―夏祭り―
「花火の神様」
「うわぁー鋼牙、ありゃあ、犬君先生じゃん?」
蛇骨にそう言われるまでもなく、鋼牙は既に、この祭りでごった返した人ごみの中から二人の姿を見出していた。
「隣にいるのは弥勒だぜぇ・・・あれ、やっぱホントだったんだなぁ」
蛇骨は隣でだんまりの鋼牙を気にすることなく、一人でぺらぺらと喋り捲る。
「あいつら付き合ってんだなぁ。うっわ、あんなにイチャイチャしやがってコンチクショー」
他人事なのに蛇骨は羨ましそうに嘆いた。
それもそのはず。蛇骨はずっと以前から同級の鋼牙に熱を上げていて、その執拗なアタックが功をなしたのか、やっとOKをもらったのは良かったが、夏休みの間だけの期間限定の契約恋愛という条件付だったのだ。
元々、鋼牙は決して同じ高校の人間と付き合おうとはしなかった。
交友関係も派手だし、男女を問わず常に複数の恋人がいると言われていたが、その行動内容は猛鋒の生徒にもほとんど知られておらず、謎に包まれていた。
3年C組の級長にして寮長、そして既に引退したとは言え、水泳部のエースだった鋼牙。
それなのに、弥勒のように優等生の仮面など決して被ろうとはせず、しっかり不良のレッテルを背中に貼り付けたまま学園を闊歩する鋼牙。
不遜な態度。
人を寄せ付けない雰囲気。
一年ダブっているという噂。
その些か冷酷で謎めいた雰囲気がまた、人を惹き付ける魅力となるのだろうか。それに水泳で鍛えられた肉体と整った顔立ちも一役買って、彼を誰もが一目置く存在たらしめていた。
その鋼牙の視線を唯一釘付けにできるのが弥勒なのだということを、見つめられた当の本人は気づいているのかいないのか。弥勒は硬直してしまったようにただ呆然と見つめ返してくるだけ・・・。
弥勒と犬君先生がどういうわけか上手く付き合うようになったことはもちろん鋼牙も知っていた。夏休みに入ってから弥勒がほとんど寮に居ないことも。弥勒がどうやら本気で犬君先生に惚れているらしいこともずっと前から気づいていた。だけど、だからと言ってどうということもない。確かに、弥勒が苦しんでいた時は少しは心配もしたけれど・・・でも結局、誰と付き合おうがあいつの勝手だし、本気だろうが遊びだろうが俺の知ったことじゃない、そう思っていた。実際、弥勒との関係において今はそれが事実だった。
別れてからもう、1年以上経つ。
特定の恋人を大切にするなんて思いつきもしない鋼牙だったし、弥勒も弥勒でかなり奔放な性格だったから、高一の時、一応「付き合っている」という関係になってからも、お互い別段束縛することもなく、対等な関係を保っていた。
・・と、そう思っていたのは鋼牙だけだったのか?
寮の部屋は初めから向かい合わせだったし、付き合ってからは弥勒はずっと鋼牙の部屋に入り浸り、夜もそのまま鋼牙のベッドで寝ていた。好き勝手遊んでいたのはむしろほとんど鋼牙の方で、弥勒はそんな鋼牙の素行を見て見ぬフリをしていたというのが実情だったのかもしれない。
水泳の地方大会で頭角を現していくにつれ、鋼牙の交遊は一層派手なものになった。ちょっとした有名人のようにチヤホヤされ、もちろんそんなことですぐに図に乗る阿呆でもなかったが、よりどりみどりで遊べるのは満更でもなかった。勉強は一向にやる気がしなかったが、スポーツはちょっと本気を出せば他の追随を許さぬほどに上手だったし、その実力に負けぬだけの外見も備えていたし、こっちから声をかけなくたって人間は男女を問わずうじゃうじゃ寄ってきた。
そして・・・いつの間にか弥勒が自分の側から離れていったことに、気づきすらしなかった。
しかし、弥勒がもう自分のものではないと解かってからも、大して傷つくことなく、正直どうでもいいという気がしていた。どちらにしろ、弥勒は目の届くところにいるのだし、弥勒が誰かを抱くならともかく、弥勒のような男を他に抱ける人間はいないと思っていた。そう、いろんな意味で、弥勒のことを抱けるのはどっちにしたって自分ひとりなのだと。誰かが弥勒のものであっても、弥勒は誰のものにもならないと。
だけど、今更のように思い当たりもする。本当は、弥勒がもう自分のものではなくなったのだという事実を未だかつてきちんと受け止めていなかったのかも知れないと。
