四万十・宇和島・宿毛チャリツアー

〜仰木隊長も駆けた激戦区を巡る

前 編




◆旅行日:2014年5月18日〜5月20日

◆行程:
※下線はミラージュスポット(一部推定含む)
※グレー文字は中編/後編にて

◇5月18日:
成田空港→(ジェットスターGK401)→松山空港→(空港リムジンバス)→松山市駅前→(宇和島バス)→宇和島駅前→(徒歩)→とみや(昼食)→(徒歩)→宇和島市観光協会→(レンタサイクル)→宇和島城→(レンタサイクル)→天赦園→(レンタサイクル)→宇和島駅→(JR予土線)→江川崎駅→(徒歩)→ホテル星羅四万十(宿泊)

◇5月19日:
ホテル星羅四万十→(徒歩)→四万十 川の駅 カヌー館→(レンタサイクル)→岩間、口屋内、勝間、高瀬、三里、佐田の各沈下橋→(レンタサイクル)→中村城址・為松公園・四万十市立郷土資料館→(レンタサイクル)→一條神社→(レンタサイクル)→四万十市観光協会→(徒歩)→ホテルココモ(チェックイン)→(徒歩)→物産館サンリバー四万十→(徒歩)→味劇場ちか(夕食)→(徒歩)→ホテルココモ(宿泊)

◇5月20日:
ホテルココモ→(徒歩)→中村駅→(土佐くろしお鉄道)→宿毛駅・駅内観光協会→(レンタサイクル)→宿毛市営野球場→(レンタサイクル)→片島港→(レンタサイクル)→咸陽島公園→(レンタサイクル)→国民宿舎 椰子→(レンタサイクル)→道の駅 すくもサニーサイドパーク(昼食)→(レンタサイクル)→宿毛駅前→(宇和島バス)→宇和島バスセンター→(宇和島バス)→道後→(徒歩)→道後温泉本館→(徒歩)→道後温泉駅前→(空港リムジンバス)→松山空港→(ジェットスターGK404)→成田空港

◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




四国編をこよなく愛する私にとって、四万十の地を踏むことは夢でした。

相方も清流・四万十川には興味津々で、二年ほど前から行こう行こうと話してはいたものの、なかなか実行に移せず…。

しかし、今年こそはと、計画を立てましたよ。季節は緑輝く五月、GW後、入梅前という絶好の時期。
四国の南西部には空港がない為、遠方からは非常にアクセスしづらく、おまけに電車やバス等の本数も少ないため、車を使わない私たちにとっては難所です。

まあ、ミラージュツアーでは毎度のことなので、もう慣れましたけど…。

左の写真は、北アルプスでしょうか、南アルプスでしょうか。雪を被った山並みがくっきりと見えます。天気予報は直前になって二転三転しましたが、最初の二日間は何とか持ちそうです。
本当は高知空港を使えば、四万十方面へも、まだ多少行きやすかったのだと思いますが(距離的には、松山からでも高知からでもたぶん同じくらい)、貧乏旅専門の私たちが使うのは当然ジェットスターなので、先ずは松山空港から四国入り。


今回は、とにかく「四万十に行きたい」というのが旅の発端。もちろんミラツアではあるのですが、四万十川流域って、伊達との度重なる激しい攻防において舞台になった割には、山河ばかりの地域なので、出てくるのはほぼ地名・山名ばかりで、具体的に細かく検証できそうな場所ってあまり無いんですよね(市街地の中村は別として)。

なので、今回はもう、仰木隊長の治める四万十地域を、その美しい自然を思い切り楽しもう!というのを一番の目的に据えました。

では、その四万十を如何に楽しむか。カヌー、ラフティング、屋形船など色々ありますが、私たちが選んだのはチャリンコ。ネットで色々調べたところ、江川崎から中村までの間にはいくつかレンタサイクルの拠点があり、好きな場所で借り、好きな場所で戻せるというシステムのようで、これを利用しない手はありません。江川崎から中村までは標準で4〜5時間、途中で川遊びすれば、一日たっぷり四万十川の中下流域を堪能できます。しかも、江川崎→中村の方向で移動すれば、道はゆるやかな下りなので、長距離でも比較的ラクなはず。

と言うわけで、真ん中の二日目は江川崎〜中村間のサイクリングに決定。アクセスしづらい場所なので、前後の日はほぼ移動に費やすつもり…だったのですが、いざ移動の算段を立てていると、行きは宇和島で乗換の時間が発生し、帰りは宿毛を経由するのが好都合であることがわかり…。宇和島も宿毛も四国編の舞台になった場所じゃ…。

結局、この旅もがっつりとミラツアになってしまった次第です。

なお、江川崎より上流では、蛇行する四万十川に沿って予土線が走っており、沿線には十和、十川、大正、窪川などのミラージュファンにとっては思い出深い場所があります。今回は時間がない為、上流地域は行きませんが、そのうち必ず攻略したいと思います。


さて、この日は江川崎まで移動しなくてはならないため、飛行機の到着が少しでも遅れたら、後の予定が大幅に狂うとビクビクしていたのですが(結構毎回これでハラハラする)、朝8時5分に成田空港を発った飛行機は、ほぼ定刻通りに松山空港に到着。

9時55分、予定していたのより1本早いリムジンバスに乗ることができました。

松山空港と言えば、28巻で拉致された高耶さんを取り戻すため、直江が無謀とも言える追跡をした場所ですが、行きは時間がないため、詳しくは帰りの際に。

写真は、バスで通過したJR松山駅前。松山と言うと、四国の中では割と都会かと思っていたので、駅前にレトロな建物があってびっくり。
バスはJR松山駅を過ぎ、松山城の南を通って、松山市駅へ向かいます。

画面左の方が松山城。

松山も路面電車の街なんですよね。道後温泉に行く坊ちゃん電車とか有名ですね。
松山空港から20分ほどで松山市駅前に到着。

松山は空港が市街地に近くていいですね。道後温泉もすごく近いし、LCCが就航するのも頷けます。

リムジンバスの停留所は松山市駅の向かい側。道路を渡り、駅ビルの中にある「いよてつチケットセンター」で、宇和島行きの高速バスのチケットを購入します。
帰りも宇和島を経由することになるので、割安の往復チケット(1名2,850円)を購入。

