北京大学

「最高学府」




PEKIN UNIVERSITY。遊丸さんの、所謂母校らしいです。

これは正門(南門)。かなり懐かしいです。







北京大学構内の宿舎。大学の中は凄く広いです。教室に行くにも皆自転車移動です。

基本的に、学生や教職員は全て大学の敷地の中に住んでいます。
中国人の学生は確か4人くらいで一部屋だったと思います。あんまり入ったことはありませんが、狭い部屋に二段ベッドが2つあったと記憶しています。

因みに留学生は金次第(笑)。普通は二人部屋。ベッドは別々で。金さえ払えば一人部屋のクーラー付きという安ホテル並の部屋も借りることができます。







←建校百周年記念会堂。

私が卒業した年がちょうど建校百周年に当りました。その頃はまだ工事中で、今回、出来上がったのを初めて見ました。元はこの場所に図書館があったんですよね、古くても図書館らしい風情があって私はそっちの方が好きだったんですが・・。
掲示板を熱心に見つめる学生たち→
語学試験や何かの資格試験、特別講習、サークルの勧誘など色んな情報が掲示板に貼られています。







北京大学内の本屋さん。ちっさくて雑然としていますが、遊丸さんもかつてよくお世話になりました。

入り口に掲げられているのは「文亦酔人何必酒 書能香我不須花」の文句。「素晴らしい文章は人を酔わせてくれるので酒など要らない、優れた書物はそれだけで芳しくわざわざ花を愛でる必要もない」というような意味でしょうか。一国の最高学府だけあって風流ですね。でも酒は要ると思いますよ酒は(笑)。







ちょっと重い内容。

たまたまですけどね、「日軍侵華罪行流動展覧」という垂れ幕を掲げて、かつての日本軍の中国における残虐な犯罪行為を暴露する路傍展示が催されていました。首だけの死体とか、かなり残酷な写真がたくさん展示されていました。中国人だから、とか、日本人だから、とかではなく、人間として嫌悪するべきものがありました。
←かつての日本軍が用いていた刀。

↓献金箱。こういった展示は日本軍の暴行に遭った人やその遺族の協力で行われているらしいのですが、彼らにかかる費用を皆で少しでも補いましょうという目的らしいです。私も偽善者面で1元入れてきました。こういう事に関しては偽善だろうが何だろうが、誰か辛く大変な思いをしている人が少しでも助かるのならそれが一番だと思います。自分の心の虚偽と真実に悩むなんて本当は贅沢で甘ったれたことなんです、きっと。
学生たちはかなり熱心に展示されていた写真や記事を読んでいました。やはり愛国心があるんでしょうか?

考えてみると、日本人みたいに愛国心が少ない民族?も珍しいような気がするのですが・・。無いこともないんでしょうか?まあ私自身も愛国心なんてほとんど持っていませんし、愛国心が必ずしも良いものだとは思っていませんけれど。「愛着」ならありますね多分。
非難の矛先は過去の日本軍に対してのみならず、現在の日本政府のあり方にも向けられています。

←写真は小泉首相が靖国神社の「鬼(日本で言う‘霊’のことをあまり良くない意味合いを込めてそう言います)」を参拝したことを非難する新聞です。







大学内の雑貨屋さん→
←雑貨屋さんの中。

北大グッズ(笑)を販売してます。Tシャツとかはあんま着たくないですね;;ロゴの入ったノートとかはまあまあなんですが。

今はどうか知りませんが、ここの店員さんってめっちゃくちゃ対応が悪かったんです。呼んでも来ないし、お釣りは投げ銭だし。そうそう、最近は少なくなりましたけど、中国のお店ってお客が自由に品物を手に取って見られない所が多かったんですよ。いちいち店員さんに頼んで取ってもらわなくちゃならないんです。めんどーだし、店員は怖いしで物買うにも一苦労です。







全寮制の大学はひとつの「町」を形成しています。商店だけでなく、郵便局もちゃんとあります。
露天の本屋。
突発的に値下げ本なんかを売る露店が出ることがあります。皆とても熱心に選んでます。
遊丸さんが学生だった時はなかったんですけどね・・。いつの間にかこんなバーが出来てました。窓際にディスプレイされているのは外国のお酒の瓶。そこそこお金を持っている学生でないと入る余裕はないと思われます。
中国人学生専用の公衆浴場。日本とは習慣が違うので多分個室のシャワー室があるだけだと思います。入ったことないので知りませんが。
留学生の宿舎には各階にシャワー室があります。バスタブなんぞありません。







