四万十・宇和島・宿毛チャリツアー

〜仰木隊長も駆けた激戦区を巡る

後 編




◆旅行日:2014年5月18日〜5月20日

◆行程:
※下線はミラージュスポット(一部推定含む)
※グレー文字は前編/中編にて

◇5月18日:
成田空港→(ジェットスターGK401)→松山空港→(空港リムジンバス)→松山市駅前→(宇和島バス)→宇和島駅前→(徒歩)→とみや(昼食)→(徒歩)→宇和島市観光協会→(レンタサイクル)→宇和島城→(レンタサイクル)→天赦園→(レンタサイクル)→宇和島駅→(JR予土線)→江川崎駅→(徒歩)→ホテル星羅四万十(宿泊)


◇5月19日:
ホテル星羅四万十→(徒歩)→四万十 川の駅 カヌー館→(レンタサイクル)→岩間、口屋内、勝間、高瀬、三里、佐田の各沈下橋→(レンタサイクル)→中村城址・為松公園・四万十市立郷土資料館→(レンタサイクル)→一條神社→(レンタサイクル)→四万十市観光協会→(徒歩)→ホテルココモ(チェックイン)→(徒歩)→物産館サンリバー四万十→(徒歩)→味劇場ちか(夕食)→(徒歩)→ホテルココモ(宿泊)

◇5月20日:
ホテルココモ→(徒歩)→中村駅→(土佐くろしお鉄道)→宿毛駅・駅内観光協会→(レンタサイクル)→宿毛市営野球場→(レンタサイクル)→片島港→(レンタサイクル)→咸陽島公園→(レンタサイクル)→国民宿舎 椰子→(レンタサイクル)→道の駅 すくもサニーサイドパーク(昼食)→(レンタサイクル)→宿毛駅前→(宇和島バス)→宇和島バスセンター→(宇和島バス)→道後→(徒歩)→道後温泉本館→(徒歩)→道後温泉駅前→(空港リムジンバス)→松山空港→(ジェットスターGK404)→成田空港

◆同行者:パートナー


※このページの画像は、別サーバーに保存したものへ直リンクを貼って表示しています。表示されるまで時間がかかる場合があります。また、不具合を見つけた場合、管理人までご一報頂けますと、大変助かります。




中村で迎えた旅の三日目。

朝食付きのプランだったので、朝7時からホテルで朝食。

ホテルココモは、土木作業員さんたちの定宿のようで、朝から作業服のお兄さん方がもりもり食べていらっしゃいました。

私もしっかり食べておきます。この日もミッション盛りだくさんなので。
さっさと食べ終え、7時半頃、中村駅に到着。

空模様があやしいですね。予報ではお昼くらいから雨らしく…。

実は、旅の直前まで天気予報が二転三転していまして、二日目の四万十も一時は雨を覚悟していたんですよね…。最悪、自転車には乗れず、バスで移動するだけになるかなと。

なので、そこが晴れてくれただけで、儲けもの。三日目なんていくらでも好きなだけ降ってくれって感じです。
中村駅の待合所は、ちょっとおしゃれな感じ。

ベンチとかちょっと変わったデザインで、木が使われているせいか不思議とぬくもりを感じられるような空間になっています(中で座っている人がいたので、あまり近くで撮影できず写真ではよくわからないかもしれませんが…)。

田舎駅にしてはやるなあと思って、後で調べてみたら、駅舎は2010年にリノベーションしていて、数々の賞を受賞しているのだそうです。
駅舎のデザイン性とはまたちょっと違う話かもしれませんが、そう言えば、四万十ブランドのものって結構デザイン性が高いものが多いような気がするんですよね…。土産物のパッケージとか。シンプルだけど洗練されていて、田舎臭さがないと言うか。若い人ががんばっているんでしょうかね。


7時55分発の宿毛行きに乗車。
車窓から中村の赤鉄橋を撮影。


前日は鮮やかに見えていた赤い色も、天気が悪いとくすんで見えます。
赤鉄橋とは反対側(河口側)。


四万十川とはここでお別れです。
宿毛までの車窓は、時折小さな町を通りますが、基本的にはこんな風にのどかな風景。


車内は通学の学生たちでいっぱいでした。地方の公共交通機関って大抵そうですよね。大人は車ばかり乗っているので、通学の学生でもっているのか?という感すらあったり。
中村駅から30分ほど、8時28分に宿毛駅に到着。


ああ、宿毛…。宿毛でも色々ありました。砦長を任されていたせいか、宿毛=直江のイメージですが、実際は直江のシーンが特に多いというわけではないんですよね。


では、地図の方を。


宿毛のチェックポイントは5つ。@宿毛のアジトがあるという本城山、A宇和島攻めの結団式が行われた宿毛市営野球場、B嶺次郎と高耶さんが訪れた片島港、C咸陽島アジトだったと思われる国民宿舎椰子、D清正のヘリが停まった咸陽島公園。@の本城山のアジトは詳しくは書かれていないため、遠くから見るだけで行きません。宿毛駅前からバスが出るまでの4時間弱で4つのポイントを回り、すくもサニーサイドパークという道の駅でお昼を食べ、宿毛駅に戻ってくる計画です。結構距離があるので、徒歩では無理…ということで、この日もレンタサイクルのお世話になることに。駅中にある宿毛市観光協会で5時間500円で借りることができるので、事前予約済みです。別に狙ったわけではなかったのですが、この旅は図らずも三日とも自転車旅となりました。小さな町を回るには、自転車は非常に便利ですね。

