一夜の奇跡







「すっげえな…」

黒い山並みを背景に林立する高層ビル、幾色にも変化する観覧車、暖かい灯りの燈るショッピングモール、岸壁に停泊する遊覧船…。
そして、まばゆいほどに煌くそれらのイルミネーションを映す冴えた冬の水面。
高耶は席に着くなり窓外の夜景に釘付けになった。

「気に入ってもらえましたか?」

「ああ」

ナイトクルージングを終え、ホテルのラウンジにやってきた直江と高耶だった。

「ここは十四階ですから、超高層階から見下ろすような壮観さはありませんけれど、これくらいの高さから眺める夜景もそれなりにいいものだと私は思いますよ」

「そうだな。なんつーか、近くに見下ろせるから、街のぬくもりを感じる」

自分が感じていたことと同じことを言う高耶に、直江は軽く微笑んでメニューを取った。

「船の上は少し寒かったですから、先ずは温かい飲み物でも頼みましょうか」

「オレ、あんま酒飲んだことねえから、よくわかんねえんだけど」

「私が頼んであげますよ」

ボーイを呼び、高耶には甘めのホットエッグノッグ、自分にはバランタインを注文した。
高耶は興味があるようで、直江からメニューを受け取り、写真つきのページをペラペラと繰っている。

「なあ、今のどれ?」

「エッグノッグはメニューには載っていませんよ。日本でいう卵酒のようなものです。英米ではクリスマスや新年の頃によく飲まれるらしいですね。身体があったまりますよ」

やがて運ばれてきたエッグノッグはステンレスの取っ手がついた耐熱グラスに入っていた。
立ち上る湯気をふうふう吹きながら、高耶は一口啜る。

「直江…」

高耶は何かに驚いたような顔をした。

「おまえって、なんでオレの好きなものがわかるんだ?」

自分では意識していないのだろうが、これはかなりの殺し文句だ。

「まあ、四百年も傍にいますから」

控えめにそう告げ、直江はずっしりとしたオールドファッションドグラスに口をつけた。
少々奮発して注文したバランタインは三十年もの。
熟成された年月を感じさせる豊かで柔らかい味わいが口腔に広がり、飲み下した後も甘美な余韻がいつまでも続く。
今夜はこのウイスキーを供に、じっくり高耶に対峙するつもりだ。

高耶がトイレに立った隙に、直江は彼のために次のカクテルをオーダーした。
席に戻った高耶が少し冷めたエッグノッグを飲み干した時、タイミングよくそのカクテルが運ばれてくる。

「あなたのために頼んだんです」

逆三角形のカクテルグラスに入った半透明の白い液体を高耶はそっと覗き込んだ。

「“雪国”っていうんですよ、そのカクテル。日本人が考案したんです」

グラスの縁に飾られた砂糖は大地を覆う白い雪を、底に沈む鮮やかなグリーンチェリーは雪の下で密かに芽吹く新緑を思わせる。

「いつか、一緒に越後の雪を見に行きましょう」

「…そうだな」

高耶は微かにグラスを持ち上げてみせてから、くっと一口で半分近く飲んでしまった。

「ライムの酸味が爽やかで飲みやすいでしょう?」

「ああ、これもうまいな」

高耶は“雪国”をくいくいっとあっと言う間に飲み干した。
トラウマがあって普段飲まなかっただけで、酒に弱いわけではないらしい。

「そうだ、オレ、飲んでみたいのがあるんだけど…」

「どうぞ?」

「なんていうんだったかな。ほら、よく金持ってそうな奴がハワイのプールサイドなんかで飲んでる、ココナッツミルクの…」

「ピナコラーダですか?」

「それそれ」

多少アルコールが入って勢いづいたのか、高耶は自分でボーイを呼びつけ、ピナコラーダと、勝手につまみのナッツも注文した。
“雪国”の後に南国のカクテルとは、滅茶苦茶だが、高耶らしいと言えば高耶らしい。
直江が微笑を浮かべていると、それを見咎めた高耶が口を尖らせた。

「なんだよ、なに笑ってんだよ」

「いいえ。今夜は特別ですから、何でも好きなものを頼んで下さい」

「ああ、そうさせてもらうぞ。かったりーままごとデートに付き合わされたんだからな。大体、男同士なのにあんなにべったりひっつきやがって。おまえ、オレたちがどんだけ注目浴びてたかわかってんのか?」