中国人学生用の食堂→

留学生も使えるのですが、留学生には留学生専用の食堂が宿舎1Fにあります。私はたま〜にココで包子(パオズ/肉まん)を買って食べてました。
中に入ったら昔とがらりと変わっていて驚きました。前はもっと各コーナーが雑然としていて、しかも皆順番を待って並ぶということを知らないから、包子ひとつ買うにも死に物狂いだったんですよ?(マジです)。買っても袋とか無いから自分で蓋付のホーローの容器を持参して、その中に食べ物を入れてもらっていました。
今回見てみたらちゃんと使い捨てのパックが用意されていて容器持参の人はほとんどいませんでした。私はMY容器持参も結構嫌いじゃなかったんですけどね。今は大分整然としてました。でも何だかちょっと寂しい。あの「中国パワー」みたいなものも社会の発展とともに薄れていくのかなぁと・・・。







留学生専用宿舎「勺園」。私もここに住んでいたことがあります。留学生はやはり韓国人、日本人が多いです。あとはシンガポール(でもシンガポール人って普通に中国語しゃべれるんだよね・・)とかマレーシア方面、それから欧米、アフリカから来てる人もいます。国の違う留学生同士の会話はもちろん中国語。アメリカ人と中国語で話すってのも何か変な感じですが(笑)。







大学内で渋滞(笑)。校内にタクシーを乗り入れるのは外国人留学生が多いです。

車での出入りは検問が厳しくなります。普通に歩いて門を入る時もたまに止められて、学生証の提示を求められることもあります。今回も用心して昔の学生証を携帯して行ったんですが、呼び止められませんでした(笑)。







大学内にはこんな風景まであります。湖や塔まであります。ちょっとした観光地みたいです。







教室・・と言うよりは研究室がある建物。
院生の授業が行われたり、事務所や教師の控え室なんかがあったりします(多分)。普通の教室棟でも、こういう中国チックな建物は多いです。







たまたまこんな垂れ幕を掲げているところを目撃して激写。日本語を勉強する中国人は結構多いと思います。もちろん、第一は英語ですが。しかし・・この垂れ幕の日本語からしてちょっとあやしいですね;;

非常ーーに余談ですが、外国語をある程度理解するようになるのは決して難しいことではないと思います。しかし、生まれつき(と言うのは語弊がありますが)のバイリンガルでない限り、外国語を母国語と同じように使いこなすことは「ほぼ不可能」だと私は思います。語感というのは確かに培うこともできます。でも、完全な語感を養うのは非常に困難です。例えば、どんなに日本語が達者でも、複雑な表現ができても、幼い頃から日本語ができたという場合を除いて、外国人の日本語は日本人の日本語と絶対に区別がつきますよね?

この垂れ幕の文句にしてもそうです。<第10回・中国の大学生、院生「日本語作文コンクール」>と書かれていますけれども、これだけ短い言葉でも日本人の語感にはこれが流暢な言い回しでないことはごく自然に感じ取れるはずです(私の語感が正しければ、ですが/汗)。もちろん意味は普通に通ります。だけど日本語ではやはり普通はこういう言い方をしないと思うんですよね。何故か?普通は<中国の大学生、院生による日本語作文コンクール>と言うべきではないでしょうか?垂れ幕の文句であっても「による」を省くと、この場合やはり不自然さが拭えません。或いはこれでは字数が多すぎるというのであれば「中国人学生による日本語作文コンクール」としてしまえば良いのです。その方が日本語的には(若しくは日本の慣習的には)よっぽどしっくりします。また或いはどうしても垂れ幕の文句として簡潔さを求めるのであれば「中国の」の「の」まで省くべきです。「中国人学生日本語作文コンクール」、またはどうしても「大学生」「院生」という説明を入れたいのであれば「中国人大学生、院生日本語作文コンクール」。これならましです。要は、「中国人大学生、院生」と「日本語作文コンクール」との間には何の単語も入れないで直接つなげているのに、「中国人」と「大学生、院生」の間には「の」という説明的な助詞を挿入しているという中途半端さが宜しくないわけです。しかもこの場合省略して良い度合いは「による」より「の」の方が明らかに高いはずです。私の感覚ではベストは「中国人学生日本語作文コンクール」ですね。てゆうかですね、そもそもここは中国なんだし、大学なんだから、中国だとか大学生だとか言わんで「日本語作文コンクール」で良いんじゃないかと・・私は思うわけです。

って、どうでも良いですか?(笑)







左の写真:北京大学西門を内側から。み〜んな自転車です。
右の写真:北京大学西門を外側から。通ったもん勝ちの横断歩道。








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