火輪ツアー 其弐

〜マイナースポット編

後 編




◆旅行日:2016年1月25日〜1月27日

◆行程:
※下線はミラージュスポット
※グレー文字は前編にて

◇1月25日:
成田空港→(ジェットスターGK611)→熊本空港→(空港リムジンバス)→熊本駅前バス停→(徒歩)→中華麺処らん蘭(ランチ)→(徒歩)→熊本駅前電停→(熊本市電)→辛島町電停→(熊本市電)→本妙寺入口電停→(徒歩)→本妙寺→(徒歩)→花岡山公園→(徒歩)→スーパーホテルLOHAS熊本天然温泉(宿泊)

◇1月26日:
スーパーホテルLOHAS熊本天然温泉→(徒歩)→熊本交通センター→(路線バス)→熊本港
→(路線バス)→熊本交通センター→(路線バス)→動物園入口→(徒歩)→下江津湖〜上江津湖→(徒歩)→水前寺公園→(徒歩)→水前寺公園電停→(熊本市電)→慶徳校前電停→(徒歩)→ホテル法華クラブ熊本(宿泊)

◇1月27日:ホテル法華クラブ熊本→(徒歩)→慶徳校前電停→(熊本市電)→新水前寺駅前電停→(徒歩)→JR新水前寺駅→(JR九州横断特急)→宮地駅→(徒歩)→阿蘇神社→(徒歩)→一の宮町インフォメーションセンター→(レンタサイクル)→国造神社→(徒歩)→上御倉古墳→(徒歩)→国造神社→(レンタサイクル)→一の宮温泉→(レンタサイクル)→JA阿蘇直売所四季彩いちのみや→(レンタサイクル)→一の宮町インフォメーションセンター→(徒歩)→宮地駅→(JR豊肥本線)→阿蘇駅→(徒歩)→道の駅阿蘇→(徒歩)→阿蘇駅→(JR豊肥本線)→肥後大津駅→(空港ライナー)→熊本空港→(ジェットスターGK618)→成田空港


◆同行者:なし


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




時刻は13時10分。


上江津湖に到着。


下江津湖よりだいぶこじんまりとしていて、市街地が近い雰囲気ですね。足漕ぎボートなどもあるようですし、開扉法を行うとしたら、やはり下江津湖の方が雰囲気的には良いような気がします。
湖の上を、何か重機が行ったり来たりしています。


どうやら過剰な水草やゴミを除去しているようです。
上江津湖の東岸を歩いていきます。


向こう岸のように見えるところは、湖の中の島です。遊歩道で繋がっていて、歩いて行くことができます。
上江津湖東岸の一角。


この辺りも水が湧いているようでした。クレソンがたくさん生えています。そう言えば、クレソンも外来種なんですよね。生えてるのを見て悪い気はしませんけれども…。
カワセミの姿も(写真中央岩の上)。


瑠璃色がとってもきれいです。
上江津湖の北端辺り。また川のようになってきました。


遊歩道を水前寺公園の方へと歩いて行きます。
突然背後から、バシャンと大きな音がして、振り返ると、ゴールデンレトリバーが水の中をスイスイ泳いでいくではありませんか。


カメラを向けると、すっごいドヤ顔されました。


水が非常に澄んでいてきれいなので、犬も思わず泳ぎたくなるんでしょうかね。夏ならもっと気持ち良さそうなのに。
この辺り(上江津湖の上流部の川)は水が最もきれいな場所でした。ここらの川底からも水が湧いているのかもしれません。


この辺りの地名は「出水(いずみ)」と言うらしいですが、至極納得です。


自宅のすぐ裏をこんなきれいな川が流れてたら、いい気分でしょうね。
さっきの犬が、川から上がって戻ってきました。どうやら、私の後ろの方にいた方が飼い主さんのようで。


前方に見える橋を渡って、更に少し北上すると…
路面電車の通りに出ました。


前方に見えるのは、「水前寺公園」の電停です。


ここから数分歩けば、水前寺成趣園です。「水前寺公園」という名で通っていますが、正式名称は、「水前寺成趣園」なんですね。
公園の正門前は鳥居が建っていて、小さい門前町の風情。


公園の中に「出水神社」という神社があるからですね。


この鳥居は、熊本地震によって倒壊してしまい、現在は撤去されているようです。
くまモンが道を塞いでいました。


「水前寺成趣園へようこそだモン!」だそうです。
水前寺成趣園の正門に到着したのは、14時08分。


ここは、開崎と色部さんが待ち合わせをしていた場所ですね。古今伝授の間での二人の会話は深くて印象深いです。


<開崎誠はその人物と正門前でおちあい、園内を歩いて池のほとりに建つ「古今伝授の間」までやってきた>(『火輪の王国 前編』206ページ)
その「古今伝授の間」がこちら。正門入ってすぐ右の方に建っています。