「別にいいじゃありませんか。最高のカップルを目指していたんですから」

「お、ま、え〜〜」

そうなのだ。
今夜は街に溢れる怨念を収集するという名目で、高耶とひと通りデートコースを回ったのだ。
もちろん、名目はただの名目である。
高耶はまだ気づいていないようであるが。

直江は、高耶が恥ずかしがっているのには気づかぬフリで、本当の恋人同士のように振舞った。
寒そうに震える肩を背後から抱き寄せ、女なら一瞬で落ちるだろう甘い台詞も何度か耳元に囁いてみた。
最後にこのラウンジに入る頃には、少しはそれなりの雰囲気になっているかと思ったのだが…。

高耶はいつもの怒りっぽい高耶である。
後は酒の力にでも頼るほかないようだ。

睨みをきかせる高耶の前に、ボーイがピナコラーダを置いていく。
それを見た途端、高耶は口もとを引きつらせた。

「随分可愛らしいですね」

黄色いストローに、造花でできた赤いハイビスカスの小さなレイがかけられている。
だが、高耶の口もとが強張っているのは、女の子が喜びそうなその見た目の可愛らしさのせいではなかった。

「なあ、このストローが二本刺さってるのって…」

「ああ、それはクラッシュドアイスで詰まった時のための予備ですよ。あと、二本同時に吸った方が味がよくわかるからという理由もあるようです」

高耶はほっと胸を撫で下ろしている。

「なんだ、びっくりした」

「二人で一緒に飲むため、だと思ったんですか? なんならやりましょうか?」

「誰がするかよっ」

顔を少し赤らめて、高耶は豪快に二本のストローを同時に口に咥えた。

「ところでさ、肝心な怨念収集の方はどうなったわけ?」

「怨念収集?」

「そうだよっ。クリスマスを辛い想いで過ごしている奴らの怨念が渦巻いてるんだろ? 一触即発の危機なんだろ? 一体どうなったんだよ。あのお札、ちょっと見せてみろよ」

直江は渋々例のお札を取り出してみせた。

「なんか、全然怨念の気配を感じないんだけど?」

「でしょうねえ」

「“でしょうねえ”ってどういうことだ」

「今夜に限らず辛い想いをしている人は世の中に山ほどいますからね。クリスマスだからといって特別強烈な怨念が生まれるわけじゃなかったってことでしょう」

高耶はポカンと口を開けている。

「ま、平和なイブでよかったじゃないですか」

「じゃあ、オレたちがやってたことは何だったんだよっ。これじゃまるで、ただのクリスマスデートじゃねえか!」

「おや。やっと気づきましたか」

しれっと言う直江に、高耶は拳をぷるぷると震わせた。

「てっめえ…騙しやがったな。散々こっ恥ずかしい思いをさせて、オレをからかってたんだろう!」

ぎろりと射抜いてくる瞳に憤怒の炎が揺れている。
まずい。どうやら本気で怒らせてしまったようだ。

「高耶さん?」

「帰る。バカバカしい」

立ち上がろうとする高耶の腕を強く掴んだ。
ここで逃がすわけにはいかない。

「離せよ」

「誤解です。からかってなんかいませんよ」

「じゃあなんなんだよ、この茶番は!」

「…一緒に過ごしたかったんですよ、あなたと。イブの夜を」

高耶は一瞬言葉を詰まらせてから、直江の真剣な視線から逃げるように瞳を逸らせた。

「そういうのは、どっかの女にでも言ってろよ」

「あなたは…、一番大切な人とイブを過ごせたら、幸せだとは思いませんか?」

「っ…」

「私は、幸せでしたよ。今夜、とても…」

「……」

直江の腕を振り払い、高耶は浮かせた腰を再びシートに下ろした。

「そういうの、いい加減にしろよな、おまえ」

上目遣いに直江を睨んでくるが、それは既に本気の怒りではなく、ただのフリであることを直江は見て取った。
悪意や批判には容赦なく辛辣な皮肉を浴びせるが、自分を受け容れてくれるものには実は滅法弱い高耶なのだ。