宇和島までJRの特急を使った方が速いんですけどね…、如何せんJRは高い(片道2,990円)のでバスを利用します。

無事、10時45分松山市駅前発の宇和島行き高速バスに乗車。

写真は、宇和島駅前到着間近に、須賀川を渡る(画面右から左へ)ところ。こんもりした写真中央奥の山の麓に和霊神社があります。
須賀川の南側へ回って間もなく、和霊神社の鳥居が見えてきました。

この和霊神社は、宇和島決戦の後、講和協議が行われる予定だった場所です(実際には高耶さんはここへ向かう途中で晃焔に拉致され舞台は高野山へ)。

今回は和霊神社まで回る時間は残念ながらありません。車窓から見られただけラッキー。

この鳥居の向こう側が和霊公園という公園になっていて、その更に向こう側に須賀川、須賀川に架かる神幸橋(みゆきはし)という太鼓橋を渡ると和霊神社の社殿があります。
12時50分頃、数分遅れで宇和島駅前に到着。

宇和島決戦の最中、晃焔がここを訪れるシーンがありました。

<結界内に突入した晃焔たちの車は、たちまち故障して動かなくなった。宇和島は異世界と化している。(略)「おまえたちは除霊にあたれ。この結界を打ち破って死霊の親玉を退治する!」 駅前に車を捨て、晃焔は宇和島城目指して走り出した>(28巻『怨讐の門 破壌編』62ページ)


宇和島を回る前に、先ずは地図を確認してみましょう。

赤字はミラージュスポット(推定含む)。緑字の「とみや」は昼食を食べたお店。宇和島バスセンターは、3日目の帰路でバスを乗り換えた場所です。

オレンジ色の線は、松山からの高速バスが通った道。前述の通り、須賀川を越え、和霊公園の南側を通っています。

黄色い線と黄緑色の線は、レンタサイクルで宇和島城と天赦園を回った際に通った道(黄緑色は帰路)。

宇和島病院は、28巻『怨讐の門 破壌編』の中で、伊達政宗と小次郎が運び込まれた病院かと推測されます。特に判断材料もないのですが、宇和島で大きな病院と言えばここだと思いますので。今回立ち寄ってはいませんが、天赦園からその大きな建物が見えました。また、帰路のバスは宇和島病院を経由していますので車窓から見ることができました。

この宇和島病院には高耶さんも見舞いに訪れています。高耶さんはその足で赤鯨衆の幹部が集結している天赦園へ向かい、更に天赦園から講和協議の行われる和霊神社に向けて、早田の運転するジープで辰野川沿いの細道を走っている最中、晃焔に拉致されたのでした(28巻102ページ〜)。

辰野川沿いの細道は、この日、通ろうと思えばいくらでも通れたはずなんですが…、実はうっかりこのシーンを見落としていまして…。大失態。でもどの道、和霊神社も行けていませんし、宇和島は要リベンジということですね。

この宇和島では、2時間半強の時間があります。その間に宇和島城と天赦園を見学する予定…ですが、先ずはお昼ですね。


宇和島と言えば、「鯛めし」です。駅から数分のところにある「鯛めし」で有名なお店に向かいます。
駅前商店街には、牛鬼のお面が飾られていました。

宇和島は牛鬼の街なんですね。牛鬼の伝説は各地にありますが、この地域の牛鬼は、顔が龍で体が鯨なんだとか。毎年7月に開催される牛鬼まつりはなかなかの迫力だそうで。

しかし、ミラージュファンからすると、牛鬼にはどうも哀しいイメージが…。
「とみや」さんに到着。
鯛めし定食、1,300円を注文。


鯛めしと言うと、鯛の炊き込みご飯的なものを想像する方も多いかと思いますが、宇和島の鯛めしは、鯛のお刺身をタレや卵、薬味等と混ぜてご飯にかけたものです。
卵のまろやかさと爽やかな薬味が加わって、なかなかの美味。

他には、鯛のあら煮や、豆腐のデザート(あんこが乗っている)等が付いています。

酢味噌の付いた湯引きは、鯛の身かと思いきや、フカ(鮫)だった模様。
13時30分頃、一旦、駅前に戻って来ました。


宇和島城と天赦園は、徒歩でも回れないことはないのですが、宇和島発江川崎行きの電車の時間は15時37分。2時間で回るには、宇和島城の山道を考えるとちょっとキツイ…ということで、レンタサイクルを借りることに。
駅前のレンタカー営業所で借りることができます(取扱いは宇和島市観光協会)。1時間100円という良心的な価格で、事前予約も可能でしたので、私たちは予約して行きました。

↑の写真で、カゴにリュックを入れてみましたが、重すぎてハンドルを取られるため、リュックは結局背負ったまま出発。それでも乗りやすい自転車で快適快適。

前方の小高い山の上に、小さな天守閣が見えてきました。
13時47分、宇和島城の登り口、「桑折(こおり)氏武家長屋門」に到着。

こちらの門は、昭和27年に移築されたものだそうです。

宇和島城への登り口は、この反対側(南側)にもう一つあり、そちらに建っている「上り立ち門」は宇和島城の数少ない遺構の一つだそうです。
長屋門の前に自転車を停めさせてもらい、いざ登城。


門の写真を撮っていたら、おじいちゃんたちがカメラ目線に(笑)。

ここに来るまでの間も、地図を見ていたら、地元の方らしきおばさんが話しかけてきてくれたり、宇和島の人は気さくで明るい方が多いのでしょうか。
門を抜けると、趣のある石段が山の上へと続いています。


宇和島城の地図です。

本丸跡に建つ天守は何度か登場しましたね。

そのすぐ下にある二の丸は、名前は出てきていませんが、作中の記述から想像するに、恐らくはここに裂命星砲が設置されていたのではないかと思われます。

二の丸の少し下には、郷土館があり、古い日用品などを展示しているそうなのですが、今回は時間が無い為、立ち寄りません。

本当なら、長屋門から入って、上り立ち門から出ると、山の全体の様子がわかって良かったと思うのですが、自転車を停めての入山ですので、上り立ち門へは行かず、長屋門へと戻りました。
とても街中にあるとは思えないような原生林が生い茂っています。


とても立派な原生林ですが、宇和島決戦では山火事を起こしたという記述がありました(28巻74ページ)。
頭上に生い茂る木々で、周囲は鬱蒼としています。足下にはシダやコケ類も。


