-----朝のゆめ-----


蝉の声で目が覚めた。
まだ早い時間だと思うが、外はすっかり明るくなっている。
暑いので窓を開けっ放しにしていたため、朝っぱらから元気な蝉の声がうるさい。

「んぁーーー・・・・・」
不機嫌そうに唸って窓を閉めようと体を捩ると、自分の脚に他人の脚が乗っているのに気づく。
はっとして隣を見ると、弥勒がうつ伏せになって顔だけこちらに向けて寝ている。
ついでに腕まで自分の腰に回されていた。

夏休みに入り、二人はほとんど同棲状態。
もちろん、弥勒が一方的に強制的に押しかけて来たのだが、犬君先生もそう悪い心地ではなかった。

・・・・・コイツといると疲れるけど安らぐ・・・・・
・・・・・いや、安らぐけど疲れると言うべきか・・・・・?

今も触れ合っている素肌から昨夜の熱を思い起こしてしまいそうだった。
もう幾晩そんなことを繰り返しただろう。
昨日も同じ。
いや、夜を重ねるたびに、ますます激しくなってきているような気さえする。
昨夜は・・・・・そう確か・・・・・いつも通り、裸で抱き合っ(てヤりまくっ)た後・・・・・一緒にシャワーを浴び(てもう一度ヤり)・・・・・(消耗し尽くして)ベッドに戻って・・・・・どうやら二人とも裸のまま寝てしまったらしい。

「・・・・・たく」
犬君先生は窓を閉めるのを諦めて、暫くその安らかな寝顔に見入った。
すやすやと如何にも気持ち良さそうに寝ている無垢な顔を見ていると、まだまだ子供だなと思う。

・・・・・但し。
この腰に当たる異様なブツが無ければの話である。
その辺、さすがは十八歳。お盛んなことで。

「はぁ・・・・・」
犬君先生は自分の教え子と同じベッドで寝ていることに、今更ながら奇妙な感覚を抱く。
七つも年下の、自分が担任するクラスの生徒。
しかも、その生徒に毎晩のように絶頂に追い立てられている自分って一体・・・・・

思いに耽っていると・・・・・
ピピピッ、ピピピッ・・・・・と目覚ましが鳴ったので、弥勒の体を優しく退けて手を伸ばした。

「さて、と・・・・・」
幸せそうな寝顔を壊さないように、そっと弥勒の腰にタオルケットを掛けてベッドを出た。



  



キッチンで。

卵焼きを作って、ブロッコリーを茹でて、タコさんウインナーを炒めて、冷凍春巻きを揚げて、ご飯に鮭フレークを混ぜて、プチトマトを添えて・・・・・
・・・・・あ、そうそう、腐りやすい夏場には梅干も忘れちゃいけないな・・・・・

独り暮らしの長い犬君先生は手際良く弁当箱におかずを詰め、丁寧にバンダナで包み、キュッと端を結んでから、ふと自分自身の異様な行動にハッとする。

<・・・・・て!俺はアイツのお袋かよ!?>

今日模試を受けに行く弥勒のためにお弁当を作ってしまった自分に、そんな遅すぎる突っ込みを入れてみたり。
そして、苦笑しながらコーヒーメーカーをセットしていると・・・・・



