真冬の直江津行

〜物語の始まりと終わりの地を巡る


前編(出発前〜直江津海岸春日山林泉寺〜居酒屋)



旅行日:2010年12月28、29、30日

行程概要:
28日…深夜、バスで東京池袋発。
29日…早朝直江津着。海岸を見た後、バスで春日山へ。春日山登頂後、林泉寺へ。再びバスで直江津に戻り、ホテルにチェックイン。夜は直江津の居酒屋へ。
30日…朝、再び直江津の浜辺へ。ホテルへ戻りがてら御館公園に寄る。昼過ぎにバスで直江津を発つ。

同行者:パートナー





●第一章 出発前 〜はじめてのミラツアは雪山との闘い!?


私がミラツアミラツアとうるさく言っていたら、相方(男性)が「じゃあ、年末にミラージュに関連のあるところで、日本海側の魚が美味しいところに行こうか」などとうっかり呟いたのが、この旅のそもそもの始まり。その台詞に思わず「あんたは直江か」と心中突っ込みながら、頭の中は即座に春日山一色になったのでした。

ミラージュはもちろんのこと、歴史にすら興味のない相方には楽しめるかどうか…と危惧しつつも、ミラージュに関連のあるところで、日本海側で、魚の美味しいところと言ったら…富山という選択肢もありますが、富山だったらやっぱり蜃気楼が見えるという春に行くべきではないか。やっぱりここは春日山だ、直江津だ、うん、それしかない、とほぼ独断で直江津に決定したわけです。

初めてのミラツアらしいミラツアにいやがうえにもテンションは上がります。今回の旅のミッションは次の通り。
@春日山制覇!
A林泉寺でお守りを買おう!
B直江津の浜辺でミラージュのラストシーンを偲ぶ
C御館公園で三郎景虎の生涯に思いを馳せる
D直江津の居酒屋で日本海の海の幸に舌鼓!

ミラツアスポットとしては春日山、林泉寺、直江津の浜辺、御館公園の4つ。一日半ほど直江津にいられる予定なので、スケジュール的には結構余裕があるはずです。しかし、この時期、春日山は本当に登れるのか? 雪山と化して来る者を拒む閉ざされた地となるのではないか? と、準備したのが↓



スノーブーツとアイゼン。これで、雪山もざっくざっくと登れるはず! 第一、桑原先生自ら雪の春日山に登頂しているではないか!(『トラベル・エッセイ・コレクション『炎の蜃気楼』紀行』参照) 「根性と情熱と現金はミラージュツアーの必須アイテムだ」という桑原先生の言に励まされ、雪山に挑む覚悟を固めたのでした。

余談ですが、ここ数年、なーんか雪が私を呼んでいるんですよね(笑)。自分の背丈くらい積もってる雪を一度見てみたいんです。もう雪なんかこりごりだ、というような思いをしてみたい(笑)。雪国の人からしたら、ふざけるなって感じでしょうけれども。





●第二章 直江津到着 〜越後の冬の洗礼

直江津まではバスの旅になります。夜11時台に池袋発。この日、朝からあまりちゃんとした食事をしていなかったら、胃がおかしくなって、晩ご飯を池袋のファミレスで食べたんですけど、おかゆっぽいものしか食べられなかった上、だんだん気持ち悪くなり、バスに乗り込む直前、実はもう少しでその辺の植え込みに吐いてしまうところでした。胃薬も持っていたんですが、そんな私を救ったのは干し梅です。あれ、気持ち悪い時にすごくいいですね。口に入れた2秒後には吐き気はすっかり収まってました。旅行する時には必ず持って行こうと思います。

それにしても気になるのは天候。家を出る前にチェックした直江津の翌日の予報はなんと…暴風雪。ぼ、暴風雪の中、春日山に登るのか!? 登れるのか?? と不安を抱えつつバスに揺られます。

直江津に着いたのは早朝5時過ぎ。車中では雪山登山に備えてぐっすり…眠りたいところでしたが、やっぱり眠れず。ちょっと風邪気味だった相方はよく眠れたようなのでよしとします。到着場所は直江津住民の憩いの場?イトーヨーカドーです。ここは、長距離バス以外にも春日山へ行く路線バス等の停留所にもなっていたり(ちゃんと待合所があって、案内をしてくれるおばさんもいる)、買い物にも便利だったりと、何かと今回の旅の拠点になりました。

