耳飾り 下
きらきら光る星を見上げている俺の唇に、あいつは口づけを落とした。
ふんわり、やさしく。
そして、それは儚くもあり…。
俺は、あいつを守ると誓った。
本当に、守りたいと思った。
すまねえ…。
弥勒。
……
「犬夜叉」
「犬夜叉」
意識の淵に落ちて行く犬夜叉を呼び止める声がある。
……
目に入って来るものがようやく認識された。
「…弥勒」
犬夜叉の瞳に色が戻るのを認めると、弥勒は大声で怒鳴る。
「この大馬鹿者!!」
地面に膝を付けて崩れ落ちている犬夜叉を弥勒が脇から抱え込むように抱き留めている。
少し離れた所に、桔梗の放った矢が鈍い光を放って転がっている。
寸でのところで弥勒が割り込み、錫杖で矢を払ったのだ。
弥勒は犬夜叉の澄んだ大きな瞳と、傷口から流れる赤い血の匂いに、
口の端をきゅっと引き締め、首をその場に居るもう一人の人間へと向けた。
「…桔梗さま。あなたは生前、慈悲深い巫女だったと聞き及びます。
どうか、犬夜叉をもう許してやっては下さいませんか?」
片手を胸の前に立てて言う穏便な口調とは反対に、その表情には少しの隙も見られない。
しかし、桔梗は何も介するところが無いというように、ふっとため息をついて言う。
「近くに誰も居ないと思って、結界を張らなかったのが、失敗だったな…」
「何の意味があるのです?こんなこと……」
「意味?ふん、お前何ぞの知ったことではない。」
「犬夜叉は、生きているのです。あなたと違って…」
その言葉に桔梗の眉がぴくりと動いた。
「法師…お前、何者だ?」
弥勒は抱き留めていた犬夜叉を木の幹にもたせると、すっと立ち上がり、桔梗と対峙した。
「…私は縁あって犬夜叉とともに旅をしている者。奈落を倒すのがその目的です。
桔梗さま。私も、そして犬夜叉もあなたの敵ではないはず…」
「敵に非ずとも、犬夜叉の命は私がもらう」
「犬夜叉は、もう既にあなた一人のものではないのです」
弥勒のその言葉に、血を流して俯いている犬夜叉の犬耳がぴくんと立つ。
桔梗は忌々しげな表情を湛え、弓矢を握る手がぴくっと動いた。
それを見た弥勒は、懐に手を入れながら静かに言う。
「…この場は、お引き取り願えませんか?」
その言葉を無視して、巫女は法師に向け弓矢を構えた。
が、それより早く、弥勒の破魔の札が死人である桔梗目掛けて飛ぶ。
――――
「愚かな…」桔梗が微笑む。
「!!」
その瞬間、破魔の札はスッと消えていた。
「法師の法力が、巫女の霊力に敵うものか」
ちっと舌打ちをする弥勒。
そのくらいのことは予想していなかったわけではない。
ただ、この右手の風穴を使えば…
「やめろ!弥勒!!」
(やっぱりな…)
数珠に手をかけた弥勒の背後から声がかかった。
犬夜叉はどこまでも桔梗をかばう、それは解かってはいたが…。
その桔梗をこの右手に吸い込んでしまったら、犬夜叉は私を許さないだろう…。
しかし、桔梗は、弥勒が飛ばした札に一瞬気を取られたものの、もう既に弓矢を構え直している。
「弥勒!!」
弓を引く手に力を入れる桔梗。
(限界だ…)
じゃらり、と数珠が解かれる。
(恨まれてもいい。それが犬夜叉のためならば…)
「風穴!!!」
突然爆風が起こり、
辺りの枯れ枝、落ち葉、石ころ、ありとあらゆる物が弥勒の右手に吸い込まれて行く。
砂塵を巻き上げながら、しばらく右手をかざしている弥勒。
(吸い込んだか?)
と、もうもうと立ち上がる砂煙の向こうに―――
「!!」
髪の毛一本乱れること無く、弓矢を構え続ける桔梗の姿があった。
「私は死人だ。行くべき所など、どこにも無い。恐れる物など、何も無い」
動揺する弥勒に、爆風の中から冷やかな笑みを送ると、
桔梗は終に矢を放った。
「!!」
自分目掛けて飛んで来る矢を見たのと同時に、弥勒は全身に衝撃を感じた。
体が……宙に浮いている…。
次の瞬間、ばさりと地面に叩き付けられた。
自分の上に、犬夜叉が覆い被さっている。
……
「この男を殺さないでくれ」
矢で肉体を傷つけられ、妖力を奪われた犬夜叉が、僅かに残された力を絞り出すようにうめく。
目を細めてそれを見ている桔梗。
ふうっとため息をつくと、すっと踵を返した。
「次は、誰にも、邪魔はさせない…」
顔だけ振り向いてそう言うと、森の奥へと姿を消した。
それを認めた犬夜叉は気が抜けたのか、ふっと弥勒の体の上に倒れ、気を失った……。
「大丈夫か?犬夜叉」
気がついた時、弥勒がすぐ傍にいた。
既に日は暮れ、空には星が瞬いている。
まるで何事も無かったかのように、微笑む弥勒。
「よく、判ったな。俺が桔梗とここに居たって…」
「ハチが教えてくれたのです。私が町のお祓いから帰ってくる途中で…。
でも、ハチの奴、怖がって逃げたようです。帰りの足が無くなりましたな」
「あのよー、どうでもいいけど、おめえ、また女引っ掛けてきたろ!?」
急に口調が変わり、むすっとする犬夜叉。
「は?」
「おめえの体から女のおしろいの匂いがぷんぷん匂って来るんだよ!」
「ああ。お祓いを施した長者さまから銭を頂いたので、少しばかり…」
「て、てめえ…」
怒気を隠そうとしない犬夜叉をちらりと見て、弥勒は微笑む。
「でも、何もしていませんよ。何かするには銭が足りなかったんです。
これを買いましたので…」
と、弥勒は袂から小さな木箱を取り出して、蓋を開けた。
そこには小さな小さな金の輪がひとつ、暗がりに愛らしい光を放っていた。
「何だ?これ」
「耳飾りです。私のと同じ…。お前にやります」
「あ?」
「お前に買ってきたのです」
「おめえ、何寝ぼけてんだよ?そういうものは珊瑚にでもやれ!」
「……」
言葉が返って来ないので、ふと弥勒の顔を見ると、はーっとため息をついて沈んでいる。
(お、俺、そんなに悪いこと言ったか…?)