駅中の観光協会でレンタサイクルを借りた後、一旦自転車を置いたまま、北口へ出てみました。ここから北東の方角に、赤鯨衆のアジトがあったという本城山が望めます(写真中央)。

例の松野にあった伊達の兵器工場を襲撃し、仲間を救出した後、多数の霊を抱着させたまま気絶した高耶さんが連れて来られたのが、この宿毛のアジトでした(25巻78ページ)。その後、伊達が次に襲ってくるであろう窪川へと発つ(25巻130ページ)までの間、高耶さんは宿毛に滞在しています。

高耶さんが赤鯨衆に入隊した直江とじっくり対面するのは、、この時が初めてでした。

「ここには――オレの生きる場所があるんだ」と告げ、直江を無力感に打ちひしがらせた高耶さんでしたが、直江の入隊を正式に認め、「名もない一隊士から這いあがって来い」と、見事なまでに直江を奮い立たせていましたね。さすが、直江の扱い方をよく心得ています。四百年のSM主従はダテじゃありません(笑)。

この本城山のアジトについてはあまり詳しく書かれておらず、モデルになった施設等があるかどうかは不明です。

<宿毛のアジトは湾を見渡せる小高いところにある。檜垣らの水軍は、宿毛湾に浮かぶ大島の西、咸陽島というあたりに集結していた。水軍基地は島にあり、このアジトは地上砦というところだ>(25巻『怨讐の門 白雷編』85ページ)

「本城山」という地名が出てきたのは、高耶さん率いる軍団が窪川へと出発するシーンの中でした。

<長い隊列を組んで車両が次々と本城山にある宿毛のアジトを出て行った。(略) 目の前を過ぎていく車両の列を、直江は坂の向こうまで見送った>(25巻『怨讐の門 白雷編』130ページ)
番外編『真紅の旗をひるがえせ』の前半部分でも、この宿毛が舞台になっていました。美術の成績が2だったことを直江にばらされたりしていましたね、仰木隊長。


さて、宿毛駅の南側へとやって来ました。ここからサイクリングスタートです(一先ず相方とは別行動)。それにしても、どこまで天気が持ってくれるか…。
先ずは、片島の方角へ向けて、ひたすら真っ直ぐ進みます。
振り返ると、先ほどの本城山が見えます(画面右の山)。
駅前から5分ほどで、片島の付け根辺りにやって来ました。

前出の地図を見て頂ければわかりますが、「片島」というのは島ではなく、半島のような形をしています。

写真左方向に行くと片島ですが、先ずは、写真右手にある橋を渡って、野球場へ向かいます。
橋の上から、野球場の方を望んで。わかりにくいですが、対岸の陸地に野球場のグリーンのネットが見えます。

<場所は宿毛湾岸の市立野球場だ。小島になっていて橋でしか行き来できないところにあるため、大集会にはもってこいの場所だった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』169ページ)

宇和島総攻撃を目前に、結団式が開かれたのが、この宿毛市営野球場でした。
駅前から11分ほどで、宿毛市営野球場に到着。


その結団式では、高耶さんが自分の正体を告白した、あの名シーンがありましたね。
『ミラージュ・フォト紀行 西日本編』の中に、桑原先生がこの文字看板をバックに写っている写真があったな〜などと思い出しながら、奥へ進んでみます(文字の書体が微妙に違うので新しくしたらしい)。
中を覗けるところはないかなと、自転車を引いたまま、球場の外周を歩いて行きます。
高い塀が途切れたあたりに、階段を発見。


ちょっとグランドを覗かせてもらいました。
思ったより、ちゃんとした野球場です。

<日が落ちてから灯ったナイター設備が、グラウンド内を煌々と照らす。ライトに雨の矢が光り始めた。(略) マウンド上に設けられた壇の前に、赤鯨衆に与する数百の隊士が集結した。午後七時。結団式は始まった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』169〜170ページ)

書かれている通り、ナイター設備もあるようです。この日は誰も使用しておらず、しんと静まり返っていました。
五百人近い隊士が集まったというグランド。

それだけの大人数を前に、実は自分はお前たちの敵だったと告白する高耶さんって…。でも、そんな告白をするということは、高耶さんの心に偽りがないことの証拠ですね。

きっと、謙信公のもとで怨霊調伏を使命として生きていた頃は、景虎様はできることならいつでも換生を止めたかったんじゃないかなと思いますが、そんな彼の無気力感を砕いたのは、やはり赤鯨衆という存在だったのでしょう。
<雨の中で叫ぶ怨霊たちを、球場の影から見つめている者がいる。遍路装束に身を包んだ男である。(行くか……。おまえたち) ダッグアウトに入ろうとしていた嶺次郎と眼があった。嶺次郎が何か叫んで駆けてくる。遍路は背中を向けて、出口のほうへと歩き出した>(27巻『怨讐の門 黄壌編』185ページ)