ここではお抹茶を頂くことができるので、早速入ってみようと思いましたが、先客が多かったので、先に園内を一周してみることに。
<ここ水前寺成趣園は熊本藩をおさめていた細川家の藩公遊休の庭園としてつくられた桃山式回遊庭園だ。熊本を代表する名勝で、いまはお城とならんで市内観光スポットのひとつとなっている。園内は広く、東海道五十三次になぞらえて造園されたという趣向に富んだ景色の美しさは、名園の名にふさわしい。池の湧き水は阿蘇の伏流水で、その澄み具合は水の都とうたわれるだけある>(『火輪の王国 前編』206ページ)

今回は熊本ツアーの「マイナースポット編」ということでお送りしていますが、ここだけは別格です。本当は前回相方と一緒に来てもよかったんですが、時間的に組み入れることができなかったので。
写真ではよくわかりませんが、池の水はかなりきれいな方だと思います(先刻通って来た川の方がもっと透明でしたが)。

作中に「園内は広く」とありますが、例えば高松の栗林公園とか岡山の後楽園ほどだだっ広いわけではありません。池が公園の大半を占めていますが、その池も↑の写真くらいの大きさですので、割とこじんまりとした公園です。

写真左の方に写っている茅葺屋根が古今伝授の間。右端に写っている建物が出水神社です。因みに、アオサギは置物じゃなくて本物です。
池をぐるりと回って、古今伝授の間のちょうど反対側辺りにやって来ました。


写真の山は富士山なのだそうですが、なるほど東海道五十三次で見たことのある曲線です。
出水神社。熊本藩の歴代藩主を祀っています。


私のすぐ背後に、参道入口にあったような、大きな石の鳥居があったのですが、こちらも熊本地震によって被害を受けた模様で、現在は撤去されています。それから、先ほども触れましたように、池が枯渇してしまったと大きく報じられていましたが、現在は元に戻っているようですので、ご安心を。
出水神社の前から見た公園風景。


周辺は住宅地でマンションが立ち並んでいますね。ちょっと不思議な景色です。
再び古今伝授の間に戻ってきました。25分ほど経っています。そろそろ空いてきたようです。

左の建物が古今伝授の間。

そもそも「古今伝授」とは、古今和歌集の解釈の奥義を伝えること。そして、この奥義は、一子相伝の秘伝として口伝で代々伝えられてきたものなのだそうです。

「古今伝授の間」はつまり、その古今伝授が行われた場所であったということからその名が付いたというわけですね。元は、四百年ほど前に京都御所の中にあったものが、変遷を経て、大正元年にここに移築されたものだそうです。
おりゃ、そうとは知らずに、「ここんでんじゅのま」かと思っていました…。もちろん、正しくは「こきんでんじゅのま」であります。


すぐ隣に、「香梅」という熊本のお菓子屋さんの売店があり、ここで注文すれば、古今伝授の間で、お抹茶とお菓子を頂くことができます。


ここでお金を払って、古今伝授の間で待ちます。
こちらが古今伝授の間。


具体的には、1600年に、細川家初代・幽斎公が八条宮智仁親王へ古今伝授をおこなったという場所だそうです。
ウィキペディアには、古今伝授のエピソードとしてこんなことが書かれていました。

「三条西家は代々一家で相伝していたが、三条西実枝はその子がまだ幼かったため、後に子孫に伝授を行うという約束で細川幽斎に伝授を行った。ところが慶長5年(1600年)、幽斎の居城田辺城は石田三成方の小野木重次らに包囲された(田辺城の戦い)。幽斎が古今伝授を行わないうちに死亡し、古今伝授が絶えることをおそれた朝廷は勅使を派遣し、幽斎の身柄を保護して開城させた」

戦の勝敗に影響を及ぼすほどのものだったんですね。
古今伝授の間から見た庭園風景。


奥義の伝授が行われたというこの場所で、開崎と色部さんが語り合っていた内容も、なかなか深いものがありました。


相手が色部さんなので、表面上穏やかな語りではあるんですが、開崎…いや、直江の告白は、痛いほど真摯なものでした。


実際の風景と関係のある箇所を抜粋してみましょう。

<「熊本は、水がきれいな土地ですね」 濡れ縁から池を眺めて、開崎は語った>(『火輪の王国 前編』206ページ)

<開崎は微笑して、池の向こうの築山に視線をやった。こんもりした松のうえによく晴れた空が広がる>(『火輪の王国 前編』207ページ)

<「景虎殿は、どんな様子だった」 色部は濡れ縁に腰かけたまま、開崎を見上げて問いかけた。「元気だったか」 「……えぇ」 開崎は池に映る築山の影を見つめ、「元気でしたよ。早くあなたにも会わせたいです、色部さん。きっと喜んでくれる」>(『火輪の王国 前編』207〜208ページ)

<色部は黙って開崎の横顔を眺めている。かたわらのつくばいに浮かんだ枯れ葉が風に吹かれて水面を泳いだ>(『火輪の王国 前編』209ページ)

<つくばいにのせてあった柄杓を手にとって、水をすくいあげながら、色部は呟いた>(『火輪の王国 前編』211ページ)

<開崎は松の梢を仰いで言った>(『火輪の王国 前編』212ページ)

<開崎は池のほとりへと歩を進めた>(『火輪の王国 前編』213ページ)

