雨と風と君と   其三・風







脳裏に見慣れた顔が浮かび上がろうとするのを慌てて掻き消す弥勒。
そして、最後の高みへと導くために大きく腰を引いたその時。
スタッ―――と、突然、襖が勢い良く開けられる音がした。



半身を起こし、振り向くと、そこに…
「犬、夜、叉…」
本当はいつも心に思い描いていたその顔、その姿。
一瞬、何が起こっているのか判らなかった。
暗闇の中で目を凝らすと、長い銀髪が惨めなくらいに濡れていて、顎や衣の袖から雫が止めどなく滴り落ちるのが見えた。







犬夜叉は表情ひとつ変えることなく、酒香の漂う室内で裸で女と床に横たわる弥勒へと歩み寄って来る。
そして、無言で蒲団をバッと剥ぎ取り、弥勒の肩を掴んだ。
凄い目で睨んだかと思うと…
バキッ。
弥勒の体は床から吹っ飛び、角の柱へ背中を打ち付けていた。



殴られた頬に呆然と手を当てる弥勒を見ても、犬夜叉の怒りは増すばかりだ。
バキッ…べキッ…バキッ……
床の中で女が甲高い悲鳴を上げながら震えている。
しかし、それすら犬夜叉を益々興奮させる材料にしかならない。
……
何をしていたんだ?
この手は、この唇は、この腰は。
何を、何をしていたんだ!?
……
重たい前髪から垂れ落ちる雨の雫が、溢れ出す涙と一緒になって頬を伝い、首筋を伝った。
……
何で、何でそんなこと。
俺は、俺は…一体何!?
……
頭に血が上って、自分の手が何をしていたのか覚えてない。
ふと、血の匂いが鼻につき、弥勒の口から黒いものが流れているのが目に入ると、
自分の両手が弥勒の腰をぎゅっと握り締め、倒れたその体を柱に強く押し付けていたのに気づく。
痛そうに顔を歪めることもなく、澄ました顔で真っ直ぐに自分の瞳を見ている弥勒の視線が逆に痛かった。



手に込めていた力を緩めると、犬夜叉はスッと立ち上がり、傍らに置かれた法衣を拾い上げた。
バサリとその漆黒の衣を弥勒の細い肩へと掛け、手首を取って立ち上がらせると、そのまま部屋を後にする。
茶屋を出た途端、大粒の雨が二人に降り注いだ。
雨が地面に叩き付けられる音と強い風の音だけが、耳に届く。
何処へ行く当てもなく、犬夜叉は弥勒の手首を掴んだまま、激しい雨の中を彷徨った。










「犬夜叉……犬夜叉っ……」
後ろから呼びかける声でようやく我に返り、周囲を見回すと、そこは既に町の中ではなく、どこかの雑木林の中だった。
弥勒を見れば、自分と同様、びしょ濡れだ。
雨を含んだ前髪が額に貼り付いている。
それに、口元には先刻の血の痕が。



「ゴメン…」
冷静さを取り戻し、項垂れる犬夜叉を、弥勒はただ黙って見ていた。
犬夜叉は再び顔を上げると、辛そうに眉を寄せ、弥勒の口元に残る血の痕を親指で拭った。
「怒ってるのか?」
表情を全く崩そうとしない弥勒に対して犬夜叉が聞く。



「……さあ、どうでしょう…」
吐き出すように一言そう言うと、弥勒は「帰るぞ」と背を向けた。



さあ、どうでしょう…だって?
俺の気持ち、知ってるくせに?
女と寝ているところを邪魔しに入って、お前を連れ出して来た俺の気持ち、知ってるくせに?



「待てよ」
犬夜叉が弥勒の左腕を掴む。
「何で…?」
「何がです?」
「何で…どうでもいい女と、寝るんだよ?」



弥勒はふぅっとゆっくり息を吐くと、すぐ傍の木に凭れかかった。
そして、右手を軽く持ち上げてみせる。
「風の音」
「風の、音…?」
「野分の風の音は、俺の親爺を吸い込んだ時の風穴の音によく似ている。そして、恐らく今後俺を吸い込むであろう風穴の音にも…」
「……」
弥勒の口元に微かな自嘲の笑みが浮んだ。
「弱いんだ、本当は。誰かに繋ぎとめてもらわないと、自分が消えてしまいそうな気がするんだ…」
「……弥勒」
昨夕の弥勒のひどく哀しげな背中が脳裏に浮ぶ。
「解かりましたか?」
気を取り直したようにそう言うと、弥勒は再び踵を返そうとする。