それにしても、この石段、結構キツイ…。
まだまだ続きます。
頭上が明るくなると、高い石垣の上に、天守らしい屋根が見えてきました。
石垣の脇の石段を登り、振り返ると…
立派な石垣の上に、可愛らしい天守の姿が。

今登って来た、この位置が二の丸です。

<追いすがる小十郎の声を背に受けながら、政宗は砲台が設置された北の曲輪へとやってきた>(28巻『怨讐の門 破壌編』45ページ)

戦の最中、弟の小次郎に裂命星砲の使用を懇願され、政宗が砲台へと向かうシーン。裂命星砲が設置されている場所は、「北の曲輪」とだけ書かれています。本丸のすぐ北側であれば、この二の丸ですが、城内には現在の郷土館のある辺りにも曲輪跡があるんですね。よって、これだけでは、裂命星砲が据えられたのはどちらとも判断しかねますが、終戦後に次のような記述があります。
<急な城山の坂道を駆け上がってきた潮は、息を切らしながら問いかけた。(略) 「伊達の新型兵器っていうのは!」 「そこにある」 いま駆け上がってきた本丸下の広場に、黒い鉄の残骸が無残な姿を晒している>(28巻『怨讐の門 破壌編』78ページ)

潮は、本丸跡まで駆け上り、そこから「本丸下の広場」にある裂命星砲の残骸を見ています。

こちらの写真は、二の丸から本丸の方を向いて。本丸に上がる最後の石段があります(潮は坂道を駆け上がったとありますが、実際には石段です)。
そして、石段の上から二の丸を見下ろした写真がこちら。

郷土館の辺りの曲輪は、二の丸より更に北の少し下がったところにあり、木々が鬱蒼としているため、本丸からは見ることができません。

なので、裂命星砲が置かれたのは、やはりこの二の丸かと推測されます。宇和島湾と、その裂命星砲によって崩されたという久島の姿も見ることができます(宇和島湾についてはまた後ほど)。
本丸跡は広場になっていて、その奥にこじんまりとした天守が佇んでいます。
宇和島城の天守は、現存十二天守のうちの一つに数えられています。

小さくとも、均整の取れた美しい形をしていますね。

本丸跡には桜の木が植えられていて、小さな実がたくさん成っていました。花の季節はさぞきれいでしょう。
<天守閣は崩壊している。その瓦礫と化した天守閣を背にして、伊達政宗は待っていた。壮絶な姿だった。腰から大量の流血をしながら、よろめきひとつせずに屹立している>(28巻『怨讐の門 破壌編』74ページ)

宇和島決戦に敗れた政宗らが、赤鯨衆を自城に迎え入れるシーンです。

仙台の青葉城を思い出します。でも、あの時は高耶さんとは手を取り合って戦ったんですよね。高耶さんも上杉だったし。
古巣の仙台を追われ、この宇和島でまた赤鯨衆に敗れた政宗公の心中を思うと、やり切れないですね。それを充分わかった上で戦わなくてはならなかった高耶さんもどれだけ辛かったか。

肩書きも背負うものも何もなければ、友のような関係でいられたのでしょうけれど。

こちらの写真は、天守の石段を登ったところから本丸広場を見下ろして。
物語の順序は前後しますが、宇和島決戦の前にも宇和島城は何度か作中に出てきました。

<宇和島城の玄関をあがるなり、政宗は振り返り、城いっぱいに轟くように叫んだ。「出陣だ! 土佐の雑兵どもに伊達政宗の真の力見せてくれる! 出陣の下知じゃ! 出陣の支度を!」>(27巻『怨讐の門 黄壌編』161ページ)

宇和島決戦の直前、四万十・鷹の巣の戦で成実が戦死したことを受け、政宗が奮起するシーンです。

こじんまりとしたお城なので、「玄関」という言葉も違和感ないですね。
宇和島城は三層構造。昔のままのお城ですから、階段はかなり急です。

こちらの写真は一階部分。

宇和島城は、織田方の山中鹿之介と長秀が政宗と面会した場所でもありました。

<宇和島城の冷たい板敷きの広間で、鹿之介は戦国風の作法を見事に通して政宗に申し出た。――土佐の雑兵退治。我らと力を合わせれば、利は伊達殿にあり。手を組みませぬか>(23巻『怨讐の門 青海編』191ページ)
また、25巻では、捕虜になった永吉がこの宇和島城に連れてこられています。

<この日、宇和島城に永吉は連れてこられた。政宗自らが尋問を行うというのである。後ろ手にぎゅうぎゅうに縄で縛られた永吉は、伊達の重臣の前に出されてももうここがどこかも分からないほど深い酩酊状態にあった>(25巻『怨讐の門 白雷編』132ページ)

朦朧とした永吉の口から、四万十部隊を率いている赤眼の男が上杉景虎であることが告げられ、政宗らは衝撃を受けました。

こちらの写真は二階部分。
最上階の三階に上ってきました。

宇和島決戦の際に、政宗らが宇和島湾の戦況を見守り、指示を出していたのは、恐らくこの最上階でしょう。

ここからは宇和島湾方面を一望することができます。


まあ実際には、宇和島湾と言うより、久島よりこちら側の宇和島港周辺が見えるだけではありますが…。赤鯨衆の安宅船が新内港に侵入し、宇和島城を砲撃し始めた時、小次郎に乗り移った信長の手によって裂命星砲が撃たれたのでした。

<船体が割れるような轟音とともに、宇和島城から巨大な火球が放たれた。(略) 彗星が落ちてきたかと思うほどの巨大な火球が高耶たちの頭を越えて、真西へと走る。地を割る轟音と共に、久島の鳥屋ヶ森の山頂が吹っ飛んだ>(28巻『怨讐の門 破壌編』52ページ)

火球は久島の山頂を抉った後、宇和島湾口で戦っている村上・室戸両水軍を一瞬のうちに焼いたのでした。このアングルでその弾道を想像すると、裂命星砲の威力の凄まじさがよくわかります。