濡れ縁、池、築山、つくばい、柄杓、松の梢…。作中に書かれてある通りで、ああ、ここで開崎と色部さんが会っていたんだなあと実感します。松の梢は、↑の写真左上の方に写っていますね。↓の写真の方がわかりやすいかもしれません。

<「おまえたちは退くことをしない。互いに求めて突き詰めて、いったいどこまでいくつもりだ。こだわりを捨てることは退化ではない。退いたり捨てたりする勇気が必要なこともある。そうして得る豊かさもあるはずだ」 「色部さん」 開崎は強い口調で名を呼んだ。「これは、私たちの生き方です」 「生き方……」 「退いて得る豊かさよりも、貫いて得る高みを、……私もあの人も、求めたんです>(『火輪の王国 前編』220ページ)

景虎様にとっては、自分に執着を抱いてくれれば、相手はある程度誰でも良かった…なんて思うこともありましたが、この直江の台詞を読んで、景虎様はだから直江を選んだのだと、直江でなければだめだったのだと、改めて思い知るような気がしました。
色部さんのような人は、優しくて、穏やかで、隣にいる人を幸せにしてくれるに違いありません。でも、景虎様の心はそんなものでは到底埋められない、ということなのでしょう。


<「色部さん、と呼んで開崎はこちらを見た。「……殉教は確かに、精神の奇形した姿です。柔軟性をなくした愛は、破滅か破綻しか生み出さないのかもしれない。……けれど、それでも憧憬する。そうやって、誓った永遠を現実のものにしてやろうなどとあがきまわってしまう」 開崎の双眸は、正面から色部を捉えた。男は真摯な眼差しをしている。「そういう愛の姿を、信じたいからです」>(『火輪の王国 前編』224ページ)
カリスマ性のある景虎様に比べて、直江という男は至極世俗的なイメージがありますが、時にこんな崇高なことをぽろりと言うんですよね。しかも、気取って言うわけじゃなくて、恐らくは苦悩のなかから噛み締めるように漏らした本心…みたいな感じなので、やけに心に響くんですよね。何だか、本編の結末を思い出します。直江って、本当にすごいやつだな…。


色々写真を撮っているうちに、お抹茶とお菓子が到着。
こちらのお菓子は、江戸時代に幕府への献上品でもあった細川家の伝統菓子を復元したもので、「加勢以多(かせいた)」といいます。

カリンのジャムがほのかな甘酸っぱくて、とても上品なお菓子です。前回熊本に来た時に見つけて、へぇ、食べてみたいなと思っていたのですが、試食はないですし、買うとなれば16枚入り1600いくらかで買わねばならず(ばら売りはない)、手が出せないでいたところ、ここで食べられると知って楽しみにしていました。

飛びぬけてうまいというわけではないですけれども、昔の人はこういうのがごちそうだったんだろうなと、思いを馳せることができました。
水前寺成趣園の拝観を終えると、本日のミッションは終了。


15時13分、水前寺公園電停から、路面電車に乗車。
「慶徳校前」電停で降りると、本日予約してあるホテルは歩いてすぐ。


「ホテル法華クラブ熊本」です。何だか線香くさい?ネーミングですが、普通に全国展開しているビジネスホテルのチェーン店です。


ああでも、気分的には、清正公繋がり…的な感じでいいかもしれません。
この日も明るいうちにチェックイン。


同じ狭いにしても、前日のスーパーホテルの方が少し新しく小ぎれいな印象ですね。でも、これでも十分。


料金はスーパーホテルと大差ない1泊朝食付きで5,000円。で、こちらもやはりふるさと割を利用させて頂いて、実際は、税込2,500円。


温泉ではありませんが、こちらも大浴場があります。熊本市街地は、安くて快適なホテルが多く、助かります。
旅先ではその土地のうまい酒とうまい食べ物を頂くのが信条のくせに、一人になると、途端に意気消沈して栄養だけ摂取するオレ…。情けない。だって、一人で飲食店で時間潰すのってどうも…慣れないっす。

適当に食べて、風呂入って、地元のテレビ見て、ひたすらくつろぎます。

でも、テレビ見てたらちょっと気になるニュースが…。数日前の大雪の影響がまだ出ていて、バスなどの交通機関が麻痺している路線もまだあるとのこと。
翌日は、阿蘇駅前から「九州横断バス」という路線バスに乗って熊本空港まで戻る予定でいたのですが、ちゃんと運行されるかどうか不安になってスマホで調べいたら…別の事実が発覚しまして…。

このバス、完全予約制と書かれていました。普通に乗換案内で検索して出てきたルートだったので、その場で乗れるのだろうと思っていたら…。ううむ、しまった。

阿蘇なんて田舎なので、空港行きのバスがしょっちゅうあるわけではありません。ううむ、どうやって帰ろうかと、スマホいじりは苦手なので、ロビーにあったパソコンをお借りして色々調べました。

写真は、ホテルのエントランス(内側から)。
結局、熊本空港へは、JR豊肥本線の肥後大津駅から無料バスが運行されているとのことでしたので、阿蘇から電車で肥後大津まで戻り、肥後大津からそのバスで空港に行くことに。