「あ゛ーーッ!センセーーッ!!もぉこんな時間じゃん!!何で早く起こしてくんないのぉぉーー(泣)」

うるさい奴が起きて来た。
トランクス一枚で、髪はボサボサ。
だけど、同棲してから初めて知ったその意外な寝起き顔が少し可愛かったりもする。

「ああ、悪い悪い」
適当にあしらいつつ、朝食のピザトーストをトースターにかける。

「あう゛〜。センセーーッ。ト、トイレェェ・・・」

見れば弥勒はトイレの前で右往左往している。
「うるせぇなぁ。行きたきゃ行けよトイレくらい。他に誰が入っている訳でもなし」

「い、行きたいんですが・・・アソコが勃ってて行けませんのですぅ〜〜(泣)」

そう泣きながら「アソコ」を押さえてぴょんぴょんウサギさんみたいに飛び跳ねている弥勒に、犬君先生は「はー」とため息を零す。

「そんなの、俺にどうしろってんだよっ」

「ううっ。仕方ないんで、先生の中で出させて下さ――――」
全てを言い終わる前に濡れ布巾が飛んできて弥勒の顔面に命中した。

「出すモンが違うだろッ!!!」

いや待て。
そういう問題じゃなくて・・・・・。

朝っぱらから繰り広げられる下ネタコントに思わず乗ってしまった自分に、首を振る。

「取り敢えず、飯食え・・・・・」







「あの・・・・・せんせ?」
「あ?」

キッチンのテーブルに向かい合ってピザトーストを食べていると弥勒がお弁当の包みを発見したらしい。

「これ・・・・・お弁当?」
「・・・・・らしいな」

「もしかして・・・・・俺の?」
「・・・・・だろうな」

「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」

少しの沈黙。
それから、弥勒がくくくっと笑い出す。

「愛妻弁当ってやつ?」
「・・・・・俺はお前の妻じゃない」

「ピンクのデンブでご飯にハートとかぁ?」
「・・・・・アタマ大丈夫か?今日模試だろ?」

「・・・・・・・・・・チェッ」
「要らねえんならいいんだぞ、別に」

「じゃ、唐揚げは入れてくれた?」
「唐揚げ?」

「そ、唐揚げ」
「・・・・・入れてない」

「なーんだぁ。俺唐揚げが好きなのに」
「・・・・・・・・・・」

犬君先生はムッとして弁当箱を取り上げようと手を伸ばした。
が、一瞬先に弥勒の腕が伸びて来てそれをさらい上げた。

弥勒は弁当箱を手に椅子から立ち上がると、犬君先生の背後に回った。
「ありがと・・・・・俺、絶対良い成績取って来ます」
先生の首に片手を回し、耳元に口を寄せて低い声でそう囁くと、弥勒はそのままキッチンを出て行った。

「ふぅっ・・・・・」
犬君先生は軽くため息をつくと、カップーに口を付け、朝から高鳴る胸の鼓動に困惑する。
「ばかが・・・・・」
誰にともなくそう呟き、ぬるくなったコーヒーをすすった。

それから食べ終えた食器を運びやすいように重ねながら、「唐揚げか・・・・・」と呟くと、紙切れを探して何やらメモる。

<トイレットペーパー、お風呂の洗剤、リモコンの電池、カラーフィルム2本、コーヒーのフィルター、ミネラルウォーター3本、インスタントラーメン、ピーナッツバター、長ねぎ、豆腐、クレソン、レタス、西瓜、枝豆、揖保の糸、鶏モモ300・・・・・>



  



「じゃセンセ、俺行って来ます」
「・・・・・お、おぅ」
髪を後ろで束ね、身支度を整えた弥勒は、どこからどう見ても好青年。
キリッとした男らしい顔立ちと爽やかな笑顔は、如何にも女に不自由しない奴のものだ。

バッグを肩に掛けた弥勒は、微笑を零しながらドアを開けて出て行く・・・・・

そう・・・・・女に・・・・・
男の俺がドキドキしてどうする・・・・・

パタンとドアが閉じられるのをぼんやり眺めてから、犬君先生はくるりと回れ右して廊下をトタトタ歩いてリビングへと引き返す。

「さてっと。天気も良いし、洗濯でもするか・・・・・」

とその時。
ドアが再びバタンと開いた。

「わすれものぉーーッ!!」

そう叫びながらドタドタと騒々しく引き返してくる高校生に、犬君先生はハアッとため息をついて頭を抱える。

「筆記用具でも忘れたか?優等生・・・・・(弁当はしっかり持ってたみたいだったし・・・・・)」
と、呆れるように振り返る先生の体を、弥勒は腕の中に抱きすくめた。

「もっと大事なもの・・・・・」

「・・・・・ッ・・・・・」

10秒?20秒?いや、或いは実際はもっと一瞬だったのかも知れない。
・・・・・唇を、貪られた。

「じゃ、行って来まーすっ」

「・・・・・・・・・・」

犬君先生は、元気良くドアを開けて今度こそ本当に清々しい夏の朝に消えていく弥勒の姿を見守った。

「お前の忘れ物って・・・・・・・・・・ちゅ、ちゅうのことかよ・・・・・」

やがて閉まったドアに向かって独りでそう呟くと、自分の体に妙な脱力感とそれに矛盾する微かな熱を覚える。

・・・・・朝っぱらから・・・・・
・・・・・ちゃっかり舌まで入れてくるし・・・・・

やれやれと首を振って踵を返し、洗濯に取り掛かった。



  



