江の島〜鎌倉〜横浜を巡る、黄泉への風穴ツアー

〜高耶さんの(お尻の)温もりを追え!

前編



旅行日:2012年4月6日

行程:(下線はミラツアスポット)

関東某所→鎌倉駅→(バス)→鎌倉山→(バス)→江の島
青銅の鳥居参道辺津宮&社務所&奉安殿中津宮頂上奥津宮稚児ヶ淵岩屋→(徒歩)→しらすや→(徒歩)→小動神社→(徒歩)→腰越駅→(江ノ電)→稲村ヶ崎駅→(徒歩)→稲村ヶ崎公園→(徒歩)→稲村ヶ崎駅→(江ノ電)→鎌倉駅→(徒歩)→鶴岡八幡宮→(徒歩)→鎌倉駅→(JR)→桜木町駅→(徒歩)→ぷかり桟橋ヨコハマグランドインターコンチネンタル→(徒歩)→みなとみらい駅→(地下鉄みなとみらい線)→元町・中華街駅→(徒歩)→中華街・梅蘭→(徒歩)→関内駅→帰宅

※グレー文字は後編にて

同行者:パートナー





去年の春は小田原に行きましたけれども、今年も花見がてらどこかに行きたいと思い、計画したのが、江の島リベンジツアー。まあ、日帰りでサクッと行けるところと言えば、必然的に江ノ島か小田原かということになりますが…、前回(2009年夏)行った時は全く復習しないで行ったし、ろくに写真を撮っていないダメダメツアーだったので、一度リベンジしなくてはと前から思っていたのでした。

なかなか咲かなかった桜がようやく咲き始めた頃、土日を外して平日に出発です。一人で行く予定でしたが、たまたま相方が休みだったので一緒に行くことに。

この日、うちの近所の桜は八分咲きくらいでした。鎌倉周辺の開花状況が気になるところです。
先ずは鎌倉駅までやって来ました。

今回の旅は江の島だけではなく、『黄泉への風穴』に因んだ周辺スポットにも立ち寄りたいと思います。


では、鎌倉〜江の島周辺の位置関係を。左下に江の島、江の島から片瀬海岸を挟んだ岬にあるのが小動神社、そこから更に七里ヶ浜を越えた稲村ヶ崎に稲村ヶ崎公園。この公園は高耶さんは立ち寄っていませんが、高耶さんが拉致られている間に小太郎と綾子ねえさんが待ち合わせた場所です。鎌倉には、千秋と色部さんが八海と待ち合わせた鶴岡八幡宮。七里ヶ浜から北上した内陸部にあるのが鎌倉山。敵方・里見義堯の屋敷がありました。因みに、開崎のマンション(開崎が高耶さんを監禁してあーんなことやこーんなことをしたマンション!)があった茅ヶ崎は江の島より更に西方になります。

最初の目的地は鎌倉山です。作中の里見邸はもちろん架空の屋敷で、実在はしないわけですが、この時期桜が美しいという鎌倉山を散策してみたくて立ち寄ることにしました。

鎌倉駅前からバスに乗って行きます。
「常盤口」というバス停で降りました。

ここから鎌倉山ロータリーまでの約3kmの道沿いに200本の桜並木が続く…とのことなのですが、開花状況はイマイチ、かなあ。

鎌倉山は標高100m程度の丘陵地帯で、昭和初期に高級別荘地として開拓されました。

著名人が多く買い求めたとのことですので、里見義堯が憑依した京武不動産社長・辰美慶嗣の邸宅がここにあったというのも頷けます。
桜の咲き具合は木によってかなりバラつきがありますが、平均して5分咲きか、それに満たないくらいでした。
ところで、作中、里見邸の裏には「やぐら」があり、捕えられた三浦義意がそこに監禁されたという一幕がありました。

「やぐら」とは、鎌倉周辺に多く見られる、山肌をくりぬいて造られた中世の墳墓で、中に供養塔や石仏などを安置したものだそうです。

この鎌倉山散歩の間にも「やぐら」が見られるかと思い、崖のあるところを注意して見ていましたが、発見できませんでした。鎌倉まで来る時に電車の中から、もしかしてあれが「やぐら」?というものは見かけたのですが…。

誰の墓とも知れぬ些細な遺構ですが、そういうのが残っている土地って何だかいいですよね。
竹の緑と桜のコントラストが眼に鮮やかです。
見晴らしの良さそうな場所に立つ邸宅。