結団式の最後で、嶺次郎が覡を見つけたシーンです。結局、嶺次郎は覡をつかまえることはできなかったようですが、覡もこの時、密かな決意をしていたようです。

覡が居た「球場の影」とはどの辺りかよくわかりませんが、写真右端辺りに写っている出入口から出て行ったのではないかと想像します。
もう少し、奥の方まで進んでみることに。
この先はスタンドになっています。


立入禁止などの表示は特にないようなので、自転車を停め、見学させてもらいました。
バックネット裏の方に回ってみます。
金網越しにマウンドの方を望んで。


あそこに設けられた壇の上で、高耶さんが例の壮絶な告白をしたんですね。


<「オレは四百年間、肉体を換えながら生きてきた人間だ。オレの名前は――」 高耶は数瞬心を固めるように目をつぶり、そして、迷いを振り切ったように真っ直ぐに顔をあげた。「上杉景虎。冥界上杉軍の総大将――上杉景虎だ」 悲鳴とも絶叫ともつかぬ声があがった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』175ページ)

<「なんでこんな体になっちまったんだろう。なんであの人はオレを捨てるんだろう。なんでこんなに愛してる人間に『さよなら』をいわなきゃならなかったんだろう。(略) 願うことはたったひとつも叶えられない。叫べるなら、こんな世界なんか全部壊してやりたかった。何もかもブチ壊してやりたかった!」>(27巻『怨讐の門 黄壌編』176〜177ページ)

<「謙信公はオレに生きる道をくれた人だ。いまもその子として愛している。でももう帰るべき場所じゃない。オレが帰る家は」 ここだと思っている。高耶は最後に言った。「おまえたちがオレの家だと思っている」>(27巻『怨讐の門 黄壌編』181ページ)

直接関係のないプライベートなことも、決して言う必要のない醜い感情も、何もかも包み隠さず曝け出して見せて、無防備な姿のまま「おまえたちがオレの家だ」なんて言われたら、そりゃ憎めるわけがないですよね。高耶さんは無自覚なのでしょうけれども、確かに「ずるい」と言いたくなるのもわかります。それでも、これが、高耶さんの赤心であり、高耶さんという人そのものなのでしょう。

この日の市営野球場は、誰もいない代わりに、トンビが数羽舞っていました。


結団式の夜に降っていた雨を思い起こさせるような空模様です。
降られる前に、先を急ぎます。


元来た道を通って、片島の方へ。この対岸が片島。
橋を渡って片島へ。


前方が片島。
片島エリアに入りました。


写真は、片島の西側の海岸。この辺りは、漁船がたくさん停泊していました。
そう言えば、宿毛ってフェリーが出てるんですよね(『水曜どうでしょう』で来てた…)。

九州の佐伯と繋がっているようですが、この看板を見ると、沖の島や鵜来島へ行く船もあるようですね。姫水軍の本拠地か…。

見慣れた島の名前の看板に思わず写真を撮ってしまいましたが、ここはフェリー客用の駐車場。乗り場は、この少し先の片島港です。
宿毛市営野球場から自転車で約10分、こちらがその片島港。手前に車がたくさん停まっているので、この写真では港の様子がよくわかりませんね…。

対岸のこんもりした山は、大島。

因みに、この写真には写っていませんが、ここからは、大島にある、例の咸陽島アジト(国民宿舎 椰子)の建物が見えます(画面より少し右の方)。

25巻で高耶さんが宿毛に滞在していた間、嶺次郎に連れられて、夜の片島港を二人で訪れるシーンがありました。
<車は湾岸を走り、片島港までやってきた。係留された船のロープが風に揺れている。岸壁近くで車を降りると、海風が冷たかった。「対岸が大島じゃ。基地がある咸陽島はこの陰にあって見えんが、何隻か水軍の舟が見えるはずじゃ」>(25巻『怨讐の門 白雷編』106ページ)

嶺次郎と高耶さんもこの辺りに車を停めて、海岸に立っていたのでしょうか。

前出の地図を見て頂くとわかるかと思いますが、赤鯨衆の水軍基地がある咸陽島は大島の陰になってここからは見えません。因みに、赤鯨衆の「咸陽島アジト」というのは、咸陽島ではなく大島にあります。「咸陽島公園」というのも所在地は大島です。紛らわしいので念のため。
岸壁に立つとこんな感じ。大島は目と鼻の先です。


係留してある船の多くは釣り船のようですが、沖の島行きのフェリーや海上保安庁の船なども停泊していました。
<高耶の赤い眼は、灯台の向こうの暗い水平線を見つめている。――復讐のためですか。――生きることへの復讐じゃ。生きるから復讐したいのか。復讐したいから、生きるのか。波が岸壁に砕ける。高耶は静かに拳を固めた>(25巻『怨讐の門 白雷編』108ページ)