寝室に入ると、窓から差し込む光は既に眩しい夏を部屋いっぱいに運んでいた。

「さ〜て、コイツを洗って・・・・・・・・・・」
寝室に入った犬君先生は、シーツをベッドから引き剥がそうとする・・・・・が。

「・・・・・・・・・・」

タオルケットをどかして、白いシーツを掴んだ犬君先生の両手がふと止まった。
そこには弥勒の温もりがまだ微かに残っていて・・・・・

「・・・・・・・・・・」

・・・・・清々しい夏の朝は、洗濯に限る・・・・・
そう思うのに、その温もりに触れた手は止まったまま動かない。

・・・・・洗濯だ、センタク・・・・・
自分に言い聞かせながらも、体はベッドに吸い寄せられていく。

・・・・・いけない・・・・・
判っていても、肌が勝手に残された温もりを求める。

・・・・・こんなこと・・・・・
そのまま弥勒の枕に顔を埋めると、誘惑に降伏するように、体をそのカタチの無い温もりに重ねた・・・・・



「・・・・・・・・・・弥勒」
ベッドに横たわり、その名を口にしてみる。

・・・・・俺の、クラスの、生徒・・・・・

「・・・・・・・・・・弥勒っ」
もう一度ため息混じりにその名を零すと、犬君先生は感染したように熱を持ち始めた自分のカラダを抱き締めるように折り曲げた。



6月の終わり。
弥勒の切ないくらい真っ直ぐな気持ちを受け入れ、カラダごと結ばれてしまった。
以来、十八歳の盛んな性欲に狂ったように抱かれるたびに、大切な人を亡くしてからずっと凍りつかせてきた気持ちが溶かされつつあるのを感じる。

いや、気持ちだけでなく、カラダも・・・・・



「弥勒・・・・・」

・・・・・お前は、俺の、何?・・・・・俺は、お前の、何?・・・・・

男同士、教師と生徒。
そんな関係に戸惑いを拭いきれない自分を、それでも弥勒は等身大の愛情で精一杯抱いてくれる。

「・・・・・・・・・・弥勒っ」
犬君先生はシーツをギュッと握った手を解き、自分の一番熱い部分へと忍ばせた。
理屈を無視して昂ぶってしまった自身を手に取ると、弥勒に包まれているかのような錯覚が生まれる。



「・・・・・あぁ・・・・・みろく・・・・・」



目を閉じると、ゆめの中から、弥勒の吐息混じりの声が自分を招く。

<・・・・・せんせぇ・・・・・>



つい昨夜も自分を優しく癒し、激しく追い詰めたその手の動きを記憶の中で辿るように、犬君先生は己の手をゆっくりと動かし始めた。



あの恍惚とした黒い双眸が自分を捉えて・・・・・
形の整った唇が少し震えて自分を呼ぶ・・・・・

<・・・・・せん、せぇッ・・・・・>

弥勒は握る手に力を込めると・・・・・
ゆっくりと顔を寄せて、再び耳元に甘く途切れそうな声を降らせる・・・・・

<・・・・・せん・・・・・せぇぇ・・・・・>

蜜を零して強請る自分を、弥勒の温かい手が上へ下へと、もどかしげに擦っていく・・・・・

・・・・・みろくぅッ・・・・・
泪を流して哀願する自分。

その濡れたカラダと潤いつつあるココロを、弥勒はやがて至高の快楽へと追い詰めていく・・・・・



「ふ・・・・・ぁッ・・・・・み・・・・・ろ、く」
犬君先生は瞼の内側でうごめく弥勒の手を辿りながら、次第に自分の手の動きを早めていった。



弥勒に触られている
弥勒に包まれている
弥勒に弄られている

弥勒に・・・・・弥勒に・・・・・



一人で募らせてしまった思いに、救いを求めるかのように、先生の左手が虚しくシーツを彷徨う。
弥勒の残していったものなのか自分が新しくつけたものなのか、既に判別のつかなくなったその温もりを、まるでそこだけ独立した意思を持っているかのように情欲的に這い回る手がなぞっていく。

やがて、その五本の指がぴくりと動きを止めると・・・・・

「んッ・・・あァッ・・・・・」

小さな叫び声を零し、微かに震える手がぎゅっと固くシーツを握り締めた。







犬君先生はゆっくりと息を一つ吐くと、下腹部に当てた己の右手を広げた。
そして、そこに放ってしまった白い思いを呆然と見つめる。

・・・・・どうしちゃったんだよ、オレ・・・・・

最近、毎日のようにくたくたになるまでヤっているのに。
昨日だってあれだけたくさん出したのに。

・・・・・ヘンだぞ、オレのカラダ・・・・・

弥勒に触れられるようになってから、何か自分の中で自分以外の生き物が目覚めたような、そんな気がする。
もう何も求めない、そう堅く心に決めていた自分が嘘みたいで・・・・・

犬君先生はサイドボードのボックスティッシュに手を伸ばすと、今の恋人へ向けて吐き出された欲望を拭い取った・・・・・