里見邸もこんなイメージでしょうか。
鎌倉山ロータリーまでやってきました。

本当は、ここから更に西鎌倉駅まで歩き、湘南モノレールで江の島へ向かう予定だったのですが、ふとバス停の時刻表を見てみたら、ちょうど江の島行きのバスがもう少しで来るところでしたのでバスで江の島に向かうことに。
バスで江の島大橋を渡り、降り立ったのところは既に島内。左の方に見えるのが江の島大橋です。

さて、この江の島が主な舞台となった『黄泉への風穴』は、富士宮の浅間大社から江の島の岩屋へと夜魔道を通す「通黄泉の法」を行うため、京武不動産の力を借りて江の島を占拠しようとする里見と、それを阻止する上杉との戦いでしたね。

ではこれから、高耶さんたちの足跡を辿りながら、島の裏側にある岩屋を目指します。
江島神社の参道の入り口に立つ「青銅の鳥居」。

物語前半、人魚の噂を聞きつけて江の島にやってきた高耶さんと綾子ねえさんもこの鳥居を潜りました。

また、物語後半、通黄泉の法を修するため黒いリムジンで乗りつけた里見義堯を開崎らが出迎えたのもこの場所でした。

正に、江の島の玄関口といったところでしょう。
このすぐ近くにある、「えのすぱ」という温泉施設の1Fで買った湘南バーガー。朝ごはん食べていなかったので、相方がお腹空いたらしく。

中身はごぼうの入ったさつまあげです。特に湘南〜って感じもしませんが、ピリ辛の味付けで美味しかったです。
ゆるい坂道の参道。両側にはみやげ物屋が立ち並んでいます。

高耶さんと綾子ねえさんは、ここで、みやげ物屋の娘で江島神社の巫女でもある須賀奈津緒と出会ったのでした。

「江の島って言ったら、おみやげ屋さん冷やかして歩くのが楽しい」とは綾子ねえさんの言ですが、確かにここのおみやげ屋さんは流行に染まってなくて、昔ながらのチンケな?みやげ物(貝細工の置物とか)を売っていて、レトロ感がたまらなく心地よいです。高耶さんたちが話を聞いた渡船の船員さんは江の島のことを「素朴で、ちょっと古めかしいのが味があっていい」と言っていましたが、納得です。この雰囲気はいつまでも変わらないでいて欲しいなと思います。
参道での食べ歩きも楽しみのひとつ。こちらは、名物・たこせんべい。

よくテレビなんかでも紹介されてますね。約1トンの力でプレスして焼いているそうです。薄いので食べ応えはありませんが、パリパリして、タコの風味が活きていて美味しいです。
みやげ物屋が途切れた先に、長〜い階段が出現します。

エスカーに乗るという手もあるのですが、途中辺津宮や中津宮を参拝しながら登るので歩いて登ることに…したのですが、そう言えばエスカーって、いくつかの区間に分かれているから、ちゃんと参拝しながら登ることができるんですよね…。つうか、前回来た時も途中からエスカー乗ったし。

まあ、高耶さんたちも歩いて登ったわけだし、歩くのもいいでしょう。
鳥居を潜って、階段はまだまだ続きます。
特務調査官の二階堂さんと奈津緒は、呪殺されそうになった奈津緒の父親を助けるため、この階段を駆け上ったんですよね。二階堂さんなんて多分パンプスじゃないのか? タフだな。

階段の先に見えるのが辺津宮。
辺津宮。

この輪を潜ると罪と穢れが祓い清められるのだとか。

あ、潜るの忘れた(笑)。
社務所。辺津宮に向かって右手にあります。

高耶さんたちが奉安殿の前から遠巻きに見ていると、やがて、江の島で買収工作を進めている京武不動産の関係者がこの社務所から出てきました。その途端、入り口で待ち構えていた反対住民らのシュプレヒコールが起きますが、住民らは暗示によって鬼を見て悲鳴を上げることに…。