私が立っていた場所が悪かったせいもあるかもしれませんが、片島港から見える水平線は、大島と「池島」という半島状の陸地に挟まれたほんのわずかな部分だけです。灯台ってどこにあるのかなと見回して探してみたのですが、見つからず…。後で調べたところによると、この池島の先端付近の小高いところにあったようです(前出の地図参照)。
作中には「宿毛港」という名称も出てきました(27巻188ページ、宇和島総攻撃直前、水軍が出港準備をしているシーン)が、恐らくは片島港=宿毛港かと思われます。水軍基地は咸陽島にあるとのことですが、物資の積み込みは陸からアクセスしやすい場所でする方が便利なため、片島港で準備していたものと推測されます。


さて、片島港を去り、大島へと向かいます。

「国民宿舎 椰子」(=咸陽島アジト)の古ぼけた看板が出ていました。
片島と大島を繋ぐ橋が見えてきました。


この辺りは地形が入り組んでいるので、地図をよく見ていないと、自分がどこにいるのかわからなくなりそうです。
橋の上にて。


前方、右側が大島。
橋の上から大島を見て。


漁船がたくさん停泊しています。
大島とは反対側を見て。

大島を回った後、この対岸にある道の駅でお昼を食べる予定です(白い矢印の場所)。結構遠いな…。

この対岸の陸地をずっと南(画面右)の方へ下って行くと、大月町(長秀と高耶さん&直江が激突した大堂海岸がある)を経て、足摺岬へと繋がっています。
橋の上で写真を撮っていたら、偶然、別行動中の相方に出くわしました。


どうやら一足先に大島を回っていたようです。宿毛も見るべき場所が限られていますからね。
大島エリアに突入。


島の北側を通って、例の国民宿舎に向かいます。
大島から対岸の片島港の辺りを望んで。
間もなく坂道に差し掛かりました。


大島は坂が多い上、国民宿舎は見晴らしの良い山の上に建っています。
自転車はキツイ!ところですが、実はこのレンタサイクル、電動自転車でして。坂道も楽々なのです。


大島を回ることを考えて電動自転車を導入して下さっているんでしょうね。宿毛市観光協会さん、ありがとうございます。
再び海沿いの道に出てきました。


高耶さんが片島港から見ていた(狭い)水平線というのは、ちょうどこの辺りになります。この大島と対岸の池島の間ですね。縮小したこちらの画像では判別できませんが、黒い矢印の辺りに灯台があります。
国民宿舎へ向かうため、山の方へと進みます。


分かれ道では、親切に道案内が出ています。
ヘアピンカーブの道を山の上へと上っていきます。


いや、ほんと、電動で助かりました。
片島港の向こうに、宿毛アジトのある本城山が見えました(黒い矢印の山)。
片島港から20分ほど、「国民宿舎 椰子」に到着。

到着…したのはいいんですが、地図をよくよく見ると、この場所とは少し違うところに「ホテル椰子」という表記があり…。

あれ?ほんとにここでいいのかな??と、少々混乱してしまいまして…。先に咸陽島公園の方へ行ってみることに。
結局、もうひとつのホテルは、廃墟のようになっていました。名前が同じなので、現在の「国民宿舎 椰子」の前身なのかもしれません。咸陽島アジトのモデルになったのは、位置的な理由から現在の国民宿舎で間違いないかと思われます(「咸陽島を望めるベランダ」という記述から。廃墟の建物の方からは、咸陽島は見えそうにないので)。


坂を下って、咸陽島公園の方へ降りていきます。
国民宿舎椰子から3分ほどで、咸陽島公園の入口に到着。


咸陽島にないのに「咸陽島公園」とは面妖な感じがしますけれども、咸陽島はこのすぐ先にあり、干潮時には陸続きになるそうですから、咸陽島の名前を冠したものと思われます。
咸陽島公園の中から国民宿舎椰子を見上げて。

阿蘇の野焼きの火を介して高耶さんの生存を知った清正が、熊本からヘリで降り立ったのがこの咸陽島公園でした。

<上空から降りてきたヘリコプターの大きなローター音に驚いて、咸陽島アジトから、寧波たちが外に飛び出してきた。(略) バラバラバラ、という猛烈なローター音が迫ってきて、ヘリは咸陽島公園の駐車場へ着陸した>(26巻『怨讐の門 黒陽編』193〜194ページ)

「咸陽島アジトから飛び出してきた」とのことですが、アジトの国民宿舎からここまでは、さっき通ってきた山の中の坂道を下りてくるしかないので、実際には数分かかります。
清正のヘリが着陸したのは、「咸陽島公園の駐車場」とのことですが、それがどの部分かいまいちよくわかりませんでした。

公園の奥に小さな駐車スペース(右の写真で車が停まっているところ)がありますが、明らかにここではありませんし、この周辺は比較的最近整備されたような印象です。

恐らくは、ひとつ上の写真の、コンクリート部分が以前は駐車場だったのではないかと思われます。そう思って見ると、駐車ラインの跡のようなものも見えますし。
海岸へ出ると、すぐ先に咸陽島が見えます。

<咸陽島は宿毛湾に浮かぶ小さな無人島である。隣の大島からは五百メートル、引き潮の時は歩いて渡れる。そこに足摺水軍は基地を構えていた>(25巻『怨讐の門 白雷編』196ページ)

