雲隠れ





外伝其二











愛ノ無イ快楽デ壊シテクレ。
















雨に濡れた葉が夜風に吹かれ、バサバサと派手な音を立てて舞い落ちる・・・そんな夜の森を弥勒は一人で歩いていた。

落ち葉を踏みしめると、草履にじわりと水が滲みてくる。雨で濡れた袈裟など重たくて鬱陶しいだけだ。漆黒の法衣すら脱ぎ捨てたい気分だったが、それはどうかと思いとどまり、少し肌蹴た胸元はそのままに村へと急いだ。




体の内側はまだ火照っていた。




生まれた時から過酷な運命を背負ってきたから、自分自身を見据えることには慣れている、そう思っていた。でも・・・今の自分は、それを恐れているのかも知れない。いや、恐れているということすら認識したくない、無意識にそう思っているのかも知れない。




だから、無我夢中にアイツを抱いてしまう。




奈落がこの世から消滅して後、弥勒を取り巻く関係は微妙に変化しつつあった。

それ以前は奈落を倒すという共通の目的を廻って闘ったり旅をしたりしていくうちに自然と「和」が形づくられ、流れていく時間の中で時に互いを思いやり、時に喧嘩を交え、また時には愛し合い・・ずっとそんな風に歩んできた。


しかしいざ、皆の願いが達成されると、そこで時がぱたりと止まってしまった。

それまで同じ方向を向いていた弥勒たちは、見つめるべき方向を失くし、その結果、「互い」を見つめ合うことになった。



―――自分たちはこれからどうするのか、どうしたいのか。



皆が望んだ平穏な時と自由な未来がそこにあるはずだった・・・・・が、一体何の可能性があると言うのだ、男同士で惹かれあった自分と犬夜叉に。

荊の道だということは初めから解かっていた。

それでも愛さずにはいられないから愛した。



犬夜叉も・・・本当は解かっているのだろう、このままじゃいけないのだということを。だから、何も語らずただ荒々しく体を求める自分の背中に強く爪を立て、離れまいと・・不安を打ち消そうとするかのように、ただただ与えられる快楽を貪っているのだろう。



そして、そんな風に激しく求め合えば求め合うほど、弥勒には、逆に何か大切なものが遠ざかっていくように思えた。





こんなんじゃなかった。

こんなんじゃなかったのに、以前は。


どんなに少しの時間でもいい、どんなに辛い旅の途中でもいい、仲間の目をかい潜って静かな夜にひっそりと抱き合い、囁き合えば、全てを共有できた。震える吐息を押し殺して濡れた瞳で頷き合えば、身も心もひとつになれた。右手の風穴がやがて広がり自分を呑み込んでしまうであろう運命すら、犬夜叉は一緒に背負ってくれた。

そして、そんな犬夜叉を悲しませたくないと・・生きたいと・・思った。

歓喜も辛苦も安息も絶頂も、全て犬夜叉とともにあった。





弥勒は歩きながらふと右手を持ち上げて見た。

雨はまだ止んでいなかったが、頭上の雲は強い風に流され、月が僅かに薄明かりを覗かせている。翳した手の甲に雨の雫が光った。空洞でない、血の通った手の平はもう夜風を通して寒々しい音を立てることも無い。


それなのに、一番欲しいものだけどうしてこの手をすり抜けていくのだろう・・・


ギュッとその手を握り締めた時、前方に見えてきた小屋の軒下に立っているかごめの姿が見えた。










村人の親切で、弥勒たちには楓の家からさほど離れていない小屋が一軒与えられていた。

琥珀も戻ってきた今、皆が楓の一人住まいの小屋で寝るわけにもいかなかった。小屋のすぐ脇には更に小さい納屋があり、珊瑚姉弟とかごめは小奇麗な小屋で、男二人は納屋で寝ることにしていた。もっとも、別々の小屋とは言え、質素な造りであるし、会話も聞こえるくらい隣接して建っていた。