京武関係者の中にはもちろん開崎もいました。ここは、開崎と高耶さんが初めて逢った記念すべき?場所ですね。
奉安殿。辺津宮に向かって左手にあります。

法隆寺の夢殿を模して、1970年に建てられたものだそうです。

奈津緒の父親を救うため、二階堂麗子がこの中に籠もって真言を唱え続けました。
<このなかに、弁財天が二体まつられている。妙音弁財天と八臂弁財天である。妙音弁財天は“裸弁天”で知られる白い肌もなまめかしい裸形の弁天だ>(『黄泉への風穴・前編』123ページ)

その裸弁天様を、150円の拝観料を払って拝観しました。撮影禁止なので写真がないのが残念ですが、噂に違わぬ色っぽい弁天様でした。この二体の弁天様が江の島が観光地として賑わうことになったそもそもの始まりなんですね。
銭洗白龍王。

ここの水でお金を洗うと金運がアップするのだとか。

前回来た時は亀さんがいて、人のすぐ傍で堂々と甲羅干しする姿が印象的でしたが、今回はいませんでした。ちゃんと元気だといいんだけど。
辺津宮から中津宮に至る階段の途中で、江の島のヨットハーバーを見下ろすことができます。

ここは高耶さんたちが人魚について聞き込みをした場所です。足を運ぶ時間的余裕がないので、高所からの写真だけでスルー。
更に階段を登っていくと、中津宮が見えてきます。
中津宮。

物語後半、奥津宮へ向かう依代一行と、奥津宮から義堯を出迎えるために青銅の鳥居へと向かう開崎がすれ違ったのがこの中津宮でした。

依代一行の中には、巫女に扮した綾子ねえさんがいて、開崎と目があってキグリとしたわけですが、開崎(直江)にしてみれば、上杉方が無事、通黄泉の法阻止に動き出したのを見て、ほっと胸を撫で下ろしていたことでしょう。直江も苦労してるよなあ。
中津宮から更に階段が続きます。
やっと頂上に着きました。ここはエスカー降り場。

人魚の調査にやってきた時、綾子ねえさんがここの菓子自販機でスナックを買ったらしいのですが、今はもう菓子自販機はありません。
右奥に見えるのが、サムエル・コッキング苑入り口。

サムエル・コッキング苑は、旧「江の島植物園」をリニューアルし、2003年にオープンした施設です。1994年に発行された『黄泉への風穴』当時は、まだ植物園だったんですね。作中の表記も「植物園」となっています。

そして、画面左の方は屋外レストランがあった場所なのですが…。
綺麗さっぱり無くなっていました(泣)。今は奥の方に小奇麗なカフェがあるのみ。ちょっと寂しい…。

前回2009年に来た時には、確かにごちゃごちゃしたフードコートみたいな場所があったのに…。そこで、綾子ねえさんはスナックを食べ、高耶さんは足元にじゃれてきた白い猫の頭を撫でていたのに〜。

つうか、前回来た時、その屋外レストラン?に立ち寄ったにも関わらず、写真を撮っていなかった私。悔やんでももうあの場所には行けないんだなあ。俺のばかやろーー。


頂上に江の島のマップがあったので載せてみました。イラスト化しているので実情とは若干異なるのですが、参考までに。今回通った道をピンク色で塗りました。★印はミラツアスポットです。文字が見にくくてすみません…。

さて、頂上から奥津宮へと向かいます。

ここからはやっと下りです。

この頃から、傘を差すほどではないですが、雨がパラパラと降り出してきて…レンズについた水滴が写り込んじゃってますね。
奥津宮の鳥居。年季の入った石の鳥居と桜の組み合わせが何とも素敵です。

奥津宮は三浦義意が弁財天来臨法を修した場所ですね。ここで弁財天を依代に降ろし、その力を岩屋に中継する予定でした。実際には、弁財天の自在権を小動神社にいる高耶さんが奪い、依代の二階堂麗子は辺りを破壊し尽しながら岩屋へと進みます。

弁財天は凶悪な鬼神と化し、暴れまくるわけですが、これって一応高耶さんが御しているんですよね…。た、高耶さん…もしかして日ごろの憂さ晴らしだったりして。
奥津宮の手水舎に居た鋳銅の亀さん。

普通は龍ですよね? 何で亀さんなんだろう? と不思議に思っていたのですが…。 
どうやら、この奥津宮拝殿の天井に「八方睨みの亀」という亀の絵が描かれているのに因んでいたようです。って、後で知りました。ネットで写真を見ましたが、なかなか貫禄のある亀さんです。見たかった…。