25巻で高耶さんが窪川へと発った後、檜垣小源太の下に配属された直江は、小源太に伴われ、この咸陽島で沖ノ島水軍の寧波らに引き合わされたのでした。

その姫水軍の本拠地である沖の島が、咸陽島の陰にうっすらと見えています。。
望遠で撮影するとこんな感じ。

天気が悪いので、霞んでいますね。

沖の島の近くには、鵜来島(「鵜来の寧波」の鵜来島?)、姫島(26巻で直江が高耶さんに孔雀経法を施した無人島)がありますが、目の前の咸陽島の陰になっていてここからは見えないようですね。

この後行く道の駅からは見えるのではないかと期待しているのですが、如何せんこの天気なのでどうなることやら。
咸陽島公園付近から北の方の海岸を望んで。


撮った時は気付いていませんでしたが、この写真に、前述の灯台がはっきりと写っていました(黒い矢印)。
海岸付近から咸陽島公園とその上の国民宿舎を振り返って。


アジトからは、水軍基地のある咸陽島がよく見えそうです。
27巻で、宇和島総攻撃直前の軍議のため、咸陽島アジトを訪れた高耶さんは、「咸陽島を望めるベランダ」で、大分から帰ってきた嶺次郎と対面したのでした(163ページ)。


嶺次郎の部屋は「二階」だそうですね。この写真で見えてるのは、恐らく3階4階の部分かと。
元の道を引き返し、再び国民宿舎椰子へと向かいます。
坂の途中で、咸陽島公園を見下ろして。

そう言えば、清正が嶺次郎らを伴って大分へとヘリで飛び立つ際、「直江の様子を、兵頭隼人が少し離れたところから、椰子に凭れて窺っている」(26巻220ページ)というシーンがありましたが、それっぽい椰子の木は見当たりませんでした。咸陽島公園の中か付近にあるはずだと思うのですが…。

背の低い椰子的な植物(なんじゃそりゃ)ならあったのですが、あれだったのだろうか…。年月経ってますし、公園の様子が変わったのかもしれません。
国民宿舎椰子の入口に戻ってきました。
こちらが国民宿舎椰子の建物。船をイメージした形なんでしょうか。

<軍議が開かれる咸陽島アジトには、幹部がすでにおおかた集結していた。咸陽島アジトは大島にある丘の上の宿泊施設を使っていた>(27巻『怨讐の門 黄壌編』161ページ)

宇和島決戦直前の軍議が開かれたのが、この咸陽島アジトでした。
人気がなく、何となく入りづらいですが、中には売店もあるようですので、適当なおみやげを買うことにして、中に入らせて頂きます。
玄関を入ると右手にフロントと売店、左手に小さなロビーがあり、その間を進んで行くと…
レストランがあり、その奥は行き止まりで…
窓から咸陽島が見えます(矢印)。


上の客室の方からはもっとよく見えるのでしょう。
右手の方を見ると、レストランから続くバルコニーが。

<「――だが気持ちが変わった。堂森から、おんしが窪川で皆を激励した内容を聞いてからじゃ」 高耶を一階のバルコニーに呼び出して、斐川左馬助は言ったものだった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』167ページ)

白地から駆けつけた左馬助が高耶さんを呼び出した「一階のバルコニー」というのは、ここでしょうか…。
咸陽島アジト内では、他に「エレベーター」と「階段」が出てきたのですが、実は事前のチェック漏れで、写真を撮りそびれてしまいました(涙)。

<案内を受けてエレベーターに乗り込もうとした高耶を聞き覚えのある声が引き留めた。階段の方から降りてきたのは兵頭隼人だった>(27巻『怨讐の門 黄壌編』162ページ)

売店で絵葉書を買いまして、10時17分、アジトを出発。その際、咸陽島アジトの前から宿毛アジトがある本城山がよく見えることに気づいてちょっと感動。
チェック漏れはありましたが、宿毛でのミラツアは取りあえず終了。


写真は、来る時に相方と遭遇した、大島と片島の間の橋を渡るところ。
来た時とは逆に、片島の東岸を行きます。

嶺次郎と高耶さんが、宿毛アジトから片島港までドライブ?をした際、「湾岸」を走ったとのことですが、恐らくはこの道を走ったのではないかと思います。

写真矢印のところに松田川の河口に架かる「松田川大橋」があるのですが、その橋を渡り、対岸の海沿いを南下した先(写真より右の方)に目指す道の駅があります。かなり遠い…。
松田川大橋を渡って、国道321号を南下します。
<「夜間工事で五六号が渋滞してます。こちらが近いです」と祖谷の隊士は言ったが、三二一号線は大月から足摺に向かう線だ。高耶は表情には出さないで、ひそかに腰のポケットにある発信器のスイッチを入れた>(27巻『怨讐の門 黄壌編』193ページ)

ミラツア終了…ではなかったです。まだありました。道の駅へと向かうこの国道321号線は、27巻で高耶さんが騙されて咸陽島アジトから長秀の待つ大堂海岸へと連れて行かれる際に車で通った道です。