だから、そこでは「やらない」というのが暗黙のうちに弥勒と犬夜叉の間の約束事になっていた。





互いの顔が見えるくらいに近づくと、かごめの視線が着崩れた法衣の襟元にあることに気づいた。が、そのままにしておくわけにもいかず、弥勒は痛い視線を浴びながら肌蹴た胸元を引き合わせた。

首筋から胸元にかけて爪や歯の痕が幾つも紅く腫れあがっている。目が合い、思わずにっこりと、いつものあの外面だけの笑みを向けた・・・



「・・・・・・」



双方、言葉は出なかった。

かごめは複雑な面持ちで見つめ返してきたが、弥勒の笑顔にやがて少しだけ笑みを返すと、黙ったままその場を離れて歩き出す。

皆が寝ている小屋から声が聞こえないくらい離れると、かごめは後をつけて来た弥勒を振り返り、背後の樹に寄り掛かった。こういう時、やはりかごめは強いと思う。張り詰めた空気に耐え切れず先に口を開いたのは弥勒だった。



「皆は、寝ているのですか?」



かごめは無表情に答える。

「珊瑚ちゃんたちは寝てる。犬夜叉は・・・さっき納屋を覗いて見たけど、寝てる・・・・・・フリをしてた」



意味深に響かせた言葉尻に、弥勒の口元に浮かんでいた微笑は苦々しく歪み、落ちるようにフッと掻き消えた。



一人ずつ外へ出て、示し合わせた場所で逢い、そこで到底口には出せぬような淫猥な男同士の行為に及び、再び一人ずつ納屋に戻る・・・かごめは全部知っているのだろう。

そう思うと、堪らなかった。今夜だってついさっきまで犬夜叉と体を繋げていた男と向かい合っている・・・或いは向かい合う決心をしたかごめの心中を察すると、喩えようも無く胸が苦しかった。

もっとも、それはむしろ・・・同情と言うより、かごめを怖れているからなのかも知れなかったが。



弥勒の動揺に対して激昂するでもなく、かごめは静かに続ける。

「犬夜叉って・・・性格ひねくれてるし、優柔不断なとこあるし、がさつだし、ぶっきらぼうだし、鈍感だし、おまけに怒りっぽいし、どうしようもなくバカだし・・・」


「・・・・・・」


「・・・だけど・・・本当は、人一倍頑張り屋で、ものすごく優しい・・・」

それまで淡々としていたかごめの声が、犬夜叉の長所を語り始めた途端に微かな熱を帯びて震え出した。

「・・・犬夜叉のことよく知ってる人ならみんな犬夜叉のこと好きになっちゃうよね?」


「・・・・・・」


「犬夜叉と弥勒様って、傍から見てても何か・・・他人には割って入れないような固い絆があるみたいで・・・女のあたしには解からないかも知れないけれど、男同士の友情っていうのかな?・・・お互い信頼し合って、認め合って・・・そんな風に仲が良いから・・・何でも解かり合えるから・・・」