一安心。いやでも、予めわかって良かった。


というわけで、旅の最終日。7時ちょっと前に食堂に行って、朝ごはんはしっかり食べます。個人的には法華クラブの方が朝食は好みでした。熊本らしい食べ物もあったりして。タイピーエン、からしレンコン、高菜など。
8時少し前、慶徳校前電停から路面電車に乗車。


一日目、二日目といまいちの天気でしたが、この日はそこそこ良さそうです。


この日は阿蘇に向かいます。阿蘇山上以外で唯一取りこぼしていた「国造神社」へ行きます。
路面電車の中から熊本城を望んで。


今のところ、この時が熊本城を見た最後です。いつか、復興途中の熊本城も見に行きたいなと思います。
新水前寺駅前電停で下車し、JR豊肥本線に乗り換え。


ここで乗り換える人が多いようで、立派な通路がありました。写真には写っていませんが、学生さんや通勤客でごった返していました。
元々、新水前寺駅から、各駅停車で行くつもりだったんですが、なるべく時間短縮した方が良いような気がして、特急券を購入。指定席は売り切れということで、自由席になりました。


宮地駅まで、1,730円。
8時43分発の「九州横断特急」に乗車。

しかし、乗った途端に特急にしたことを後悔するはめに。

平日の朝なのに、観光客で激混みです。全く座れませんし、立っていても窮屈な状態。前回普通列車に乗った時は、全然混雑していませんでしたが…。

だいたい、こんなに混雑するのになぜ二両編成なんでしょう。急に増えてきた海外のお客さんに対応できていないのかもしれませんが…。これでは、JRの特急は高いばっかりと言われても仕方ないですね。
しかし、今となっては、立野駅から先の復旧で大変な状況でしょうから、頑張って欲しいですけどね。それを言うなら、南阿蘇鉄道も、ですが。


9時49分、宮地駅に到着。三か月ぶりに阿蘇の地を踏みます。
前回と同様、宮地駅から歩いて15分ほど、先ずは阿蘇神社へ。


縦参道の中ほどに見える大きな屋根が、阿蘇神社の楼門です。
参道途中から、鳥居を振り返って。


鳥居の遥か向こうには、雪を頂いた高岳がそびえています。
阿蘇神社の楼門。

火輪ツアーの其一で触れた通り、この立派な楼門は熊本地震により、倒壊してしまいました。本当に残念でなりません。熊本城と同様、時間はかかるでしょうけれども、復興を祈りたいです。

まさかこれが見納めだと知る由もない私は、軽く参拝して、後にしました。

阿蘇神社の熊本地震による被害などは、火輪ツアー其一の方をご覧下さい。
阿蘇神社近くにある、「一の宮町インフォメーションセンター」にやってきました。


前回はここで、スイーツチケットを購入したのでした。


今回は、レンタサイクルをお借りします。電話で予約済み。4時間借りて500円、しかも電動です。


宮地駅〜国造神社周辺の地図です。


宮地駅から阿蘇神社までが徒歩15〜20分くらいの距離ですので、国造神社までも頑張れば歩いて行けなくはありません(片道恐らく1時間半弱?)。でも往復歩くのは、やはりちょっと厳しい…ですよね。


と言うわけで、こういう時はレンタサイクルに限ります。


そして、地図を見れば、途中に温泉のマークがあるではないですか。この日のミッションは、国造神社のみ。自転車で行けば、帰りに温泉に立ち寄るくらいの余裕は十分あります。
10時30分、インフォメーションセンターで無事、レンタサイクルをお借りしまして、県道11号に出ました。


しばらくは、この道をひたすら北上します。


寒いですが、天気はそこそこ良くて気持ちいいです。
前回の阿蘇では、霜神社を探すのに結構迷ったので少々心配しましたが、今回の国造神社はわかりやすそうです。


北外輪山がV字に切れた谷間に位置しているので、遠くからでも自分の行く先が既に見えています。ああ、あの辺りなんだな、と。
その、「あの辺りだろうな」というところを望遠で。


山裾の人家らしきものが見えるところが手野の集落でしょうか。
畑越しに西の方を向けば、遠くに大観峰が見えます(写真中央辺り)。


あそこから見た風景は今も胸に焼き付いています。
そして、来た方(南)を振り返れば…阿蘇五岳の涅槃像。


阿蘇って本当に面白い土地ですね。どこを見ても、地形を実感できる…。昔の人にとっては、自然や神が常にそばにあったんだろうと思います。だから色んな伝説も生まれる。物語の舞台として、こんなにわくわくする土地もないですね。


涅槃像の様子がもっとわかるようにと、分割写真を撮ってみたのですが…、ちょっと失敗しましたね。喉元の辺りが欠けてしまいました。写真右端の、グレーの学校のような形をした建物は、阿蘇市役所です。涅槃像のちょうど真ん中辺りに雲が多くかかっていますが、あれはきっと中岳火口から出ている噴煙ですね。

その中岳周辺を望遠で。


火輪ツアーは、阿蘇山上を巡る第三弾で完結…、と思っていますが、中岳の火山活動の状況から見ると、しばらくは無理そうです。ロープウェイの駅なんて、噴石で屋根に穴が空いているそうですし、活動が収まっても復旧に更に時間がかかるでしょうね。それでも、いつか必ず行きたいとは思っていますが。
東側の風景。