宇和島決戦に登場した地名と、赤鯨衆の進路(推定)を地図に落としてみました(宇和島湾周辺のみ)。緑のラインは伊達軍の防衛ライン。赤鯨衆の船団は大小島のある「ふぶしの瀬戸」を突破し、湾口の防衛ラインで待ち受けていた村上水軍と激戦を繰り広げながら高島の北に進路を取り、久島の南北両側から宇和島港へと入っていったものと思われます。その間、海を割ったり、安宅船が潜水したり、裂命星砲がぶっ放されたりと、凄まじい戦況でした…。何か、四国編以降、鬼八の力を得たからか、高耶さんの戦いっぷりは人間離れしていますね。既に信長よりはるかに強いような気もしてしまいます。

こちらは、宇和島城天守から北の方角を見て。


赤い矢印のところが宇和島駅。
こちらは南の方角。


赤い矢印の緑がこんもりしているところが天赦園。
そして、東の方角。

この中に高月山と鬼が城山があるはずなのですが…、どれなのかよくわかりません。

両山は、赤鯨衆の陸上部隊が攻め込んだ場所でした。

<一方、陸上でも戦は始まっている。こちらの使命は、宇和島を見下ろす高月・鬼が城両山を取ることだ。斐川左馬助率いる四万十軍と、安芸国虎の一条軍とが二手から攻め入る>(27巻『怨讐の門 黄壌編』226ページ)
去り際、二の丸付近で、白いタンポポが咲いているのを見かけました。


西日本では比較的よく見られるそうですね。白いタンポポは、在来種だそうです。
こちらは登り口付近の石垣に咲いていた花。

ランの一種でしょうか? 植生が豊かなんでしょうね。

さて、時刻は、14時24分。宇和島城に登って降りてくるまで40分弱かかりました。

次は、天赦園へ向かいます。
宇和島城のある山の南側をぐるりと回るように走る国道56号沿いで鳥居を発見。

和霊神社と書いてあります。ん? 和霊神社?

こちらは、「丸之内和霊神社」だそうです。宇和島決戦の講和協議が開かれる予定だったのは、さっきバスの中から見た和霊神社で間違いないかと。
更にその少し先に行くと、前述の「上り立ち門」が。
宇和島城の桑折氏武家長屋門から、自転車で10分ほどで天赦園に到着。
入口がちょっとわかりにくいですが、細い道の奥に天赦園の入口があります。
こちらは、入園してから入口の方を振り返って撮影。


画面右側の小さな建物が料金所。


料金所付近にあった案内図です。作中に登場したのは、上り藤と藤棚。あと、政宗公が怒りの余り孟宗竹を刀で薙ぎ払うシーンもありましたね。それと、作中には天赦園のすぐ横に藩主邸があると書かれています(26巻223ページ)が、それは、この案内図の枠外、料金所の後方、赤く塗った部分にある建物のことかと思われます。細長い日本家屋のような建物が建っていましたが、天赦園からは入口もなく、特に公開もされていない様子。何の建物なのかもよくわかりませんでした。

それでは、順路通り進んでみましょう。
こちらは、書院・春雨亭。

すぐ隣には藤棚があります。

藤棚は(料金所付近を除いて)園内に三ヶ所あります。作中に出てきた藤棚は、どの藤棚か…特定はできなさそうですね。
桑原先生が何かで、天赦園を訪れた際、大雨の後で、池の水が溢れ返っていて、鯉たちが池の外で泳いでいた…というようなことを書かれていた記憶があるのですが、あれはどこだったでしょう…。どこかのあとがきだったのか…、色々ひっくり返して探してみたのですが、わかりませんでした(ご存知の方、教えて下さい)。

この時は、そういうことはありませんでしたが、ちょっとびっくりな発見が。池の中に、鯉に交じってボラが泳いでいました。ネットで検索してみると、結構皆さん見つけているようで。大雨の時に河口付近の川と繋がったりするのかもしれませんね。
ぐるっと池を回ってきまして、園内一番奥の藤棚までやって来ました。

<気弱で卑屈な幼少の政宗に、東北の覇者たる胆力を身につけさすべく教育したのは、他でもない喜多であった。その面影を瞼に浮かべて政宗は藤棚のもとへと歩いた。「喜多も……さぞ笑っていような」 いいざま、柱を殴りつける。葉が散って肩に落ちた>(23巻『怨讐の門 青海編』145ページ)

先ほど、作中に出てくる藤棚はどの藤棚か特定できないと書いたのですが、個人的には、この一番奥の藤棚ではないかなと想像します。
理由は、先ず、政宗と小十郎が直前にいたらしい孟宗竹が植えられている場所から一番近い藤棚であること。もちろん近い場所がそうだとは限らないのですが、二つ目の理由として、憤慨している時に頭を冷やすために園内を散歩しているのだとすると、単純に池をぐるりと一周するように散歩する可能性が高いこと。他の二つの藤棚はそのコースから少しだけ外れているので、わざわざ立ち寄らないのではないかと。まあ、あくまで想像ですけどね。

写真は池のほとりにいたアオサギ。じっとしていると、まるで置き物みたいです。


その、一番奥の藤棚の辺りから、「上り藤」が美しく見えます。上り藤は、太鼓橋に藤を這わせたもので、園内の一番の見所になっています。この時は見頃をとっくに過ぎていましたが、4月の開花時期はとても美しいそうです。因みに、この橋全体が藤棚のようになっていますので、渡ることはできません。そしてこの上り藤、伊達政宗と弟の小十郎が再会した後のシーンで登場していました。

<「いいえ兄上。母上は、一日たりと兄上のことを忘れた日は無かったと申されておりました。慈しみや愛憎のみでは語りきれぬ想いを、兄上には注いでいたのだと……」 天赦園の上り藤の袂に立ち、小次郎は池の水面に母の面影を浮かべていた。(略) 政宗の包容力のある深い眼差しに、小次郎は心の氷が溶けていくような心地がする。こらえていたものが抑えきれなくなって、小次郎は思わず政宗にすがりついた。「小次郎を殺してください、兄上!」>(26巻『怨讐の門 黒陽編』225〜226ページ)

