十字架を抱いてまぐわえ  





食欲、性欲、睡眠欲。

それら、動物の三大欲求の中で本来優先されるものは、食欲と睡眠欲である。
この二つは動物にとって不可欠な生理活動であって、眠りたい、食べたいという本能に敵うものはない。眠らなければ死んでしまうし、食べなくても生きてはいけない。

性欲はと言えば、種の存続のためには不可欠な欲求ではあるが、それも固体そのものの維持のためには二の次に回されるべきものであるはずだ。

にもかかわらず、食べるよりも眠るよりも、まぐわうことを優先させているふたりの獣が、ここにいる。

たとえこの世界のすべてが滅び去るとしても、互いの身体を求める衝動に勝てるものは何もないとでもいうように、貪り合い、奪い尽くした。
干からびるほど精を絞り出して、満ち足りた吐息をつくと、ようやく少しまどろみ、口を潤し、空腹を紛らす程度にパンを齧る。
そして、また何かに憑かれたように身体をきつく絡ませ合い、果てしない律動を繰り返すのだった。

そんな倒錯的な時間がどれくらい続いただろうか。

この山荘を包む霧のせいで、生体リズムがどこかおかしくなってしまったのかもしれない…と、高耶は、ベッドにだらりと四肢を投げ出したままぼんやりと考えていた。
外界の一切のものを遮断するこの濃霧は時間を喰らう魔物だ。
日にちの感覚どころか、もはや昼も夜もよくわからない。

人間、ここまで性欲を優先できるものかと、呆れを通り越して思わず感心したくなった。

いや、案外これこそ生命本能に最も忠実なあり方なのかもしれない。
毒された身体が、新しい生命を産み落とすことで浄化を求めているのだとしたら。
もっとも、それが、雄同士の不毛な交わりだということが滑稽なのだが。

自嘲の笑いが零れかけた時、空っぽの胃がギュルルと不躾な音を立てた。
山荘に連れて来られてしばらくの間は、食べるという行為を忘れてしまったかのようにろくにものを口にしなかった高耶だが、ここにきて初めて強烈な空腹感を覚えた。

あれだけ激しく身体を動かして体力を消耗していれば当然だろう。
さっきまで少し深く眠っていたためか、頭はいくらかすっきりしている。
高耶はところどころに赤い痕跡の残る身体をシーツから起こし、少し長めのシャツを羽織ると、素足を晒したままの格好で寝室を出た。

洗濯機の回る音がする。
洗面所に直江の気配があるのを感じながら、ダイニングキッチンへと入った。
もう三月ほどこの山荘にいるというのに、寝室とトイレと風呂以外の場所に足を踏み入れたのはほんの数回しかない。

改めて見回すと、殺風景なキッチンだ。
今まで食事は直江が世話してくれており、高耶には、食べる食べないに関わらず一応まともな食べ物を出してくれていたが、それもほとんどはレトルト食品だったのだろう。
普段自炊などしない男が、自身も疲弊した状態でできる精一杯のところだったに違いない。
直江自身は下手をすると、高耶よりまともなものを食べていないかもしれない。

そんなことを思いながら高耶は冷蔵庫を開けると、途端に眉をしかめた。
野菜室に、原形を留めていない野菜らしきものがたくさん詰まっている。
ほうれん草はほとんど干からびているし、ナスは皺くちゃになって縮んでしまっている。レタスに至っては茶色く腐敗して半ばどろどろになっている始末。

「何をやっているんだ、あいつは…」

決して責められる状況ではないとわかりつつも、家事感覚の染み付いた高耶の口からは、ついぼやく声が漏れる。

鮎川が何度か物資を調達してくれていたということを聞いていたが、その鮎川には心底同情した。
元総大将と現総大将の二人揃って、一体どの面下げて鮎川にこっそり援助など求められるのか。
それでも、鮎川が細かな気遣いをしてくれていたことは、冷蔵庫の中身を見てわかった。

そのささやかな心配りが詰まった野菜が無残にも腐敗していく間、オレたちは爛れた行為に溺れていた…。

たぶん、自分は鮎川から憎まれていることだろう。
鮎川は直江の友人だ。本当は、直江が景虎なんか見捨てて、総大将として復帰し、全上杉の指揮を執ることを強く願っているだろう。

