(二)失踪







事件は、それから数日経った或る日に起こった。



かごめがまた「てすと」とやらで三日ほど国に帰らねばならないと言い出したため、一行は楓の村へと戻っていた。厳しい旅が続いた後だったので、皆は久々に穏やかな休息の時を過ごしていた。


そんな或る日の長閑な昼。楓の小屋からは昼飯の準備で竈の湯気が上がっている。弥勒は村の衆に頼まれた御祓いを済ませてきたところで、飯の炊ける美味そうな匂いを嗅ぎながら楓の小屋の戸を引いた。


「あれ、法師様、犬夜叉は一緒じゃないの?」珊瑚が意外そうな顔を向ける。

「一緒なわけないじゃないですか。私は御祓いに行ってたんです」

「どこへ行ったんだろうな犬夜叉は・・・さっきから姿が見えんが・・・」楓が囲炉裏に掛けた鍋をかき回しながら呟く。

「・・・ねえ法師様、悪いんだけど、もうすぐお昼ご飯にするから犬夜叉を呼んで来てくれない?」







「犬夜叉ー?犬夜叉ー!どこに居るんだーー」

いつもの森の中、探し人の名を叫ぶ弥勒の姿があった。もっとも、口ではそう叫んでいるが、その目はしっかり樹の上で不貞寝をしている犬夜叉の姿を捉えていた。

「おっかしいなー居ないのかぁー?犬夜叉ーー」

樹の上の犬夜叉は一向に振り返る気配すらない。

「そうか、犬夜叉は居ないのかー。それなら、私はお祓いのお礼の席へ出るとしましょうかねぇー・・・なんでも、ぴちぴちの若いおなごらがわんさか待っているとのことですし・・・」

そう言って弥勒が踵を返すと、シュンシュンと樹の上から何かが飛び降りてくる気配がして、次の瞬間には弥勒の眼前に犬夜叉が突っ立っていた。

「おい・・・」

「居たんですか犬夜叉」

「居たんですかじゃねえ!お前ま〜た女のケツ追っかけに行くのか!?」

目の前でフーフーいきり立つ犬夜叉に弥勒は余裕綽々で微笑みかけると、「冗談に決まってるじゃないですか?お前が全然降りてくる気配がないからそう言ったまでです」しゃあしゃあとそう告げた。

「・・・それに、どこぞやの女の尻を撫でるよりお前の尻を撫でる方がよっぽど楽しいですしね」

そう言いつつさっと尻を撫でる助平法師に、犬夜叉はわなわなと怒りを爆発させそうになるが、「さ、ご飯の時間ですよ?帰りましょう?」とにこやかに言われ、口の中でもぐもぐ文句を言うだけだった。