哀しいシーンほど、背景には美しい風景が必要なのかもしれません。四国編の季節は冬ですから、緑は少ないはずですが、それでも木々に囲まれた庭園、池に架かる太鼓橋、その袂で泣き崩れる小次郎君を思うと、切なさがひしひしと伝わってきます。思えば、この兄弟は終始恵まれませんでしたね。生前の悔いを晴らすために蘇ったはずなのに、兄弟は離れ離れ。やっと共に戦えると思った時は、弟は信長の操り人形で、何の因果か最期は生前と同様、兄が弟を刃にかける羽目に…。歴史は繰り返される、というような意味を、桑原先生は込めたかったのかな…。そもそも、宇和島伊達藩が誕生した経緯は、側室に生まれた長子の秀宗を政宗が疎んじ、後から正室に生まれた子を世継ぎとして立てたかったため、長子の秀宗を宇和島に独立させたことに由来するそうです。政宗自身も最上家出身の母親から疎んじられたとのことですから、何か因果を感じてしまいますね。もっともこれは、そういう時代だったとも言えますが。

なお、写真右奥の方に写っている白い建物は、宇和島病院です。宇和島では一番大きい病院のようですので、宇和島決戦の後、政宗や小次郎が入院していたのはこの病院ではないかと推測します。その病院でも色々なことがありました(28巻79ページ〜)。集中治療室で昏睡している政宗を高耶さんが見舞うシーンで、政宗は肉体の悦楽は憑坐に譲り、辛苦のみを受けとめていたと小十郎が語ったシーンは印象的でした。政宗公らしい…。どんなに生き人の味方を標榜していても、夜叉衆には無理そうですね。もっとも、そういうのは夜叉衆には似合いませんけど。それから、死んだと思っていた兵頭と高耶さんの再会。そして、夫(=直江)の前で人妻(=高耶さん)の唇を奪う間男(=兵頭)の図。やるな兵頭(笑)。しかし、去ってから高耶さんに唇を手の甲で拭われてる辺り、やはり限界を感じさせられます。写真の宇和島病院ですが、新しそうな建物ですので、28巻当時は別の建物だったかもしれません。

上り藤の脇を通り過ぎ、橋の袂付近を振り返って撮影。


ここで、小次郎君が政宗公に縋り付いて泣いたんですね…。
上り藤を過ぎた辺りから、入口の方角を向いて。

立派な松が歴史を感じさせます。

写真右奥の方に、政宗らが藩主邸として利用していたと思われる家屋が見えています。
<竹が多種植えられているのは藩主家の家紋にちなんでいる。「竹と雀」。仙台笹と呼ばれるこの家紋が遠く北の地と宇和島を結ぶ証でもある>(23巻『怨讐の門 青海編』143ページ)

作中の言葉通り、園内には様々な竹が植えられていて、竹にもこんなに種類があったのかと驚かされます。

写真は、金明竹(キンメイチク)。突然変異によって幹が黄金色になった品種だそうです。
入口近くの潜渕館(せんえんかん)まで戻ってきました。お茶会が開かれているようです。


政宗公が薙ぎ倒した孟宗竹を探しながら歩いて来たんですが、見つけられず一周して来てしまいました…。
こちらは、潜渕館の玄関。


そして、潜渕館の玄関を背にして、池と反対方向を向くと…
こんな風に芝生の広場が広がっていて、その向こうに和風建築の家屋が見えます。前述した通り、この建物が、作中で政宗らが藩主邸として利用していた建物ではないかと考えられます。

<半ば血相を変えて屋敷にあがってきた男は、伊達政宗だった。天赦園のすぐ横にある藩主邸である。宇和島城から戻ったその足で、政宗は脇目もふらず、客人の待つ「菊の間」へと向かった。力一杯襖を開け放った。黒髪の少年がひとり、政宗を待っていた。(略) 四百年を経て再会する実の兄と弟だった>(26巻『怨讐の門 黒陽編』223ページ)

他にも、政宗が赤鯨衆の赤眼の男について報告を受けるシーン(23巻190ページ〜)や、成実の死を嘆くシーン(27巻157ページ〜)で藩主邸が登場していました。

また、宇和島決戦終了後、赤鯨衆の幹部の集合場所としても使われていました(28巻93ページ〜)。
孟宗竹が見つからないと困っていたところ、入口付近の案内図をもう一度よく見てみたら、何てことはない、ちゃんと場所が示してありました。園内の北西の角辺りです。

最もポピュラーな竹を探すのに手間取るとは。

早速もう一度池の奥の方まで行ってきました。
<斜めに斬られた孟宗竹が束になって倒れ込んだ。政宗は肩でひとつ息をして、握る太刀の先を苦い思いで睨み付けた。「わしが甦ったのは、こんな屈辱を味わうためではなかったぞ」>(23巻『怨讐の門 青海編』144ページ)

仙台を追われて宇和島まで下ってきた政宗公が怒りのままに斬った孟宗竹がこちら。

その後、小十郎とともに藤棚のもとへ歩いていき、その柱を殴りつけた、と。政宗公、結構荒々しいですね。しかし、「見苦しい」などと平気で諫言する小十郎との主従関係は相変わらず素敵です。
35分ほどで、天赦園の見学を終えると、時刻は15時10分。

そろそろ宇和島駅へ戻らねばなりません。

写真は、駅からほど近いアーケード街。ここのアーケード街もほぼシャッター通り…。街道沿いは案外賑やかなのかもしれませんが、車に乗らない私たちには、昔からの商店街の衰退ばかりが目に付きます。ちょっと寂しいですね。
どこの南国だよ、と突っ込んでしまいたくなるような宇和島の駅前通り。


しかし、高知だって「南国土佐」と言うくらいですし、この宇和海周辺の地域も相当温暖な気候なのでしょう。
15時22分、無事レンタサイクルを返却。
江川崎行きの電車は15時37分発ですから、割とぎりぎりですね。

もし、レンタサイクルでなければ、宇和島城と天赦園の両方を回るのはかなりきつかったでしょう。
高知駅のお出迎えは鯨の尻尾でしたが、宇和島駅は牛鬼です。
予土線の列車は一両編成。行き先に「窪川」の文字が表示されているのを見ると、無性に胸が躍ります(笑)。今回は江川崎で降りますが、いつか窪川まで行ってみたい…。

この列車、実は、この年の3月から新たに運行している「鉄道ホビートレイン」という列車で、鉄道ファンにはかなり有名なんだとか(写真は列車の後部)。そんなこととはつゆ知らず、たまたまこの列車に乗り合わせただけのオレらです。
愛媛県と言ったら、ポンジュース?