高耶は胸苦しさを覚えながら、食べられなくなった野菜をゴミ袋に入れ、何とか食べられそうな野菜を取り出してみた。
しなびたピーマン、芽の出かけたニンジン、タマネギ…。
冷凍室を見れば、肉もいくらか入っている。
調味料は、塩、砂糖、しょう油、みそ等、基本的なものはひと通りあるようだ。
主食の類は、米の他にもスパゲッティー、うどんなどの乾麺がある。

頭の中でひと通り調理のシミュレートをした後で、高耶が包丁を握った時だった。
寝室に高耶がいないことに気づいたらしい直江が慌てた様子でキッチンの入口に姿を見せた。

「なお…」

振り向いたその瞬間、高耶が声をかけるより早く、右手から包丁が念で弾き飛ばされ、ガシャンと大きな音を立ててシンクの中に落ちた。
直江はすぐさま驚いた高耶の身体に手を回し、背後から押さえるけるように抱き締めてくる。

「……」

先日の自殺未遂のことで、直江の神経が過敏になっていることは高耶ももちろんわかっている。

「料理を…しようと思っただけだ」

「そうでしたか、すみません」

直江はほっとしたように高耶の肩口にコツンと額をのせた。

「なんか腹減ってさ。お前もずっとろくなもの食ってないだろ?」

一瞬張り詰めた空気を払拭するように、高耶は少し明るい調子で言った。

「ええ。そろそろちゃんとしたものを食べないといけませんね」

「焼きうどん作ってやるから、そこで待ってろよ」

「わかりました…」

そう口では答えるくせに、直江は腰に回した手を緩めようとはしない。
先刻包丁を弾き飛ばした時とは明らかに別の意図がその手に込められている。

「おい…」

直江はますます身体を密着させ、首筋に唇を這わせてきた。

「こら。料理が作れないだろ。お前だって腹減ってるんじゃないのか?」

「確かにお腹は空いていますけど、今は食べ物よりあなたに飢えているんですよ」

ここ何日も、さんざん情事に明け暮れていたはずだが、この発情男は飽きもせずフェロモン交じりの吐息を吹きかけてくる。

「四百年間、あなたに飢えてきたんです。何度か抱き合ったぐらいじゃ、私の渇きは癒されません。いいえ、癒されるどころか、抱き合えば抱き合うほど、ますますあなたが欲しくなる…」

熱い囁きに、身体の奥でくすぶっていた炎がゆらりと揺らめくのを高耶は感じた。

この男との間には重くて到底開かぬ扉があるとずっと思い続けてきた高耶だ。
しかし、いざその取っ手に手をかければ呆気ないほど簡単にそれは開いた。
自分は一体何を恐れていたのだろうと思う。

求めることも求められることも、ただひたすら怖かったこの四百年。
だけど、求めることも、求められることも、それを確かめることは簡単なことだったのだ。

一線を越え、互いの存在を溶かし合う。
己の中に相手を迎え入れ、相手の中に己を刻み込む…。

だが、この男とのセックスは快楽などという生易しいものではなかった。
圧倒的で暴力的な奪い合いだ。
あれだけこだわってきたはずの勝者だの敗者だのは、一瞬のうちに消し飛んだ。
すべてが吹き飛ばされ暴かれていく嵐の中で、己の存在もわからなくなりそうで、高耶はただ、混沌の中でひたすら無我夢中に直江を抱きしめた…。

ふと、高耶は首を捩って間近に直江と視線を絡ませた。

包み込むような眼差しが、高耶をじっと見下ろしている。
けれど、その見慣れた眼差しは、これまでとはもうどこか違って見える。
それは既に高耶のすべてを焼き付けた瞳だった。
高耶の貪婪な本性を、底なしの痴態を、余すところなく知り尽くした瞳だ。

そう思うと、気恥ずかしさが込み上げてきてが、高耶は目を逸らしはしなかった。
気恥ずかしさよりも、愛しさが勝った。

高耶は手を伸ばして直江の柔らかい髪の中に指を差し入れると、そのまま頭を引き寄せ、自分から唇を深く重ねた。
髪をまさぐりながら、凶暴なキスをする。

「高耶さ…」

今にもベッドへと誘う言葉を発しそうな直江の唇に、高耶はしかし、人差し指を押し当てた。

「この先はおあずけだ」

そう告げると、再びキッチンに向き直った。
このままでは本当に飢え死ぬまで行為に耽ってしまいそうだ。
少しくらいまともな人間らしい営みをしなくては…そう思いつつ、高耶はピーマンに包丁を入れた。