でも、左腕を握り締める犬夜叉の手がそれをさせなかった。
「俺じゃ、駄目なのか…?」
「……」
弥勒の怖いくらいに澄んだ黒い瞳が大きく開かれ、犬夜叉の目を覗き込んだ。



「俺と繋がっているんじゃ、駄目なのか…?」
「……」



自分の言葉が信じられなかった。
動揺して、どこを泳いでいるのか判らない犬夜叉の視線を、弥勒は真っ直ぐに見つめ返してくる。
目線を捉えられ、瞳の底を覗けば、眩暈がしそうなほど深く透明で、犬夜叉はその海に溺れた。



もう、降参だ。
分かったよ、認めてやるよ。
俺は、弥勒のことが、好きなんだ…
コトンと頭を弥勒の肩に落として、か細い声を紡ぎ出した。

「……欲しい」










綺麗な濡れた項を銀糸の髪の間に覗かせて、自分の肩に頭を置く犬夜叉…。
欲しい。
その言葉に、これまで苦心して己の脳と体に築いてきた理性の壁が、音を立てて崩れ始めた。
ばらばらと、その音を自分の中に聞きながら、弥勒が口を開く。
「後悔、しないか?」



「え…?」
聞いたことが無いくらいの低い弥勒の声に、犬夜叉は一瞬戸惑う。
「後悔しないかって、聞いてるんだ」
でも、その答えは切ない吐息で返ってくることになる。



「ひぁ…んっ」
弥勒の手が着物の間から滑り込み、犬夜叉の胸を弄った。
愛らしい小さな胸の突起を指先で押し潰すと、犬夜叉は顎を上げて僅かに開いた口から更に甘い声を洩らす。
「あぁぁ…ッ…あン…あッ……」
たったそれだけの愛撫で崩れそうになる犬夜叉の体を支えながら、弥勒は犬耳へと囁いた。
「大丈夫。後悔、させないから…」



左手で犬夜叉の腰を抱え、右手で胸の飾りを玩びながら、首筋に唇を這わせる。
敏感な所を攻められる度にピクンと跳ねる腰をぎゅっと押さえ込まれて、犬夜叉の目は熱く蕩けるように歪んでいく。
「はああッ…み、ろくッ…」
手は無意識のうちに弥勒の濡れた法衣を固く握り締めていた。



舌が首筋から鎖骨へと舐め落ちると、緋の衣が肩からバサリとはだけた。
それを合図に弥勒の指と舌は犬夜叉の胸や腹を一層激しく撫で回し、悦楽を奪っていく。
「んんッ……んッ、ふ、ぁン…」
梢から落ちてくる雨の雫が露わになった犬夜叉の肌を瞬く間に濡らし、弥勒の舌はそれを丹念に拭うように這い回る。
いいように弥勒に体を弄られて、犬夜叉の顎は高く雨を降らせる天を指し、長い髪は水滴を飛ばしながら揺れ動く。
「ん、んぁぁ……や…アア…」
突然激しく与えられた悦びに耐え兼ねているのか、逃げようとする犬夜叉の腰を抱え直すと、弥勒はその体を木に強く抑え付けた。



「な、に………んぐっ」
未知の不安に震える唇を、弥勒が己の唇で塞いだ。
舌を激しく絡ませながら、右手を犬夜叉の衣の腰紐へと伸ばす…
「……ンッ!…ンンッ!!…」
喉の奥から抵抗の声を上げるが、縺れる舌に言葉が吸い込まれていく。
紐が緩められた途端、はらりと袴が滑り落ちた。
犬夜叉の腰に辛うじて絡み付いている上衣をも弥勒は難無く剥ぎ取る。
そうして、犬夜叉を全裸にしてしまうと、そっと唇を離し、両手でその腰を直に掴んで木に抑え付けたまま、自分はストンと両膝を地につけた。



露わになった自分のモノの真ん前に、弥勒の顔がある。
犬夜叉は恥ずかしくて体を捻らせようとしても、腰を強く抑え付けられていて、身動きが取れない。
やがて、弥勒の片手が太ももに置かれた。
「ひゃぁッ…」
冷たい手の感触に腰がびくんと震える。
弥勒の手は構わずその太ももを撫で上げ、股間へと進んでいく。
「ソコ、はッ……ダ…メ……」
まだ理性のかけらが残っているらしく、犬夜叉は弥勒の頭を掴みながらその手の動きを拒んだ。



「どうして?欲しい…って、お前、そういうコトだろう?」
見上げた弥勒の瞳は、既に裸の獣のようだった。










←『雨と風と君と・其二・雨』に戻る
『雨と風と君と・其四・君』につづく→