別れてから弥勒が色んな奴と遊んでいても何とも思わなかったのに、犬君先生に対する弥勒の執着振りを目の当たりにして初めて薄暗い戸惑いを覚える鋼牙だった。
「ねぇ鋼牙ぁ・・・鋼牙ってばぁ!」
蛇骨にシャツを引っ張られて、鋼牙の意識は祭りの夜へと引き戻された。行き交う人々の喧騒や遠く聞こえる太鼓の音・・・そして、その時ひゅるるるるっ・・・と、何かが夜空を上っていく、か細い音がした。
露店の間を縫うように進む人々が皆一斉に、上を見上げる。一瞬の静けさの後にバババババッという花火の爆音が轟いた。
パラパラパラパラ・・・と、光の筋が暗い夜空を明るく染めあげる。
「うわー、綺麗やなぁ・・・」
隣でうっとりと目を輝かせながら蛇骨が呟いた。
少し派手めなマリンブルーの浴衣が良く似合っている。女物・・のようだが、蛇骨が着ると不思議と違和感というものが無かった。時折だらしなく翻る裾も、嫌悪感を抱かせるどころか風流にすら見える。
ひゅるるるるる・・・・ひゅるるるるる・・・・と、今度は続けざまに花火が上がった。
鋼牙は再び弥勒の居る方へ目を向けた。すると、やはりちょうど花火から目を外した弥勒と視線が重なった。何か・・二人にしか解からない何かが、通じたような気がした。
離れた場所から視線を絡ませながら、鋼牙は自分の心の内が熱く燃え上がるのを感じていた。だけど、弥勒は・・・弥勒はどうだろう?不意にそれが知りたくて、試してみたくなる。
「どうか鋼牙がもう少しでも優しくなりますように・・・」
蛇骨が夜空を流れ落ちる花火の残り火に向かって手を合わせている。
「流れ星じゃねえっての」
コツンと蛇骨の頭を小突いた後、鋼牙はその頭を自分の方へと引き寄せた。
「な、鋼牙ぁ・・俺たちも早く土手の方へ行って花火見ようぜ?」
そう強請りながら頭を摺り寄せて来る蛇骨の体に、鋼牙はわざとらしく手を回した。
弥勒は・・・まだこっちを見ている。
「おい蛇骨。花火見んの、止めようか?」
「えーなんでさ?」
ぶっとふくれた蛇骨の耳に唇を寄せ、鋼牙は低い声で囁く。
「だってさ、なんか俺、花火よりかお前のこと見たくなっちった・・・」
「こ、鋼牙?」
「部屋帰って・・・ヤろうぜ?」
「キャッ、もう、やだなー鋼牙ってばぁ!!」
そう言いつつも、蛇骨は嬉しそうにバッと鋼牙に抱きついた。彼は衆人の目というものを気にするような男ではない。鋼牙もそれを承知で煽ったのだ。
周囲の好奇な視線を集めた二人を、遠く離れた場所で立ちすくむ弥勒ももちろん見ていた。
鋼牙も弥勒へと視線を投げる。
そして・・・弥勒の瞳の中に・・微かだけれど、ちろちろと燃える炎を見た・・・・・
「花火の神様って、ホントにいるのかなぁ・・・?」
蛇骨がぽつりと呟いた。
「あ?」
「だってぇ、花火に祈ったらホントに鋼牙が優しくなったんだもーん!」
鋼牙は蛇骨の体に回した手に力を入れ、その体を密着するくらい近くへ引き寄せた。その目は弥勒を見つめたまま・・・。
「花火の、神様か・・・」
カミもホトケも、どんなに慈悲深かろうが、この俺より「力」があるとは思わない。
そんな生温い存在が現実的に何かを確実に変え得る力を持っているなんて信じない。
ひゅるるるる、ひゅるるるる・・・と花火が一層激しく、より華々しく夜空を彩り始めている。
鳴り響く凄まじい爆音の中で、鋼牙は不敵な笑みを弥勒に送りつけると、蛇骨の肩を抱きながらようやく踵を返した。
花火の神様か。
鋼牙は思う。
何かに願をかけたことなど一度もないが、もし・・・もし、今祈るなら、俺は何を祈るだろう・・・
その夜、鋼牙は自分の部屋で蛇骨を抱いた。
毎夜のようにしてきたことだったけれど、蛇骨はいつもよりも少し大きな声で喘ぎ、いつもよりも少し余計に感じているようだった。鋼牙がそれを言うと、蛇骨は「それは鋼牙がいつもより激しいからだよぉ」と言った。
鋼牙は思い出していた。花火が上がり七色に輝く夜空の下で、弥勒の瞳の中に灯った、怒りとも情熱とも取れる微か・・であると同時に確かな、あの炎を。そしてそれは、鋼牙の体を静かに炙り続けた。やがて、それは全身をめぐる血を沸々と沸き立たせていき、その脈打つ血流の中に、鋼牙は、まるで何か忘れてはならぬものを呼び覚ますような、そんな不思議な力を感じていた。
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