阿蘇谷の東の方にいるので、東外輪山が結構近くに見えます。
15分くらい自転車を漕いだところ。


北外輪山がだいぶ近づいてきたような気がしますね。


県道11号はほぼまっすぐ北上していますが、目指す国造神社は県道11号より少し西側にあります(写真左の方の山裾の辺り)。
外輪山の山裾に近づいてきました。


この先の信号で、県道11号を逸れて、西に向かっていきます。


郵便局のマークがあるところが、↑の写真の前方の交差点の位置になります。


ここから県道11号を逸れて、ひとつ西側のV字型の谷の奥へと進んでいきます。
田んぼの中の水路に沿って、西の方へ。
南の方を振り返ると、涅槃像がさっきよりだいぶ小さくなったようです。


距離感がよくわかるようなわからないような…。考えてみれば、普通に東京や近郊都市にいて、こんなに遠くのものが遮るものなく見えるなんてことはないですからね。
川沿いから離れて、今度は真っ直ぐ北上。


阿蘇で見る車の大半は軽トラのような気がします。
北外輪山の山裾に近づくと、ついに坂道出現。
こういう時、電動自転車だと、楽でいいですね。
山裾を、V字谷の奥へと進んで行きます。


「ようこそ手野集落へ」という看板と、観光客用の案内板があります。国造神社以外にも、「名水の里」ということで有名らしいですよ。
更に少し進むと、国造神社入口に到着。ここを左に入っていくと、国造神社です。時刻は、11時13分。インフォメーションセンターを出発して43分ほどでしょうか。

作中に書かれていた、明智光秀の宿舎(高耶さんが監禁されていた)は、この辺りのどこかに建っていたのではないかと思われます。

<国造神社から道を下りたところに、光秀が宿舎とする屋敷がある。九州攻略計画の阿蘇拠点としていくつか建てたもののひとつで、常時部下たちが詰めていた>(『火輪の王国 後編』115ページ)
↑の写真で左の坂道を登って行くと、右手に国造神社の鳥居があります。


この鳥居を潜らずに、まっすぐ坂を進み、突き当たりから左の細い道へ入っていくと、上御倉古墳があります。そこはまた後ほど。


先ずは、国造神社に参拝しましょう。
国造神社の鳥居を潜ったところ。石段が断続的に続いていて、その先に社殿があります。


<北阿蘇の外輪山のふもと、一の宮町手野にある国造神社。そこは健磐龍命の子で阿蘇の初代国造・速瓶玉命を主にまつった由緒ある式内社である。ここには天然記念物の有名な『手野の大杉』があるが、大杉は数年前の台風災害でかつての雄大な姿はなく、いまは幹だけが樹皮もそぎ落とされた姿で保存されている>(『火輪の王国 中編』199ページ)


作中に国造神社が出てきたのは、16、17、19巻です。16巻では、稲葉朱実が古墳に監禁されているシーン、17巻では烏帽子岳からの逃亡に失敗した高耶さんが軟禁されているシーン、19巻では大友の軍勢に破壊された社殿を見て光秀が愕然とするシーンで描かれていました。
阿蘇の平野部はほとんど雪が残っていませんでしたが、この辺りはさすがに山裾ですので、残雪が目立ちます。


高耶さんがここに連れて来られた時も、境内に雪が残っていたんですよね。私の他に、一組だけ参拝客がいましたが、しんと静まり返っていて、杉の大木に囲まれた境内は厳かな空気に包まれていました。
宮園川に架かる「宮の橋」を渡り、石段を登った先に、拝殿があります。


16巻で、光秀(「トレンチコートの男」)が「そばを流れる宮川の清流を聞いていた」(202ページ)という記述があります(古墳の中の朱実の様子を見に行った後、社殿に引き返してきたシーン)が、「宮川」というのは、恐らくこの「宮園川」のことかと思われます。
橋の上から宮園川を見下ろして。


水量は少ないですが、川音は確かに聞こえてきます。近くにヤマメやマスの養殖場があるようですし、水の豊かな場所なのでしょう。
橋を渡り、石段を登ったところ。


ここから更に鳥居を潜り、短い石段を登ったところが拝殿です。


今立っている場所は小さい広場になっていて、ここから写真右の方へ行くと、手野の大杉の方へと直接行けるようです。
↑の位置から右の方を見て。


この道の先に手野の大杉があります。
国造神社拝殿。


新上杉と大友が同盟を締結し、死んだはずの直江信綱がその新上杉の総大将であるとの衝撃的な知らせを受け、国造神社が大騒ぎになった一幕がありました(17巻112ページ)。そのシーンで、直江は実は萩で浄化していなかったのだと、吉川元春が光秀と頼廉に告げたのが、この拝殿でのことでした。
お参りをしまして、次は手野の大杉の方へと行きます。


一旦引き返さなくても、拝殿前から右の方へ進むと、大杉の方へと行けるようになっています。


写真左の方に写っているオレンジ色の幹が手野の大杉です。中央奥に雪の被った屋根の下には、大杉の根の部分が保存されています。
樹齢二千年という「手野の大杉」が台風の影響で折れてしまったのは、1991年のこと。火輪の王国シリーズが発刊されたのは1995年。