「解かったよ、つけりゃいいんだろ!つけりゃ!!」
犬夜叉はぶんと、弥勒の手から耳飾りを奪い取る。
「私がつけてあげます」と、弥勒は右の犬耳に触れた。
「痛てっ」
「我慢しなさい。今のお前の左腕の方がよっぽど痛そうですよ」
真っ白な、ふさふさの犬耳に、小さな金の輪がぶら下がった。
犬耳がぴくんぴくんと動く度に、金の輪が愛らしく輝く。
照れて鼻の頭をぽりぽり掻いている犬夜叉を、弥勒はまじまじと見つめる。
「な、何だよ…」
「いえ、別に。…それじゃ、ぼちぼち帰りましょうか」
「帰るって、もう夜だぜ。闇の中で山を下るつもりかよ?…俺だって、そんな力残ってねえし…」
「私がお前を背負って行くしかないでしょう。今夜ここでお前と二人きりになって、間違いが起こったらどうするのです?」
「……」
思いっきり顎を外す犬夜叉。
「お前の左腕の傷が思ったよりひどいから、一刻も早く手当をした方が良いと言っているのです」
「どこがだっ!!」
結局、犬夜叉は弥勒に背負われて山を下る。
最初は悪態をついていた犬夜叉も、疲れたのか、すやすや眠ってしまった。
自分より体重の重い犬夜叉を背負って山道を下るのは難儀だが、弥勒には不思議とその重さが厭わしくなかった。
今、犬夜叉は、体を全て自分に委ねている。あの犬夜叉が…。
月明かりを頼りに、弥勒は用心深く山を下りて行った。
「おい、起きろ。犬夜叉」
「んぁ?」
目覚めると空はうっすらと色づき、水田に映る朝焼けが鮮やかだった。
どうやら、山は下ったらしい。
「ここからは自転車ですから、寝ぼけて落ちないように」
と、弥勒は犬夜叉をちょこんと後ろの荷台に乗せる。
(俺、また村に帰れるんだな。もう終わりかと思ったのに…)
美しい朝焼けを見上げながら犬夜叉は思う。
(あの時、俺は弥勒のことを思った。そして、弥勒は俺の元へ来た…)
『犬夜叉は、もう既にあなた一人のものではないのです』
弥勒の言葉が頭の中で回り続けている…。
ふと、犬夜叉は顔を傾げ、朝の風に短髪を靡かせて自転車をこぐ、すぐ目の前の弥勒を見る。
「……」
「何を考えているのです?犬夜叉」
「べ、別に何でもねーよ」
「犬夜叉。もう桔梗さまに対して罪悪感を抱くのはお止めなさい」
「……」
「悲しみますよ、かごめさまが」
「……かごめ、だけか?」
弥勒が後ろを振り向くと、犬夜叉は小さい口をとがらせて、そっぽを向いている。
「犬夜叉…お前もしかして、二股どころか三股かけるつもりですか?」
「なっ……」
心の内を言い当てられて、かあっと真っ赤になる犬夜叉。
その様子をちらりと盗み見て、弥勒が小声でぼそっと呟いた。
「カワイイの……」
「あ?な、何つった今!?」
「別に…」
「おい、こら!もう一度言ってみろ!こうしてやるっ!!」
ぎゅうっと、後ろから弥勒の腰を強く抱き締める。
「うわっ、犬夜叉。これっ、苦しい…。上手く運転できんではないかっ。おい、放せって……」
「そんじゃ、こうか?こうだ!ほれ、どうだ!?」
弥勒のわき腹をこちょこちょとくすぐる。
「はははっ、は、は、止めろ、おい、むはっ、は、はは、これっ、むははははは……」
ふらふらと蛇行しながら、二人乗りの自転車が朝焼けのあぜ道を走って行く。
犬夜叉の右耳に付けられた金の耳飾りが朝日にきらっと輝いた。
おわりvv
written by 遊丸@七変化
いやはや、弥×犬の自転車二人乗りシーンを書きたいばかりに、
こんなものを書いちまいました。
桔梗まで引っ張り出して…。
「お前、犬夜叉の何なのだ?」
さすがに、男に向かってそう言わせるのは、お笑いチックになるので止めましたが、
実際は、ジェラシーメラメラだったでしょうね、桔梗さま。
弥勒さまも犬耳には降参でしょうか?
罪な男じゃ、犬夜叉は…。