そんな彼には意外と正攻法が効くらしい。
下手な口実など作らず、正直に「会いたいから」と言って熱心に誘えば、案外ほだされてOKしてくれていたかもしれない。

少しだけ後悔の念にさいなまれていると、高耶が不意に直江のグラスを奪った。

「あっ」

と声を上げる間に、高耶は、一杯で高校生のアルバイトの日給くらい軽く吹っ飛んでしまう値段のウイスキーをすっと喉に流し込んでしまった。

「こんなの、どこが美味いんだか」

無邪気に罪な言葉を吐く高耶に、思わず苦笑いが漏れる。

「こうなったら、とことん付き合ってもらうからな。覚悟しろよ?」

「望むところですよ」

ひとしきりメニューと睨めっこした高耶が選んだカクテルは、スコーピオン。
オレンジ、レモン、ライムと三種のジュースをミックスした口当たりのよいカクテルだが、アルコール度数は意外と高い。
ごくごく飲んでしまってから後で酔いが回ってくるのは、その名の通り「サソリの毒」だ。
だが直江は敢えて忠告はせずに、危険なカクテルを美味しそうに飲む高耶を黙って眺めていた。

ランクダウンさせて十七年もののバランタインを啜る直江を尻目に、高耶はその後も店のオリジナルカクテルをいくつか注文した。
白いコットンセーターのVネックからのぞく素肌が次第にほんのり色づいていく。





「高耶さん、高耶さん…」

次から次へと多種多様なカクテルを飲み干した高耶は、頬杖をついたままうとうと寝入ってしまった。

「ん? んん…」

一瞬、とろんとした瞳を開いたが、すぐにまた重たい瞼を閉じてしまう。
どうやらすっかり出来上がったようである。

「高耶さん、少し待っていて下さいね」

夢の中にいる高耶を残して、直江は一旦エレベーターでフロントまで降り、チェックインを済ませた。
そう、予めこのホテルの部屋を取っておいたのである。

「さあ、行きましょう、高耶さん」

ラウンジに戻って高耶を揺り起こすと、抱きかかえるようにして立ち上がらせた。

「行くって、どこへ?」

酔っ払った高耶は目を擦りながら、子供のように無邪気な顔で聞いてくる。

「眠りたいのでしょう?」

「…んん…」

「眠れるところですよ」

「んん、行く…」

直江に支えられながら、高耶は素直に頷いた。

半年も前から予約していた部屋は、南向きのコーナースイート。
カードキーで中に入ると、テーブルには豪華な活け花とウェルカムシャンパンが用意されていた。

「こんなの、ドラマとか映画とかでしか見たことねえぞ、オレ」

行き届いたサービスと豪華な調度品に興奮した高耶は眠気もすっとんでしまったようだ。
まだ飲み足りないのか、シャンパンを掴もうとする高耶の手を直江が制止した。

「だめですよ」

「なんだよ、今日は飲んでいいって言っただろ」

「もうだめです。限界でしょう? それに、これ以上飲んだらもったいないですよ。もっといいものがあるんです。こっちへ来て下さい」

直江は高耶の腕を取って、バスルームへと誘う。

「へえ、すげえじゃん。海見ながら入れんのかよ」

バスタブのすぐ上には大きな窓があり、静かな夜の海が見渡せる。
遠くには湾岸の灯りが、そして澄んだ夜空にはたくさんの星が瞬いていた。

「冬の大三角形が見えますね。すぐに湯を張ってあげますから、ゆっくり浸かって下さい」





高耶が風呂に入ってから、直江は一人窓辺に歩み寄り、港のイルミネーションを見下ろしていた。

夜をともにしたい。
特別な夜を二人で過ごして、そのままずっと一緒にいたい。
帰したくない。

そう思って、この部屋を取り、高耶を誘ったのであるが、実のところ、本当にこうまでうまくいくとは思っていなかった。

これ以上は望むまい。
望んではならない。

咥えた煙草に火を点け、胸に深く吸い込んでからゆっくりと吐き出した。

クリスマスの特別なフルコースデート。
だが、最後のスイーツには手をつけてはならない。

「もう充分だ」

直江は自分自身に言い聞かせるように呟いた。

彼と幸せなひと時を過ごすことができた。
それで充分なのだ。

気を抜くと、そんな理性を裏切って燃え上がりそうになる身体を誤魔化すように、紫煙を肺に送り込む。

無論、触れたくないわけがない。
だが、一旦自制の箍が外れたら、どんな酷いことをしてしまうかわからない。
高耶が嫌がって、泣き叫んでも、失神するまでその身体を揺すぶり続けてしまうかもしれない。

そうして高耶の信頼を裏切り、彼を傷つけ、再びあの時と同じ憎悪の目を向けられることが何よりも怖い。
そんなことをするくらいなら、胸に滾るこの想いを無理矢理封じ込めてしまった方がいい。

封じ込める?