現在は、幹と根の部分が別々に建屋に覆われて手厚く保存されていますが、このような形になったのは、2002年のことだそうです。
…ということは、高耶さんがここを訪れた時は、まだこのような保存の仕方ではなかったということですね。当時は恐らく、折れたままの状態で、元に生えていた場所(現在根っこが保存されている場所)にあったのだと思われます。


ですので、当時の状況とは異なっていますが、高耶さんが手野の大杉を見上げていたあのシーンを振り返ってみましょう。
<闇のとばりが降りた国造神社の境内の奥には、仰木高耶の姿があった。雪を降らせた雲はもうどこかへ去ってしまったらしい。冷え込んだ杉木立のなかに月明りが差し込む。冴えた冬の空気が闇を奥まで澄ませて吐息を白くする。高耶は雪の残る境内をゆっくりと歩いてきて、『田野の大杉』の前に立った。このあたりにあるのは皆、樹齢何百年という杉の大木だ。探せば自分と同じ四百歳くらいの杉もあるかもしれなかった>(『火輪の王国 後編』224ページ)

※「田野の大杉」と書かれていますが、「手野の大杉」の単純な間違いかと思われます。

<――どんなに時が過ぎても、あなたの傍らだけが私の在る場所なんです。そんな言葉を聞いたのはいつのことだったろうか。宙を仰いで細く開いた黒い瞳に、ひとひらの雪が舞い落ちていく幻が映る。寒い背中を抱くように、肩に置く手にひっそりと力をこめた。(殺しにくる……) 高耶は眼を伏せて微笑した。昔からそんな予感はしていた。自分は多分、いつか直江に殺されて死ぬんだろう。上杉景虎を終わるんだろう、と>(『火輪の王国 後編』224〜225ページ)
誰もいない、寒々しい境内にぽつんと立っていると、身も心も凍てついていたであろう、この時の高耶さんの気持ちがなんとなくわかるような気がしてきます。折れてしまった大杉に、自分の運命を重ねていたのかもしれません。


写真は手野の大杉の根っこ部分。手野の大杉は元はこの場所に立っていたそうです。
近くには、折れた手野の大杉の枝を挿し木して育成しているという、まだ若い杉の木があります。


次へと繋がる希望があると、ほっとしますね。
来た道とは違う道を通って参道へと戻ってきました。


写真右の鳥居を潜って石段を登っていくと、拝殿がある場所です。
鳥居の前から参道を見下ろして。


19巻では、大友の軍勢に破壊された社殿を見て、光秀が再びこの石段を駆け下りて出ていくシーンがありました(120ページ)。


ミラージュでは、石段を駆け上ったり駆け下りたりするシーンが本当に多いですね。というか、石段の登場頻度が高い。おかげで、ミラージュツアーも過酷です…。この国造神社はそれほど長い石段でもなかったですが。


国造神社は、灯籠が倒れるなどしたようですが、熊本地震による被害はそれほど大きくなかったようです。
さて、参道入口の鳥居を出たところまで戻ってきました。

次は、稲葉朱実が監禁されていた古墳を見に行きましょう。作中には具体的な名称は書かれていませんでしたが、これはもしかして実在するのではないかとネットで調べてみたら、やはり出てきました。上御倉(かみみくら)古墳と下御倉(しもみくら)古墳という古墳が近くにあるそうです。

写真は、国造神社入口の鳥居の前の道をまっすぐ進んだ突き当たりです。「やまめ料理」、「ますつりぼり」と書かれた看板のそばに、「上御倉古墳30m」と書かれた標識が立っています。 どうやらここを左の方に行けばいいようです。
左の方、というのはこちら。


やまめ料理が食べられるらしい小屋?とその前には釣り堀らしき池があります。今は営業しているような雰囲気はありません。オフシーズンだからか、一年中やっていないのかはわかりません。
古墳へは、その小屋の後ろに延びる細い道を通っていきます。


案内板も出ていますので、通って良い道のようです。


この小屋の裏手(写真左の方)が小山になっているのですが、その小山が古墳になっているようですね。
小山の裾をぐるりと回り込むように、獣道のような道が続いています。
その道を辿った先に…ありました。小山のてっぺんらしき場所のすぐ下に穴が空いています。


古墳…、ううん…古墳か。外から見ると、何かの動物の巣穴くらいの規模ですね。


でもちゃんと「上御倉古墳」と書かれた案内板がありますので、間違いありません。
案内板には次のように書かれています。

「速瓶玉命の神陵と伝えられている。南西に開口する復室の横穴式石室で石室は巨大な切り石で構築され、熊本県内では代表的巨石墳の一つである。円墳の直径は約33m、高さ5.3m、内部は複室からなる横穴式石室を備え、奥行きの全長約10m、石室はすべて安山岩の巨大な石材と、阿蘇溶岩の切り石をもって構築し、壁面には丹彩のあとがみられる」