標識には「足摺サニーロード」の文字が。
この陸地の続いている先、矢印の方角(もうちょい左だったかも…)に、長秀が待ち受けていた大堂海岸があります。

因みに、足摺岬は、方角的には画面よりずっと左の方。


画面右に見える島は、先ほどまでいた大島です。
道の駅に着く直前、とうとうパラパラと雨が降ってきました。


まあここまでもってくれただけ良かったです。
大島の国民宿舎椰子から自転車で25分ほど、10時41分、道の駅「すくもサニーサイドパーク」に到着。先に到着していた相方と無事合流。


ここの道の駅は、店舗ごとの小さな建物が寄り集まっているというちょっと変わった形態です。
先ずは、観光案内センターの入っている建物にやって来ました。


宿毛駅でレンタサイクルを借りた分のスタンプ(龍馬パスポートの)をここで押してくれるとのことでしたので、押してもらいました。
観光案内センターの奥に室内から宿毛湾を見ることができる場所があります。

姫島を見ることができるんじゃないかと楽しみにしていたんですが、やはりこの天気ではね…。

縮小前の画像では、矢印の先に、鵜来島がうっすらと見えているんですが…。

右端に切れているのは大島。


参考までに、宿毛湾周辺の地図を。


さっき、片島港で看板を見ましたが、鵜来島と沖の島へ行くフェリーは片島港から出ているようですね。


姫島は無人島なので行く手段はないようです。もっとも、そういう場所だったからこそ孔雀経法を行うのに最適だったのでしょう。
鵜来島と姫島を撮ることができず、残念だなーと思っていたのですが、後で相方の撮った写真をチェックしていたら、奇跡的?に写っている写真がありました。

こちらは、国道321号を道の駅に向かっている途中で撮影した模様。

画面右の大島のすぐ横に鵜来島がうっすらと写っています。
トリミングした画像がこちら。

二等辺三角形のようなきれいな形をしています。二十数人の島民がいらっしゃるそうですよ、この鵜来島には。

本来は鵜来島の左に姫島、更にその左に沖の島があるはずなのですが、天候の影響か、この写真に写っていたのは鵜来島だけでした。
こちらは、大島のどこか高台の上から撮ったもののようです(こんな場所もあったんだ…)。

目の前に咸陽島がありますが、その背後に沖の島(左の青矢印)と姫島(右の黒矢印)が写っています。

鵜来島は右の方にあるはずですが、咸陽島の陰になってか、写っていませんね。
姫島の部分をトリミングした画像がこちら。

うっすらと…ほんとにうっすらとですが、写っています、姫島。法衣姿の直江と全裸の高耶さんが二人きりで秘呪を執り行ったあのシーンは、妙にエロティックでした…。

微かにですが、その島影が写っていて良かった。相方グッジョブ。

つうか、こんな見えるか見えないか微妙なものをチェックするくらいなら、咸陽島アジトのエレベーターくらいちゃんと確認しとけって感じですね、すみません。
時間は少し早いですが、道の駅の中にある「勝丸」という食堂でお昼を頂くことに。
店内の生簀には、ウニがたくさん。


ウニというと、黒というイメージですが、こういう色のものもあるんですね。
こちらは「うに丼」、1,500円。

事前に食べログを見ていて、北海道のウニの味とは少し違うらしいということは知っていましたが、相方はうにが好きなので、こちらを注文。

実際食べてみると、やはりウニの濃厚さがちょっと足りない感じだったらしいです。寒いところで採れたウニとはやはり味が少し違うんでしょうね。
私が注文したのは、「刺身定食」、1,000円。

ツベタカ(関東ではシッタカと言いますが)の茹でたものもセットになっていました。

刺身は鯛だそうです。天然か養殖かはわかりませんが、鮮度が良いせいか、めちゃくちゃ美味しい鯛でした。
11時35分頃、道の駅を出発。


この頃にはすでに雨もそこそこ強くなっていて、ポンチョを被って自転車を漕ぎました。


ここからも本城山がよく見えます。目指す宿毛駅もあの方向。
道の駅から約10分ほどで宿毛駅に到着。


駅中の宿毛市観光協会さんの前で、お世話になった電動自転車を記念にパチリ。
レンタサイクルを返却し、バスの時間までまだ少し余裕があったので、駅中の売店でお買い物。
12時22分、宿毛駅前発の宇和島行き路線バスに乗車。


2時間弱の長時間乗車です。宇和島までは1人1,800円。
宇和島で、バスの車窓からお遍路さんを見かけました。

結構雨が強いのですが、歩いてお遍路されています。

ミラージュでは、お遍路さんが四国を回るパワーを空海が鎮護国家に利用していたという設定でしたが、それも納得がいくくらい、お遍路さんってパワフルですね。
バスは宇和島病院にも停車しました。


一昨日、天赦園から見ましたね。
14時17分、予定より少し遅れて、宇和島バスセンターに到着。


終点の宇和島駅前まで行っても良かったのですが、次に乗るバスの始発がバスセンターの方なので、ここで乗り換えることに。
14時30分バスセンター発の松山行きのバスに乗車。行きに松山で購入しておいた往復切符の復路分を使用します。

