最愛の富山ツアー

〜魚好きの高耶さんを偲んで

後 編




◆旅行日:2016年5月26日〜5月29日

◆行程:
※下線はミラージュスポット
※グレー文字は前編にて

◇5月26日〜27日:
千葉県内→(夜行バス)→富山駅→(徒歩)→富山第一ホテル→(徒歩)→富山城址→(徒歩)→富山大橋→(徒歩)→磯部の一本榎→(徒歩)→富山駅内「白えび亭」(ランチ)→(路面電車+徒歩)→富山県水墨美術館→(徒歩)→富山県立近代美術館→(徒歩)→居酒屋「だい」→(徒歩)→富山駅内「廻る富山湾」→(徒歩)→居酒屋「あらさん」→(徒歩)→剣の湯ドーミーイン富山(宿泊)

◇5月28日〜29日:
剣の湯ドーミーイン富山→(徒歩)→富山駅→(あいの風とやま鉄道)→滑川駅→(徒歩)→ほらるいかミュージアム→(徒歩)→(滑川駅)→(あいの風とやま鉄道)→魚津駅→(徒歩)→魚津城址(大町小学校)→(徒歩)→海岸→(徒歩)→埋没林博物館→(徒歩)→道の駅うおづ→(徒歩)→魚津駅→(あいの風とやま鉄道)→泊駅→(タクシー)→ヒスイ海岸→(徒歩)→越中宮崎駅→(あいの風とやま鉄道)→泊駅→((あいの風とやま鉄道)→富山駅→(徒歩)→居酒屋「中嶋」→(徒歩)→居酒屋「いろり」→(徒歩)→富山駅→(夜行バス)→千葉県内


◆同行者:相方


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




ツアー二日目は、「あいの風とやま鉄道」で、富山から少し足をのばします。


「あいの風とやま鉄道」は、北陸新幹線開業に伴い、JRから分離された第三セクターです。


8時10分発黒部行きの電車に乗車。
あいの風とやま鉄道には土日祝日と特定期間のみ使用できる1日フリーきっぷがあります(この日は土曜日)。


西端の石動駅から東端の越中宮崎駅まで乗り降り自由で、1,500円。


ただし、利用当日は購入できませんので、前日までに購入しておく必要があります(私たちは前日に富山駅で購入していました)。

前編のと同じ地図で恐縮ですが、確認のためもう一度載せておきます。ミラージュツアーとしては魚津に立ち寄ればいいだけなんですが、丸一日時間はありますので、滑川と越中宮崎に立ち寄ることにしました。帰りの夜行バスはやはり富山から出ますので、夕方には富山に戻って来ます。

8時26分、滑川駅に到着。


滑川はミラージュとは関係ありませんので、飛ばしたい方はコチラをクリックして下さい(魚津へ飛びます)


さて、滑川と言えばもちろん、ほたるいか。駅には「ほたるいかのまち」の文字が。
駅前の地面には、ほたるいかのイラスト。

滑川近辺で見られるという「ほたるいかの身投げ」というのをご存知でしょうか。ほたるいかが獲れる春頃、満月の夜、ある一定の条件がそろった時に、大量のほたるいかが浜に打ち上げられる現象のことなのですが、無数の青い光が闇夜に浮かぶ様が非常に幻想的なんだそうで。一度は見てみたい(そしてほたるいかを掬って、浜辺で茹でて食べてみたい)と思っているんですよね。

蜃気楼といい、ほたるいかの身投げといい、富山湾は神秘に満ちているなあ。
滑川駅からゆっくり歩いて20分ほど。


海沿いにある、「ほたるいかミュージアム」にやって来ました。


その「ほたるいかの身投げ」を見てみたいものですが、旅行者がそう簡単に見られるものではないので、そのかわりに、こちらのミュージアムで生きたほたるいかを見ようというわけです。
少しだけ待って、開館時間の9時に入館。