宇和島駅の売店で購入。
「かぶりつきポジション」って言うらしいですね、この位置。

眺めが良いから、ついここに来たくなってしまいます。

電車の外側に何か白い造作があります。私自身もこの時は気付いていないのですが、これが何なのかはまた後のお楽しみ。
沿線の駅は、無人駅が多いのか、整理券を取ってから乗るシステムのようで。


バスみたい…。
車内には、電車の模型が展示してあります。

こういうローカル線は、観光客を呼び込まないとすぐに廃線の危機に晒されたりするんでしょうね。

予土線はすでに四万十の風景の一部でしょうし、がんばって頂きたいです。
最初はそこそこ混んでいた車内もだいぶ空いてきました。
ん? 沿線の道にわざわざ車を停めてファインダーを覗いている人がいます。


へぇ〜そんなにこの電車が珍しいのかな…といぶかしんでいましたが、途中「近永」という駅で下り電車と待ち合わせのため停車した際、その理由が判明しました。
こんな顔をしていたんですよ、こいつ。

かわいすぎ(笑)。

0系新幹線をイメージしているらしいのですが、新幹線というより白いイモムシって感じだな。

停車時間中はちょっとした撮影会みたいになっていました。
向こうからやって来た電車、臨時電車のようですが、よく見ると、「SHIMAN TOROCCO」と書いてあります。


そう言えば、期間限定でトロッコ電車も運行するらしいですね。四万十の風を受けながら、トロッコに揺られるのって最高に気持ち良さそう。
線路際に「松丸」という表示が出ています。このすぐ先に「松丸」という駅があり、その周辺は「松野」という地域なんですが、この松野、例の伊達の兵器工場があったという場所なんです。

伊達はこの工場で霊を大砲に凝着させるという新型兵器を造っていました。そして、伊達に捕虜として囚われた赤鯨衆の隊士たちが、ここで『人面砲』の材料にされようとしていたところを、高耶さんが自分の体に彼らの霊を抱着させ救出したエピソードは印象的でしたね(25巻46ページ〜)。

この戦いは、高耶さんが足摺での監禁&拷問から復帰して初めての戦いでした(赤鯨衆の中で初めて直江とともに戦った、とも言えます)。足摺で赤鯨衆を去ろうとしていた高耶さんが、自らの意思で彼らの元に戻り、彼らの戦いに積極的に身を投じた最初の戦いだとも言えるでしょう。

高耶さんはこの戦いで、初めて調伏力が使えなくなったことに気づきますが、それは、高耶さんが身も心も彼らの味方になってしまったことを意味しているのかもしれません。

高耶さんが草間に監禁されている間、四万十地域は伊達方がだいぶ優勢になっていました。四万十上流域では、窪川に迫る勢いで、中下流域では口屋内を取られ、次は中村という有様。この松野の兵器工場襲撃を境に、高耶さんが再び四万十の指揮を執り、赤鯨衆が反撃に転じます(仰木隊長が檄を飛ばした窪川の攻防戦などは印象的でした)。

写真は、松野駅付近(駅南側)。

その伊達の兵器工場ですが、作中に詳しい場所は書いてありません。戦の後、伊達成実の口から辛うじて「松野の兵器工場」という台詞が発せられた(25巻135ページ)ので松野だと断定できる次第です。

襲撃のくだりでは、そこが「車の解体工場」だったことだけ書かれています(25巻46ページ)。後から調べてみたのですが、実際、松野には車の解体工場があるようですね。それはこの写真とは反対側、駅の北側の山中らしく。残念、そっち側の写真は撮っていませんでした…。
松丸駅に到着。


ここでもこの列車を撮影する人が。


他の駅とは違い、人が多いですね。松野に何かあるのかな…。温泉はあるみたいですが。
松丸駅付近から、予土線は、四万十川の支流・広見川沿いを走るようになります。
広見川にも沈下橋が架かっています。


こちらは、葛川(くずかわ)沈下橋。


あれ、橋が流されてる…。沈下橋ですから、そういうこともあるのでしょう。
こちらは、金刀比羅(ことひら)沈下橋。


沈下橋のある風景ってやっぱりいいですね。
宇和島から1時間10分、江川崎駅に到着。


時刻は16時47分。
線路を渡って駅舎へ。
駅舎には「ようこそ四万十の里へ」という看板が掲げられ、その下に一風変わったベンチが。

「らぶらぶベンチ」と書いてあります。そう言えば、2013年夏、江川崎は日本最高気温の41℃を記録したんですよね。

それを祝して?作られたアツアツのベンチということらしいです。嫌でもくっつくように真ん中が凹んでいます。個人的には高耶さんと直江に座って欲しいな。高耶さんめっちゃ嫌がりそうだけど(笑)。
駅舎の前からホームを振り返って。


秘境駅の趣きです。
駅舎の外に出てきました。

本当は、ホビートレインに乗車すると江川崎駅で龍馬パスポートにスタンプを押してもらえたそうなのですが、それを知らずに素通りしてしまいました…。悔やまれます。

龍馬パスポートについてはコチラからどうぞ(よさこいネットHP、別窓展開)。
ここから徒歩で、宿泊予定のホテル星羅四万十へ向かいます。


お願いすれば、ホテルの送迎車が江川崎駅まで迎えに来てくれるようですが(実際別のお客の送迎のため、ホテルの車が駅前に停まっていた)、私たちはむしろ歩きたいのでお願いしませんでした。
歩けば、車に乗ってしまうと感じることのできないものを感じることができます。

例えば、鳥の鳴き声。歩いている間中、絶え間なく何かの鳥が鳴いていました。電線には、お腹の赤い鳥が。何ていう鳥でしょうね、あまり見たことのない鳥です。

上手く撮れませんでしたが、川には美しいカワセミの姿も見ることができました。


江川崎付近の地図です。江川崎駅からホテルまで距離的には決して遠くないのですが、四万十川の向こう側にあるため、遠回りしなくてはならず、ゆっくり歩いて50分ほどかかりました。でも、江川崎と言えば、作中にも度々登場した「鷹の巣砦」にほど近いエリア。鷹の巣山を探しながら、仰木隊長も駆けたであろう激戦区を歩くのはなかなか楽しいものです。普通に絶景が広がっていますし。
今回は、江川崎より上流に行く予定はないのですが、地図に収まったので、「長生(ながおい)沈下橋」を載せておきました。この沈下橋は27巻で鷹の巣を伊達から奪還した後、高耶さんが座り込んでいた沈下橋(27巻142ページ)ではないかと推測できます(鷹の巣から一番近い沈下橋であるため)。