なるほど。ミラージュに書かれている記述と合致します。「丹彩」というのはベンガラのことですね。
<国造神社から少し山に入ったところに古墳が残されている。横穴式の石室墳で、北外輪山にいくつか点在する古墳のうちのひとつだ>(『火輪の王国 中編』199ページ)

では、いよいよ中に潜入してみましょうか。ちょっと勇気が要りますが。

写真は、穴の外からフラッシュを焚いて撮影したもの。これ以降数枚、石室の中の写真はすべてフラッシュ撮影です。因みに、今回はペンライトをこのために持参してきました。灯りがないと、中に入るのは到底無理です。
石室の中は、屈まないと入れません。


こちらの写真は、一番外側の石室から奥の方を向いて撮影したもの。
続いて、外側から二番目の石室から奥を向いて撮影。壁に赤い色が残っているのがわかります。


<稲葉朱実は石室の一番奥の部屋に監禁されていた。(略) 朱実は石棺のなかに眠っている。真綿を敷き詰めた石棺のなかに横たわり、まるでかつての被葬者のような姿でずっと眠り続けていた。石棺の内側はベンガラ(紅色の絵の具)が敷かれ、この石棺のなかにいる限り、目覚めることはない>(『火輪の王国 中編』200ページ)
鉄分を多く含む阿蘇黄土を焼いて作られたベンガラは、実際に防腐効果や殺菌効果があるのだと言います。だから、墓の内側に塗られていたのですね。

写真は、一番奥の石室。大きな石板は、どうやら天井が落ちたものらしいです。

その上にライトが乗っていますが、このライトは作用しません。どこかにスイッチがあるのかもしれませんが、案内がないのでわかりません。ここに入る場合は懐中電灯必須ですのでご注意下さい。
しかし、高耶さんもよくこんなところに入ったなあと…。暗いし、狭いし、中にはベンジョコオロギ的な暗闇の生物とかいるし、何の動物のものか定かでない(タヌキか何か?)ウンコとかあるし、あまり良い気はしません。

意識がなかったとは言え、こんなところで監禁されていた朱実ちゃんには心底同情します。

写真は石室の天井の方を向いて。金粉みたいなキラキラしたものがたくさん見受けられました。
今のは上御倉古墳でした。近くに下御倉古墳というのもあるようなのですが、周辺を探してみたものの、どこにあるかわかりませんでした。案内板のようなものも見つからず。


写真は、上御倉古墳を西側から見たもの。知らなければ、何の変哲もないただの小山です。古墳のすぐ隣には現代のお墓も建っていました。人の営みの基本は昔も今も大差ないのかもしれません。
朱実は元々、阿佐羅と交換するための人質として連れて来られたのですが、高耶さんがここに来てからは、光秀は高耶さんに協力してもらうための人質にするつもりだったようです。

しかし、そんな朱実も、やがて体の中に埋められていた蛇蠱の卵が孵化すると、自力で石室を脱出して、国道57号で破壊行動を繰り返しながら熊本市街地に向かったのでした。

元来た道を戻ります。
釣り堀小屋の裏を通って、国造神社の方まで戻って来ました(写真右端に写っているのが国造神社の入口の鳥居)。

石室の方から戻って来た高耶さんを、吉川元春が待っていたのはこの辺りでしょうか。

<石室から続く斜面を降りてきた高耶を待っていたのは、見覚えのある男の姿だった。吉川元春だ>(『火輪の王国 後編』191ページ)

直江がまだ生きていると知った元春は、高耶さんに「もう一度あの先の記憶を見つめなおして欲しい」、「奇跡は、起きたんだ」と告げたのでした。
国造神社と上御倉古墳の見学に1時間余りをかけて、12時02分、再び自転車に乗って、阿蘇谷へ。


今度は涅槃像に向けて走ります。来る時より多少曇ってきたようです。
ミラージュツアーのミッションはこれにて終了ですが、時間はまだ余裕がありますので、途中寄り道を。

この寒い中、自転車を走らせた体には温泉ですよ、温泉。「一の宮温泉」というのがあるようなので、そこで温まらせて頂きます。

写真左端の方に遠く見える建物が、一の宮温泉センターの建物です。

入浴料は200円と格安です。でも、脱衣所に鍵のかかるロッカーがないのが残念。仕方なく、荷物は、受付のおじちゃんに預かってもらいました。
そのおじちゃんに、どこから来たの?と聞かれ、千葉からと答えると、千葉って日本?と言われてしまいました(笑)。そんな遠くから来る人間なんてここらでは見かけないのかもしれません。「おれなんか阿蘇谷から出たことないもんな」なんて言ってました。冗談でしょうけれど。でも、地元の人もやはり「阿蘇谷」って言うんだなと、火輪シリーズでよく使われていた単語を地元の人の口から直接聞いて思わず少し感動してしまいました。

風呂場は風呂場で、地元のおばあちゃんたちばかり10人ほどで賑わっていました。観光客が一人でお邪魔して、ちょっと肩身狭いなと思っていましたが、気さくな方ばかりのようで、気軽に話しかけてきてくれたりしました。脱衣所で膏薬を貼り合っているおばあちゃんたちの姿が微笑ましかったです。
帰り際には、軽トラで来ていたおっちゃんに話しかけられて、立ち話で、LCCがとても安いことを話したりしました。阿蘇の人たちは案外とてもフレンドリーです。