生きてるほたるいか、ちゃんといました。そして、なんと触ってもいいのだそうで。


触るのはもちろん、見るのも初めてですよ、生きているほたるいかなんて。
ほたるいかの発光体は胴体にもあるようですが、一番明るいのは、触手の先。刺激を与えると、光るんですね。写真、人差し指の付け根辺りで、触手の先が青白く発光しています。


生きているほたるいかを手に乗せると、この小さな体が必死になって筋肉を収縮させて動いているのがはっきりと伝わってきます。小さな命に、思わず愛おしさを感じてしまいます。
…と言いつつ、ほたるいかのフライを食べるわけですが。

命あるものは皆、他の命を犠牲にしながら生きているわけで…。「私たちは、みんな矛盾のなかで生きているんです」(by 直江)

ほたるいかミュージアムは、「道の駅ウェーブパークなめりかわ」という複合施設の中にあり、同じ敷地内には、おみやげマーケット、カフェ、レストラン、海洋深層水を利用したプールなどがあります。このほたるいかフライは、カフェでテイクアウトしました。
ほたるいかミュージアムでは、ほたるいかの季節だけ「発光ライブショー」というのをやっていて、真っ暗な中で、ほたるいか漁のように網を持ち上げてほたるいかが発光する様を体験することができます。闇の中で光るほたるいかの青白い光はそれはそれは美しいものでした(撮影禁止ですので、残念ながら写真はありません)。

ほたるいかの季節であっても、不漁の時は中止になるそうです。漁期も終わりかけというのもあり、この前日は中止だったらしく、この日はラッキーでした。

写真は、「パノラマレストラン光彩」にて。ここでランチということに。しかし、鉛色の日本海…。

ほたるいかの刺身と、白えびのピザと、ほたるいかのパスタ。刺身は、丁寧に処理してあって、食感が楽しい。でもやはり、ほたるいかの醍醐味は、中のワタ。パスタの上に乗っているホタルイカは新鮮でぷりぷりで最高に美味しかったです。白えびのピザもまあまあの美味。

ランチを食べ終え、海沿いを散歩しながら、再び滑川駅へ戻ります。


空がグレーなら海もグレー。辛うじて浜辺に咲く浜昼顔に救われます。


もうね、こういう天気の時のツアーレポートは、花の写真でも時折差し込まないと画的にキビシイんですよね…。
この辺りの海岸は、「ほたるいか群遊海面」として特別天然記念物に指定されているのだそうです。


指定されているのは、あくまで「海面」。ほたるいかを天然記念物に含めてしまうと、食べられなくなってしまうからだそうで。
滑川駅に戻ってきました。


駅にこんな写真が。駅前から見た剱岳だそうです。晴れていれば、山側もこんな素晴らしい景色が見られるんですね。
12時22分滑川駅発の電車に乗車。二駅先の魚津まで行きます。


魚津手前の海側の車窓、田園風景の向こうに、大きな観覧車が見えてきました。あれが、ミラージュランドですね。名前だけ聞くと、何だかわくわくしてしまいますが、普通の遊園地らしいです。魚津は蜃気楼の町ですもんね。
12時30分、魚津駅に到着。魚津と言えば、もちろん例の魚津城址に行くわけですが、最寄り駅は、電鉄の魚津駅になります。あいの風とやま鉄道の魚津駅は電鉄魚津駅を通り過ぎた形になりますので、歩いて少し南に戻ります。


写真は、魚津駅東口。「戦国のろしまつり」という旗が立っていますね。武者行列的なものをするお祭りらしいです。昨今流行りなんですかね、この手のお祭り。でも上杉まつりは、やはり一度見たかったですな。


魚津周辺の地図です。



あいの風とやま鉄道の魚津駅で下車し、線路沿いを電鉄魚津駅まで歩き、そこから魚津城跡へ。



魚津城跡から海岸へ出て、海岸沿いを今度は北上し、ミラージュとは関係ないですが、埋没林博物館と海の駅蜃気楼に立ち寄って、再びあいの風とやま鉄道の魚津駅まで戻るという行程です。