広見川を越える予土線の鉄橋。


この線路の先には、十和、十川、土佐大正、窪川などのミラージュファンにはお馴染みのエリアがあります。
すれ違った軽トラックの荷台に、柴犬が。


のどかだなあ。
四万十川との合流地点少し手前で広見川に架かる橋。


後から気付きましたが、この写真に鷹の巣山と思しき山が写っていますね(矢印の山)。
この橋は渡らず、道なりに南下します。


四万十川の対岸に、今夜泊まるホテル「星羅四万十」が見えてきました。
望遠で撮影するとこんな感じ。


川を見下ろす高所に建っています。赤鯨衆のアジトにはもってこいだと思います(が、作中では特に触れられていません。四万十方面ではアジトの場所が具体的に書かれていたケースはほとんど無かったかと)。
川へ下りる小道がありました。ちょうどこの辺りが広見川が四万十川に合流する地点になっています。

ちょっとわかりにくいですが、手前に見える川が広見川で、草木の茂るややこんもりした三角州の先端が見え、その向こうが四万十川です。

川へ下りてみたいところですが、時間がないので宿へ急ぎます。
大自然に囲まれた地域ですが、道路沿いにはちらほらと民家やお店があります。
四万十川東岸へ渡る西土佐大橋の手前で、スーパーがあったので、飲み物を補充しに入店。
見たことのないポンジュースの品揃えが。


江川崎は高知県ですが、愛媛県との県境に近いからでしょうか。


果汁30%のポンスパークリングを買ってみました。炭酸飲料としては果汁感がそこそこあって、なかなかいいですね。


橋の上から北の方角(四万十川上流)を向いて。四万十川と広見川の合流地点、そのすぐ脇の高台に建つホテル星羅四万十、そしてその背後に鷹の巣山が聳えるのが一望できます(矢印の山がそうかと)。四万十川は、東から鷹の巣山の麓を回り込むようにして南に向きを変え、こちらへと流れています。伊達との攻防の最前線にあった鷹の巣砦は度々作中に登場しましたが、具体的な砦の位置に関しては書かれていないため不明です。以下、鷹の巣砦が登場した箇所を整理してみます。

●最初に登場したのは、たぶん23巻。裂命星を足摺に運び終えた後、高耶さん率いる遊撃隊は初めて四万十方面へ派遣されます。口屋内周辺の砦を奪還し、嶺次郎に実力を買われた遊撃隊は鷹の巣の前線へと配置されたのでした。
<遊撃隊の本隊は今、西土佐村の鷹の巣砦にいる。予土国境のいわば前線基地だ。ここで指揮を執っていた岩田の隊と合流していた>(23巻『怨讐の門 青海編』177ページ)
<可効霊域の境界は四万十川と吉野川の合流地点。最も戦闘が熾烈なのもこの周辺である>(23巻『怨讐の門 青海編』189ページ)
「西土佐村」は、中村市と合併して現在は「四万十市西土佐地区」となっています。「吉野川」は広見川のこと。徳島県を流れる吉野川とは別ものです。この辺りが激戦区だったことが伺えます。この鷹の巣の戦いで、伊達の前線砦は陥落し、高耶さんは四万十方面隊の軍団長に昇格したのでした。

●24巻では、高耶さんに知られず赤鯨衆に入隊した直江が鷹の巣砦にやってきました。
<直江は永吉と共に、つい先日まで高耶が根城としていた鷹の巣砦へとやってきたのは翌日のことだった>(24巻『怨讐の門 赤空変』59ページ)
鷹の巣で高耶さんが投獄されているとの噂が広まると、直江は足摺へ向かおうとしますが、永吉らに捕らえられ、口屋内の監獄へと連行されたのでした。高耶さんが監禁されている間、鷹の巣砦は伊達に奪われ、前線は口屋内まで後退してしまいます。

●その後、口屋内も陥落し、前線は一気に四万十川下流の中村手前まで迫り、上流側では大正を取られ敵の進撃は窪川目前という状況の中、25巻〜26巻で高耶さんの反撃が開始します。窪川を死守し、中村まで迫っていた伊達軍を江川崎まで撤退させた(26巻109ページ)のでした。

●念願の鷹の巣奪還は、宇和島決戦を目前にした27巻でのこと。
<大正砦を発った四万十軍団の主力隊は三島キャンプで他の隊と集結した。三島キャンプは四万十川の川中州にある。本流域では最大の中州で、周辺には四万十八景と呼ばれる奇岩や急流を見ることができる。鷹の巣攻めの前線基地はさらに下流の十和村藤の瀬というところだった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』122ページ)
隊士たちの間で、仰木高耶=上杉景虎疑惑が浮上している中、高耶さんは最後の戦を覚悟しつつ隊士たちを鼓舞し、勝利に導いたのでした。鷹の巣奪還の直後、川原で隊士たちに高耶さんが責められるシーンは胸が痛みました。
<「オレが上杉景虎だったら許せないと思う奴は、これでオレを刺せ」 皆の顔つきが変わった。直江も眼を剥いて高耶を見た。(略) 怒りか嘆きか判別のつかない声は止むことなく、浴びせられる猛烈な罵声に高耶は耐えた。川原石を投げつけられ、額にあたって血が流れても高耶はこらえた>(27巻『怨讐の門 黄壌編』135〜136ページ)
前述の通り、この後、高耶さんが沈下橋に座り込んでいるシーンがあります。この沈下橋は鷹の巣に一番近い「長生沈下橋」、高耶さんが石を投げられた川原は長生沈下橋付近の川原ではないかと想像します。

↓の地図に、四万十方面で登場した主な地名を付してみました。参考までに。「十川」は、本編には出てこなかった気がしますが、番外編『終わりを知らない遊戯のように』で、「十川近くの学校」というのが出てきました。実際、小学校と中学校があるようですね。