が、そんな高耶の考えを余所に、直江は背後にぴたりとひっついたまま離れようとしない。

「おい、直江…」

「何ですか?」

「何ですか、じゃねえ。この手は一体何だよっ」

油断のならないその手はいつの間にか緩く羽織った高耶のシャツのボタンを外しにかかっている。

「どうぞお気になさらず。あなたは続けて下さい。手を切らないように、気をつけて下さいね」

「てっめぇ…」

そうだった。この男は少しでも甘い顔を見せると、どこまでもとことんつけあがる男なのだ。
まるで、「料理を続けられるものなら続けてみろ」とでも言わんばかりの挑発的な台詞に、高耶は高耶でいつもの意地っ張りな性格が頭をもたげてくる。

「オレは腹が減ってるんだ。どんなに邪魔されようが、オレは焼きうどん作るからなっ」

「ええ、楽しみにしていますよ」

クスッと直江が意地悪く耳元で笑うのを聞きながら、高耶は取り除いたピーマンの種を些か乱暴に三角コーナーへと投げ捨てた。
そうしている間にも、直江はボタンを外し終えたシャツの中に両手を差し入れ、高耶の素肌を大きな両の手の平でじっくりと味わうように撫で回している。

ただ撫でているだけなのに、その手の動きは妙に饒舌だ。
高耶の腰のラインを、触れるか触れないかくらいの弱々しさでそっとなぞり落ちたかと思うと、今度は一気に腹から胸へと這い上がり、固く滑らかな胸の筋肉を味わうように執拗にそこで円を描く。
五本の指がまるでそれぞれが独立した生き物のように這い回る。

卑猥なその手の動きに高耶の肌はぞわっと総毛立った。

「もう感じてしまったんですか?」

高耶は剥いたタマネギの茶色い皮をクシャッと握りつぶした。

「…るせぇよ。タマネギが目に沁みたんだよっ」

「おや。強がりを言う元気はまだあるみたいですね。じゃあ、こういうのはどうですか?」

言うなり、直江は両胸の突起を摘み上げた。

「っ!」

悲鳴を押し殺した高耶の左手から丸いタマネギが滑り落ち、ゴトンと鈍い音を上げて床の上に転がった。
けれど、それを拾い上げる余裕などない。
続けざま直江が高耶の耳に舌を這わせてきたからだ。
耳の穴の中まで舌を差し入れられ、頭の中でクチュクチュと濡れた音が反響する。

「ば…っかやろ…」

「あなたという人は、一旦火がつくと、まるで全身が性感帯ですね」

直江は内緒の悪事でも吹き込むように愉しげに囁く。

「淫売」

「るっせぇ…」

どこか甘ったるい響きを帯びた罵声に呑まれまいと、高耶は手を伸ばしてニンジンを掴む。
それを見咎めるように、直江は「諦めの悪い人だ」と呟くと、摘みあげた高耶の突起を今度はやんわりと捏ねくり出した。

「はぁっ」

高耶の唇からとうとう悲鳴が漏れた。

「あなたは女のようにここを弄られるのが好きですね。ちょっと触っただけで、すぐにほら…」

言いながら直江は右手をすっと下ろし、高耶の股間を大きな手の平で包む。

「あなたのはしたない形が丸わかりですよ」

トランクスの薄い布越しに、男の手は高耶の形を確かめるように微妙な力加減で撫でてくる。

「ばっ…そこは、触んなっ」

「触るな? 嘘ばっかり。今にも私の手に吸い付くようにどんどん膨らんできてるのに」

高耶はギリッと奥歯を噛み締めた。悔しいけど、反応しているのは本当だから言い返す言葉がない。

「ここは俺に触って欲しくてたまらないって強請っていますよ」

やがて高耶のオスは完全に屹立した。

「あなたのここがどうなっているか、確かめてあげる」

「ば、ばかっ、やめっ…」

当然高耶の制止など聞き入れるはずもなく、直江はあっと言う間に右手をトランクスの中に差し入れてきた。

「あっ、あぁっ…」

その瞬間、高耶はビクンと背をしならせた。
直江は先端部分を指先で摘むと、人差し指の腹で真ん中の窪みを執拗に撫でてくる。

「自分でわかりますか? 高耶さん。あなたのここ、すごくべとべとになっていますよ」

「うっ…んっ、んぅっ・・・」

高耶は苦しげに眉根を寄せて、身を捩らせる。
一番敏感なところを繰り返し撫でられて、腰の辺りからきゅうっと甘酸っぱいような感覚が背筋を駆け上がった。
唇から熱い吐息が零れる。もう腰砕けの状態だった。
自分ひとりでは立っていられず、半ば直江に抱きかかえられるようにして背中を凭れさせている。