直江は口もとに持っていきかけた手を止めて、ふと自嘲的な笑みを漏らした。

この想いを封じ込める?
できるのか、そんなことが。

あの人を敬愛し、崇拝し、それと同じくらいの力で妬み、憎んだ、この激しいうねりのような想いを?
俺の存在のすべてであると言ってもいいこの想いを?

あの人が大切だ。
何よりも失いたくない。
すべてから、あの人を守りたい。

けれど、守りたいと思っているそばから、同時に傷つけてやりたいと黒い願望を抱いてしまう自分がいる。

そうだ。
いっそ、すべてをぶち壊してしまえばいい。

あの人をすべてから守るのが俺なら、あの人を唯一傷つけるのもこの俺でなくてはならない。

記憶を失くした清らかな罪人の彼を、この手で暴いてやる。
俺がこの想いにどんなに苦しめられてきたか、あなたをどんなに愛し求めてきたか、思い知るがいい。

渦巻く激情のまま、直江は指に挟んだ煙草をぐしゃりと二つに折り曲げた。
独り脱力したように首を振り、灰皿に煙草を押しつける。

先刻の高耶の様子が脳裏を横切った。

「私は、幸せでしたよ」

そう告げた時の、高耶の怒ったような顔。
だけど本当は好意を寄せられて嬉しがっているのを隠し切れない子供っぽい表情。

孤独に周囲と戦い続けながら、誰かの優しさと温もりを求めてやまない少年。

自分は今、そんな彼の信頼を確かに勝ち得ているだろう。
彼の望むものを、自分は与えることができる。

所詮、あの人と俺の行き着く先に、幸福な結末などないのだ。
だったら、このまま、この関係のまま甘んじていれば、二人とも傷つかないで済む。

せめて、少しでも長く、この穏やかな関係を続けていられれば。

せめぎ合う感情に眉根を寄せた次の瞬間、直江ははっと我に返り、腕時計を確かめた。
高耶が風呂に入ってからもう随分経っている。





「高耶さん、高耶さん」

ノックをしながら声をかけてみたが、応答はない。
ドアに耳をつけて中の様子を窺っても物音ひとつしない。
直江はそっと扉を開けてみた。

案の定、高耶はバスタブの中で眠りこけていた。

バスルームの照明は、外の景色が楽しめるよう、蝋燭のようにほの暗く設定できるようになっている。
高耶は薄明かりの中でバスタブの縁に首を預け、喉を仰け反らせるようにして寝入っている。

直江はバスタブまで歩み寄り、高耶の傍にしゃがみ込んだ。

指先で湯に触れてみると、少しぬるくなっていた。
このままでは風邪をひいてしまう。
彼を起こさないといけない。

そう思うのに、身体が動かなかった。
正体もなく寝こける高耶から目が離せない。

仰木高耶の孤独も、上杉景虎としての四百年の懊悩も、何もかもすっかり忘れたというようなあどけない寝顔だった。

でも、この人なのだ。
自分が己のすべてを賭けて殉じる存在。
手の届かない場所にいるはずの彼が、今、目の前にいる。
眼前で、無防備な裸身を晒してぐっすり眠っている。

窪んで深い影を落とす瞼。
美しく精悍な鼻梁。
まだどこか幼さを残した滑らかな頬。

そのどれもが愛おしすぎて、気が狂ってしまいそうだ。

仰木高耶という宿体は、景虎とは性質が違っているようでいて、どこか相通じるものがある。
今生の十数年間を仰木高耶として生きてきた高耶は、高耶にしかないものを持っているけれども、その本質はやはり景虎なのだ。