ミラージュスポットとしては、魚津城跡と、その近くの海岸の二ヶ所になりますね。
線路沿いを歩いて、電鉄魚津駅に到着。途中で線路下を潜ったので、こちらは西口です。


あいの風とやま鉄道の魚津駅からは、歩いて20分ほど。どうでも良いですが、あいの風とやま鉄道って名前長いな。
駅を背にして、駅前の商店街を西に向かって歩いていきます。

そして、二つ目の信号(「新宿」交差点)を南に折れて(左折して)少し行くと魚津城です。

左の写真の信号は、駅前一つ目の信号。

商店街は雪国ならではの雁木づくり。しかし、あまり人気がないですね。土曜日ですが、シャッターが閉まっている店も多く…。
「新宿」交差点を曲がって少し歩いたところ。


道路の右側に、「大町小学校」という青い看板が建っています。この大町小学校というのが、魚津城跡の小学校になります。
こちらがその大町小学校。電鉄魚津駅から歩いて5分ほど。

アニメでは、まんまこの風景が描かれていましたが、高耶さんたちが入っていったのは、こちら側の門ではないような気がします。

<車を走らせてやってきたのは電鉄魚津駅近くの小学校だった>(『最愛のあなたへ』8ページ)

大町小学校の拡大図です。私たちは、小学校のプールの北側を通って校内に入りましたが、正門は恐らく、そこより少し南側、魚津城址の石碑に近いところの門が正門かな?という気がします。オレンジ色のラインは、今回私たちが通ったルート。

学校の敷地というのは、通常勝手に入ってはいけないものですが、こちらは魚津城址ということで、見学の方がたくさん来られるようで、事務室に声をかければ見学させてもらえることになっているようです(学校がお休みの日は、自由に入っていいとのこと。ただ、休みの日は併設されている大町歴史館も休館)。


この日は土曜日でしたので、特に声かけはせず、入らせて頂きました。
こちらは、校舎の東側にある玄関。


向かって左の方へ歩いて行き、校舎の南側へと回ります。
こちらが校舎の南側。


写真手前左側の方が小学校の南門(正門?)、写真右手校舎の庇がある部分が校舎の玄関、その向かい、松の木に囲まれるようにして魚津城址の石碑があります。
南門(正門?)の外から校舎を見て。


<正門の前に降り立って、門の鍵を念動力で軽く開けてから、ふたりは中に入っていった>(『最愛のあなたへ』8〜9ページ)


昔は、夜は施錠されていたのでしょうか。今は門扉のようなものも見当たりません。
この門を入って正面に、「大町歴史館」という施設があります。歴史館とは言っても、小学校の一部屋を使って魚津城に関する展示スペースにしたといった感じのもの。

この日、魚津城址を見学に来たらしき方が他にもいて、「職員がいるので、言えば開けてもらえますよ」と教えてくれました。本来、土日はお休みですが、頼めば開けてもらえることもあるようです。

まあ私は、魚津城の歴史に興味があって…というのとは少し違うので、気が引けてお願いしてまで入りはしませんでしたが。
<玄関の前に「魚津城址」と書いた石碑が立っている。 「ここは――」 「魚津城という、その昔、城があったところです。この小学校はちょうど城の本丸だった場所に建っているんですよ」>(『最愛のあなたへ』9ページ)


松の木の間にある大きな石が、「魚津城址」の石碑。
この城跡の小学校には、多数の案内板があり、歴史を語り伝えていこうという意気込みを感じます。

こちらは魚津城の戦いについて書かれた案内板。

上杉方の城であった魚津城が織田勢に八十日余りにわたって攻められたこと、食糧も尽き城内の老若男女は皆自害したこと、そして落城したその日は実は信長が本能寺で滅びた翌日であったことなどが書かれています。
<「この城で討ち死にした霊たち?」 ええ、と答えて直江は裏手の校庭のほうへと高耶をいざなった>(『最愛のあなたへ』9ページ)