「もう、あなたの負けですね?」

瞳を潤ませながら、それでも高耶はふるふると頭を振った。
辛うじてまだ手にしていたニンジンにギリッと爪を立てる。

「そんなしなびたニンジンより、もっといいものをあげますよ」

「っ!」

直江がグッと腰を突き出してきた。
高耶の双丘の谷間に、直江のものがグイグイと押し当てられる。
布越しにもそれが鋼鉄のように硬く猛っているのがわかる。

過たず窪みの部分をつつかれると、覚えてしまったあの背徳的な快感が身体の内側にまざまざと蘇り、高耶は喘ぎながら喉を仰け反らせた。
腰の辺りがじんじんと痺れて、熱くなって、救いを求めるように唇は直江の名を零す。

「何ですか。言ってごらんなさい。その口で、“欲しい”って。“お前の熱いので奥まで突いて”って」

「くっ…そ…」

「上手におねだりできたら、ご褒美をあげますよ」

高耶は熱く潤む瞳で、ぎりっと背後の直江を睨み上げた。

「入れ…ろよ…」

高慢な物言いに、直江の頬に苦笑が走った。

「あなたという人は…こんな時まで俺を支配しようとする。本当は俺にめちゃくちゃにされたいくせに。いいでしょう。あなたのそのマゾヒスティックな本性を暴いてあげる」

言い終わらぬうちに直江は乱暴に高耶のシャツに手をかけ、一気に諸肌を露わにさせたかと思うと、あっと言う間に高耶の両腕を後ろ手に拘束する形で縛り上げた。
ニンジンは床に吹っ飛び、ピーマンをのせたまな板と包丁は直江の手によってシンクの中に払われた。
高耶はキッチン台に顎をのせて押さえつけられる。

「な、何す…」

「入れて欲しいんでしょう?」

トランクスを剥ぎ取られ、露わになった腰を直江の両手が持ち上げ、後ろに突き出させた。

「い、嫌だ。こんな、格好…やめっ…ああっ!」

必死の懇願も問答無用で、直江は強姦のように手酷く高耶の中へと侵入してくる。
高耶は両手を背中で縛られたまま、頬を冷たいステンレスの台に擦りつけ、歯を食いしばって性急な挿入に耐える。

「くっ、うっ…」

「そんなに痛くはないでしょう? だって、さっき出したのがまだ中に残ってる」

直江は一旦奥まで挿れたものをゆるゆると引き抜き、もう一度高耶の蕾の中へと埋めていく。
すると、濡れた粘膜が空気を押し出ようなグチュッという淫靡な音が響いた。

「ほら、こんなに濡れてる」

残っていた直江のものが潤滑剤となり、やたらと滑りがいい。
奥まで突いては引き抜き、また先端から焦らすようにゆっくりと挿入させる。
直江はわざと音を立てるようにして、それを何度も繰り返す。

「やっ、やだ・・・こんなの…」

「入れろって言ったのはあなたですよ。何度でも挿れてあげる。あなたの肉がとろとろに溶け出すまで」

「なおっ…やめっ…」

拒絶の言葉とは裏腹に、グチュグチュと鳴り響く局部の摩擦音に煽られて、羞恥心と比例するように快感もぐんぐん募っていく。
高耶の前はもうはち切れそうなほどに昂ぶり、触れて欲しくて気が狂いそうだ。