村へ向かって森の中をしばらく歩いていると、先を歩いていた弥勒が不意に立ち止まった。

「あた・・・」俯きながら歩いていた犬夜叉はドスンとその背中にぶつかる。

「犬夜叉・・・」

「何だよ、急に止まるんじゃねえよ」

「お前、さっき、何をそんなに考え込んでいたんだ?」

「え・・・」

おでこを擦りながら顔を上げる犬夜叉を、弥勒はじっと見つめた。

「何で・・・判ったんだよ?」

「判るに決まってるでしょう?飯の時間にお前が居ないなんて、そうそうあることじゃありません」

「・・・・・」

「お前らしくないな、ひとりで考え込むなんて・・・ま、言いたくなければ無理にとは言いませんが・・・」弥勒は再び踵を返して歩き出そうとする。

と、犬夜叉がその背中にぽつりと声をかけた。


「おめーは・・・」

「?」振り向くと犬夜叉は真顔だった。


「おめーは・・・どうなんだよ弥勒」

「何が、です?」


「だから・・・この前、おめー言っただろ?おめーの前に、俺が・・・その・・・どうだったのかって・・・」犬夜叉は言いながら頬を赤くしている。

「はぁ・・・」

「お前は、どうなんだよ?」

「私ですか?」

「そうだよ・・・」

「知りたいんですか?そんなこと」

「あ、あのなーおめぇが最初に俺に聞いたんだろが!!」

「あはは、そうでしたね」

呑気に笑う弥勒に、犬夜叉は益々気が急いたようだった。「なあ、どうなんだよ!?」

「お前も私を見てれば判るでしょう?」

「・・・・・」

「私がそんな節制のある男に見えますか?」

「見えない」きっぱりと即答する犬夜叉。

「な、何もそうはっきりと言わなくても・・・」

「そんなの判ってる!」

「じゃあ何なんです?判ってるんならいいでしょう?」

「だから、そうじゃなくて・・・おめぇが女とやりたい放題だってのは判るけど・・・」

「・・・・・(やりたい放題って;;)」


「つまり・・・その・・・・・女、じゃなくて・・・男、とは、どうなのか・・・っつうか、その・・・」両手の人差し指を顔の前でつんつんと合わせながら犬夜叉が上目遣いで弥勒を見た。

「ああ、そういうことですか・・・」ふと、表情を和らげ、目を細めて犬夜叉を愛しげに見つめる弥勒。「そんなの、決まってるじゃないですか、犬夜叉・・・」


「み、弥勒・・・・・」幾分瞳を潤ませながら弥勒を見つめる犬夜叉。

「もちろん・・・」

「もちろん・・・?」今度はぐっと身を乗り出して耳を澄ます。



「・・・ありますよ?」


「あ・・・あ、あ、あり?・・・ありますよ???だ、とぉーーー!!?」


「あるに決まってるじゃないですか、そのくらい」

ぷるぷると肩を震わせている犬夜叉に向かって弥勒が駄目押しを与える。



「ひでぇ・・・」

「ひでぇって、言われましても・・・」

「・・・も、いいっ、お前なんか知らねぇ!!」犬夜叉はぷいっと後ろを向くと長い銀髪を揺らして駆け出した。

「こらっ、犬夜叉、お待ちなさい!犬夜叉ー!」







飛び跳ねるようにして去っていく半妖の速度に、人間の足が追いつこうはずもなく・・・犬夜叉はあっという間に見えなくなってしまった。あの様子では大人しく楓の家へ帰るわけはなし。もしかしたら、かごめの国へ行ってしまった可能性もある。犬夜叉の消えたのは丁度骨喰いの井戸がある方向だ。


これじゃあまるで、かごめ様そっくりだな・・・弥勒はそう思って苦笑した。「実家に帰るわよー!」と怒りまくるかごめの顔に犬夜叉の顔が重なる。

しかし笑っている場合でもない。あれでも犬夜叉は結構ねちねちと根に持つ性格だ。弥勒は、昨晩の豪雨で雨露の残る青草に法衣の裾を濡らしながら骨喰いの井戸へと急いだ。


井戸の近くへと来てみると、人の気配はまったく無かった。もしかするともう犬夜叉はかごめの国へ行ってしまったのだろうか?弥勒は犬夜叉の怒った様子を思い出し、胸がちくりと疼いた。・・・かごめには悪いが、不在になったお蔭で二人だけの時間が増えたというのに。何もそんな時に喧嘩しなくたって・・・。

自分が悪いのだろうか?己の無節操を棚に上げて、犬夜叉の過去に嫉妬したから?でも、あれは行為を盛り上げる一種の興奮剤で、あくまで遊戯のつもりだったのに。

もっとも、純粋無垢な犬夜叉のことだ。自分が嫉妬され、現在過去未来の自分のすべてを求められれば、自分も素直に相手にそれを求めていいものだと思ったのだろう。

犬夜叉・・・



弥勒は井戸に駆け寄ると、急いで中を覗き込んだ。もし本当にかごめの所へ行ってしまったのならそこにいるはずもなかったが。


「犬夜叉ー!」

呼べば聞こえるかも知れないと思い、一応呼んでみる。だが、もちろん反応はない。

(イヌヤシャーシャーシャー)と、虚しい自分の声が冷たい井戸の中から跳ね返ってきただけだった。


そうして、もう一度「犬夜叉ーーッ!!」と叫ぼうと、井戸に手を掛け、身を乗り出したその時――――濡れた草に草履を滑らせ・・・


「うわっ、わぁぁーーーーっ!!」



弥勒の体は井戸の底へと呑み込まれていった。








←(一)はじめての・・・ ↑目次 (三)骨喰いの井戸→


2003/01/23 up