校舎南側の道の突き当たりは、幼稚園になっています。その幼稚園の敷地手前で右の方に行くと、小学校の校庭があります。
↑の写真の突き当たりで右に曲がったところ。

大町小学校の校庭があります。

画面右端の建物は小学校校舎、左端の建物は、幼稚園です。

校庭手前まで進んで、左の方を向くと…、↓の写真になります。
<「この城は昔、上杉方の城だったんです。上杉の越中能登侵攻の拠点として重要な役割を担ってました。謙信公も遠征のたびに立ち寄ったところです」 と語りながら、直江は同じ敷地内にある幼稚園側の門にある松のもとにやってきた>(『最愛のあなたへ』9ページ)


画面左の建物は幼稚園。その奥に「幼稚園側の門」というのがあり、門のすぐ右側に大きな松が立っています。あの松のことですね、直江が言っているのは。
「ときわの松」と呼ばれるこの松は二代目で、元のときわの松は古くから魚津城にあり、謙信公が植えたものだという伝説があったのだそうです。


それにしても…。ああ、この場所に、直江と高耶さんが連れ添って来たわけですね。
<その根元にまた歌碑があった。「“もののふの鎧の袖を肩しきて 枕に近き初雁の声”……。謙信公がこの地で詠んだ歌です」>(『最愛のあなたへ』9ページ)


確かに、松の根元に歌碑がありました。戦いに明け暮れた謙信公らしい歌といったところでしょうか。
ときわの松の前から校庭と校舎を振り返って。今は城跡を忍ぶようなものは何もありませんが、ここは確かに魚津城跡で、壮絶な戦が繰り広げられた場所だったんですね…。

<夜の校庭に淡い燐光のようなものが舞いはじめていた。「ここには魚津城三千人の魂が眠っているんですよ」 高耶は息をのんで、立ちつくした。活性化した霊気が校庭いっぱいに広がっていく。どこかから、カーンカーン、という鐘を鳴らすような音が聞こえてきた。「直江。あの音……」 「“鎮魂の鐘”です。彼女が現れます」>(『最愛のあなたへ』11ページ)

白衣女が初めて登場したのがこのシーンでした。

<独鈷金剛杵を手にもちながら金剛合掌すると、高耶はおもむろに光明真言を唱えはじめた。「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」 ぼう、と高耶の体が淡く光りはじめる。荒ぶった霊気が高耶の発する真言に鎮められていく。数珠を手にした直江が、高耶の光明真言に重ねるように、般若心経を唱えだした。清浄な空気があたりを包みこんでいく。二人の声は、まるでひとつの歌になって、闇の魚津城趾に朗々と響きわたっていった>(『最愛のあなたへ』15〜16ページ)

<高耶はまだぼんやりと夜の校庭を見つめている。「行きますか、高耶さん」 「あ……うん……」 静まりかえった校庭に背を向けて、うながされるまま高耶は歩きはじめた。あの白衣の女の悲しそうな目が、まだどこかで自分を見ているような気がして、ふと足を止めた。自分を待っていた人たちがいる……。「オレは――……」 ちいさくつぶやいて、高耶は校庭を振り返った。「オレは、見捨てないから……」>(『最愛のあなたへ』17ページ)

この時の高耶さんはまだまだ記憶を取り戻せておらず、ただの元ヤンの高校2年生だったわけですが、記憶も無いのに真言は口をついて出るし、魚津城の兵らにいつも景虎様がかけていたのと同じ言葉をかけるし…、中身は紛れもなく「景虎」なんですよね。直江も何というか、複雑な気持ちだったでしょうね。

「幼稚園側の門」から振り返って。


この門を出て、海の方へ歩いていきます。
↑の門を真っ直ぐ西に歩くと、古い蔵に突き当たります。


案内板を見ると、大正時代の建築で、昔の米倉だそうです。そして、大正7年に全国を揺るがせた「米騒動」の発祥の地がここなんだとか(因みに、米騒動が起こったのは7月23日だそうで)。