辺津宮、中津宮、奥津宮と…、それぞれ社殿の趣が異なっていて、楽しめますね。
<奥津宮脇にある龍宮(わだつみのみや)も爆撃でもされたかのように一瞬にして木っ端微塵になった>(『黄泉への風穴・後編』217ページ)

弁財天に木っ端微塵にされた龍宮です。

ほんとに、色んなところをぶっ壊してるなあ、ミラージュは。
奥津宮を過ぎたら、いよいよ岩屋へと向かいます。
ここも引き続き下りです。
やがて海が見えてきます。
そして、ここが、あの!稚児ヶ淵です。別名「カシミヤコートの岩場」(笑)。
稚児ヶ淵へと降りる階段。

苦しそうに岩場にしゃがみこんでいる高耶さんを見つけ、開崎は「怪我をしたんですか」と声をかけ、この階段を降りていきました。

この日は水溜りが多く、下には降りられませんでした。


<(開崎が)おもむろに羽織っていた黒いコートの袖から腕を抜いたので高耶は驚いた。どうするのか、と思って見ていると、開崎は脱いだ自分のコートを、高耶の背にかけたのである。ふわっ、と包みこむように、ぬくもりが背中から被さった。相手の体温がそのまま背を覆ったような感じがした>
(『黄泉への風穴・前編』146ページ)

開崎さん、しっかり直江してますね。まったく、こういうことをする奴は直江くらいですよ。高耶さんはこの直後泣いちゃうし、帰りの車中ではコートを握りしめて物思いに沈んじゃうし、更にはホテルの部屋に帰ってからなんて、ベッドの上でコートを羽織り、あわや自慰を始めてしまうところだったという始末。高耶さんって、本当に人の温もりに弱いんですね。開崎は確信犯に違いありません。

ところで、「稚児ヶ淵」という名前は、稚児白菊と自休和尚が報われぬ恋を嘆き、相次いで身を投げたという伝説に由来しているそうです。男同士がイチャつくには相応しい場所なのかも?

岩屋を見た後、帰りは楽して船で帰ろうと思っていたのですが…、稚児ヶ淵の案内看板になんと「本日運休」の文字が!

高耶さんたちが来た時と同じ…。ですが、嬉しくない…。帰りもまたあの階段が待っているなんて。くそう、里見の陰謀か?
岩屋への歩道橋。

左側は垂直の崖になっています。岩屋はこの崖の中にある洞穴ですが、通黄泉の法を阻止する際、高耶さん操る弁財天は、二度と夜魔道が通じないよう、この岩盤ごと吹き飛ばしたのでした。
岩屋の入り口近くにある階段。

岩場へ降りる階段は、さっきの稚児ヶ淵のと、この岩屋近くのと二つあります。高耶さんが二度目に岩屋に来た時(三浦義意と一緒に独鈷杵を埋めるためボートで来た時)、開崎が降りてきた階段は、こちらの階段かと思われます(高耶さんと義意は岩屋の見える岩陰に潜んでいたため。稚児ヶ淵の方からは岩屋の入り口は見えません)。
開崎が「モデルのような足どりで」降りた階段。いちいち直江してるなあ、開崎氏。

そして、この前方の岩場は、高耶さんと開崎が念波戦を繰り広げた場所であり、失神した高耶さんが開崎にお姫様抱っこをされた現場であります。奈津緒の時は地面に寝かせておいて部下に運ばせたくせに、高耶さんだと部下の申し出を断ってまで自分で抱っこして連れていくという…。さすがだ。
岩屋の入り口。

↑の岩場に降りる階段は、入り口のすぐ手前、右側にあります。
料金所を過ぎて、第一岩屋へ至るまでの道はギャラリーになっていて、岩屋の歴史などが紹介されています。
第一岩屋の入り口で蝋燭を貸してくれました。

前回はこれを期待してたのに何故か無かったんです。こういうの持って入ると何かわくわくしますよね。
第一岩屋は途中で二手に分かれています。

富士の風穴と繋がっているという伝説があるのは左側の道らしいです。
第一岩屋(の左側の道)の突き当たり。

この奥が夜魔道によって富士宮の浅間大社にある湧玉池と繋がるはずでした。

前編で三浦義意が独鈷杵を埋めようとして真言を唱えていた場所、更に後編で里見義堯が通黄泉の法を修していた場所はこの辺りかと思われます。
こちらは右側の道の突き当たりです。