自分にはよくわかる。
彼の、その内面の強さから滲み出るような美しさは、正に景虎その人の美しさだった。

直江は、高耶の唇を間近に見つめた。

少し肉厚の形のよい唇は、身体が温まったせいか、血色のよい薄紅色をしている。
微かに開かれたその唇が、まるで誘っているように見えて、直江は何度も唾を飲み込んだ。

「しないのか? キス…」

静かなバスルームに唐突に高耶の声が響いた。
直江がぎょっとして目を上げると、高耶は薄目を開けて笑っている。

いつ気がついたのか。
或いは初めから狸寝入りだったのか。
それにしても、なんてことを言うのだ。

「まだ酔っているんですか?」

その問いには答えず、高耶は湯の中から出した濡れたままの両腕を直江の首に回してきた。

「……」

明らかに酔っている。
だが、キスをせがむようにじっと見つめてくる高耶に、直江は他になす術もない。

柔らかく、唇を重ねた。
躊躇うような数瞬のキスの後、間近に見つめ合う。

「ずっと、待ってたのに」

その一言に心臓を射られた。

ずっと、待ってた?
今、このバスルームで、自分が来るのを待っていたということか?
それとも…もしかして、この四百年間のことか?
ずっと、自分がこうすることを待っていたとでもいうのか?

高耶は酔っている。
それはわかっている。

だが、まるで甘く詰るように呟かれた不意の一言に、景虎の本音を垣間見たような気がして、直江は苦しいほど胸を締め付けられた。

「高耶さん…」

高耶はとろんとした瞳で見つめ返すばかりだ。

「…景虎様」

これは罠なのか?
アルコールの力で覚醒した景虎が仕掛けた罠なのか?
自分に再び罪を重ねさせようと…?

罠でも構わない。
自分を求めて一筋に見つめてくる高耶に、抗うことなどできるわけがないのだ。

高耶が直江の首を抱き寄せるのと、直江が高耶の身体を引き寄せるのがほぼ同時だった。
直江はシャツが濡れるのも厭わず、思うさま裸身の高耶を胸に掻き抱いた。

「ああ、なおえっ」

耳元に吹きかけられた声は、歓喜に打ち震えていた。

あり得ない。
高耶が…、景虎が、こんな風に自分を求めてくることなど、考えられない。
ずっと頑なに自分を拒み続けてきた彼が、こんなに甘やかに自分の名を呼ぶなど。

酒のせいか、罠なのか。
だが直江は、これは神が贈りたもうた聖なる夜のプレゼントだと思うことにした。
決してひとつにはなれない二人の、たった一夜の奇跡なのだと。

「愛しています。あなたを。あなただけを…」

きつく抱き締めたまま、今度は深く口づけた。
四百年分の隙間を埋めるように、唇を押し当て、何度も角度を変えながら啄ばむ。

高耶は自分から舌を差し伸ばしてきた。
その柔らかい舌を、直江は自分の口腔で受け止め、味わうように吸い上げ、愛撫する。
舌をうねらせる度に腕の中の身体が切なげに撥ねるのがまたたまらなく愛しくて、際限なく口づけを交わす。

そうして厭くほど互いの舌と歯列を探り合うと、バスタブの湯はいつしかすっかり冷めてしまっていた。

直江は栓を抜き、熱いシャワーを高耶の身体にかけてやった。
もうそのままバスタオルに包んで、ベッドに連れ去りたい衝動に駆られていた直江を高耶が制した。

「洗ってくれよ、身体」

酔いの入った高耶は無敵だ。
いつもなら絶対に言わないだろうことを平然とリクエストしてくる。

しかも、直江がボディー用のスポンジを手にすると、それを振り払い、「おまえの手のがいい」と囁いてきた。

直江は大きな窓に向かって高耶を立たせると、自分はバスタブの外で高耶の背後に立ち、掌に透明なジェル状のボディーソープをたっぷりと乗せた。
それを両手によく馴染ませ、両肩から高耶の身体を洗い始める。

後ろからそっと優しく抱き寄せるように肩を洗い、背中の肩甲骨の辺りを撫で、首の後ろを丁寧に擦った。
両手で首周りの急所を弄っても、高耶は気持ちよさそうに目を閉じている。

微弱なルームライトに照らされて、ガラスには一糸纏わぬ高耶の姿が映っている。
夜空に瞬く星々と重なるようにしてそこに立つ肉体を凝視しながら、直江はその肌を掌で辿る。