↓今回の旅で回った直江津周辺の地図。





バスを降りた直後はまだ真っ暗。道路の両側に雪があるのを見て、おー雪国だー!とわけもなく感動したりして(笑)。

気にしていた天気は…風は強いものの、取りあえず雪は降ってませんでした。

真っ暗なままでは他に行くべきところもないので、県道123号を南下し、石橋という交差点にあるガストへ。
コーンポタージュスープを飲んで身体を温めます。気持ち悪いのは収まったものの、依然食欲はなし。
少し明るくなったところで、ガストを出発。元来た県道123号を北上し、途中で宿泊予約してある「ホテルアルファーワン上越」に寄り、フロントに一旦荷物を預けます。ホテルのすぐ傍には御館川が流れています。

写真の通り、この時は結構晴れ間もあり、美しい残月も見られたのですが、実際は風が非常に強く、空は荒れ模様。

ホテルを出た後、県道を更に北上し、夜明けの海を見に海岸へと向かいます。
海に近づくにつれ、ミラージュのラストシーンの浜辺だあ!と高まる私のテンションに比例するように海風が激しくなってきました。しかもみぞれ交じり。顔に当たって痛かった…。

夏の海水浴シーズンは賑わうであろう海辺の食堂も重たい冬空の下、哀愁を漂わせています。

ここは水族博物館のある辺りの海辺。
本当なら、ここより少し東の浜辺に行くつもりだったのですが(この辺は浜が狭く下りられなさそうだったので)、如何せん、海に向かって立つことすらままならないほど冷たく激しい海風に、これではとても無理と断念。

のっけから越後の厳しい冬の洗礼を受けてしまいました。日本海の荒波って、本当に荒波なんだなあーと実感。私は耳あてをしていましたが、もししていなかったら、耳が千切れそうなほど寒かっただろうと思います。小田原から越後に来た三郎はこんな海を見てどんな気持ちだたのだろう…。

翌日のリベンジを誓って、海辺を後にしました。





●第三章 春日山〜林泉寺 〜雪の春日山城を独り占め!

旅の拠点のイトーヨーカドーに戻り、午前8時過ぎ、頚城バスに乗車。いよいよ春日山を目指します。

この頃には雲の間から太陽が覗き始めました。

途中、邂逅編の『妖刀乱舞』にちらりと出てきた五智国分寺の前を通りましたが、あっという間で写真は取れませんでした。
「林泉寺入口」でバスを降ります。春日山の麓まで20〜30分歩きます。

途中は真っ白な雪原。春夏であれば、豊かな水田が広がっているのでしょう。
刈った稲穂を干す木組み?らしいです。この辺で取れたお米はおいしいだろうなーなどと思いながらてくてく…。
しばらく歩いていると、道路に傾斜が出てきて山道っぽくなってきます。

空は雲の流れが速くて、晴れたり曇ったりの繰り返し。
春日山神社の下にある駐車場に到着。

この階段が…長いのはまだいいんですが、雪が積もっててほとんど階段の意味をなしていませんでした。もはやただの急な坂道…。しかもひどく滑りやすい。両手で手すりに掴まりながらゆっくり上ります。何気にここが一番の難所だった気が…。

駐車場にある案内図↑。小さくて見えないので、主なところには文字を入れてみました。頂上の本丸へは三郎景虎屋敷跡のある三ノ丸を回って行くコースと直江屋敷跡を回って行くコースがありますが、私は三ノ丸→本丸→直江屋敷跡の順で行くことにしました。なんか最初からクライマックスの方がいいかなと(笑)。

春日山神社。社は雪避けで覆われていました。雪国らしい。
冬場以外であれば記念館が開いているようです。今回は当然閉まってました。冬の雪国旅行は風情があって素敵ですが、こういうところは残念ですね。致し方ありません。
春日山神社を過ぎるとすぐに謙信公の銅像があります。

この辺りまでは車も入って来られるので、二〜三組の観光客を見かけました。この雪の中、わざわざ謙信公を見に来たのか、春日山神社にお参りに来たのか。
城下を見守るように立つ凛々しいお姿。

さて、ここから先は、いよいよ山登りです。風邪気味の相方には申し訳ないのですがここで待っていてもらうことにし、ひとりで登っていきます。
雪の上の足跡は明らかにこの日のものではなく、後ろからも誰も登ってきません。この日、ここから先、春日山に足を踏み入れたのは、どうやら私ひとりだった模様。春日山独り占めなんて、この季節にだからこそできるワザでしょう。

アイゼンを装着するかどうか、ちらりと頭を過ぎりましたが、何かもう付けるのが面倒くさくなってきて、そのままズボズボ突進。スノーブーツのせいか、思ったほど歩きにくくはなかったです。
最初に目指す三ノ丸付近。杉の木が林立している左奥の方に三郎景虎屋敷跡があります。