「本当は自分のこんなはしたない姿に感じているんでしょう?」

見事に看破されて、高耶は唇を噛み締めた。

「あなたほどいやらしい人は見たことがありませんよ。…高耶さん、知っていますか?」

直江は高耶の耳に唇を寄せて低く囁く。

「俺の頭の中で、あなたが何度俺に犯されていたか」

ただの戯言ではない、本気を孕む男の熱い語調に、高耶の肩がぴくりと震えた。

「でも、想像の中のどのあなたも、現実のあなたには敵わない。一番いやらしいのは、現実のあなたですよ」

直江のひと突きが高耶のイイところを掠めていく。

「はあっ!」

そこに留まって欲しくて、何度もそこを攻めて欲しくて、高耶の肉襞は貪欲に収縮し、直江の分身をきつく包み込む。

「そんなに締めつけないで。俺も我慢ができなくなる」

直江の律動が少しだけ速くなった。
高耶の中心はそのリズムに合わせてビクンビクンとしなる。
先端から透明な液が滴り、太腿を濡らす。

「もう、だめっ…なおえ。触って…前、触って…」

この手さえ拘束されていなければ、自分で狂ったように扱き出しているだろう。
それが叶わないから、高耶は目尻に涙を浮かべた瞳を向け、直江に懇願するしかない。

直江の右手が高耶のものに伸びる。
が、その指は高耶の望みに反して張り詰めた性器の根元だけをきつく握りこんだ。

「やだっ、扱いてっ」

「だめ。まだ出しちゃだめ。もっと俺を愉しませて」

解放への道を堰き止めたまま、直江は腰の動きを一層激しくしてきた。

「はっ、あっ、あぁっ…」

掠れた悲鳴に、肌と肌がぶつかり合うパンパンという音が交錯する。

「も…イ、イクッ…なお、え…イク、イっちまう」

行き場のない快感は拷問のようだ。
募りまくる射精感に高耶は発狂しそうになり、キッチン台に額をつけたまま頭を左右に振った。
爪先立ちする脚はわななき、嬌声を漏らす顎はガクガクと小刻みに震え出す。
直江はそんな高耶に構うことなく、内側から高耶の前立腺をこれでもかというほど激しく突いてくる。

「ひっ、イ…クッ…」

もう本当に限界だと、このまま狂い死んでしまうのではないかという気がした時、根元を押さえる直江の指が弾け飛んだ。
高耶が無意識のうちに念を使ったのだ。
それと同時にピシャッという音を立てて、高耶は白い液体をキッチンの収納扉に向け、勢いよくぶちまけていた。
射精を無理に止められていたせいか、ペニスがいつにも増してドクドクと脈打っているのがわかる。

「情事の最中に念を使うなんて、反則ですよ」

文句を言ってやりたいのはこっちの方だと思ったが、高耶は肩で荒い息をつくだけで精一杯だ。
精をすべて吐き出してしまうと、全身が虚脱感に襲われ、その場に崩れ落ちそうになり、危うく直江に抱きとめられた。

「でもちょっとやり過ぎたみたいですね」

直江は高耶の戒めを解き、力の抜けた身体をそっと床の上に横たえた。

「今度は優しくしてあげますよ」

「今度は、って…おい、まだやる気…」

「当然でしょう。私はまだイッてないんです」

そう言うなり、直江は自分のシャツを脱ぎ捨てると、高耶の顔の脇に両手をついて覆い被さってきた。
真上から真率な表情になってじっと見下ろしてくる。
高耶もその端正な顔を真っ直ぐに見つめ返した。

「愛しています、高耶さん」

高耶はどこか苦しそうに目を細め、愛を囁く男の頬を右の手の平で包んだ。
すると、その手の上に、そっと大きな手が添えられた。

「愛しています」

直江は高耶の手を口もとに寄せ、軽く口づけると、今度はその手を自分の左胸へと触れさせた。
目を背けたくなるような醜い傷痕の上へと。

「愛しています」

三度、男は告白した。
それが決して口先だけではない、命をも、自らの全存在をも賭けた言葉なのだと訴えるように、高耶の手をその傷の上へと押しつける。

「わかってる。もう、わかってるから」

そうとでも言わないと、この男はいつまでも同じ睦言を永遠と繰り返しそうだった。
この男の愛は涸れることを知らぬ泉のように溢れ続け、この部屋を満たして、高耶を窒息させてしまうに違いない。
凶器のような愛だ、と高耶は思った。
でも、もう自分はそれなしではいられない。

