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「うわっ、わぁぁーーーーっ!!」
弥勒はふわりと体が浮くのを感じた。宙に放り出されて為す術もなくそのまま重力のままに落ちていく間、犬夜叉の顔が脳裏に浮んだが、それもほんの一瞬で、その後すぐにドスンという鈍い音を聞いた。痛みを感じ出したのは少し経ってからだった。
「たたた・・・」
全身を強く打ち付けた痛みはしばらく我慢しているうちに次第に引いていった。ただ、捻挫したらしい足首だけはどうにもならない。
「参ったな・・・」
思わぬ災難に小さくぼやいてから、弥勒は上を見上げた。ひんやりとした井戸の底から見上げた空は遥かに遠く、四角く切り取られた青色が眩しくて何やら情けない気分になってきた。
犬夜叉はかごめの国へ行ってしまったのだろうか?
それとも、まだその辺に隠れているのだろうか?
後者であることを期待して、叫んでみる。
「犬夜叉ー!犬夜叉ーっ、犬夜叉ー?犬夜叉ぁ・・・」
しかし、返ってきたのは、チュチュン・・・という小鳥のさえずりだけだった。
かごめと犬夜叉が他国と行き来するのに普段から利用しているこの涸れ井戸には、一応、上に上がるための綱は垂れていた。弥勒も普通なら綱を伝って難なく上がれるはずだったが・・・如何せん、足を挫いている。
犬夜叉が戻ってくるまで待つか?
いや、いつ戻ってくるとも知れないし、もしかごめと一緒に戻ってきたら・・・この状況を何と説明すれば?
それに第一、本当に行ったのかどうかも判らないのだ。
「はぁっ・・・」
弥勒はため息をついて、もう一度頭上を見上げてみた。すると・・・
「犬・・夜叉!?」
遥か上の井戸の入り口に小さな人影が見えた。こちらを覗いている。目を凝らすが、逆光のせいでその顔はよく見えない。しかし、弥勒が口に出してその人だろうと思う者の名を呼ぶと、その影はひょいと姿を消してしまった。
「犬夜叉ぁ・・私が悪かった。悪かったから・・頼みますよぉー。足を挫いて動けないんです、助けて下さいー」
じっと上を見上げていると、再びさっきの影が現れた。様子を窺うように井戸の縁に手をかけて、そーっと顔を半分くらい出している。その頭部に二つの小さな犬耳がついているのを認め、弥勒はそれが犬夜叉だと確信した。
「犬夜叉ぁ・・もぅ許してくれよー・・何も、そんなに怒らなくたっていいだろう・・?俺が今まで誰と何をしていようと、今愛してるのはお前だけなんだから・・・」
口調を変えて言ってみるが、上からこちらを見下ろしている“犬夜叉”は、耳をぴくんぴくん言わせているだけで、全然助けに来てくれそうな気配は無い。
(ちっ、相当怒ってるな、犬夜叉の奴・・・)
しばらくすると“犬夜叉”はまたどこかへ行ってしまい、弥勒は仕方なく自力で上ることにした。
(ちくしょう犬夜叉の解からず屋が。上に上がったらよーくその体に解からせてやるから覚悟しとけ!)
捻挫した足を庇いながら綱を頼りにごつごつした井戸の壁をよじ登って行くと・・・不意に足がふっと軽くなった。?と首を傾げていると、どうやら上から綱が引っ張られているらしい。弥勒はよじ登るのが随分と楽になった。
(何だ、そこに居たのか・・・強情だけど、結構優しいんだよな犬夜叉って・・・)
やっとのことで井戸の縁に手を掛け、片足で踏ん張って胴体を井戸の外へと持ち上げた。
「あれ、犬夜叉?」
辿り着いた外の世界には犬夜叉の姿は見えなかった。弥勒は井戸の外に転がり出るなりきょろきょろと辺りを見回したが、やはり犬夜叉は居ない。
「・・・・・」
変だな、と感じたその時。背後から視線を感じて振り返った。
凝らした視界の中で、木々の葉をさらさら・・と撫でながら風が通り抜けていった。誰も居ない・・・一瞬そう思いそうになったが―――見つけた。弥勒は木の陰から犬耳がひとつ覗いているのを見つけた。
(頭隠して“耳”隠さず、だな)
弥勒は忍び足で隠れてるつもりらしい犬夜叉に近づいていった。
が、ふと気づく。
何かおかしい。
低い。・・・犬耳が木の幹から覗いている位置が明らかに低い。弥勒の腰よりももっと下だ。
それから、小さい。・・・犬耳自体、ちょっと小さいような気がするのは気のせいか?
変だ・・・そう思い、「犬夜叉?」と恐る恐る声をかけてみる。
すると、木の陰に潜んでいたその犬耳がぴくんぴくんと揺れたかと思うと、幹にかけた小さな手の横からおずおずと少しずつ小さな顔が現れ、金色の瞳が弥勒を見上げた。
「おじちゃん、おれのこと知ってんの?」
「・・・お、お前・・・犬夜叉、か?」
2003/01/25 up