三ノ丸へと続く階段。杉木立の中に入っていきます。


三郎景虎屋敷跡。足を踏み入れた途端、雲間から眩しいほどの陽の光が…。まるで仏のご加護か神の祝福でも受けているかのような厳かな気持ちになりました。たったひとりでここに立っていると、何だか不思議な気持ちになってきます。この場所にあの三郎景虎が住んでいた…。小田原から人質になるようにして越後入りし、この春日山で一体どんな思いで日々を送っていたのだろう…。そして、謙信の死後、景勝屋敷から発砲され、この場を追われることになった彼の気持ちは一体どんなものだったろう…と。まあ、私は『炎の蜃気楼』という物語が好きなのであって、純粋に歴史上の人物としての彼に惹かれているわけではないのですが、あの物語の元となった実在の人物が確かにここにいたんだなあと思うと、やはり感慨深いものがあります。『炎の蜃気楼』という物語のそもそもの発端が、景虎が生前、景勝方に追われたことにあるとすれば、この物語の始まりの地は正にここだと言えるでしょう。真っ直ぐに高く聳える杉の大木に囲まれ、不思議な神気に満ちた場所でした。

上の写真の奥にある案内看板。ミラージュについて触れられているあの案内看板ですよ。「小説『炎の蜃気楼』で現代に蘇った景虎が美しい男性として描かれて人気を博しています」と書かれています。何かちょっと恥ずかしい(笑)。

こういう場で触れられることにはファンの間でも賛否両論あるようですね。書いて欲しくないという気持ちもよくわかりますが、書いてくれた方は好意から書いてくれているのでしょうし、個人的には、自分の好きな作品がこうして認められて、こういう場にも書いてもらえるということは素直に嬉しい…と思います。ああ、でもルビ間違いはやっぱり直して欲しいなぁ。
その案内看板に卒塔婆(?)が立てかけられていました。

「銘に曰く:遺恨なり四百有余歳、人間(じんかん)怨愛ともに茫々たり」

すみません、テキトーに読んでみました。「四百年余りもの間遺恨を残してきたが、世の中は依然として愛と憎しみのふたつが分かち難く茫洋としているものだ」のような意味かと取りましたが、違っているかもしれません。

「銘曰」とあるので、元ネタがあるのでしょうか。内容があまりにもミラージュを彷彿とさせるので、何か関係があるのかなと思ったのですが、献上したのは「小田原の城と緑を考える会」というところのようで、ミラージュとは直接関係なさそうです。どなたか意味や経緯などご存知でしたら教えて頂けると嬉しいです。
景虎様のように凛々しく真っ直ぐに伸びる杉木立。

空の青と雪の白、木々の間に差す光と影。ドラマチックなコントラストは彼の人生そのもののようでした。
三ノ丸を後にし、更に上を目指します。途中、こんな風に小さな雪崩が起きているところもあったり。

雪は、深いところでは膝下くらいまで積もってました。でも、考えてみれば、桑原先生はもっと凄まじい時に登っているんですよね。雪で視界ゼロだったとか。すごいな。上杉軍の強さの理由がわかったと書いていらっしゃいましたが、私もそれを実感しました。こんなところを根城にするなんて…冬の間はどうやって過ごしていたんだろう。
色鮮やかなもみじの落ち葉にふと癒されることも。
二ノ丸を過ぎてもう少しで本丸に辿りつきます。

結構坂がきついところもあり、この頃には、ダウンコートの下は汗だくです。防寒対策ばかり考えていて、実際に山登ったら暑くなるのだということをまったく考えていなかった(笑)。冬なのに暑くて、喉が渇いてしかたなかったです。
やってきました本丸跡。左の石碑が、ミラージュ最終巻最終章で長秀が直江を待ちながら凭れていた「春日山城址」の石碑です。

この直江と長秀という組み合わせも何だか哀愁漂うんですよねぇ。
石碑の方から望む頚城平野。

長秀は夜明け前、ここからまだ明かりの残る平野を眺めていました。中央に関川が流れ、この画面の左手には日本海があります。
頚城平野を望遠で。中央を関川が横切っているのがわかります。本丸の案内看板によると、関川の向こう側に広がる、林に囲まれた村落が点在する風景は中世の景観とほとんど変わらないのだとか。

平野が次第に明るくなってくると、直江は昔と変わらぬ山河を眺め、「海を見たくなった。浜にいってくる」と言って山を下ります。

本当なら景勝屋敷跡なども見たいところでしたが、相方を待たせているので、私もそろそろ下山します。
毘沙門堂。本丸から直江屋敷跡方面に少し下ったところにあります。

謙信公は戦の前に毘沙門堂に籠ったそうです。現在のお堂は昭和6年に再建されたものです。
直江屋敷跡。上下三段の立派な郭だったようです。さすが上杉家の重臣。
直江屋敷跡からの山側の眺め。眺望も素晴しいです。
一応、「信綱」の文字が見受けられます。三郎景虎屋敷跡での景虎様の扱いとは、比べようもありません。でも、直江ファンの方々はこの「信綱」の二文字に胸を熱くするのでしょう。いや、私も直江大好きですけどね。
直江屋敷付近から三郎景虎屋敷のある三ノ丸を望む。