この米倉の前の道は、旧北陸道だそうです。
魚津城址から歩いて5分ほどで海岸に出ました。

<小学校は海のそばにあった。すこし歩いていくとそこにはもう日本海が広がっている。魚津は富山湾の入り口にあり、よく晴れた日には遠くに能登半島を望むことができた。二人は漁港の側の海岸線までやってきていた。車をとめて降り立つと、風にのって潮の香りがする。夜空には満天の星が輝き、眼前には暗い海が広がっていた。むこうの倉庫の広場のようなところで高校生らしき者たちが花火をあげている>(『最愛のあなたへ』18ページ)

そう言えば、二人が魚津に来たのは夏休みだったんですよね。奈良→富山→東京くらいまでほぼ夏休み期間中の出来事か…。随分と目まぐるしい夏休みですね。
<買った缶ジュースを飲みながら、高耶は防波堤にあがって足を海のほうに投げ出して座りこんだ。「あぶないですよ」 「へーきへーき」 テトラポットのむこうに打ち寄せる波を眺めて、高耶はぽつりとつぶやいた。「あー……、海なんて何年ぶりかなぁ……」>(『最愛のあなたへ』18ページ)

高耶さんの真似をして、私も防波堤に座ってみました。

このシーン、高耶さんと直江の会話は、どういうわけかとても印象深いです。二人が険悪になる前に最後に打ち解けてゆっくり会話したシーンだったからでしょうか…。高耶さんがビール買って来いと言って直江にたしなめられたこと、バイクを盗んで走り回った中学時代の話をしたこと、夢は家裁の調査官だと語ったこと、直江につきあってる奴はいないのかと聞いたこと…。何か、眩しい思い出って感じです。
<「つけあがっても、いいんですよ」 「…………」 高耶は一瞬、真率な顔をしたが――。「オレは女じゃねーぞっ!」 からかわれたと思って、高耶が防波堤から立ち上がろうとしたその瞬間。どうしたことか、バランスが崩れた。「うわっ」 驚いて、とっさに直江が腕をとった。がっしり掴んでくれたおかげであぶなく海に落ちずにすんだ。下で波打つ海面を見て、ひやりと冷や汗をかきながら、直江をふりあおぐ。「あ、サンキュ……」>(『最愛のあなたへ』27ページ)

高耶さんがこんな無邪気な少年であることに、直江はほっとする反面、苛立ちもしたでしょうね…。事件が起こる予兆が垣間見えるシーンでした。
ところでこの防波堤、そんなに危ないのかと思っていたら、何てことはない、堤防の向こう側はこんな感じです。

海面は少し離れていますし、階段状になっていますし、転んだら危ないには危ないですが、海に落ちるという感じではなく…。昔はどうだったかまではわかりませんが。

「漁港の側の海岸線」という描写がありますので、この辺りではなく、もっと漁港に近い方(写真前方)かなとも思いましたが、漁港に近い辺りも大体こんな感じの海岸でした。あと、高校生が花火をしていたという倉庫の広場のようなところというのも、これというのが見当たらず…。
それにしても、どんよりしてますね。

写真中央に、さっき電車の中から見た、ミラージュランドの観覧車が小さく霞んで見えます。ここからは、湾になっている海岸線がよくわかります。

能登半島は見えませんでしたし、高耶さんが「見てみてーなぁ、それ」と言った蜃気楼ももちろん見えません。

「見てみてーなぁ」と私も心の中で呟きながら、海岸線を北へと歩きます。
ミラージュツアーのミッションはここで終了。


私たちは魚津港の横を通り過ぎて、更に少し北へ。


写真は漁協組合の建物。すごい年季が入ってますね。
時刻は13時42分。


海岸沿いを歩くこと20分強、「魚津埋没林博物館」というところにやって来ました。


時間はあるんですが、他に立ち寄るべきところも見つからないので、入ってみることに。
入り口に「本日の蜃気楼予報」なるものが掲示されていました。


30%…、この天気でも30%あるんだ…。
埋没林とは、地形の変化によって森林全体が地中または水中に埋没したもののことを言うのだそうです。

「魚津埋没林は河川氾濫と海面上昇が複合して埋没したスギ原生林跡。魚津港建設時に多数出土し、現在も周辺一帯に埋蔵されている」とのことだそうで。

写真がその埋没林。これは出土した場所をそのままプールにして保存しているのだそうです。ここは2階で、1階からも水中の様子が眺められます。
「埋没林博物館」と言っても、蜃気楼に関する展示なんかもちょこっとあったりします。



