いつか見た打ち上げ花火  後編







だが、直江が口を開く前に、背後から「美〜弥〜ちゃん」と聞き覚えのあるおちゃらけた声がかかった。

「千秋さん!」

そう、そこにいたのは、彼ほどお祭りごとの似合う人物もいないだろうというイベント大好き男・千秋だ。

「美弥ちゃん、浴衣似合うねぇ」

そう言う千秋もちょっと派手めな男物の浴衣を粋な感じに着こなしている。
同じいい男でも直江とは実に対照的だ。

「何だお前らも来てたの? あらら。むさい男三人に女の子は美弥ちゃん一人かよ。かわいそうに。お兄さんがあっちでわた飴買ってあげるから、美弥ちゃん一緒に行こっか?」

「えっ、本当? 行く行くー!」

「こ、こらっ、美弥! 知らない男について行くんじゃない!」

「誰が知らない男だよ! さ、行こうか、美弥ちゃん」

「駄目だ、許さないぞ、美弥!」

兄の言うことなどまったく耳に届いていないというように、美弥はほいほい千秋について行ってしまった。
後にはむさい男三人が残された。

「大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても」

横から直江が声をかける。

「あなたが思っているより、ずっと無害な男ですよ、あいつは」

本人が聞いたらきっと腹を立てて文句を言うだろうが、あながち間違ってもいないのだろう。
フンとため息をついて二人の背中を見送る高耶に、譲が慌てた様子で声をかけた。

「いけない、高耶。もう少しで花火が始まっちゃうよ」

夜店に夢中になってだいぶ時間が経ってしまったようだ。

「今からいい場所見つかるかなぁ…」

人で埋め尽くされた川原の方を見て心配そうに呟く譲に、遠くから声をかける人物がいた。

「成田くーん」

同級生の森野沙織である。
沙織は人を掻き分け走ってくる。

「成田くん、成田くん。もしかして花火観る場所探してる? あたしたち、あっちにいい場所陣取ってるの。成田くんも一緒にどう? ね? ね?」

「いいの? 森野さん」

「もちろんよ」と頷くと、沙織はすぐさま譲の腕を引っ張って行く。

「よかったな、高耶。森野さんが…」

「あー、空いてるのは一人分だけなの。悪いけど、そういうことで。行こっ、成田くん!」

「え!? ちょ、ちょっと…森野さん!?」

半ば拉致のような形で、止める間もなく譲は沙織に連行されていってしまった。

そうして気づけば、残されたのは高耶と直江だけだ。
この妙な状況を持て余し、二人して思わず顔を見合わせた。
高耶が鼻の頭を掻いて、「どうしようか…」と言いかけた、その時だ。

ヒュルルル…と、か細い音が上空から聞こえてきたかと思うと、一瞬の沈黙の後、ドォンという爆音とともに夜空に大輪の華が咲いた。
ドォン、ドォンと、立て続けに数発打ち上がっては散っていく。

花火大会の始まりだった。
行き交う人々は皆、歓声を上げながら空を仰いでいる。

生まれて初めて間近で見上げる打ち上げ花火の迫力に、高耶が我知らず見入っていると、会場を目指す観客たちがどっと押し寄せてきた。
人の流れにぶつかり、よろめきそうになる高耶の手首をすっと直江が掴む。

「こっちです、高耶さん」

直江は人の間を縫うように逆行しながら高耶をどこかへと誘っていく。





「大丈夫ですか?」

ハァハァと若干息切れしながら、高耶は「ああ」と頷いた。

「実はいい場所を知っているんです」と言う直江が高耶を連れてきたのは、打ち上げ会場の対岸にある小高い丘の上だった。

長い石段を上ったところに小さな神社があり、二人は人気のない社の裏側まで回ってきた。
鬱蒼と茂る木々が途切れる一角から、花火が綺麗に見渡せる。

ヒュルルル…ドォン、ドォン、ドォンと、プログラムも後半に入った花火は次から次へと盛大に上がっていく。

「すげえ!」

つい無邪気に感激してしまってから、はっと我に返り、高耶は隣に寄り添うように立つ直江を見上げた。
直江はたまに高耶にむけるあの暖かい眼差しでじっとこちらを見ていた。

疑り深い目になって、高耶は用心深く問いただす。

「そんな顔したって、わかってるんだぞ? 後で酷い目に遭わすつもりだろ?」

「酷い目?」

「そうだよ。さっき賭けで負けただろ? 言うことを聞いてもらうって…」

「ああ…」と直江は微笑を浮かべながら答える。

「それなら、もういいんです」

「もういい?」

「あなたに、ここで私と一緒に花火を観て欲しい、それが私の要求です」

「へ? それだけ?」

肩透かしを喰らって、高耶は素っ頓狂な声を上げた。

「それだけです。実は元々、一緒に花火を観ようと思って、あなたを誘いに来たんですよ。混雑すると聞いていたので、どこか落ち着いて観られる場所はないかと、探し回ってたんです」

それで到着が少し遅れ、団地の入り口で花火大会へ向かおうとする高耶たちと鉢合わせしたというわけだ。

それにしても、この男は時々理解に苦しむ言動をする。
目的のよくわからない優しさと執着を高耶に向けてくる。
何かを期待されているのかもしれないけれど、記憶のない自分には一体何をどう返したらいいのかわからない。