鷹の巣を奪還した後、赤鯨衆は伊達との最終決戦――宇和島決戦に向けて突き進むのでした。

四万十方面の戦は、実質、鷹の巣に始まり鷹の巣で終わったと言ってもいいかもしれません。

橋の上から感慨深く江川崎の街と山河を眺めます。
こちらは、橋の上から南(下流)を向いて。


次の日は、この40km先にある中村までサイクリングします。
橋の上から東を向いて。

<一方、伊達は大正町で進撃を止めていた。大正町は鷹の巣と窪川の丁度中間地点である。伊達の本隊は口屋内を拠点に、近在で最も高い堂が森という山の頂に霊波塔を設置し、中村攻めに標的を絞る構えを見せていた>(25巻『怨讐の門 白雷編』207〜208ページ)

その「堂が森」がこの橋の延長線上にあるのですが、少し遠いので見えないようですね。写真中央の山のずっと向こう側にあると思います。
来た方角を振り返ると、早くも山の端に太陽が沈もうとしています。
橋を渡りきったところ。


ここを右へ行くと、翌日自転車を借りるカヌー館があります。星羅四万十へは左。
西陽の当たる坂道を登って行くと…、
小中学校、ヘルスセンター(温泉&宿泊施設)、老人ホームなどがあり…、
中学校の敷地の脇に、例の41℃という日本一の暑さを記録した江川崎観測所がありました。こんなところにあるとは知りませんでした。

しかし、この日本一には疑惑もあるようで。周辺にコンクリートが多い(写真手前の位置から後ろはコンクリート)ので、その影響を受けて高温になったとも言われているようです。

個人的には、四万十の山河がそんなに暑いのはあまりよろしくないかと思うんですけどね…。
17時45分、ホテル星羅四万十に到着。


コンクリート打ちっぱなしのモダンな建物。比較的新しいかと思いきや、この年創立20周年だそうです。
ホテルのHPを見たら、ホタルのいるスポットまで連れて行ってくれるというサービスがあるらしく、事前に電話で申し込んでいたのですが、チェックインの時に、今年はホタルの出が遅いため、しばらく延期になったということが判明。決まった時点でそういうことは連絡してくれればいいんですけどね(はりきって三脚を持参したオレ)。

まあホタルが出ないのはホタルの都合なので仕方ないですね。でもこのホテルのすぐ傍には「四万十市天文台」があって、有料で観測会に参加できるので、そちらを申し込みました。
予約したのは川側の和室。


6畳で、部屋はあまり広くないのですが…、
その代わり、ベランダが広い。


2階の部屋なんですが、建っている場所が高台なので、江川崎の街や川を見下ろすことができます。
ベランダの端に立つとこんな感じ。


真ん中奥からこちらに流れてくるのは広見川。少し見えにくいですが、右手の方から流れてくるのが四万十川。合流地点を真下に見ることができます。
四万十下流方向はこんな感じ。


先ほど歩いて渡ってきた西土佐大橋が見えます。
天文台の時間があるため、夕食は少し早めの18時30分。

ホテル1階の四万十川に面したレストランで頂きます。

暮れなずむ四万十の風景を眺めながらの夕食です。
お料理は四万十の幸をふんだんに使った会席ですが、二品目に出てきたこのお刺身、何のお刺身だと思いますか?

正解は、なんと、鯰(なまず)です。四万十の支流の中でも水がきれいなことで有名な黒尊川で採れた天然鯰だそうです(そう言えば、赤鯨衆にも「黒尊川アジト」というのがありましたね)。

鯰…。小さい頃、汚くて泥っぽい川で偶然釣ったことがあったな…。その鯰をお刺身で!? と、少しびくびくしながら口に運んだら、裏切られました。

まったく川魚の感じがありません。見た目もそうなんですが、味は極めて鯛に近いです。何も聞かされないで食べたら、「この鯛、肉厚でもちもちしてて、今まで食べた鯛の中で一番旨い!」と言います、たぶん。本当に美味。早くもガツンと、四万十川の洗礼を受けたような感じがしました。
お楽しみの日本酒は、中村の地酒「藤娘」。

四万十川の伏流水を使った辛口のお酒です。

四万十のお酒と言えば、他に、大正地区の「無手無冠(むてむか)」が有名でしょうか。

『20歳の月』で高耶さんと直江が飲んだのは、地元酒蔵の吟醸酒とのことですが、どこのお酒だったんでしょうね。



鯰のお刺身の他には、「四万十天然鮎の塩焼き」、「米豚の陶板焼き」、「鰹のたたき」、「四万十青さ海苔の天婦羅」などが次から次へと。鮎の塩焼きは、さすがに酒が進みます。米豚というのは、後で調べたら、どうも窪川の方で地元のお米を飼料にして育てているポークらしいですね。高知で食べる鰹のタタキはやはり間違いありません。そして、四万十川の幸の代表格・青さ海苔は、天婦羅にすると香ばしくて海苔の風味が抜群に引き立ちます。実はお腹いっぱいになってしまって、青さ海苔の天婦羅は部屋に持ち帰って後で食べたのですが、冷めても美味しかったです。

夕食後、20時からホテルに隣接する天文台で観測会に参加。

昨今の望遠鏡って、自動で目標物を探してくれるので良いですね。

でも、見せてくれたのは、恒星ばかり。毛が生えて二重星ってところ。恒星を望遠鏡で見たところでただの点にしか見えないしなぁ。星雲星団などを見せて欲しかったのですが…。しかしまあ、他の参加者さん、えらく感動していたようなので、それでも良かったのかな。
折角、三脚持ってきたのに、出番が無いでは無念過ぎます。

天気も良いことですし、ベランダも広いですし、星空撮影を楽しむことに。

この西土佐地域は、1988年に「星空の街」という認定を受けているそうです。

とは言え、江川崎の街の灯りがあるので、実際には天体観測に適しているというほどではないようです。
こちらは、ISO400で、約12分間露出して撮影したもの。


四万十の山並みに沈み行くしし座。


しし座と言えば、高耶さんの星座ですね。


高耶さんを想いながら見上げる四万十の星空はまた格別です。
星座部分に線を引っ張ると、こんな感じ。


頭の部分が少し切れてしまいました。ファインダーを覗いても星はほとんど見えないため、構図が難しいんですよね。
泊まった部屋には、景虎様の好きな「青い朝顔」の色紙がありました。


ちぎり絵のようです。
ポケットの中のバーチャルお遍路(山佐の万歩計「歩く遍路」)には、「サワチリョウリトニホンシュデオセッタイゼヨ」の表示が。


この日は0時過ぎに就寝。


続きは中編にて。

2015.03.13 up

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