この文字を見ると、思わず「ミラージュ」とかフリガナをふりたくなりますね。



1時間ほどここで時間を潰した後、近くにある「海の駅 蜃気楼」で買い物をして、魚津駅へと戻ります。
大きな工場があるので、少し遠回りして魚津駅へ向かいます。


写真は、海の駅 蜃気楼より北側の海岸。「しんきろうロード」と名付けられているんですね。運が良ければ、この辺りから蜃気楼が見えるのでしょう。


いつの間にか天気は少し回復したようです。
魚津駅に戻って来ました。写真は東口。


あいの風とやま鉄道の改札へは東口からしか入れません(地下道があり、東西の行き来は可能です)。
駅にはこんなポスターが。


実物は見られませんでしたので、写真で我慢しますか。今回は生きたほたるいかを見て、触れただけで満足です。
魚津駅16時4分発の電車で越中宮崎を目指します。


ホームで見る「直江津」の文字に、思わず心が躍ります。


あいの風とやま鉄道は、越中宮崎駅が東端。その先、市振駅から直江津駅までは「えちごトキめき鉄道」の「日本海ひすいライン」という路線になります。えちごトキめき鉄道も、北陸新幹線開業に伴ってJRから分離された第三セクターです。
電車で黒部川を渡ります。

黒部と言えば、黒部ダム、黒部ダムと言えばアルペンルート。交通費だけですごいことになりそうですが、一度行ってみたいものです。

そして、連想するのが、高耶さん最期のシーンで、直江が「黒部に行ったとき立ち寄ったことがある」と告げた、高耶さんのお父さんの実家があったという大町。大町温泉という温泉郷があるらしいですが、そこも一度行ってみたいなあ。
直江津まで行く直通電車もあるようですが、私たちが乗ったのは、泊駅でえちごトキめき鉄道の折り返し電車に乗り換えるパターン。あいの風とやま鉄道はひと駅先の越中宮崎までが管轄のはずなのに、どうして手前の泊駅で乗り換えなのかよくわかりませんが…。

写真は泊駅。

そして、運悪く、向こうから来るはずのその電車が遅延しているらしく…。しかも、遅延しているというだけで、どのくらいで着く予定かということもアナウンスされず、駅員さんに聞いても会社が違うのでわからないと。うーん…、北陸新幹線が開通して、都市と地方間の交通は良くなったかもしれませんが、単純に地元の交通機関としては改悪なのではないかと思えてなりません。そういうもんなのかな…。
折角一駅手前までは来ましたので、結局泊駅からタクシーを使って、越中宮崎にある「ヒスイ海岸」までやって来ました。タクシーの運転手さんも、「ああ、あそこは会社が違うからね」と、いつもそんなもんだよといった感じの口調で。不便だし、苦情が出ないんだろうか。

写真は、ヒスイ海岸。

遠くの、海にせり出た山の辺りが、親不知・子不知でしょうか。
「ヒスイ海岸」と呼ばれるのは、もちろんヒスイが採れるからなわけで。


17時過ぎから、暗くなるまで、ヒスイ探しを楽しみます。


そう言えば、小さい頃から、きれいな石を探したりするの、大好きだったなあ。
探すのにポイントがあったりするようですが、慣れた人でもヒスイを見つけるのは結構大変らしいです。何時間も探して見つかるかどうか、といったところらしいです。

私は、これは!というのは見つけられませんでした。写真の小さいかけらが、色合いや透明度からしてヒスイっぽいかなーと思いましたが…、違うかもしれません。ヒスイは一見白っぽく見えるものが多いらしいですよ。
こちらは、持って帰ってきたヒスイ海岸の石たち。