薄い表皮のすぐ下に若い筋肉をたたえる肌は、まるで開花を待つ柔な蕾のようだ。
花弁を開く力を秘めていながら、指先で傷つけられるほどか弱くもある。

すべらかなその肌を堪能するように、直江の手は腕のラインをゆっくりとなぞり落ちていく。

この人の肌が愛しい。
この人を動かす筋肉が愛しい。
熱い血流が、したたかな骨が、柔らかい臓腑が…この身体のすべてが愛しい。

身体を洗うという目的などすぐに忘れてしまった。
ただ溢れる想いに任せて、直江は掌で高耶の素肌を堪能する。
腕から腹へ、胸へと掌を滑らせていく。

「おまえの手、気持ちいい」

上半身を撫で回されながら、高耶は直江の肩に首を預けるようにして凭れかかり、目を閉じている。

「じゃあ、もっと気持ちいいことしてあげますよ?」

直江は人差し指の腹で、高耶の小さく尖った乳首を軽く押し潰した。

「あっ」

高耶は驚いたように腰を撥ねさせた。
反射的に離れようとする身体を、直江は逆に後ろから強く引き寄せる。

「バカッ、そこは…」

高耶の抵抗を軽く撥ね退け、ジェルでぬめる指先で執拗に突起を嬲る。

「やっぱり、あなたはここで感じるんですね?」

内緒話のように耳もとに密かに告げると、高耶は唇を噛み締めて弱々しく首を振った。

「声を上げていいんですよ。他に誰も聞いてない。私だけです。私だけに、あなたのいい声を聞かせて」

左手で突起を弄りながら、右手を高耶の内腿に忍ばせる。

「はあっ…」

張りのいい筋肉の質感を確かめるように腿をまさぐると、高耶は背を撓らせて嬌声を上げた。

「あっ、あっ…」

「高耶さん、気づいてますか?」

高耶の顎を取って二人の姿を映す正面のガラス窓へと向けさせた。

「あなたの、もうとっくに勃っていますよ」

「おまえのせいだ」

「誘ったのはあなたでしょう?」

「ちゃんと、責任とれよ…」

「御意」

微笑交じりに答えると、直江はもう一度ジェルをたっぷり手に落としてから高耶自身を掌に包んだ。

「ふっ…」

震える吐息を零す高耶を背後から抱き締めながら、ゆるゆると右手を動かす。
少し触れただけで、高耶の若い雄は薄い表皮が今にもはちきれそうなほど硬く猛った。

「あっ、なおえ…」

高耶は潤んだ瞳を向けてくる。
目尻に浮かんだ涙を吸い取るように、直江は口づけた。

「メリークリスマス、高耶さん」

「バカッ、こんな時に…」

「最高のクリスマスですよ。あなただって、本当は俺にこうされたかったんでしょう?」

「あっ、くっ…」

直江は先端の溝を指先で繰り返しなぞる。
ほとんど腰砕けになっている高耶はすっかり直江の胸に凭れ掛り、びくびくと腰を小刻みに撥ねさせている。

「も…だめっ、なおえ…」

「いいですよ。好きなだけ出して」

そう言うなり、直江は高耶の昂ぶりを強く扱き始めた。
ジェルでぬめる手は滑りがよく、極度に敏感になった高耶のものにぴたりと吸いつくように上下する。

「あ、あっ…」

「さあ、出してみせて」

高耶の荒い息遣いと直江の低い囁きが密室に交錯する。

「くっ、う…」

「ほら、イって」

「ああっ!」

直江の手であっという間に絶頂へ追いやられた高耶は、窓に向かって放物線を描くように精を放った。
ビシャッという露骨な音を立ててその液体は暗い窓ガラスに白い痕を残した。

「流星みたいですね」

腕の中に荒く息をつく高耶を抱き締めながら、直江が囁く。
ガラスの上に放たれたとろりとした液体は、背景の星空を斜めに横切って夜の海へと墜ちる星のようにも見える。

高耶の呼吸が落ち着くまで、そのまま二人で聖夜の星座を眺めた。

しばらくして、先に動いたのは高耶の方だった。
身体を翻して直江へと向き直ると、おもむろに直江のシャツのボタンを外し出した。

「高耶さん…」

「来いよ。もっと、ちゃんとオレを抱き締めろ」

濡れて身体に貼り付いたシャツをもどかしげに脱ぎ捨て、スラックスと下着も一気に剥ぎ取り、直江も全裸になった。
高耶のいるバスタブの中へと入り、今度は正面から高耶をぎゅっと抱き締める。