温泉ももちろん良かったですよ。露天風呂もありますが、冬季は外に出られないようになっていました。

こちらの写真は、JA阿蘇の直売所「四季彩いちのみや」。時間があったので立ち寄ってみました。
あ、そうでした。最後にもう一ヶ所。阿蘇市役所です(写真中央奥グレーの建物)。わざわざ立ち寄るつもりは無かったのですが、ちょうど通りかかったのでついでに。

<町は役場を中心に大騒ぎになっている。カルデラ内に閉じこめられて外部との連絡もとれない。テレビやラジオの電波すら入ってこないのだ。いったいなにがどうなったのか、と警察官や役場の職員が大わらわになって右往左往している>(『火輪の王国 烈濤編』132ページ)

大友の大火輪法が始まってからの町の混乱を描いたシーンです。現在は一の宮町は合併して「阿蘇市」になっていますが、当時の一の宮町の役場は、現在の阿蘇市役所の場所にあったようですね。建物もそのまま利用している…のではないかと思います、恐らく。
14時10分、インフォメーションセンターに無事自転車を返却。


あとは、帰るだけです。
宮地駅から14時39分発の熊本行きに乗ります。


この電車で、肥後大津駅まで行ってもいいのですが、空港に行くにはまだまだ早すぎるので、一駅先の阿蘇駅で下車。
阿蘇駅前の道の駅で、お土産を買って時間を潰します。
お昼休憩を取っていませんでしたが、実は、阿蘇谷の真ん中で、五岳を見ながら、コンビニで予め買っていたおにぎりを一つ食べていました。


写真は、道の駅の中にある無料休憩所。買ったものを食べて良いようなので、おにぎり一つでは足りず、ここでお昼を食べさせてもらうことに。
「阿蘇たかなおこわ」というのを買ってみました。380円。


阿蘇の名物高菜がたっぷり入っています。おこわだから、もちもちしたもち米で、なかなか美味しかったですよ。ボリュームもあります。
16時12分、阿蘇駅から再び熊本行きの電車に乗車。
17時01分、肥後大津駅に到着。


写真は、肥後大津駅から出ている空港ライナーの乗り場。きれいな待合室もあってとても快適でした。しかもこの空港ライナーが無料だなんて、大助かりです。
17時30分発の空港ライナーに乗車。

普通のワゴン車みたいな感じで席数は決して多くありません。実はこの時、最後に乗ろうとしていた一人が乗り切れなかったのですが、契約しているらしいタクシーがさっとやってきて、それに乗るよう指示されていました(空港ライナーに乗るはずが乗れなかったため、恐らくは無料なのでしょう)。有難いサービスですね。

18時前に、熊本空港に着いて、この旅も無事終了。
最後に恒例、お土産品紹介コーナーです。


こちらは、JA阿蘇の直売所「四季彩いちのみや」で買ったもの。「ゆずもろみ」と「ゆず胡椒」。


私自身、柚子が好きなので、柚子関連の品物を選ぶことが多いのですが、熊本も柚子を使った品物が多い印象でした。
高菜漬け、柚子パウダー、さっき食べたたかなおこわ、それとパン数種類。


高菜漬けは、そのまま食べたりチャーハンに入れたり。安くて美味しくて使い勝手が良いので重宝します。
こちらは、熊本港の売店で買った「ゆず巻ようかん」。限定品でおすすめみたいなことが書いてあったので購入。

ゆずの皮を甘く似た中に、白あんが詰まっているようかんです。甘すぎず、とても美味しかったです。二つ買ったのでもう一つは相方母にあげましたが、やはり評判がよく。

しかし、後で気づいたのですが…、この製品、熊本のみならず、いろんな観光地で売っているのを見ました(富山でも売っていた)。類似品だか何だか…。よくよく見れば、裏面には「販売者」だけ書かれていて「製造者」が書かれていないので、どこで作ったものかはわからないんですよね。よくあるタイプの、「販売者」だけが地元の会社になっている、どこにでも売っているお土産品のようです。美味しかったのは美味しかったんですけど。

余談ですけど、萩の夏みかんの丸漬け、あれ、萩に行った時に買いそびれましたが、一度食べてみたいなぁと思いますね。



お読み下さいまして、ありがとうございました。火輪ツアー第二弾のマイナースポット編でした。それこそ、ミラージュファンでないとピンと来ないようなスポットがほとんどでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。マイナーとは言え、ミラージュにゆかりのある場所ばかり回りましたので、ツアーとしては内容が濃かったと思います。本妙寺でコーラ飲みましたし、高耶さんが涙した江津湖の様子も見られました。朱実が監禁されていた石室にも入ってきましたし…個人的には大満足です。

熊本、とりわけ阿蘇は、ミラージュの舞台になった場所の中でも、個人的にお気に入りの場所の一つです。阿蘇の火山活動が穏やかになって、火口へ行けるようになったら、火輪ツアー第三弾を決行したいと思います。いつになるのかな…。

例によって、現段階で、書くべきレポートがたまっておりますが、順次アップしていきます。





2017.03.11 up



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