変わった石や、ヒスイじゃなくてもきれいな石があります。


下の方のオレンジ色の石は透明で、メノウかなという気がしますが、どうでしょうね(ガラスではないようで)。
何やら碑が立っています。


「世界で最も美しい湾 富山湾」と書いてあります。「世界で最も美しい湾クラブ」というのがあって、2014年に富山湾が加盟したのだそうです。まあ、確かに富山湾は地形的にかなり特異ですからね。美しいだけでなく、神秘です。
しばらくすると、美しい夕陽を見ることができました。


本当にきれい。


海辺でのんびり石を拾って、夕陽を眺めて…、良い時間だ。
富山へ戻るため、ヒスイ海岸近くの越中宮崎駅にやって来ました。


あいの風とやま鉄道の東端の駅ですが、無人駅です。


この越中宮崎駅周辺は、「たら汁」が有名らしく、「たら汁街道」なんていう言葉もあるそうです。冬だったら、一杯やっていきたいところですね。
ヒスイ海岸がすぐそばということで、越中宮崎駅の中には、海岸で採れたヒスイが展示してありました。


うーん、いつか機会があれば、リベンジしたいですな。
帰る頃には、ほぼダイヤ通りの運行に戻っていて、18時38分、越中宮崎駅発の電車に乗車。
来る時に乗ったタクシーの運転手さんが教えてくれたのですが、この区間は夕日がとても美しいということで、ここを走る寝台特急はわざわざ徐行するのだとか。


私たちが乗っていたのは寝台特急じゃなく、普通のローカル列車ですが、車窓から見た夕日は確かに目を奪われるほどきれいです。
泊駅で再度乗り換え。


乗って来た電車は、折り返し、直江津行きとなりました。思わず再び乗り込みたくなってしまいますが…富山に戻らなくては。
19時53分、富山駅着。


帰りの夜行バスは23時20分駅前発ですので、まだ余裕があります。


駅中でお土産ものを物色してから、夜の街へと繰り出します。夜行バスだと、一泊でも二晩楽しめるというのが良いですね。
あ、こちらは、昨日の一軒目。「居酒屋 だい」。


昨日外観を撮り忘れていたので。お店は二階にあります。富山ならではの美味しいものを味わえる居酒屋さんでした。
そして、この日は「中嶋」という居酒屋さんへ。


スナックみたいな感じで、ちょっと入りにくいのですが、恐る恐るドアを開けました。

カウンターだけの店内で、お客さんはほぼ顔なじみっぽい感じのお店ですが、決して一見さんお断りのような雰囲気ではなく、店主の大将はオススメなど教えてくれますし、観光客とみると、常連のお客さんも色々話しかけてくれたりして、アットホームで楽しい居酒屋さんです。ただ、店主が日本酒好きらしく、基本的には日本酒(その他のお酒でも別に文句は言われないでしょうけれども)を飲みながら美味しい富山の幸を楽しんでもらうというスタンスのお店のようですので、例えばブラックラーメンだけ食べて帰るというのはNGらしいです(このお店のブラックラーメンは有名らしく、それを目当てにお客さんが来られるようで…)。
私たちは大将オススメの簡単なコースと単品を注文して、お酒を何杯か呑み、最後にブラックラーメンを二人で一杯頼みました。写真は、左上から時計回りに、白えびと野菜のマリネ?、白えびやイカの昆布じめ、古酒(どの銘柄の古酒か忘れてしまった…)、ブラックラーメン。
古酒は、大将が日本酒のことを色々教えてくれるうちにサービスで出してくれたもの。日本酒の古酒というと、そう言えば、仙台で一ノ蔵の古酒を買って帰りましたが、あれより断然美味でした。こっちの方がかなりふくよかな味わい。何かに似てるでしょ?と言われ、確かに何か知ってる味と似てると思ったら、紹興酒。あれはもち米を発酵させてねかせたものですから、なるほど近いわけですね。まあこちらは、紹興酒よりはかなりさっぱりしていますが。他にも、北海道の板昆布を炙ったものを食べさせてくれたんですが、こちらもパリパリしていて、おせんべいみたいで、めちゃくちゃうまかった。普通の昆布を炙っても同じようにはならないそうですよ。良質な昆布じゃないとダメだそうで。北前船の食文化は侮れませんな。
ブラックラーメンも、噂に違わず、とても美味しかったです。私たちはブラックラーメン初体験。見た目はしょっぱそうな印象ですが、全然そんなことなくて、コクはあるけどしつこくない。でもこのお店のブラックラーメンはかなり食べやすくアレンジしてあって、本来のブラックラーメンではないそうです。元々、ブラックラーメンは戦後の富山で、肉体労働をする人がご飯と一緒にもりもり食べられるようにと作られたもので、味は濃いめなのだそうです。そう言われると、色々食べ比べてみたくもなりますね。