写真は、宇和島駅前へ向かうところ。

二日前に通った椰子の木通りがすでに懐かしく感じます。
松山へ向かう高速道路から見える山々は、雨で煙っていました。

山中の集落はまるで天空の里の趣き。

しかし、前日の四万十がこの天気じゃなくて、本当に助かりました。
16時を過ぎて、バスは松山に入りました。


写真は、雨中の松山城。
ところでこのバス、松山行きですが、終点は「道後」なんですよね。

帰りの飛行機は19時40分松山空港発なので、まだ微妙に時間が余っています。

となれば、当然、ひとっ風呂決定でしょう。

というわけで、終点の道後までやって来ました。
道後温泉と言えば、やはりこの「道後温泉本館」。


一番安い「神の湯」というのに入浴。人が多かったですが、レトロな雰囲気は悪くなかったです。お湯も柔らかい感じ。
ほっこりしたところで、空港に向かいます。

松山は、松山市街・道後温泉・松山空港がみな比較的近い距離でまとまっているのが良いですよね。そりゃジェットスターも就航するわけだ。

17時57分道後温泉駅前発の空港行きリムジンバスに乗車。
28巻で高耶さんが晃焔に拉致された時に通った道を通るのではないかとワクワクしていたんですが、よくよく調べてみると…ここを通ったかどうかは不確かです。

写真は新空港通り。前方の交差点は、松山環状線と交わるところ。


宇和島で高耶さんを拉致した晃焔は、国道56号を北上して松山に入りました。賑やかな三車線の道路を通り、左折して空港に向かったとあります(28巻120ページ)。三車線の道路ってどこかなと調べてみると、通りそうな道で三車線…というのは、松山環状線のことかと。晃焔は56号から松山環状線に入り、どこかで左折して松山空港に向かったと考えられます。松山環状線を左折して空港へ向かう道は、旧空港通りと新空港通りの二通りあります。近いのは旧空港通りの方ですが、この旧空港通りというのは、片側一車線で渋滞することが多いため、新空港通りが開通した(1998年)という経緯があるらしく…。残念ながら晃焔がどちらの道を選んだかまではわかりません。

18時35分、松山空港に到着。

<晃焔の四駆は空港駐車場へと滑り込んだ。旅客ターミナルへは向かわない。裏口で待っていた仲間が用意していたストレッチャーに高耶を乗せ変え、ベルトでがっちり固定した>(28巻『怨讐の門 破壌編』120ページ)

駐車場は、このターミナルビルの道路を挟んだ向かい側と、ターミナルビルに向かって右側の方にあります。(写真撮ってなかった…)。

高耶さんはターミナルビルを通らないで直接格納施設前に停まっていた小型ジェットに乗せられたとのことですので、晃焔の車は恐らくはこのターミナルビルの右の方にある駐車場に入ったのではないかと思われます。
一方、発信器の信号を読み、スタント並みの無謀運転で高耶さんを追いかけてきた直江も、松山空港に到着します。


<晃焔たちに遅れること数十分で直江は松山空港に到着した。旅客機の離陸音が響き渡る。直江は到着瓶の乗客をかき分けて、ターミナルの階段を駆け上がった>(28巻『怨讐の門 破壌編』121ページ)
階段は数箇所ありますので、どの階段かは特定できません。

一旦、出発ゲートのある二階へ上がった直江ですが、「車で中に突っ込みましょう」という中川の提案を受け、再びビルの外に出たのでした。

掃門先生、普段は温和なくせに意外と過激なことを言い出すんですね。
旅客ターミナルビル三階の展望デッキにやって来ました。
<すぐに外に出た直江は中川の車に飛び乗ると、空港関係者以外立入禁止のゲートを無視して空港敷地内に飛び込んだ。「あれじゃないですか! 橘さん!」 旅客機のスポットから外れた一番奥の格納施設前に、白い小型ジェット機がいる。もう滑走路に向けて動き出している>(28巻『怨讐の門 破壌編』121ページ)

旅客ターミナルの北西にある建物(写真黒い矢印の辺り)が小型機の格納施設なのではないかと思われます。この写真では写っていませんが、近くにヘリの姿もありましたので。本当は滑走路側から撮影できればわかりやすいんでしょうけれど…。
<「このまま突っ込む! 体当たりしてでも止めさせる!」「無茶です、橘さん!」 直江は手段を選ばない。急ハンドルを切ると滑走路に向けてアクセルをべったり踏み込んだ>(28巻『怨讐の門 破壌編』121ページ)

しかし、直江の車は追いつくことができず、そこへ清正と潮の乗ったヘリも突入してきますが、小型ジェット機の離陸を食い止めることはできませんでした。

駆けつけた警察車両を、清正が足止めしている間に、直江は旅客機で後を追うため、再び旅客ターミナルへと飛び込んだのでした。
写真は、着陸したばかりの旅客機。


離陸する飛行機は、これとは逆向きになります(降りてくる方向と飛んでいく方向は同じ)。


ミラージュ、ついに空港でもバトルを繰り広げましたか…。
<直江は全力疾走で出発ロビーへと走った。無論ノーチケットだ。そのまま所持品検査を無理矢理走り抜け、搭乗口に急ぐ最後の乗客とおぼしき中年男性の姿を見つけて、直江は一直線に駆けた。いままさに搭乗ゲートに入ろうとしていた乗客の手からチケットを奪い取り、鮮やかなほどの身のこなしで直江はゲートをくぐってしまった>(28巻『怨讐の門 破壌編』121ページ)