「抱いてくれ…抱きしめてくれ」

すぐさま、直江の逞しい胸板に抱きすくめられた。
流れる血の熱さと、筋肉の硬さを直接自分の肌で感じ、高耶は密かに身を震わせた。

直江はもう何も語らない。
本当に気持ちが昂ぶっている時ほど、彼が無口になることを高耶は知っている。
だから高耶も黙ったまま、直江の背に腕を回した。

直江が再び高耶の中に入ってくる。
脚を深く折り曲げられ、強く揺さぶられると、もう出せるものはすべて出し尽くしたと思われた分身がまた充血していく。

先刻にも増して荒々しい腰遣いに、何も考えられなくなる。
ホワイトアウトしそうな高耶の視界にふと、芽の出かけた丸いタマネギが映った。

タマネギ?

どうしてタマネギがそこに転がっているのかももはや思い出せなかった。
ただひたすら直江にしがみつきながら、高耶は苦痛なのか快楽なのかすらわからぬ混沌の谷へと堕ちていった。










「高耶さん…もう何度も謝っているじゃないですか。まだ怒っているんですか?」

あれからどれくらい経っただろう。
あのまま失神した高耶が目覚めて、痛む腰をかばいながらキッチンに立ち、ようやく出来上がった焼きうどんを口にしたのは、最初に料理することを思い立ってから半日くらい経ってのことだったかもしれない。

高耶はむっつりと黙り込んだまま、うどんをかっ喰らっている。
テーブルを挟んで座った直江は、不機嫌な高耶に恐々として、目の前の皿に手をつけられないようだ。

「せっかくあなたが料理をしてくれていたのに、邪魔をして悪かったと思っています」

膝の上に両手を乗せて反省のポーズを取るエセ忠犬野郎を、高耶は上目遣いでぎろりと睨みつけた。

「高耶さん…」

うろたえる直江を冷然と無視してうどんをすすりながら、内心くすりと笑みを漏らす高耶だった。
直江が気に病むほど、実は怒ってはいない。
ただ、あんな風に自分も流されてしまったのが少し癪だったのだ。
怒ったフリは、照れ隠しと、毎度毎度高耶の身体を思うさま翻弄する小憎らしい男へのささやかな意趣返しだ。

高耶はうどんを平らげると、コップの水をゴクゴクと喉を鳴らせて飲み干した。
フーッと息をつき、コンと音を立てて空のコップをテーブルの上に置く。

「食えよ」

頬杖をついて、斜めに直江を見遣る。

「もう、怒ってないですか?」

「いいから、食えって」

直江は渋々うどんを口に運んだ。

「うまいか?」

「ええ、美味しいです。とても」

「そうか」

涼しい顔で答えた高耶は、テーブルの下で密かに足を伸ばした。
向かいに座る男の足を探り当てると、指先で器用に靴下を摘み上げ、するりと脱がしてしまう。
驚いた直江が顔を上げる。
高耶は悪戯っぽく笑ってみせる。

「早く食わねえと、襲っちまうぞ」

ごくりとうどんを呑み込んで、直江は高耶の顔をまじまじと見た。

「さっきの仕返しですか?」

「そうだよ」と高耶は嘯く。
そうして、何かを強請るように、直江の足裏に自分の足裏を擦りつけた。

「ほら、早く食わねえと…」

今度はくすぐるように直江の足裏を指先でなぞる。
直江はようやくふっと破顔した。

「返り討ちにしてあげますよ」

そう言い置いて見事な食いっぷりを見せる直江を眺めながら、高耶は願う。

どうかこのまま時間よ止まってくれと。
愛欲に溺れた罪なふたりをどうかこのまま見逃してくれと。

心の中でそっと十字を切った。









●あとがき●
「眠り、食べる以外はほとんど互いを貪りあっていた」らしい、20巻『十字架を抱いて眠れ』の山荘での情事の一幕を妄想してみよう!という思いつきで書いてしまったこの小話。シリアスなんだか、ほのぼのなんだか、ただのエロなんだか(多分これが正解)わけのわからない中途半端な出来とあいなりました(涙)。あまり暗くしたくないという思いがあったのですが、なにせ原作は深刻な展開の真っ只中ですので、それに引きずられるように、いくらか翳りを含むものになり…。というか原作の内容考えたら、ほのぼのしてる場合じゃないんですけどね。まあ、誰もいない二人きりの山荘での日々にこんな一幕があっても悪くはないかなということで…お許しを。






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