「直江…」

高耶も両腕で直江の背中をかき抱いてきた。
互いの素肌が触れ合う生々しい感触に、直江の唇から思わず熱いため息が零れる。

「夢…じゃないですよね?」

いまだに信じられなくて、そんな呟きが漏れた。

「いいじゃねえか、別に、夢でも」

高耶はやはり酔っているのか、そんなふうにうそぶくと、ポンプを押してジェルを手に落とした。
そうして、さっきまで自分がされていたように、直江の身体を掌で撫で始めた。

直江もまたジェルで高耶の身体を丹念に洗ってやる。

互いの身体を洗い合っているだけで、高耶の中心は再び勢いを取り戻してきた。
直江の一物は無論、既に鋼の如く熱く猛り、腹筋に届きそうなほど反り上がっている。

直江は刀でも交えるように竿と竿を触れ合わせた。

「んっ」

初めての感触に、高耶の花芯は怯えたようにぴくんと撓った。

「大丈夫。怖がらないで」

高耶の腰を抱き寄せると、二人の間にある二つの硬いしこりが圧倒的な存在感をもって脈打ち出す。

「ずっと、あなたが欲しかった。心が得られないのはわかっている。だったら、身体だけでも獲得したいと思ってしまうくらい…」

堪えきれず、厚い胸筋へと高耶を抱きすくめる。

「けれど、あなたも本当は俺を求めていたんでしょう? ここが、こんなに硬くなるくらい」

腰を捩って股間の肉塊を擦り合わせた。

「あっ…」

「高耶さん。本当は…酔ってなんかいないんじゃないですか?」

恐る恐る尋ねる直江の首に高耶は腕を絡ませた。

「おまえが酔わせたくせに。素面のオレを抱く勇気もないくせに。おまえには酔ったオレで充分だ」

この期に及んで、そんなどっちとも取れる詰り方をしてくる高耶が小憎らしい。
けれど、濡れた身体をぬるぬると擦り合わされると、そのねっとりと纏わりつく官能的な感触に、直江はもはやたまらなくなって高耶の手を取り、ぴたりと重ね合わせた二人の股間へと導いた。

「酔ったあなたでもいいんですよ、別に。やることは一緒ですから」

二本の陰茎をその手の中に握らせ、上から自分の手を添えて上下にゆるゆると扱かせる。

「うっ」

「気持ちいいでしょう? あなたの、すごく硬くなってるのがよくわかりますよ」

「ばっかやろ…」

「心は得られなくても、ひとつになる方法はちゃんとある。ほら、俺のとあなたのがこんなにぴったり寄り添っている。今あなたがどんなふうに感じているか手に取るようにわかりますよ」

「くっ」

「もう少しで快楽の頂点に届きそうで、もうそれしか考えられなくなっている」

直江は不意に擦る手を二人の猛る欲望から外させた。

「あっ、やだ…やめ、んな…」

自分で擦ろうと伸ばす手を直江はわざと遮る。

「して欲しかったら、ちゃんと俺にねだって」

「くそっ」

「ほら」

「…して、くれよ」

訴える高耶はもう涙目だ。

「もっといやらしく」

「して、くれ。…オレのここ、おまえのと一緒に…擦って。おまえと一緒に、イキたい…」

高耶は直江の首に縋りつきながら腰を揺らし、股間を押しつけてきた。

「思った通り、あなたは淫蕩な人だ」

直江は満足そうに微笑むと、再び高耶の手に手を添えて二つの昂ぶりを包み、今度は一層激しく扱き出した。

「あっ、あっ…なおえ、いい…。いい、もっと…」

「私も気持ちいいですよ、すごく…。あなたをもっと、滅茶苦茶にしたい…」

「あ、もぅ…イ、イク…イクッ!」

二人はほぼ同時に互いの下腹部に白い飛沫を散らせた。
脱力して崩れ落ちそうになる高耶を危うく直江が抱き留めた。

「なお…」

甘いキスで唇を塞ぐ。
長い口づけから解放されると、高耶は熱い吐息のまま「ベッドに」と囁いた。

「いいんですか?」

聞くなよ、と答える高耶とともにシャワーでジェルと精液を流してから、身体を拭うのもそこそこにもつれ合うようにしてベッドルームへとなだれ込む。

「高耶さん」

スプリングの効いたベッドに高耶の裸体を横たわらせ、上から覆い被さると、その身体を抱きすくめ、首筋の柔肌を痕が残るほど強く吸った。
しかし、その瞬間耳に届くはずの嬌声が聞こえず、直江は違和感を感じて腕を緩めた。