写真は、直江が「無理矢理走り抜け」たという手荷物検査場。直江って高耶さんのこととなると、ものすごい力を発揮しますよね。不審車やヘリが滑走路に侵入した時点で空港閉鎖だろという冷静なツッコミは置いといて(笑)、こういう直江ってちょっとカッコよくて、嫌いじゃない。
これにて、今回のミラージュツアーは終了。いやあ、今回の旅も長かった…。

こちらは、松山空港で買った「牛鬼ちくわ」と「ごぼうじゃこ天」。宇和島はじゃこ天が有名らしく。

じゃこ天は飛行機の中で夕飯代わりにつまみ食い。牛鬼ちくわは亀きち&亀ぞうへのおみやげ。
相方が道後温泉で買っていたお菓子。

「一六タルト」って色んなところで看板が出ていて、食わずには帰さないくらいの勢いだったので(笑)、思わず購入。

こちらも飛行機の中で食べました。
帰宅した日の亀きち&亀ぞうの晩御飯。

「牛鬼ちくわ」(お湯につけて少し塩分を抜いたもの)と、宿毛で出た「シッタカ」(袋に入れて少し持ち帰っていた)、中村で買った「青さのり」が含まれています。

もちろん喜んで完食。でも青さのりはちょっと食べにくそうだったので、次からはお魚バーグを作る時に混ぜてあげました。
中村の物産館「サンリバー四万十」で買った「ぼうしパン」。

中村で買いましたが、宿毛の「菱田ベーカリー」というパン屋さんのものでした。

高知って、ぼうしパンが有名らしいですね。私が小さい頃は近所のパン屋さんに「UFOパン」というのがありましたけど(埼玉県)。それは、ツバの部分がもう少し小さくて、中にはカスタードクリームが入っていました。

こちらのぼうしパンは中に何も入っていません。やさしい甘さが懐かしくなるようなパンです。
こちらは、サンリバー四万十で買った、のりシリーズ。

中村と言えばやはり青さのりですので、色々買ってみました。

のりの佃煮は、色んな種類があって、どれが美味しいのか食べ比べ中。右上の金色のキャップのやつが、お値段1,000円くらいと少し高級で、味もなかなかかと。
こちらは、ゆずシリーズ。


一番右のゆずふりかけが何気に美味しかった。
その他色々。サンリバー四万十で買ったものと宿毛駅で買ったもの。

一番右の「きびなごケンピ」は母にあげましたが、割と好評でした。宿毛市産です。

宗田節は、宗田鰹の鰹節粉末。普通の鰹節より風味が濃いようです。料理にプラスするとグッと味が引き立ちます。
珊瑚の根付、二種。宿毛駅で買ったものです。

高知県は珊瑚も有名なようですね。

鯨の尻尾をかたどった赤い珊瑚って…赤鯨衆?赤鯨衆グッズなの!?と思わずテンションが上がってしまいました。

赤い鯨グッズの二品目です(一品目は、2013年12月に浦戸アジトで買った赤い鯨の箸置き)。
咸陽島アジトの売店で買った絵葉書。


宿毛らしいお土産も特になかったので、四万十の絵葉書を買ってみました。
ホテル星羅四万十で買ったストラップ。

間伐した四万十桧で作られたキューブには、「Simanto River M」と書かれています。

M?Mって何のMだろう? ミラージュのM?(笑)
龍馬パスポートは最初の青パスポートにスタンプを集め終わり、赤パスポートを申請しました。


集め始めると、意外と楽しい…。


龍馬パスポートについては、こちら↓をどうぞ。


龍馬パスポート(よさこいネット)



毎回長いレポートで申し訳ありません。お読み頂きましてありがとうございました。四万十ツアーいかがでしたでしょうか。四国編に思い入れのある私にとっては、仰木隊長の四万十を旅することはここ数年来の夢でした。四万十川流域は地名や山名のみで、あまり具体的な場所は出てこないので、ミラージュツアーと言ってもほぼ雰囲気を味わうだけではありますが、仰木隊長も駆けたであろう山河を眺め、旅したことは、素晴らしい体験でした。ミラツア抜きにしても、四万十川は本当によかった…。魂が吸い込まれそうな景色って本当にあるんですね。実際、魂を半分、四万十に置いてきてしまったような、そんな感じさえします
振り返ってみると、四国編の高耶さんはどこか生き生きとしているように思えます。厳しい現実はありますけれども、自分の足で歩んでいく力強さみたいなものを感じます。また、仰木隊長に会いに行きたいですね。…次は、窪川とか大正とか、江川崎より上流に行ってみたいです。でも、あちら側の方が攻めにくそう。やはり自転車で回りたいのですが、上流の四万十町の方は、四万十市側のように乗り捨てできるシステムのレンタサイクルがなさそうなので…。

例によって、ツアーレポートがたまっています。アップが遅いですが、順次書いていく予定です。次に取りかかるツアーレポートは、2014年7月分のミクちゃんツアー(雲辺寺&根香寺)です。

2015.03.13 up

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