そんな高耶の目の前で、パパパン、ドォン、ドォン…と惜しげもなく大輪の花火が咲いては散っていく。
花火の音がこんなに大きく胸に響くものだと、高耶は初めて知った。

「花火ってこうして観ると、迫力あって…結構感動すんのな?」

高耶は自分の身体を自分で抱くようにして、空を見上げながら呟く。

「オレ、まともに打ち上げ花火観るのって初めてだからさ」

遠くから音だけ聞いたり、ビルの陰から花火の一部分だけ垣間見たりしたことはあったが。
そう言うと、直江は少しの沈黙の後で口を開いた。

「ありますよ」

「え?」

「あなたと一緒に打ち上げ花火を観たことがあります。もうずっと昔の話ですけれど」

一瞬何のことかと思ったが、すぐにそれが「景虎」のことだとわかった。

「もっとも、怨霊調伏に走り回っていた時、たまたま近くで上がったのを見ただけでしたが。でも、あなたはやはり『感動する』と言っていました」

覚えてもいないことを言われ、高耶は戸惑う。
だが、直江はそれ以上その時のことを説明しようとはしなかった。
ただ、一言だけ、自らの想いをつけ足した。

「その時、思ったんです。いつかまたあなたと、もっと穏かな気持ちで打ち上げ花火を観たいと」

夜空を見上げて語る直江の瞳に、花火の光が反射する。
高耶は何と言ったらいいかわからなくなってしまった。

「直江」

小さく名を呼んだ瞬間、その男の手が高耶の肩にかかり、ほんの僅かだが身体を引き寄せられた感じがした。

ドォン、ドォン、パララララ…と花火はクライマックスに突入し、夜空いっぱいに轟音が響き渡る。

次々と咲いては散りゆく儚い光を見つめながら、高耶は思う。
自分はなぜ、換生前の記憶を失くしてしまったのだろうと。

さっき、美弥が「花火を観に行こう」と言い出した時、忘れることは癒されることだと、必要なことだと思った。
だけど、本当にそうなのだろうか。

今、直江と記憶を共有できない自分は、こんなにも真摯な直江に対して何も言ってやることができない。
そんな自分が歯がゆい。

もしかしたら、記憶を封印した方が直江のためにも自分のためにもよかったからなのかもしれない。
でも…記憶と一緒に、何か大切な気持ちまで、どこかに忘れてきてしまっているようなもどかしさを感じる。

「直江…」

もう一度呼びかけたその声はしかし、ひと際大きな花火の爆音にかき消された。

ドォォン、パララララ…。

夜空いっぱいに光の華が咲き誇ったかと思うと、あっと言う間にそれは無数のキラキラとした光の粒となって、滝のように地面へ向かって流れ落ちていく。

それが最後の花火だった。

誰もいない神社の裏側は、花火の音がなくなると、不自然なほど静まりかえった。

高耶の肩にはまだ直江の手が置かれている。
つい意識してしまい、ピクリと震えると、その手はパッと潔く離れていった。

「お腹空いたでしょう?」

出し抜けにそんなことを言われ、高耶は呆気に取られた。
しかし、身体は現金なもので、そう言われると急にお腹がギュルルルと鳴り出す。

「高級中華、行きますか?」

「え? マジ!?」

高耶はパッと顔を輝かせた。





「暗いから気をつけて下さい」と言う直江に手を引かれ、長い石段を下りていく。

夜空に咲いた花火の輝きとあの爆音の余韻が、まだ胸の中にある。

過去の自分がどんな気持ちで花火を見上げていたのかはわからないけれど、今夜の自分は幸せ…なのだろうと、高耶は思う。

一時は花火大会なんていう賑やかな催しとは無縁なほどに荒んだ自分。
けれど、そんな自分を花火に誘ってくれた人が、今夜は三人もいた。
そして、直江に連れられ、絶好のロケーションで花火を観ることができた。

花火なんか…と思っていたが、自分の中には、花火大会に行きそびれて泣き喚いた子供の頃の自分がまだ密かにいたのかもしれない。

「直江」

ふと呼び止めると、直江は無防備な表情で振り返った。

「ありがとな」

虚を突かれたように目を見開き、直江はなぜか少し困ったように微笑む。

自分で言った言葉に照れた高耶は、直江の手を振りほどいた。

「早くしないと、ラストオーダーになっちまう」

そう言って、嬉しそうに高耶は石段を勢いよく下りていった。









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●あとがき●

直江が…直江が紳士ですよ!
とても狂犬の称号(!?)を戴いた男とは思えません。
しかし、さりげなく肩を抱いちゃう辺り、隠し切れない下心が…。
高耶さんが記憶を取り戻す前の二人の生ぬるい距離感を書きたかったのですが、いかがでしたでしょうか。
打ち上げ花火にまつわる過去話は適当な作り話なのでご容赦下さい。
それと松本の地理もよく知らないので適当です。
あと、前編でセフィーロを登場させてしまいましたが、セフィーロは夏休み前に山形で廃車…になっていたんですね…。まあ細かいことは…もごもご。
しかし、ふと気づけば、『七月生まれのシリウス』の花火メンバーと登場人物が一緒ですね。
それにしても、揃いも揃って餌付けされてる仰木兄妹って一体…。