代わりに聞こえてきたのは、安らかな寝息だった。

「高耶、さん?」

高耶はついさっきまでの淫行が嘘のように、あどけない表情に戻って眠っている。
直江は諦められずに、肩を揺すってみた。

「んん…」

「高耶さん、高耶さん…」

「直江ぇ、もう無理、もう飲めねえよぉ…」

むにゃむにゃと口の中で何事か呟いて寝入ってしまう高耶を見つめたまま、直江は嘆息した。
いっそこのまま犯してしまおうかという思いが頭を過ぎったその時。

「ありがとな、直江」

高耶が不意にそう呟いた。

「高耶さん…」

だがそれも夢の中だったのか、高耶はもうそれきり寝言を発することもなく、ただ穏やかな寝息を立てるばかりだ。
直江はもう一度長いため息をついてから、ふっと観念したように笑った。

少年の寝顔は汚れなさすぎて、手がつけられない。

でも、それもいいかと思った。
聖夜には、本当はその方がふさわしい。

身体の芯にくすぶる炎をそっと宥めてから、直江はベッドを離れた。





バルコニーで潮風に吹かれながら、直江は湾内を行き交う船を見るともなく眺めていた。
昨夜バスルームから眺めた海は、今は天頂近くに昇った陽の光をきらきらと反射している。
海風は冷たかったが、夜のように凍えるほどではない。
爽やかで、気持ちがいい。

がらりと音がして、振り返ると、バスローブ姿のままの高耶が部屋から出てきた。
たった今起きてきたらしく、寝ぐせのついた髪を掻きむしりながら直江の隣に歩み寄ってくる。

「ああよく寝た」

「……」

海に向かって伸びをする高耶を、直江はじっと見つめる。

「なんで起こしてくんねえんだよ。なんかオレ、腹減ってきちった」

いつもと変わらぬ高耶の様子に、ほっと安堵するのが半分、落胆が半分…。

「すぐにルームサービスを頼みますよ。少し寒いですが、天気もいいですし、このバルコニーで食べましょうか」

「いいな、それ」

「そのままの格好では風邪をひきますから、ちゃんと着替えてきて下さい」

「ああ」

頷くものの、高耶は部屋に戻ろうとはしなかった。
木の手すりにもたれて、冬の海を見つめている。

「なあ、昨日いつの間にここに来たんだ?」

「覚えてないんですか?」

「すっかり酔っちまったからな」

「何にも?」

ああと答える高耶の表情を直江は注意深く窺う。

「オレ、何かしたのか?」

急に不安になったように聞き返す高耶に、直江は「いいえ、何も」と嘘をついた。

「なんだ、おどかすなよ」

高耶は踵を返しかけて、ふと足を止めた。

「なあ、あの部屋、蚊がいるぞ?」

何を言うかと思えば、そんな突拍子もないことだ。

「暖房効いててあったかいだろ? だからまだいるのかな。オレ、ここ刺されたらしい」

高耶が指し示した首筋の赤い痕に、直江はもちろん覚えがある。

「蚊、ですか…」

「まあ、冬の蚊なんて哀れだから、少しくらい血吸わせてやっても文句はないけどな」

尊大な言いざまに、思わず本気の苦笑が漏れた。

「そうですか。それならよかった」

「へ? なにそれ。なんでおまえが“よかった”なんて言うんだ?」

「いいえ、別に。私もちょっと“蚊”に同情してみただけですよ」

「なんだよ、変なやつ」

肩をすくめて部屋へと戻っていく高耶の後姿を見つめながら、たった一夜の儚い奇跡を、直江は独り胸の奥へとしまい込んだ。










●あとがき●
直江がヘタレですみません。いやー、去年のクリスマスは変態プレイ(笑)だったので、今年は甘甘な感じで書きたいなーと思っていたら、甘甘っつうかただのヘタレになってしまいました。最後までやらせてあげたかったけど、でもほら、やっちゃうとさすがに高耶さんも気づいてしまいますしね(本当は高耶さんはすべて覚えているという疑惑も残っているようですが…)。それに、今回、前編?に続くエロのはずなのに、なかなかエロシーンに突入しないし。でも、ホテルのラウンジでお酒を飲む二人を書くのはなんだか楽しかったです。前編のあとがきでも書きましたが、一応、神戸をイメージしています。






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