ここは江島神社の発祥の地らしいです(552年にこの場所に宮を建てたのが始まりだとか)。

右下に見えるのは、子に乳を与えているという珍しい狛犬。

そして、左に三つ鱗の紋…。三つ鱗と言えば北条ですが、江の島では所々でこの紋が見られるらしいです(私は気づかなかったのですが…)。何故だろうと思って調べてみたら、そもそも北条氏がこの家紋を用いるようになったのは、北条時政が江の島に参籠した際、大蛇(龍)が現れ、三つの鱗を落としていったっという伝説に由来しているそうで、江島神社もこの伝説に因んで同じ紋を社紋としているらしいです。氏康パパが領土を主張している…わけではなかったんですね。
引き返して、第二岩屋へと向かいます。

暗くてわかりずらいですが、階段の手前を右に曲がるとさっき来た料金所の方。真っ直ぐ行くと突き当たりは柵で行き止まりになっていて(その先は岩場)、第二岩屋への道は左の方にのびています。

さてここで、三浦義意が高耶さんたちに見つかって逃走した経路について考えてみたいと思います。


第一岩屋、第二岩屋、及び周辺の岩場と通路のマップです。濃い茶色は岩盤部分、その中にある黄色い通路が岩屋の通路、薄い茶色は外の岩場、その中にあるグレーの道は歩道橋です。
義意は、「出入り口には向かわず、まっすぐ走って第二岩屋に続く外の道へ逃げ、柵を越えて岩場に飛び降りた」とあります。↑のマップをご覧頂ければわかるように、第一岩屋から第二岩屋へ向かう途中に「外の道」があります。義意はこの道から岩場へ飛び降りたのか?と思い、第二岩屋へ向かう途中の通路から下を覗き込んでみましたが、とても飛び降りられそうな感じではありませんでした…。辛うじて飛び降りられそうな場所は第一岩屋から真っ直ぐ行った突き当りにある柵。うーん、でもここは「外の道」ではないから、やはり第二岩屋へ向かう歩道橋の途中で飛び降りたのでしょう。しかし、驚異的な身体能力で飛び降りられたとしても、まだ謎が残ります。義意のボートは稚児ヶ淵の方に停めてあったらしく、岩場に飛び降りた後、義意は稚児ヶ淵の方へ駆けて行ったのです。稚児ヶ淵は第二岩屋とは反対方向…。なのに、なぜわざわざ第二岩屋の方へ逃げたのか? 追ってくる綾子ねえさんを撹乱するための作戦? 案外、ただの方向音痴だったりして(笑)。謎は謎のままです。

第一岩屋から第二岩屋へと続く通路。

下の岩場へ飛び降りるには、かなりの高低差があります。
第二岩屋へ行く途中に見られる亀岩。

どうやら人が掘ったものらしいです。

亀さんが竜宮城に向かって泳ぎ出す姿なのだとか。
第二岩屋の入り口。

中は大体、第一岩屋と似たような雰囲気です。
第二岩屋の奥に鎮座する龍。
渡し舟が運休なので、また同じルートを引き返します。

途中で見あげた江の島展望灯台。私は登ったことありません。あそこに行くにはどうやらサムエル・コッキング苑の入場料+展望灯台の入場料がかかるらしい。でも、1回くらい行ってみてもいいかもしれませんね。
弁天橋の上から茅ヶ崎方面を眺めて。

高耶さんが開崎にあんなことやこんなことをされちゃったマンションはあっちの方角なんだなと思いを馳せつつ。。
こちらは歩行者専用の江の島弁天橋。自動車専用の江の島大橋は弁天橋の左側に平行してあります。
弁天橋のたもとにある渡船乗り場。

ヨットハーバーで聞き込みをした高耶さんと綾子ねえさんは、渡船の船員さんに話を聞くといいとアドバイスされます。そして、二人は…

<ヨットハーバーから引き返して、弁天橋の渡船の乗船場にやってきた。しかしこの晴天にも関わらず、今日は運休の看板が出ている>(『黄泉への風穴・前編』112ページ)

図らずも原作通りに…。この日は通り雨のようにポツポツ降ることもありましたが、それほど荒れた天候でもなく…なぜ運休だったのかはわかりません。平日だとよく運休になるのかもしれませんね。








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