「中嶋」を出た時点で、バスの出発時刻まであとまだ1時間ほどあるということで、もう一軒、「いろり」という居酒屋にやってきました。


いい加減酔ってきたのか、外観は撮り忘れまして、ホワイトバランスの調節も忘れてます。


以前、ミラツアとは関係なく金沢に行ったことがあり、その時も思ったのですが、とにかく北陸の酒は外れがない。
こちらは、白えびとブラック(イカスミ?)のコロッケと、げんげの一夜干し。


今回は、美食三昧なミラージュツアーでした。


そう言えば、魚好きの高耶さんも、5.5巻冒頭の頃は、魚料理を堪能して幸せそうでしたよね…。
恒例、お土産紹介コーナー。


こちらは白えびの素干し。亀きち亀ぞうへのお土産です。
こちらは真鱈の卵のうま煮。


オカンへのお土産。
越中名物のお菓子、雪渓。試食があって、食べてみたらすごく美味しかったので。


和三盆と寒天と卵で作られた素朴なお菓子ですが、サクッとした軽い食感で、口の中で雪のようにスッと溶けます。


緑色の方は抹茶味。抹茶の方が少しだけ高いのですが、抹茶がおすすめ。
富山駅の駅中のお土産コーナーで買った杯。


創作漆器と書いてありましたが、えらく安かった記憶がありますので、ちゃんとした漆器ではなさそうですが、旅の記念に。
魚津で買った、「魚津のミラたん」のクリップ。蜃気楼までもがご当地キャラになるご時世なんですね…。


意外とかわいいし、買ってしまった。


魚津は本当にミラージュな土地でした。

お読み頂きまして、ありがとうございました。舞台となったスポットは、多くはありませんが、富山も魚津も思い出深い地です。磯部の土手や、魚津城址の小学校を実際に訪れることができて、大満足です。そして、富山独特の自然や食に触れ、普通の旅としても十分堪能することができました。ミラツアとしては遺恨は無いですが、また観光で訪れたい土地ですね、富山は。

さて、このレポートを書いているのは2017年の8月下旬。私は、9月下旬に高知県への移住が決まりまして、移住前のレポートアップは、ひとまずこの富山ツアーまで、ということになりそうです。今のところレポート待ちのツアーは次の通り。

・2016年8月 奈良
・2016年8月 浅間神社
・2016年10月 足摺
・2016年11月 大阪・神戸
・2017年1月 石手寺
・2017年3〜4月 琵琶湖周辺

今年に入ってからは、移住に関することが次々に具体的に決定したこともあり、本格的なミラツアは春に行った琵琶湖周辺のみですね、今のところ。でも、移住後すぐに室戸に行く計画はあったりします。関東から行きやすい場所は、引っ越し前に行っておきたかったのですが、全然行けていません…。なかなかそういう余裕はなく。どうやら、移住後に何かの機会があれば行くという形になりそうです。まあそれもいいですけどね。まだ行ってない場所は結構残ってますし(紀伊半島はまだ手付かず)、長期戦です。


万歩計データ
5月27日(富山市内):32,867歩
5月28日(魚津他):※記録取るの忘れた…


2017.08.27 up



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