とお砂糖で作られた、無添加の素朴なお菓子。

お麩は、亀きち亀ぞうへのお土産に困って買ったのですが、彼らには不評でした。味付けして唐揚げのように油で揚げて食べたり、お味噌汁に入れたり。
こちらは、タスパークホテルの近くにあった、農産物の直売所で買ったもの。


こういう田舎の直売所とか道の駅とかで売ってる野菜って、安くて美味しそうなので、荷物になるのはわかってても、つい買ってしまうんですよね。
こちらは、米沢の上杉城史苑で購入したもの。

左から、「毘」のミニシール、米沢の工芸品「お鷹ぽっぽ」のキーホルダー、米沢織のブックカバー。

お鷹ぽっぽは、かつては米沢まつりなどでミラージュ版のものも売られていたそうですね。あればもちろん欲しかったですけど、(宮島のしゃもじと同様)今はもう見当たりません。米沢織のブックカバーには上杉の家紋が織られています。もちろん、ミラージュの文庫本を入れて愛用しています。
そして、上杉神社で買ったお守り。

反対側には、「上杉神社」の文字が刺繍されています。

ミラツアに行く度に、お守りが増えていくような…。


お読み頂きまして、ありがとうございます。ミラージュ的に言うと、米沢と言えばやはり上杉まつり。今回は上杉まつりとは関係ない時期ではありますが、米沢城址にある上杉神社、上杉家廟所、林泉寺等、上杉ゆかりの場所を訪れ、上杉の歴史を肌で感じることができたような気がしました。特に、法音寺で「泥足毘沙門天」をこの目で拝見できたことは、貴重な体験でした。四百年以上前に謙信公が崇めていたその像を、自分の目で見るという体験は、本当に心躍るものでした。実際にその地を訪れ、自分の目で見たり、肌で感じたりする経験というのは、何にも換えがたいものなのだと、改めて知る思いです。原作の舞台になったわけではありませんので、通常のミラージュツアーとは少し違いますが、充分ミラージュな旅だったと思います。いつか、上杉まつりも行ってみたいですね。


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今回は、最後にひとつおまけがあります。実は、米沢に出発した日の前日、2014年9月18日に、東京新宿にあるシアターサンモールで公演された『夜啼鳥ブルース』の舞台を観に行ったのでした。


期待と不安が入り混じりつつも、観に行って良かったと思える出来栄えでした。俳優さんたちのキャラ作りが徹底していて、違和感はなく、舞台ならではの迫力や面白さを堪能することができました。調伏シーンなんかは見たことの無いクールな振り付けがされていて、思わずおおーっと心中唸ってしまいました。とてもかっこいい舞台でした。2015年の舞台化第二弾の方は行けなかったんですが、そのうちDVDでも買いたいです。今後も第三弾、第四弾とやってくれるといいですね。というか、むしろ、このクオリティなら、私は昔の本編のどこかの部分をチョイスして舞台化して欲しいななんて思ってしまいました。

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さて、ツアーレポートの方は、例によってのろのろ更新となっておりますが、順次アップしていく予定です。
今後の予定としては…
・2014年12月 四国(プチツアー)
・2015年3月 箱根(プチツアー)
・2015年3月 日光(プチツアー)
・2015年5月 四万十(プチツアー)
・2015年6月 大分
・2015年10月 熊本&阿蘇
…という具合です。振り返ると、2015年は旅にはしょっちゅう出ていましたが、大きなミラツアはさほどしていませんね。高知に移住する計画があるので、あと何年旅に出られるかわからないので、2016年はガンガンミラツアしたいなーと思います。

2016.01.08 up







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