「・・・何が、言いたいのですか?」



「だから・・・その延長上に、ちょっとだけ・・普通以上のものがあったとしても・・・」

最後は流石に言いにくいのか、声が一段と小さくなった。



信頼し合って認め合った延長上に犬夜叉への想いがあることは確かにその通りだったが、この気持ちを「普通以上に仲が良い」で片付けれられるのは耐えられなかった。

たとえ、もう以前のようにひたすら同じ未来だけを見つめて愛し合うことができないとしても、この感情はそんなに安っぽいものじゃない。



「かごめ様・・・生憎ですが、私はそんな・・・“観念的”で“崇高”な感情を抱いているわけじゃありません」


「・・・・・・」


「私が好きなのは・・・もっと・・・現実的で、実体のある犬夜叉そのものであって・・・犬夜叉の、内面も・・・その・・体もすべて――――」



「解かってる!」


突然叫んだかごめを驚いて見ると、俯いたまま、拳を固く握り締めていた。

「解かってる・・・解かってるわよ・・・・・・だけどっ・・・」

意を決したように顔をキッと上げると、大粒の涙がぽろぽろと流れ落ちるのも構わず、かごめは真っ直ぐに見つめ返してくる。



「・・・犬夜叉のこと、本当に幸せにしてあげられるのは、弥勒様じゃない・・・・・・あたしなの」



「・・・・・・」





遠ざかって行くかごめの後姿を見つめながら、弥勒はこのまま反論しなければ多分一生後悔するだろうと頭の片隅で解かっていたのに、何も、言い返せなかった。










納屋の戸を引いて中へ入ると、犬夜叉はいつものように藁の上で膝を抱えた格好で横になっていた。

寝ているわけはない。かごめと自分が外で何か話して来たことは気配や匂いで分かっているはずだった。けれど、弥勒も知らぬふりで傍らに敷かれた自分の粗末な布団へと足を向けた。

が、犬夜叉の脇を通った時、不意に法衣の裾を捕まれた。瞳を落とすと、犬夜叉は蹲ったまま手だけを強く握っている。



何を話してきたんだ。



無言の言葉が投げかけられたが、何も話したくなかった。やんわりと犬夜叉の手を振り解こうと裾を引くと、逆に強い力で引き返され、弥勒は体勢を崩して藁の中に倒れ込んだ。下にいる犬夜叉を庇うように両肘をつくと、自然と顔と顔をつき合わせる形になり・・・。



目の前の無表情が、どんなに悲しげな表情よりも酷く痛かった。

悪戯っぽく笑い合うことも出来ない。胸の内に広がる靄をぶつけて怒り出すこともできない。



二人に残されたのは、肉体の欲求だけなのか?

・・・犬夜叉が弥勒の首に腕を絡ませると、二人はどちらからともなく唇を貪り合った。堰を切ったように、それまでこの納屋では謹んできた行為に溺れた。弥勒は犬夜叉の袷を乱暴に掻き開き、唇から喉、喉から胸へと唇を這わせ、先刻付けたばかりの情事の痕に新たな情事の痕を重ねていく・・・・・・


いつにも増して性急な愛撫だった。藁の擦れる音と、湿めり気を帯びた二つの激しい吐息と、体を打ち付ける濡れた音が交ざり合って、雨上がりの闇に吸い込まれていく。


やがて、隣の小屋で戸が閉まる音が聞こえた。・・・言わずとも、犬夜叉もかごめが納屋の外に居たことはずっと感じていただろう。しかし、それさえも興奮を高める材料であるかのように、弥勒は更に激しく腰を突き上げ、犬夜叉は一層高い嬌声を上げた。





『犬夜叉のこと、本当に幸せにしてあげられるのは、弥勒様じゃない・・・・・・』



許されぬ行為であるということが、今更ながらに弥勒の胸を締め付ける。



『犬夜叉のこと、本当に幸せにしてあげられるのは、弥勒様じゃない・・・・・・』



重ねてきた想いは、所詮不毛なものだったのか。



『犬夜叉のこと、本当に幸せにしてあげられるのは、弥勒様じゃない・・・・・・』



解かってる。俺だって、解かってる。
半妖として生まれ、人間になる機会を失った。犬夜叉にとってはそれが全ての不幸の元凶。

もし、今度こそ人間になると言うのであれば、一人の人間として、一個の男として、普通に幸せになるべきなのだろう。
かつて、あの桔梗が得ようとして得られなかった分まで。





これまで幾度と無く抱いてきたその体を、どれだけ強く抱き締めても、どれだけ深く穿っても・・・弥勒には、もう何も見えなかった。そこにあったはずの未来も、幸せも。



・・・二人で一緒に見れるなら、いっそ悪夢でも構わない。

だけど・・・何も、見えない―――すぐ目の前で喘ぐ愛しい者さえも。





もう、終わりだ・・・

誰か、俺を壊してくれ。





そうしないと・・・大切な人の幸せさえ、壊してしまいそうだから・・・・・・















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