邂逅編『妖刀乱舞』の終わりの方で、直江がかつて春日山城内で誰のものかわからぬ笛の音を聴いていたことを思い出すシーンがあります。「風に乗って聴こえてくると、どれほど気持ちがささくれ立った夜でも癒される思いがした」と。景虎様が奏でていたであろうその旋律はこの方角から聴こえてきたことでしょう。
元来た春日山神社の方へと下りていきます。

謙信公銅像前を出発して春日山神社に戻ってくるまで約1時間20分。アイゼンは結局出番なし。暑くて喉が渇いたので自販機で冷たい飲み物を買ってごくごく飲みました。寒い中待っててくれた相方には感謝です。

またいつか来ることがあるのなら、その時は春に来たいですね。頂上の本丸に生えていた桜が咲くのを見てみたい…。
再び春日山神社前の長い階段を滑りそうになりながら下り、春日山を後にした時には、また雲行きが怪しくなっていました。春日山に登っていた間だけ奇跡のように晴れてたわけです。

林泉寺に着いた頃には雨がパラパラと。写真は林泉寺の立派な山門。右手に見える建物は宝物館。
この時期、宝物館が閉まっているというのは知っていたのですが、入口の拝観料を取るところにも人がいませんでした。開いてたのでぐるっと一周見学だけさせてもらいましたが、欲しかったお守りは買えませんでした。残念。年末の忙しい時期ですし、わざわざ人を呼ぶのも申し訳なく。「毘」の文字が入ったお守りが欲しかったんですよ。また春においでということですね。
林泉寺を出てバス通りまで行く途中。この川は御館川です。最初の方に載せた直江津周辺の地図を見てもらうとわかると思いますが、御館川は春日山の麓から流れ出て、御館跡の御館公園付近を通って関川へ注いでいます。この写真は上流の春日山方面。画面中央よりやや右にこんもりしている山が春日山です。

しかし、さっきの晴れ間が嘘のような空模様ですね。越後の冬の天気ってこういうものなのでしょうか。

この後、バス通り(県道185号)を少し北上したところにあるお蕎麦屋さんで温かいとろろそばを食べてから、バスで直江津駅へ向かいます。





●第四章 直江津の居酒屋 〜雪中梅は確かに旨かった!
 
直江津駅の小さな売店でみやげ物のお菓子を買い、再び旅の拠点・イトーヨーカドーへ戻りました。ホテルにチェックインできる3時まではまだ2時間ほど余裕があったので、飲み物を買ったりみやげ物を見たり。それでもまだ時間があり余っていたので、休憩所の椅子に座ってクークー寝てしまいました。かなり疲れていて、爆睡。相方に口開けて寝てる写真を撮られましたが、それは割愛(笑)。

写真は、一旦ホテルに入り、ゆっくお風呂にり浸かってから、直江津の町(!?)に繰り出すところ。しかし、どうしてこう港町って決まって鄙びた感じがするのだろう。
予約していた居酒屋「やそじま」へ。

店の中も年季が入ってていい雰囲気出てました。壁に、おっぱい丸出しのおねえちゃんのカレンダーとか貼ってありました(笑)。
お刺身の盛り合わせ。どれも新鮮で美味しかったです。お頭は、直江津の沖合いで獲れるというヤガラという魚のもの。口がすごく長いのですが、開くのは先っぽの方だけで、この長い口を海草の中に突っ込んでスポイトのようにして餌を捕食しているのだそうです。中央に盛られたのがヤガラの身。

他にはさつまあげ、イカの炙り、イカの沖漬けを頼みました。イカが多いな。イカ好きなもんで。でも実際、それぞれ丸々一杯分出てきて些か多すぎました。沖漬けは特に美味しかった。でも、私も相方もこの時あまり食欲がなく、これだけで満腹になってしまいました。もっと食べたかったのに残念です。

お酒は雪中梅を呑みました。桑原先生が絶賛していた雪中梅。その通り、とても美味しいお酒でした。甘口なんですが、コクがあるのにしつこくなく、越後の澄んだ空気を思わせる透明感があります。これはすごく気に入りました。

この日はこの後真っ直ぐホテルに戻り、昼間酷使した足に微かな筋肉痛を覚えながら早々に就寝。翌日の早朝浜辺リベンジに備えます。



後編(浜辺リベンジ〜御館公園〜帰途)へ







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